簡単な仕事、の筈だった。
少なくとも、少年に命令を出した組織の幹部はそう言っていた。
用意された鞄を持って標的に近付き、同じく渡されたスイッチを押すだけ。
それだけで諸悪の根源たる<<GRF>>に正義の鉄槌が下される。
そして、正義の代行者たる少年は神の下に召され、そこで再び両親と暮らせるのだと。
「お母さんか、どんな女性かな。
美人だと嬉しいな。
お父さんは逢った事も無いから判らないや。
まだ何処かで生きてるかもしれないし。」
こんな与太話を信じている訳ではない。
ただ、何か信じられる物が欲しかったのかもしれない。
少年はある国のスラムで生まれ育った。
母親は娼婦で、父親は何処の誰だか判らない。
その母親も、少年が5歳の時に、20歳の誕生日を前に死んだ。
写真の1枚も無いので顔も思い出せない。
母親が死んで1週間、飢えと渇きで死に掛けていた所を、あるテロ組織に拾われた。
その組織は、同じ様な境遇の子供達を集め戦闘訓練を施し、商品として各地へ出荷していた。
自分達がさせられている事が何なのか、初めは理解出来なかった。
理解してからも文句は無かった。
ここで戦闘訓練をしてさえいれば、その日の食事には困らなかったからだ。
少年は優秀だった。
同じ年頃の誰よりもナイフの扱いが巧かったし、銃の使い方も1番に覚えた。
頭の回転も速く冷静で、常に最適な選択をした。
組織で度々行われた「共喰い」でも、動きを鈍らせる事は無かった。
「共喰い」とは、優秀な子供に使い物にならない子供達を殺させる訓練、いや、一方的な殺戮だ。
この試練を乗り越える事で、人を殺す事への躊躇いが消え、優秀な戦闘マシンへ変貌する。
しかし、精神に異常をきたす者も出て、育成効率は良いとは言えなかった。
だが、材料たる子供なら容易に調達出来るし、商品は取引先でも好評だった為に定期的に行われていた。
訓練中の事故死、「共喰い」による脱落、発狂した末の自殺。
日に日に友達が減っていく内、少年は生き残った。
数年の後、少年は女の子に間違えられる程愛らしく成長したが、その精神は正常な物ではなかった。
常軌を逸した生活を強いられた少年は、いつしか全てを諦め、全てを受け入れてしまった。
命令されれば何処でも誰でも、いつもの愛らしい笑顔のまま殺す、それだけの人形になっていた。
何も感じず、考える事は如何に確実に標的を始末するかというルーチンワークのみの殺人機構。
兵士、いや機械に心や感情などは必要無いと考えていた組織には、理想の商品と歓迎されたが。
そんな少年は、別の組織へ売られた事も、その組織の少年嗜好の変態幹部に犯された事も受け入れた。
そもそも、それを拒絶する心は残っていなかったのだ。
少年を買ったのは、とある産油国をスポンサーに持つテロ組織だった。
世界的なエネルギー資源の枯渇により、未だ豊富な埋蔵量を誇るこの国は、国際社会への発言力を増していた。
だが、<<ニュード>>の発見以降はその勢いを失った。
いずれ<<ニュード>>が実用化されれば国際社会から孤立し、他に産業を持たないこの国は破滅するだろう。
焦った首脳部は配下のテロ組織を用い、<<GRF>>に圧力と妨害をかけていた。
エネルギー問題解決の救世主たる<<ニュード>>だったが、全人類に無条件で歓迎されている訳ではなかったのだ。
<<GRF>>と<<EUST>>との武力衝突が始まると、双方の共倒れを狙って活動の規模を広げた。
今回の標的は、<<GRF>>が抱えるチームの1つ、ブロッサム隊の隊長ベテラン。
<<GRF>>は連携を重視し、<<ボーダー>>をチーム単位で運用している。
ブロッサム隊は、高い作戦成功率を誇る古参のチームの1つで、<<GRF>>戦力の中核だ。
その司令官を消す事で、<<GRF>>に物理的にも精神的にもダメージを与えようというのだ。
なるべく派手な方法で実行し、スポンサーと世間に活動を認知させねばならない。
方法は、爆発物を使ったテロと決まった。
笑顔の子供には誰しも警戒心が薄くなる、実行者には少年が選ばれた。
スポンサーの国の宗教に心酔している組織幹部は、この作戦を「神の御心に適う正義」だと、少年を弄びながら説いた。
殉教する少年は神の下に召され、そこで再び両親と幸せに暮らせるのだと。
「お母さんか、どんな女性かな。
美人だと嬉しいな。
お父さんは逢った事も無いから判らないや。
まだ何処かで生きてるかもしれないし。」
