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既に、日は傾きつつある。
スティーブは、一枚のメモを頼りに車を走らせた。
銀行でヘンリー・フランクから見せてもらった書類に記載されていた、ハリー・クローバーの住所をメモしておいたのだ。
「…何だこの既視感は…」
行ってみて初めて彼は気づいたが、ハリー・クローバーは、昨日訪れたラルフ・ジョーンズのマンションからさほど遠くない、もう一軒のマンションに住んでいた。
「市長の息子にしちゃ割と平凡な所に住んでるな。
むしろラルフの方が裕福と言ってもいい位だ…」
そこは、ラルフのマンションほどセキュリティは高くない、少し古びたマンションだった。
スティーブが車を停めてマンションに入ると、すぐさま管理人に呼び止められた。
「おや、ここに何か御用かな?」
見ると、横の受付の窓から、眼鏡をかけた、几帳面そうな顔の40代ほどの男が顔を覗かせていた。
「何だ、ここに来る人間は全員チェックでもしてるのか?」
「それが管理人としての仕事だからね。で、あんたは誰に何の用?」
ある意味、昨日のマンションとは対称的なセキュリティだな、と思いながら、スティーブは名刺を差し出した。
「ある調査をしているうちに、ここに住むハリー・クローバーに会う必要ができた」
男は数秒名刺に目を走らせ、それから無愛想な声で言った。
「言っとくけど、監視カメラであんたの顔はバッチリ写ってるからね」
「まさか俺が去った後にここの住人が死体になって出てくるとでも思ってるのか?」
スティーブが苦笑しながらそう言うと、男も笑みを浮かべて通行を許可した。

チャイムを押して数秒後、ドタンバタンと音がして、ドアが開いた。
「はい、どなたですか?」
短く切られた金髪に日焼けしたような茶色い肌の、眠そうな顔が現れた。
これまでの調査で、ハリー・クローバーは23歳と言う事が判明していたが、目の前の顔は、その年齢には見えないほどまだ少年っぽさが残っていた。
オレンジの半袖のシャツにジーパンと言う格好のせいかもしれない。
「ハリー・クローバーというのは君かね?」
「はい、俺ですが…」
再び名刺を取り出し、スティーブは言った。
「ある調査ををしていて、君に話を聞きたくてね」
「ある調査…?」
ここまできたら隠す必要は無いか、と考えて、スティーブは単刀直入に言った。
「アリッサ・デクスターと言う女性を知っているかな?
いや失礼、知って『いた』かな?」
そう聞いた途端、ハリー・クローバーの顔に衝撃の色が走った。
「あなたは……一体……」

ドアから少し歩くと、居間が現れた。
「随分…簡素だな」
「ええ。あまり物を持たない性分なんですよ。
おまけに昨日、旅行から帰ってきたばかりで身の回りのものはまだバッグの中ですし」
スティーブの言葉どおり、部屋の中は時計と小さめのタンスに、低いテーブルのほかは電灯ぐらいしか無かった。
一応床にはカーペットが敷かれていたので、スティーブはテーブルの前に腰を下ろした。
いつもの癖で煙草を取り出そうとしたが、灰皿が無かったので、吸うのはやめておいた。
「よかったら、どうぞ」
見ると、ハリーは二本の缶ビールをテーブルに置き、一本を開けて飲み始めた。
そして、テーブルを挟んでスティーブの向かい側にゆっくり腰掛けた。
おそらく、飲まなければ今回の話題を話せる気分にはならないのだろう、とスティーブは内心で推理した。
「すまないが、ここへは車で来たんで飲めないな」
「ああ、すいません、そうでしたか」
「まぁそれより、早速本題を話したいんだが」
スティーブがそう言うと、ハリーはゴクリとビールを一口飲んだ。

「彼女が自殺した当時、アリッサと本当に付き合っていたのは、君だね?」
数秒の沈黙の後、肯定を示す様にハリーは首を縦に振った。
そして、ゆっくり彼は話を始めた。
「…覚悟はしていましたが、あなたの様な人が来るとは予想外でした。
お隣さんの話では、赤髪の女性が何度もここへ来た様でしたので」
赤髪の女性というのはおそらくレベッカの事だろう。
近所付き合いはいい様だな、とスティーブは思った。
「その女性に教えてもらったんだよ。君の事をね。
で…アリッサの自殺に、心当たりのありそうな事はあるかな?」
しばらく、ハリーは躊躇する様に目を泳がせていたが、やがて決心した様に言った。
「おそらく…彼女が自殺したのは俺の責任です」
「なるほど…詳しく話してくれないか」
ハリーは缶ビールをグビッと飲み干すと、目線を落とし、口を開いた。
「高校の頃から彼女と俺は交際を続けていました。
しかし、大学に通い始めてからは、次第に俺と彼女は疎遠になっていきました。
ですが数年後、偶然にも俺と彼女は同じ銀行に就職が決まったんです」
ここでハリーは話を切ると、二本目の缶に手を伸ばした。
「こちらとしては泥酔されても困るんだがね」
「これ位なら大丈夫ですよ。で、続きでしたね。
同じ銀行内とはいえ、部署は彼女とは全然違いました。
それからずっと、二人とも忙しく、全く話せない日々が続きました。
そして…俺から、別れ話を切り出しました……自殺の一週間ほど前の事です」
いつの間にか、ハリーの缶を持つ手には、缶がへこむほど力が入っていた。

