仮名さんは『神憑り』の探偵だ。猫探しや浮気調査とかではなく、怪事件が専門で、それ以外は請け負わない。迷宮事件専門の国連公認探偵集団『FDC』最後の砦だとかで、詳しいことは私にもよくわからないが、この半年で東日本に起きた怪事件はことごとく、仮名さんが解決しているという噂だ。
そんな人のところで私は助手をしているわけだが、助手の仕事は主に書類の整理。なのになぜ仮名さんがうちに来たかと言えば、暇だから遊びに来たらしい。依頼が少ないのも、黒桐探偵社の特徴だ。
「我輩猛省中ー」
自称『偉大なる鳥』はしょぼくれた様子でうなだれている。こっぴどくやられたせいで全身ぼろぼろだ。
「もうせいって何ですか、お嬢様ー?」
バケツ持ちの役目を終えたミナカが相変わらず寝ぼけたことを尋ねてきた。たぶん英国育ちだからだろう。とはいえ無視。
「えー、そろそろ我輩の言い分も聞いてほしいなぁと思っちゃったりなんかしたりしてぃ」
「私は協力しないから」
「えー、楽しそうじゃないですかぁ。世界の危機ですよぅ」
それのどこが楽しそうなのかさっぱりだが、ミナカはやる気に満ち溢れている。しかし私が見る限りではミナカのスペックは平均以下だ。空回り指数だけが尋常じゃない数値を叩き出しているだけで。
ミナカに世界を救うなんて馬鹿げた大業ができるとは思えないのだが。
「適応力高いね、二人とも。普通ペンギンが喋ったらそんなに冷静になれないと思うけど」
「まぁ、ボロアパートにお手伝いがいる時点で大抵のことには驚かなくなりますよ」
「そんなッ。私の存在がお嬢様の感受性を奪っていたなんて……ッ!」
えらくショックを受けた様子で、ミナカが仰け反りながら表情をこわばらせた。頭の中で妙な脳内会議でも始めたのか、そのままぴたりと動かなくなる。
というか、反応が遅れたけど仮名さんにもペンギンの言葉が聞こえているのだろうか。
「これを食べれば動物の言葉が旗幟鮮明に」
そう言いながら、仮名さんはポーチからラップに包んだこんにゃくを取り出した。
まさか、このこんにゃくは……。よもや実在していたというのか。
「あー、ほん○○こん○○○ですね——って伏せ字がっ、なんか芸人のピーピーピー!」
「混乱しないでみーちゃん! DVDになれば戻るから!」
「よくわかりませんけど、戻るんですね! ハ○テの○○く戻るんですね!?」
無駄に盛り上がる仮名さんとミナカを見ていると、私の周りにはなぜかこういう人達が集まってくる傾向があるらしいことがよくわかる。そして気が付けばこの部屋で私だけが盛り上がりに欠けている。もしかして、これは私にもっとハイテンションに生きろという神からの啓示的な何かなのだろうか。
いやダメだ。私まで仲間入りしたら誰が収拾をつけるんだ。
「ごほん。えー、我輩が話しちゃってもよかったりするのかぬぇい。話しちまうぞぉ」
「勝手にすれば?」
私の心からの返答に、ペンギンは鼻白んだようだった。しかしそれも一瞬。ペンギンはすぐに無意味に偉そうな態度でかぶりを振って、肩をすくめた。実際に肩があるかどうか怪しいが、私にはそう見えた。気に障った。
「ふぅ、やぁれやれ。そいじゃま、何が世界の危機かってなことから説明するかぬぇい」
「世界の歪みの大発生・急拡大に伴う現界侵食とエネルギー漏出」
やる気になったペンギンのプライド的な何かを木っ端微塵に打ち砕くようなタイミングで、仮名さんが口を挟んだ。私には仮名さんが一体何を言っているのかさっぱり理解できないが、硬直したまま動かなくなってしまっているペンギンを見るに、正解なのかもしれない。
「貴様ぁ……ぬぁぜその事をぉぅ!?」
「うちの虎の」
そこでペンギンはくわっと目を見開いて翼を羽ばたかせた。
「まさか、偉大なる猫・ディーナル=スモールシダーか!」
「名前は大吉丸っていうんだけど……あ。さっきの話と繋がりはないよ」
