自称詞と相手に与える印象

鮮やかさやか、エレーナ、拓真

: 2009年7月21日提出

『序論』 
 私たち日本人は多くの人称詞を使い分け、生活している。さらに個人別で見てみると、使っている時期、内容、変化させる意味が異なっている。そこにはほとんどの人に共通に「相手に与える印象」を意識した使い方がある。例えば面接の場合では、男女共に「わたくし」「わたし」を使うことが、面接官に好印象を与えるのに適している、ということが一般的である。しかし、友人や家族など親しい仲である相手には「わたし」が砕けた言い方「あたし」や「うち」「おれ」「ぼく」などが使われ、実際に私たちの周りでもほとんどがそうである。とくに、親しい仲での人称詞は「一般的」には決まっておらず、その個人個人での判断によって変化をつけることができる。「相手と話し手との間の相対関係、たとえば上下、強弱、親疎、内外などの関係の如何によって、選ばれる人称詞が日本語では大きく変わってくる。」と三輪正(2000)も述べている。このように、日本の中では自称詞を変化させることが日常茶飯事だが、私たちはそれぞれある場面から、人称詞について興味を持った。三人それぞれのパターンをまず述べよう。
 1)茅野が所属する弓道部では先輩や目上の人に対して使う一人称が決まっている。男子は「自分」女子は「わたくし」を使う。個人的に私は「わたくし」を使うことには非常に抵抗があった。ほとんどの部員もはじめは同じように感じたようだ。しかし、使い慣れると部内では違和感がなくなった。また、後輩から「自分」「わたくし」を使われることに対して「部内で決まっている」ことや「自分が使っているから」という先入観から違和感を感じることはなかった。しかしこのことを部活外の人に話すととても驚かれる。茅野自身も、はじめから弓道部ではなく外部側の人間だとして客観的に考えると、違和感を感じるであろうと思った。そのため人称詞は、使う相手、状況、立場に大きく関係するのではないかと考えた。
 2)ロシア人であるエレーナは、一人称が一個のみのロシア語と違って、日本語に多数ある一人称はそれぞれ、話し手が相手にたいしてどう自分を見せるか、あるいはどんな姿勢態度をとるかを意味するから興味を持つようになった。その人称詞の使い分けは、外国人から見ると、大変難しいからだ。日本語の一人称には話し手と話し手との間の上下などの関係の意味合いが深くしみとおっているところもあるから一人称は自己卑下と自己主張が絡んでいるとエレーナは考えた。
 3)末吉はカナダに留学後、日本語と英語の自称詞の違いに疑問を感じた。英語の自称詞は「I」だけ、日本語では、「あたし」、「私」、「僕」などと多数あり、さらには省略することもできる。「I」だけの英語は、会話している相手の年齢、その場の状況に関係なく、会話で親密な関係が保てるように感じた。一方、日本語では、会話している相手の年齢、その場の状況を顧慮した上で、人称詞を使い分ける事が要求される。
このそれぞれの場面から、自称詞は相手に与える印象が人間関係と自己主張に大きく関わっているのではないだろうかと私たちは考えた。日本語特有の自称詞使い分けで、相手に与える印象がどのようなものなのかを考察していきたい。


『本論』

学生に対するアンケート

私たちは、学生に対してアンケートを取った。現在日本人の学生がどのような一人称を使用しまた使用した経験があるか、またどのような相手にどのような状況で使い分けているのか調査した。
質問は以下の通りである。

1)あなたの性別と年齢を教えてください。 
2)あなたが現在使っている一人称にはどのようなものがありますか? 複数あれば、すべてについて述べてください。また、誰を相手にするとき、どのような状況でそれらの一人称を使うのかについても書いてください。

3)あなたが現在使っている一人称以外で(設問2で答えたもの以外で)、あなたがこれまでに使ったことのある一人称にはどのようなものがありますか?複数あれば、すべてについて述べてください。また、何歳ごろに、誰を相手にするとき、どの様な状況でそれらの一人称を使ったのかについても書いてください。

