薪のはぜる音が聞こえ、一際大きく燃え上がる暖炉の炎。
男が通された部屋は、外で冷えた体を温めるのに十分すぎるほど
暖かかった。
犬士の少女が男にお茶を進める。男は、軽くうなづいてそれを受け取った。
姫路 城子、それが彼女の名前である。
犬士の名前にしては妙な名前だ。しかも北国人のはずなのに、
まるで東国人のようにも見える姿に褐色の肌、
れっきとした北国人のアイドレスをきているはずなのだが、
彼女の姿は、とてもそうは見えなかった。
小さいころから、そのことでからかわれていたらしい。
城に上がった頃はずいぶんと傷ついた顔をしていた。
そんな彼女の頭をなでる、若い王の手。
『その姿が嫌いかい?』涙目で首をたてにふる少女。
『僕はその姿好きだよ』そう言って笑う少年。
大事なのは心。心だけなら我らはどんな風にもなることができる、
キミの心は間違いなくこの国の人間であり、何者にも侵害される
べきものではない。そう言って、別名白鷺にたとえられる城の名を
彼女に送った。
その王を今も、彼女は想い続けている。
たとえ、王にそのことを彼女が伝える日は永遠にこなくても。
お茶を客に出しながら城子は口を開いた。
「王は、お元気ですか?」
そう言うと喉が詰まりそうになる。ああ、どうしてもっと気の利いた
言葉が出てこないのだろう。王都から来た男は、静かに頷く。
「相変わらず元気だ。うるさいほどにな」
銀の髪を束ねていた夜子が笑う。
「あの子は相変わらず、なのね」
「…ああ」
暖かな紅茶を口に運びながら、上目遣いで夜子の顔色をうかがう。
「どうしたの? こんな季節にあなたがくるなんて」
王と裏王に即位して以来、ポラリスを名乗る夜子を見つけ出すために
心血を注いできた。
その結果国をさまよいあるくかつての女王を発見、この塔の一室を
与えるのに成功したのである。
無論、彼女の予言目当てではあったが、それよりもあの日、道を
教えてもらったお礼がしたかったというのもあった。
「…理由もなく来ちゃいけないのか?」
しょうがないな、という顔をして夜子は笑う。
「いい加減兄離れしなさいな。王弟殿下」
「…そういう問題じゃない」
少しためらいながら男はそう言った。王の弟、一応国では裏王として
王をサポートし実質的に政務を執り行う立場にある。最近は宰相に仕事を投げて
自分はほとんど何もしていない状況だが。
最近は、王の身の回りの面倒を見る程度にまで仕事を減らしている。
「ただ、少し疲れただけだ」
そう言って裏王は手にした紅茶を飲む。良質の茶葉で入れた紅茶は香りもよく
道中冷えた体を温めてくれた。何も言わないが、ここの主に使えることになった
犬士はよくやってくれているようだ。
「城子…」
少し考えて、犬士の名を呼ぶ。
「ここでの暮らしは、慣れたか?」
「はい」
城子が控えめにうなづくと、裏王は少しだけ肩の力を抜いた。
夜子はそんな二人の様子をほほえましくみている。直観だが、この二人はきっと
うまくいくだろう。裏王は悲しいほど兄の心配ばかりしているが、それさえなくなれば
いい男だし、城子も家事は十分できる。夜子にとって城子は、かわいい妹みたいなものだ。
「さて、今日の相談事は何かしら、あの黒王子のこと?」
「黒王子?」
夜子の言葉に裏王が聞き返す。黒王子とは誰のことか初耳だった。
「…んー、黒髪の王子様だから黒王子」
くすっと笑って夜子が告げると、裏王は心底嫌そうな顔をした。どうやら相当嫌っている
らしい。名を聞いて思い出すのも不快という顔だ。
「八神か…」
今にもカップを割りそうな勢いで、手に力を入れる。
「お兄ちゃんの養子じゃない。あなたにとっては甥っこでしょ。大事にしてやりなさいよ」
「…まだ認めたわけじゃない」
あからさまに不機嫌になる男に夜子は笑いを隠せない。城子の思いが通じるのはいつに
なるのだろう。それもまた、長い夜を歩むものにとっての楽しみの一つかもしれない。
できればこの国を去る前に決着をみたいものだと思った。
「黒王子、か。」
「王の子供だから王子、それにこの国では珍しい黒髪だから。それにしてもいいあだ名よねぇ」
「俺は好きじゃない」
裏王が一気にカップの中身を煽る。城子が控えめにお茶を継ぎ足した。
「なんでそんなに嫌いなのよ」
そう告げると裏王は少し考えてみるが、渋い顔をする。
「むしろ、好きになれる要素がないだろう」
「国民を救った英雄よ。ちょっと問題がないとはいえないけど」
各国のACEの殺害や、傷害容疑は「ちょっと」ではない気がするが、夜子に逆らうと
後が怖いので黙っていることにする。いや、言えば言ったで「こんな細かいこと」という
オチになりそうですらあった。
「片目を失っても、国民を救った少年にひどいわ」
明らかに心からはそう思っていない様子で夜子がつぶやく。裏王がからかわれていると
気がついたときには遅かった。夜子は楽しそうに今日のおやつをほおばりながら、裏王の
様子を観察していた。
「…知ってるさ、それぐらい。ただ、あれは」
「おにーちゃんを取るから嫌い?」
結局似たもの同士というか同レベルの争いじゃない、という言葉はあえて言わずに置いた。
追い打ちをかけるにはまだ早い。それに、裏王の後ろでおろおろとしている城子をいじめるのは
少し気が引ける。
「城子。お茶のおかわりがほしいわ」
「あ、は、はい」
城子は慌ててお茶を注ぐと夜子と裏王の様子を見守っている。夜子は、となりにあるイスを
彼女に勧める。彼女は少しだけ戸惑ったが夜子が「お願い」をするとおとなしく椅子に腰かけた。
「そういうんじゃ、ないんだ。ただ、あいつが…国に対する影響を考えるとだな」
「戦力としては有効。暗殺者としてもね」
彼なりに八神を心配はしているようだった。
「子供を戦闘に連れていくのか」
「今さら、でしょ」
「だが、子供にその手を血で汚せと言えるのか。あの子は俺たちの道具じゃないぞ」
「それは誰にもわからないことよ。彼が望むことも、望まないこともね」
何を言おうとも、彼も八神のことが心配なのだろう。たしかに気に食わない部分はあっても
子供だと思えば、それなりの配慮はする。
「知ってる。だからこそ、心配だ。俺は、あいつが心配だが、それでも国のために
決断を下さなければならない時が来る」
「いいじゃない。あなたはそれで」
夜子はそういうと静かに目を閉じた。彼女がここにたどりつき王家の守護を得て
この塔に住むことになって短いとは言えない時間が過ぎたが、彼女のもとを訪れる人間の
言うことはいつも同じだ。自分の考えの後押し、である。不安なとき、正しいと思う道を行く
勇気が消えそうになった時いつも彼らはここで話をして帰る。
夜子はおせっかいだと思いながらも、ひとつあくびをして席を立ちあがった。
「ここから先はあなたたち二人で話をしなさいな。私少し疲れたの」
そう言って笑うと、城子の肩に手をやって囁きかける。
「がんばって、ね」
城子がびっくりしたような目で見たが、そのまま手を振って歩きだした。それを見ていた、
城子と裏王がぎこちない笑みを交わして、何事かを話し始めるのを横目で確認する。
彼らの恋がうまくいきますように、夜子はそう思って扉を閉めた。
最終更新:2008年01月30日 21:12