「ぶるぉあああッ! なんたるフェイントォゥ! 何だ貴様そんなにも我輩が嫌いか! 一体ぬぁんの恨みがあるぅ!?」
嫌われる要因なら出会い頭にできてしまったと思うのだが、さすがは鳥。三歩歩いたらきれいさっぱり忘れてしまったらしい。
「大吉丸って、縁起の良さそうな名前ですねぇ」
ただでさえ進んでいないのに、ミナカがさらに話の腰を粉砕する。たしかに縁起よさげな名前だな、と私も思ったけど。思ったけど、私はあえて口に出さなかったというのに。いいかげんにこんな馬鹿げた話はすませてしまいたいという私の思いはミナカには通じなかった。うん、やっぱりクビにしよう。私達はこれからもきっとうまくやっていけない。
そう私が決意したときだった。
「びこーんびこーん! びこーんびこーん!」
ペンギンの口から間抜けなサイレン音が飛び出した。しかも目が光っている。
「ななな、なんでしょうか!?」
「何か起きたんじゃない?」
「その通ぅりぃ! 偉大なる者にはぁ、世界の危機を察知する能力があぁるってわけよ。場所はすぐ近くぅ、アパートの外ぉぅ!」
近い。いくらなんでもそれは至近距離過ぎる。何があるのか知らないが、怪獣みたいなのが出てきたら我が家が危ない。なんという運の無さなんだろう。
ペンギンは緊張の面持ちの割に妙に生き生きと拳——羽の先端だが——を突き上げた。
「ゆくぞ無気力女子学生とそのメイドぉ! 今戦わずしていつ戦う!」
「行きましょう、お嬢様!」
ミナカはやる気に満ちた表情で私の手を握った。お手伝いが主人を危険な場所へ連れ出すというのはどうなんだろうか。そんなことが頭に浮かんだけれど、ミナカがそんな事に気が付くような人なら、そもそも彼女を追い出そうとは思わない。ミナカにそんな心得を期待するだけ無駄なのだ。
とてとたと外に出ていくペンギンの後を追うように、私の手を引くミナカも外へ。
「一体何が……え?」
ドアを開けた向こう側には、奇妙な光景が広がっていた。
木人。
カンフー映画に出てくるあの木人が、道を歩いている。しかも大きさは家並。どすん、どすん、とありがちな音を立てて歩いている。その顔はやっぱりのっぺらぼうで、全身くまなく誰かが手を抜いて作ったとしか思えない造形なのに、動きは妙に滑らか。あの関節部分がどうしてちゃんと曲がるのか理解できない。どう見ても設計ミスなのに。
あれだけ余裕をかましていたペンギンが、そんな木人を見て少したじろいた。
「出ぇてきやがったな、亜空大佐ァ……ッ!」
大佐。あの出来損ないの木製人形が、大佐。世の中間違ってる。というか世界の危機とやらには軍隊式の階級が付いてるのか。それでもいきなり大佐はないだろう。普通、話の最初では下っ端が敵として現れるのがセオリーのはず。私はやらないからいいけど。
「なぁにを言うか無気力女子学生。我ら偉大なる者と選ばれし者の前に現れるのは常に、その時点で最悪の敵のみよ。おそらく将軍クラスはまだ目覚めちゃあいねぇはずだ」
「じゃあ何、あの小学生の工作並の木人が今最強なの?」
やっぱり世の中間違ってる。
「そう言ってるだろぉがぁい。侮るなよ無気力女子学生。亜空大佐は前回の戦いで一つの国を無に帰した猛者だ。あの時は我ら偉大なる者が三柱がかりでようやく沈めた……が、その一戦でスターリングラードは壊滅した」
真剣にその脅威を語るペンギンに、私は無気力に嘆息した。つまり前回は第二次世界大戦の真っ只中だったわけだ。
「というか、世界の歪みがどうこうじゃなかったの?」
「亜空に居を構えるヤツらにとって、世界の歪みはエネルギーを亜空に流出させる絶好のチャンスなぁのよ。だぁからこうやっていつも邪魔しに来やがる」
「それって、あんたを生け贄にすれば帰ってくれるって事?」
「待てぃ無気力女子学生。貴様も抹殺対象に入っちまってることになぜ気付かねぇ」
