真夜中を突っ走れ!
1980年12月8日。
その運命の日。
ヨーコは、彼女の夫と共にラジオの生出演の仕事を終らせ、ダコタアパートの玄関前で、カメラ越しに帰宅を知らせていた。
彼女の夫であるジョンレノンは、少し離れたところで煙草を吸っていた。
ドアの鍵が開くのを待つ、僅かの間にそれは――起きた。
乾いた破裂音がヨーコの耳に飛込んだ。
振り返ると、夫の脇腹が、鮮血に見る間に染まっていく。
彼の前にいた男が叫んだ。「やった、これでオレがジョンだ! ビートルズのジョンレノンだ!!」
ヨーコの体から力が抜ける。
なんてこと、彼を撃ったの!?
震える足でヨーコは助けを呼ぼうとした。早くしないと…ジョンが…大変…!!
が、しかし。
その時、彼女は恐ろしいものを見た
いや、まず聞いた。
夜をつんざく、その怒声。
「なにしてくれる、このクソガキ!!」
ドアホンの受話器を取ろうとしたヨーコの時間が止まった。
犯人の動きも止まった。
その隙を外すことなく、ジョンは、確か「愛と平和の使者」のはずの彼は、悪鬼のごとき形相で犯人の胸ぐらを掴むと、そのまま必殺の
ニーキックをその鳩尾に叩き込んだ。
「ぐほっ!!」
犯人が思わず胃液を吐き出すくらい、体重の乗った、いいキックだった。
ジョンが、ドスの利いた声で続ける。
「てめえ、人の脇腹に風穴開けてからに、フザケタ物言いしてくれるじゃねぇか!? なんだ? お前が『ビートルズのジョン』てか!? 上等だ! お前がジョン
レノンになるってんなら、これからリバプール流に物の道理を教えてやるから、ありがたくちょうだいしとけや!!」
ソレから先は、阿鼻叫喚のご教授タイム(爆)。
ヨーコの顔から色が消えた。いかな海千山千の彼女にしろ、所詮は山の手のお嬢様。イギリスの片田舎の港町の、労働者階級仕込みの喧嘩殺法なんぞ初めて見るの
だから、その凄まじさに戦慄するのも無理はない。
いや、ジョンだって大変なのだ。
失血が進んで、顔色が見る間に青ざめていく。
見る見る内に血みどろになっていく犯人と、自分と相手の返り血(笑)で朱に染まっていく自分の夫を前にヨーコが叫んだ。
「やめて、ジョン! 死んじゃうわっ!」
「どっちがだっ!」
ヨーコが思いっきり指差した先は
「彼よ!!」
犯人だった(奥さん、ビンゴ)。
当然だな! と、ジョンはゲラゲラ笑った。その、背筋を凍らす邪悪な響き(笑)。
そして続けてこう言いきった。俺の生きざま、よく見とけヨーコ!!
「バカ言ってないでもうやめてったらっ!!」
もっともなことをヨーコが言い返す内に、やっと警備員が駆け付ける.