「彼女の自殺には、様々な隠蔽工作がなされたのを知っているか?」
「…やはりそこまで調べましたか」
ハリーは、暗い表情で二本目の缶ビールを一口飲んだ。
「実は…彼女の死体を初めに見つけたのは、俺なんです」
ハリーはアリッサの本当の恋人でもあり、そして本当の第一発見者でもあった。
これは、代役のラルフが第一発見者を名乗っていた事から、スティーブには予想できた。
「ほう…何故別れ話をした一週間後に君が彼女の部屋に訪れたんだ?」
「彼女の友人から、彼女がしばらく出社していないと聞いて、気になったんです。
彼女の死体を見た時、俺はパニック状態の中、咄嗟に父に電話をかけました」
「…君の父は、現市長のバイル・クローバーだね」
ハリーは、暗い表情で肯定した。
「ええ。父は、すぐに現場から立ち去る様に言いました。
でも、その時には既に、俺が自殺現場に侵入した痕跡が数多く残っていました。
徐々に冷静になり、警察を呼ぼうと言った俺を、父は止めました。
そして、誰かに身代わりを頼めと言ってきたのです」
「…何故そこで急に、君の父は身代わりなんて言い出したんだ?」
スティーブの疑問に、ハリーは答えた。
「おそらく…当時、父は市長選挙の真っ只中だったからでしょう。
少しでも自分の不利になる情報は隠したかったのだと思います」
「なるほど…最悪のタイミングで彼女の自殺は起こったわけか」
納得するスティーブをよそに、ハリーの話は続いた。
「…結局、俺は父に従い、携帯でラルフに連絡を取り、呼び寄せました。
彼を呼んだのは、彼はあの銀行に勤めている人間の中で唯一、俺の高校時代からの友人で、俺とアリッサの関係を知っている人物だったからです。
説得に時間がかかりましたが、ラルフは渋々納得してくれました」
ここまで言って、ハリーはビールを一口飲んだ。
スティーブは、ひとまず次の質問に移る事にした。
「警察への根回しも君の父の仕業か?」
「ええ…その通りです」
「選挙の渦中にいる人物にそんな事が本当に可能だろうか…」
スティーブは独り言の様に呟いた。
「それが、投票日が丁度その翌日だったんですよ。
だから、おそらく根回しとやらも、市長に就任してから行ったのだと思います」
そう言うと、ハリーは立ち上がり、奥の部屋へ歩いて行った。

しばらくして、ハリーは一枚の新聞紙を持って帰ってきた。
「やっと見つけた。これが当時の新聞記事です。
丁度彼女の自殺の翌日の日付になってます」
ハリーの差し出した新聞記事には、支援者と共に万歳をしている現市長の姿があった。
『バイル・クローバー氏、ゲオルグ・フォン・ビスマルク氏に僅差で勝利』
と新聞の見出しには大きく書かれていた。
「(なるほど…ある程度は警察が捜査していた跡があったのもその為か…)」

「はぁ…父から自立する為にこうして一人暮らしをして、就職までしたのに、結局俺は父に頼ってしまった…」
ハリーは再び先程の位置に座ると、二本目の缶を飲み干し、うなだれた様に言った。
スティーブはハリーの持ってきた新聞を手に取り、目を通し始めた。
しばしの沈黙。だが不意に、ハリーがポツリと呟いた。
「半月前の銀行強盗事件の首謀者、彼女の父親だったんですよね」
スティーブは顔を上げ、感心した様に言った。
「それは流石に知っていたか」
「あの日、たまたま俺は風邪で休んでいました。後日、新聞を読んで震えましたよ。
きっと俺に復讐しに来たんだ…」
ここまでハリーが言った所で、スティーブは彼が何を言いたいのか分かった。
「昨日まで旅行とやらに行っていたのはその為か」
「ええ…実を言うと、もうこの町に戻りたくは無かった……。
ですが心のどこかで、この件をこのままにしてはいけないと思ったのかもしれません。
結局僕は…戻ってきてしまいました」
缶ビールを二本平らげても、ハリーには全く酔った様子は無い。
おそらく、全く酔えないほどこの話題はハリーの心に重く圧し掛かっているに違いない。
スティーブは、ハリーの話を頭の中で整理した。
ここまで、彼の推理にかなり近い。スティーブは、最後の疑問に移る事にした。

