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「―――あ!岩佐!外山!
 サボってんじゃねーよ部活出ろって!
 ブラついてるだけなら来いっつーに!」

廊下ですれ違う二人を見るや、わめき立てるコジロー。
それに揃って多少訝しげな顔を向け、しかし反論しようとする岩佐を手で制する外山。

「……キリノから何も、聞いてねえのか?」
「?あぁ何のことだ?」

そのコジローの反応に、ち、と舌打ちをひとつ。
どうやら退部届はコジローの元までは届かず、キリノが握り潰しているらしい。

(―――つまらねえコトを。)

今までに自分が知りえた情報では、
自分たちの退部届が受理されなければ、剣道部の休部は免れない。
そんな理屈が分かってはいても、それでもまだあいつ―――
キリノが悩んでいる、というのは外山にも十分想像がついた。
大方、こちらの行動で余計に情が揺らいだとか、そんな理由だろう。
退部届を受け取る、という事は、即ち自分達を切り捨てるという事だ。
気丈ながらも優しいあいつにそんな決断が出来るだろうか、不安ではあった。だが。

(……案の定かよ。)

いっそ、自分が校長に、直接叩き付けてやれば良かったのではないか。
そんな後悔さえ浮かびそうな所へ、何もかも分かったように、コジロー。

「…心配すんなよ、外山」
「………心配?」
「ああそうだ。何も心配はいらない。俺が……お前等の事も。守ってやるから。だから安心して部活に来い」

熱っぽく語る、その目をよく見れば―――この顧問は、こんな目をするような男だったか?
ケンカで殴る相手にも、たまにこういう目をした奴が居る。そしてそういう奴ほど大抵、しぶとい。
そうだ、これは―――”ハラを括った目”だ。

「まさか、あんた…」

外山がそう言うと、ややバツの悪そうな表情を見せるコジロー。
その反応が物語る、”守ってやる”という言葉の意味。

(辞める気なのか、こいつ。俺達の為に…いや―――)

――――キリノの為に。
自分達を切る事の出来ないであろうキリノの為に、
自らの首を学校に差し出し……その代わりに自分たちを部に戻そうと。
おそらくはキリノも知らないのであろう、こんな事は。
確かにそれで全ては丸く収まるのかもしれない。だが。

「…フザけるなよ」
「あぁ?」
「なおさら…戻れるか。行くぞ、岩佐」
「おっ、おい…」

そのまま、去って行く外山と岩佐を眺めつつ、ひとつ大きく嘆息をつくコジロー。

「……なかなか、上手く行かんもんだな…」

片手でぱか、と携帯を開き、カレンダーに記された日付を見る。。
――――――自分に残された時間は、あと3ヶ月。


▽▽▽


「失礼しまーすっ!」

閑静な職員室に、やや落ち着きの無いその声がこだまする。
練習前にコジローの呼び出しがあり、やってきたのは勿論、キリノ。

「今日は、どうしたんすかセンセー?まさかまた何か…」
「いや…今日はな」

差し向かうと、ゴホン、と一つ咳払いをし…
いかにも「言い難い事をこれから言うぞ」という様な雰囲気を作りつつ。

「…キリノ。あいつらの退部届、よこせ」
「え…」

キリノがあからさまに戸惑い、反駁の態度を顕にすると。

「…なんで、知ってるんすか?」
「さっきユージから聞いた…外山らの様子がおかしくてな」
「でも…」

キリノは、信頼できない、とでもいう様な批判の眼差しを向ける。
コジローはひとつ、嘆息をうつと。

「いいから。そこから先は教師の領分だ。お前が決めろ、とは言ったが……俺はそこまでは、お前に要求しないよ」
「…そう、ですか……ですよね、だって…」

”だって”。
そこまで言って、その先の言葉は憚られる。
流石に、我が身が大事だよね、とまで皮肉を言ってしまうのは…
いい加減ながらも自分に代わって苦渋の決断をしてくれようという先生に対して申し訳がない。
でも、その態度には―――少しの満足感と、大きな失望。

