真北の大冒険 > 第65話 最強伝説は終わらない

真北は手っ取り早く次の快速特急で神宮前まで乗り、そこから河和まで行くことにした。
さて、乗るのは1200系パノラマスーパー、乗ること30分、知立駅を過ぎ、真っ直ぐに列車が走ると一ツ木を通過。それからカーブを曲がり、富士松を通過。そして豊明も通過、隣に検車区があり、日中は折り返し列車が設定されている。次の前後はユニークな駅名で、豊明市の中心駅、名鉄のCMにも出て来た駅だという。中京競馬場前は文字通り競馬場が近くにあり、桶狭間の戦いもこのあたりで行われたという。そして名古屋市に入り、有松、左京山を通過すると高架を上がり、鳴海を通過。地上に降りて本星崎、本笠寺、桜、呼続(よびつぎ)を通過し、また高架を上がり堀田を通過し、神宮前へ。
神宮前で降りると真北は階段を駆け上がりコンコースに出て、そこから知多方面のホームに降り、次の列車を待つ。すると河和より内海行きのほうが早く来るので、内海行きに乗ることに。
「ああ、出た出た。またあの新古車か」
出て来たのはあの新古車こと5000系、真北はそれに乗り、内海を目指す。まず最初の駅は豊田本町、そして次が道徳という小学校の教科みたいな名前の駅、この2つを通過して大江に到着、築港線と接続している。大江を出ると、大同町、柴田を通過すると東海市に入り、名和(なわ)、聚楽園、新日鉄前と通過し、太田川に到着。ここから常滑線と河和線が分岐する。太田川を出ると名鉄で最初に駅集中管理システムが導入された高横須賀を通過し、南加木屋に停車。かつて隣に加木屋駅があり、廃止されてもそのままの駅名を保っている。八幡新田を通過すると、機種依存文字の巽ヶ丘に到着。白沢、坂部を通過し、阿久比に停車。阿久比は83年にできた新しい駅で、坂部から阿久比町の中心駅の座を奪い、かなり近くににあった臨駅椋岡(むくおか)を廃止へと追いやったという。植大、半田口と通過し、住吉町に停車、そして知多半田に到着。それから成岩(ならわ)、青山と停車し、珍名駅の上ゲを通過、知多武豊に停車し、富貴へ。富貴は河和線と内海方面への知多新線との分岐駅。知多新線は74年に開通した新しい路線で、加算運賃が上乗せされているという。富貴を出るとこれまで複線だったのが単線になり、別曽池信号場を通過、知多新線の特徴は駅間が長いことであり、富貴から次の上野間までは名鉄最長の駅間だという。上野間に停車し、行き違いを行い、次の美浜緑苑へ、美浜緑苑は知多新線の中で最も新しい駅で1面1線。それから次の知多奥田は知多新線唯一の終日有人駅。野間でまた行き違いを行い、終点内海へ。
内海からまた富貴に引き返し、時刻は16時を回る。再び河和線に入り、満寺、河和口、そして河和へ。真北、ついに残す路線は常滑線と築港線のみとなった。常滑線は一度乗ったことがあったが、再び乗るつもりである。

大江まで引き返した真北。そして東名古屋港行きの電車に乗る。車両は3150系。方向幕には東名古屋港行きが実装されておらず、前面窓の内側に「大江・東名古屋港」の方向板を掲示して走っている。3分ほどで東名古屋港に到着。そしてすぐ引き返し、太田川へと戻っていった。

