世界が見えた世界・10話 B

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世界が見えた世界・10話 B - (2007/09/15 (土) 00:09:09) の編集履歴(バックアップ)


 時刻は八月三十一日、二十二時。
 俺達はいつかのように、校門の前に立っていた。ただしあの時と違うのは、ユリアがいて、乃愛さんが俺達の前に立っているという点。

乃愛「来たようだね。時間的にはギリギリ、か。背水の陣で挑むつもりかな?」
大翔「もとより、そうさせるつもりだったでしょう?」

 乃愛さんの様子は変わったところはない。
 いつもの様子だ。いつもの様子で、世界を書き換えようとしている。感じる。俺の魔法は貫く対象を選ばないから、貫通対象を認識するためにも元々五感の鋭さは人並み以上にある。それが、告げている。
 この学校はすでに、乃愛さんの領域だ。

大翔「やっぱり、意志を曲げるつもりはないんですね」
乃愛「ああ。君達も、私の世界を受け入れるつもりはないようだね。幸せな世界、みんなが、幸せに生きている世界……」
沙良「けどそれは今のうちらやない。あんたが作るうちらや」

 沙良先生は乃愛さんの言葉を否定する。

乃愛「君は多少は共感してくれるかも、とは思っていたんだがね、サラ」
沙良「ありん話や。うちの過去をなかったことにされてたまるわけないやろ。あの子らの死はうちだけのもんや。あんたにはやらん」
乃愛「君らしい、考え方だ」

 乃愛さんと沙良先生がかわす会話はよくわからない。わからないが、それが沙良先生の大切なものだということだけはわかった。

大翔「俺も、同じ考えですよ。俺は両親が死んでから色々辛いことがあったり、勘違いした事があったり、馬鹿だったこともあったりしたけど……でもそういう俺がいて、今の俺があるんです。それを全部棄てて幸せになったところで、馬鹿野郎が一人増えるだけ。そんな俺ははっきり言って、いらないです」
貴俊「まぁ、確かに大翔と会う会わないどっちが幸せかっつったら、会わないほうが幸せだったろうしなぁ。けどそれは面白くねぇ。つまらねぇ幸せだ」
美羽「苦労はしました。辛かったこともあります。でもそれでも、こうしてやってきたっていう自身が、今のアタシなんです」
美優「……辛いことも、それも、思い出なんです。それも大事なんです。なかったことになんて、できません」
陽菜「たとえ一生残る傷跡でも、決して消えない痛みでも、それで流した涙の一滴血の一滴、全部が心に残っているんだよ、先生」
エーデル「幸せであり続けるということは同時に不幸を知らないということだ。人は知ることで愚かな自分を脱却できる。幸せであり続けるためには愚かであり続けなければならない。だが僕は、愚かであることは美しくないと考える。美しい僕には、似合わない」
レン「不幸こそをその根底においているものもいるのです。それを背負い、自らの道を貫くものもいるのです。幸せなだけでは、手に入らないものもあります」
ユリア「私たちは、あなたの言う世界を受け入れることはできません。自分の愚かさ、後悔、痛み、嘆き。その全てを抱えたからこそ、今の幸せが手に入ったのですから。その全て一つ一つが、私たちを作り上げているのですから。幸せなだけの私たちよりも、今の私たちのほうが、ずっと幸せです。多くの不幸と共にある私たちは、今が、幸せなんです。私たちから不幸を奪うことは、許しません」

 乃愛さんは俺達の言葉に、まるで難問に正解した生徒を見るような目をした。
 褒めるような、喜ぶような顔。
 乃愛さん?
 ふと、疑問が浮かんだ。
 この人は本当に世界を書き換えるだろう。でも、それは、本当に親父と母さんを取り戻すためなのか?
 いや、今は迷っている場合じゃない。自分の気持ちを今に向ける。

