杉内俊哉、SBホークス退団
2011年12月19日、
FA権を取得しその動向が注目されていた元ソフトバンク投手、
杉内俊哉選手の読売巨人軍への移籍が決まった。
一プロ野球ファンとしては、”それならまだいっそメジャーに
行って貰った方が・・・“との思いが強かったが、
しかし元より杉内選手本人は海外メジャー挑戦はおろか、
ずっと国内に残ってホークスで一生頑張りたいとの考えだったと言う。
近年ではイチローや松井など、大舞台での華々しい活躍を見て
海外志向の強い選手が増えて来た昨今、
今時珍しく一途な考えを持った若者だったが、
しかしそれが去年の契約更改での球団幹部との交渉を経て
その心境に変化が生じる様になったのだと言う。
ソフトバンクでは近年の高額化する選手年俸に対し
これまでの年俸固定制から新たな経営手法として、
選手個人の残した一年の実績に応じ、出来高で年俸に変動を加えて
調整を図り、
その総額を抑え様とする成果変動型査定法の導入を始めていた。
これはしかし他に有名な所では千葉ロッテや、北海道へ移転した
日本ハムファイターズがやはり同様の査定方法を取り入れ、
球団経営の合理化に取り組んでいる。
日ハムでは特に「ベースボール・オペレーション・システム(BOS)」と呼ばれる独自の選手評価方法を開発し、
その計算により球団は持てる総予算からチームの選手編成を考え、
特に高額な年俸の割りに年齢的な衰えから成績に陰りが見える
ベテラン選手、
或いは故障がちで活躍の計算が立たず使いにくい選手などを
トレードや契約打ち切りによって放出し、
その代わりに同程度の成績ならば年俸の掛からない若い選手を
入れるなどして、
チーム全体の戦力バランスの調整に務めている。
但しその結果としてこれまでと比べ選手の入れ替えが増え、
千葉ロッテではサブローの移籍、
日ハムでは高橋信二やかつての抑えの守護神、マイケル中村の
トレードなど、
ファンにとってはチームの顔とも言える選手達が或る日突如として
退団し、
次の日からは別球団の選手となってしまうケースが多く
見られる様にもなってしまった。
今回、杉内選手の巨人への移籍もまた、やはり同じ問題の影響が大きい。
活躍出来る選手にはより高い報酬を、
そうではない選手に対してはその逆でといったその点では、
市場の原理に則ったごく妥当な査定方法だと言えるが、
ただその分、例えば最近では野球協約で定められた制限を超える程の
大幅な年俸減額を受ける選手達も増える様になった。
プロの選手達は一般人と比べケタ違いの年収を貰ってはいるが
この場合それまで貰っていた年俸が高ければ高い程、一気に減額された
翌年からのダメージは大きい(勿論その為に設けられた減額制限だが
簡単に無視される様では存在の意味を失う)。
日ハムなどは球団の提示に対して“ノー”ならば容赦なく球団から
追い出されてしまう程だと言い、
ソフトバンクでも何と、今季19勝6敗、防御率2.19で最多勝に輝いた
ホールトン選手が、契約交渉がまとまらず自由契約とされ、
彼もまた杉内選手と同様、巨人に買われる結果となってしまった。
今回、ホークス球団と杉内選手の代理人として契約更改の仲介に当った
酒井辰馬弁護士はこの交渉に付いて
「彼一人で労務交渉している様なもの」との認識を語っていたが、
これは、日本の他のプロの世界に生きる人達などは
この辺をどう受け止めるのだろう。
球団の編成が当初、杉内選手側に提示していた条件の一つが
4年で最大総額16億円(2年目以降の変動型)の契約。
しかし合意には至らず11月29日に杉内選手のFA宣言。
これに巨人が獲得の名乗りを上げ、提示した額が
4年で総額20億円にも上る大型契約(しかも固定制)。
所がこれに慌てたソフトバンクは球団トップの笠井和彦社長が
「全力で引き止めに掛かる」と自ら交渉の席に加わり、
そこで改めて今度は巨人を上回る4年で総額22億円を提示。
さらにFA選手は年俸を固定制か変動制か
選択出来るというプランまで用意。
