コジロー先生が帰ってきた。
あの日からキリノは本当の意味での元気さを取り戻した。
先生がいない半年間も、キリノは変わらず明るかった。
でも私にはわかった。
キリノははき出したい色々なもの、弱音を、悲しみを、悔しさを。
堪えて飲み込んで、剣道部を引っ張るために明るく振る舞っていたのだ。

「でも…
抱きついて泣き出したのは…流石にちょっとびっくりしたわ。」

苦笑するサヤ。
それは、それまで漠然と感じていた
「キリノはもしかしたら先生の事が…?」
という問いが確信に変わった瞬間でもあった。
そうと分かれば、応援しよう。
度を過ぎない程度にだけど、キリノが先生と上手くいくように。
しかしあれだけ露骨な感情表現をしたにも関わらず、
二人の関係は半年前と変わったようには見えない。

私達はもうすぐ卒業だ。
それには二つの意味がある。
教師と生徒という立場が無くなり、おおっぴらにつき合えるようになる。ということと
卒業してしまう、ということ。
それはキリノと私は室江高を離れる、ということ。
卒業したって会おう思えば会えるのだけど。
一緒にいられる時間は貴重なものだ。
キリノも同じ事を思っているのか、
先生へ積極的にアプローチするようになったように思えた。



「見て見てサヤー!先生にお弁当作ってきたんだけどどうかな?」

「おおっ!美味しそうじゃん。きっと先生喜ぶよ!」

「へへ、そうかな。よかった」

「ついさっき剣道場に行くところだったみたいよ。早く渡してきな」

「うん、ありがと!」

そう言いながら駆け出すキリノの笑顔はまるでひまわりのようだった。


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わざと遅れて剣道場に赴くと、ちょうど食べ終わった所のようだ。
キリノはにこにこしながら魔法瓶のカップにお茶を注いでいる。
先生は私に気付くと照れくさそうに笑った。
まんざらでもない、という感じか。

そんな二人の姿を見ていたら…


ちくり。


あれ、なんだろう。
私の心で何かがひっかかっているのを感じた。
その時はそれが何なのかよくわからなかった。
わかろうとしていなかった、だけなのかも知れない。
それは、気付かない方が良いものだったから。



金曜日の部活の休憩時間。
キリノがサヤにこっそり話しかけてくる。

「サヤ~。明日の土曜日に先生と出かけるんだけどさ、
何着て行くのがいいなぁ。」

「ん。何それ?デート?」

「ち、ちがうよぉ!部の用事でちょっと付き合って欲しいって言われて…」

部の用事なのに現部長のダンくんじゃなくてキリノを連れて行くの?
という疑問が一瞬頭をよぎるが、

「…そっか。上手くいってるみたいじゃん。」

つまり、あの鈍感教師もキリノの気持ちに応え始めたという事か。

「行ってらっしゃい!頑張っておいで!」

「うん、ありがと!」

服の目星もついて満足したのか、キリノは再び練習に戻る。
それをしばしサヤはぼんやりと見つめていた。

「………はっ」

…どうした私!こないだから何だか変だぞ!
心に何かひっかかっているような感覚。
それを感じる頻度は確実に増えていた。

そして今日、
休日に先生がキリノと出かけるという話を聞いて
キリノを祝福したい気持ちと同時に…何故か心がざわつくのを感じてしまった。

いや、そんな馬鹿な。
あたしはキリノと先生の仲を応援しようって…。
せっかく上手く行きかけているのに、あたしは何を…。

浮かびかけた自分への疑念を振り払おうとするが
自己暗示では打ち消せない何かが心に去来しているのを感じる。

キリノには悪いがコジロー先生は私の趣味じゃない。はずだ。
そりゃあ嫌いなわけではない。
むしろ頼りにもしているし一緒にいて楽しい相手であるのは間違いない。
だけど…。

その日は帰宅しても、お風呂に入っても、布団に入ってからも
ぐるぐる、ぐるぐる、と考えがループしてしまい…

翌朝。サヤは寝不足な顔で駅にいた。
そこはキリノとコジローの待ち合わせ場所。
が、見える位置の喫茶店。
屋内なので向こうからは気付かれにくい地点だ。

「そう!キリノが心配だから!
あの子ああ見えて意外に抜けてる所があるから!」

誰も聞いていないのに言い訳をするサヤ。

そうこうしているうちに
待ち合わせ場所にコジローとキリノが現れた。
約束の時間の10分前なのに二人ともほぼ同時だった。

さっそく移動する二人を、サヤは慌てて追いかける。

それから二人は、電車に乗って数駅移動し
県内でも剣道でそれなりに名の通った女子校に入っていった。

「ここは…練習試合の申込のあった…」

女子校の女子剣道部に挨拶に赴くのに、
確かに部長とはいえダン君を連れて行くのは不自然だ。
キリノを付き添わせたのはそう言うことだったのか。

「ほ、本当に剣道部の用事だったのか…あの朴念仁教師め」

そうサヤは毒づくものの、コジローと二人で歩くキリノは幸せそうだった。

「はー。馬鹿らし。何やってんだあたしは…」

しばらく自己嫌悪に浸っていると
挨拶を終えたのかコジローとキリノが校舎から出てきた。
とっさに植え込みに隠れるサヤ。
二人は楽しそうに談笑しながら校門を出て行く。