スティーブはガーゼの張られた自分の頬を指差し、言った。
「実はな…この怪我もこの件に関係があるんだ」
「…!?」
ハリーはしばらく、スティーブの発言を理解するのに時間がかかっただろう。
そんなハリーをよそに、スティーブは話を続けた。
「昨日、私は二人の男たちの襲撃に遭い、多数の暴行を受けた。
それに…あるジャーナリストは、この事件を調べている最中に殺されたらしい」
「え…どういう事ですか!?」
どうやら、この情報をハリーは知らなかったらしい。
「どうやら…この件を調べられては困る者がいるらしい。
そして、君の父上もこの件が表沙汰になったら困る人物の一人だ。
そこで、あえてその息子である君に聞きたい。
君の父は、自らの保身の為に人を殺す様な男だと思うか?」
スティーブの質問に、ハリーはしばらく呆然としていた。
俯き、両手で顔を覆った姿勢のまま、しばらくハリーは硬直していた。
だが、突然顔を上げ、言った。
「正直…分かりません。ただ…父がそんな人間であってはほしくない」
ハリーは、後半の言葉を強調させながらそう答えた。
「ふむ…」
スティーブは腕を組み、ここまでのハリーの話から一連の流れを頭の中で考えた。

再びの沈黙の後、スティーブは静かに言った。
「君の話し方、態度などから見て、嘘である可能性は低い様に思う」
「…それ、本人の前で言う事ですか?」
苦笑しながら言ったハリーの問いを無視して、スティーブは話を続けた。
「君の話は大変参考になったが、やはり二つ、腑に落ちない所がある。
一つは先程言った、事件の隠蔽の為だけに人を殺すか、と言う点だ」
「…確かに、人を殺してまで隠す程、父にとって不利な情報ではないかもしれませんね」
「もう一つ、サイモン・デクスターが何故娘の生前勤めていた銀行を襲ったかという点だ」
ハリーの表情は一気に暗くなった。
「…やはり、俺に復讐するつもりだったのかもしれません」
ハリーの言葉を聞いて、スティーブは首を横に振った。
「それならわざわざ銀行全体を襲う必要は無い。
通勤中の君を突然襲って包丁で刺し殺す。こんな程度で十分な筈だ」
「た…確かに…」
ハリーは冷水を浴びせられたような顔でそう呟いた。
おそらくこの半月、復讐されるという考えがずっと彼の頭にはあったのだろう。
スティーブは立ち上がり、言った。
「協力ありがとう。大変参考になった。そろそろ帰らせてもらう」
ハリーは、真剣な顔で言った。
「いえ。俺からもお願いします、アリッサの為にも、この事件を解決してください」
「おいおい、父の命令とはいえ代役を立てた者の言葉とは思えないな」
「…あなたの話を聞いて、決心しました。俺、明日警察に出頭します」
スティーブは何か言おうとしたが、ハリーの眼を見て、やめた。
それに、ハリーの行動によってこの町の市長がどうなるかなど、彼には興味が無かった。

「しかし、君も運が悪いな。唯一頼める代役があんなだったなんてな」
「え?」
玄関先でのスティーブの一言に、ハリーは疑問の色を浮かべた。
「俺が話している間中、ラルフはずっと挙動不審気味だったぞ。
もっと演技できる奴だったら、俺も騙されてたかもしれないのにな」
「…ラルフ、そんなだったですか?」
ハリーの顔には、信じられないと言った感情が表れていた。
「彼、高校は演劇部だったんですよ。トラブルにも柔軟に対応できるし、父が身代わりを立てろと言ってきたのを承諾したのも、頼めるのが彼だからだったんです」
「…何?本当か?」
「ええ。間違いありません」
「…そうか」
そう言うと、スティーブはマンションの廊下へ出て行った。
「そう言えば半月前、この町を出て行く前に相談したのもラルフだったな…彼にも世話になりっぱなしだ…」
ドアが閉まる直前、ハリーがそう呟くのがスティーブの耳に入った。