変態幹部に辱められながら、少年は、そんな事をぼんやり考えていた。
ターゲットのベテランは、次の戦闘エリアに指定されたブロア市街に、部下数名と視察に来ていた。
ブロア市街では来るべき戦闘に向け、<<GRF>>と<<EUST>>が急ピッチで其々のベースを建設中だった。
住むべき街を失ったかつての市民が、工事特需の恩恵に与る為、或いは抗議の為に故郷に押しかけていた。
その喧騒の中に少年は紛れていたが、ベース付近はニュード汚染区画であり一般人は近付けない。
少年は高いニュード耐性を持っていたが、一人だけベースに近付いては目立ってしまう。
組織が得た情報では、標的は明日の早朝、市街地に赴くらしい。
夜のうちに市街地に潜伏し、待ち構える事にした。
ブロア川の近くの廃墟を今晩の塒に決め潜り込む。
持ってきた毛布に包まり、携帯食料をミネラルウォーターで流し込む。
「味気ない『最後の晩餐』だなぁ。」
当然だが、応える者は居ない。
特にやる事も無いので早々に眠る事にした。
早く寝た所為か、夜明け前に目が醒めた。
暗闇の中、持ち物を確認する、。
爆薬10kgを入れた背負い鞄、ポケットの中の起爆装置、愛用のナイフ数本、拳銃と予備マガジン3本。
その他の物はここに捨てていく、どうせあの世には持って行けないのだから。
残っていたミネラルウォーターを飲み干し、少年は外に出た。
丁度、太陽が昇ってきた。
街並が朝日に浮かび上がり水面が煌く、美しくも悲しい風景だった。
街は無人の廃墟で、川の澄んだ水もニュードに汚染されている。
ニュード耐性を持たない者なら、半日も居たら命を落しかねない死の街。
「こんなキレイな場所で死ねるなら、それも悪くないかもね。」
自分が「共喰い」で手にかけた友達の顔を思い出しながら、独り言ちる。
坂の上から、1台の装甲車が降りてくるのが見えた。
恐らくは標的だろう、少年は身を隠して様子を伺う事にした。
ブロア市街中央に架かっている橋の麓に停まった装甲車から、3人の男が降りた。
「攻めるにしろ守るにしろ、この橋が重要ですねぇ。」
「ACを使える強襲兵装なら川越えも楽だろうが、それ以外は橋頼みになりそうだな。」
「陽動で橋に意識を向けさせて、ACで一気に強襲ってのも悪くないんじゃないか?」
一際体格の良いスキンヘッドが標的のベテランだ。
お供の2人も、ブロッサム隊の<<ボーダー>>だと思われる。
「時にお二人共、どうも監視されているようですよ。
あぁ、そのまま聞いて下さい。
5時の方向、約30m、廃墟の中からこちらを伺っています。」
「…何でそんなにはっきり解るんだ?」
「オペ子の情報にあったテロ組織か?」
「<<EUST>>でないとすると、恐らくは。
標的はベテラン氏でしょう、確実に仕留める為に自爆でもする気ですかね。」
「正気じゃねぇな、どうする?」
「お二人はこのまま川沿いを移動して下さい。
適当な頃合で、一瞬で構いませんのでそちらに意識を向けさせて下さい。
その隙を突いて拘束します。」
「…殺らねぇのか?」
「気配からすると子供の様なのでね、出来れば殺したくはありませんね。
ではお願いします。」
3人は市街地を眺めながら何か話していたが、標的と若い男が川沿いを移動し始めた。
もう一人は別の方向に歩いてゆくが、そちらには用が無い。
少年は潜んでいた廃墟から出て二人を追う。
暫くして突然、若い男の方が振り向き、少年に声をかけた。
「そこの餓鬼、隠れてないで出て来いよ。」
「(見つかった!
どうしよう、ここで殺しちゃおうかな?)」
隠し持っているナイフも拳銃も、少年が扱える小型の物だ。
標的と若い男の着ているバトルスーツを貫通させ、致命傷を与えるのは難しい。
「(やっぱり爆弾しかないよね。
起爆させるにはまだ遠いし、どうにかしてもっと近付かないと…)」
ゆっくりと建物の影から姿を現す少年。
「(ホントに餓鬼だな…。
まずは起爆装置から手を離させないとな…)
そんな所で突っ立ってないで、こっち来いよ。」
若い男も標的のベテランも、銃はホルスターに仕舞ったままだ。
「(このまま有効範囲内まで近づけるかな?)
あの、ボク…。」
不自然ではない速度を保ちながら、ゆっくり二人との距離を縮める少年。
拍子抜けする程あっさりと、二人の側に来てしまった。
少年がポケットの中でスイッチにかけた指に力を入れようとした瞬間。
「チョコレートでも喰うか?
