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Hold Me Tight - 2/2



「Hey」
宿泊先のホテルのロビーで、ポールは先ほどの共演女優くずれに声をかけた。
彼女はポールの姿を見て飛び上がり、急いでその場を去ろうとした。
ポールは彼女の腕をつかみ、そのまま奥までひきずっていった。
壁に女を押しつけ、ポールは女の目を見た。女の目はおびえきっている。
「君、さっきジョンに何かしてたよね。あれは何なのか、僕にも教えて欲しいな」
ポールは優しく彼女に尋ねた。
女は必死に首を振る。ポールは彼女に微笑みかけながら、細い肩にかけた両手に力を入れた。
勿論相手はレディーなので、乱暴なことはしないさ。
「君のお国ではおかしなものが流行ってるらしいね。
でもね、大切な撮影中に、変な遊びをするのは止めて欲しいんだ。
君は国に帰ったら存分とその流行の遊びに興じればいい。
何もバハマにまで持ち込まなくてもいいだろう。
判るよね。僕らは君の国より田舎の出身なんだ。
田舎者には判らないことが多いのさ。
僕なんかは一番の田舎者でさ、未だレディーへの接し方を知らないからさ。だから注意して」
ポールはウインクした。女は完全にびびっていた。
「違う…」
「何が」
ポールは真顔で女の目を見た。
「あれはジョンに頼まれたのよ。バハマに入る前から云われてて、彼はずっともうあれをやっているのよ」
「嘘つけ。ジョンの身体には注射の痕なんかないぞ」
ポールは低い声で云った。
実際、彼の身体には注射の痕などなかったし、それを一番よく知っているのは他ならぬポールだった。
女は口ごもった。ポールは女に顔を近づけ、彼女の耳元に唇を寄せた。女な恐怖に失神寸前だ。
「もう一回云ってみて。いつからジョンがあれをやってるの?」
ポールは女の耳を噛んだ。女がびくっと反応する。
「し、知らない…。でも先月か、そのちょっと前くらいよ。
彼は云ってたわ、自分は写真やら映画やらの撮影があるから、
見える場所に痕をつけるわけにはいかないって。
だから彼はいつも信じられない場所に注射してた…」
「どこに?」ポールの心臓が高まった。
ジョンの身体に自分の知らない痕があるなんて信じられない。
女は震えていた。ポールは女の身体を強く壁に押し付けた。
「どこだ、云え!」
「****…」


