1.1 確率論についての二つの見方

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1.1 確率論についての二つの見方」を以下のとおり復元します。
-いろんな分野・領域でいえることだが、ある実験で特定の結果を観察する確率は、そこでなされた全ての実験でその特定の結果を観察する「相対頻度」と解釈できる。

-たとえば、6面サイコロをふって3の目がでる確率は1/6といえる。なぜなら、このサイコロを多数回ふったら、ふった回数の凡そ1/6回だけ3の目がでると期待できるからである。同じ理屈で、52枚のトランプをランダムにひけば、スペードがでる確率は13/52といえるだろう。

-さて、確率に関するこの解釈は、ある仮定、すなわち、ある統計的プロセスが何回か繰り返され、そのプロセスから相対頻度をカウントすることが可能であるという仮定によったものである。&bold(){他方で、我々はよく、ある事象の頻度を特定できないにもかかわらず、その事象を観測する確率について話すことがある。}

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頻度主義では、次に起こるであろう一回限りの事象の頻度を予測することはできないということ。でもそれについて話すことができるのは心理的な主観確率によっているということ。以下、わかりやすいように勝つか負けるかの二択の事象で例示。
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-例えば、オランダチームが次のワールドカップで勝つ確率は何%とかいう場合である。この確率は、オランダチームが実際にどのくらい勝ちやすいかという個人的な判断であり、それは自分の信念、経験、現在得られている情報に基づいている。他方で、他の人はまた別の確率を想定するだろう。そして、我々のいずれが正しいかを決定する方法を探す意味はそこには何もないといっていい。

-このような確率のことを、主観確率(subjective probabilities)と呼ぶ。オランダが勝つという私の主観確率を解釈するための方法の一つは、次の二つの賭けを想像することである。

+オランダチームが次のワールドカップで勝ったら、私は100ドル受け取るだろう。
+n個が白で(100-n)個が黒の100個のボールが入った壷から一つボールを取り出すとする。ボールが白なら、私は次のワールドカップのときに100ドルを受け取るだろう。

-もし、壷の中のボールが全て白なら私は2番目の賭けを選ぶだろうし、全て黒なら1番目の賭けを選ぶだろう。そして、nが0から100のいずれかであるなら、二つの賭けのいずれを選ぶかはもうどうでもよくなり、オランダチームが勝つ主観確率はn/100となるだろう。

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先ほどいったように、次のチームの一回限りの試合の勝率を決めることはこれまでの情報からはできないはずである。にもかかわらず、主観確率は結局、頻度主義による確率、つまりある統計的プロセスが何回か繰り返され、そのプロセスから相対頻度をカウントすることが可能であるという仮定から(頭の中でとっさに計算した)答えと同じであるということ。
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