支給品だから味は保証しないけどな。」
若い男が差し出した板チョコを、少年は反射的に両手で受け取ってしまった。
無条件に何かを与えられた経験の無い少年は、これをどうして良いのか判らなかった。
若い男と標的のベテランと、自分の手の中の板チョコを順繰りに見比べる。
「あの、えっと、これ…あぅっ!?」
倒れこむ少年の後ろに、いつの間にかもう一人の男=ナルシーがスタンガンを持って立っていた。
「おや、まだ意識が有りますか。
大人でも気絶する出力なんですがね。
流石に動けはしないでしょう、そのまま寝てて下さい。」
手際良く少年を拘束し、武装解除させてゆくナルシー。
「ふぅ、嫌な汗かいたぜ。
しかし、ナルシー、あんた、忍者か何かなのか?」
若い男=熱血には、建物の壁から突然ナルシーが現れたように見えたのだ。
「えぇ、通信教育で『甲賀デスシャドー流ゲルマン忍法』36段を修めてクロオビを頂きました。
こんな所で役に立つとは思いませんでしたが。」
壁に擬装するのに使った唐草模様の風呂敷を仕舞いながら答えるナルシー。
「…俺は何処から突っ込めば良いんだ?
ベテラン、この餓鬼、どうするよ?」
「ここに捨て置く訳にもいかんだろう、ベースに連行する。
テロ組織の情報が引き出せるかも知れんしな。」
少年は連れて行かれたベースで彼等から尋問を受けた。
聞かれた事で知っている事は、全て素直に答えた。
黙秘する、或いは嘘を教えるなんて事はしなかった。
物心付いた時から命令され従う事で生きてきた少年には、そもそもそんな事、思い付きもしなかったのだ。
少年から得た情報により、すぐさま当局が組織のアジトを襲撃・摘発した。
<<GRF>>からも傭兵が派遣されたし、驚くべき事に<<EUST>>からも協力があった。
この組織には、<<EUST>>も少なからず損害を受けていたのだ。
アジトでの激しい銃撃戦の末、組織幹部の数名が射殺された。
少年を育てた母国の組織も壊滅し、多くの子供達が救出された。
それらの知らせを聞かせされても、少年はいつもと同じ笑顔で、「そうですか」と、答えただけだった。
「なぁ、ナルシー、あの少年だけどよ。
…これからどうするんだろうな?」
「残酷な事ですが、普通の生活は送れないでしょうね。
彼は戦う事、いえ、殺す事しか知りません。
何より、自分の意思と云う物が無いんですよ。」
「どういう事だよ?」
「長く命令に従い殺すだけの生活だった所為なんでしょうね。
限られた条件の中で最適だと思われる選択をする事しか出来なくなっています。
しかも、それは殺しの手段に限られます。
…少年はね、夕食のメニューすら、自分で決められないんですよ。」
「………酷ぇ話だな。
俺達傭兵も、大概クズだと思ってたがよ。
自分の意思で戦う事を選んだだけ、まだマシなんだな。」
「その少年ですがね。
ベテラン氏とオペ子さんが何か企んでるみたいですよ?」
「ボクが<<ボーダー>>に、ですか?」
「あぁ、君さえ良ければ、だが。
君の居た組織も故郷の組織も壊滅した今、君は自由の身だ。
だが、勝手な言い草かも知れんが、行く当ても無いんじゃないか?」
事実だった。
テロリストとして暗殺の手段しか知らない少年は、他に生きる術を知らない。
そして何より、自由と言う物が理解出来なかった。
「<<ブラスト・ランナー>>の操縦なら心配しなくても良い。
<<スクール>>で訓練すれば、君なら数ヶ月でマスター出来るだろう。
費用とか面倒事は、このお姉さんが巧い事やってくれる。」
「よろしくね、少年君。」
「勿論、嫌だったらそう言ってくれて構わない。
君にはその権利がある。」
少年は、ベテランとオペ子の顔を見比べた。
「(そっか、今度はこの人達の命令を聞けば良いんだ。)
はい、<<ボーダー>>になります。
よろしくお願いします。」
命令する人が変わるだけ、今までと何も変わらない、少年はそう思った。
少年は気が付かなかった。
他に選択肢が無かったとはいえ。
これは、少年が生まれて初めて、自らの意思で選んだ選択肢だと言う事を。
少年の人生が、この瞬間、改めて始まったという事を。
ベテランは少年に手を差し出しながら。
オペ子は少年に優しく微笑みながら言った。
「ようこそ、ブロッサム隊へ。」
最終更新:2010年04月25日 22:44