Too Much Monkey Business
それは、彼らがアメリカ進出直前の頃合だと思っていい。
その日の夜の、ラジオ収録とコンサートのリハーサルのため、彼らは朝からスタジオに篭っていた。そして、つい前日の酒とリハの疲労から、ジョンレノンがいねむりして
しまったことが全ての始まりだった。
「寝てるね」
ジョージが呟く。
「寝てるな」
ポールが答える。
リンゴが、ちょうど買ったばかりの小型カメラを取り出して、その寝顔にシャッターを切った。フィルムも新しいので、たっぷりと取りためることができる。
ポールがリンゴからカメラを借りて、いたずらっ子の顔をすると、ジョンの顔をすごいあおりの角度で撮る。現像したら彼の鼻の穴がぐっと強調された写真になるだろう。
ジョージが、なんとなく自分のスーツのポケットに手を入れると、何かの手ごたえがあった。取り出してみると化粧品店の小袋が出てきた。
「なんだそれ?」
あけてみると、それは眉を書くための鉛筆だった。
それを受け取ったポールが、他の二人に厳かな口調で言った。
「諸君、これは神が我々に下さった、最高のチャンスだと思わないか? ここに眉用の鉛筆があり、眠っているジョンレノンがいる!」
「つまり?」
「…あ、その前に、なんでジョージこんなもん持ってたの?」
「ロンドンに行くっつったら、姉ちゃんに「買って来い」って頼まれたんだよ」
「そんなことはいいから。つまり? ポール」
ああ、つまりとポールは言葉を続けた。
「これは、我々がジョンレノンという素材を使い、芸術活動を起こせというのではないかと」
まあ、つまりだとポールは、ジョンの頬を軽く叩いて、起きないことを確認すると、その頬に鉛筆を使って大きな傷跡を書き込んだ。
「…あんまり面白くないね」
しみじみとそれを見て、ジョージが品評する。
リンゴが鉛筆を引き受けて、ジョンのまぶたに目玉を書き入れ、しかもそのまぶたをくっきり縁取りすると、その作品は大きく飛躍した。
彼らの目の前に、「よだれをたらして、虚空に目をひん剥いている、頬に傷を持つ男」が出現した。
彼らは、思わず自分の中のエッモーショナルな部分を刺激されて、「ぶっ!!!」と噴出しそうになった。
しかしそれは、作品の素材を起こしてせっかくの芸術を台無しにしかねないし、なにより彼ら自身の身を危うくさせてしまう。お互い頷きあいながら、ペンを争うように
奪い取りつつ、この作品を仕上げようと熱をこめた。それは決して(そう、決して)リハーサルに飽きたところで新しい遊びに手を出した、というワケではないのだ。
あくまで、ジョンレノンという素材を生かした芸術活動であったことを、改めて、改めたい。
素材に数々の手がくわえられていく。リンゴがその様子を逐一カメラに収めていく。「作品ジョンレノン」が出来上がっていく様を記録に収める、にわかドキュメンタリー
作家の誕生である。この作品は、芸術品の他に偉大なフォトグラファー誕生にも一役買ったのである。
かくて、「作品ジョンレノン」には、「傷」と「目玉」「縁取り」の他に、「ミックジャガーも顔負けの分厚い唇」と「SMの女王様専用の羽眼鏡」、「よく言えばダリ、
悪く言えばヨーロッパ人がもつイメージの東洋の人」のような髭、レーニンも真っ青の「眉毛」、お約束の、額に「meat」の字、「横っ鼻のふくらみを強調したライン」と
「鼻の穴をもう一回り広く見せる塗り」などがほどこされ、その度彼らは、作品の底の深さと、己の仕事への確たる手ごたえに、肩を震わせ額を寄せ合い、口を塞いで静かに、
喜びを共有した。作品への喜びを共有しているだけであって、決して「どんなにイタズラ書きされても起きやしないうっかりさんに、笑いをこらえている」わけではないことを
改めておきたい。
頬にぐるぐる巻きを書いた時点で、作品は完成されたようなものだった。つまりは、もう書くところがなくなったのだが。彼らは笑いを堪える、いやさ、作品の完成を喜ぶ