ペンギンはいつになく真剣な面持ちで、羽で器用に額を押さえている。
「たとえ我輩が消滅してもぉ、選ばれし者は他の偉大なる者と契約を結ぶことができぃるわけよぉ。契約者のいない我らはただの喋るアニモァル。よってぇ、選ばれし者は相棒の有無に関わらずぅ、真ぁっ先に抹殺されるってぇわけよぉぅ」
ああ、なんということだろう。かれこれ二十年かそこら生きているけど、こんな不条理に命を狙われたことが未だかつてあっただろうか。特売のタマゴを買ってしまったがために最悪のヒットマンに狙われる毎日に転落。いくらなんでもそれはないだろう。
こんなことならちょっと高級なタマゴを買っておくんだった。あのタマゴの隣にあったのだ。ばら売りで、三個買えば一パック買えちゃいそうなのが。
「仕方ない……頑張って倒してきて。私はここで見守ってるから」
「うおぉぉぉおおい! さっきの話聞いてたのかよぉぃ! 我輩が力を発揮するにはぁ、契約してぃ、共闘する必要があぁるんだってばよぅ!」
そうペンギンが喚いたときだった。
ぎょろり——
そんな擬音が頭に浮かびそうな様子で木人がこっちに気付いた。
「ほら、あんたが叫ぶから」
「そんな事言ってる場合じゃねぇえ! とっとと逃げろ即刻死ぬぞぉい!」
大慌てでペンギンが走り出す。
しかしここは二階だ。
「うわっきゃおおおおお!?」
悲鳴を上げながら落ちていくペンギン。フェンスの目が大きかったからすり抜けたのだ。しかしペンギンはさすがはイワトビといったところか、しっかりと着地してみせた。そのまま少し硬直したのはきっと、衝撃がキツかったんだろう。
「うわっきゃあああああ!?」
似たような悲鳴に振り向くと、ミナカが階段から転げ落ちていた。起き上がるまで階段は使えない。あそこでウダウダやっている暇はない。
私は覚悟を決めた。
いつだって最後まで頼れるのは自分だ。私は今まで数々の困難をこうやって乗り越えてきた。天は自ら助く人を助く。結果はあとから付いてくる。目の前の現実から目を逸らさない。格言は真実で、その意志力は人生を切り開くと信じている!
始めるのは渾身の跳躍。やる気無い私が時たま見せる、やる気っぽい何か。
フェンスを掴み、昔よくやったように一息で飛び越える!
「高い! 想像以上に高い!」
ずだんっ、と痛そうな——実際ものすごく痛い——音を立てて着地する。これでも私は運動能力が高い方だ。すでに腕を振り上げている木人を確認するや否や、渾身のダッシュをかけた。とてとたと走るペンギンを塀の外へ蹴り飛ばし、門を出る。
次の瞬間、ビルの解体みたいな爆音がして、庭の地面がごっそりと抉れた。幸い建物に被害はないが、余波を喰らって塀が一部崩れた。
「ぐぅ。助けるならもっと穏便な手段にしてくれぇい」
路上にダイブした私のすぐ側でペンギンが呻く。こんなのがどうやってあの木人を倒したんだろうか。全くもって疑問だ。戦車とか火炎放射器の方が有効だと思う。
いや、それよりもミナカだ。いくらなんでも人ん家の目の前で死んでもらっちゃ困る。
「お、お、お嬢様ぁぁ!」
悲鳴に振り向けば、木人の腕の向こう側にエプロンドレスが見えた。間一髪だ。木人が地面から腕を引っこ抜くと、口をぽっかり開けて固まっているミナカが見えた。しかし、命の危機を感じてか、ミナカはすぐに立ち上がり、こちらに走ってきた。
「こ、怖かったですよぉ!」
「まずいぞ急げぇい! あれを出す気だぁ!」
あれって何よ、と聞く前に気付いてしまった。木人の顔、本来なら目があるような場所が赤く光っている。これはきっとビームか何かを撃つ前兆なのだ。なんてベタな。
しかし、ミナカがあまり速く走れないのは私が一番よく知っている。たった百メートル走るのに私の二倍も時間が掛かるのだ。これは盲導犬が吼えられないのと同じだと言っていたが、とにかくミナカは足が遅い。ペンギン並に!
