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Blackbird


 朝、目が覚める。
 身体をつめたい汗がびっしょりと濡らしている。
 それなのに寒さは感じず、逆に嫌なほてりが頭の奥に残ってる。
 目を開けて、周りを見渡す。家の天井じゃない。ベッドも硬い。
 思わず飛び起きようとするが、いきなり何かが腕を引っ張って、ベッドに逆戻りする。
 なんだと思って見てみると、引っ張られたのではなかった。
 腕は、ベッドに固定されていた。その腕からは点滴の管が上に向かってのびている。
 何本か下がっている薬液の入ったボトルには、番号と「L.J」のイニシャルが、乱暴に手書きされていた。
 そこで、やっと思い出す。そうだ、ここは病院だ。
 アメリカにある、総合病院。ロスの奥まった場所にあるここは、有名人がお忍びでよく治療に使うところで、業界では有名だ。
 そう、薬物中毒治療では。
 オレがアメリカに渡ってきてから、使う薬の量が膨大になった。そのためにヨーコから別居を言い渡されてメイと同棲を始めたが、薬の量は減るどころかますます
増えていった。毎日酔っ払った状態だったオレに、とうとうメイも愛想が尽きたのか、ある日迎えが来て、オレをここの病院に連れて行った。メイとヨーコが入院の
用意をしていたらしい。そして彼女とヨーコ、故郷のミミからの根気強い説得に応じてオレは渋々ここに入ったのだった。

 ドアが開く音がした。
 小さな足音が近づいてくる。ヨーコかと思って顔を向けると、そこにはかわいいが人形のように個性のない看護婦が、笑顔でこちらを見ていた。
「おはようございます、レノンさん。今日はいい天気ですよ」
 オレは一瞬、返す言葉を失った。こんなとき、どう答えればよかったっけ?
 それすら、オレは思い出せなかった。

 部屋には見事になにもなく、硬いクッションに取り巻かれた小さな空間が、今のオレの全てだった。
 昨夜、ちょっと混乱したみたいですね。―――やはり、人形のような医者が、笑顔を張り付かせて話してる。腕にされていた拘束についての説明のようだった。まったく
覚えがない。昨日は、まずい晩飯を食べた後TVを見ていたのだが、「バットマン」の漫画を見ていたこと以降のことは思い出せない。番組から見て、あれは確か…夜の
7時だったろうか。
「落ち着いたようですから、拘束は外しますね。嫌な思いをされましたでしょう」
 いいえ、とオレは首を振る。不快もなにも、まるっきり覚えていないのだ。オレはそんなに暴れたのですか? こぎれい過ぎる空間で笑顔を貼り付けている医者と看護婦に、
オレは恐々と尋ねてみた。
 彼らは、ただ「よくあるケースです。慣れてますから」とだけ答えた。
 オレは逆に、恐ろしくなった。
 思い出そうとして心を探ってみるが、出てくるものは、ここの空間のような虚無と、なんだか訳の分からない、うっすらとした不安だけ。なんだろう、なにかが欠けて
いると記憶を辿ろうとしたら、絶妙なタイミングで医者が話しかけてきた。

「いいですよ、レノンさん。あせらないで、ゆっくり直していきましょう」と。

 何かが見えそうだったオレの心が、また散り散りに分かれていった。



 暖かな日だった。不安なんかなにもない、安全で安心な場所のはずだった。

 この時がくるまでは。

 ベッドの上で絵を描いていた。ヨーコが花に囲まれている。きれいな笑顔。色とりどりの花々で飾る。白、青、黄色、ピンク。
 そして、最後に赤い花で周りを囲もうとした時

 それはやってきた。
 いつも突然に、やってくる。
 安らいでいようが、泣いていようが
 メシを食ってようがクソをしていようが

 それは、やってくる。
 最初はひっそりと。
 そして道を作っていく。
 細い窓口を。

 そして、次には、一気にやってくるのだ。
 大挙して、土煙をあげて
 土足で心の底まで踏み荒らし
 無神経に、人の胃を締め上げて
 業火に叩き落しながら、どこまでも人を凍らせる。

