オフィス街の片隅の人気のない公園、月光が煌々と照りつけるベンチの前、

「クソったれっ!」

かーんっ!

夜の静けさを切り裂くような怒声と共に、
リクルートスーツ姿の青年が地面に転がっていた空き缶を勢い良く蹴り上げた。
空き缶は蹴られた事に対して、抗議の声を上げるように良い音を上げながら吹っ飛び、夜の闇の向こうへと消えた。

青年の名は有沢 広(ありさわ ひろし) 
今日の彼は不機嫌だった、ある日、何時もの通り仕事をしてた所で呼出され、
何事かと思いつつ、普段は殆ど行く事がない役員室に行った有沢に待っていたのは、
突然のクビの宣告だった。所謂リストラだった。

彼は出来る方とは言えないが役立たずと呼ばれる程、仕事に手を抜いたつもりはない。
むしろ、任された仕事に対しては懸命に取り組んでいたつもりだ。

なのにも関わらず、いきなりクビである。この仕打ちはあんまりである。
無論、彼は辞めさせられる事に納得できず、部長に問い詰めてみた物の、返ってくる返事はあやふやな物ばかり。
結局、有沢は何ら納得できないまま辞めさせられる羽目になってしまった。
腹が立ったので会社のあるビルの壁を蹴ったら警備員さんに叱られたのはついでである。

そんな彼の災難はこれだけではなかった。
どうやらクビになった事が、彼と付き合っていた彼女に早速知られたらしく(同じ職場に働いていたから無理もないが)
携帯に届いたメールで一言『貴方とは別れます。さようなら』 たった一行の別れの宣告だった。
慌てて彼女へ電話するも、既に着信拒否をされたらしく、彼女の電話には2度と繋がる事はなかった……

これで有沢が不機嫌にならないほうがおかしいだろう。
だが、かといってその鬱憤を他人にぶつけられるほど、彼は悪党ではなく。
結局は人気の無い公園で一人、物に当るしか出来ないで居る。
彼は大それた事の出来ない一般人、所謂小市民なタイプなのだ。

がさがさとボンジュー○神戸と書かれた紙袋からメロンパンを取りだし、カブリとひと齧り。
忽ち鼻腔に一杯に小麦の香りが広がり、同時に程よい砂糖の甘さとパン自身の甘味が口内を幸せ色に染める。
仕事に行く時、二日に一度は必ず買っていたお気に入りの店の味、
しかし、もう2度と味わう事は無いだろう。そう、明日からはハローワーク通いの毎日なのだから。
そう思うと、より深くメロンパンの味を噛み締めようと有沢は思ったのだった。

メロンパンを三齧り程した所で、ふと、有沢はこちらを見る何かの気配に気付いた。

「……なんだ、野良犬か」

その気配に目を移すと、白い毛の日本犬とおぼしきやや大きめの犬が一匹、有沢の前に座っていた。
首輪が無い事から見て、恐らくこの白犬はフーテンの野良と言った所か?

犬をよくよく観察して見れば、尻尾をぱたぱたと振りつつベンチの前に座る犬の目線は、
明らかに有沢の手に持つメロンパンへと注がれていた。
恐らく、それが目当てで、彼の前でお座りして物欲しげに片方の前足を上げているのだろう。

それにしても、目の前の犬の純白の毛並みは飽くまで美しく、汚れ一つすら見えない。
そして凛とした眼差しとピンと立った耳が凛々しさと知性を感じさせる。

「あのな、ノラ公。これはお前にやるようなもんじゃないんだ、諦めてとっとと帰れ」

だがしかし、悲しいかな。どの様に犬の姿形が美しかろうとも、
卑しくメロンパンを狙っている以上、一般的な感性しか持ち合わせていない有沢にとっては、
この白犬が只の卑しい野良犬である事には何ら代わりは無かった。

「……こいつ、いい加減諦めろよ……」 

そのままメロンパンを半分ほど食べ、缶コーヒーの中身が三分の一になるまで減った頃。
未だに立ち去ろうとしない白犬に対して有沢は苛立ちを感じ始め、思わず呟きを漏らした。
恐らく、このまま白犬の視線に負けた彼がパンの一欠けでも上げよう物なら、
この卑しい白犬はつけ上がり、更におこぼれに預かろうとしつこく有沢に付き纏い始めるに違いない。
その上、彼へおべっかを使う白犬の様を見ていると。
その様子が、先ほど有沢にクビを宣告した部長が上司の専務に対して行う様と重なって見え、
徐々にむかっ腹が立ってきた。

その犬をどうにかできない物かと思念した末に、有沢は一つの名案を考えついた。
有沢は早速その案を実行するべく、残っていた缶コーヒーの中身をひと呷りで飲み干し、
白犬から見えない様に空き缶を側らに置いた後、

「ったく、お前のしつこさには負けたよ、ひとかけらだけだがやるよ」

言って、彼は半分に減ったメロンパンの一部を千切り、目の前の白犬へと差し出す。
当然、白犬は待ってましたとばかりに目を輝かせ、直ぐ様、顔を近づけメロンパンを食べようとする……

「――ところがぎっちょんっ!」

すっかーん!

