ベテランSSいきまーす
―――零時を回った暗夜。市街地のはずれ
「よく冷える…。さっさと用事を済ませるとするか」
とある工場の前で男は誰に問うわけでもなく独りごちていた。
「独り言、増えてるな…」
あぁ、またか。いつの間にか独り言が増えている。
いつからだろうか。誰かを頼ることが無くなったのは。誰かに些細なことや、まして胸の内を語るなんて久しい。
糞ったれ…。
悪態はなんとか胸中に押しとどめ、男はシャッター脇にあるドアに手をかけた。
「おーい、おやっさん。俺だ」
「…空いてるぞー」
?
いつもより返事に時間がかかった。なにやら扉の向こうが騒がしい。
ドアを開けてみると案の定、広いハンガーが忙しなく動く人間で埋まっている。
返事の主は拡声器を手に周りに指示や檄を飛ばしている、五十は優に超えているこの工場の主だ。そして工場の主でもあり男の老兄でもある。
工場の主はこちらに目を向けた後、近くを通った若い整備員に声をかけた。
「おい、お客さんだ」
「うぃっす」
「はい、だろうが」
若い整備員は特に気に留めることもなくハイハイ、だの呟きながら紙コップ入りのコーヒーを運んできた。
「ブラックしか無いっすよ」
「あぁ、構わん」
男にコーヒーを渡した後、整備員は二足歩行型汎用兵器「ブラストランナー」の整備のため駆け足で戻っていく。
「最近の若い奴は駄目だな」
ここで働く従業員におやっさんと呼ばれ、慕われている老兄がいつの間にか男の近くの椅子に腰かけていた。
「いやぁ、大したもんじゃないですかい? 言われたことはやるし、なにより仕事熱心だ」
「そういう問題じゃねえんだよ」
そういう老兄の顔は愚痴を言いながらも、そこまで不服そうには見えない。
それにうちの奴らよりはだいぶマシだとは思うんだが。
「そういえば、早かったですかね」
「ん?」
「まだ忙しそうなもんで」
フゥー。
老兄は咥えいていた煙草を靴の裏で消してから険しい顔で口を開いた。
「時間はきっちり守るお前さんだ。遅れているのはこっちだろうな」
たしかにそうではあるが。無理を言ったのはこちらだ。
「まぁ忙しくさせてるのもお前さんだがなぁ」
そう言って大笑しながら男の背中をバンバンと叩いてくる。
ちょっと、というよりだいぶ痛い。治りかけの傷に響く。
「まぁ今回は無理難題をこちらが吹っ掛けたんですからねぇ。駄目元でしたよ」
「なに、お得意様だ。皆いつも以上の気概で取り組んでる。まぁ、明日までには仕上げてみせるさ」
「毎度お世話になります」
「まったくだ」
そう言って笑ってくれるが本当に感謝している。毎度、俺の頼みを笑って応えてくれて何度助けられたことか。
「とりあえすお前さんに渡す書類やら何やらはすぐに若いのが用意する。
まぁ、せっかく来たんだから少し飲んでけ」
―――ここに来るのは久しぶりだ。
おやっさんは工場長の自室に移ってからは工場の主ではなくすっかり老兄の顔になっていた。
「お前んところの奴らの戦闘データ見たぞ。なかなか粒ぞろいじゃないか」
「そうですかい? まだまだだとは思いますが…おやっさんの目に適いますか」
「お前もなかなか厳しいな」
おやっさんほどでも無いと思うんだがな。
「そういえば明後日にまた攻めるんだったな。しかしまた急だなぁ」
「えぇ、三日とも空いてませんからね…。今回は本当に助かりました」
「まぁ今回の依頼に関しては、机上で千摺り扱くしかできないお前さんの雇い主が悪いな。
保証はしないくせに要求だけは一丁前だ」
ははは…。男は苦笑しながら老兄に出された安物のスピリッツを傾ける。
値が張るものも勧められたが酒まで世話にはなれない。
「しっかし、今回のお前んところのガキが持ってきた依頼、なんだありゃ?」
急に老兄の顔が工場で指示をしている時と同じ険しい顔つきになる。
「ってぇ言いますと?」
問題でもあったか。
新型にトラブルか? そうだとしても一機なら俺の機体回せば。いや、予備のロートルも今はあのカマ野郎に使っている。それにウチに指揮を任せられる奴なんていない。
しかし頭数が揃っていないとなると先方はだいぶ煩いだろう、な…。
男はいつもより眉間に皺を寄せ、渋い顔をしているのに気付いていなかった。