選択支から該当するものを選ぶアンケートでは、全回答者と各設問での回答人数から割合、傾向を読み取れる。しかし、本アンケートは、記入式である。よって、記入例がおおくあったものを主だって傾向と特徴を述べる

1)男子33名、女子68名、年齢19歳から21歳まで、合計101人にアンケートを取った。

2)現在使っている一人称
  女性
わたし     62人
うち      34人 
あたし     30人
なまえ     22人
じぶん     13人
その他(わたくし、ぼく、あだな、おねえちゃん、おいら、おれ) 11人

  男性
おれ      30人
じぶん     23人
わたし     15人
ぼく      14人
わし       3人
うち       2人
その他(わたくし、それがし、よ、しょうせい、わえ、おれっち、あたい、わい、あちき、なまえ)  11人




3)使用経験のある一人称
  女性
なまえ     23人
うち      17人
なまえ+ちゃん 16人
ぼく      12人
じぶん     7人
あたし、わたし、5人
その他(ぼくちん、おら、あだ名、あたい、あたち、おいら) 8人

  男性
ぼく      12人
おれ       2人
自分の名前    2人
その他(じぶん、おら、みー、おいら、わい、あたい、わら) 7人


2)現在使っている一人称

わたし(77)
「わたし」を目上の人、または年上の人(52)に対して使う人が多く、家族以外の人、またはまだあまり親しくない人、バイト先を相手にするとき使うと答えた人もいた。授業で発表かレポートをするとき(13)か面接の時(3)も一般的に使われている。メールと手紙で「わたし」を使うのも普通だ。すべての人に対していつでも日常生活で「わたし」を使うと答えた人は少なかった(3)が、「わたし」が当たり前として無意識的に使われているのではないかと思う。

うち(36)
「うち」を友達に対して使う人はほとんどで(31)、家族で使う人も何人かいる(3)。普段の会話で使うと答えた人が結構いた(6)。普通にリラックスした、またはフランクな状況、プライベート・気の使わない時(7)、または「勢いが出るとき」、「うち」を使うと答えた人もいた。「わたし」か「あたし」を恥ずかしくていえないとき、「うち」を使う人もいる(2)。

あたし(30)
「あたし」を友達と使う人が多く(24)、年上の人に対して(5)使っている人もいた。逆に、普段の会話でほとんどの人に対して使うと答えた人が4人いた。まれに、「メールの時」(2)、「彼氏に対して」(1)使うという答えもあった。自分の名前を言うのは子供っぽく、「うち」は恥ずかしいから「あたし」を使うようになった人が何人かいる。
アは親愛を、ワは尊敬を意味したとの解説もあり、これは現代の「あたし」と「わたし」の違いにも通ずると三輪正(2000)が述べている。しかし「わたしって言っているつもりだけど、たまにあたしって言っている。別に、「わたし」と使い分けているわけではない」と答えた人がいた。

なまえ(22)
友達と自分をなまえで呼ぶ人が多い(15)。家族で、家の中で名前を使うことも普通(9)だ。「「わたし」と「あたし」と呼ぶのは、家の外での呼び方で、それを家族に知られるのが恥ずかしいから」名前を使うと書いた人がいた。あるいは、「小さい頃から家族の前では自分のことを自分の名前で言っていたから癖で、今さら、家族の前で「わたし」って言うのも恥ずかしい」と説明した人もいた。「じぶん」に自己主張の意味が含まれていると三輪正(2000)が書いたが、「自分のものを言いたい時」、名前を使うと答えた人が一人しかいなかった。

じぶん(36)
「じぶん」を友人に使う人(10)もいるし、部活で(23)、または授業で、あるいは先生と(8)使う人もいる。「先生の前では自分のことを話すときに使うきまりがある」と書いたひとがいた。自分の意見を言う時(5)やプレゼンテーション(3)もよく使われている(「自分的には~」)。会話の流れでたまに使うと答えた人もいた(2)。また、男性の意見で「おれだと失礼だと思うとき」というものがあった。つまり、「じぶん」は目上の人に対して不向きであるという認識を持った人もいるようである。