恍惚の中にいた。しかし、満足のいく作品が出来上がると、誰かに見せたくなるのは当然の欲求で、しかし彼らはそれを、リンゴの写真の現像を待たねばならないと思っていた。
そこに、ちょうどいい人物が登場した。ジョージマーティンである。リハーサルの様子を見に来た彼に、3人は口元に人差し指を立てて手招きした。なんだとマーティンが
覗き込むと、そこには「ジョンレノン芸術祭」が開かれていたので、やはり大きな音を立てて噴出しそうになった。その作品は言葉で書くと
「ジョンレノンの姿をした、顔に傷があって女王様の眼鏡をかけて目をひん剥いている、ほっぺたぐるぐるの分厚いおちょぼ口をして額に「Meat」と高らかに掲げた、
横っ鼻を膨らませ鼻の穴を開かせて横になっている男」となる。
マーティンは一瞬気が遠くなったが、由緒正しき英国紳士でもあったので、すぐさま動揺から抜けた。そして英国紳士とはジョークを解し、女装や(笑えない
ような)悪ふざけなどを一種のたしなみと考える不可解な人種でもあるので、すぐさまこの「芸術祭」への参加を表明した。
しかしすでに作品には書き加える余裕はない。すると彼はジョンの顔以外へのアプローチを開始した。
つまり、ネクタイをとって額に巻いて、スラックスのチャックを開けて中からシャツのすそをひらめかせた。
3人は、そのコロンブス的な発想に、膝かっくんになるほど笑い、いや、感銘した。すばらしい。まったくすばらしい。ここまでやってまだ起きないジョンも素晴らしい。
もちろんリンゴの、記録者としての目がこれを無視するはずがない。彼は撮った。大いに撮った。「かわいそうだからもうやめてやれ」と言いたくなる位に撮り
まくった。マーティンの素晴らしい発想を期に、芸術は顔だけではなく全体像へとスケールを移し、いろいろなポージングを試された末に、日本で言うなら「シェー」の格好で
落ち着いた。東西の区別無く、可笑しな格好、いや芸術は普遍であることを図らずも証明した瞬間だった。もちろんリンゴは撮った。もはやそこにいる表現者達は、己達の
挑戦の証としてのレノンに、大爆笑いや大感服の念を禁じえなかった。作品に目を落とすたび、互いの口を塞いで喜びを押さえ込んだ。肩をつねって、芸術への恍惚から我に
返った。それこそ作品が、腹を掻きつつむにゃむにゃしながら「うーん、もう食べられないよ」なんて言った時には、そこを中心にスーパーノヴァが起きそうになるほどの爆笑、
いや、歓喜が起こった。しかし、彼らは必死の必死で、それを堪えた。誰だって悪ふざけ、いや、芸術ふぜいで殺されたくないと思っていたからだ。
そこへブライアンエプスタインが立ち寄ったことも、作品への大きな貢献となった。まず彼はマーティンと同じように呼ばれ、作品を見たとたん表情を変えて口を押さえ、
息をすることを忘れてしゃがみこんだ。なんとか笑い、いや感銘を抑えることに成功した彼は、作品への参加を要請されると、ちょっと考えてから手元の紙袋を探った。
そして、シンシアへのちょっとした贈り物である、赤ちゃん用のガラガラとおしゃぶり、可愛いフリルがお揃いの涎掛けとボンネットを取り出した。
彼らはそれを見ただけでひっくり返りそうになった。完璧だ! ブライアン、あんたサイコーだよ! 皮肉にも表現者としてのブライアンが、グループやプロデューサーに
受け入れられた瞬間だった。
ポールがそーっと、作品にボンネットを被せて涎掛けを襟元に縛り、ガラガラを作品の顔の横に置いて口におしゃぶりを咥えさせる。そこに現れたのは
「よだれをたらして、(略)、おしゃぶりを咥えて無邪気に寝入る男」 だった。
もうどうにもならなかった。「笑うな」といわれると、どんなちゃちなことでも可笑しくなるのが人情なのに、こんなものを前にして黙ってなくてはならないとは!
