政治学における権力(パワー)の定義は必ずしも一定ではないが、おそらく次のようなことが一般的に言えるのではないかと思われる。
権力とは関係概念のひとつである。特定個人そのものを観察することによって判別できるものではなく、アクターとアクターの間に存在するパワーの偏り具合、坂道のようなものではないか、ということだ。より具体的に表現するなら以下のような関係を指す。すなわち、
「AがBに対して、“Aが命じなければBはやらなかったであろう行為”を強制させることができる」とき、AはBに対して権力を持っている関係である。
このことから、恫喝や行政指導といった可視的な命令だけが権力なのではなく、“暗黙の了解”や“江戸長崎”といった慣習・体質も権力の一形態だと理解できそうだ。
また、言い換えれば次のようなことも言える。
「AがBに対して行為Cを命じているようであっても、そこに強制的なニュアンスが含まれていないのであれば、AはBに対して権力を持っているとはいえない」
つまり、いくらアヤタソが「おじゃぱ今から新都心に来て」とか、「まさやクルマ出してー」とか宣っていても、そこに強制的な・「やらなかったら不利益を被る」という認識がなければ、アヤタソはおじゃぱ・まさやに対して権力を行使しているとは言えない。
同様に、多くの宗前ゼミ生に見られる“ゼミ活動への過剰なコスト投下”も、多分に献身的な意味合いが強いために、宗前教授への権力的従属とは言い難い。
それらは権力とは別の種類の関係概念、すなわち
愛、である。