乃愛「それが君たちの答えだというのなら、それでいい。私に向かってくるといい。それから、これは知らないだろうからいっておこうか」

 乃愛さんはそんな前置きと共に、俺達に衝撃を与える事実を伝えた。

乃愛「世界の書き換えは、この世界に止まらない。タイヨウさんとミクさん、二人の影響が在る世界……つまり、彼らが一度でも行った事がある世界全てがその影響を受ける」
ユリア「何ですって!?」
乃愛「当然だろう。例えば、姫の国では確かミクさんは戦神の使いとしてたたえられていたね」

 母さん……本当に、何やったんですか……。

乃愛「それはミクさんの死に起因する。しかしミクさんは死ななかった歴史を私が作るのだから、君の世界のその歴史とは矛盾が生じる。そこで、歴史が書き換わるわけだ」
大翔「……ちなみに、親父達ってどのくらい世界を渡ったことがあるんですか?」
乃愛「さて、三十前後だったと思うが」

 くらり、と気が遠くなった。
 三十前後の世界に、わけのわからない影響を与える? その世界の過去をなかったことにしてしまう? あまりの横暴に、怒りを通り越して呆れてしまった。

大翔「止めますよ、そんなこと、絶対にさせるわけにはいかない」
乃愛「ふむ、君がそこまで必死になる理由はなんだい? 君からしたらその世界たちは、関係ないも同然だと思うが」
大翔「どうしても気にしちまう人がいるからに決まってんでしょうが」
ユリア「うっ」

 ユリアが図星をつかれてうめいた。

乃愛「ふ、っくく、そうかそうか、なるほど、な……うん、よし、十分だ」

 乃愛さんは一人何か納得したようにつぶやくと、指をぱちんと鳴らした。

大翔「んなっ!?」
ユリア「ヒロト!?」

 目の前が一瞬ぶれたかと思うと、俺はいつの間にか乃愛さんのすぐ前に立っていた。ユリアたちは後ろ。振り返れば、俺達の間には薄い光のカーテンのようなものが存在していた。

乃愛「さて、鬼ごっこだ」
大翔「鬼ごっこ?」

 乃愛さんは肯いた。意地悪な笑みだ。まるでこちらの反応を楽しむかのような――。

乃愛「ゲームは簡単。ヒロト君が私に触れることができれば君たちの勝ち、時間まで私が逃げ切れば私の勝ち。ただしそれでは外野が置いてけぼりを食らうから、こういうのはどうかな」

 そういって乃愛さんが指をもうひとつ鳴らすと、今度はグラウンドの地面が盛り上がり、人の形を成した。
 まるで、ファイバーの岩人形のように。

ユリア「これは!?」
乃愛「今からそれは君達を襲う。おおよそ……三百体かな? それら全てを撃破すればゲームクリア。君たちを阻む壁は消えるようにしてある」

 土人形達は意外に俊敏な動作で動き出す。一体一体の力はたいしたことはなさそうだが、それでもその数になるとさすがに辛いだろう。

乃愛「無論、ヒロト君が私に触れてもゲームクリアだ。何か質問は? ないようなら、すぐに始めるが」
ユリア「これだけのことをしておきながら、ゲームだなんて……あなたは一体、どういうつもりなんですか!?」
乃愛「まあ、そう言ってくれるな。こうでもしなくては、動かないものもある」

 乃愛さんはつぶやくと、右腕を高々と掲げた。
 芝居がかったしぐさで、気障ったらしく。

乃愛「それでは、はじめようか。『世界』を賭けた、運命のゲームだ!!」

 ぱちんっ。みたびその指が弾かれると同時に、乃愛さんも光の粒になって消えた。驚くことじゃない。強力になっていて存在感まで感じるほどだったが、今のは『錯覚』だ。

大翔「ユリア!」
ユリア「ヒロト、大丈夫。だからヒロトは行って、自分のやることをやって!!」

 俺はユリアに肯くと。
 その姿を、最後まで忘れまいと、しっかりその目に焼き付けた。

大翔「行ってくる」
ユリア「ええ。すぐに追いつくから」

 無理すんな、と言葉を返し、俺は校舎へとかけこんだ。
 本当に、無理しなくていいからのんびり来て欲しい。そうでないと、決意が鈍ってしまいそうだから。
 だって俺は。
 もう二度と、みんなには会えないから。