 中から、蝕んでいく。
 脳みそを食い荒らしていく。

 絵の中のヨーコが、血の海に溺れていく。助けたくてもオレには無理だった。
 今のオレの身体は蟻よりも小さくて、その身体だって、激痛の中にある。
 胃腸を踏みにじられて、心臓を押しつぶされて、穴という穴から身体の全てが流れ出てしまうような感覚。
 だめだ、やめろ、でるな、でるなでるなでるな!!!!!!
 痛いよ、誰だ殴りつけてくるのは!?
 やめろ、どうしてそんなことを言うんだ!!
 昔々、まだオレが故郷に居た頃、オレに絡んできた奴や教師がオレを取り囲んで笑っている。
 なんだか分からない言葉で、楽しそうにしゃべりながらオレを笑っている。ヨーコの絵を指差して笑う。オレのザマを指差して笑う。オレの過去を、オレの未来を、
オレの全てを指差して嘲笑う。
 なのに、オレはそいつらになにも言い返せない。身体を強張らせ、息も絶え絶えになって、ベッドに転がっていることしか出来ない。

 ちくしょうちくしょうちくしょう!!!!!!

 おれはおまえたちにかったんだおれはゆうめいになったおれはかねもちになったおれはすべてのうえにたったおれはじょんれのんさまだわかってるのかじょんれのん
なんだじょんれのんなんだぞ!!!!!!!!!!!!!!!

 痛いよ、いたいよいたいよたすけてたすけてたすけてたすけて!!!!!!!!!

 なんでもするよ、いうこときくよ、だからお願い、たすけて! ここから救い上げて!!!
 あついイタイさむいコワイ、あついいたいサムイこワイ、アついいたイサムい、こわい……………………………………………………………。


『さびしい。』


 はっと気が付くと、オレはまたベッドに縛り付けられていた。
 監視カメラがついているのだろう。いいタイミングで看護婦が入ってきた。今朝、医者と来た奴と違う、もっとがっしりとした男だった。目の下に小さなクマがある。
 もしか、オレがやったのだろうか。なにも覚えていない。
「まだお昼まで時間があるから、休んでいてください」
 マッチョな人形が笑って答える。
 時計は、まだ10時にもなっていなかった。

 それからは、悪夢と恐怖の連続。
 時計の針が一時間進んでいく中で、オレは何百回となく、焼かれ、凍えさせられ、かみ殺され、ひきちぎられた。
 うららかな日差しの中、平穏な空気の中で、紙くずのように踏みにじられ、罵倒され、批判され、嘲笑われ、そして、拒否された。
 そして、目の前に現れる白い服を着た人間の全てが、笑って頷いて、オレを蚊帳の外におっぽり出した。
 牙を持つ蟻に、無数にたかられ毛穴から入り込まれて、中を食い荒らしていると訴えても
 部屋の隅に、ブライアンエプスタインやピートベストが、蒼白な顔でオレを睨んでいるから追い出してくれ、と訴えても
 スチュワートサトクリフが血まみれの姿でこっちにこいと言ってくると、必死で訴えかけても
 彼らは、優しい笑顔を張り付かせて、「分かりましたよレノンさん」としか言わない。
 そのくせ、何もしてくれない。
 またブライアンがこっちを見てる。恨めしそうな顔で。
 その隣で、スチュが呼ぶ。ジョン、まだこっちにこないのか? 相変わらず鈍いなあ。
 やめてくれよ、スチュ。そういわれるのが恐いんだ。お前に「鈍い」と言われたら、本当に自分は何も分からないウスノロのように思えてしまう。
 やめろスチュ笑わないでくれ。お願いだから。お願いだから。
 かあさん、どうしてなにもしてくれないの? ぼくいたいんだ。ぼくつらいんだ。
 ここにいたら、ぼくはこのせかいからきえてしまいそうで、こわいんだ。
 おかあさん、どうしてあんなやつらといっしょになって、わらってぼくをゆびさしてみてるの?
 どうして、からだがくさって、ぼろぼろになってて、ひどいにおいがするの?
 母さんが笑う。あら、ジョン。腐ってるのはお前よ? お前の内臓が、腐って流れ出ているのよ?

 目が覚めた。尻の下が濡れている。夢の言葉が耳に聞こえて、悲鳴を上げて飛び上がった。
 オレは、失禁していた。

「様子はどうなんですか?」
「落ち着いてきていますよ。以前と比べたら、錯乱して暴れることも減りました」
「錯乱…してたんですか? そんなにわるく」
「いいえ、典型的な薬物中毒の症例です。あまりショックを受けないでください。様子を見ていかれますか?」
「…。また来ても?」
「もちろん。ここのドアはいつでも開かれてますよ」
「ありがとう。何かあったら必ず連絡を」
「はい、承りました」



