おいらの対戦相手は、不運だった。ブラジルではそこそこ名のある柔術使いである。アブダビコンバットと呼ばれる寝技の大会では後一歩で優勝といった実力者であるが、寝技などおいらには通用しなかった。
「何してるんだ?」
男はおいらの腕に組み付き、その腕は完全に伸びている。所謂、腕十字だ。
「なんでだ、なんできかない!?」
伸びているのではない。おいらが腕を伸ばしているだけだ。おいらが、グっと力を入れると男はすぐに腕から落ちてしまった。
「怪物か……だが」
男はパンチのフェイント入れ、おいらの背後に回り、その太い首に腕を回した。
「チョークスリーパー。さすがに、首を絞められてはどうにもなるまい」
「んあ?」
「何!?」
おいらの表情は平然そのもの。この男が何をして、自分が何をされているのかも分かっていなそうだ。
「なあ、俺もそろそろ攻撃するぜ。お前が何か企んでるのか知らないけど、負けるわけにはいかないかな」
太い腕が男の腕をがっしりと掴むと、おいらはそのまま男をリングにたたきつけた。ドカンやバタンといった生易しい音ではない。それは、空気が割れる音に似ていた。タオルやムチで思い切り空を切るとなるパンといった音。誰が見ようもなく、男は病院行きだった。
「ふん、体もあったまらねえ」
観客の大歓声を背に、おいらはリングを後にした。
控え室に戻ると、そこに次に当たる殺丸がいた。
「強いね、おたく」
「まあな」
調子のよさそうな笑みを浮かべている。
だけど、おいらは分かっていた。この男の本来の姿は格闘なんかじゃない。
「でも、反則だぜ。あんたの肉体。魔人っていうんだろうな、こういうのを」
「そういうお前からも、ぷんぷんとやばい臭いがするんだけどよ」
「へっ」と殺丸は笑う。どうやら、相手も隠しているわけではなさそうだ。この殺丸という男、格闘家なんかにはよくありげな凄みのある名前ではある。だが、この男が只者でないと分かるにはこの男に染み付いた血のにおいがあった。何人、何十人、いやもしかすれば何百人といった人間の血の臭いが混じり、殺丸の肌にしみこんでいる。
「俺は日本人でも、和の精神はないんでね。戦争ばっかやってやんしたよ。ひひ」
「そんなやばい奴がなんでまた、この異国で」
「悔い改めるって奴かね。はじめて会って、しかもこれから戦う奴に話すようなことじゃないがね」
「確かにな。だけど、俺はお前みたいな奴は嫌いじゃないぜ」
「ひひ、俺もだ。次の試合、よろしくでやんすよ」
おいらと殺丸はがっしりとお互いの手を握りしめ、お互いの目の奥を見合った。
強い相手だ。今まで会った中でトップクラスかもしれない。この男は命をかけている。そんな奴は強いのだ。
ぴりり、おいらのこめかみ当たりがしびれる。久しぶりに感じたやばい空気だった。
最終更新:2008年12月19日 23:13