外は既に暗くなっている。腕時計を見ると、8時半を過ぎた頃だった。
「(随分長居してたみたいだな…)」
大通りを車で走りながら、スティーブは考えた。
「(どういう事だ…?俺が会ったラルフはそんな人間には見えなかった…。
俺が会ったのはラルフ・ジョーンズではなかった…とでも言うのか?
いや…銀行の社長が見せた社員名簿にあった写真は確かにあの男だった…)」
考えている内に、気がつけばスティーブの車はラルフのマンションの前を横切っていた。
一瞬だけマンションを横目で見て、スティーブはそのまま事務所へ向かった。

駐車場に車を停め、スティーブは一息ついた。
煙草を取り出そうと胸ポケットに手を入れた時、偶然、内ポケットから手帳が落ちた。
「ん…」
駐車場の街灯に照らされ、無造作に広げられた手帳のページ。
警察の捜査資料から抜き出した、幾人かの人物の住所や電話番号に数行で纏めた証言。
次のページには銀行の社長ヘンリー・フランクの証言を纏めたものが書かれていた。
「待てよ…」
突然、スティーブの頭の中で何かが閃いた。
スティーブは煙草をくわえて火を点けると、急いで車を出た。
駐車場には、昨日の様な襲撃者達の姿は無い。
スティーブは急いで事務所へ走っていった。
「(むしろ…最初の推理の方が真相に近いのかもしれないな…)」

外付けの階段を上り、事務所のドアの前に来る。
息を荒げながら、スティーブはポケットから鍵を取り出した。
「(そういやもう何年かすれば俺も30代だっけな…)」
予想以上に疲れた身体にそう考えつつ、スティーブは鍵を開け、真っ暗な事務所に入った。
スティーブが片手でスイッチを探していた時に、異変は起こった。
カチャリ、と言う音。自分のこめかみに何か細い金属の棒が当たる様な感触。
スティーブが反応するより早く、その声は室内に響いた。
「動くな」
その声には緊張感など無く、むしろ相手を嘲る様な口調だった。
言われるまでも無く、彼のこめかみのすぐ傍にあるのは拳銃だと分かった。
全身に冷水を浴びせられた様な気分で、スティーブは大人しく両手を上げた。
その声の主に、スティーブは聞き覚えがあったし、それが誰の声なのか思い出せないわけが無かった。
何故なら、今の今までその男の事を考えていたからだ。
スティーブは静かに言った。
「…随分早まった行動をしたな。それだけ俺が邪魔な存在だったか?」
彼の言葉に動揺したのだろうか。銃を突きつけた相手が息を呑むのが聞こえた。
それを確認すると、スティーブは続ける。
「何とか言ったらどうなんだ。え?ラルフ・ジョーンズ」

そうスティーブが言った途端に、事務所の明かりが灯った。
おそらく、今スティーブに銃を突きつけている男が電灯のスイッチを押したのだろう。
明かりに照らされたその男は、確かにラルフ・ジョーンズだった。
マンションで会った時は白いスーツだったが、今は正反対の黒いスーツを着ていた。
「やはり…今夜のうちに始末するのは正解だった様だな」
スティーブを睨みながら、ラルフはそう言った。
スティーブが何か言うより早く、彼に突きつけられる銃が後頭部に二つ追加された。
推測するまでも無く、その銃の先には昨日スティーブを襲った二人の男がいた。
白人の大男は変わっていない。痩せた男の方は鼻の辺りに包帯を巻いていた。
「…わざわざ団体さんで、ご苦労なこったな」
冷や汗を一筋流しながら、スティーブはポツリと言った。