 激痛のあと火照りで、ぼーとしてると、とうとうあいつらが出てきた。

 なつかしい友達。辛いときも嬉しいときも、分かち合った大事な友達。

 ごめんよ。ごめんな。結局オレが悪かったんだよな。



 リンゴがいう。「そうだよ、ジョン。お前のせいで全てが台無しだよ」
 ジョージは、冷たい一瞥でオレを見下している。餓鬼の頃のヒーローがこんなザマじゃ、そうもなるよな。
 どちらも、オレに手を差し伸べてくれない。ただ、怒りと憎しみの篭った目で、オレを見下ろしている。
 もう、オレには誰もいない。
 ヨーコも顔を見せてくれない。医者の言いつけで、身内は来ないようにさせているのだそうだ。曰く、身内がくると里心がついて、治療に専念できなくなる。曰く、他の患
者さんによくない刺激になる。曰く、曰く、曰く。
 もう、どうだっていいや。オレはもう疲れた。ただ眠りたいだけなんだ。
 点滴が腕から伸びている。腕は拘束されている。尻にはおむつが当てられている。
 もうどうだっていいや。
 痛みがこないのは、点滴のおかげだ。ただ、頭がぼーっとするのがいただけない。痛みの変わりに身体が火照る。嫌な汗が身体を濡らす。
 もうどうだっていいや。
 なんだか、可笑しくてオレは吹き出した。そうだよな、ブライアンもスチュもかあさんも死んでるんだ。なのに、どうしてオレは彼らが見えたんだろう。
 どうして、声がきこえたんだろう。

 ああ、そっか。オレ、もうきっとダメなんだ。

 気が狂ったんだ。

 いねえ奴を見たり、声を聞いたり、それに怒ったりおびえたり?
 ははは、そいつはいいね。ヘタなボードヴィルなんかよりよっぽど笑えるよ。

 はは、ははははは、はははははははは。

 ジョンレノンが、このオレが、クソを漏らして壁を怒鳴りつけて、泣いて喚いて懇願してるよ。はは、ははははは。ブライがいるんだって。スチュがいるんだって! 
 はははははははははははは!
 笑いがヒステリックになっていく。心はちっとも楽しくない。恐いくらいに醒めている。なのに、口からは笑い声がでて顔は大きく笑み崩れていく。
 看護師達が飛び込んでくる。どうやらオレは暴れてるみたいだ。はははは、なんでだろ? わかんねえや。もうおれ、ホントだめかもね。ははははは、ははははは。

 あははははははははははははははあははははははあははは!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 笑い声はいつの間にかすすり泣きになり、そして最後は、号泣に変わっていた。









 最後の最後に、やっとあいつが出てきた。
 余りに近すぎて、反吐が出るほど嫌いになったあいつが。
 ぎっちょのでか目の、小器用でいけすかない、アイツが。
 オレの隣に居るのが当然て顔して、ふんぞり返っていた奴が。






「ぽーる…」

 オレはぼんやりと、ソイツの名前を呼ぶ。口からはだらだらよだれがでているが、もうぬぐう気持ちもない。
 薄暗闇の中、あいつは黙ってこっちを見てる。
 もう一度、オレはその名前を呼ぶ。久しぶりに舌に乗せたその響きは、不思議と甘い感じがした。
 奴は、薄暗闇からこっちに近づいてきた。少しだけ、姿がはっきりとする。あれ、不思議。ジョーとリッチが出たときは、Fabな姿だったけど、コイツだけは、
今のアイツみたいだ。
 よお、ひさしぶり。もたつく舌でオレは言う。奴はびくっとしたが、すぐ元に戻って久しぶりと返してきた。
 あれえ? 挨拶が返ってきたよ。珍しいな。今まで色んな奴が出てきたけど、誰もオレに挨拶なんてしなかったぞ。
 そうなの? と奴が聞いてくる。そうだよ、とオレが答える。奴は笑った。困ったような、優しい微笑みだった。

 綺麗だな。オレは素直にそう思った。そして気付いた。こんな笑顔を受けたのは、ここではあっただろうか。

 ああ、こんな他愛のない受け答えが、ここにきてどれだけできたろう。

 奴は頷く。意味はないけど、肯定の合図。医者や看護師達のような、人形みたいな頷き方じゃない。ちゃんとこっちを見て、こっちを認めてる頷き方だ。
 オレを受け入れてくれてる、優しい心のこもった肯定だ。
 おかしいな。これはいつも見る白昼夢のはずなのに、なんでこんなに生々しくて、こんなに…うん、生々しい。まるでそこにいるみたい。
 そうか、とオレは合点した。こいつはきっと、死の天使だ。オレを連れていくんだ。きっと天国なんかじゃない。俺が行く場所が、そんなところであるはずがない。それが
判ったらオレが恐がるから、こんなに優しいんだ。

 そうか、だから、薄っくらがりでも、こんなに綺麗で、こんなに光って見えるのかな?

