Thank your Lucky stars!
1969年1月29日。この日が来たことを、ニールアスピノールは忘れない。忘れたくても忘れられない。さて何回「忘」という字が出てきたでしょう?
同じ字が何度も出てくると、見ていて変になりませんか? 「忘」。
――――― うえっ。
今年に入って撮影開始されたビートルズのドキュメンタリーは、はっきり言って泥沼化していた。
カメラには「世界の4人」が、笑い、泣き、言い争い、喧嘩し、愁嘆場を演じつつ進む最悪のレコーディング風景が記録されていることに、ニールの頭はここんところ
休まる暇がなかった。こんな赤裸々すぎるもんをTVで放映するだって? やめてくれ! それでなくても今のアップルは、ビートルズの稼ぎだけが頼りなんだ。それなのに、
こんなものを世間に晒したらイメージダウンにつながりかねない。そしたら会社の赤字はより悪化して、最後には…俺は自分に多額の生命保険をかけなきゃならないぞ。
そして今日、以前から、ポールやジョン、ジョージから言い渡されていた悪夢がとうとう訪れた。
『ビルの屋上でミニライブやるから、よろしくっ(はぁと)』と。
『よろしくっ(はぁと)だと!?』
乱暴にビルの中を往復しながら、ニールは心の中で怒鳴り散らした。
『お前らよくもまあ、簡単に言ってくれるもんだ!! ああいいさ、勝手になんでもやってくれ。だがな、お前らがゴタゴタしてくれてたお陰でこちとら必要な用意すら
ままならなかったんだ。大体本当にライブやるのかすら分かりゃしねぇし! 仕方がないから機材は地下のガラクタから使えそうなモンを積み出してるだけの状態だし、
警察には声をかけてるけど、日にちがはっきりしてないからってヤツラ鼻にもかけやしない。もう知るか。なにがあっても俺は知らんぞ! これから起こる全ては、あの
「天下ゴメンのドアホウ4人組」の責任だっ』
この間、わずか一秒。
そんな愚痴をわめく間にも彼は動きを止めない。なんたってあと一時間でヤツラはやってくるのだ(遅刻はするだろうけど)。彼は、それでなくとも人員削減されて
毎日の業務にてんてこまいの事務員達にライブステージの準備を指示し、警察に連絡を取らせ、周辺に「あいまいな」ことわりを入れるよう言いつける。
曰く「昼過ぎに、ちょっとにぎやかになりますが気にしませんように――」
くそったれ。もう切れそうだった。屋上で、慣れないスタッフにステージ設営を一から教えている時、誰かが告げる。
「警察に連絡しても、本気にしてくれません(半泣)」
彼は答えた。
「OK、分かった」
俺も本気にしたくないよ。
もうこれ以上、なにも起きてくれるな。俺が頭痛薬を飲む間だけでも。いいや、今日はもう誰もこないでくれ。ポールがスクーターで転んだとか、ジョンが裸でデモに加わったとか、ジョージが食い過ぎで腹壊したとかリンゴがモーの代わりに出産したとか、理由なんざなんでもいい。せめて5分、いや1分でも穏やかな時間を。神様。
なんとか屋上が整って、階段を這い登る無数のコードに足を取られそうになりながら、ニールは事務室に戻り薬を飲もうとした矢先
「ニールさん、皆さん来ました」
女性事務員が彼に告げた。やれやれ神様のイケズ、と薬をつまんだまま彼は頷く。
しかし、事務員の様子がおかしいので、彼は「どうした?」と尋ねようとしたその時
「よ、ネルお疲れさん!!」
ジョンの元気な声がニールの頭を殴りつけてきた。なにが「よう」だ! 彼は声の主に文句をつけてやろうと睨みつけた。大体ジョン、お前は
しかし、ニールは先を続けられなかった。
つまんだ薬は音もなく彼の指からこぼれ落ち、彼もまた、先の女性事務員と同じ顔付きになった。
彼の目の前に、ジョンレノンは確かにいた。
ぼさぼさの髪に丸眼鏡、おっさん顔の下は― 。
グレイの襟なしスーツだった。
しかもご丁寧に、上下。
そしてその後ろには。
ビートルズ、だ(←一本調子でどうぞ)。だらしない長髪に口髭(ポールにいたっては顔髭と言っていい)を蓄えた、疲れた顔したおっさん共が、揃いも揃って、襟なし
スーツ。
ニールの膝から力が抜けた。その時の気持ちを、どう説明すればいいのか。
『謝れ! 襟なしスーツに謝れ!』と言うか、『今のお前達がそれを着ていいのかと小一時間問いつめたい』というか、『なにそれ、なんのコスプレw?』というか…。
まあとにかく、そんな気分だった。
しかし、呑気に呆ける時間は彼にはない。
「ジョン、それは一体なんだ?」
「いやあ、今朝起きたら急に着てみたくなってさ」
「またてめぇの気まぐれか!?」
「インスピレーションと言えや」
「やかましいわ! てかソレ、絶対おかしい! お前自分のファッションセンスをどう思ってんだ!?」
「え、そんなに? ヨーコ、オレ変かな?」
「とっても素敵よ、ジョン」
「聞く相手間違えてるから! 奥さんも、興味ないからって適当なこと言わないで! 頼むよ、ジョン!」
お前のソレで、アップルの株がどれだけ下がると思ってんだ!?