彼らは作品製作者の記念として、作品と共に写真に納まった。ポールはジョンにガラガラを振ってすっげえいい笑顔を向けた様子を、ジョージは赤ちゃんのボンネットを
被ってニヒルな笑みを浮かべた顔を、マーティンはおしゃぶりを咥えエピーは涎掛けをかけてガラガラをふる姿を、作品と共に写真に納まった。リンゴはというと、マルを
呼んできて自分も記念写真に納まり(マルはその大きな身体を二つに折ったまま、十分間は動けなかった)、最後には全員がジョンを中心に頭を集めて横になった姿を、
上から取ってもらった。素晴らしい、まったく素晴らしい時間だった。
マルが真っ赤な顔のままリンゴにカメラを返し、よたよたとドアを出て行った時、「作品ジョンレノン」が、大きなあくびをしてむっくりと起き上がった。全員ひやりとしたが、ジョンが
極度の近視であることが幸いし、彼は自分の身に何があったのか、まったく気付いていなかった。頭をぼりぼりと掻きながら間抜けなあくびを繰り返し、「おはよう」と、そこにいる全員に声をかける。
しかし、皆なぜか、彼から背を向けて返事をしない。心なしかその姿が震えているようだが、ジョンは意に介さない。
「なんだよ、人が挨拶してるってのに」
ここで挨拶を返さないと怪しまれる。ポールが決死の覚悟で振り返り、ジョンから巧みに視線を逸らしつつ「おはようございます」と返事をした。しかし、気を許したら
爆笑しかねないので、口元と声帯をこわばらせた結果「オハヨウゴザイマス」と、可笑しな鸚鵡のような声音なってしまった。ジョンはちょっとだけ頭に「?」マークを浮か
べたが、眠気覚ましが必要だとタバコを取り出そうとした。
だが残念ながら手元になかったので、そこにいる全員に近づいて「タバコあるか?」とねだった。
しかし自分がそうするたびに、言われた方は口を塞ぎ顔を逸らして、首を必死に振るのみだった。エピーに至っては、壁に向かってしゃがみこみ、ピクリとも動けなくなり
リンゴにその背中をさすってもらっていた。ここまできたら、なにかが可笑しいと気付いてもいいのだが、人はそれが自分ではなく他人なのだと思いがちになる。ジョンも
それに習い、周りを「ヘンな奴ら」といぶかしみつつ、小銭をつかんでスタジオを出て行った。タバコを買いに外へでたのだ。それこそ、笑いの発作を堪え切っている状態で
全員が硬直していたから、止めることも出来なかった。
「出てっちゃったよ」
目元に涙を浮かべたポールが、まだ興奮冷めやらない顔で告げる。
「まずくね?」
ぐったりした顔でジョージが、誰とも無しに問いかける。
「大丈夫だよ」
と、目尻にくっきりと笑い皺がついたリンゴが言う。
「ここから出たら大きな窓がある建物が続くから。いくらジョンだって…」
そこまで言って、リンゴがハッとした。もちろん全員がそれに気付かぬほど、抜けてはいない。あわててスタジオの入口から顔を出すと、30メートル程先からえらい勢いで
駆け込んでくる人物が見えた。
「あんなとこまで行ってたのか」
「そこまでよく気付かないよな」
「いっそ、ご立派だといえるね」
まるで他人事のように彼らは「作品」を語り合った。その目の前に怒鳴り声が迫る。
「てめえらああああああああああああ!!!!!!!!!」
「うわ、やっべえ!!」
つい作品品評に夢中になっていた彼らに、その作品が怒り心頭の姿で飛び込んできた。しかし、全員ちゃんと逃げる算段ははじき出している。後は、タイミングだ。
「あ、ジョン」
ポールが、そのタイミングを作り出す。
「あれなんだ?」
後ろに向かって、彼は指差した。ガキじゃあるまいしそんな手にのる人間がいるか、と言われたら「ここにいる」としかいえない。ジョンはまんまと「え?」と後ろを振り
