ちいさな小鳥のおろかな冒険
例えば、ソファの上でだって、おれは遠くへ行くことが出来る。
ソファに座って、気持ちをリラックスさせて、ポケットから小さな紙片を取り出す。
それはとても苦い。苦いけど、いいものは表面上は嫌な形になっているものが多い。これもその類だ。
舌に乗せて、刺激的な苦さに顔を歪ませながら、おれはその時を待つ。
ほら、やって来た。
目を閉じた暗闇の中に、一つの小さな光の粒が見える。
ここからさ、冒険は。
その光は、少しずつこっちに迫ってくる。点は大きな筒のようだった。光のもやがぐるぐると回りながらおれを飲み込んでゆく。
ゆっくり、ゆっくり。
焦ったらだめだ。ここで焦ったら、一気に地獄へまっさかさま。頭も体も、心もひき潰されるような世界に、一直線。
だから、ゆっくり、ゆっくり進もう。
光が滲む。色が流れる。音がゆれる。
世界は、もう退屈な姿を崩し、その奥にあるおかしな(本当におかしな)姿を再構築しながら、おれを引き込んでいく。
もう、おれはおれじゃない。
誰でもない。
おれはここにある、一筋の光だ。滲む色の一つだ。ゆれるか細い音。形を成しては、壊れていく球体。
ソファに座っているだけで、おれはおれじゃなくなっていく。
もやのような光が、おれを連れて行く。
闇の奥へ、光を伴い、光っては消えにじんでは浮かび上がるとりどりの色の海の中へ。
行っても行っても果てがない、永遠の億土へ。
何処までも壊れきっていて、完全に完成している意識のどん底へ。
―――――――― 「どん底」?
『しまった!!!!!』
その一言で、バランスが大きく崩れた。ここでは全てが崩れているが、たった一つだけ、保たねばならないものがあった。
それは、バランス。
安全な「旅行」を楽しむために、それは必ず守らねばならない。落ち着いて、リラックスして、焦らないで、急がないで。
決して、ナーヴァスな気持ちにならないで。
しかし、今の言葉が心に浮かんだとたん、おれの「飛行姿勢」は一気にかしいだ。
凄いスピードがおれを引きずる。引きずり、振り回し、叩きつけ、引き裂こうとする。
色が暴走する。黒い「光」が、おれの周りで弾けて、バラバラにしようとする。
ああ、どうしよう。戻らなきゃ。ソファに戻らなきゃ。
ここにいたらだめだ。一気に引きずり込まれて、ひき潰されてしまう。
頭が痛い。体が熱い。気持ちが悪い。吐き気がする。
でも、ソファから一歩も動けない。
ソファに戻りたいのに、おれはソファから一歩も出られないでいる。
息ができない。体が震え始める。引きつったように、かえるのように、びくびくと飛び上がりだす。
全てがおれに関係なく突っ走りだす。こっちが始めたことなのに、こっちのことなどお構いなしに、色が、光が、闇が、音が、おれが、世界が、
凄い速さで壊れ、流れ、潰されていく。
再構成される世界は、全て出来損ないのフリークスだらけ。そんなもの達に、胃を食いちぎられ、陰茎をもぎ取られ、おれはそいつらの下品な
口元でくちゃくちゃ噛み砕かれる。
おれはなにもとめることができないちいさなぶざまなひとかたまりだ!
もうだめだ。きっとこのまま、死んでいく。
どんどん降下していく心のヴォルテージ。
そのたび、どぎつくなっている色の世界。
吐きたい。気持ち悪い。でも体が動かない。
今、吐かないと死んでしまう。体に残る紙片を吐き出さないと。
でも動かないよ。動かないよ。
どうしようどうしようどうしようどうしよう。
ああああああああああああああああああああ!!!!!!!!
