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”この世に、本当に大切な物を見つけられる人が、どの位いるだろう?”

自分にとっては、それはきっと剣道。
……であり、それを共にしてくれる友達や先生。
そして、温かく見守ってくれる家族や、他の友達。
でもそれはおそらく、大抵の人にとっては「誰か」一人のことであったり、
また「何か」一つの事であったり、するのだろう……たぶん。

(―――自分は、幸せ者だ。本当にそう思う。………じゃあ、あの人は?)

何度も相手の人と向かい合っては、あっという間に打ちのめされ…
その度に蹲り、倒れ、それでも何度も立ち上がり、また竹刀を握る。
起き上がり小法師のように、他人が見ればひどく滑稽にも映りかねないその姿から、何故か目を離せない。
二人の間にそびえる実力差は、とてもその次元には及ばないキリノの目から見ても―――
いや、道場内にいる誰の目から見ても―――歴然だったであろう。
しかし、それでもあの人は。コジロー先生は。
まるで”剣道”そのものの引力に吸い寄せられるように……
その立ち上がり、向き合う、と言う行動をただひたすらに、繰り返し続けていた。

―――正直、半信半疑…であった。
言い換えれば、ああいつもの発作ですか先生、と言う程度にすら捉えていたかも知れない。
先日から、突然熱病にうかされたかのように気合を全開させ、ユージくん、そしてタマちゃん……
部内でも自分より実力が上だと認める生徒に積極的に向かって行くその姿を見ても。
やはりそれにはどこかに滑稽さがあり、まったく真剣味を感じないわけではなかったが―――

(……またきっと、しょうもない理由でやる気出してる。)
(―――それはそれで……嬉しいん、だけどもね。)

川添道場に来る前の現状の認識としては、精々そのくらいが関の山、だったろうと思う。

しかし今現在。そんなふうに呟きながらも、キリノは―――
いま目の当たりにしているコジローのその必死の姿にどこか、ぼんやりと―――自分の姿を重ねて見ていた。
剣道を愛し、ただ剣道が好きで、ただ一心不乱に剣道に打ち込みながらも……
おそらくはタマちゃんのような天稟には恵まれず、剣道の神様からは愛される事のない自分。
それはそれで一切構わない―――しかし、例えそうであったとしても。

”部長として、後輩に恥じないように、強く在りたい”

この気持ちだけは常に持ち続けていたい。
それはキリノの純粋な願いであったし、
同時に自らを厳しい稽古へと打ち込ませる最大のモチベーションであった。
そして転じて、今まさにそんな自分と重ね見る、コジローの動機は、と言うと。

”顧問として、部員に恥じぬよう、強く在らねばならない”

おそらくは、これとそう遠い所には無いだろう、と言うのがキリノの見出した結論であり…
また実際にそれは――当のコジロー本人ですらまだ朧気にしか気付いていないが――他ならぬ事実、でもあった。
そして、まさにその「他人の為に得ようとする強さ」こそが―――
キリノ自身さえ、そこまでは思い至らなかったものの――キリノとコジローの希求する”強さ”。その一致点であると言えた。

しかし現実という物は、往々にしてそのような美しいかたちのままである事を許さない。
目は二人の立会いに真剣に釘突けられたまま、忘我の状態から少し立ち戻ったキリノが…
同じタイミングで一瞬動きを止めたコジローを見つめると―――面越しに、目がばっちりと、合う。

(…キリノ――頼む!)

口元に苦笑いを浮かべ、そう目配せで訴えかけてくるようなコジローの目線は明らかに自分を―――
そして、隣にいるサヤの、タマの、その真剣に見詰める目線を意識していた。
その刹那にコジローの意図をはっきりと汲み取ったキリノはひとつ眉をしかめると、

(……一生懸命努力してる姿は、ちっともカッコ悪くなんかないんですよ、先生。)

そう思い、しかししょうがない、と言う風で隣のタマを誘うと、また自分も目線を外す。
キリノにとって、その表情は―――
多少は、男性のプライドの高さ、というものに対する不満もあったのだろうが、同時にまた。
今の自分が、真剣に何かを模索し始めたコジローにしてあげられる……最大限の配慮の意を示している、とも言えた。

(……万が一にも、今の先生に。)
昨日までの……茶化すような目を向ける事は、あってはならない。

―――ましてや、自分達の為に強くなろうとしている人に、その自分達が重荷になっていては、いけない。

秘密の特訓の現場を他人に見られて、誰が喜ぶだろう?
そういう意味で、まさに今日ここに、茶化すように付いて来てしまった自分の行動に…
キリノにしてみれば、顔から火の出るような反省と後悔があった。

ともあれ、その気持ちから出た行動はそのままキリノの人となりを表し…
だからこそそれは、キリノにしか出来ない配慮であった。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


