最後の出張
その通知が来たのは数日前のことだ。
『君の後任が決まった』……たったそれだけの短い文章だった。実に姐さんらしい、簡潔な通知だ。誰が後任になったか……そんなことは知りようもないが、今頃、自分と同じようにマリノで戦闘訓練を受けていることだろう。
今にして思えば、辛いばかりだった訓練も、ここでの過酷な任務も、自分が足跡を刻むことのできた素晴らしい出来事だったように思う。
コードネーム:
無名03には個人名が与えられない。それはつまり、どれだけ厳しい任務で成功を収めても、もしくは戦死しても、それが誰だったのかは当人と姐さん以外の誰にもわからないということだ。誰の記憶にもどんな記録にも残らない。それが、自分の選んだ道だ。
しかし、そんな自分でも、誰かの記憶には残ったのではないか。セントール岸本として、シュナイダー盛山として。ムメイ・ゼロとして……。どれも勝手に付けられた名前だが、それが記憶に残る引っかかりになってくれるような気がするのだ。
そして先ほど……新たな通知が来た。
『最後の出張だ、■■■。安心して休め』
涙が出そうになった。黒く塗りつぶされた箇所には、自分の本当の名前が書いてある。そう、確信できた。
いつも冷徹で酷い任務ばかり与えてくる姐さんだが、彼女だけは、無名03ではない自分のことを知っているのだ。誰がどの戦場で死んだのか、把握しているのは彼女だけ。そんな姐さんが、わざわざ通知書に名前を書いた。それはつまり……自分の死を忘れないと、そう言ってくれているのだ。姐さんは。
どこまでも不器用だ。あの人は。エージェントから名前を奪うのだってきっと……
「きっと、なんだって?」
一瞬、姐さんかと思った。背筋が凍った。
立っていたのは、大鎌を担いだ、気っ風の良さそうな赤髪の女性。銭形平次の関係者かと思ってしまうような、小銭のアクセサリーがじゃらりと音を立てる。
「ちーっとも来ないから迎えに来てやったよ。あーぁ。これでまた叱られる……」
ぼやく姿が、自分と被った。きっと彼女にも厳しい上司がいるのだろう。
「なに笑ってんのさ。ほら、早く来な。あんたのために出航遅らせてんだから」
驚いた。自分が笑っているかどうかなんて、声に出さなければわからないはずなのに。
ぽかんと間抜け面をしていると、赤髪の女性はけらけらと笑った。
「気づいてないのかい? あんた、ヘルメットなんてしてないんだよ?」
「え……?」
「ははん、なかなか見れる顔じゃないかい。てっきり人様に見せられない顔かと思ってたけどねぇ」
うつむく自分の顔を、彼女はじろじろと無遠慮にのぞき込んでくる。片手に持った書類と見比べながら。
「しっかし、不思議なもんだねぇ。閻魔帳にも名前が乗ってないなんてサ」
「ああ、それはきっと……」
……姐さんが消したんだ。
―――ここは、無名の丘。名も無き者が旅立つ、最後の港。
。
最終更新:2009年12月09日 10:16