さて、太田川からいよいよ特急で中部国際空港へと向かう、まずは高架を走り続け、尾張横須賀に停車し、寺本を通過し、朝倉に停まり、古見、長浦、日長と通過し、新舞子に到着。名前の由来は神戸の舞子と風景が似ていることからつけられたという。大野町、西ノ口、蒲池(かばいけ)、洗面器工場が近くにある榎戸を通過。榎戸は中部国際空港の連絡高架工事に伴い一時的に常滑線の終着駅となったこともあるという。次に通過する多屋は駅近くに空港勤務者の住宅がある。そして常滑に停車。いよいよ空港線に入り、りんくう常滑を経て、中部国際空港に到着。この時点で島田真北は名古屋鉄道全線乗車達成した。
扉が開くと、真北は嬉しそうにホームに降り立ち、改札を抜けるとガッツポーズを出した。それから真北は改札口の前に立ち、あの時の解放の喜びを思い起こす。
「ああ、懐かしい」
と、真北は早速おみやげに世界の山ちゃんのあの幻の手羽先を買って帰ることにした。時刻は18時を回ろうとしていた。すると真北の携帯にメールが届く。
「誰やろ」
星川からのメールだった。

 From:星川弘
 18時37分発のミュースカイに乗って神宮前まで行ってて

真北は再び駅に戻り、ミューチケットを買う、するとちょうど1番線にミュースカイが入線してきた。
「マジで疲れたや」
と、つぶやき、指定番号の車両に並ぶと、誰かが手を振ってきた。
「誰や?・・・ってまさか」
そう、江藤小百合だった。
「まさか・・・星川が・・・」
やがて扉が開かれ、真北は車内に入り、指定された席で荷物を置いて、後方の乗務員室へと向かった。ちょうど江藤と目が合った真北。
「お疲れ様でした。」と、江藤。
「いやぁ、疲れたわい」と、真北。
「ちゃんと駅名標撮ってきた?」
「バッチリだ」
「さあ、もうすぐ発車するよ、席に戻ってて」
こうして、真北は指定席に戻っていった。最後はミュースカイ、神宮前までノンストップ。わずか30分弱の乗車をゆっくりと過ごした。

夜の神宮前、真北は列車を降り、江藤は乗務を終え、コンコースに上がる。するとそこには星川、相本、中原、ペーギー、船木平、成田、平山、竹取、高城、一関と真北の家族の姿がいた。
「何をするつもりだ一体」真北は訊く。
「はい、これ、プレゼント」と江藤はカバンから色紙を取り出す。
「なななんだ?これ?」
その色紙には真北の仲間達の寄せ書きが書かれていた。
「おお、これ、みんなが書いたのか」
「ああ、そうだ。」と、星川
「星川・・・」
「もちろんさ」と、中原
「中原・・・」
「うん、あなたが好きよ」と、相本
「相本・・・」
「島田さん、あんたはやっぱ英雄さ」と、ペーギー
「ペーギーさん、わざわざ日本まで・・・」
「真北よ、お前ってやつは」と、船木平
「船木のおっさん・・・」
「島田君・・・・」と、平山
「平山さん・・・」
「島田さん・・・」と、竹取
「瀬名・・・」
「島田さん・・・」高城、一関も
「高城、一関・・・」
「真北よ」と、母に康太郎、槙次郎
「母さん、兄さん、弟・・・」
真北の目から涙が漏れ始めた・・・・
「みんな・・・・」
ここで、詳しい事情を説明する。真北は実は、日本を離れ、ロシアのエレクトリーチカで乗務をすることになったのである。真北はすでに京阪津に辞表を提出していて、年明けにも日本を発ち、ウラジオストクへと旅立つという。
「島田さん、頑張ってください」と江藤は真北の手を握る。
「うん、頑張るよ」
最後は全員と握手し、全員で記念撮影をすることになった。


平盛26年1月上旬の朝、新潟空港、真北は出国審査を通り、ついにウラジオストクに向かう飛行機に乗り込む。
客室内で、あの時撮った写真を見つめる真北。
「(行ってくるぜ、みんな・・・・)」
10分後、飛行機は新潟を発ち、日本海の彼方へと飛び立っていった。

最強伝説は終わらない。もとは一人の自衛官が、朽木の密林でジャイアント東京を蹴散らし、アイススクウェアでブラックアイヌ団を追い払い、デイン帝国やフェニックスの魔の手から日本を救った。これからも島田真北は新天地で伝説を築くだろう。

最終更新:2009年05月25日 17:02
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