俺の知らない記憶が、俺の中にあるとでも言うつもりか? そんな事、あるワケない。だからこれは、俺が忘れているだけなんだ。思い出せないだけなんだ。だから、 『ね……どうしてなの?』 その疑問が何を指しているのか、俺がどう答えたのか。俺には当然、思い出せないんだ。 目覚めは普段と変わらない。ゆっくりとまぶたを開いて、天井を見る。……知らない天井だった。 「……は?」 なんか最近、寝起きのドッキリが多い気がするんですけどそこんとこどうですかね? ていうか、背中の感触も家のベッドとは違う感じがする。かるく身じろぎするとやたら弾力のあるスプリングがぎし、と鳴った。 体を起こして、周りを見渡す。ベッドの周りにはカーテンがしてあるので、それをさっとあけると、隣には誰もいないベッドが並んでいた。 室内には無数のぬいぐるみが転がっている。文面のみを捉えれば可愛らしく思えるかもしれないが、足の踏み場を見つけることが困難なほどぬいぐるみに床を占拠されている光景異常を通り越して恐怖すら覚える。 しかもそのぬいぐるみたちはどこか改造してあったりするのだ。改造って言うか、合体? 亀と象が合体してたり、ライオンのタテガミがペンギンについていたりする。しかも縫い目がわからないくらいに綺麗に。几帳面すぎる。何がしたかったんだろう。 ていうかさ。 「なんでここにいるんだ俺はぁぁぁ!?」 布団を跳ね除ける。もはや1分1秒たりとも、この部屋にいることを俺の全身が拒否していた。いや、この部屋にいるのはいい! いややっぱりよくない! この人形達微妙に気味悪いから! それはともかく、この部屋にいることより危険なのは、 「お、目ぇ覚めたんか結城? ていうか随分威勢ええなぁ。何でそんなんでウチんとこに担ぎ込まれてくるんや?」 「ひぃぃっ! で、でたぁぁぁぁ!!!!」 目の前に現れたのは、白衣を着たロリ生物。しかしその実体は、この学校の保険医である虎宮沙良先生だ。つまり、このカオス空間を生成した張本人でもある、ということになる。その辺で、この人の世間一般とのズレ具合を察してくれると助かる。 そもそも、この人のしゃべりはどこの方言だ。 「はいはい、寝起きからいきなりデカい声ださんと、少しは落ち着きや」 「う……す、すみません…………」 「ま、結城がウチんことを怖がんのも無理はないかもしれへんけどな。ただ、あんまりおいたが過ぎるようなら、覚悟してもらうで?」 沙良先生の釣りあがった目の端がきらーんと光る。その右手は空をにぎにぎしている。なんだ、あんたその右手で俺のナニを握るつもりだ!? 「ぐ……。て、ていうか、何で俺が保健室にいるんですか? 俺、確か昼休みに学食に行く途中だったと思うんですけど」 「ふん。やっぱり覚えてないか。あのな、アンタはその学食に行く途中、急に気を失って倒れたんや。なんか心当たりとか、ないか?」 気を失った……俺が? 健康に関しては人一倍自信のある……ていうか、それしかとりえがないと妹に散々なじられている、この俺が? あ、なんかちょっと切ないよ、どうしてだろう母さん。 「こらこら、いきなり遠くを見て黄昏ないの。背中が煤けとるで?」 「それは明らかに使い方が間違ってると思うんですけど。ちなみに、心当たりはほんとにありません。何で気絶したんですかね?」 首をかしげる。まったくもって理由が思い浮かばないんだけど、どうしたもんか。そんな俺を、沙良先生はじっと見ていた。何だ? だが、俺と視線が合う前についと窓の外を見る。 なんとなしに壁にかけてある時計を見る。もう、5限目も半ば以上が終わっていた。どうやら、随分気絶していたらしい。 