D・イーストンによれば、政治とはすなわち「希少な価値の権威的配分」である。
例えば、223教室の予算が十分にあり、いくらでもコピー用紙を補充できる。あるいはコピー機やパソコンがいつでも使用できる環境にあり、卒論の打ち出しで順番待ちをする必要がない。このような状況は、政治とは無縁である。コピー用紙、コピー機という「価値」は希少ではなく、したがってコピー代を払う必要も、並ぶ必要もないからである。
しかし、現状としてはコピー用紙は有限であり、コピー機も一台しかない。価値が希少なのである。
そこで、誰かが配分方法を決める必要があるのだが、「誰か」は誰でもいいわけではない。配分方法を決めるに値する権威(=「この人なら、223のコピー使用に関して指示をくだしてもいいよ」という正当性)を保有する(あるいは保有していると認識されている)人でなければいけない。
すなわち ひさこさん である。
卒論の締め切り最終日、4年次がペーパーの打ち出しでテンパっているとき、ひさこさんが「今日は4年次優先でコピー機使わせてね~」と1~3年に指示を出す。これが政治である。構図としては「熱暴走寸前のコピー機の使用(=希少な価値)を、223管理人のひさこさんが割り振る(=権威的配分)」というわけだ。
このときに1~3年次から「了解です」「こっちも急いでるけど、まあ仕方ないよね」という納得が得られていれば(=パレート最適)、この政治(的判断)は正しいものであると見なすことができる。