 その様子を遠くから眺めている二つの影があった。
 エラーズとポーキァだ。

エラーズ「ふむ……魔法、だけではないですね。世界のルールに直接干渉している、といったところですか」
ポーキァ「ふぅん。ファイバーはあの力でねーさんを解放しようとしてたんだろ? 世界ってほんと、なんでもできるんだな」
エラーズ「何でもというほどではないでしょう。例えばこの世界、彼女は書き換えをしようとしていますが、それにはこの世界の崩壊という鍵が必要です」

 世界の崩壊にあわせて、砕けた世界の欠片を繋ぎ合わせて歴史を作り直す。新しい世界を作るよりはるかに手間のかかる作業だ。

エラーズ「ま、ファイバーの姉を解放することができるかも知れない手段ならもうここにあるんですがね。これが終わったら試しに行きますか」
ポーキァ「はぁ!? 何だよあんた、そんなの持ってたのか?」

 エラーズはポケットから宝石を取り出す。見た目は何の変哲もない宝石だが、それには魔力を――魔法を封じる力がある。
 今、とある魔法が封じられている。あとはポーキァの魔力で解放すればいつでも使える状態だ。
 昨日の夜、とある人物から受け取ったものだ。

エラーズ「やれやれ、まったく……結局、彼も彼の父同様、願いだのなんだのでごまかしていますがただのお人よし、ということなんでしょうね」

 何かをするときに理由を求めてしまうのは人間の常だ。これもつまり、そういうことなんだろう。

エラーズ「彼が何を考えてこんなものを渡したのか……そして……いや、それはそのうちわかるでしょう」

 あの時。彼は自分達を見る第三の視線に気付いていなかったようだが。エラーズはこれからどうなるか、考える。

エラーズ「ポーキァ、よく見ておきなさい。馬鹿な男が馬鹿を見ますよ」

 まあそのためには。

エラーズ「彼が、世界を貫くことができれば、ね」




 時間はかけられない。俺は直感のままにその教室へと踏み込んだ。はたして、彼女はそこにいた。
 俺のクラス。教壇に立ち、授業をするときのように。

大翔「乃愛さん」
乃愛「やあヒロト君、早かったね。勘のよさは母親譲りかな」

 乃愛さんは苦笑する。リラックスしている様子だが、こちらの動きが仔細まで観察されているのがわかる。
 乃愛さんの実力は屋上での一瞬で十分に味わった。考えもなく飛び込んだところで、捕まえられはしないだろう。

乃愛「うん、冷静な判断だ。覚悟が良く伝わってくる。それだけにやはり、残念だよ」
大翔「残念?」
乃愛「ヒロト君、私が君の魔法を知っていることは、おそらく勘付いているね? そして、君の力ならば魔力の純粋攻撃よりも確実に私の中の礎を貫けることに、私が気付いていることも」

 俺は肯いた。
 俺の魔法は――『貫抜』はそういう魔法だ。貫く対象を選ばず貫く標的のみを貫く、最強の矛。その前には、いかなる壁も無意味だ。そう。貫こうと思えば乃愛さんが生んだあの光の壁でさえも貫けたに違いない。

乃愛「君はそれをしなかった。全てはそう、君の『みんなが幸せに』という願いのため、だけに。君は冷静に判断した。あの土人形達ならば三百体あっても彼らは勝つと。疲弊しながら、それでも勝つと。それまでに君は、事を終わらせるつもりだった」

 相変わらず、何もかもお見通し、か。
 俺はため息をついた。これではごまかしは通用しない。

大翔「ええ、その通りです。俺は乃愛さんもみんなも世界も全部を守りたかった。だから、その為にみんなを見捨てた。けどそれを言うなら乃愛さん、あなたもですね」
乃愛「ああ。あの土人形なら、五百だろうが千だろうが、それこそ無限に生み出すことも簡単だった。だが、それはしなかった。君のやりやすいようにギリギリのラインであの数を生んだ」