「ま、アンタがなんも覚えてないゆうなら、案外平気なんかもな」 「そうやって安心していると痛い目見ますよね、たいていの場合。ナントカの家庭の医学とか」 というかあの番組を見ていると毎週無用な不安に襲われるのだが。 「なんやぁ? ウチの見立てに文句でもあるんかいな? なんなら、ここでとことん議論してくか?」 再び沙良先生の右手がわきわきと蠢く。だから、その右手は何なんですか? 「っと、遊びもここまでか。ほら、アンタにお客や」 「は?」 沙良先生の言葉に自然と漏れた疑問の声。直後、ぶち壊れるかと思われるくらいの音と共に、保健室のドアが開かれた。 とてもじゃないが行儀の良いとはお世辞にもいえないドアの開け方をしたのは、 「ヒロトさん! 目が覚めたんですね!?」 「ユリアさん? ええと、はい、目は覚めたけど……」 意外な事に、ユリアさんだった。わずか数日の付き合いだが、彼女がこのような行動をとるとは思えなかった俺は驚きのあまり呆然としてしまう。 ユリアさんは顔いっぱいに不安を浮かべながらベッドのすぐ傍へかけてきた。 「ああ……よかったぁ…………」 ユリアさんは力なく、ベッドの横にへたりこんだ。そんなに、心配させたのか? 「ユリアさん、俺はぜんぜん平気だから、そこまで焦らなくても……」 「ぜんぜん平気なんかじゃなかったです! すごく苦しそうな顔をしていて、とても辛そうでした!」 きっと睨まれる。うう……そんな事言われても、倒れた当時のことがぜんぜん覚えてないからなんともいいようがないんだけど……。沙良先生はというと、うっすらと涙を浮かべているユリアさんと途方にくれている俺をほっぱらかして、ぬいぐるみで適当に遊んでいらっしゃいました。この学校の先生は変わり者しかいないのか。 「ほんとに、大丈夫だから。何で気絶したのかさっぱり理由なんてわかんないぐらいだし、多分、何か変なものでも食べたんだって」 なんか陽菜みたいなこと言ってるな俺……ていうか、変なものって何だよ。けど、さすがにユリアさんに心配かけっぱなしっていうのはちょっと気分が悪いし。 「本当に、大丈夫なんですか? どこか、苦しかったり気分が悪かったりしませんか?」 「心配性だなあってて痛い痛い痛い! 手! 右手滅茶苦茶痛い!!」 爪でぎりぎりと右手をつね上げられる。容赦ねぇ! この人滅茶苦茶容赦ねぇよっ!? 「心配もします! 廊下でいきなり顔色が悪くなったと思ったら、突然倒れたんですよ!? これが心配せずにいられますか!!」 「ごめんなさい! 反省しています! だからお願い、離して! 爪がすっごい食い込んでるから!!」 ユリアさんのつねりは凄く痛かった。多分手加減とかそういうのは一切なかったと思う。ていうか、内出血とか起こさないだろうな……保健室で怪我増やしてちゃ話にならないぞ。 「はいはい、いちゃいちゃするんもええけどな、あんまり騒がんといてな」 「あ、はい――すみませ――――」 「? ユリアさん、どうしたの?」 きょとん、と、不思議なものを見るように沙良先生を見ているユリアさん。どうしたんだろうか。 「あの――」 「ん、なんや? なんか聞きたいことでもあるんか? ウチはかわいいモノは何だって愛でるからな、かわいいあんたの疑問にもきちっと答えたるで」 「お母さんと、はぐれたのかしら?」 ぴしり。 世界が極低温に凍りついた音を聞いた。 沙良先生は笑顔のままその動きを止め、俺は突然の事態に何も反応することが出来ない。ただ、自分の心臓の鼓動がばっくんばっくんビートをあげているのだけはわかった。 ユリアさん……あなた、なんてことを…………。 俺はこのあと訪れるであろう恐怖の事態を想定して、どこか逃げ場所を探す。が、ない。