「もうこれ以上、俺を苦しめるなっ!!」
「なに、オレがお前を苦しめてるだと!?」
吟うように、ジョンが言い返す。
「そいつはいい。苦しみとは命が輝いている証だ。もっと苦しめ、ネル!! お前の輝きをオレに見せろ!」
「だったらお前も苦しめ、レノン!」
「やなこった」
「このクソ野郎!!!!」
ジョンはゲラゲラ笑った。そしてニールの気持ちを逆撫でするように、隣に立っている男に尋ねた
「オレ、変か?ポール」
「とっても似合うよ、ジョン」
「だから聞く相手間違ってるっつーの!! ポール、お前もなんか言うことないのか!?」
しかし、髭の下でポールがやにさがっているのは目に見えて分かった。ああ、そして彼が着ているのも、襟なしスーツ。襟なしスーツ!!
「どうかな、ネル?今朝ジョンから電話がきて、ちょっと着てみたんだけど」
「ポール…お前が人の話を聞かないことにはもう諦めはついてるが、ここはお前が止めずに誰が止めるんだ」
「いやあ、僕はジョンがやる気になってくれたらそれでいいから」
だめだこりゃ。
「ジョージ!?」
「皆が着ろ、て言うなら着るさ」
ここはスネるな、根性見せろ!!
「リンゴ!! …は、いいか」
「なにげに失礼だな、ニール」
仏頂面でリンゴがぼやく。
それぞれの足取りで階段を登っていく4人を、通りすがりの社員が呆気に取られて見送っていく。マルはどこだ!? ニールは辺りを見回した。今、このバカ共を止められるのは、付き合いの長い俺と奴だけだ。
しかし、あれだけデカくて存在感のある奴が、この時に限って見当たらない。なぜだ!!
「ニール、すまん」
窓から顔を出した彼に、階下から声がかかる。
「車の整理で時間食っちゃって」
見ると、ミニクーパーから溢れそうなマルが、必死になって駐車スペースを作っていた。その数、あと3台。
「マルカム――ぅ!?」
哀しく彼は、その名を呼んだ。
代わってくれー! とニールは続けて、叫びたかった。
危機は回避できなかった。彼等はさっそうと、屋上に現れた。少し前に連絡を受けたビリープレストンも現れたが、彼は4人の姿を見て一瞬腰を抜かしかけた。
「えっと、ジョン…それは、その」
『何の冗談だ?』 マイクの最終セッティングをしながら、ニールはビリーの台詞を心の中で続けた。
「よ、ビリー! 今日はよろしくなっ!!」
『クスリでハイになってる訳じゃないみたいだよ』とニールがアンプの動作確認をしながら、ビリーの声無き疑問に無言で答える。まったくそんなことを疑うほどの、弾けんばかりの笑顔のレノン様である。そうかい、そんなに楽しいかい。ニールはげっそりした。俺を困らせるのが、どんなクスリや、どんなおべっかやお追従よりもハイになれるってか? どんな神経構造してやがる、この四つ目。どんな不機嫌も、襟なしスーツ一着で忘れることができるなんて、ずいぶんお安くてらっしゃいますこと。周りがアホに見えますな。ホント。―――― そんなことを思いながら、ニールは彼らを眺めていた。
演奏がはじまった。
ジョンが久しぶりにギターを掻き鳴らし、気持良さげにマイクに向かう。ポールも、にっこにこでジョンに応える。ジョージは、ポールがうるさくなければそれでいーやと
云わんばかりに伸び伸びとギターを奏で、リンゴはそんな3人を嬉しそうに眺めながらドラムを叩く。ビリーの演奏も華を添え、それはまったく素晴らしい光景だった。
ニールの胸が切なく締め付けられ、目頭に熱いものを感じた。
そういえば、こうやって間近で彼らの演奏を聴くのも久しぶりだった。会社のオフィスに席を置かれるまでは、彼はロードマネージャーとして、ずっと彼らの側にいて、
いつも彼らのステージを聞いていた。久々に聴く彼らの音は、昔とちっとも変わっていない。いや、むしろ年を経て一層の深みとまろみ、そして迫力を感じる。ニールの背筋に
ぞくぞくと感激が昇る。ああ、これだ。これなんだと彼は思った。今、俺は一番見たいものを見て、聴きたいものを聴いているのだと。
たった一つのコトを除いて。
その時、彼は背後に怪しい気配を感じて、後ろを振り返った。
そこにはいつの間にか撮影スタッフが、今のこの様子を撮っていたのだ。ぎゃあ! 感激から一気に覚めた彼は思わず叫びそうになった。タイミングの悪いことに、
階下からのスタッフもニールに耳打ちする。
「見物人が集まってきました」
人が集まってきた? ニールの顔から血の気が引いた。人くらいいつも集まってるさ。ここはアップルビルだもの。雨の日も雪の日もくじけずに集う愛しのアップル
スクラッフス。ああ、そんな彼等にだって見せたくないこの4人の仇な姿を、通りすがりの人間にまで見られてしまうとは。