返った。それを合図に「それっ!」と全員、蜘蛛の子を散らすようにバラバラに走り出す(そこらへんニブいエピーは、マーティンが受け持った)。
「しまった!」
何度もひっかかってるにもかかわらず、またやられたレノンは、「作品」姿のまま地団駄を踏んだ。そこにメモ書きがひらりと落ちる。みると「イタズラ書きは石鹸で
落ちるとジョージが言ってたよ」とポールの字が躍っていた。
「あいつら、見てろよ!!!!!!」
今夜のラジオ収録に全てを賭ける意気込みのレノンだった。
「どうする、今夜」
「マズイよなあ、殺されるぞ」
某所でひそひそ声が、不安げな相談をしている。
しかし、一人の声が自信たっぷりに「大丈夫、まかせとけ」と答えた。
他の声達が、「おおお?」と返した。
さて、夜だ。
ラジオ局のスタジオ入口に、例のメンバーが雁首をそろえている。
ブライアンとマーティンもいるのは、「共同制作者」としての責任感からだった。全員が不安げだった。ジョンに半殺しどころか全殺しになる覚悟で、その場にいた。
しかし、たったひとりだけ、余裕の表情でそこにいた。彼らは、それに賭けたのだった。
「きたぞ!!」
ジョージの声に、一斉に視線が廊下に移る。
ジョンが「般若」の形相でズンズンと廊下を進んでくる。洗っても落ちなかったのか、まだうっすらと「芸術祭」の後が残っているようだった。
「そこを動くなよ!!!!」
地の底から響くような声だった。一人を除いた全員がぎくりと身体を強張らせる。そして、その小さな人影の後ろに隠れた。
リンゴだった。緊迫の空気の中、彼だけは鼻歌まじりでジョンの前に進み出ると、にっこり笑って、彼に手を振った。
『!?』
ジョンまでも、度肝を抜くような態度だった。そして、その理由はジョンが近づくたびに明らかになった。
リンゴはジョンの姿がはっきりすると、首からかけてるストラップを引っ張って、スーツの中からとあるものを取り出した。
それは、例の「記録」を収めた小型カメラだった。
一瞬ジョンは「?」となったが、リンゴが笑顔のままそれを指差し、続いてジョンを指差し、そしてハンドサインで「OK」と出した時、ジョンはそれがなんであるか悟った。
なんたることか! ジョンは「自分の恥ずかしい写真」をヤクザに撮られた生娘よろしく、やんわりと脅迫されているのだ。
一歩あるくたび、ジョンの顔色が変わっていく。真っ赤から、真っ青に。顔も憤怒から驚愕へ変わっていく。
そして、リンゴの前に立った時には、口あんぐり状態に陥っていた。
酸欠の金魚のように口をパクパクさせるジョンをフィルムの最後の一枚に収めると、リンゴは改めて、にっこり笑った。
しばし、ジョンはそんなリンゴになにか言おうとしたようだが、結局
「…まいりました」と、がっくり肩を落とした。
リンゴの後ろで、全員が腕を上げ声を上げた。
その日のラジオ収録は、ジョン以外はとても生き生きとした演奏をして見せた。
ジョンが、悔し紛れのシャウトをマイクに叩きつけた。
「くっだらねえ仕事だぜ! つっまらねえオシゴトだ! そんな仕事にまた逆戻り!!」
PS.
「旦那、俺んとこじゃ色んな恥ずかしい写真を現像するけど、こんなつまらねえ写真をたのんだ人は、アンタが初めてだよ」
「そうかい? 初めてなの?」
「そうさ。なんだかイイ歳の男が、顔に落書きされて可笑しなカッコさせられてる写真なんてアホらしくて、複製を手元に置いとく気にもならないね」
「それはよかった。じゃ、ちょっとだけ多めに支払うよ」
「ああ? そりゃありがたいね。こんなつまらん仕事させられちゃ。はい、毎度あり」
その写真屋の男は数ヶ月後、激しく後悔することになる。
861Hedge-hog's
「Too Much Monkey Business」
*どっとはらい*
最終更新:2009年06月28日 03:07