ベッドの下なんかに逃げたところで、引きずり出されるに決まっている! そして、今この世界においてもっとも危険に瀕しているはずのユリアさんは、当然ながらなぜ俺と沙良先生が動きを止めたのか理解していないようだった。 「あの……大丈夫?」 「ひきっ」 ユリアさんの悪意のない親切が逆に沙良先生の逆鱗を撫で回す。 沙良先生の口がひくっとつりあがる。あ、結構我慢の限界近いぞ、アレ。ユリアさんがかわいいからなんとか我慢してるけど、それも限界な感じ。 空気を察さずにコンボで相手の耐久力を一気に奪う……ユリアさん、容赦ないっすね。 「あ、なんだったら、私が一緒に先生のところへ行ってお母さんを探してみましょうか!」 名案、だったんだろう。ユリアさんの中では。だが、その言葉で、沙良先生が完全にキレた。 「く、は、くははははははっ! いやもうまったく、言ってくれるわアンタ!! せやなあウチちっちゃいもんなぁ!? ……余計なお世話や!」 「ふ、ふぇっ!?」 沙良先生の体から不気味なオーラが溢れ出す。同時に、 『くははははは』 『ぐげげげげげ』 『ケタケタケタ』 『ぐきょきょきょきょ』 くまが、かばが、いぬが、豚の頭とわにの動体と象の足といるかの尻尾とシマウマのたてがみが組み合わさった何かが。保健室の床に散らばったぬいぐるみたちが次々に声を上げて笑い出す。怖い。実に怖い。さっきまでファンシー空間だったのがすっかりホラーハウスと化してしまっている……! ていうか最後のぬいぐるみはなんだ! かわいいとでも思ってんのかその組み合わせふざけんな!? 「ひ、ヒロトさん? コレは一体!?」 「えー、あー、その、なんていえばいいのか。つまり、あそこのミニマムさんはこの学校の保険医なんです」 「保険……医?」 ユリアさんが疑問符を浮かべて、沙良先生を見る。相変わらずどす黒いオーラを発散している沙良先生。 その後ろに浮かべるに相応しい効果音は、ゴゴゴゴゴ、といったところか。 「あの、保険医、ということは、つまり……」 「まあ、一応あれで、先生って事。俺らよりは、少なくとも年上……のはず」 いやだって、歳の話はタブーだっていわれてるんだもん。ちなみに、愚かにもその話を沙良先生に持ちかけた馬鹿が、3日間精神的要因で学校を休む羽目になったのだが先生は一切関与していないと言っていた。当然、誰も信じなかったけど。 ユリアさんは沙良先生をもう一度見て、信じられないといった顔をする。まあ、この見た目で成人とっくに超えてますとか言われても困るのは確かだ。ぜったい補導経験あるだろ、この人。 「で、では私は、かなり失礼なことを……?」 「失礼って言うか、踏んだらいけないものを全力で踏みぬいた感じ?」 核地雷とかS2爆雷とか、なんかそんな感じで。 「あ……あの……保険医、さん?」 「虎宮。ウチは虎宮沙良や。よう覚えとき……その名は――」 沙良先生の口が牙を剥く。うごめく両手はすでにユリアさんをロックオン。 「アンタを倒すもんの名やぁぁぁぁぁっ!!!!!」 「きゃぁぁぁぁっ!?」 身軽な動きで沙良先生がユリアさんに飛び掛る。その右手は顔面に、その左手は胸に……って、ちょっ!? 「うりうりうりうりうりうりうりうり!!!!」 「きゃ、いたっ……いや、そんなとこ……あ、やっぱりいたっ……きゃっ、あふぅ、んっ」 「あああうああああああああ」 目の前で繰り広げられるバイオレンスでセクシャルな光景に、脳がすさまじい勢いでオーバーヒート。沙良先生の右手はユリアさんの顔面をがっちりと固定し、ぎりぎりと締め上げる。同時に、左手は本当に同じ人間の手なのか疑わしいほどに柔らかくいやらしくうごめき、その……ユリアさんの……胸を、ほら、ね? ってうわ!? 