Here,there and Everywhere
今日は、いい天気。
ドアのベルが鳴って、少し寝ぼけた目をしばたたかせて、ふらりと玄関ドアのスコープを覗く。
おや? 誰もいない? いいや。分かってる。いないわけじゃない。このドアの向こうには、100%の確立であの男が隠れてる。
わざと勢い良くドアを開けると「うわっ!」と声が上がった。そして、どさっと尻餅ついた音。
「…おやつはないし、今はハロウィンでもないぞ」
笑いながら、リンゴがドアの向こうに声をかける。
「お前、そーゆーことすんなっつってんだろ!!」
パンパンに膨らんだバッグを抱えたジョンが、鼻をさすりながら怒鳴りつけてきた。
だけどリンゴは涼しい顔で、「だったら下らない小細工しないでおとなしくドアの前に立ってなさいな」、と下町のおばちゃんの口調を作って言いつける。
「林檎の樹に登っていい?」 悪がきの口調でそう答えて、ジョンは笑った。例の、ふざけきったBigLaughFaceだった。
リンゴの家は、ジョンの家から1キロも離れていなかったので、数少ない休みの日など、ぶらりとジョンが訪れることが多かった。しかし、今日のリンゴの家は、
モーリンや子供達は学校の休みを利用してブライトンに遊びに行って3日は帰ってこないし、家政婦の休みの日でもあったので、家には本当に彼しかいなかった。なにも
出ないぞ、リンゴが注意すると「お化けくらいはでないのか?」とつまらないジョークが返ってきた。お世辞で笑うとジョンは「自分でもってきたからいいさ。でも意地悪で
ジョークを解さないリンゴじいさんにはやらねえよ」と答えた。
書斎と呼ばれているリンゴの遊び部屋は、何時ものように暖かな日の光にあふれていた。
イギリスの晩秋の午後の、一番退屈で一番幸せな時間帯だ。
「さてジョンさん、今日はなにをして遊ぶのかね?」
「こないだの演奏旅行のお土産整理しにきた。お前もやってねえだろ? つきあえよ」
「オレはもう、家族や親類に分けちまったよ。自分のは大して残ってないんだ」
「いいじゃんか、ほら、アレ…。変な仮面みたいなの買ったじゃん、骨董屋で。アレ見せろよ。な?」
ジョンは日なたぼっこが好きで、自宅でもよくベランダに面して置かれたソファを独占して寝入っていた。人の家とは思えない馴染み具合で、ずかずかと部屋に入り
何時もの場所で寝転がってクッションを頭の下に固めながら、なあなあよう、とジョンはリンゴの服の袖をひっぱって猫撫で声をだす。真っ赤なドレスシャツのすそが
しわくちゃになって、リンゴは苦笑いを浮かべた。
「じゃあ、そこの棚の中にスーツケースが一つ突っ込んであるから、出しといてくれよ」
と言いつけて、階下のキッチンへ行こうと部屋を出る。乱暴に棚を開ける音が後ろから聞こえてきた。
がちゃがちゃとキッチンを探り、ティーバッグとレモンを取り出してなんとかレモンティーを作る。そしてビスケットを箱のままお盆に乗せると、リンゴはえっちらおっちら
二階に戻った。
部屋の中では、ジョンはスーツケースの上に頭を乗せて横になっていた。
「…ジョン?」
そっと彼の側に座り、小さく声をかける。ジョンは深く目を閉じて眠っているようだった。少し陽射しが強いのか、色の白いジョンの頬が薄く色づき、軽く汗をかいている。
リンゴは、なんだか久しぶりにジョンに会ったような気がした。いや、普段も顔を合わせているのだが、慌ただしい時間の中では1時間も10分のように感じてしまう。そして、彼らの何時もはそんな感じで過ぎ去っていく。
『どこへいくんだろう』 ふとリンゴは、今回の演奏旅行で、空港からの車の中でジョージが呟いた言葉を思い出した。
俺達どこいくんだろうな。ホテルかな? 記者会見かな? 疲れたなあ。もう疲れたよ。
そう言って、ジョージは悲しげな視線をリンゴに向けた。リンゴは、彼の隣で、肩を落としてうなだれるジョージの頭を撫でた。そして、自分の肩に誘導する。そのままぐったりともたれかかるジョージに、ジョンもポールも何も言わなかった。