ジョンが撃たれたの、早くとめて! とヨーコに言われて、犯人とジョンを見比べた警備員は困った顔でヨーコに尋ねた。
「どっちをとめますか!?」
「見て分からないのっ!?」
急いでるのにっ! と、イラッとしたヨーコが怒鳴りつけた。
「ジョンに決まってるでしょ!!」
弾かれたように、警備員が走った。
無理矢理、犯人と…暴漢(汗)の間に、その大きい体をねじこもうとしながら、彼はジョンに声をかけた。
「レノンさん、落ち着いて!? 傷にさわる…」
「呼んでねえぞ、ドサンピン! 去ね!!!!」
彼に凄まれた警備員は、「ヒッ!」と短い悲鳴を上げて腰を抜かした。そして、へたり込んだまま、足と手を巧みに使って、猛スピードで後じさる。
「なにやってんの、とめてちょうだいっ!!」
「む、無理です奥さん!」
自分の股間が濡れてないのを確認して、警備員が半泣きで言った。
「下手したら、こっちが殺される!!」
この役立たず! とヨーコが必死に怒鳴りつけた時、ジョンは、すでに人間の形を留めたぼろ雑巾と化した犯人を地面に叩き付け、彼がぴくりとも
動けなくなったのを見ると、悠然と煙草に火をつけて、しゃがみこんだ。
「…で、どうよ」
底光りする目を向けながら、ジョンは低い声で犯人に語りかけた。
「ジョンレノン」になってみるかい?」
完璧、街のゴロツキ仕様のジョンに聞かれて、犯人はやっとの思いで首を横にふった。
ジョンは、「ふーん」と頷きながら、煙を犯人に吹き付けた。
そして、軽く笑っていった。
「ま、これから人にゴロ巻く時は、それなりの覚悟できてくれや。半端に絡まれるのが、一番始末におえねぇからよ」
そして、まだ長い煙草の火を犯人の頬で揉み消した。それを受けて無様に「ぎゃっ」とうめいた犯人に、こう付け加えた。
「ビートルズを、俺達を、甘く見んなよ。伊達に長年No.1張ってねぇんだ。鉛のパチンコ玉程度で、お前があいつらとタメ張れるわけねえだろ。
これがポールならてめえ、生きてねエぞ?」
相手が俺でよかったな、と言ってジョンは立ち上がった。ついでに一発、股間に蹴り。 ぎゅう、と喉の奥を鳴らして、犯人はやっと気絶できた。
やれやれ、とジョンは小さく呟いた。そして本気で脅えるヨーコに、いつもの笑顔を見せるとゆっくり崩れ折れた。
「ジョン!!」
やっとジョンに駆け寄って、ヨーコは彼を抱きとめた。真っ青に震えるヨーコを見上げながら、その頬を撫で上げてジョンは、言った。
「ヨーコ…見てたか?」
「え?」
もはや誰の目にも絶望的な夫の様子に、なすすべもなく見守ることしかできない自分を歯がゆく思うヨーコに、ジョンは、こう言った。
「どうだった? 俺の ―― 生きざま」
『は?』
色んな想いが溢れかえってめちゃくちゃだったヨーコの目が、思わず点になった。
「見ててくれっつったじゃん…どうだった?」
…あ、確かにそんなバカなこと言ってたわね。ヨーコはやっと思い出した。
しかし…「生きざま」!? アレを「生きざま」って言っちゃう彼って、どうなの!? どう考えても、理不尽で、殺那的で、考えなしのイッちゃってたあの姿が、
彼の「生きざま」ですか!?
そんな彼と、共に歩んだ私…は!? てか、
私…「も」!?
元田舎育ちの、悪ガキの考え方に彼女は一瞬目がくらんだ。
もうなに考えてんだかわかんない、この人。
なんだか色んな意味で情けない気分になったヨーコは、自分とジョンに向かって自虐的にこう言った。
「…ばか、みたい」
「ばか?」頭を上げてジョンは聞き返した。
ヨーコは頷いて、もう一度「ばかみたい」と言った。
「そうか、バカか」
そういうジョンは楽しそうだった。彼はヨーコと目を合わせて、くすくす笑った。一瞬ヨーコも時を忘れて笑った。
二人は、一緒に笑い合った。
そして
「バカは死ななきゃ…治らないってね」
と、ジョンは呟いて、ヨーコの腕の中で永遠へ旅立った。
「あなた? ちょっと…ジョン!?」
ジョンの体が、ずしりと重くなった。ヨーコは子供のようにジョンの体を揺すった。
ジョンはチンピラ顔のまま、満足そうに微笑んでいた。
「この…バカっ!!」
とヨーコはジョンの頭を思いっきり殴った。
そして、やっと、泣いた。
その脇を救急隊員が、必死な顔で犯人の喉に送管して、呼吸をさせた。生きてるのが不思議なその姿に、その場に居合わせた全員、背筋をゾッとさせた。
その上に、今年初めの雪が降った。
遅い初雪だった。
「…なるほど、そりゃあバカだ」
あれから幾年もたってから、ダコタアパートでその話を聞いた時、ポールが呆れた口調で告げた感想だった。
「とても怖かった…。あんな彼、初めてだった」
若い頃の彼って、あんな感じだったのかしら。誰ともないヨーコの問いに、ポールがあっさりと言った。
「いや、あの頃の彼なら、そんなモンじゃすまないよ」
それがあんまりあっさりしすぎていたので、ヨーコは聞き流すところだった。
「えっ?」
彼女の顔色が変わった。そんなもん? あれが!?