しかしホールトン選手にしてもそれが球団の経営方針からの
放出である以上、これでは意味がない。
そもそも始めからそうした会社のポリシーに沿って杉内選手と進めていた
球団編成担当者の交渉に割って入り、
社長自らがそれを否定してしまうとは一体。
これまでソフトバンクで年俸の査定を行い、
直にチームの選手達と交渉を行っていたのは小林至編成・育成担当部長。
小林至氏とはかつて東大からドラフトでロッテへと入団した
経歴の持ち主で、
それで思い出したが当時、
珍しい東大卒のプロ野球選手(ピッチャー)としてかなり
話題になっていた。
しかしその後の一軍試合登板は無しで二年後には自由契約となり退団。
散々盛り上げるだけ盛り上げといて結局話題作りの為の
冷やかしだったのではないかと
非常に興ざめだった事を覚えているが、
小林氏自身はその後アメリカに渡りコロンビア大学経営大学院を出て
経営学の学位を取得。
そしてフロリダのケーブル・テレビ会社での勤務を経て日本に帰国し
江戸川大学社会学部の教授(経営学)に就任。
そして2005年からはいよいよ
福岡ソフトバンクホークス、福岡ソフトバンクホークスマーケティングの
球団取締役として、
経営企画・編成育成・広報担当と何やら色々忙しく受け持ちを持つ
身上へとキャリアを重ねる。
ソフトバンクとの関係は小林氏自身が書いた或る本が孫正義オーナーの
目に止まり「いい分析をしている」と高評価され、
オーナー直々に取締役就任のオファーを受けたのが切欠との事。
しかしこの小林氏は編成担当として就任した契約交渉の場に於いて、
これまで交渉相手となる選手達と度々軋轢を起こしている。
元々選手年俸の査定を行う球団担当者の多くは皆、
何とか彼らの年俸を(飽くまでビジネスとして)低く低く抑えようと
選手の欠点や粗探しに力を入れる為、
それが選手達との対立を生むケースは多いが、
杉内選手の巨人軍移籍会見の場で彼の口から発せられた
「(杉内選手が)FAした所で、獲得に乗り出す球団はない」との、
小林氏の発言を聞いても、
詰り自分が編成者の立場として出した選手達に対する
評価の客観性に付いては、
かなりの自信を持っているつもりだったのだろう。
組織の官僚としては結構だが、
しかし小林氏はもっとホークスというチーム全体の立場から、
自身の行動を考えるという態度が必要だったろう。
小林氏は元々ホークスとは何の関係もなく、
取締役として幾ら会社の責務を負っているとは言え、
氏のずっと前からチームに入って働いて来た選手達に対する
扱いの如何によっては、
それが地元のファンにどう受け止められるかわからない。
そして小林氏がその事を認識するサジェスチョンも既にあった。
小林氏は去年の契約更改の席でも杉内選手の感情を損ね、
その時もやはり今年と同様、笠井和彦オーナー代行兼球団社長が自ら
慰労に乗り出し、
杉内選手に対して「杉内は絶対に他に行かせない」との確言を
与えていた。
それが今回二度目ともなればこれはもう組織の運営上、大きな問題。
会社として方針がバラバラになってしまう。
で、
結局の所、小林至取締役の辞任という結果に。
孫オーナーの
twitter上での発言からもこれは事実上の
更迭と言っていいが、
しかしその一方で笠井社長は辞任を申し出た小林氏に対し翻意を促すべく
慰留に努めたとも。
が、そんな事なら始めから社長が交渉の仲介に乗り出すべきではない。
杉内選手はホークスに残留する道もあったが
年俸的には結局、額を上積みしたソフトバンクよりも条件的には劣る
ジャイアンツへの移籍を選択。
その決め手となったのが最後、巨人側が杉内投手に対して用意した
背番号の“18”。
球団の経営方針としての選手の流出ならば已むを得ない面もあろうが、
会社も望まず、また本人も自ら「本当は出て行きたくはなかった」と語る
看板選手の流出を招いてしまったという事に関しては、
これはやはり会社の人事の失敗だろう。
2011/12/21
最終更新:2012年01月09日 04:53