人の胸ってあんなに柔らかいのかっ!? す、すげぇ……すげぇぞこれは……。 「はぁっ……うんっ。いやぁ……そんな……ひ、ヒロトさぁん……」 「はっ! し、しまった! 見とれている場合じゃない……って先生、何脱がそうとしてるんですかっ!?」 「なんや! ウチのやることに文句つけるつもりか!?」 「ひぃぃっ!? あ、ありませんごめんなさい! 生まれてきてごめんなさいぃぃっ!!」 沙良先生の目がなにやら血走っている。怖い。反射的に謝ってしまったではないか。 さっきのどす黒いオーラも怖かったが、こっちのエロ親父臭のする沙良先生もこれはこれで怖い。 ユリアさんはすでに涙目で息も荒い。痛みなのか別の要因によるものなのかは、なるべく考えないようにする。ていうか、肌を赤らめて薄く汗をかきながら、そんな息苦しそうな呼吸とかされると! なんかいろいろと俺の方が切羽詰っちゃうんですけど!? だがそこに、1人の救世主が現れた。 「姫様! どうなさったのですか!? って貴様ぁ、姫様に対してなんて破廉恥な行為をしている!?」 「レン!」 相変わらずユリアさんのピンチには敏感なのか、レンさんが保健室の扉を蹴破って入ってきた。すげぇ……扉が直角にひん曲がってる。 「うん? 何やアンタ、みなれん顔やな。このこはウチに対して言ってはならんことを言ったんや。そういうわけで、これはお仕置きや」 「貴様……そのお方が誰かを理解して言っているのだろうな」 「この子が何やろうと関係あらへん。この学校の生徒であることに代わりはないし、ここはウチの城、保健室や。ここでのことはウチが決める」 沙良先生、そんな勝手なことをしていいルール、この学校どころか世界中のどの学校にもないと思います。言っても聞かないだろうけど。 レンさんは、沙良先生の言葉に怒り心頭の様子だった。敵意のこもった視線で沙良先生を睨みつけている。 「……いいだろう、ならば、力ずくでもその場から引き離してくれる」 「やれるもんならやってみい。せやけど、アンタもただで済むとは思わんことや」 沙良先生はユリアさんを放すと、レンさんに向き直る。あの自信は一体どこから出てきているんだろうか。 「ヒロトさん~、こ、怖かったです~~」 「ああ、うん、頑張った頑張った。よしよし、もう怖くない怖くない」 「ふえぇぇぇ……」 開放されたユリアさんはへなへなと力をなくへたり込む。俺はそれを支えてあげた。……し、下心はないぞ、たぶん。 ああ、怖かったんだろうなぁ、変なのに絡まれて。ていうかこんなエロい事態、想像すらしたことないだろう。それなのにいきなりあんなことされたら恐怖を覚えても仕方ない。 ――ところで至近距離で涙目で見上げられると俺も変な気を起こしそうで大変なんですがマジで誰か助けてくれませんか。 一方のレンさんと沙良先生は人形たちを挟んでにらみ合っていた。どちらも動く様子はない。 きーんこーんかーんこーん チャイムの音とともに、 「はぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」 レンさんがまるで飛ぶように沙良先生に迫る。余りの速さに俺は目を剥く。あの動きに、まともについていけるはずがない!! だが、沙良先生は口元に余裕の笑みを浮かべている。まさか、何か策があるのか!? 「甘い――べっこう飴より甘いわ。秘儀、ぬいぐるみバリアー!!」 「なぁっ!?」 沙良先生は足元のぬいぐるみを蹴り上げ、レンさんの拳と自分の間に跳ね上げたのだ。鋭い拳が、ぬいぐるみを貫――か、ない? ……って、はい? 「おのれ……貴様、なんと言う卑劣な…………!」 「なに言うてんのや。ここにおるぬいぐるみたちは全部ウチが集めてきたもんやで? つまり、ウチの体の一部の同然や」 いや、おかしい。