 つまり、これに関しては俺と乃愛さんは共犯ということだ。まったくもって我が侭な話だ。
 俺は拳を握る。
 つまり、ここから先は――。

乃愛「ここからは、君と私との勝負だ。時間との。そう……彼らが突破してしまえば君の負け、その前に君は決着をつけなくてはいけない。この私から礎を、引き剥がさなくてはいけない」

 そう。それが俺の目的。
 そんなことをすれば、世界に大きな負担がかかってしまう。それでも俺は思ってしまった。一度だけなら持つのなら、と。
 俺の貫きならば人体を無視して対象だけを貫くことが可能だ。そう、世界の礎だけを狙い撃ち、致命的な一撃を与えることができる。

乃愛「ヒロト君。君の願いの歪みは常々気になっていた。君の言う『みんな』の中には『自分』が含まれていないんだ。君はいつだって『みんな』のために戦う。それしかできない。その為ならば、自分の命は勘定に入れない……君は自分の命を、とうに捨てている」

 俺は何も言えなかった。それはたぶん、全部正しかった。
 いつから、そういう風に思ったのかというのはわからないけど、大体母さんが死んだ後からだと思う。誰かを、誰かを守れという脅迫的な意思が常に付きまとうようになった。そうしなくては息もできないほどに、追い込まれていた。
 みんなの幸せを。そうでなければ、俺が生きていけない。命を失うなどというわけではない。そんなことで当然、人は命を失ったりなんかしない。俺が生きていけないというのはつまり、死んでいないだけの生を送ることになるという、それだけの意味。
 目的も目標も願いも夢もなく、ただ諾々と日々を受け入れ日常を垂れ流し、起きて食べて寝てを繰り返す、ただそれだけの生。ファイバーの姉のように、ただそこにあり続けるだけの生。そんなのは、生きているとはいえないだろう。俺はそれが、嫌だった。

乃愛「私はミクさんに言葉では言い表せないほどに感謝している。だから彼女やタイヨウさんを生き返らせられる可能性が今ここにあることに、深く感動した。そしてこの三日間、ずっと考え続けた。そして結論が出たよ、ヒロト君」

 乃愛さんは。
 俺を、睨みつける。

乃愛「やはり私は世界を書き換えずにはいられない。どうしても彼らが死んだ事が納得ができない、受け入れられない、この世界が許せない。その思いは消えてはくれないんだ」

 一時の感情に流されてこんなものを手に入れた人間が言うのもなんだがね。
 乃愛さんの全身から淡い緑色の光がふわりと零れる。

乃愛「私は彼らに……特にミクさんには何も返せていないんだ。彼らから受け取った、かけがえないものを私も彼らに返したかった。それができないのならせめて彼らの生きた証に報いたかった。ミクさんの葬儀の日に君たちと話をしようと思ったのは、そんな想いからだったよ。私も自分勝手なんだな、結局君たちを利用した事になる」

 彼女にとって、結城大洋と結城美玖というのはたぶん両親に等しいものだったんじゃないだろうか。彼女が得られなかった、まともな『親』。
 乃愛さんは何も言ったことはないけど、きっとそんな風に思っていたんだと思う。俺だって、両親を取り戻せるのなら取り戻したいと思うよ。
 でも乃愛さんの言っていることはそうじゃない。全部なかったことにして最初からやり直すといっている。そんな強くてニューゲームみたいな真似させられるわけがない。
 そんなの、あの親父は言わずもがな、母さんがこの場にいたらギタギタにのされている。
 ……あ、そりゃ俺もか。

乃愛「けどね、君たちと過ごした日々とその中で紡いだ想いは本物だ、それに嘘はない。それでもやはり、思うわけだ。彼らがいれば、と。そして私はこの三日のうちにこうも思った。君が今日ここにこんな風に来ることを想像して予想して、こう思った。君はこのままではだめだとも」

 俺?
 なぜそこで俺が出てくる?

