ここは、とあるスタジオ。
「みなさん、おはこんばんちは、島田真北です。今回から始まるこの企画は、バトルロイヤルの歴史について、毎回私とゲストが語るというものであります。今回のテーマは『本家のあったころ』と題しまして、バトルロイヤルの本家があった時代のエピソードについて語ります。さて、本日のゲストは、中原脩さんです。どうぞ」
「はい、みなさん、おはこんばんちは」と、中原も颯爽とスタジオに登場。
「WBRの準備で忙しいなか、よく来てくれたね。」
「ああ、世界の強豪といっぱいエンゲージできるんだぜ」
「俺はもう何度もエンゲージしとるけどな」
「でも、魔理野と守山ネズミ王国では全然違うのは確か。」
「だな。では本題入ろか。バトルロイヤルRが誕生したのは、2004年の9月、東方だと永夜抄、仮面ライダーだとブレイドの時代だ。」
「うわぁ・・・懐かしい・・・」
「で、その記念すべき第1シーズンのランキングがたまたま残っている。見てると、当時はこのwikiの作者は誰一人いないような・・・・」
「有名なのは五色の戦士さんぐらいだよね」
「ああ、で、その時の最多勝が俺と同型。」
「うーわっ、6勝って・・・魔理野のルールに慣れた今にとっては違和感ある・・・・うん、5勝もしたらたいしたもんだったよな・・・まして二桁とか・・・」
「本家のルールを説明すると、初期LIFEは5で3連勝ごとに1回復、デ杯出場条件は2勝以上。初期LIFEが少ないため、未勝利敗退が頻発した。」
「ああ、開幕5連敗で未勝利敗退って鬼だな・・・」
「で、今の鬼神軍にあたるナショナル枦軍の参戦が翌年の2月ごろ。あのドッチャー・アルフェンスが記念すべき登録第1号だったらしい。」
「うんうん、星川か」
「俺は当時『マキタ』とかいう登録名だったな。どこぞの電動工具メーカーみたいだ。そんでお前は怪傑播磨王か」
「そうそう」
「あの時、俺たちは所詮脇役だった。そのときの枦軍のエースはドッチャー・アルフェンスかイチジョウマンだった。で、今のTK軍にあたる福原家や紅牙軍も同時期に活動開始と。」
「ああ、チュチュネズミの黄金期だ。」
「うん、チュチュネズミのステータスは神がかっていた。10:12:28:50・・・」
「そして庭園も同型のステータスを使ってて、チュチュネズミと同様に活躍なされた。」
「もう、当時は5倍数のステータスしか使われなかったよな。枦軍では」
「ああ、パターンダイヤみたいに覚えやすいようにしたんだよね。」
「そして紅牙軍では、五大剣聖・五大剣魔などのオリキャラが多数で、版権といえばファイアーエムブレムのマルスぐらいだった。で、中でも苦労屋だったのがアズマ大佐。たびたびこきつ、もとい連闘してたんだよね。」
「最大1ヶ月連闘させたと紅牙さんから聞いたが・・・・本当なのかな?」
「わからん。後々連闘上限が2週間というルールが制定されたらしいけど。」
「どっちにせよ、辛い。」
「で、他にも富士山軍や阿佐軍もいた。イチジョウマンの対抗キャラとして、カーペットマンやセンジョウマンもいた。」
「うんうん、終いにはイチマンジョウマンやイッセンマンジョウマンまで、どこのジンバブエ・ドルだ、足元には及んでないけど。」
「カーペットマンなんて、絨毯ウーマンやカーペットジュニアの登場によって核家族化したぞ」
「ああ、なんて懐かしい」
「他にも富士軍で名を馳せたのは、北田俊男。攻撃力5とかどこの軍国絡繰だ、しかもそれでデ杯6連覇。枦軍でも良くて3連覇で、4連覇以上とかほとんどできなかったぞ。」
「で、相方の南田俊子は極端な速攻重視。そのため黒星が多発したとか。でも初登録か2回目でデ杯優勝したらしいし・・・・」
「忘れちゃいけないのが、三冠達成ダイアモンド。」
「ああ、防御50ね。痛烈喰らったらフェータルじゃん。」
「一方の阿佐軍も、結構印象に残った選手が多かった。たとえば、マテマティカ」
「ああ、NHK教育のアレか。」
「次に、キタキタおやじ」
「ああ、主人公がHP10なのにHP1650というギャグキャラ補正てんこもりの変な踊りのあのおじさんか。」
「そして、トップハムハット卿」
「禿頭の重役ね」
「他にも、高田馬場産西瓜とか、ウィケッド兄弟とか、オルジュリットとか、KUSONAGIとか、いろいろおった。」