その理屈はおかしいと思う。だが、レンさんは沙良先生の言葉に口惜しげに顔をゆがめるのみ。いや……なんで? なんだろう、何かよくわからない不思議ワールドが俺の目の前で展開され始めている気がする。 「そんな……あんなことをされては、手だしできません!!」 「そうなんだ!? あれってそんなにすごい技だったんだ!?」 ユリアさんまで衝撃に身を震わせていた。手から伝わってくる震えからして、本気で驚愕している模様。 なんか、目の前の空間が俺の知らない理屈で動いている。俺1人、置いてけぼりなんですけど。 どうしよう、止めたほうがいいんだろうかこの状況は。でも緊迫している雰囲気ながらなぜかほのぼのとした様子も見受けられるわけでそう考えると止めないほうがいいのだろうかとも考えてしまう。 「ほぅーら、どや? この子の顔面に、その拳を打ち付ける言うつもりか、アンタは?」 「くぅ……いや、だがしかし、私が今ここでひいてしまっては姫様がっ!!」 「レン、ダメよ! そんなことをしてしまってはだめ! 私はどうなってもいいわ、だから、この子達だけは!!」 「姫様…………!!」 「くくく、健気やなぁ姫様」 …………。え、何この寸劇。コントか何かなのか? なぜに3人ともそんな大真面目にぬいぐるみを人質として扱ってるの? 「貴様ぁ……仮にも教師ではないのかっ! このような真似、よくも出来たものだなっ!?」 レンさん、昨日の学校案内のときばりの怒りっぷり。そんなに大事か、ぬいぐるみ。ていうか、ユリアさんも地味に涙ぐまないでください。音速でおいていかれてるから、俺。 「所詮は子供いうことやな。いっとくけどな、ウチにはまだまだ、秘密兵器があるんやで?」 「なにっ!?」 「秘密兵器ですって!?」 へーそっかー秘密兵器かー。そんなことより、俺そういえば今日昼飯食ってないんだよなー。なんかおなかすいてきたなー。あ、そういえばこの部屋って、沙良先生の私物の草加煎餅置いてなかったっけ? 「めんたまかっぽじってよう見とき! さあ、出番や――ましゅまろ!!」 「きゃぁっ!?」 「うぉわっ!?」 突如、ユリアさんの体が大きく跳ねてバランスを崩し、ベッドの上に飛び込んできた。油断していた俺はうまく受け止めることができずに彼女を抱えてベッドの上に転がってしまう。 「あ、っつつ……ユリアさん、大丈夫だった?」 「はい……突然のことで驚いただけですから……それよりも、今のは?」 俺とユリアさんは顔を見合わせ、その疑問の答えであろう沙良先生を見る。と、そこには、奇妙なぬいぐるみが……いた。 なんというべきか。形はそう、雪見大福というアイスがあるが、アレに似ている。白い半球状だ。その大福に、ネコの耳と狐の尻尾をつけたもの、とでも表現しようか。とにかく、そんなぬいぐるみだった。ちなみに顔は非常に表現しやすい。 (´・ω・) こんな感じだ。なんかやっちゃいけない表現使ったような気がするけども楽に表現できるんだから仕方ない。俺は悪くない。 で、その大福だが……先生の横で跳ねていた。ぽんぽんと、腹(胴体?)を膨らませたり引っ込ませたりしながら、器用にぽんぽん跳ねていた。どう見てもぬいぐるみの癖に、生物じみた動きで跳ねていた。うん。跳ねてる。 …………なんでやねん。 思わず先生の口調が移ってしまった……。 突然の事態に、レンさんとユリアさんも呆然としている。 「ほぅ…………」 「はわぁ…………」 「って、なに二人揃って夢見る乙女ちっくな顔になってるんだ!? もっと考えるべきところがあるだろ、アレには!!」 「わかってないなぁ、結城。女の子は、かわいけりゃ何でも許せるんやで?」 