【榊】が風呂から上がり、髪を乾かしていると、ちよが牛乳を手に近付いてきた。
「えっと、さかき、さん、お風呂はいかかでしたか?」
「ああ、いいお風呂だった。ありがとう。ごめん、ドライヤーを勝手に
使わせてもらってる。本当にすまない。妙なことに巻き込んで、その上何から
何までお世話になって」
「いえ、いいんですよそんな。遠慮なさらないでくださいね。
……でも、そうやってお話しされるのを聞くとやっぱり榊さんなんですね」
「ああそうか、ちよちゃんから見れば私は神楽なんだよね……」
「さ、榊さん!! 大丈夫ですよ!! きっと元に戻れます!!
ですから元気を出してください!!」
「……ありがとう、ちよちゃん。そうだな、弱気になっちゃいけないな……」
不意にちよがふわぁっ、とあくびをした。
「あっ、すみません……」
「いいよ、私達に付き合って無理に起きてることはないよ。あとは私達で
片付けるから、ちよちゃんはもう休んだら?」
そこに【神楽】がやってきた。
「あー、私も眠いや。今日本当にいろいろあってさー、疲れちゃったぜ。
榊ぃ、今日はもう寝て明日いろいろ考えよーぜ」
「神楽さん、お休みになられますか。すみません、私の寝室にぎゅうぎゅう詰めに
なっちゃいますけど……」
「いーっていーって。泊めてもらえるだけでもすげーありがたいぜ。それじゃーお休み!」
そこまで言って寝室に向かう【神楽】を見ていた【榊】があることに気づいた。
「待って。髪はちゃんと乾かしたのか?」
「え? てきとーにタオルで拭いといたけど。てゆーかこんなに
暑いんだから自然に乾くだろ」
それを聞いた【榊】は顔色を変えて【神楽】の後ろに回り、
【神楽】の髪──つまりもともと榊のものだった髪を手に取りながらじっくり見た。
「な、なんだよ榊。どうしたんだ?」
【神楽】のその言葉も【榊】の耳には入らなかった。
【榊】の目の前には、湿ったままの、ちょっと痛んでしまった髪。
気を使ってたのに……。そういえば【神楽】は水泳の後もろくに乾かして
なかった気がする。うかつだった……。
「そこに座って」
【榊】が低い声で言う。
「なんだよぉ榊、私はもう眠い……」
「いいからそこに座って」
有無を言わさぬ声だった。
【榊】が長い黒髪を丁寧に乾かしていく。途中痛んだ箇所を見つけるごとに
がっくりしながら。そういえば。
「……ちゃんとトリートメントはしてくれたのか?」
「え? 別に。普段もしてねーし」
はぁっ、とため息をつく。ついでに聞いておこう。
「洗うときはどうやって洗ってる?」
「へ? がーっ、がーっ、ばーってな感じで。長いから大変だったぜ」
ちゃんと教えないと分かってくれそうもない。今日やり直せと言うのは
ちよちゃんに迷惑もかかるし無理だが、明日からはちゃんとしてもらわないと。
「いいか? 少なくともお互いの体に戻れる希望のあるうちは、髪を洗うときは……」
髪を乾かしながらくどくどと説明をはじめる【榊】。途中で眠いのと
飽きてきたのとで【神楽】が口を挟んだ。
「なあ、めんどくさいしさー、髪切っちゃっていいか?」
「そんなことをしたらコロ……い、いや、頼むから切らないでくれ」
「おい! 今殺すって言いかけただろ!! 殺すって言いかけたな!!」
「い、言ってない……。とにかく、大事にしてくれ……」
言い合う二人に苦笑しながらちよがフォローを入れる。
「神楽さん、『髪は女の命』って言うくらいですし、もうちょっときちんと
ケアしないとダメですよ。神楽さんのご自分の髪も、どうせ水泳で痛むからって
言わずにケアしてあげると結構違うと思いますよ」
「そっか。元の体に戻ったら考えてみようかな」
そう言った【神楽】に、
「『今の体の髪』も、くれぐれも、大切にしてくれ。くれぐれも、だぞ」
しっかり念を押す【榊】。その鬼気迫る表情におびえる【神楽】。
ちよは「あはは……」と愛想笑いをするしかなかった。
(つづく)
最終更新:2007年10月21日 19:14