このノートに名前を書かれたものは…
ヤガミの黒い手帳の1ページ目より。
地上でもっとも優しい音楽
自分は弱いのだろうか、ヤガミは自分に問いかけてみる。
今の自分は、目の前の女ひとりを安心させるために手を伸ばすことすらできない。
そしてそれがどうしたと、自分に言い聞かせるて歩きだしている。
許しも、救いもとっくの昔に放棄したのにそれでも心のどこかでそれを望んでしまうのは弱いというのだろうか。
何度か脳内で思考をめぐらせてみるが、どこかで思考が途切れて最初のところに戻ってしまう。
気がつくと隣に華がいた。追いかけてとなりに並んだらしい。
「どうした?」
素直に聞いてみれば、自分のことを「やさしい」という。不思議な気分だった。
「まあ、俺と話すのはお前くらいしかいないのは認める」
ヤガミはためらいながら事実を告げる。なにしろアイドレスが終わってから誰にも会っていないのだ。自分などそろそろ忘れられてるんじゃないのかと思っていた。すらすらと、心にもないことが口に出てくる。
正直に言えば平静を保って強がりを言うのはそんなに難しいことではない、心を石のように固くしてしまえばいいだけだ。
たとえ何人自分のせいで死のうとせせら笑えると思うし、実際そうしてきたはずなのだがなぜだか、心の奥がざわめく気がした。
「ヤガミさんモテモテなのにー」
急に言われて驚く。まったく自覚のない言葉に動揺した。
「言い返したいが、やめよう。むなしくなる。主に俺が」
なにがどうなったらモテモテになるのか、さっぱりわけがわからない。これは新手の嫌がらせか、知恵者め。ヤガミの脳裏に例のカピパラのような笑顔が浮かんでは消えていく。華がなにか言っているような気がするがよく聞こえない。知恵者の存在はヤガミにとって明らかなトラウマスイッチであった。現実から逃げるように目の端に移ったホテルの文字に反射的に指をさす。
「あれなんてどうだ」
指をさしてから気がついた。ホテルはホテルでもラブホテルの方だったのだ。慌てて華の目をふさぐ。いくら混乱していたとはいえあんまりだ。
「間違った、別のところ行くぞ」
まだ何があったか気にしている華を引きずる。いきなり目をふさがれて混乱しているように見えたがヤガミは強引に移動させる。これで「セクハラです」なんて涙目で言われたら、いろいろ立ち直れそうになかった。
今でも十分に立ち直れそうにない気がしたが。
「もういいぞ。どうした?」
内心の動揺を隠すように言うと、何かを悟ったような華の顔が見えた。
「他の探しましょうか・・」
声色からなんとなく自分が何を指さしたのか悟られているような空気を感じるが、問いただすことはできなかった。臆病者と言いたければ言うがいい、とヤガミは内心毒づいた。そして、心の中にある黒いノートに「知恵者」と名前を書く。
その後の日記
ヒキコモリでニートなんて
別の意味でパーフェクトヤガミだね、と言われた。
知恵者め、知恵者め。
今度は罠どころかひどすぎる。
俺が一体何をしたというんだ。
最終更新:2008年02月24日 22:00