結局スティーブは、普段は依頼主が座る為の椅子に座らされ、ラルフと二人組は事務所の戸口に立っている構図となった。
横の二人こそ銃を構えていたが、ラルフは余裕の表情で銃をしまっていた。
「…そんなとこに突っ立ってないで、お前らも座ったらどうだ?
椅子が足りないが、毎日掃除してるから床も綺麗だぞ?」
挑発めいたスティーブの語りに三人ともさして反応は無く、ラルフが一言言うだけだった。
「ここから先はあんたのテリトリーだ。俺達は踏み込む気も無いし、あんたもそこから奥へは行って欲しくないな。それに、すぐに出て行くから、お気遣えも結構だ。
「それは…俺を殺して、という意味かな?」
「言うまでも無いだろう?」
そう言って、ラルフは唇の端を吊り上げた。
「だが、殺す前に一つ、あんたには聞きたい事がある…何故俺だと分かった?」
スティーブは内ポケットから煙草を取り出した。
その仕草に反応し、横の二人は引き金に指を掛けたが、それをラルフは手で制した。
スティーブが事務所に入った時まで吸っていた煙草はとっくの昔に床に落ち、誰かに踏まれて潰れている。
煙草に火をつけ、一息吸ってから煙を吐き、そしてやっとスティーブは口を開いた。
「ハリー・クローバーから聞いたよ。あんた学生の時、演劇部だったんだってな。
しかもトラブルにも柔軟に対応できるとか。代役には適任だとあいつは言ってたぞ」
スティーブの言葉を、ラルフは楽しそうに聞いていた。
「だが昨日俺と会った時のあんたは違ってた。まるで挙動不審。
あんなんでよく警察を騙せたな、と俺は思った。
だが、警察の調書にあったあんたの証言は、極めて冷静で詳細なものだった。
では何故、俺の前であんたはあんな様子だったのか…しばらくは分からなかった」
再びスティーブは煙草を吸って、煙を吐き出した。
いつの間にかラルフの表情には、何の感情も表れていなかった。
「俺の手帳に記したあんたの証言。それを見て、ある考えが俺の頭に浮かんだ。
あんたが俺の前で見せたあの態度…あれ自体が演技だったんじゃないか、とな」
無言で聞いているラルフは、いつの間にかきつくスティーブを睨んでいた。

「あんたは挙動不審な男を演じる事によって、俺に疑念を抱かせた。
そう、『アリッサにはラルフではない本当の恋人がいたんじゃないか』…とな。
おそらく、俺の目を自分から逸らさせる為にしたんだろう」
そこで言葉を切ると、スティーブは他ならぬラルフを指差した。
「だがそこで、あんたには予想外の出来事が起こった」
ラルフはただ、冷たい視線でスティーブを見据えていた。
「ハリー・クローバーがこの町に戻ってきてしまった事だ。
更に悪い事に、俺がその『アリッサの本当の恋人』であるハリー・クローバーと接触してしまった」
ラルフは目を見開いた。声にこそ出してはいないが、明らかに彼は動揺していた。
「…ハリーは言ってたな。もうこの町には戻らないつもりだったと。
そしてこうも言っていた。町を出る前にラルフと相談した…とな。
つまりだ。あんたはそれとなくハリーに、町を出るよう仕向けたんじゃないか?」
「…何故そんな事をする必要がある…!」
声量こそ高くなかったが、ラルフは声を荒げていた。
対称的に、極めて冷静な口調で、スティーブは話を続けた。
「おそらく、半月前の銀行強盗事件が起こった時、あんたは内心焦った筈だ。
何せ、主犯格の男がサイモン・デクスター…アリッサの親父だったんだから。
だから『真相に至る為の手がかり』であるハリーを町から出すように仕向け、更にその事件を調べようとする者を次々に消していった。
俺も、あんたの部下達に殺されそうになったよ。助太刀が入ったおかげで助かったが。
それでだ。何故そんな事をする必要があったか。答えは簡単だ。
アリッサの死の真相…それは、あんたにとって、絶対に誰かに知られてはならないものだったからだ…言ってる意味が分かるか?
アリッサ・デクスターは殺されたんだよ。あんたに。ラルフ・ジョーンズにな!」

ついにラルフは銃を取り出し、スティーブに向けた。
「黙れ!!」
内心かなり焦りながらも、スティーブは言葉を止めなかった。
「おそらく…黒幕はヘンリー・フランクだろう?あんたがアリッサを殺し、ヘンリーがあんたのアリバイを証言する予定だったんじゃないか?だが実際は違った。
その日、あんたはアリッサのマンションを訪ねた。そして彼女を、隙を見て殺害した。
あんたとアリッサの関係を考えれば、言いくるめて鍵を開けさせ、隙を見て殺害するなんて容易い事だったんだろ?
だが、その後に死体を発見したハリー・クローバーが、予想外の行動に出た。あんたに代役を頼んだんだ。あんたは困惑したが、ハリーの父親であるバイル・クローバーが事件を揉み消すと聞いて、代役を引き受けた。つまり、あんたとヘンリーにとっては、市長であるハリーの父親が予想外の役に立ったわけだ」
そこまで言ってスティーブは、溜め息を一回ついてから煙草を吸った。
「まぁ、バイルがやらずとも、いずれは銀行の社長という地位にいるヘンリーが直接事件を揉み消そうとしただろうがな」
そう言うと、スティーブは短くなった煙草を背後の事務机にある灰皿に向かって投げた。
煙草は一度灰皿の真ん中に落ちたが、バウンドして灰皿の端に着地し、事務机の上に多量の灰を撒き散らした。