その時
「ジョージ、このバカ!!!!」
凄い力が、おれの胸倉を掴んで引き上げた。頬に「現実の」打撃を感じる。
ハッと、意識がソファに戻る。
視界が、まだ現実になじまない。じんわりと浮かび上がる世界。
ここは、おれの家の居間。調度品、食器、家具、椅子。
そして、おれの目の前には
「…リンゴ?」
おれは、思いっきりろれつの回らない口でその名前を呼んだ。
彼は真っ青な顔をして、おれを見下ろしていた。右手はおれの胸倉を掴み、左手は平手で固まっていた。
おれは…まずいところを見られた気まずさと、この場をどう収めようか一瞬悩んで、どうすることもできす
「…Hi」
と、笑って挨拶をした。
そのとたん、一気に「ぶりかえし」が襲ってきた。
胃がせりあがる、頭が割れる、体が言うことをきかない。パニックが戻ってくる。
「風呂場にいくぞ、立てるか!?」
おれは頷いたつもりだった。でも、ちゃんと頷けただろうか。リンゴはおれの脇に腕を入れると、無理やり引っ張って立ち上がった。
「うぐっ!!!!!」
その乱暴な行動に、おれの胃が反発する。
「我慢しろ!」 リンゴが怒鳴って、そのまま風呂場に引きずっていく。
シャワーの頭を取り外し、ホースだけにすると、彼はおれの口にそれを突っ込んできた。
「水を沢山飲んで、胃の中のものを吐き出すぞ。いいか?」
返事をしたかった。でも体がいうことをきかない。ただ細かく震えてへたりこむことしか。
「ジョージ、俺が判るか?」
彼はおれの顎を掴んで、自分の顔の前に持ってくる。
「ジョージ、俺は誰だ!!!???」
大丈夫、判ってるよ。えーっと…あんたは、あんたは…
彼は、おれの口からホースを奪い、それを咥えると水を口に含んで、おれに口移しで飲ませてきた。
冷たい水が、喉を通って胃に落ちる感覚が気持ちいい。
やっと体が自分のものになるのを感じる。
体に血の気が戻ってくる。と、彼の青い目が強く光っておれを見ていることに気付いた。その色は冷たくこわばっていた。
これは、なに? おれはその目を見つめていた。これは、なに?
さげすんでるの? おこっているの? うんざりしているの?
――――――― こわがっているの?
「ジョージ!!!!!」
名前を呼ばれて、なお引き戻される意識。そうだ、おれはジョージ。ジョージハリスン。ビートルズのリードギタリスト。23歳。
そして、ここにいるのは
「…リンゴ…」
弱弱しかったが、意識のある声が出た。リンゴはホッと息を漏らした。
しかし、おれはそのとたん、また激しいぶり返しに体が引きつりそうになった。
「ジョージ、息をゆっくりしろ!」
彼はおれをしっかりと見ながら、ぼやけそうになるおれを引き戻すために大声をあげた。
「いいか、俺の声に合わせろ。すって…はく、すって…」
合わせようと、おれは息をすう。しかし、そのたび胃がでんぐり返りそうになって、息が詰まって体が凍る。
「ジョー、やってくれ! すって、はいて…」
おれは必死で首を振った。できないよ、リンゴ。おれは首をふる。情けなくて泣けてくるよ。
彼は、そんなおれを引き寄せると、そのまま強く抱きしめてきた。
おれの顎を、彼の肩にのせて、胸をぴったり合わせてくる。
「俺の動きに合わせるんだ。あせるな、ゆっくり進め」
そして、大きく息を吸って胸を膨らませる。ゆっくり吐いて、胸をすぼめる。
おれは、ためしにそっと息を吸った。とたんに胃が文句を言ってくる。重く咳き込むと、彼の手が、俺の背中を叩いてくる。
息がつまらないように。
「大丈夫、よくできてる。お前は大丈夫だよ、ジョー」
そう優しく言って、おれの背中を叩く。
彼の体温が、彼の呼吸が、彼の心が、
おれの中に、すんなりと入ってくる。まだ開かれている感覚が、彼の本質をおれに教えてくれる。
あったかい。
こわばった体が、ゆっくり解けていく。
そっと息をあわせようとする。まだ引きつる喉、焼け付く胃。思わずえずいて、彼のシャツを汚してしまう。
「いいんだ、落ち着いて」