木人の目はいよいよ大きく輝いている。
やばい、と思ったその時だった。
私の部屋から黒い影がとんでもない速度で飛び出してきた。フェンスを踏み台にして、軽く世界記録を取れるくらいの跳躍力を見せ付けるように木人の顔面に突撃する。ミディドレスにヒールという姿にも関わらず、黒い影、仮名さんは華麗に跳び蹴りをかました。
木人がよろめき、顔——三六〇度全部同じのっぺらぼうなので確証はないが——が上を向く。途端、赤い光が雲を切り裂いた。比喩ではない。本当に雲が消し飛んだのだ。
「あれこそがぁッ、亜空大佐を大佐たらしめるぅフェデリオラ・スマッシュ! まだ完全に力を取ぉり戻してねぇからいいもののォ、あれ一発でドイツ飛行小隊は壊滅した。我輩と相棒はかろうじて生き残り、現地ロシア軍との共闘を申し込んだわけだが……」
武者震いかそれとも恐怖からか、震えながらペンギンが語り始めた。どうでもいいけど、一般に知られている歴史を根本から否定するのはやめてもらいたい。というか、技の名前は誰が付けたんだろう。ツッコミどころばかりで困る。
一方、ヒールなのにも関わらず華麗に着地した仮名さんは、ミナカを抱えて一秒で私の隣に来ていた。さすがは探偵なんてファンタジーな職業の人。常識なんて通じない。
「お嬢様ぁッ!」
ひしと抱きついてくるミナカ。しかし仮名さんは少し困ったような表情を浮かべている。
木人はぐるりと体を回してこちらを見た。なぜか一目でわかる。ノーダメージだ。
お礼とばかりに丸太みたいな手抜きの腕がものすごい速度で落ちてくる。私はまたペンギンを蹴飛ばして走った。サッカー少女と呼ばれていたかもしれない記憶が蘇る。
ミナカを抱えた仮名さんは、併走しながら困ったように言った。
「ごめん、あーちゃん。私には何も見えないんだ。さっきは庭の穴から推理したけど」
「とぉぜんだ、ぐほッ! 亜空大佐はまだ完全ではない。我輩の威厳溢れる声と同じようにぃ、がばっ! 普通の人間にはほとんど見えぐばぁっ!」
変な声が混じるのは私がドリブルしてるからだ。
「つまり何? 私達にしか見えないってこと? 無理に決まってるでしょうが」
「ぶべらっ。どちらかがぁ、ぼふッ、我輩とぉ、すだこッ、契約するのだ!」
契約すると何かすごい力を発揮して敵を退ける、というのはよくあるパターンだけど、この人選は完全にアウトだと思う。ミナトのへっぽこぶりはもとより、私にそんな情熱はない。
「安心しろぃ、どぼばッ、契約すれば貴様らもぉ、ごッ、戦う力を得る! 我輩の場合、真の力を発揮し、ひじきッ、理想の自分になぁれるのだぁ!」
蹴飛ばされながら必死に説明するペンギンを見て、ミナカが何か決意したような顔で頷いた。
「わ、わかりました。私がやります! お嬢様を守ることが私の責務ですから!」
「いいだろぅぐぴゃッ! では、我輩の後に続いて魂でさぁけぶぇい!」
言いづらそうだったので、私は思いっきり高く蹴り上げた。大きく放物線を描くように空を飛びながら、ペンギンは叫んだ。
「羽ばたけ自由の翼!」
「は、はばたけ、じゆうのつばさ」
「束縛よりの解放は目前に!」
「そくばくよりのかいほうはもくぜんに」
「今こそ籠を破り、隠した力を示す時!」
「いまこそ、か、かごをやぶり、かくしたちからをしめすとき」
「トォランスフォォォォォォォォォォム!」
「とぉらんすふぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉむ!」
契約が完了したのか、ミナカとペンギンが白い光に包まれた。驚いたのか、仮名さんがミナカを手放して飛び退く。
一瞬後、中から出てきたのは、結局何も変わっていないイワトビペンギンと、キリッとしたミナカの姿だった。あの天然メイドとは微妙に違う、できる人、という風格がある。そして、その手には……ショットガン。しかもSPAS−12。
「こう見えて私、養成学校のクレー射撃大会の
タイトルホルダーなんですよ」
クレー射撃に使うのは、そんな何発も弾が入るタイプじゃないと思う。
