「よっしゃ、揃ったな、行くぞー」
『はーい』
一斉に号令がかかり、集団は母校を後にした。
先頭をゆくのは顧問、シンガリは元部長。その二人の距離に。
同じく殿をゆく隣の女生徒がいかにも不満という顔で異を唱える。
「ねえ、キリノ」
「うん?なにかなサヤ」
「あのさ、もうちょっと近くでも構わないんだよ?」
「………なにが?」
彼女がそのにべもない反応にあれ、おかしいな、と疑問符を頭に浮かべていると。
一方その疑問を向けられた彼女の親友は、その余裕の表情と裏腹に。

共に在る、というただそれだけの事と。

――――格闘していた。劣勢であったと言えるかも知れない。
自ら一度は閉ざした想い。それは物凄い熱量で彼女の心を灼き、
時にちらちらと視界に飛び込んでくる彼の背姿は、
気を抜けばすぐにでも涙腺と表情を決壊させそうだった。
隣になど、とてもいられるものではない。

端と、端。
それが今の彼女のとれる、彼との距離の物理的限界であった。



「…はぁ」
新幹線に乗り込んで、もう数時間経つ。
最初は騒いでいたサヤも寝静まり、隣の聡莉と肩を寄せ合って眠りこけている。
その隙に、キリノは深い溜息と共に、朝からずっと溜まっていた鬱積を吐き出した。
それにすかさず反応する、後ろからの声がひとつ。
「珍しいな、お前が溜息だなんて」
「にょっ!?こ、コ、あう…センセー」
「??どした?いつもみたいにコジロー先生って呼べよ?」
「う、ううん。だ、大丈夫、大丈夫…」
「んー?よく分からんが緊張してるのか?肩揉んでやろうか?」
手をわきわきとさせ腕まくりをするコジローに、声はしどろになってしまう。
それでもなんとか、なけなしの勇気を振り絞ると。
「い、いへ…いえ!大丈夫!だいじょうぶっす!」
「ん…ん、そうか。ならまあ、いいんだ」
そのまま、どさっ、と再び自分の席に身体を預けると、こちらも寝息を立て始める―――先生。
その安らいだ表情を見ると、疲れていたんだろうな、という想像が容易に働く。
元々豪放ではあるが磊落ではない、繊細な人。
復職に際して、あんな仮装をして現れた事にもそれは端的に表れていた。
自分たちの前で普通にふるまう事ですら、大変な事だろう。
でもけして、そんな所は表向きに見せはしないのだ、このひとは。

リクライニングを全開に倒し、猫のようにヘッドレストを抱え、その寝顔を覗き込みながら。
緊張を通り越し、奇妙に冷静になった頭で、キリノは改めて思う。
――――この気持ちは、本当のものだ。
そう思うと。さっきまで自分を責めていた罪悪感のようなものは、
たとえようもない愛おしさへとその姿を変えていた。

右手の指を伸ばし、眠るコジローの前髪に軽く触れながら、ぼそり。
「センセー、髪、ちょっと伸びたね…ふふ」

寝静まる周囲と、電車の音と、キリノの心音。
それだけが、客室の全てを充たしていた。

そして、ただ一人。
薄く閉ざした目の端からその光景を横目で覗き見つつ。
キリノの隣の席の少女は、ほくそ笑みながら、その場でひとつ、寝返りをうった。



さて、それから数日後。
室江高剣道部にそれなりの充実感と
それなりの栄誉を齎し幕を閉じた鳳凰旗の余韻も冷めやらぬまま。
彼女達には新たな問題が発生しようとしていた。

「というわけで、うちからも何人か選ぼうって話になってるんだが…」
この顧問が、次はどんな難題を持ってきたのか。要約すれば。
このたび、ある女子の剣道大会が新しく行われる事になり、
その地区代表メンバーの選考を兼ねて合同合宿を、という話なのだが。

「…しかし、先輩には負けたくねえなあ」
難題、の方はむしろこちらの方かも知れない。
すなわち。地区代表メンバーの選考には監督の選考も兼ねられていて、
その候補の座にコジローと石橋先輩、その二人に白羽の矢が立った、という事なのだそうだ。
二人がそれぞれに団体戦の面子を選び、最終日に試合を行い、その結果で監督が決まる、という事。
しかし、コジローの思惑とは裏腹に、”合同合宿”という言葉に沸き上がる一同。

「町戸の皆さんとも会えるんですね」
「キャリーも来るのかしら…」
「凛さんも選ばれてるんだ、やっぱり…」
「あーあ、あたしはお留守番かなあ」

がやがやがや。
騒然となる道場の中、口をへの字にして唸るコジローに、近付く声。
「センセー、ええっと…」
「お、キリノ。どした?」
少し躊躇いがちなその声に、違和感を覚えつつ耳を傾ける。
と。
「あたしもその…代表候補に入ってるんすか?」
「おう、そりゃもちろんだが…」
「辞退…できないっすかね?」
「はあ?」
コジローの目にも、キリノの様子は深刻なようであった。
あわてて問い質そうとすると、裏返った声になる。
「ンな、なんでだよ?」
「だって、あたし…前の大会でも、そんなにだったし」
「そんなに、つっても…頑張ってたろうが」
「もっと強い子、タマちゃんとか入れた方が」
先生が、代表監督になれるよ。そう言外に仄めかすと。

ぽむ。

自分でそう言いながらも、沈みこんで行こうとしていたキリノの頭上に手が置かれる。
そのまま。
「…絶対」
「え?」
「絶対、外さねーぞ。…お前が居なきゃ、まとまる物もまとまらん」
「センセー…」

そう言われると瞳を潤ませ、コジローの顔を見上げるキリノ。
と、そこへ。

「そりゃあキリノは、外せないわよね~」
皆との会話に参加しながら、横目で二人のやり取りを窺っていた
全ての事情を知る少女―――すなわちサヤが、腕組みをしつつ茶々を入れると。
竹刀を持ったまま、瞬間湯沸かし器のように顔を真っ赤に染め上げるキリノ。

「さ、サヤぁ…!」
「たりめーだろ」

その言葉に、さらに顔を赤くするキリノと、憮然としたままのコジロー。
余りにも対象的なその様子に。

「(……こりゃ、時間かかりそうだわ……)」

ほとんど心の中でと言える小さな声で、サヤは呟いた。





終わり
最終更新:2008年12月06日 22:34