真夜中のコーヒー

 水に墨を落としたような雲が、空を塞いでいる。気温も低く、おそらくは今夜、雪が降るだろう。
 現在、部隊はトラザ山系の北にある施設の防衛に当たっていた。
 今までの戦闘で部隊は疲弊しているが、別動隊の支援も有ってか、大した損害は出ていない。
 このまま報酬を受け取れば、充分おいしい任務だ。
 部隊も、全体的に浮かれた雰囲気が漂っている。そんなある日。
「あちらさん、もうどっか行ったんじゃねーの?」
「そうかも知れませんね。僕達の方が数も多いし、此処は諦めたのかも」
「だよな。さっさと報酬貰って、遊びに行きたいぜ。寒いのは嫌いだ」
「僕も寒いのは嫌ですね。帰ったら休暇を取って、家に帰りたいです」
 昼を過ぎた食堂では、熱血と少年が休暇の話をしているし、
「暇ね。夜にお嬢のところ行っても良い?」
「構いませんわ。私も暇を持て余していたところですの」
「あっ、私もお邪魔して良いですか?」
「あたしも! あたしもパジャマパーティーする!」
 女性陣は、姦しい夜の予定を立てている。
 そこへ、ベテランとナルシーが急ぎ足で入ってきた。
「全員居るようだな、丁度良い」
 ベテランの険しい表情に、全員の顔にも緊張が走る。
「たった今の事だが、敵ブラストの狙撃によって、レーダーが破壊された」
 さらに、ナルシーが続ける。
「近々、奇襲も考えられます。警戒には私たちが当たりますが、皆さんも決して、気を抜かないようにして下さい」
 ナルシーが言い終わると、落胆の色濃い面々の向こうから、今まで黙っていたクールが突然立ち上がった。
「隊長、見張りには俺が立ちます。二人は休んでいてください」
 彼は表情を変えずに申し出た。

 彼は飲みかけのコーヒーを飲み干してから、カップを捨てて、出口へ足を向ける。
 ベテランの横を通り過ぎる時、彼はベテランの目を見なかった。
「待て! クール!」
 ベテランの制止を、全く意に介さず彼は行ってしまった。
 普段の彼からは考えられない行動に、一同は顔を見合わせるばかりだった。
「命令違反ですね。謹慎を申し渡すこともできますが?」
 唯一、ナルシーは余裕のある表情でベテランに提案した。
「いや、奴の納得のいくようにやらせよう」
 答えたベテランの声は穏やかで、怒りなどは微塵も感じてはいなかった。

 夜、クールは施設の北端の一室で外を眺めている。思った通り、雪がちらつき始めていた。
 レーダーが壊れては、予備の索敵装置と人による目視が頼りとなる。
 哨戒は所員も方々で行っているが、修理の作業もあり、人手が足りているとは言えない状況だ。
 眼下で人々が慌しく立ち働く様は、彼の目に入っていただろうか。
 しばらくして、彼は苛立たしげに眉を寄せると、目を瞑り、目頭を指で抑えた。その時、
「いけませんねぇ」
 突如として、真後ろに人が現れた。ナルシーだった。
 クールは驚きすぎて声も出ない。振り向くのが精一杯だった。
「普段の貴方であれば、ものの十分で疲れを感じることも無いでしょうし、私の侵入にも気付いたでしょう」
 未だに反応できないクールを置いて、彼は呆れた声で続ける。
「大体、何を不安に思っているか知りませんが、昨日、一昨日と自主的に寝ずの番をしていたではありませんか、それなのにわざわざ・・・・」
 そこでようやく、クールが動いた。
「何故、起きている? 俺が代わってやったというのに」
「野暮なことを言いますねぇ。会いたい人がいるからですよ」
「女か?」
「んっふっふ」
「・・・・男か?」
「ん~、正解としておきましょう」
 後ずさるクールにナルシー詰め寄る。
「だって、貴方は男でしょう?」
 クールの顔が、さっと青白くなり、彼は反射的に拳を突き出した。
「おっと」
 予測していたのか、ナルシーは難なくその拳をかわして、今まで後ろ手にしていた左手を差し出した。
「勘違いしないで下さい。これを届けに来ただけですよ」
 手に持っていたのは水筒だった。
「冗談に聞こえん」
 青白い顔のまま、クールが吐き捨てるように言う。
 しかし、ナルシーはどこ吹く風と言わんばかりに、水筒の中身をカップに注ぎ入れた。
 ミルクも入っているらしく、コーヒーは濃い茶色をしている。
「まぁまぁ、どうぞ一杯」
「これは?」
「アイリッシュコーヒーです」
「アイリッシュ? アイルランド産のコーヒーなど聞いたことが無い」
「そうですか? アメリカで流行ったそうですが」
「怪しいな」
「そう言わず、さぁ」
 いぶかしむクールに、ナルシーは尚も勧める。
「冷めてしまいますよ」
 引き下がる気の全く無いナルシーの態度に、クールが折れた。
 彼はナルシーの手からカップを受け取ると、一気に飲み干した。早く飲み終えて、ナルシーを追い返したいらしい。
 ところが、それがいけなかった。
 彼は飲み干したコーヒーから漂う香りに違和感を覚え、そして、すぐにその正体に気付いた。アルコールだ。
「ナルシー、貴様!」 
「コーヒーカクテル、アイリッシュコーヒーです。体も温まるし、リラックスできるでしょう?」
「しかし、見張りができなくなる」
「ご心配無く、私が見ておきますから」
 クールは憮然とした態度を崩さない。
「何もかもを一人でやろうとしては、何もできなくなってしまいます」
「そんなことは分かっている」
「貴方は顔に出しませんが、とても仲間想いです。しかし、皆も貴方と同じくらいに仲間想いだということは知っていましたか?」
「それは・・・・」
「貴方は私と似ていますね。一方的に自己犠牲を押し付けてしまう、ベテランと出会う前の私とです」
 クールは口を開かない。ナルシーを無視している訳ではなく、話を聞く気になったようだ。
 その意思を汲み取ったのか、満足げな笑みを浮かべて、ナルシーは続ける。
「前の隊に居た時の私は、とてもお節介で、そのくせ周りを見下していました。貴方も、自己犠牲と同時に自己陶酔を感じていませんでしたか?」
 ナルシーは2杯目のコーヒーをカップに注ぎ、クールに差し出す。
 クールは、今度は素直に受け取った。
「私が3年前、捕虜としてベテランに捕まった時、仲間の助けを信じずにひたすら絶望していました。そんな自分のことしか考えない私に、ベテランはこう言ったのです。お前は仲間と言うものを知らんらしい、俺が教えてやる、とね」
 まるで遠い過去を懐かしむように、ナルシーは目を伏せる。
「それからの私は、安いプライドを投げ出して皆と共に戦ってきました。出来る事をやり、出来ない事を頼む、それがチームです」
 ナルシーが話し終えてからも、クールは動かない。かじかむ手でカップを包み、じっと俯いている。
 窓の外は、雪がしんしんと降り、作業に追われる所員の懸命な声や音が遠くに聞こえる。二人の間には沈黙が横たわっている。