ともあれ、どうもこれがミナカの思い描く理想の姿らしい。大きな弾が並んだベルトを肩からたすきみたいにかけて仁王立ちしている姿が。これじゃまるでランボーだ。
対するペンギンは愕然とした様子で平坦な羽を見つめている。
「馬鹿な……我輩、変わってねぇよ。どぉれだけ低スペックならこんな事が……」
「それがあんたの限界なんじゃないの?」
「言っておくが、我輩は契約者の能ぉぅ力に応じてぇ、姿が変わるぅ。前回はフクロウ、その前はロック鳥、てな具合にぬぇい」
「じゃあペンギンってどうなのよ?」
「知らん。というか飛べない鳥は初めてだ!」
まぁ、ミナカが低スペックなのは最初からわかっていることだ。今はちょっと見栄えも良くなって、スマートな雰囲気をかもし出しているけど。
結構走った気がするのに、木人はすぐ近くに迫ってきている。
木人が、突進しながら腕を振り上げた。
「聞けぃメイドォ! ヤツらは根本的にこの世界とは別の存在だ。空想と現実で挟み撃つ以外にヤツを仕留める方法は無い! だぁからこそぉ、我らは共闘するのだ!」
「了解しました!」
ミナカは逃げることなくショットガンを構えて、トリガーを引いた。
だん、だん、と破裂音を伴って弾丸が飛び出していく。それは木人の右腕関節に正確に命中したものの、いかんせん相対的に弾が小さ過ぎる。木人の動きは止まらない。
「ぶるぉああああああああああああ!」
そこへ、ペンギンが飛び出した。羽を大きく広げて、跳躍。ラリアットでもするように突撃する。しかし二階建ての家ほどもある木人の肩には届かず、重力に従って失速。空中に無防備な状態で停滞してしまう。それがペンギンの限界。あとは落ちるだけだ。
しかし、木人はそれすら待ってくれなかった。巨大な腕がペンギンを叩き落とす。
「ぐぼぁッ!」
ペンギンはゴムボールのようにアスファルトに叩き付けられ、路上をバウンドしながら転がった。電柱に当たって止まったはいいが、ぴくんぴくんと痙攣するだけで動かない。
「あーちゃん、危ない!」
よそ見していた私を、仮名さんが突き飛ばした。倒れ込みながら後ろを見ると、道路に木人の腕が突き刺さっている。あのタイミングで避けたのか、仮名さんも無事だ。それにしても、どうしてパンチが来るタイミングがわかったんだろうか。
ふと疑問に思ったものの、すぐに頭から消した。さっきはその隙をつかれたのだ。
木人はアスファルトから腕を引き抜き、ミナカを見下ろした。ミナカも諦めずショットガンを撃ち続けるものの、全くこたえた様子がない。
「仕方ありません」
ミナカはショットガンを投げ捨て、ポケットから丸っこい物を取り出した。パイナップル型ではないが、誰がどのように見ようとも、それは手榴弾だった。
「これでもくらってください!」
手榴弾の安全ピンをくわえて抜き取り、ミナカは木人の顔めがけて放り投げた。基本に忠実なフォームだ。
すると木人は少し慌てたように手榴弾を腕で弾き返した。完全なピッチャーライナーに反応することもできず、ミナカはもろに直撃を喰らった。それだけじゃない。それは野球のボールではなくて、爆弾なのだ。
ずごぉん、というありきたりな爆音と共に手榴弾が炸裂して、ミナカを吹き飛ばした。
「うわっきゃあああああ!?」
そのままボロ雑巾のように私の足下に転がってくる。普通なら体がバラバラになりそうなものだが、服が相当頑丈なのか五体満足だ。
「みーちゃん!」
ペンギン片手に仮名さんが慌てて駆け寄ってくる。ペンギンを投げ捨て、ミナカを抱き起こした。ミナカは虚ろな目で仮名さんを見ると、口端から血を垂らしながらにこやかに笑った。
「だ、だいじょうぶです。かすり傷ですよ、大尉…………がく」
「ミナカ軍曹? 軍曹、ぐんそーう!」
目に涙を浮かべながら仮名さんは絶叫した。思わず先日見た戦争映画を思い出してしまった。
「ちぃっ、こいつぁマジでヤバァイぜ。不完全な今のうちならと思った、が、命の危機が目前に迫ってやがる。くそ、スターリングラードでの一撃でくたばると思ったんだがな。それがどうだ、我輩はこの様よ」
口元を羽でふきながら苦々しく言うペンギン。意識が戻ったらしい。