「いや、先生は女の『子』って歳じゃな……ってうぉわっ!? メスを投げないでくださいメスを! 今避けなかったら脳天直撃でしたよ!?」 「ぶち抜こうと思ってんのやから当然やろが…………」 先生、目が据わってらっしゃる……保健室で怪我人どころか死人を出すつもりかこの人は。ていうか、マジでなんなんすか、そのぬいぐるみは。 「ま、このぬいぐるみはウチの『流理』をちぃっとばっかしうまくつこうた結果や。どや、ようできとるやろ?」 沙良先生は自慢げに大福を掲げる。どうやら、先生の魔法を組み込んで動いているらしい。どういう原理なのかはさっぱりだが。 そして、沙良先生はレンさんに挑戦的な視線を向ける。もはや、レンさんは乙女チックモードに入っていて戦いどころではないだろう。 「うははははっ! どや、このましゅまろを相手にアンタは戦えるか!?」 「く、ううううう…………!」 「いいなぁ……ましゅまろ、いいなぁ…………」 レンさんは悔しそうに、ユリアさんはうらやましそうに。このマイペース空間どうにかして欲しいんですけど。誰か。そろそろこの場にい続ける事を辛いと感じ始めている自分がいた。 その願いが通じたのか、 「兄貴! 昼休みに窓から落ちて気絶したって本当!?」 「お兄ちゃん、体がばらばらになったって…………!!」 「ヒロ君、腕が4本になっちゃったって本当!?」 とりあえずあとで学校内にどんな噂が流れているか確かめたくなるような叫びと共に、妹達と陽菜が保健室に飛び込んできた。ああ、そういえばもう授業終わってたな。 入ってきた3人は、室内の状況を見て動きを止めた。そりゃそうだろう。レンさんと沙良先生が向かい合ってて、その沙良先生が動くぬいぐるみを抱えているのだ。驚かないはずが……おや? 「あ、あああ、兄貴…………」 「お、おおおお兄ちゃん……」 「――ヒロ君が、大人の階段をっ!?」 「は?」 なぜか3人は、レンさんと沙良先生をスルーしてこちらしか見ていない。なんだ、いったい、どうしたってんだ? 改めて、自分の状況を見てみる。俺は、少々布団の乱れたベッドの上に座っているだけだった。 ――ただし、頬を上気させてうっすらと瞳に涙をにじませ、着衣の乱れたユリアさんを両腕で抱えながら。 オーケーオーケー。何となくやつらが動きを止めた理由は察した察しましたのでちょっと弁解する時間を私に与えてくれやがれ八百万。 「……………………いや、なんだ。まあ落ち着けよこのあとの展開はなんか予想できるような気がするけど俺は抵抗するぞいいかまずだなこの状況になった理由を説明すると」 「あああ、兄貴のばかたれぇぇぇぇっ!!!!!」 入り口に近い位置にあった巨大なぬいぐるみを踏み台に、見事な跳躍を見せた美羽はその勢いを利用して全力で、 「不埒な兄貴への怒りと悲しみのアタシきぃぃぃっく!!」 「ごぶへぁっ!?」 斜め上からのドロップキックは見事俺の顔面を捉えたのだった。 ぐるんと世界が回転していた。ああ、太陽の光が、まぶしい――。 「ああ、ヒロトさんが!」 「あああユリアさん、ごめんなさいごめんなさい! こんなバカな兄貴で本当にごめんなさい! 神様こんなバカな兄貴にしてしまって本当にごめんなさい!!」 「お姉ちゃん……ワタシも、一緒に謝るよ…………」 「ううう、美優……アタシ達、どんなに変態な兄貴を持っても、2人で一緒に構成させていこうね!」 「うん、お姉ちゃん……ワタシ、がんばるよ」 おーい、そこの、2人…………姉妹愛を確かめ合うのは、結構だが……俺の、話も…………ガクッ。 結局、その日は放課後まで気絶しっぱなしだった。 ちなみに、ユリアさんたちは妙に沙良先生と意気投合したらしい。 …………女ってよくわからん。