彼は低くそう呟いて、同じテンポで息をする。おれの息も、ゆっくり通っていく。
胸が合う。胸が離れる。重なっていくリズム。
息が落ち着き、体からいらない力が抜けていく。
「…ジョージ。俺が判るか?」
リンゴが、おれの顔を見て呼びかけてくる。ああ、大丈夫、あんたはリンゴ。リンゴスター。おれと同じ
バンド、ビートルズのドラマー。
そして優秀な、道先案内人。
彼を見据えて、しっかり頷くと、彼はやっと気を緩めたようだった。
そして、もう一度ホースを掴むと
「荒っぽいやり方だけど、胃を洗うぞ。いいか?」
おれは頷いた。
それから、おれはしこたま水を飲んでは吐き、吐いては飲み、を3回ほど繰り返した。
胃の中から小さな紙片の他に、溶けずに残っていた錠剤が2つほど出てきた。
それを見たときのリンゴの顔を、おれは忘れない。
怒りと、失望と、哀しみと、憤り。
見ているだけで胸が痛くなる、絶対人には、させてはならない表情。
彼は、おれが胃の中のものを全て吐き出し、呆然と座り込んでいるところを引き起こし、頬に一発、拳を入れた。
「パティから、お前に連絡がつながらないってわざわざアメリカから電話が入ったんだ! それがなかったら、お前どうなってたと思う!?」
そうか、そうだったのか…。脱力感の中で、おれはうなだれてリンゴの顔から目を背けた。彼の、あんな顔を見ているのが辛かった。
そして、そんな顔をさせてしまったのは………おれの、バカさ加減だ。
リンゴは、そんなおれにもう何も言わなかった。もう呆れられただろうな、と思って顔を上げると
彼は泣き出しそうな顔をしていた。
傷ついたような顔で、おれを見ていた。
そして…黙ったまま、おれを、しっかりと抱き締めてくれた。
彼の心臓の音がする。
彼の胸の暖かさに、まんべんなく包まれる。
まるで雛が、親鳥の羽毛に包まれているように。
ぐったりと力を抜いたおれの頭に、彼は唇をよせて、震える声でこう言った。
「…この、馬鹿野郎…」
その声でおれは分った。最初に見た、彼の目の光のわけを。
怖かったんだね。
こわかったんだね。おれが、おれがやった馬鹿で死んでしまうのが。
「怖い」と、思ってくれたんだね。
ありがとう。嬉しい。すごく、すごく。
あんたがいてくれて、よかった。
ぬれねずみになったおれ達は、そのまましばらく動かなかった。
お互いの体温に包まれたまま、おれ達は幸せな一塊になっていた。
*そして、数ヵ月後。*
「リンゴ、こないだはごめんね。心配かけて」
「いいんだよ、ジョー。でもあんまりドラッグに嵌るなよ」
「うん。大丈夫。あんな風にはもうならないよ」
「そうか?」
「だって、おれにはグルがいるんだもの!」
「…へ?」
(ジョージからパンフが渡される。そこには「一週間であなたも悟りが開ける! インドの超人マハリシ・マヘシ・ヨギの集中瞑想講座!」とカラフルでポップな
字体で書かれている。真ん中には可愛くデフォルメされたマハリシのイラストが(爆))
「グルは凄いんだよ、リンゴ! 意識を宇宙まで持っていけるし人生の全ての答えを理解してるし、空を飛んでヒマラヤ山脈を越える事だって出来るんだ!!!」
「…………」
「今度ロンドンで講演をやるから、皆で行こうね! もう申し込んだから」
「……なに?」
「あ、ジョン達にも教えてこなくちゃ。じゃあ、また後でねリンゴ!」
「おいちょっと、ジョー!?」
「聴講料は自分で払ってねー」
「なんだと? …て、なんだこりゃエライ高っ!! ジョージ、待てコラ!!!!」
(遠くの方で「あ、ジョン! 今度さ、マハリシの講演聞きに行かない?」と勧誘している)
「おまえまったく分ってないだろ!? ジョージ!? ジョ―――――ジ――――っ!!!!????」
861Hedge-hog presents 「a silly adventure of naughty-little-bird」
*THE END*
最終更新:2009年06月11日 02:34