ニールは沸騰しそうになった。彼は自分がそんな格好をしているようにこっぱずかしかった。凛々しい演奏、堂々とした歌声、ソレに見合う貫禄のついたおっさん4人が
着るには、フレッシュすぎる襟なしスーツ。このとんでも間抜けな姿をやめさせたくて、ニールはポールに、演奏をやめて着替えるよう身振りで訴えた。
ポールは笑って頷くと、ベースを高く掲げて見せた。ちがう、そうじゃない!! と今度は首を横に振ると、ジョンも加わってポールと仲良く首を振る。
違う、俺はノッてるワケじゃないんだ!!!! 彼は振り返って、撮影スタッフに撮影を中止するよう手振りで支持すると、彼らは笑顔でカメラを指差し、次いで取替え用の
フィルムを指して「OK」と頷く。違う!撮影の確認をしたわけじゃないんだよう!!!!! と泣きたくなったところに、スタッフが駄目押しした。
「下に警察が来ました。演奏をとめないと踏み込むと言ってます」
踏み込む? そいつはいいや、是非やってくれよとニールは思った。そんで、このバカ共を止めてくれ。この演奏を。このバカ囃しを。この夢を。
ああ…………、だけど。
止めて欲しい。この、どうしようもない状況を。
終わりは近づいている。誰にも止められない。
ならばいっそ…、外からの力で
誰も及ばないモノで、
壊してしまおうか、壊してしまおうか。
どうせ、終わってしまうなら。彼らが互いに、本当に、憎み合わないうちに
終わらせてしまおうか………!
ニールの手は、いつの間にか強く握りこまれていた。その中は汗で濡れている。
今の自分には、それが出来る。このまま見ないふりをして、警察を踏み込ませ、この度し難い奴らを壊してしまえる。
この、人の話を聞きもしない、陰険で嘘吐きで浪費家で、
そんなものを乗り越えてしまうほど、どうしようもなく「愛おしい」この「グループ」を。
懐かしい曲が聞こえる。ニールは思い出した。
1963年だったっけ? 一度レコーディングしたよな? あの時は、なんだかもったりした感じでイカさなかったけど、今では
ヘビーなロックナンバーに変身しちまった。
まったく、なんて奴らだよ。
あの時から、一体どれだけ時間が経ったというんだよ。
たった6年だ。たったの。
それなのに、どうしてお前らはそんなに高く昇っちまったんだ?
中身は、相変わらずいい加減で調子が良くて、周りなんか見もしないのに。
どうしようもない。ニールの口からため息が漏れた。まったく、どうしようもなく……
いとおしい。誰よりも、何よりも。
全てを突き通す、あの存在。
彼らは「Fab4」。伝説の4人。
だから、だから
どうしようもないんだよ………。
「警察は?」
ニールの手が、ふっと緩んだ。
「入り口に。今はマルカムさんが止めてます」
そうか、とニールは小さく息を吐きながら頷いた。
壊せる。彼らを。今ここで。
しかし……
『そんな訳にもいかないだろうな』
ニールはそう思うと肩を落とした。結局は、そういうことだ。イモを引くのはいつも俺。進んで引いちまうのが俺。あいつら相手じゃ、仕方が無い。
だって俺はあいつらと長い付き合いで、ずっとあいつらを守ってきて、それで ――
あいつらのことが、好きなんだもの。
ニールは小さな溜め息をつくと、久々に楽し気にバカをやっている4人の古馴染みに背を向けて、階下に降りていった。演奏をやめさせる? ここに踏み込む?ニールが
口の端で笑った。出来るもんならやってみな。そんなことにはさせないよ。
俺がいる限り、誰が邪魔などさせるものかよ。
階段を通って、彼等の演奏が聞こえる。もっとやれ、とニールは思った。歌え、笑え、楽しめこのくそったれども。
俺は、彼らの、この時を守るためにここにいる。
もうすぐで入り口が見えてくる。ニールは笑った。何だか馬鹿馬鹿しくて笑った。
この中で、誰が一番のバカなのか分かって、彼は思わず声を上げて笑った。
彼らは「Fab4」。伝説の4人。
世界で一番、どうしようもないバカ野郎共。
ならば、歌え、バカ共。声を限りに。
俺の耳に、いつまでもお前らの音が届くように、
俺は俺のバカを見せよう。
ビルの小さな入り口を、マルが必死に塞いでいる。よ、ご同輩、と声をかけたいのを堪えてニールが作り笑顔を見せる。その前には警官2人。『ちょろいぜ』
背後からの音を背に、ニールが不敵に笑いかけ、おもむろに口を開く。
「私が、このビルの責任者ですが」
その時、外から若い女の子の声が聞こえた。
「やだ4人とも、何あのカッコ!?」
不敵な笑みを張り付かせたまま、ニールの顔が、真っ赤になった。
861Hedge-hog presents,
「Thank your Lucky stars!」
* the end*
最終更新:2009年08月23日 04:27