 温かそうな手。柔らかそうな唇。少し篭った、低い声。本物みたいだ。よく出来てる。じゃあ、本物と思って話してみよう。だって、オレは実際嬉しかったんだ。

 ちゃんと目を見て、会話をしてくれたことが。

 オレを見て、オレと話して、ちゃんと受け入れて頷いてくれたことが。

 この、ひと時の夢の中だけでも、お前はオレの側に居てくれた。それがどんなに嬉しかったか。どんなに心が満ち足りたか。わかるかい? ポール。分かってくれるかい?
奴は黙って、オレが何か言い出すのを待っているようだった。哀しげな目だった。寂しげな姿だった。でも、オレには光ってみえる。
 そんな奴を見据えながら、オレは重い口を開く。お前はオレを責めないんだな。そういうと奴は一瞬黙り込むと、「責められたの?」と尋ね返してきた。
 オレは頷く。ああ、責められたよ。ブライとピートが毎日来てた。ずっとオレを睨んでた。母さんは周りの奴らとオレを指差して笑ってた。ジョーとリッチは、蔑んだ目を
向けてきた。ヨーコは会いにも来てくれない。
 そう、と短く答えて奴はまた、静かにこっちを見てる。お前はどうする? オレはカラッポの心で尋ねた。お前はオレをどうしたい? ポール。
 その問いに、奴は何も答えなかった。だが、こちらを見るその視線は、なぜだろう ―――――― 途方にくれているように見えた。
 オレは奴の答えを待った。どう言われるかな? どうされるのかな? もう責められることには慣れてる。酷い言葉にも、冷酷な態度にも。
 でも、とオレは思い直した。でも、コイツにならどうされてもいいや。
 こんな、非人間的な世界にあって、あんな優しい笑顔を向けてくれた。
 挨拶を返してくれて、ちゃんとまともに答えてくれた。
 ずっとずっと、寂しかったよ、ポール。でも、今は違う。今はお前が居てくれる。
 冗談じゃなくて、オレは今、もう死んじまったっていいんだ。
 今ここで、お前になら殺されたっていい。きっと、幸せなまま死んでいけるよ
 本当に、ね。

 奴は、黙ってオレを見ていた。オレは持てる力の全てを込めて、口元を引き締めて、しっかりと奴の目をみて、
 笑った。
 以前のような、ヒステリックなものじゃない。笑いたくて笑った。目の前のコイツに、オレの心を伝えたくて、分かって欲しくて浮かべた笑顔。
 ちゃんと笑顔になってたかな?

 アイツは…あいつも、笑い返してきた。部屋が暗闇に包まれ、常夜灯に切り替わる。冷たい青い光の中で、アイツの姿は、温かく見えた。
 オレは、なんとなくその手に触りたくて、毛布から手を伸ばした。震えて、力が入らない。自分の身体なのに、鉛のように重い。それに気付いて、あいつがオレの手を
とる。比較してみるとわかったが、オレ、かなりやせてたみたいだ。骨みたいな腕してる。
 あいつの手は、やっぱり温かくて、感触は柔らかだった。
 オレの笑みは、自然と大きくなった。あったけえ。そういうと、奴はうなずいた。寒かったよ。そう言っても、奴は頷いた。なんだかすごく、嬉しい。こんなことが、
ものすごく。

 奴はそんなオレを微笑んで見ていたが、そのうち、その顔がぶるぶると震え、目から涙がこぼれてきた。

 どうした、なんで泣く? みるみるウチに泣き崩れたポールに、オレはビックリして声をかけた(人の心配をするのも随分久しぶりだな、と心の何処かが呟いた)。
 奴はオレの枕元に取りすがり、オレの手を両手で強く握り、しゃくりあげながら言った

 どうもしたくない。アンタのこと。責めようとも嘲笑おうとも、蔑もうとも思わない。
 ただ、俺はアンタの側にいたいんだ。アンタの側にいて、声をきいて、いい気分になるのを手伝いたいだけだ。アンタが幸せになるのを見たいだけなんだ! そのためなら、
なんでもするよ。俺にそれができるなら。俺がいて、アンタが幸せになれるって言うなら、俺は全てを捨ててアンタを取るよ。だから…だから、どうか、どうか…

「しにたい、なんて、言うなよ。殺されたいとか言うなよ! お願いだから……!!」

 奴は、最後にはひりつくような声を上げ、オレの手を自分の顔に押し付けて、泣き続けた(どうやらオレはさっきの気持ちを声に出していたようだ)。
 オレの息が、一瞬止まった。時間すら凍りついた。

 ポール? え? なに? お前…おまえ、本当に、ここに、いるのか?