スティーブとは対称的にラルフは、目を血走らせ、その手に持った銃は震えていた。
「ああそうだよ。全部あんたの言う通りだ!
フランクが、やれば昇進は約束してやるって言ったからな!!」
「なるほど…高校時代からの友人を裏切ったのはそれが理由か」
「友人?ハハ、ハハハハハ…高校の時は俺の存在なんか気にもしてなかったくせに!
職場が一緒になった途端に!急に馴れ馴れしくしてきやがった奴らを!そう思った事なんか一度も無いね!!」
狂気的な笑みを浮かべ、そうラルフは言った。

「…彼を殺したのもあんた?」
「!」
気がつくと、廊下にレベッカが立っていた。
昼間に会った時と同じ格好で、銃を構えており、狙いはピタリとラルフに向けられていた。
ラルフもこれは予想外だった様だ。
「な、いつから…!」
「どうやら、今夜は私に運が回ってきた様ね。
ここの探偵さんにもう一度話そうと思って来たら、こんな現場に鉢合わせるなんて」
思わぬ助けが入ったが、スティーブはむしろ焦っていた。
「おいレベッカ!今すぐ…」
だが、スティーブが全て言葉を言う前に、レベッカが声を張り上げた。
「誰を助けるつもりも無い薄情な探偵は黙ってなさい!!」
結局スティーブは黙るしかなかったが、その胸中は穏やかではなかった。
レベッカは内ポケットからもう一丁銃を取り出し、今度は白人の大男に向けた。
その上で、眼は痩せた男をきつく睨み、ラルフの方へ近づいていった。
たまらず横の二人は、身体をスティーブの方に向けたまま、銃を落として両手を上げた。
「答えなさい…ジャーナリストのウィリアム・アンダーソンを…殺した?」
ラルフは銃を落とし、両手を上げていたが、その表情には余裕があった。
「勝てると思ってるのか?この人数を相手に?」
「答えなさい!!」
遂にレベッカはラルフの真後ろまで来て、銃口をその後頭部に押し付けた。
流石にその剣幕には焦ったのか、急いでラルフは言った。
「ウィリアムねぇ…そう言えばこの事件を嗅ぎ回ってた奴がそんな名前だったかな?
なら俺じゃなくて横の二人を狙え。俺は見てただけだ」
「殺しは部下に任せて自分は高みの見物ってわけね…!?」
レベッカの表情から、必死に怒りを押し殺しているのがよく分かった。
「ああそうさ。あの男、悲惨な最期だったぜ?
何発も銃で撃たれて、それでも必死に逃げてたっけな。
挙句、二人に鉄パイプで殴打され、血を吐きながらのた打ち回って…」
「…黙れ!!」
レベッカが引き金を引くか引かないかの刹那、突如白人の大男が銃の射線から外れる様に腰を落としながら振り返り、振り向きざまに裏拳を彼女の腹に強打させた。

「がはっ…!!」
レベッカは口から少量の血を吐き、たまらず膝をつく。
それを確認したラルフはレベッカの方を向き、彼女の頭を蹴り倒した。
「ハッハハハハ!関係無い奴がしゃしゃり出て来るからこうなるんだ!
喜べ、愛しい恋人の元まで送ってやるよ!!」
だがその時、低く、そして冷えた声が事務所内に響いた。
「お前ら…足元気をつけろよ?」
「あ?」
深く溜め息をつきつつ、スティーブがそう言ったのだった。
そして、その出来事は起こった。

急に彼らの足元から、何かにヒビが入る様な鋭い音が響いた。

「な!?」
「うわっ!!?」
次の瞬間には、一気に、彼らの足場がぐらついた。
そして。

彼らのいた一帯の床が抜け、轟音と共に下に崩れていった。

男達の悲鳴は崩壊の音に掻き消され、音が静まった時には声すら聞こえなくなっていた。
「はぁ…やっぱりな」
スティーブはガクリと、両手で頭を抱えた。
あの場所は以前、スティーブが誤って踏み砕きそうになった場所で、修理費を惜しんで応急処置で済ませてしまった場所だった。そんな場所にあの人数、しかも一人は巨体で、とどめに先程の乱闘。大惨事は必至の事だった。
最後に、ポツリとスティーブは言った。
「どんだけかかんだよ……修理代……」
ふと前方を見ると、突如できた大穴の縁で、気がついたレベッカが呆然とそれを見つめていた。
穴の下は1階。誰もいない。電気も通っていない為、真っ暗だ。