乃愛「君も私も他人への依存が極度に高すぎる点が、な」
大翔「依存」

 それは沙良先生が言っていたことか、自分の理由は他人の中にあるという。

乃愛「おそらく我々のような人間は孤独に生きてしまう人間の逆に位置するのだろうね。そのくせ大切な人になればなるほど甘えられない、そこにいるだけで満足してしまう。そして最後は、自分がいなくてもその人たちの幸せが守られる環境を願うようになる。自分がいなくなった後の事を考えてね。自分の幸せの全てを他人に肩代わりさせる、大切な人が幸せであれば自分が幸せだと錯覚できる。たとえその中に自分がいなくても本当に幸せだと思えてしまえるそういう人種だ、我々は。まともじゃない」

 それは孤独とは違うのだろうか。結局最後は独りになっているように思う。
 ああそうか、他人を必要としているのかしていないのか、その違い。孤独に生きてしまう人は、自分以外の人間を望まない。俺は――俺達は、他人にいて欲しくてたまらない。

乃愛「だがもし君に救いがあるとしたら、それは私たちの『根幹』の差だといえるだろう。似通った思考を持つ我々を区別する最大の違い、言うなれば兄弟の赤と緑」
大翔「いやその表現はどうかと」
乃愛「まあとにかく、こんな考え方をしているようでは君は人なみに幸せにはなれないと思ったわけだ。タイヨウさんとミクさんの二人が死に、君までも幸せになれない世界……そんな世界、私には正しいとは思えなくてね」

 つまり、だ。
 乃愛さんにとってはこの世界に親父と母さんがいないことそのものが苦痛なんだ。大切な人が幸せであれば満足できるということは、逆説、大切な人が存在しなければ際限ない苦痛に陥れられることになる。
 乃愛さんは今苦痛の中にいる。結城大洋と結城美玖がいない世界が彼女に終わりのない苦痛を与え続けている、のか。
 そして、その中に俺も入っている?

乃愛「なぜ君が幸せになれないかなんて聞いてくれるなよ。なぜなら君は絶対に彼女達の笑顔を守れないからだ。君にとってかけがえのない人ができた時、君はその人を必ず悲しませる。その生き方を続けている限りだ。理由は、さすがにわかるだろう」

 俺は肯いた。言いたいことは、伝わってきた。
 親父が俺達を守るために死んだ後の俺がどれだけの絶望と悲しみに沈んだのか、今ははっきりと思い出せる。そして俺の生き方は自分の命に頓着しない。そんな風にしていれば、いつ親父のようになってもおかしくはないだろう。特に、かけがえのない人のためともなれば。
 ふと、彼女の笑顔が思い浮かんだ。
 窓から差し込む月明かりが、胸を締め付ける。

大翔「それが、あなたが世界を書き換える、理由?」
乃愛「そう。タイヨウさんとミクさんが生きている歴史。彼らが生きていれば私は満足だし、君もそんな生き方をするようにはなっていないだろう。それで私は、彼らに報いることができると思っている。彼らの生きている歴史を作ることがではない、君の生き方を矯正することが、だ」

 乃愛さんは、眼鏡をはずした。

乃愛「あの二人に報いるためにも、今ここで君を倒し私は世界の書き換えを完了する。二度と立ち上がれないほど完膚なきまでに君を叩きのめして。彼らの息子に、自己犠牲の死などさせはしない。君のその根性。もはや硬く強張ってしまったその意志を、今日この場で叩き折る」

 本気を感じる。彼女は今、本気で俺に対して怒りを感じている。

乃愛「ヒロト君――君は今日ここに、死にに来たね?」
大翔「……はい」
乃愛「私の中の礎を取り出し、自分で取り込み、礎を自分ごと貫くつもりだったね」
大翔「はい」
乃愛「そのことに恐怖を覚え、申し訳なさを覚え、それでも君はそれをするつもりだったね。それが君の生きる意味だと」
大翔「はい」