「とにかくジョンは、引き際が無くなっちゃうから、とめる方が大変なんだよ。下手にとめるととばっちりがくるし」
だから、やるだけやらせて、こっちが見計らうんだ。
いつの世でも変わらぬ可愛らしさで、ポールが笑った。
「あなたが…とめたの?」
「うん、大体お鉢が回ってくるのが僕だから」
「アレをとめたの?」
「とめなきゃ大変だもの。必要なら半殺しにしてでも、とめたよ」
ヨーコは驚いてポールを見た。まさか、この一番洗練されたビートルがそんなことを言うとは思わなかったのだ。
ほら、とポールが両手を出した。左手の指の数本が、右手に比べてわずかに変形している。爪の大きさが不自然な部分もあった。良く見たら、髪の中にも
うっすらと傷の痕がある。
「これは何時だったか、ジョンをとめた時、取っ組み合いになって爪が剥がれたんだよ」
彼はなぜか嬉しそうにそう言うと、その指をなぜた。
「僕だけじゃない、ジョーやリンゴもよく割って入ったな。入れ代わりに喧嘩、引き受けたり。バンドやってる連中は大体荒っぽかったよ。観客に舐められないためにもね」
懐かしいな。ポールは目を虚空にたゆたわせて、笑いながら頷いた。
ヨーコは開いた口が塞がらなかった。これには「ハプニングの女王」もビックリだ。
ジョンの言葉をヨーコは思い出した。
「ビートルズを甘く見るなよ」
そうか、だから「生きざま」なのかと、ヨーコはここにきて、やっとジョンの言葉の意味が分かった。
今のポールの話で ――― 。
「最後のラジオの時」
ヨーコの突然の語りにポールは「ん?」と、カップを置いた。
「あの人…自分は人生で二人、最良の選択をしたと言ったの。一人は、私。もう一人はあなた」
ポールはもちろんそれを知っている。彼が頷くのを見てから、ヨーコは続けた。
「でもね、本当はこう言いたかったんですって…。「俺が今までコマした中で最高だったのは、ヨーコとポールだ」って」
ポールは、表情をとめた。
そしてゆっくり、嬉しそうに笑った。
しかし、すぐに眉をしかめると、こう言った。
「でも僕は別に、ジョンにコマされたワケじゃないよ」
ヨーコも言った。
「偶然ね、私もよ」
二人は一瞬、顔を見会わせると、テーブルの上にあるジョンの写真に目を移して、声を上げて笑った。
その時、部屋の玄関のインターフォンが鳴った。
ジョージとリンゴの声が響く。
「ほら、リバプールのならず者共のおでましだ」
いたずらっぽくポールが言うと、席を立って二人を迎えに出た。 雪をかぶったジョージの後から、暖かそうなコートを着込んだリンゴが続く。
顔を合わせた三人が笑い合い肩を組んで、ジョンの写真に「にやっ」と、品のない笑顔を向けた。
その時、ヨーコは三人の中に、懐かしい夫の気配を感じた。
『ジョン』
ヨーコが胸の中で声をかける。
『きっとあなたのバカは、死んでも治ってないわね』
それぞれに持ち寄った手土産を披露する三人を見ながら、ヨーコは明るいため息をついた。
あれから幾年も過ぎた。しかし、巡る季節の中で降る雪は、あの日のバカを忘れていないように、ダコタの上に優しく積もって
いった。
861Hedge-hog's
「Whatever gets you thru the night!」
* the end *
最終更新:2009年08月23日 03:52