足下にはボロボロのペンギンと、同じくボロボロのミナカ。そして彼女を抱き起こして涙を流す——芝居続行中だ——仮名さん。
はぁ、結局こういう役回りなのだ、私は。
私は本日最後にしようと決めた溜息を吐き出した。メランコリー指数を上げるためではなく、吹っ切るために。
木人はとどめを刺すつもりか、赤い光を灯らせている。
「仕方ないから、今回だけよ」
私の意図を察したのか、ペンギンの目が輝いた。
「よぉくぞ言ったぁああ! 我輩のあとに続けぇい! 世界の終わりに地獄の炎ぉ!」
「世界の終わりに地獄の炎……ってさっきと違うし」
「この世の全てを焼き尽くせぇぃッ!」
「何その呪文……この世の全てを焼き尽くせ」
「さすれば一人ぃ、自由は我が手に!」
「それじゃ魔王じゃない。さすれば一人、自由は我が手に」
「リリカルマジカール☆ジェノサイドォォ!」
「りりかるまじかるじぇのさいど」
途端、私の身体が真っ暗闇に包まれた。私のお気に入りの服が弾け飛び、妙な帯が巻き付いてくる。お決まりの変身だけど、あの服が戻ってこなかったらペンギンをしめよう。というかなんで私は光じゃないんだろうか。
何だろうか。ふつふつと、私の中から熱いものが込み上げてくる気がする。情熱なんてものじゃないことはたしかだ。そう、無性に蟻の巣に水を注ぎたくなる的なこれは、破壊衝動。
次の瞬間、真っ暗闇が弾け飛び、私の視界に光が戻る。
真っ黒の三角帽、真っ黒なタイツ、真っ黒なブレザー、真っ赤なリボンネクタイ。
帽子を取ってみると、何か顔が描かれている。それもコミックホラー系の三日月みたいな、悪趣味なヤツ。ご丁寧に口はYKKのファスナーになっている。
それ以外に変わったところはない。アイテム的なものもない。手ぶらだ。
「ぶるぉぉぉい! 我輩なーんも変わってねぇってばよお!」
ペンギンが足下で絶叫するのが聞こえる。見下ろすと、器用にも翼で頭を抱えていた。「なんか武器とか無いのっ?」
とっさに踏みつけたペンギンを問い詰める。私にはミナカみたいな武器が無いというのか。人間は武器を使う生物だ。相手に合った武器が無くては人は戦えない。破壊のために創造する。因果なものだ。
「ぐほあ。貴ぃ様が近代武器を望まなかったとした、らぁ、何か別の形をしてるはずだ。それより足をどかせぇい。我輩はそんな趣味じゃねぇんだってばよぉう」
そういえば理想の姿がどうこうって言ってた気がする。きっと深層心理だかなんだかに影響されるのだろう。だとすれば私の姿は平穏と少しの逸脱。この帽子がその証拠。
「魔法少女だから武器がないんじゃない?」
仮名さんが的確ゆえに悲しい指摘をしてくれる。なんで二十歳にもなって魔法少女などやらなきゃならないんだ。
「魔法、魔法ねぇ……」
考えていると、視界の隅に妙な文字が見えるのに気付いた。
『あと、三十秒』
なんだろう、これ。尋ねようにも、私にしか見えていないから尋ねられない。変身持続時間か、はたまた何かのチャージ時間か。ともかく、私のことは私自身でわかるらしい。契約すると取説までついてくるとは便利なことだ。
私はタイムリミットを意識しないために、目を閉じて自分の中を冷静に探った。
結果——
私が使える魔法的なものはバリアだけだった。
「バリアでどう戦えと?」
正直、絶望した。状況は切迫している。木人の赤い光はいよいよ臨界に達し、発射する寸前にまで来ている。これはもうペンギンを踏みつけている場合じゃない。
「逃げろぉぃ! フェデリオラ・スマッシュを受ければあぁっという間に蒸発するぞ!」
焦燥感も露わに叫ぶペンギン。
そんな事を言われても、あれは避けられないだろう。タイミング良く顔を上に向けさせない限りは。そう、仮名さんがやったみたいに。幸い運動能力は上がってるみたいだから、私にもきっとできる。
それは決意という名の拳。いつだって私は自分の力で困難を乗り越えてきた。でもその影に誰かの支えがあったことを私は知っている。目の前の現実から目を逸らさない。その意志力は味方を作り、窮地を切り開くと信じている!