 乃愛さんは平坦な声でうん、と肯いて。

乃愛「教師が生徒の自殺を見逃すと思うな!!」

 世界の声は、衝撃波となって俺を打ち抜いた。
 怒声は物理的衝撃を伴い、俺を吹き飛ばし、俺は背中をしたたかに壁に打ち付けた。教室の中の窓ガラスに割れていないものなどない。

大翔「っく! この世界をなかったことにしようとしてる人に言われる筋合いはないですよ!」
乃愛「この身に礎が宿った時点でもはやこの世界を砕く運命の体になってしまったんだ。それならなおよい道を探すに決まっている」

 そのなおよい道ってのが、新しい世界だっていうのかよ。自分の大切な人が幸せでなければ満足できないからって、その世界を作ることがよりよい道だっていうのか。

乃愛「さあはじめようか親不孝もの。そして女泣かせ。だめ兄貴」

 壁から背中を離す。
 親不孝。ああ、そうだ。そして女泣かせ。だめ兄貴。全部その通りだ。両親はこんな俺を叱るだろう。ユリアはきっと、泣くだろう。妹達は怒るだろう。
 けど、それでも。

大翔「そういう風になっちまったから、そういう風にしか出来なんですよ!」

 貫く! 目の前の壁を、その意志を。鳴り止まない雨音の奥から忍び寄ってくる、守れという声を。
 だって、あいつらを守らないと。あいつらの笑顔を守らないと。俺はたとえ生まれ変わっても幸せにはなれない。
 たとえ命を失っても、俺が生きるためにはそうするしかない。生きるために死ぬ矛盾、幸せを守るために悲しませる矛盾。自分勝手な幸せにすがりつく恥さらしな姿。

乃愛「痛みを与えて放り投げて、彼らなら乗り越えてくれると勝手に期待して。それがどれほど重いものか、君ならば知っているだろう! そうするくらいなら、抗わずに新しい世界を受け入れろ!!」

 俺の魔法を事もあろうに素手で弾いた。反則だろ、それは!?
 そして無茶苦茶な理論を展開する。そんな言葉で納得できる人間がいたら見てみたい。

大翔「お断りです。俺はこの世界の未来に未練たらたらなんですよ」
乃愛「なんなら新しい世界では姫と恋人同士とかいう設定もつけようか」

 いや突然何言い出すんですかあんた! しかも設定とか!

乃愛「? キスしたんだろう?」
大翔「何でそんな事知ってるんですか!?」
乃愛「いや、君の様子から推測したに過ぎないが」

 どこをどういう風に見てどんな推測したらそういう結論に至るのかがさっぱりわかりません。
 むしろ世界の力を使って覗いていましたとか言ってくれた方がまだ納得できる。

大翔「大体、そういう設定とかいうのが気に入りません。そこに俺らの意思がないじゃないですか」
乃愛「あくまでそういう結論を用意するというだけの話だ。そこで抱く感情も、行動も、全て君たち自身の物だ。まあそんな事しなくても、君たちの場合はくっつきそうだが」

 んなこたどうでもいいですよ。なんでこんな時にそんな話をしないといけないんですか。

大翔「今はそういう場合じゃないでしょう?」
乃愛「今だから、だよ。君と私どちらかの目的が達せられればもう会うことはないんだ。これが最後の機会だ」
大翔「それは……そうですけど」

 乃愛さんの言うことは正しい。けど世界の書き換えまでもう残り時間がなく、なおかつみんながあの場を突破してしまうまでの時間を気にするとあまりのんびりはしていられない。
 見つかれば、止められるに決まっているんだから。

乃愛「やれやれ、後ろめたいのなら最初からしなければいいのに」
大翔「後ろめたさ踏み倒せるからって何やってもいい訳でもないでしょうに」

 お互いに苦笑しながら、それでも。
 全力で、俺は魔法を放つ。乃愛さんはあるものはかわし、あるものは弾き飛ばす。
 あっという間に教室内はぼろぼろに壊されてしまった。