「ほら…立てる?しっかりして―――」

ただ闇雲に剣を交える事数十回。
道場の片隅にいよいよ倒れ伏したコジローにキリノの声が届けられる。
しかし一方のコジローは断続的にゼエ、ゼエと息切れ声を発するのみで、会話にはならない。
その発音にはも、や、が、と辛うじて聞こえるものの……意味を推し量ろうにもまるで文章にできない。
ともあれそのような困憊ぶりは、コジローが未だその探求と混迷の渦中に身を置いていながらも……
確かに”答え”には近付いている事を示しており、即ちそれは自然、キリノにとって喜ばしい物であった。
そのまま、どこか嬉しそうにコジローの傍に屈み込み、介抱を続けようとするキリノにしかし、後ろからサヤの声がかかる。

「キーリノー!審判してくれるって言うから実戦稽古、早く早くー」

その声にほいほい、と応じ、コジローのお世話をタマとユージにお願いすると。
面を着け、道場の真ん中で試合を始めるサヤとキリノ。
きゅっきゅ、どすん、と道場内に響き渡るすり足と踏み込みの音に…
どうにか呼吸を落ち着けたコジローが誰に言うでもなく、ただ宙に向けて口を開く。

「なんだ…今日はリズムが悪いなサヤ…」

その呟きを聞きつけたタマが、そしてユージが顔を見合わせる。

「足が重いな… 踏み込みが弱いぞ…」
「ほら、全然キリノに届かない…」
「このリズム…来るぞ、気をつけろ…もう一度、小手が…」

その言葉は、そのまま目の前で行われている現実そのものだった。
いや、コジローの言葉の通りに……現実がその後を追い掛けている、といった感じだろうか。
そして事実、サヤはキリノの小手を避けきれず、負けてしまった。

―――見えて、いるのだ。先生には。

そして驚く二人を横目に、呼吸を完全に落ち着かせると再びすっく、と立ち上がるコジロー。
そのまま再び、相手との―――そして己との戦いの場へ。

疲れ切った身体は指先を動かすのにさえもストレスを感じ、
立っているだけで背筋はギシギシと悲鳴をあげている。
しかしその半面、そうなって初めて頭脳は不自由な身体の適切な運用法を模索し動き始める。
そうして齎される物こそが―――いわゆる「力みの取れた状態」であり、
あるいは「リラックス」と言われるものの機構である。
コジローは今、そういう集中の最中にいた。

(―――見える。見えるぞ!……今なら、踏み込める…!)

何も分からず、ただがむしゃらに立ち向かっていた先刻までとは別人のような気合をぶつける。
しかし、それですら―――今現在の彼我の戦力差を埋めるまでには至らない。
ぬん、という渾身の気迫と共に、対手――内村さんの竹刀が打ち下ろされ、地を這うコジロー。

(……ッ。…内村さんって…めちゃくちゃ強いんだな…はは……)

そのまま今度こそ、立ち上がれない、とばかりに、ぐったりと床に倒れ伏す。
しかしその表情には、先程までのただ疲労感に包まれ困憊一色といったものばかりではなく…
何かをやり切り、そして見つけたのだ、と言う達成感と満足感が見え隠れしていた。
キリノはその雰囲気を一瞥だけすると、動けないコジローに代わって内村さんにお礼の言葉を告げる。

「いやーうちの顧問がご迷惑をお掛けしまして……つまらない物ですが、どうぞ」

それはキリノにしてみれば、ごく当たり前の行動のつもりであったが―――
当人も知ってか知らずか、その行動はまさに―――夫を支える妻そのものだと言えた。
ともあれ当の内村さんがそのような些細な事を気にする人ではなかったのは…
とりあえず今の二人にとっては幸せな事であったのかも知れない。

「――とてもいい先生ですよ、石田先生は。教え子である貴方達を見ていれば、わかります」

笑いながら大きな声で発せられるその言葉は、まさにキリノの望んでいた所。
自らが寄り添う、大樹である――と言うにはまだ少しばかり心許無いが――コジローへの、最大の評価を示していた。
キリノはひとつ、自分が褒められたように照れると、再びコジローの方を向き直る。
先と変わらないように見えるその口元には、しかし、やはりどこか満足気な笑顔が覗いている。
―――――本当に、大切な物。

(見つけられたんですね、先生も……ううん、思い出したのかな?)

そしてニコリ、と微笑むと、再び内村さんの方に振り返る。
とてもいい先生ですよ、と言う言葉に対する、その答えは…


”―――はい!”

そしてその笑顔は、満開に咲いた向日葵のような―――底抜けの笑顔だった。
最終更新:2008年04月26日 01:30