(いい加減でも、生徒の事を考えてくれるこの人なら、もしかして―――)

実は自分を、そして皆を救う策を考えてくれているのではないだろうか?
そんな漠然とした期待は今、儚くも裏切られ、その期待の大きさが故に、失望もまた、大きい。
そうしているうちに、やはり抑えられないその気持ちのひとつが、口をついて出てしまう。

「センセー?」
「ん?」
「先生って、ホントだめな先生だよね…」
「うっせーよ」

もうダメだ。いっそ泣いてしまいたい。
バカみたいだ、自分だけ……勝手に期待して、勝手に裏切られたと言って、泣いてる。

(本当に、バカみたいだ――――)

キリノがそんな気持ちを抱え、必死に顔に出すまい、と戦っていると。
辛そうにしている自分に、いつもどおり心配そうな声をかけてくれるコジロー。

「…おい、キリノ?大丈夫かよ?」

そのいつも通りの気遣いが、優しさが、かえってキリノの神経を逆撫でにする。
―――もうこの場には居られない、居たくない!

「大丈夫……これ、外山君と岩佐君の退部届……です」
「おう、すまんな」
「お願い…します。じゃあ、あたし…部活、いきますね」

それから逃げるように走り去り、ドアをぴしゃり、と閉めると…
その音の大きさに静まり返る職員室。
コジローは、ふう、とまたもやひとつ、大きな嘆息をうちつつ。

(やはり―――慣れない事は、するもんじゃないな。)

そう、一人ごちていると。
遠巻きに様子を窺っていた吉河先生が声をかけてくる。

「…大変そうですね」
「いや、スイマセン、お見苦しい所を」
「千葉さん、泣いてませんでしたか?」
「そうかも―――知れないっすね。いやきっと、そうなんでしょう」

難題を突き付けられたキリノが、では自分にどういう期待をしていたか…
渡り廊下の一件を思い返すでもなく、コジローにはそれが、痛いほどよく分かっていた。

(しかし……俺はいずれ、居なくなる。その時に…)

――――頼ってばかりでは、ダメなんだ。
だから、今のうちに思い、悩むといい……全ての責任を、自分が取ってやれるうちに。
即ち、それこそが―――何もせずに、ただ責任を被り、去るだけのつもりであった自分を。
どうにか踏み止まらせてくれた……”向き合う”という気持ち。
自分が関わる事の出来る最後の試合……昇龍旗までに。
自分がしてやれる全ての事をしておいてやりたい。
そのようなコジローの切実な願いがあった。

ともあれ、実際に自分が居なくなった後の事も…
もちろん少しは、考えておかないといけない。

「……吉河先生。実は、お願いがあるんですが…」


―――――自分には、時間がない。


▽▽▽


―――3ヵ月後。
―――コジロー先生が、いなくなった。

昇龍旗大会の途中、姿を消したまま、翌日の学校にもその姿は見えない。
いつも一番早くに来て開けてくれていた朝練の道場の扉も、今日は固く、閉ざされている。

(……何だろう?)

ざわざわと、キリノの胸がざわめく。
あの夏の日以降、先生は驚くほど普通だった。
普通に―――外山君と岩佐君の退部にも触れる事もなく。
全員が承知の上であの退部届を受理した事になっていて…
そのおかげで全くいつも通りの日常に帰る事の出来た剣道部。
そこに自分だけが割り切れなさを感じ―――
先生のその冷たさを恨めしく思うのも、いつしか忘れ掛けてた……そんな日のことだった。

(……どこいったんだろう。)

昼休み。初めはそんな程度の軽い気持ちで、職員室の扉を叩く。
すると、そこにあった筈の先生の机は綺麗に整理され…
いや、というよりも「何もない」。プリントも、ファイルも、引き出しの中にさえ…何もない。
ただの使い古した平机がそこにはあるだけだった。……名札も、剥がされている。
頭が整理できずにうろたえるキリノの背後から―――女教師の声。