しかし、その無言はジョージの言葉に同意しているようだった。
あの日は雨だった。寒かったなあとリンゴは思い起こしながら、まだポットの中で温みを保つ紅茶をカップに注いだ。ほろ苦い紅茶と爽やかなレモンの香りが同時にマグを満たす。ここにいると総てのことが、ウソか冗談のように思えてしまう。きっと核爆弾が落ちてきても、ぼんやりと幸せなまま死んでいけるだろう。
ジョンに視線を戻す。今日はまだトリップしていない。リンゴは小さく笑った。ほらジョン、大丈夫じゃないか。薬なんかなくたって、お前はこうして眠れるじゃないか。
ここにこうしていられるじゃないか。ジョンの鼻がピクリと動き、軽く鼾をかき始める。呑気なもんだ。今の時間なら世間の人は働いてるぜ? そりゃあ俺達も働いてるさ。
でも…世間の人は、俺達を働いているって思ってくれてるかな? ちゃらちゃら歌って、ちやほやされていい気になってて、世界中に旅行して酒池肉林の毎日を送ってると思われてるンだろうな。
どう思われたっていいさ。リンゴはそう思いながら、タバコに火をつけた。どう思われたっていいさ。でも知らないだろう? 俺達は世界の頂点に立って、そして山の高さに目を回している。進む道はいつの間にか歪み、スポットライトは眩しすぎて足先すら見えない。分かるかい? 聞いたこともないだろう、哀しげなジョーの言葉。タバコの煙のように、消えていくことを誰も気にもかけない呟きを洩らすしかない、そんな…孤独を。
車の中での気持ちが思い起こされる。そうだなジョー、疲れたな。オレもだよ。このままどっか逃げちまうか。お前はギターを抱えて、オレはボンゴを片手にして、ふらふら世界を流そうか?
ここで、こんな空虚な気持ちを抱えたままでいるくらいなら。
そんなバカなことが口をつきそうになって、リンゴはため息をついた。後でジョンに話すと「そりゃいいや、そしたらおれをマネージャーにしてくれよ。そんでお前らをこき使って、おれ一人でのうのうと過ごすのさ。鞭なんかふってさ」と言って笑った。そんな彼の物言いに、リンゴも笑って言い返した。バカいえ、お前はオレ達の演奏でヘタな踊りを踊るんだ。ポールは女装して、憐れなジプシーよろしくか弱く歌って、同情を引いて通行人から金を搾るのさ。今やってることと、どう違う?
確かにナ、違わねえやとジョンが答えた。さっきと打って変わった、何故か傷に塩をされたような顔つきだった。
リンゴはたまらなくなって、少ししか吸っていないタバコを灰皿に押し付ける。そしてグッスリと眠り込むジョンに、心で語りかけた。
なあ、ジョン。深く考えるなよ。オレ達がやっていることは、たかがそんなことだ。餓鬼の頃に描いた、泡のような夢がたまたま現実になった。儚いさ、あやふやさ。
だって、泡から生まれたものだろ? それに、毎日がヒステリックに過ぎていって何もかもが、がっちゃがちゃだけど、たまにこんな日もあるだろうから。
嵐の日ばかりじゃないだろうから。
だから、ジョン。哀しむなよ。
笑いながら泣いてるなよ。
ちょっとだけ振り向いたら、オレやジョージ、そしてポールがいるじゃないか。
でも、お前が「声を聞いて」というのなら、お前も、聞かなきゃならないんだぜ?
悲鳴の中にまぎれてしまいそうな、ジョージの呟きを。
無言で頷いた、ポールの辛さを。
バカなことを言ってお前を傷つけてしまった、オレのあさはかさを。
ジョン、オレ達はお前から見たら、愚かでなにも分かってないように見えるだろうけど。
そんなものは見たくないと、餓鬼みたく布団かぶって震えてても。
それを見なけりゃ、オレ達の姿も見えないんだよ。
お前がその手に持っている金色のリボンも、「そんなものはない」といわれたら、それで終わりなんだ。
だから、ジョン。ちょっとだけ、振り向いてくれよ?
見飽きた顔ばかりだけど、悪くはないだろ?