おれ
 友人やバイト仲間(20)、家族(6)などの身近な人(4)に使用する人がほとんどであった。また、目上以外(2)という意識的に立場を判断して使う人も見られた。だが、立場を気にせずにほとんどの人に対して使う、という意見も見られた。


3)使用経験のある一人称

なまえ
 「なまえ」を幼少期から小学校の高学年まで使用していたという学生が多く、親や親戚という家庭内などの身近な場所で使用していたという意見が多かった。また、現在でも使用している学生も数名いた。中には、家では「なまえ」を使用し、学校など友人に対しては「わたし」を使い分けていたという器用な学生もいた。しかし、「幼いので使用をやめた」という意見や友人に「ぶりっ子みたい」と言われたので一人称を変えたという意見もあり、「なまえ」から感じられる印象は個人によって違うように思われる。

うち
 「うち」を使用していた、あるいは使用している時期は幅広く、小学生のときや現在でも使用するという人がいた。その理由として「呼びやすい」など気軽に使いやすいといった理由で、「じぶんのなまえ」と同様、身近な人や友人などに対して使用する、という傾向があるようだ。

じぶんのなまえ+ちゃん
 「じぶんのなまえ」と同様に幼少期から小学校のときに友人や家族など気を許している相手に使用していたようである。おねだりするときや泣いたとき、現在では酔っ払ったときに使用するという意見もあったことから、「じぶんのなまえ+ちゃん」は甘えという印象を他者に与えようという意思が含まれていると考えられる。

ぼく

「ぼく」を使用していたのは、幼稚園から小学校高学年までが多く、友人、兄弟間での使用が目立った。男兄弟の環境にいた、男の子への憧れを持つ人、「わたし、あたし」があまりにも女の子っぽいため、女の子のイメージから反発したい子が「ぼく」という男の子を連想させる人称詞を選択した傾向も見られる。一方、「ぼく」の流行があり、流行に乗った例もある。アンケート結果を裏付けるように「男の子が女ことばを使うのは、ふざけ、楽しみからであるのに対して、女は男ことばを一心に使う、あえて男ことばを使う、として女の子のボクが相当強い意志の元に使われる」と遠藤織枝(2001)が述べている。

じぶん
 中学生や高校生のときに友人に対して使用していたり、特に部活関係の人に使っていたという意見が目立った。部活内で使用するということは、男女共通に見られる。


結論

 当初のアンケートの目的は、現在日本人の学生がどのような一人称を使用し、また使用した経験があるか、またどのような相手にどのような状況で使い分けているのかであった。アンケートの結果から以下の事がわかり、考察することにした。
 最初に、文献などで一般的に述べられている人称詞、その選択の理由をアンケート結果と比較し各時代の人称詞の変化を読み取る。例えば、「ウチ」という人称詞は、三輪正の「人称詞と敬語」(2000)では全くといっていいほど取り上げられていなかったが、同著者の「一人称二人称と対話」(2005)では、現によく使われている一人称の一つに含まれていた。アンケートでも女性の半数以上は現在使用している。二つの点から、「ウチ」という人称詞は地域に関係なく、若い人に多く使用されるという傾向が見えてきている。一方、エレーナの体験で、日本でお茶の稽古に参加した際に「ウチ」という一人称を使用したところ、60歳代の先生に「ウチは関西弁だからちゃんとワタシといいなさい」という指摘を受けたということがあった。このことから、人称詞「ウチ」は関西という枠組みを超えて、この数年間に、とくに若い世代に一般的なものとして受け入れられてきていることが分かる。
次に、環境の変化と自称詞選択の関係を考察する。「わたし」は男女ともに目上、年上の人に使用する例が多く見られた。環境が変わるとき、例えば、小学校から中学校への入学などをきっかけに様々な人称詞が「わたし」に統一されていく傾向があった。例えば、アンケートで「なまえ」と「なまえ+ちゃん」「おいら」は過去多く使用されていたが、現在使用している例が減少している。また、「ぼくちん」「あたち」「おら」も現在使用している人はほとんどいなくなった。このことから、一人称の変化は新しい環境に馴染むための手段であると考えられる。個人の成長過程で、公式な場において「わたし」を選択するなど、印象、相手との地位、場面を意識して自称詞選択をすることがみられる。
最後に、人称詞「じぶん」の元々の意味が時代によって変化していることを挙げる。
「かつての日本陸軍は地方ごとに変わる方言の一人称を統一する必要からジブンを兵の一人称に選びました。」と三輪正(2005)が述べているように戦時中、「じぶん」は地方から集められた兵士の方言による一人称のばらつきを無くし、「軍」という一組織の中で私的な部分を排除するための方法として用いられた。公の中での「じぶん」という人称詞は、遠慮をともなう自己卑下を表していた。しかし20世紀の終わり頃から「じぶん」は「性別にとらわれない一人の人間として主張する」人称詞として女性にも使用されるようになった。アンケートからも男女問わず使用していることが分かる。しかし、使用していた状況の意見を見ると、部活という一組織で使用していたというものが多かった。このことから、過去に軍の中で人称詞を統一させることによって、意識を一つにするという組織的な考えが、現代の部活という形に影響していることも伺える。