乃愛「さあ、追いついてみろ。全てを捨ててでも、この世界の存続を願うのなら!」
大翔「意地でも食い下がりますよ、それが俺にできることだから!」

 ずだん! 廊下に巨大な穴が開く。逃げる乃愛さんの動きを封じるべく次々に空間を貫いてく。それでもその速さが落ちる様子はない。
 歯を食いしばって追いかけた。
 その為に、ここに来た。




 ああ、やっぱり。
 戦いの最中だというのに、この体に満ちたのは虚脱感だった。レンが真っ先に気付いて、振り返る。

レン「姫様?」
ユリア「気にしないで、大丈夫だから」

 本当は。
 本当は、ぜんぜん、大丈夫なんて事は、なかったんだけど。
 目の前に迫る土人形を風でなぎ払いながらも意識は学園の内側へと向いている。学園の各所に私が設置した風。それはいまだに機能していて、学園内部の様子を正確に伝えてきていた。
 今の会話も、聞こえていた。
 予想はしていた。昨日、ヒロトは夜中に一人で外に出たかと思うと、まるで誰かを呼んでいるかのように自分の魔力を高めていた。それに呼ばれるように現れたのは……あの、エラーズだった。
 ヒロトはエラーズに、エーデルさんの家の宝石を手渡した。その中に、自分の魔法を込めて。それでファイバーのお姉さんが救える可能性がある、と告げて。
 それはつまり、ノアさんにも同じことが言えるのではないか。そう気付いた。世界の一部とそのものという違いはあるものの、それは酷く似通っていると感じていたから。
 それにヒロトが気付いていないはずがいなかった。けれど、ヒロトはそれを誰にも言わなかった。それが、すごく不安だった。
 そして彼の性格を考えて考えて、考えて。出てきた結論は、方法は、ひとつだった。
 もし自分の考えが当たっていたら? そう考えると怖かった。けれど思いつく節はあった。彼は自分の命を犠牲にすることを厭わない。落ちてきた看板から私をかばった時の彼の顔。心底安堵して、それ以外が本当になかった、あの表情。
 だからさっき、あんなことを言ったのだ。
 すぐに追いつく、といった私に。待ってるって言わないで、無理するな、だって。
 ねぇ、ヒロト。
 あなたがそうしないと生きていけないのはわかった。それでも、私はあなたに、あなただけに、生きていて欲しいよ。
 どうして死んじゃうの? どうしてそんな選択をするの?
 私は残酷な事を考えた。ヒロトが死ぬくらいなら、ノアさんが死んだほうが私は悲しくない。ううん、ヒロトが生きていればそれだけで嬉しい。そう思った。
 ああ、だめだなぁ。
 本当に、もう。

 私は彼に、恋をしている。

ユリア「レン……今、どのくらい倒したかわかる?」
レン「そうですね……おおよそ、四分の一といったところでしょうか」
ユリア「そう、まだ先は長いわね」

 そういいながら、また一体、風で敵を吹き飛ばす。
 いつから、だろう? いつから彼だけを見つめていたんだろう。
 初めて会ったのは、タイヨウさんの葬儀の時だった。涙ひとつ流さず、歯を食いしばって遺影を見つめる姿が、酷く儚かった。
 帰り道、たまたま公園で彼を見かけたのは偶然だった。今は、その偶然がとても嬉しいけれど。
『まるで泣いているみたい』
 そう告げた私に答えた彼の言葉は、今でも良く覚えている。
『泣いてないよ。だって、もう泣かないから』
 泣かない。
 ヒロトはそう言った。それがどういう意味だったのかは、わからなかったけど、でも、少しわかった。
 ヒロトは泣かないんじゃない。泣けないんだ。涙を流すことを、自分に許せなくなったんだ。
 悲しみを押し殺す。それだけをずっと、続けていたんだね。
 いろんな苦しみや悲しみを押しつぶしながら、そんな思いを人にさせないために、強くなったんだね。
 でもね……やっぱり、なんか、悲しいよ。