そうさ、まったく悪いものじゃない。
子供の頃の夢のカリカチュアに目がくらみながら、手に入れたもの。それが、たったこれだけ。
ジョージの呟き。ポールの辛さ。俺のあさはかさ。そしてお前の閉ざされた心。
それと引き換えに手にしたのは…硬い絆と、スープのように溶けあった魂。
いつか別れることがあろうとも、手にしたことは記憶に残る。
痛みと共に蘇る、永遠の約束。
そのための苦痛と孤独なのならば、オレは甘んじて受けるさ。リンゴはそう思った。だってそれはきっと、悪いものじゃない。
そして、ジョンも早く、そう思えればいいと祈るように思った。向き合えればいいと願った。それは、オレ達と向き合うことに等しいことだから。
見失いそうなものを見逃さないための痛みなら。
きっと、悪いものじゃないのさ。
「…なに人の顔見て笑ってんだよ」
眩しそうに目を瞬かせ、ジョンがリンゴを見上げた。
「いや、よく寝てるなと思ってさ」
リンゴはそう言って、ジョンに向かって肩をすくめた。ふん、と鼻を鳴らしてむっくり起き上がると、ジョンは「うまそうだな」とリンゴのカップを取った。
「良く眠れたかい?」
リンゴの素直な問いかけに、「いんや、監視員に睨まれてて気が休まらないったら」とジョンは憎まれ口を叩く。
「そりゃあ、お前がそう思ってるからさ。オレからみたら、気持ち良さそうに寝てたぜ。軽く鼾かいてさ」
「冗談いうな」
「本当さ」
ジョンのマグに紅茶をそそいで、リンゴは一口飲んだ。苦味と酸味が口を潤す。
「ぐっすりと、気持ち良さそうに眠ってた。でっかいネコみたいにまるまってね」
リンゴの目は、冬の空のように青い。しかし、そこに宿る光は暖かい。
その目に映る自分の姿を見て、ジョンは何も言えなくなった。
暖かな光りに包まれているのに、途方にくれたような顔をしている自分。
『睨まれてて気が休まらない』
『それはお前がそう思ってるからさ』
なんだろう、なにかが分かりかけている。リンゴの言葉の中にある、大切ななにか。
リンゴの目に宿る光りが映し出しているもの。
それはいったいなんだろう。でもきっと…それが分かれば、おれはきっと、なにもこわくなくなるとジョンは思った。
何故か、そんな風に確信した。
理由もなく、根拠もなく
闇雲な理解。不思議な謎への奇妙な信頼感。
そうさ、それはけっして悪いものじゃない。
この謎が解けたら、おれはなにもこわくない。そう勘違いしたっていいだろう?
それはけっして悪いものじゃない。
悪いものじゃ、ないのさ。
でも、今はもう少し安らいでいたいな。ジョンは先ほど感じた好奇心から一点、いきなりゴロリとリンゴの膝に頭を置いて、大きなあくびを一つした。
もうちょっと、休みたいな。
せっかくの休日だから。
日は暖かく、友人の膝は温かい。
その目に映るのは、間抜けに呆けた自分の姿。なんにも分かってないことが分かった、怠け者の阿呆の姿。
悪くない。
ふいに泣きたくなって、ジョンはちょっとあわててマグに口を付けた。
「…ちっとばかり、酸っぱくねえかコレ」
「いいや、ちょうどいい酸味だね」
「自画自賛だな」
「悪くないだろ?」
ジョンの目が丸くなった。リンゴが「なんだ?」と問いかけた。
しかし、ジョンは結局なにも言わないで、ますますリンゴの膝に甘えつく。
「なあリンゴ、頭撫でてくれよ」
「やだね」
「なんでだよ、よくジョーの頭は撫でるくせに」
「あいつはかわいいからな。お前は憎まれ口ばっかりでかわいくない」
「なんだよ、贔屓しやがって。お前らできてんの? やんらしー」
「ああそうさ、オレはモーと離婚してジョージとアメリカで結婚すんの。こないだ週刊誌にそう書いてあったぜ。よくもバレたもんだ」
「なんだそりゃ、趣味わりい!」
ゲタゲタとジョンが笑った。リンゴも笑う。優しい柔らかな笑みだった。
ふとジョンが笑いを止めた。そしてじっとリンゴを見つめた。言葉を惜しむように。
何かを解こうとしているように。
リンゴが微笑んで、そんなジョンに視線を返していた。
あきらめの表情を浮かべて、ジョンはリンゴの膝に顔をうずめた。
「…リンゴ」
「なんだ?」
「………」
何か言いたげで、でも何も言えず、顔を伏せたまま、ジョンはおずおずとリンゴの手を掴んできた。
そして「なんでもねえ」と呟くと、もう一度膝に顔を擦り付けた。
リンゴは、そんなジョンの、日を受けて金に光る髪に、そっと手を置いた。
ぴくっと一瞬ジョンが震えた。しかし、すぐに体から力が抜ける。主人の膝で安心しきった、ネコのように。
リンゴは聞き取れない声で何かを呟いて、窓から空を見上げた。
暖かな日を含む空は、彼の目と同じ色に変っていた。
861Hedge-hog's
「Here,there and Everywhere」
*the end*
最終更新:2009年11月27日 02:55