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大江健三郎『われらの時代』新潮文庫

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October 31, 2005

大江健三郎『われらの時代』新潮文庫

昭和34年の作品。
若者の生命エネルギー発散のはけ口がない戦後日本の時代。どのような行動も無益な結果に帰する無力感にさいなまれ、セックスに没頭する主人公と、政治運動に関わっていくその弟。弟は殺人を犯して金を奪った友人とかかわりになり、天皇の車に爆弾を投げる計画に入り込んでいくが、共犯者全員が爆死し、ひとり警察に追われて転落死する。年上女との関係を清算した主人公は、唯一の、確実に結果の得られる生命エネルギー発散の方法が<自殺>意外にないことをひしひしと感じながらも、その勇気などないことも自覚し、「偏在する自殺の機会に見張られながらおれたちは生きてゆくのだ、これがおれたちの時代だ」と悟る。
読んでいて、ローレンツやストー、フロムの人間の潜在的攻撃性に関する考察を想起した。すべてに満ち足りた社会は一見ユートピアに見えるが、人間は本質的に「行動すること、刺激を得ること」そのものに快楽を見いだす存在だ。物質的に恵みを与えられることによって、この行動欲求、刺激欲求は満たされるどころか、逆に阻害される。例えばバラードの最近の作品もこのテーマを追究しているように、これは普遍的な文学テーマだろう。高度成長によって急激に豊かになる反面、敗戦による価値喪失状態となり、それに代わるあたらな追求すべき価値もあらわれていなかった60年代、親元を離れ家庭もまだ持たない20代の若者にとって行動、刺激欲求の対象価値の選定はせっぱ詰まった死活問題だったに違いない。その代用価値は性的退廃であったり、政治運動であったりした。大江のこの作品は、この戦後史における特異な時代の若者のあがきを描写することを通じて(執筆当時の大江自身が20代前半であり、一種の内面吐露であったろう)、人間性の上記の本質を鋭く摘示している。正直に言ってプロットはあまり工夫されておらず技術的には未熟であるが、それを補ってあまりある生命力に満ちあふれている。暴力的な口語文体は当時としては画期的だったのではないだろうか(その後の大江作品に比べればかなりおとなしい部類なのだが)。その分、さんざんに論壇から酷評されたようではあるが。
学生運動で一時的にほはけ口を見いだしたかに見えた若者のエネルギーは、その後爛熟したサブカルチャー(音楽、ファッション、漫画、インターネット文化)の中に吸収され、今日に至っている。しかし、社会条件が変化しただけであって、人間の中に潜在している生命エネルギーの本質は今も変わっていないはずであることをこの作品は気づかせてくれる。
テーマ性   ★★★★★
奇想性    ★
物語性    ★★★
一般性    ★★★★★
平均     3.5
文体     ★★★★
意外な結末  ★★
感情移入   ★★★★
主観評価   ★★★(30/50)

silvering at 12:40 │Comments(0)読書
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