「ちくしょう…」
穴の奥で、ラルフが呻くのが聞こえた。
次の瞬間、何者かのライトが瓦礫とその上で呻く三人の暗殺者を照らしていた。
「!」
「動くな!!」
いつの間にか、多数の警察官が彼らの周りを取り囲んでいた。
その中には、カーネル警部補やエリスもいる。
「…お前が呼んだのか?」
スティーブがレベッカの方を向いてそう言うと、レベッカは首を横に振った。

「いやぁ、探偵と言うのは危険な仕事なんですねぇ」
「ヨハン!?」
事務所の戸口に、いつのまにか郵便屋のヨハンが立っていた。
「家に帰る途中にここを通った時、怒鳴り声が聞こえましてね。
階段を少し上ってみると、どうやらただ事ではない様子。慌てて警察を呼んだんですよ」
スティーブは煙草を咥え、火を点けてから言った。
「相っ変わらずお節介だな、おかげで命拾いしたよ」

「スティーブ!!どういう事か説明してもらうぞ。署でな!」
下の階で、カーネル警部補が怒鳴る声が聞こえる。
スティーブは半ばヤケクソ気味に答えた。
「はいはい行きますよ。いやー賑やかでいいねぇ今夜は!」
それから視線をレベッカに向け、彼は言った。
「今後痛い目に遭いたくなきゃ、復讐なんかよすんだな。
それから人の事務所で銃を振り回すのはやめてくれ」
「あんたには…分からないわ……」
俯いてそう言うと、レベッカは立ち上がり廊下へと消えていった。
おそらく彼女も警察に連行される事になるだろう。


その後、通報したヨハンと共に、スティーブはパトカーで警察署に連れて行かれた。
そこで事務所で起こった一連の出来事を話すと、取調室に一人残された。
おそらく、その間他の連行された者達から得られた証言と照らし合わせて、事実の確認が取られたのだろう。
30分ほどして、カーネル警部補が入ってきた。
彼は、いつもの様にスティーブに鋭い視線を向けると、言った。
「…お前は意地でも俺に迷惑をかけたいのか?」
「そのつもりは無いんだがねぇ…」
煙草を吸いながら苦笑し、スティーブはそう答えた。
「お前から聞きたい事はもう無い。さっさと消えろ」
そう言うと、カーネルは立ち上がった。
「いや、待ってくれ」
出て行こうとするカーネルをスティーブは呼び止めた。
不機嫌そうにカーネルは言う。
「何だ、まだ何かあるのか」
「迷惑ついでに、お前の権限で面会させて欲しい人間がいる」
「ふざけるな!これ以上お前に構ってる暇など無い!!」
「頼む。そいつとどうしても話したいんだ。
でないと最後の謎が解けないし、そうなると俺の収入が減る」
「貴様の稼ぎなど知った事か!」
そう言うと、カーネルは取調室の扉を開けた。
だが、そこで立ち止まり、数秒黙った後溜め息をつくと、振り向いて言った。
「誰なんだ。その面会したい者とは」

その部屋は、さっきまでスティーブのいた取調室とさして変わらなかった。
中央に机、それを挟む様に椅子があり、その椅子の一つにその男は座っていた。
片手にかけられた手錠は椅子に繋がれており、それが男の行動を制限している様だった。
「10分が限界だ。覚えておけ」
そうカーネルは言うと、部屋の隅の壁に腕を組んで寄り掛かった。
スティーブは男の反対側の椅子に座ると、言った。
「こんばんは、サイモン・デクスターさん」
男―サイモンは紺色のズボンに黒いジャンパーを着た中年の男だった。
頭は丸坊主で、半月の間に受けた取調べのせいか、頬は痩せこけていた。
目は虚ろで、スティーブが話しかけた時には一瞬彼の方を見たが、すぐに視線を落とした。
スティーブは返事をしないサイモンを見ながら、煙草を取り出し火を点けた。
幸い、机の上には灰皿が置かれている。
スティーブは数秒、ゆっくり煙草を吸ってから灰を灰皿に落とすと、言った。
「俺はスティーブ・ハント。私立探偵をやってる者だ。
前置きは面倒だから、単刀直入に聞きたい。
サイモンさん、あんたの娘は、あんたにどうやって、何を伝えた?」
そう聞いた途端、サイモンの身体はビクリと震えた。
そしてゆっくりと顔を上げたその男は、初めて口を開いた。
「…何故、それを?」
「…まぁ話すと長くなるんだが、ある人物からの依頼でね。
あんたの起こした銀行強盗と、半年前に起こった、あんたの娘の自殺。
この二つの事件の因果関係を調べてたんだよ。
……損失が凄まじく大きかったが、数々の幸運に恵まれて、ごく短時間で解明できた。
が、やはりあんたに直接聞かないと、この一連の事件の核心的な部分が分からない。
そういうわけで、ここまで聞きに来たわけだ」
そこまで話すと、スティーブは煙草をまた吸い始めた。