「修理や装備の支給を社長のお前が後回しでひらが優先なんだ?」
ん―――
「機体はまぁ馴染みがあると思うがな…。新型と修理が間に合わなかったらどうするってんだ。
―――ちゃんと新人の手綱はしっかり握っとけよ
―――それにお前もトップなんだから上に立つ者としてだな
―――あのガキが依頼を弄ったなんてことは…まぁお前ん所のだからさすがにそれは無いだろうが…ん?」
そういうことか。
自然と頬は緩みきって肩から力が抜けていた。
「ぶっ、ァッハッハッハッハッハッハ」
「んあ?なんだってんだ?」
「ク、ククク…。いや、すいません。あれ、私が頼んだんですよ。あとおやっさんでも社長はやめてください」
老兄はいつも以上に眉根を釣り上げて奇妙な顔つきになっていた。
「ほぅ…。どういうつもりだ。一応聞いてやる。」
誰かに言うようなことでもない。
こんなことを喋るのはいつ以来だろうか。そんなに呑んではいないんだが。
「まぁ。老兵から若い衆にしてやれる数少ない手助け、と言いますか」
「老兵だなんて何いってんだお前。俺より十、二十は若い野郎が」
「おやっさんと比べられたらボーダーの大半はヒヨっ子になっちまいますよ。それに俺はそんなに若くないです」
すっかり中身は温くなったグラスを一気に呷る。
「それは置いといて。まぁ、なんというか…一向に戦況が良くならない、ましてや出撃して下手すりゃ一瞬で灰になっちまう、クライアントには襤褸雑巾のような捨てられる糞みてえな戦場にですね。
まだ人生の吸いも甘いもわかってない様な奴らですよ? そんな奴らを数合わせのロートルで送るなんて俺には出来ないわけです」
老兄は黙って聞いている。
「もう怖いもの知らずだった餓鬼みたいには…。あの頃のやつぁ皆逝っちまいました。それにクーガーは俺の最後の戦友ですからねぇ」
自嘲気味に語り終えると男は満足したように天井を仰いだ。
柄にもないことを…。だが、すっきりはした、かな。
しばらく沈黙が続き、少し経ってから老兄は口を開いた。
「ったくそんな理由か。相変わらずとんだ甘ちゃん野郎だお前は。何にも変わってねえじゃねえか」
「そうですかね。今は若い奴らの世話で手一杯でして、だいぶ冒険はしなくなったと思いますが」
グラスに口を近づけようとしてから空になっていたのに気づいた。
いつの間にか空けられていた二本目、それなりの値打ちのボトルを老兄は男のグラスに注ぎながら意外なことを漏らした。
「ちなみに俺は戦友じゃねえのかい?」
考えてみればたしかに、俺の尻が青い頃から機体を使えるようにしてくれたのはおやっさんだ。
だが戦友と呼ぶには少しおこがましい気もする。
「おやっさんは…まぁ、頼れる兄貴みたいなもんですかね」
「ははは、まったく手のかかる弟だ」
「恐れ入ります」
長い間、皺しか刻んでいなかったこの顔も心から笑っていられた気がする。酔いすぎたか。
老兄の自室に移ってからだいぶ経っただろうか。誰かとこんなにも呑むのも久しぶりだ。
「…そろそろ行きます」
「そうか」
もう夜は明けているだろう。常時雨戸ごと締め切られている窓から光がこぼれている。
明け方、シャッター前。
いい、と断ったが老兄は頑として首を縦に振らず、結局見送られることになった。
この季節はまだ明け方も冷えている時間だが酒のおかげか、夜よりはだいぶましだった。
別れの言葉を交わし、男は自分の会社に戻るべく背を向けた時だった。
「お前が変わってないってのはな」
老兄はいつになく真面目な顔つきだったと思う。
「はい」
―――俺の尻が青い時からそうだった。
「周りのことを考えちゃいるが、結局理解っちゃいないってことだ」
「…」
「まぁ、お前もわかってるんだろうけどな…。何もお前が何もかも背負う必要はないんだからな」
「…」
「…ま、もっと信用してたまには頼ってやれってことだ」
「恐れ入ります…」
―――この人には何もかも見透かされていた。そして惹かれながらも
「上に立つ者としての秘訣ってヤツだ。
あぁ、あと近いうちにお前のところの若い奴らも連れてこい。
うち以外の若いやつとも飲んでみたくてな。
連れてこないともうお前んところの依頼は受けてやらん」
「…はい」
ずっと苦手だった。
最終更新:2009年12月13日 17:25