「ほほう、いろいろいたな。特に高田馬場産西瓜って・・・」
「俺的にはオルジュリットの『もう未勝利は経験しない』というセリフが印象に残っとるんだが・・・」
「でも阿佐軍の主力はKUSONAGIだった。確かステータスもチュチュネズミと同型だったような・・・」
「他にもだな、枦軍、福原軍、紅牙軍、富士軍、阿佐軍がいわゆる『常任会』のメンバーだったが、そんな常任界に属しない作者で総合力が高かったのが、ねこりんさんだった。」
「ああ、あの最強型ステータス生みの親」
「そう、最強型の元祖・緑羽のほか、カイト、猛犬、黒羽など、名選手が勢ぞろいだった。」
「で、2005年は黄金期だった。だが、そんな黄金期に、突然、水をさす出来事が・・・そう、鯖落ちしたのである。たちまち機能停止だ。」
「本家が機能停止すると、枦軍改め稗田軍は別のバトロイを臨時本家としました。」
「そう、マイホームFlash館ってところのバトルロイヤルRに。この間行ってみたら、もうガラガラで、赤字ローカル線状態だ。」
「俺もこの間行ってみたけど、なぜかデ杯の歴代ランクに椛さんがいてはるし」
「うん、歴代連勝ランクでも犬走椛が軒並み6連勝をマークしとる。」
「すごいね・・・」
「で、そこの過去ログを閲覧してみた。見てると本家が復旧した2006年1月まで、シーズンの進行ペースが全然違っていた。特に11月と12月の進度は半端じゃなかった。」
「他のシーズンは大体1ヶ月、長くて2ヶ月は超えて消化してるけど・・・」
「そしてこの当時のトップファイターは、魁皇軍のしんたろう」
「す・ぱ・げ・っ・て・ぃ!」
「あかん、全てが懐かしいwww」
「あれ?テツアンドハルって何だ?」
「ああ、稗田軍の別のHNさ。」
「そんなのあったなぁ。で、このころから稲葉さんが参戦と。」
「テコンVもその頃だ。で、2006年に入って、ようやく本家が復旧したわけだが、確か出木杉の台頭はこのころだったような・・・」
「出たよミスター部分積分」
「そして最強型だったためか一部では緑羽2世とまで言われたとか言われてないとか」
「でも緑羽よりは記録上見劣りしたけどね・・・」
「このころだっけ、相本がデビューしたのは」
「そうそうそうそう、デビュー当時は毎回のようにデ杯の栄冠行きだったそうだね。」
「この年にバトロイニュースが放映開始だ。」
「な、懐かしい!」
「でもこのころ俺は活動休止中だったんだな。」
「んで、俺は沖縄保護軍団にいたっけな・・・」
「この当時の稗田軍の登録選手選定法は、サイコロ。」
「どこのSinそうめん板の開催地抽選だwwww」
「そして、やがて作者が戦時体制でしばらく空白の時代を迎え、2007年に復活するも、なんと稗田軍は本家のRでブラックリスト入りしてしまったのである。」
「嫌だなオイ・・・」
「で、いつの間にか稗田軍はジャイアンタイガー軍、以下GT軍に名を変えた。」
「TK軍みたいな名前だなこれwww」
「当然、TK軍よりもずっと前だ。で、2008年、GT軍は本格的に本家での活動を再開できた。そして俺もバトロイ界に帰ってきた。」
「おお、でもお前と対戦した記録も記憶もないんだが・・・」
「うん、このころから俺は土曜日に起用されるようになったのかな。」
「確かそうだった。お前が土曜の男と呼ばれるようになったのは、あのころは『8時半の男』みたいなパターン登板でファンをわかせてくれたではないか」
「でも凡退が多かったような・・・・」
「そうだったね。wiki開設当初と比べて凡退が多かったもんね。」
「で、あれはゴールデンウィークの終わったころだった。そう、ステイシスだった本家が突然、閉鎖されてしまったのである。」
「うん、ステイシスだったね。確かGT軍3タテで登録禁止になってたんだろ?」
「ああ、そうだよ。もし3タテがなかったら・・・・、やっべ、もう時間じゃん。」
「あれ?もう終わりかな?」
「というわけで、本家のあった時代を振り返ったところで、本日はお別れとさせていただきます。みなさまどうもありがとうございました。」
「ありがとうございました」
「それでは次回をお楽しみに~!」
「ファ・ミ・レ・ド・どーなっつ♪」
2人は手をふると、カメラはフェードアウトし、そのまま放送終了となった。
最終更新:2010年05月02日 20:43