alone 4 hedge-hogs 2
chap. 2 :「Yer Blues」
廊下を走るように抜け、狭いベッドルームに逃げ込むと、わざと大きな音を立ててドアを閉め、ジョンはそのままずるずるとドアを背に
座り込んだ。ドラッグと酒の酩酊感は吹き飛び、変わりに心臓の鼓動が耳に大きく響く。
眼の奥に、今しがたのポールの姿が浮かぶ。大きな眼を哀しげに見開き、信頼していた者からの非道な言葉に声もなく立ちすくむ、か細い影。
「…クソッ!」
頭を抱えて、ジョンは誰ともなく毒づいた。心の一方で、自分が今やっていることのバカさ加減を嘲笑っているのに、もう一方では「もっとやれ」と
けしかけている。そのバランスがめちゃめちゃになっているのを、ジョンは分かっていた。しかし、自己逃避するのが精一杯で、そこに向き合い解決しようと
するには、彼の心は幼かった。
どうして、あんなことを言ってしまったのだろう。
ジョンは、ポールに言ってしまった暴言を思い出し、その残忍さに背筋を凍らせた。
『暴君だと? 専制君主だと!? それはお前のことじゃないか、ジョンレノン! お前は…ポールが、昔みたいにオレを頼らないのがむかついているんだ。
そんで、今みたいにされたら拗ねて酷い言葉を浴びせて…。オレは、一体どうしたいんだ!? ポールに…どうして欲しいんだ!?』
ぎくり、と心がきしんだ。
『話を聞いて欲しいなら…』
ジョンの顔から、血の気が引いていく。先ほどの、恐ろしい命令…。
そうなのか。そうだったのか。
ここにきて、心労ですっかりやつれたポール。髭の奥からでも頬がこけたのが分かり、目には生気がなくなっている。会社を始めてから、ぐっと老け込んだ
ように感じるのもポールだった。
ジョンは、そんなポールを笑った。自業自得だ、と。やりたくてやった会社で、苦労したんだから本望だろうさ、と。しかし、さっき 久しぶりに間近で見つめ
られると、ジョンの心は大きく揺れた。
「…ちっきしょう…」
泣きだすことを、ジョンは止められなかった。心の底に埋めていた想いが、一気に湧き上がる。若い頃の感情。隣で笑う青年への気持ち。確かに、忘れたと思ったのに。
長い時間をかけて、消し去ったつもりだったのに。
あんなに弱弱しく、見る影もないポールが、自分の無体な言葉に従おうと顔を寄せてきた時。
普通の人間にしたら殴られてもおかしくない命令をきこうとしたポールに。
ジョン自身の本心が、見えたのだ。
「…ポー…ル」
どうしてだろう。ジョンは悔しく思った。
こんなに時間は流れていったのに、どうして変わらないのだろう。
今、確かに憎くて、たまらない。そんな相棒への、長い間誤魔化してきた恋慕の想い。
手を伸ばせばそこにあるのに、どうしても届かなかった、ただ一人。
自分の腕の中に顔を埋めて、ジョンは静かに泣いた。激しい心を表すには静か過ぎるほどに、声もなく。
どうして、こんなに心が離れてしまったのだろう。
想う気持ちは、変わらないのに。とうとう変わらなかったのに。こんなことなら、いっそ出会った頃にも、強引に体をつなげてしまえばよかったのか。
なにも知らない頃に、ワケも分からないまま、彼を自分のものにしてしまえば、今、こんなにつらくはならなかったのかも。
いいや、そんな機会は過ごしてきた時間の中に、いくらでもあった。ポールが暗に誘ってきた時だってあった。しかし、その総てをはぐらかしてきたのは当の
ジョンだった。そんな空気になりそうになれば、わざと笑ってふざけて、逃げ出した。
その反面、ピアノに向かって作曲に熱中している彼に、何度手を伸ばしかけたろう。
その優しい口元に、ちょっとしわの寄った目尻に、キスを求めてきただろう。
しかし、幾度なく届きそうだったその手を、彼は届く前に力なく降ろしていた。
その理由も、たった今分かった。哀しげな彼の顔を見て。
嫌われたくなかった。自分の欲望を晒した時、ポールが自分から離れていくかもしれない、嫌悪されるかもしれない。そう思うと、ジョンは死んでしまいたく
なるような絶望感と恐怖を感じた。ポールが自分から去っていくのを、ジョンは耐えられなかったのだ。
「なにやってんだ」
苦しい息のなか、ジョンは自分を蔑んだ。
終焉は、目の前に迫っている。どうすることもできない。いいや、終焉を早めているのは確実に自分だといっていい。
それならばいっそ、早く終わればいい、と思った。
そうすれば、彼がオレから離れていくのも、当然と思えるはずだ。
オレには、ヨーコがいる。ヨーコがいてくれる!! だから、大丈夫だ。大丈夫のはずなんだ!!
このままだと、自分の心がバラバラになってしまうとジョンは焦りを感じた。恋慕と嫌悪の狭間で引き裂かれてしまう前に、ポールから、ビートルズから
離れなければならないと分かっていた。
なのに、その時を思うと、胸が張り裂けそうになるのは、どうしてだろう。
ジョンは戸棚へ走った。薬に頼ろうとした。しかし薬はどこにもなく、タバコの一本も手元にはなかった。
「ああ…」
その場にへたりこんで、ジョンはうめいた。逃げようのない自分の心にさいなまれて、立っていられなかった。
混乱の中、泣きながら彼は名前を呼んだ。最愛のこいびとの名前を。
「…助けて。側にいて。…そばにいてくれよお…!」
暗い部屋の中、彼はただ一人だった。
最終更新:2009年04月24日 13:43