サイモンはしばらく沈黙し、じっとスティーブを見ていたが、スティーブが再び灰を灰皿に落とした時、遂に口を開いた。
「…なぁ、今日は月は出てるのか?」
「…月?」
今までの話とは全く違った問いに、スティーブは一瞬混乱した。
サイモンはそんなスティーブを気にも留めず、再び話し始めた。
「俺は……『あの男』に感じた恐怖を一生忘れる事はできんだろう。
あの日から、月を見るたび思い出すんだ。あの死神の姿を…」
まるで違う話をするサイモン。スティーブは振り返って、部屋の隅のカーネルを見た。
カーネルは話しかけられたくはない様で、スティーブを見ると不機嫌そうに首を振った。
仕方なくスティーブは、話を合わせる事にした。
「…そうか。それがあんたの、大勢の人々を巻き込んだ事への報いなんだな?」
煙草を吸って煙を吐いたスティーブは、ゆっくり言った。
「だが安心しろ。今日は新月だ。
今夜ばかりは、あんたの罪が、あんたの中で暴かれる事も無いだろう」
スティーブの言葉に、サイモンは安心した様に溜め息をついた。

「…遺品を整理していた時にな、見つけたんだ。手紙を」
ついに、サイモンの口から、スティーブの求めていた回答が語られようとしていた。
「手紙?」
「ああ…アリッサは賢い子だったからなぁ…。
自分が殺されるかもしれないと薄々気づいていたのかもしれない」
「…何と書いてあったんだ?」
スティーブの質問に、サイモンは口をつぐんだ。
後ろにいるカーネルを横目で見ると、サイモンを凝視しているのが分かった。
どうやら、サイモンが言いかけた事は、今までの事情聴取では聞き出せない事だった様だ。
スティーブは煙を吐いた後、言った。
「デクスターさん、言いたくないならそれでもいい。無理をする必要はない」
「俺達は…奴らが援助している者達から力を借りて、奴らに復讐した…」
ボソリと、サイモンはそう言った。
「…それはどういう事だ」
初めて、カーネルが口を開いた。どうやら重大な事らしかった。
「力を借りて…お前達が取引した空族の事か」
カーネルとは対称的に、サイモンはもう何も喋らなくなっていた。
「援助とは…銀行が空族に資金援助していた…という事か?」
静かに、スティーブはサイモンに問いかけた。
「俺は…俺は奴らに後悔させたかったんだ!!」
そう叫ぶなり、サイモンは泣き崩れた。

「つまりアリッサは、あの銀行が密かに空族に資金援助していたのを知ってしまった…という事か」
今、スティーブはエリスと共に警察署の出口に向かっていた。
カーネルはまたサイモンの事情聴取に取り組むらしい。
意地でも先程の証言を詳しく聞き出すつもりの様だ。
「あの情報、今後明るみに出ると思うか?」
「サイモンの証言だけなら出なかったでしょうね。でも、あなたの事務所で逮捕した三人が、銀行の社長との繋がりを証言し始めているそうよ。
この件から銀行に強制捜査でもして、空族との取引の証拠となるものを掴めれば…ね」
「まぁ…そう上手くいけばいいんだがな」
二人は外に出た。外は北風が吹き、もうすぐ冬の到来を告げようとしている。
そして先程スティーブが言った様に、今夜は新月。外はどこまでも暗かった。
「…まるで人生だな」
ボソリと言ったスティーブの台詞が、エリスには聞き取れなかった様だ。
「え?何か言った?」
「いや、何でもない。それじゃまたな」
そう言うと、スティーブは歩き出した。パトカーでここまで来た為、帰りは歩きである。
歩きながら、スティーブは振り返った。
「今度昼飯でも奢ってやるよ!」
エリスは呆れたような嬉しいような顔で叫んだ。
「散々怒られたんだから、それだけじゃ足りなーい!!」
スティーブは苦笑しながら、暗闇の中へ歩を進めて行った。
彼は、歩きながら明日の予定を考えた。
少なくとも、ヴィルヘルム卿に十分な報告はできるだろう。
「(さて…ちゃんと報酬は出るのかねぇ…)」
アリッサ・デクスターは、唐突に人生を終えるその瞬間まで、こうして明日を考えていたのだろうか。
ふとスティーブはそう考えたが、すぐにやめた。会う事の無かった女性が、何を思っていたかなど、どれほど考えても仕方の無い事だった。




最終更新:2012年01月21日 23:35