「…千葉さん?」
「……吉河先生。コジロー先生は…石田先生は、どこ行っちゃったんですか?」

そのキリノの質問にひとつ大きく嘆息をつくと。
キリノを少し、恨めしげに見ながら…吉河先生が真実を告げる。

「石田先生は……一昨日、うちの学校を、辞職されました」
「……………へ?」
「千葉さんは、知ってると思うけど…」

 ―――夏の暴力事件のことで―――責任を、って―――
 ――本当は随分早くから―――辞職を――決められてたらしいのだけど―――
 ――剣道部の為にって―――昨日までと―――交渉して―――

吉河先生が目の前で何か大事そうな事を喋っている。
でも、耳は鼓膜が潰れでもしたように、一向にその情報を脳に送らない。

(辞色?磁職?……辞職?コジロー先生が?―――何で?)

自分の顔色がどんどん青ざめていくのが分かる。
吉河先生に食って掛かった所でどうしようもないのは分かっているが、感情に歯止めが利かない。

「…んで…何で、そんな事をする必要があるんですか!?退部届は…」
「石田先生、あなたから受け取った退部届、その場で破り捨てちゃったの。必要ないから、って」
「なんで…どうして…!」
「……石田先生から、あなた宛の言伝があるの…聞きたい?」

一も二もなくキリノが首をコクン、と縦に振ると。
少し気取ったようなおかしい口調で喋りだす吉河先生。

”―――済まなかったな、キリノ。
 俺、お前にはきっと、一番の迷惑を掛けたんだと思う。
 お前の心残りを、結局……掃ってやれなかったのが残念だ。
 最後まで、だらしない先生で、ごめんな。”

「………千葉さん?」
「……え、あれ?」

そこまで聞くと、涙は自然と溢れ出していた。
心残り―――つまりは、二人を蔑ろにし、ついには弾き出すという選択をしてしまった事への罪悪感。
それすらも抱えたままで、先生は。身を賭してまで…
なおも自分の為に、二人が部に帰って来られるようにと努力を続けてくれていた。
――――いつか思わず言ってしまった、あの言葉が。今度は自分の胸をえぐる。

”何で、逃げるんですか……あんた顧問でしょう!?”

(……あはは。あたしが一番の―――大バカだ…)

自嘲気味にひとつせせら笑うと、それを口火に―――
どうしようもないほどの涙が目からあふれ出る。
人前だというのに…止まらない。

「せん…せぇ…」

走馬灯のように楽しかった頃の思い出がよぎる。
まだ二人きりだった頃。
やる気を出してくれて、嬉しかった頃。
弱ってた自分の頭に乗せられた、あたたかい手の思い出。
遠目にだけ見えた、済まなさそうに去っていく最後の背中…
その全てが―――もう、取り返しがつかないものになってしまった。

「……コジローせんせぇ…」

涙ながらに今更名前を呼んだところで、彼に届くはずもない。
…だが、その代わりに、自分の頭に乗せられる、掌。

「よし、よし…」
「…吉河先生…」
「……そんなに好きだったのね、石田先生のこと」
「………」

―――何とも、答えられない。
これは、そういうモノなんだろうか…本当に。

「石田先生から、剣道部の事、くれぐれもお願いします、って託ってるわ。
 私、剣道の事は全然分からないけど……よろしくお願いね、部長さん」
「…すいま…せん……う、わあああああん!!」

ついには感情が噴き出し、その声は職員室じゅうに響き渡る…
泣きじゃくるキリノの頭をゆっくりと撫でる吉河先生。



コジローとキリノ。二人を繋ぐ、最後の奇跡が起きるのは―――
それからさらに半年を待つ事になる。


おわり
最終更新:2008年05月24日 22:04