『面影の箱庭』
『リッチーのおめめは、お空と同じ色なのよ』
からりと晴れ上がった空を、病室の窓から見上げつつ、小さなリチャードはそんな母親の言葉を思い出します。
白いベッドに白いシーツの上にはありえない、例えば彼の目の色のような、鮮やかな色が外には広がっているのです。
「リチャード君」
看護婦さんの柔らかな声に呼ばれ、リチャードはぱっと振り返りました。
「今日はお天気も良いし、体調もいいみたいだから、お外で遊んで来てもいいわよ」
よほど外に出たそうな顔をしていたのか、看護婦さんは苦笑しながら言いました。
それを聞いた彼の嬉しそうな顔といったら!
ベッドから降りていそいそと靴を履き、パジャマ姿のまま看護婦さんに手を振って出て行きます。
パタパタと廊下を歩いていると、おやリチャード君? 頭の上から声が掛かります。リチャードの手術をしてくれた先生でした。
「もしかして今からお外に行くのかな? だったらそっちじゃなくてこっちだよ」
先生は彼の手を引いて、1つのドアの前まで連れてきてくれました。
「寒くならないうちに戻っておいでね」
リチャードは頷いて、先生が開けてくれたドアから飛び出します。窓から見ていた通りの様子を思い浮かべ、久しぶりの外にわくわくしながら辺りを見回しました。
しかし、何と言うことでしょう。
彼の周りには緑の芝生と小さな池と、どこまでも続く高い白い塀しかなかったのです。
リチャードの出て良い外とは、所詮この病院の庭でしかないのでした。
高らかに何かを歌い上げる、ぺちゃくちゃとお喋りをする、けらけらと笑う、子供特有の高い声が塀の向こうから聞こえます。
以前は彼も、この声に混じってずっと遊んでいたものでした。
馬車を引く馬の蹄の音、それに続く車輪の音が、塀の向こうから聞こえます。
以前に彼は、この音を小さな家の窓を通して聞いたものでした。
独りだけ静かな世界に取り残されたようで、リチャードは急に寂しさを覚えました。
じわりと滲んだ涙に霞む視界のまま、ふと側の池を覗き込んでみると、歪んだ水鏡の向こうから、少年がこちらを見ています。
頬はこけていて青白く、大きな鼻ばかりが目立つ、どことなくやつれた顔。
青空とは似ても似つかない、沈んだ青い虚ろな瞳が、ものも言わずただ自分を見返していました。
ポタリ、何かの滴が落ちてきて水面にはじけます。
ゆっくりと波紋が広がっていき、水鏡に映った少年の顔がゆらゆらと醜く揺れました。
哀しく歪む池の水面にしゃがみ込み、寂しさに涙をこぼすリチャード少年は、その小さな背中越しに、いつからか三人の青年が立っているのに気付きませんでした。
しかし、それは仕方のないことでした。
その三人の姿は、水にも映らなければ、人の目にも捉えることが出来ません。「見る人」でも、少し日差しが強く輝いているとしか思えなかったでしょう。だからもちろん、リチャードにも見えていません。
でもその三人…揃いのシルバーグレーのスーツを着て(笑)、一見すると、ちょっと生意気そうな青年達は、確かに彼の後ろにいて、一人で泣いている彼を優しく見守っているのです。
と、その内の一人が「堪えきれない」といった感じで前に出ると、膝を抱えて泣いているリチャードの隣に座り、その肩を優しく抱き寄せました。
だけどリチには、それが分かりません。焦がれる目を白い壁に向けたまま、唇を震わせている彼に、青年は少しだけ切なげに眉をひそめ、それでもリチに微笑みかけると、
その髪に頬を寄せました。
その様子を、他の二人は静かに見つめています。
そして三人は誰とはなしに、孤独な少年に向かって、こんな言葉を語りました。
『リッチ、泣かなくていいんだよ?
今はまだ独りでも、すぐに仲間が君を呼ぶ。
君は僕らの、最後の一片。
出会いを約束された者。
君がきて、初めて僕らの全てが揃い、全ての運命が回り出す。
やがて世界が、その手を君に広げ、追い求める日がやってくる。
その時まで――』
"泣かないで、リンゴ"
隣に座る青年が、見えない指で少年の涙をぬぐい、いずれ呼ばれるその名で少年に呼び掛けました。
"かならず会えるから、だから早くその瞳(め)で、僕を、僕達を、見つけてね"。
そして最後に、そぅっと、少年の青白くこけた頬に唇を寄せて、本当にそっと呟きました。
"愛してる"、と――。
後ろにいた青年達が歩みよってきたことに気付いて、座っていた青年は名残惜しそうに立ち上がり二人に並びます。
その内の一人、 とがった鼻と濃い金髪をした、繊細な眼差しをした青年が、リチャードの髪に触れる手前まで腕を伸ばして、そっと手をかざします。
大きな目をした優しい顔立ちの青年もそれに続き、最後には、あの、少年の隣に座った、睫の長い綺麗な顔立ちの青年が、二人に重ねるように手を伸ばします。
そして、金髪の青年が、ちょっと気取った声で告げる言葉を、一緒に唱えました。
『魂の再会と、永遠の約束を、ここに』
その時、空気が大きく膨らみ、強く輝きました。
しかし、下をうつ向くリチャードはそれに気付かず、見た人も、日差しが強く照ったとしか思わなかったでしょう。
でも確かに、約束は結ばれたのでした。
「リチャード君?」
彼の帰りが遅いのを心配したのか、看護婦さんの声が、中庭に続く廊下から聞こえました。
「はい!」
泣いていたのを気付かれないように、リチーはわざと大きな声で答えると、急いでパジャマの袖で涙を拭い、振り返りました。
そこには、小さな中庭と、小さな入り口しか見えません。
今の彼の、空色の瞳に映るものは、それだけでした。
パジャマの袖を伸ばして立ち上がると、リチャードは中庭を振り返らず、足早に歩き出します。
だから、その中庭を照らす強い日差しの中に、少年の小さな後ろ姿を見送る三つの人影が、一瞬浮かんですぐに消えたのを、見た人は誰もいませんでした――。
shin-ra plus 861Hedge-hog presents,『面影の箱庭』
*了*
Very Thanx for "shin-ra"
(この作品は、shin-raサマの作品に861が後半部を付け足したものです。スレ投下、掲載の許可を頂けたことに感謝します)
最終更新:2009年06月10日 16:55