翌朝、ポールはホテルのオープンカフェでひとりコーヒーを飲んでいた。
コーヒーはめったに飲まなかったが、今日はそんな気分だった。
テーブルに置かれた灰皿には吸い殻が山積みになっている。そしてポールはまた新しいタバコに火をつけた。
「お前は吸い殻で山でもつくる気か?」
リンゴだった。
彼はポールの向かいの席に座り、ロシアン・ティーを注文した。
「吸いすぎだぞ。喉を潰す気か」リンゴは呆れた。
「いいんだ。今までずっとこうだったもの。
それでも声は出てるんだから大丈夫なんだよ」
リンゴに対して、こんな口のきき方をしたのははじめてだった。
リンゴはティーカップに注いだイチゴジャムをスプーンでかきまわしていた。
「お前は面白いね、ポーリィ」
「何が」ポールはリンゴを睨んだ。
リンゴはふふっと笑った。「その顔さ」そしてロシアン・ティーを一口飲んだ。
「前はそんな顔しなかった。誰に対しても。今は平気でそういう顔をする」
ポールはタバコを吸った。
「誰の前でもこうしてるわけじゃないよ。
ステージでは顔が痛くなるくらい笑ってるはずだ。誰からも文句を云われたことないよ。
こんな顔って云うけど、ひとりの時はいつもこんな顔さ。珍しいことじゃない。
ずっとこういう顔してるんだ、飽き飽きするくらいにね」
「今は俺が目の前にいるのに、そのおひとり様用の顔をしてるじゃないか」
「……」
リンゴは口に手をあてて笑いを堪えた。
「だからガキだって云ってるんだよ。面白い子だね、ポーリィは」
その言葉にポールは顔を真っ赤にし、足を組み直し、顔を横に向けて煙を吐いた。
「まあいいさ。そういう時も必要さ」
リンゴは微笑みながら云った。
ポールは相変わらず真っ赤な顔をしていたが、その瞳には暗い影が射していた。
リンゴはゆっくりとタバコに火をつけた。
「リンジー」
「え?」
「俺の愛称さ」リンゴは云った。
「へぇ、リチャードに愛称があったんだ。
でもそれって”Ringo”の愛称だよね。知らなかったよ。
だって誰もそのニックで呼んでないもの。君のスペシャルネームなんだね。
素敵だと思うよ。家でもそう呼ばれてるの?」
好奇心の強いポールは身を乗り出してリンゴに訪ねた。
「まさかぁ、誰が家で”Ringo”なんて呼ぶかよ。家では“リッチ”か“リチ”だよ。
ポールの云う通り、これは俺のスペシャルネームさ。自分で考えたんだ。なかなかいい名前だろ」
「うん」ポールは素直に頷いた。「本当に素晴らしいよ」
「今まで誰にもこのニックで呼んだ奴はいないよ。シークレットネームだからね。」
「そうだね、凄くいい名前だもの。それはシークレットだよ」
ポールはにこにこと笑った。先ほどのふてくされた顔は消えていた。
「俺のこと、リンジーって呼びなよ」
リンゴが云った。ポールは驚いた。
「え? だって僕は君より年下だよ? 年下の僕がリチャードのことニックで呼ぶなんてできないよ」
「いいから」
「ダメだよ」
「いいんだよ」リンゴは云った。「ポーリィだけ特別にね」そしてウインクした。
ポールは目をまんまるにした。
「ああ、そういう意味じゃないよ!
心配するなよ。バンドのドラムとベースが秘密の名前で呼び合ってるなんて面白いじゃない。
それに、お前は本当によくやってるよ。だからこの名前をお前だけに教えた」
リンゴの言葉に、ポールは感動した。
「だから、あまりひとりで背負い込みすぎるな」
図星をつかれたポールは一瞬固まった。リンゴにはすべてがお見通しというわけだ。
「バンドは俺達次第さ。それを一番よく判っているのは、ポーリィ、お前のはずだ」
吸いかけのタバコをもみ消し、リンゴは軽く手をあげて去っていった。
ポールは宙に舞い上がらんばかりだった。
ジョンとポールのコーラスは特別だ。そしてフロントに立つふたりはいつだって万人の目を引く。誰もが彼らに注目した。
その非凡ソングライティングセンスについて、実はゴーストライターがいるのではとゴシップ記事を書かれたこともある。
ジョンとポールのコンビネーションプレイはバンドの重要な要素だった。
しかし、ポールにとって、音楽はそれだけでは成り立たなかった。
自分の弾くベースは彼自身にとっても特別で、ポールのもうひとつの重要な歌声だったからだ。
それを誰よりも判っているのは、バンドのドラマーであるリンゴだった。
確かに、彼らは実に特殊な関係にあった。
しかしそれは実に地味で、レノン=マッカートニー前面の話題の中にはなかなか出てこない。
リンゴはけして自分を主張する男ではなかったし、彼のドラムもまた同様だ。
しかし、彼のドラムはジョンとポールの最高のコーラスを引き出していること、
ジョージのギターソロをサポートしていること、何よりも自分のベースと二人三脚なことをポールが一番よく知っていた。
その彼から、愛称で呼ぶことを許された。
嬉しかった。ともすれば音楽がおざなりになりそうな環境にあって、彼の言葉がどれだけポールを救ったか。
ポールは誰にも聞こえないように囁いた。
「……リンジー」
恥ずかしい。もう一度。
「…リンジー」
素晴らしい響きだった。
頭の中に、メロディが浮かんだ。優しい、温かいメロディー。
ポールは立ち上がり、自分の部屋へ駆けていった。


ホテルの部屋の窓から、ジョンがオープンカフェを見降ろしていた。
その目は朦朧としている。そして白い錠剤を口に運んだ。
一粒、二粒…。そして、まるでキャンディのようにそれをかみ砕いた。
裸の女がジョンの後ろから腕をまわす。
ジョンは、カーテンをゆっくりと閉めた。


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最終更新:2009年04月29日 03:10