 何時もの夢じゃないのか?
 白昼夢じゃないのか!?

 オレは思わず頭を枕から上げた。奴は言葉のない問いに答えるように、何度も頷く。手をかする、柔らかい唇の感触。温かくて、すぐに冷えていく涙。しゃくりあげて
震える身体。その振動、その荒い息。その言葉。

 それが全て本物だっていうのか!

「辛かった…メイから相談を受けて。彼女も途方にくれていた。怒らないでやってくれ。彼女も、ヨーコも、ミミも、皆アンタが心配だったんだ。でも自分達じゃどうする
ことも出来ないと絶望していたんだ。だから…」
「この入院は、じゃあ…」
 そうだよ、と奴は答えた。俺だ。俺が全て用意した。なぜなら俺も…。
「なんでだよ」オレは尋ねる。お前は、グループが解散してからも、あんなに活躍してたじゃないか。あんなに皆から求められて、愛されてたじゃないか。なのに。
「俺が欲しかったのは、そんなもんじゃなかったんだ」
 独り言のように、アイツが答える。「俺は、曲を一人で作るたび、アンタの目を気にしていた。アンタがこの曲をどう思うか。誰から誉められようがそんなことは
関係ない。幾千何万の観衆を前に、俺が見ていたのはアンタだった。あんただけだった。チクショウ、なんでだよ!! なんで…、こんな…!」
 そう言って、奴はまた泣き始めた。
「だから…辛かったよ。ここに着てからのアンタを…」
 そこまで言って、ポールはハッと、凍りついた。
 オレも、奴の目で、視線が止まる。
「…見ていたのか」
 オレは奴に問いかける。なぜか、心は落ち着いている。うつむいたまま、奴は頷いた。真っ青な顔で。なぜか、傷ついた顔をして。
 話すのも苦しい息の中、オレは笑った。ああ嬉しい。こんな風に笑えるなんて。
 そして、奴の頬にそっと指を走らせる。
 ブライやピートが、遠くなっていく。かあさんもスチュも、もう見えない。

 ただ、オレの前には泣きじゃくるポールだけが、はっきりと見えた。

 奴の声が、しっかりと聞こえた。

 こんなに、近くに。そうだ、お前はきっと、ずっとオレの近くにいたんだ。

「来れるときは、できる限りこっちにきてた。そして…見ているだけだった。見てるだけしかできなかった。それも、たった短い時間だけ」
 すまない、と奴がいう。そしてずっと泣いている。
 泣かないでくれよ、ポール。お前が泣いてたら、オレが泣けないじゃないか。
 そうやって、いつだってお前はオレを出し抜いていくんだな。
 オレはつい吹き出した。こないだのようではなく、胸からの感情がそのまま湧き出た笑いだった。
 奴はビックリしたのか、泣き顔のままキョトンとこっちをみた。餓鬼みたい。
 辛かったな、オレが言う。ああ辛かったと、奴が答える。
 凍り付いていた心が、あっという間に融けていく。オレ達は水、そう言ったのはヨーコだった。そうだ、その通りだ。オレ達は、オレとコイツは今、水みたいな心で
混ざり合っている。一つになっている。分かち合い、分け合っている。
 許されたのだと、オレはなぜかそう思った。謎が解けたと、その時思った。解けたなら、無敵になれるその問い。昔、リンゴにその問いを見出し、解けることの
なかった問題。闇雲な理解。意味のない確信。これが解けたら、オレは怖いものがなくなると、ただそれだけが判った謎の、その答え。

 もう孤独に震えて、薬に頼らなくてもいい。意味のない罪悪感に苛まれなくてもいい。

 やっと、オレは自由になれた。それをコイツが判らせてくれた。生きていていいのだと、そして一緒に生きていこうと言ってくれた。生意気で小起用で、いけ
好かない、そして、ただ闇雲に、オレを…愛してくれていた、この幼馴染が、教えてくれた。