ユリア「嫌……嫌だよ、ヒロト……」
美羽「ユリアさん? ど、どうしたんですか、どこか怪我とかした!?」

 私は首を振った。違う、違うの、ミウさん。
 私はただ悲しいだけ。

ユリア「守ってくれてるって、言ってくれました……でも、だめなの。それだけじゃあ、だめだった……!」

 守るじゃあ、だめなんだ。
 そう気付いた。それよりも、もっと。もっと。

ユリア「ヒロトをあの中から、救わなくちゃ、だめだったのに……!」

 押し殺した苦しみは、本人の中に澱となって積もっていく。決して癒されない苦しみだけが重なっていく。
 人は泣かなくてはいけないのだ。泣くことで、悲しみは外へと解放される。涙と共に、感情は空へと上っていく。
 だから、泣かない人は。
 泣けない人は。
 決して逃げられない悲しみの牢獄に、自分を繋ぎとめているんだ。

レン「姫様……」
陽菜「……ねえ、どうにかして、一瞬でもいいから、このバリア壊せない?」
レン「ん?」
陽菜「ユリアちゃんだけでも、行かせてあげようよ。それがいいと思う。どんな結果になるとしても」
ユリア「ヒナさん……」

 涙に濡れる視界の中で、ヒナさんは太陽みたいに笑っていた。
 そして、ぎゅっと抱きしめられた。

陽菜「陽菜にはできなかった事だから。どうしようもなかったから」

 ああ……この人も、そうだったんだ。私と、おんなじなんだ。

レン「……ほんの一瞬、姫様一人が通るくらいなら、何とかできるかもしれません」
ユリア「やってくれますか、レン」
レン「あなたがそれを、お望みになるのなら」

 私は皆さんを見回した。
 誰もが、優しく見守ってくれていた。ああ……私は、こんなにかけがえのない仲間を手に入れた。
 そしてそれは、ヒロトにもいえること。だから私はいかないといけない。彼が置き去りにしようとしているものの、かけがえのなさを。

ユリア「――命じます。レン、私がヒロトの元へ向かうのを阻む物を打ち砕き、私を彼の元まで送り届けなさい!」
レン「御意に」

 レンは剣を収めると、魔力をその右腕に収束させる。集まった力は赤い輝きを放つ。
 レンの魔法。その全てが、力となって放たれる。

レン「この身は剣。ただ一人に奉げられし唯一無二! 家名解放――我が名はレン! 我が背負うは、冷たき紅!!」

 赤い輝きが、レンの体を走り回る。魔力が暴風を巻き起こす。

レン「姫様――どうぞ、その道を。貫け、わが奥義の二! 『無剣万刃』!!」

 その右拳が光の壁を打ち、溢れた魔力が万の刃となって壁を削り切り裂いた。細切れに粉砕される……が、瞬時に再生が始まる。私はその隙間に飛び込んだ!

ユリア「ありがとう、レン!」
レン「お気をつけて、姫様」

 私はレンに肯き返すと、彼の元へと走った。状況は常に把握している。
 狙っているのか偶然か。彼らは、屋上へと向かっていた。




 あの壁を切り裂くか。
 感心したエラーズは思わずため息を漏らした。

エラーズ「それにしても、私を騙した技の逆、ですか。あれを撃っていればあの時に私を殺せたでしょうに」

 無論、今のレンの技の隙の多さは問題だろう。だがそれも、美優の魔法で足止めをするなりすればできたはずだ。
 そうしなかったのは、彼女なりのプライドか。
 ともあれ。

エラーズ「さて。この戦いも……我々の行いから始まったこれも、そろそろ幕引き、ですか」

 全ての結果がどうなるのか、今は誰にもわからない。ただ、もはや誰かが悲しまなくては終わらない事態になっている。
 全てが終わった時に涙を流しているのは誰なのか。それはつまり、生き残っている人間は誰なのか。
 結果はもうすぐ出る。今はわかることといえば、

エラーズ「悲しみの少ない結末には、程遠いのでしょうね」

 ある少女の願いは、おそらくかなわないだろうという、それだけの話。
ツールボックス

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