ルーセントの歴史
マーカス暦433年、ルーセント三代目当主、女帝ガイウス・ヴィレム・ヴォークネス・ルーセントは、人類種自体の宿敵であった
魔族の王を撃破した。その戦いで倒れた盟友である大竜「エイト・ヘッズ」の骨を使って彼女が戦いの跡地に墓碑を建てたのが、ルーセント建国の起源である。友の墓を守っていたガイウスの元に自然と人々が集まり、
マーカス暦445年(ガイウス歴元年)には正式に建国が宣言された。
その後しばらくガイウス王の元ささやかな繁栄を享受していたが、やがてルーセントを危険視する人類勢力との対立が表面化。ガイウス王が崩御した翌年、マーカス暦460年/ガイウス歴15年には、後には「
殺人戦争」と呼ばれるルーセント派と反ルーセント派との戦争が勃発した。
数年続いた戦争は、ルーセント派の圧勝に終わった。この戦争の勝利により、ルーセントとルーセントに協力した一派は、現在の聖ウニヴェルズ教国領を除く、旧フェルセン域の全地域を獲得。マーカス暦463年/ガイウス歴18年、ルーセント帝国が成立した。その領域は首都を中心とした皇帝直轄領、八つの王国及び諸候の領土によって構成され、そのまま三百年間あまりの平和が続いた。
その平和が破られたのは、マーカス暦781年/ガイウス歴339年のこと。突如旧フェルセン領域外からの侵攻を受け、長い平和に慣れたルーセントは苦戦を強いられた。その上、敵勢力が現ヘイム領において大悪魔の召還に成功し、一時は帝都エイト・ヘッズが陥落寸前に至った。しかし、最終的には後のヘイム初代国王ユーグ・"ケープ"・ロベールの活躍により、大悪魔は倒され、また国境での争いもルーセントの勝利に終わった。そして、ユーグとルーセント領ヘイム女王の婚姻が許され、ヘイムは「結納の品」としてユーグに送られ、マーカス暦787年/ガイウス歴344年、独立国家としてのヘイム王国が成立した。これにより、当初あった八王国は、七王国にその数減らした。
その七王国が現在の六王国に減少したのは、マーカス暦866年/ガイウス歴423年のゲリオン独立戦争が原因である。殺人戦争終結以来、ルーセント皇帝は「エラン・ドグマ」と呼ばれる反動政策を打ち出し、機械技術の開発、利用を禁じた。しかし、時のルーセント領ゲリオン王国女王アウグスト・レコン・ダ・ゲリオンは、皇帝の度重なる警告を無視し、改革開放政策を推進した。その結果商品経済化が進み、ゲリオンは大いに栄えたが、代わりに他の領域での相対的貧困化が進んだ。事を重く見た皇帝は、ゲリオンからの一切の輸入を禁じたが、ゲリオンは、それを帝国によるゲリオンの放棄だと宣言し、一気に帝国からの独立を宣言した。その後の交渉も決裂し、皇帝はゲリオン女王の抹殺を宣言、「両」国に戦争が勃発した。
戦局は、当然ながら、ルーセントの圧倒的優位の元に進んだ。ゲリオン側は、ルーセントでは伝統的に禁じ手とされた庶民の徴兵を行い、傭兵軍を編成して応戦したが、どちらもルーセント戦士の敵でなかった。開戦からわずか十日でゲリオン首都クロイツベルグは包囲され、陥落を待つばかりとなった。
しかし、追いつめられた女王アウグストは、更なる禁じ手を用いた。ゲリオンの地の守護天使との直接契約である。その契約の元、アウグストは天使を自身の体に降臨させ、代わりに領域内という限定付きながら、文字通り「神の力」の行使を可能となった。その結果クロイツベルグ周辺に布陣したルーセント戦士の多くが死亡、戦争は膠着状態に陥った。最終的には、皇帝自らの親征が行われる直前、ヘイム国王が仲介に入り、ルーセントによるゲリオンの独立承認と、ゲリオンのルーセントの鎖国承認及びルーセント域内のゲリオン財産の放棄を条件に、終戦が成立した。
ゲリオン独立戦争以降、ルーセント皇帝は「皇帝」の地位を放棄し、自らを「皇王」と宣言した。それに伴い、ルーセント「帝国」はルーセント「古皇国」にその名を変えた。その後、ルーセントは近年に至るまでの鎖国を続ける。その結果国内での進歩は停滞したが、時折の天災を除けば、平穏な社会が実現した。だが、戦争は再びマーカス暦914年/ガイウス歴471年のヘイム革命を発端として勃発。ヘイム革命により虜囚となったヘイム王族の身柄を、親族としての立場から、引き渡しを要求したルーセント皇帝に対し、ゲリオンは、突如皇帝の要求を内政干渉と批判、事は一気にヘイム・ゲリオン連合とルーセント帝国間の軍事衝突に発展した。
独立戦争以来、機械技術を発展させ、徴兵制度の拡充を図ったゲリオンは、その軍事力を大幅に上昇させていた。戦車や毒ガス、それに航空艦隊等といった新兵器が次々と投入され、また同じく徴兵制を敷いたヘイムとの同盟により、連合軍の兵数は250万人を超えた。これに対するルーセントは全軍合わせてわずか6万人。しかも、表面的には中立を宣言した聖ウニヴェルズ教国も、様々な形でゲリオン・ヘイム連合を支援し、更にアングリア地下連邦からも次々と義勇軍が連合軍側で参戦した。
戦闘は長期に及んだ。局地的な戦闘ではルーセントが連勝したものの、多方面からの連合軍の侵攻の前に、ルーセントは撤退に次ぐ撤退を余儀なくされた。開戦から三年後のマーカス暦917年/ガイウス歴474年には、国土の70%以上が連合軍に占領されるに至った。
だが、その優勢は、すぐにルーセントの「良識」の上に成り立っていたことが明らかになった。
同年十二月。ルーセント皇帝は、悪名高き「隠月作戦」を発動。生き残ったルーセントの戦士の殆どが単身で敵陣突破し、直接連合国首都に侵入した。そして、行政機構を目標とした、大殺戮を開始した。後に「血の十二月」と呼ばれたその期間、非戦闘員を含めた多くの人々が殺害され、連合国は戦争の継続が不可能になった。その後、非戦闘員の殺戮に激怒したアングリア地下連邦が正式に参戦しかけるが、皇王自ら殴り込みをかけたことにより、連邦も沈黙。マーカス暦918年/ガイウス歴475年、戦争は集結した。
その後、戦後創立されたルシング条約機構に参加するなど、ルーセントは積極的に国際社会に建設に参加。マーカス暦946年/ガイウス歴503年には、流黒の民殲滅戦に、ゲリオン帝国やヘイム共和国と共に参加した。そして現在に至る。
最終更新:2009年08月06日 23:49