 ありがとう、もうそれで充分だ。オレはその言葉だけで、生きていける。

 世界は冷たくて、酷いことばかりかもしれないけれど、総ては変わっていってしまって、形も残らないかもしれないけれど
 感じた心は、残るんだな。
 嬉しいと、幸せだと、信じた気持ちは誰にも奪えないし、なにも変えることは出来ないんだ。例えそれは、自分でも。
 そして、その記憶がいつかオレの心を打ち砕こうとも、オレは、甘んじてそれを受けよう。きっと、それすらも幸せのはずなのだから。
 今の自分を傷つけるほどの幸せの中に、自分がいた証明になるのだから。
 痛みの中に蘇るのは、永遠の時間。
 オレは、それを認めるよ。
 やっとそれを、受け入れられたよ。
 ありがとう。ありがとう。

 オレはその言葉をそのまま奴に伝えた。そして、こう付け加えた。

 オレのためだというなら、お前の何も捨てないで、このまま歌い続けていけ。
 お前の声は、確かにオレの耳に届いたから。それはオレを救ってくれた。だから、これからも届くように、お前の声が俺に聞こえるように、できる限り、歌い続けてくれ。
 きっと、必ずだぞ? オレは忘れっぽいんだからな!

 オレの言葉を、奴は黙って聞いていた。今度はオレが、奴の言葉を待つ番だった。
 オレの目をみて、奴は一瞬だけ、泣き出しそうに顔をゆがめた。
 でも、それも一瞬だけ。奴は目を閉じて、歯を食いしばって、何かに耐えるようにそこにいた。肯定と否定。拒否と容認。そんなものが、奴の中を巡っているようだった。
 そして、やっと目を開けると、静かに、しかししっかりと、頷いた。
 オレ達は、それから顔を合わせて笑いあった。そして、オレは片手を拘束されたままだったけど、しっかりと抱きしめあった。
 奴の体温と重みが嬉しい。それを感じることが嬉しい。生きていたい。生きていたい。これを感じることが出来るなら。
 そして、そっと口付ける。柔らかい唇だった。優しい体温、滑らかな肌さわり。胸に巣食う、恐ろしい空洞を一気に一杯にして、溢れ返すまでにするその力。

 愛してる。愛してる。愛してる。
 何度言っても足りない言葉。この心をどうしよう。
 もどかしくて、こっぱずかしくて、イケてなくてみっともなくて、持て余してしまう、この気持ち。

 愛してる愛してる愛してる。
 この心をどうしよう。

 どうしよう。

 オレ達は、随分と長い間そうしていた。
 最後にはどうしていいのか分からなくて、二人で笑い出してしまったくらいに。
 この時間が、こんなにも愛おしい。
 大切な、たいせつな、贈り物。
 ありがとう。この贈り物を忘れないために、ポール、歌ってくれ。
 どんなバカな歌でもいい。バカな歌なら笑ってやるよ。いい歌だったら、誉めてやる。クソな歌ならけなしてやる。哀しい歌なら、泣いてやる。
 だから、ポール、歌え。このままずっと。
 お前がオレの側にいることを、思い出させてくれ。
 そしたら、オレは生きていける。もしかしたら、きっと、永遠に。
 オレは生きていけるんだ。

 そしてポール。お前が歌うその側に
 オレがいることを、忘れないで。
 お前がこの約束に答えてくれるなら、オレはお前とともにある。
 誰といようと、どこにいようと。
 オレの心は、お前と共にある。
 混ざり合った水を、完璧に分けることなど出来ないように。
 わかるだろ? オレの言う意味、言わなくってもわかるだろ?
 ポール。

 奴は、何も言わないで、オレの肩に顔を押し付けたまま、頷いていた。
 オレ達は、長い間そうしていた。


 そうしていた。







 そして、オレは長い時間をかけて治療プログラムをこなして行った。苦しかったが、必死だった。
 奴のバンドの歌が、ラジオから流れる。それを聴きながら。
 半年後、オレは迎えに来たヨーコと共に、オレの帰るべき場所に戻った。
 まちなかで響くポールの歌声が、オレを迎えてくれた。
 そして、オレも何曲か歌って。ポールも相変わらず歌ってて。そしてショーンが産まれて。
 とても幸せで。幸せで。
 街では、オレのかわりにポールが歌っていた。

 そして











 そして、
















 そしてポールは、








 今も、歌い続けている。











861Hedge-hog's
"Blackbird"














Thanx,you are here,today.


※この話は、SSHere,there and Everywhere と少しだけつながっています


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最終更新:2009年06月12日 10:32
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