「帰ろう。帰って素振り千本だ。
汗を流してこんな気持ち、忘れてしまおう」

そう決めて、二人の後ろ姿を見つめていたサヤ。

その高校の前は、歩道の無い狭い道路だった。
そんな通りを、幅の広いトラックが無理矢理通ろうとする。
とっさにコジローはキリノをかばうように肩を掴み、抱きつくような格好になった。

「おっ…と」
「…あっ」

見つめ合う二人。
その距離はあまりにも近すぎて。


ズキン


それを見ていたサヤは、自分の心が大きく疼くのを感じた。



「そっか…私は…昔から、好きだったんだ」

その瞬間、わかってしまった。
自分の本当の気持ちに。
わかってしまったら、止まれなくなってしまった。

胸がズキズキと痛む。心が悲鳴を上げている。
気付けば、植え込みから出て二人の前に姿を露わにしていた。

気付いたコジローが声をかける。

「お、サヤ?こんな所で何してるんだ?」

決意を秘めた、瞳。
しかしそれは今にももう泣き出しそうで。

その表情に尋常でない物を感じとったのかキリノがサヤの元へ駆け寄る。

「サヤ、どうしたの?…大丈夫?」

「ごめん、キリノ。」

「え?」

「私…もう自分の気持ちに嘘つけそうにないよ。」

「…サ…ヤ…?」

「キリノと先生の仲を応援したいっていうのは今も変わっていないよ。
間違っているってのはわかってる!…独りよがりだってわかっているけど!
私は、私も、この気持ちをぶつけてからでないと前に進めない!!」

そう言い放つとサヤはコジローの方に向き直る。

「先生!!」

「お、おう!」



時間が、止まったかのようだった。
コジローもキリノも、サヤの言葉を待っていた。

サヤは、続きの言葉を放てばもう戻れない。
その自覚があった。
それは自分も周りも傷つくことになる選択だった。
だけど止まれなかった。心が壊れそうだったから。

キリノは親友の、サヤの行動に困惑していた。
サヤが先生の事を…?もしそうなのなら
自分の無神経な行動がどれだけサヤを困らせたのだろう、傷つけていたのだろう。
そう考えると胸が締め付けられる思いがした。


そして、しばしの静寂のあと、サヤの口が開かれる







「キリノを賭けて、私と勝負をお願いしたいぃぃ!!!」







「…は、はぁ?」

「…はにゃ?」

「私は!キリノのことが大好きだぁー!!」
間違っているのはわかってる!
だけどもう自分の気持ちに嘘はつけないのよー!!!」


「よし、わかったから落ち着け。ここは天下の往来だ。」


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そして剣道場。

コジローとサヤの、稽古と称した果たし合いが行われた。

鬼神の如き形相で勝負に望むサヤ。
立会人を勤めたタマをして真顔で
「…つ、強い!」
と言わしめる気迫だった。

しかしコジローも負けちゃいけない気がしていた。
キリノがどうこう、だけじゃない。サヤのためだ。
なんというか、ここで自分が負けるのは教育上良くない気がした。
教師として、剣道部顧問としてこの勝負に負けるわけにはいかなかった。



「きぇぇぇぇぇぇ!」

「やぁぁぁぁぁぁ!」

「でぃぃぃぃやっ!」



勝負は、サヤが1本目を先取したものの
その後体格とスタミナで勝るコジローが2本を連取。

「ぜー…ぜー…」

勝負に負けたサヤはへたり込みながら、
熱病に浮かされた脳が回復していくような感覚を覚えていた。
要するに、冷静さを取り戻しはじめていた。

「やややややや、やばい。
あたしやっちゃった?やっちゃった!
どうしよう、この状況どうしよう???」

狼狽するサヤの元に、何かを言いたげな表情でコジローが歩み寄ってくる。

「そうだ!!!」

起死回生の策を思いついたサヤは
勢いよく立ち上がるとそのまま、

ずびしっ!


と、コジローの鼻先に指を突きつけた。


「こ、これでキリノは先生の物ね!
大事にしなきゃ末代まで祟りますよ!
室江高が心霊スポットになっちゃうんですからね!」


「なっ!」
「はにゃー。」
意表を突かれたコジロー、
キラキラしながら飛びついてくるキリノ。


「そういう事だったんだねぇー。あたしゃびっくりしたよぉー」

「そ、その通り!私はいつでもキリノの味方だからね!」

その言葉は嘘ではなかった。

サヤは、キリノに抱きつかれ恍惚に浸りながら

「あいやー。この関係がやっぱりいいわー」

と、脱力したように呟く。



そしてコジロー。

「良くねえよ!いや、悪くはないんだけど!
立場的に良くねーんだよ!!」


とりあえず色々卒業までお預けという約束が結ばれたとか。
最終更新:2008年04月27日 22:08