 やがて、彼はまたも一息にカップを空にすると、席を立った。
「強く作りすぎだ。御蔭で起きていられん」
「おや、それは申し訳ありません」
「全く。俺は部屋に戻って寝るぞ。自業自得だ、代わりに見張れ」
「仕方がありませんねぇ」
 不器用なクールの意思表示を、ナルシーはちゃんと汲み取る。
 部屋を出ようとするクールに、ナルシーは残りのコーヒーが入った水筒を差し出した。
「私は見張りが有りますので、どうぞ」
 クールは無言で受け取った。そして、照れ臭そうに部屋を出て行った。

 少しして、入れ替わるようにベテランが入ってきた。手には水筒を持っている。
 ナルシーは少しも驚くことなく迎え入れた。
 ベテランはナルシーと向き合う位置に座る。
「俺は、あんなカッコいいこと言ったか?」
「いいえ。本当は、なんだ、そのナヨナヨした根性は。俺が叩き直してやる! でしたね」
 話しながら、今度はベテランが持ってきた水筒からコーヒーが2杯注がれる。
「アルコールは入っていませんよね?」
「入っていても平気だろうに」
「クールさんは、そうでも無いようですが」
「あいつは酒、弱いからな」
 ひとしきり喋り、二人は軽くカップを合わせてからコーヒーを飲み始めた。
「しかし、良くクールを説得できたな」
「無理をしていることは自分でも分かっていたのでしょう。素直じゃないですねぇ」
「それにしたって」
「あ、それと」
 いいさしたベテランを遮って、ナルシーは意外なことを口にした。
「彼は雪の夜が苦手なんです」
「なんだって?」
「かなり前になりますが、私は彼が居た部隊を雪の夜に奇襲して壊滅させました」
 唖然とするベテラン。
「責任を感じているわけでは有りません。戦場で敵同士なら、当然の事です。しかし、味方にはそれなりのケアをしなければなりません」
 ベテランは難しい顔で、黙っている。
「不安で寝られない子供を寝かしつけるのも、女房の仕事でしょう?」
「誰が誰の女房だ?」
 がっくりと項垂れたベテランに応え、ナルシーはニヤニヤと笑いながら、自分・ベテランの順で指を差した。
「そうだな。全く、お前は良い女房役だよ」
「お褒めに預かり、恐悦至極にございます。旦那様」
「やめんか」
 そんなやり取りをして二人は、どちらとも無く窓の外を見た。
 顔も名前も知らない所員たちが、寒空の下で働く姿が見える。
「お前の根性も、だいぶマシになったらしい」
「ふふ、もうすぐクールさんにも同じようなことを言うことになりそうですね」
 雪の向こうには夜が穏やかに佇んでいた。
      ~END~

      おまけ
 次の日の朝、クールの顔色は土気色だった。
「クールさん、いかがいたしました?」
「ナルシーか、ちょうど良い」
 言って、彼は空の水筒を取り出して、ナルシーに渡した。
「美味かった、礼を言う。それと、今日の巡回を代わってくれないか? 体調が優れない」
「はぁ、構いませんよ」
「すまないな」
 そして、彼は立ち去った。
 どうやら、二日酔いらしい。
「全部飲んだのですか。律儀ですねぇ」
 呆れたように言うナルシーの顔は、とても満足気だった。


【おまけ】


246 名前:ゲームセンター名無し 投稿日:2010/05/14(金) 23:29:36 ID:kHsc65CV0
皆さん、褒め過ぎッスよwww
読んでいただけて嬉しい限りです。
でも、今後の参考の為にも、突っ込みとか罵りとか願望とかを言ってもらっても嬉しいんですよ?(チラッ

前回みたいに酒講釈を挿みたかったけど、話の流れが崩れるので断念。
だから、ここにチラ裏するんさ!
アイリッシュコーヒーは、コーヒーにアイリッシュウィスキーを入れて、クリームを乗せるだけ。
元々は、アイルランドの空港のカフェが作ってお客さんに提供したもので、これがアメリカで大流行しました。
堅苦しいカクテルではないので、是非自分の好みで試してみてください。


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最終更新:2010年05月17日 00:18
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