表現するのは渾身の蹴り。やる気無い私が今日で三回も見せた、やる気っぽい何か。
「我輩なんかいやーな予感ぁん」
ペンギンを少し浮かせ、アスファルトを踏みしめる。あのグラウンドを思い出す。私の人生最高のシュートが、木人めがけて飛んだ。
「ぶるぉぁあぁぁぁぁああああ! 虐待はんたぁぁぁぁい!」
絶叫しながらペンギンが空を飛ぶ。その丸っこい体が炎に包まれる。そう、それはまさしく火の鳥だった。
炎をまとったペンギンは木人の頭部を見事に貫いた。途端、木人の体が勢いよく燃え上がり、巨体がよろめく。赤い光が上を向き、再び雲を切り裂いた。
まだだ。私の直感がそう告げる。しかしこれはチャンスでもある。
『チャージ完了』
視界の隅で、カウントダウンが終わった。何のチャージだろう。
私は何か無いかと上着のポケットを探った。無い。スカートのポケットは……あった。
取り出したそれは、拳銃のグリップっぽいものに赤いボタンが付いた、戦闘機の操縦桿みたいなものだった。赤いボタンには見た人に押せと脅迫する効果がある、というのはよく知られていることだ。だから私が衝動的に押してしまっても誰も責めることはできないはず。
私の親指が、あっけなく赤いボタンを押し込む。
瞬間——光の柱が私の視界を埋め尽くした。
とっさに私はバリアを張っていた。透明で半球状のバリアが展開し、私達を包む。自分でもどうやったかわからないが、出てしまったものは仕方がない。
『ォォォォォォォォォォォォ……!』
木人が灼ける音がする。それはもしかすると絶叫なのかもしれなかったが——
光が止んだとき、木人の姿はどこにもなく、確かめる術はなかった。ただ溶解した道路と、電柱、塀、その他諸々が残るだけ。
それを見て、空を見て、私はようやく理解した。何も、近代兵器とは限らないし、魔法とも限らない。逆転の発想で、未来兵器ということもあり得るのだと。
空から降り注いだあの光。あれはまさに、衛星兵器。
「まぁ、進みすぎた科学は魔法と同じって言うしね」
「ぶるぉああああ! 貴様ァッ! 我輩をぉぉ殺す気かぁぁ!」
私が全力で蹴飛ばしたおかげでレーザーに焼かれなかったペンギンが舞い戻ってきた。顔を憤怒に歪め、全力で突撃してくる。
それを私は、バリアで容赦なく弾き、踏みつけた。
「ぎゃほばッ!」
鈍い声を上げながら地面に沈むペンギンを見下ろしたその時だった。
ぼかんッ、というオーソドックスな煙に包まれた。しかしそれも一瞬で消える。
「あ、あーちゃんっ、服!」
「え……?」
慌てふためく仮名さんの声に自分の体を見下ろすと、風呂場で見慣れた素肌。
足下にはさっきまで着ていた私のお気に入りが落ちている。
「言い忘れてた、がぁ……変身解除後の着替えはぁ自動じゃぬぁぁいのだ」
ペンギンが足の下で呟くのが聞こえた。
私が喉まで出かかった悲鳴を全て拳に変えてペンギンに叩き込んだのは言うまでもない。