「論議」
 一般的に言われている幾つかの自称詞の相手に与える印象と使用者のアンケートから得た気づきでは何が違うか。むかし兵が使っていた「自分」の特色として、謙譲と自尊、あるいはへりくだりと威張りがよくうかがわれている。その忍耐の一人称として使われていた「自分」は、戦後になって自己主張の一人称になった。アンケートから、自分の特色も変わってきた事がわかる。今日では、普段から自然に使われており、自己主張から親近感を含ませた特色を持つようになった。アンケート結果から、「なまえ」も自己主張を意識して選択することがあった。「じぶん」と同様に「なまえ」が今までどう差別化をされ、変化してきたのあろうか。次に、私など今日では女性的ニュアンスもある一人称とは違うニュートラルな一人称として、どの場面、相手にも好意的、丁寧な印象を与えることができる一人称となった。そして、俺は親近感、自尊感,尊大感を強めていて、一般に親しい友人同士のさっくばらんな一任同士でありえても改まった場所や目上の人には使えない一人称とされていた。ある一定の親しさがあれば、年上の人にも言えるように「俺」が柔らかい印象を含み始めたことがわかる。一つ一つの自称詞の特色が変わることには、世代間での自称詞への印象の変化、また一定の集団での流行も関係している。一般的に、個人の成長過程で、公式な場だから「わたし」を選択するなど、印象、相手との地位、場面を意識して自称詞選択をすることが言われている。このことはアンケートからも読み取れ、特に女性の小学校、中学校後にこの傾向が顕著にみられる。今回のアンケートでは、比較的女性の回答が多く、考察も女性を主に行った。逆に男性が、自称詞選択を特に意識し始める時、場面はどういうときなのか疑問である。現在使用している人称詞では、女性と男性の結果をまとめ、誰にどんな状況で使っているかを考察した。一方、使用経験のある人称詞では、成長過程で男性、女性への性自認が表出し、傾向が顕著に現れるため人称詞を男性、女性と特に区別し考察した。変化の時期をあらかじめ設定した上でのアンケートをとってもいいのではないか。また、関西から「ウチ」が普及し、今では広く使われるようになってきたことから、出身地別での自称詞の変化も気になるところである。今後も、アンケート内容の発展と対象者を増やすことで、新たな発見から自称詞選択の意識と無意識、相手に与える印象の変化を考察できればと考える。

参考文献
  • 『人称詞と敬語 言語倫理学的考察』 三輪正 2000年 41ページ
  • 『一人称二人称と対話』 三輪正 2005年 38ページ
  • 『女とことば 女は変わったか 日本語は変わったか』遠藤織枝2001年 31ページ

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最終更新:2009年07月21日 11:14
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