『ぎゃんっ!?』

―――直前に、有沢は電光石火のごとき速さで空き缶を白犬目掛けて投げつける、
その突然の不意討ちに白犬は対処できる筈も無く、空き缶は見事、白犬の顔面にジャストミート。
空き缶だった為、白犬は怪我さえしなかったものの、その一撃にかなり面食らったらしく、堪らず悲鳴を上げると
即座に踵を返しキャンキャンと鳴きながらその場から逃げだし……

――― 一瞬だけ、有沢のほうを憎憎しげに見やり、夜の闇へと去っていった。

「……へ…へへっ、素直に諦めてりゃ痛い目見なかったのによ……」

逃げ去る寸前に見せた白犬の様子に、言い知れぬ不安を感じた有沢は
それを誤魔化す様に白犬の去っていった方へ言葉を投げ掛けると、
そのままメロンパンを喉に詰らせつつも全部食べ、そそくさと逃げる様に公園を後にしたのだった。


「あ~あ、明日からハローワーク通いか……ったく、ふざけるな!」

公園の一件の後、彼は馴染みの居酒屋で店主に窘められるぐらいに酒を飲み、ほろ酔い気分で家路に付いていた。
彼自身、酒には強いつもりだったが今回ばかりは酒に呑まれてしまっていた様だ。
まあ、そうなってしまうのも致し方ない所だろう。

「畜生! あのクソハゲデブメガネ、メタボで苦しんで死んじまえってんだっ!!」

前言撤回、有沢はほろ酔いではなく大分酔っていた。
部長への罵詈雑言を吐く彼の足取りはふらふらとおぼつかなく、今にもその場で倒れて寝てしまいそうな有様。
例え運良く家に帰りついたとしても、翌日は二日酔いの頭痛と荒れた部屋に有沢は頭を抱える事になるだろう。
今の有沢の姿はまさに悪酔いの状態であった。

「………んあ? 誰かいる?」

と、そんな状態のまま有沢がふらふらと歩いていると。
自分の住むアパートまで後十メートルの辺りで、有沢の住むアパート前に立つ誰かの姿に気付いた。
まるでスポットライトに照らされる舞台上の役者よろしく、外灯に照らされながら佇む何者かの姿。
家路を急ぐ者にしては、こんな深夜にこんな場所に待ちつづける理由が思い付かない、否、思い付けない。
とりあえず、気にせずにもう数歩歩いた時点で、アパート前に佇む者の正体が判別できた。

「………女、か? なんでこんな時間に?」

そいつは女だった、それも見た所かなりの美人、
年の頃は二十歳前半、身長は有沢と同じ位か、胸元に掛かる位の長さの長く艶やかな黒髪、
凛とした眼差し、つり上がった眉、形の良い小鼻、輪郭の細い卵型の小顔、と何処か鋭さを感じさせる容貌の女だった。
しかし、問題はその女の格好。白装束に緋色の袴、その上わらじ履きと時代がかった格好な上に。
その頭には白い犬耳が生え、腰には同じく白い毛の尻尾がピンとそそり立っていた。

「……うわぁ、どう見てもイタイ人だよ、ありゃ……」

どう見てもコスプレです、あ(ry な格好を見て、思わず小さく呟きを漏らす有沢。
その呟きに一瞬、女の犬耳がピクリと動き、より眉がつり上がった様な気がするが、
有沢は気にする事無く(気にする余裕がないとも言う)女の横を素通りしようとした、

「お待ちしておりました」

その矢先、女が口を開き、容貌に似合った凛とした声で言った。
有沢は一瞬、女が誰に向けて言ったのか理解できず、思わず足を止める。
暫し躊躇した後、有沢が「俺の事?」と言った感じに自分のほうを指差すと。女は無言で頷いた。

(をいをい、なんだよなんだよ……俺が何をしたってんだ?)

有沢は足を止めてしまった事を胸中で後悔した。
しかし後悔後先立たず。女は有沢が自分を認識した事を確認すると、凛とした調子で続けて言う。

「本日、私(わたくし)は貴方へお礼参りに訪れました」
「……は?」

女が何を言っているのか理解できず、思わず間抜けな声を漏らす有沢。
しかし、それに構う事無く、女は続けて言う。

「先ほどの電光石火の不意討ち、見事な物でした。この点に置いては素直に感服しましょう」
「はあ、そうですか……」
「しかし、期待をさせておきながら裏切るこの仕打ち、なんとしても度し難い物があります」
「はぁ、それはそれは……」

意味が分からぬまま、遂には適当に相槌を打ち始める有沢。
そんな有沢を、女は月の輝きのような金色の瞳でじっと見据えると、

「よって、私は只今より、貴方へ復讐を遂げさせていただきます」

と、とんでもない事を口走った。
そのままきっかり数秒ほどの間を置いた後。

「……い、いやちょっとまて、あのな、お前さんの言っている事が何だか理解できないんだかあんざすたん?」
「言ったまでのとおりです」

有沢が堪らず問い質した所で、きっぱりと一言で切り捨てる女。
その余りにもの訳の分からなさに、遂に有沢の頭の内から湧きあがり始める頭痛、
それを振り払う様に、彼は頭を振ると再度、女に向けて言いなおす。

「いや、そーじゃなくてだな。俺が言いたいのは、
なんで俺がお前さんのような見知らぬ女に、お礼参りやら復讐やらされなきゃならないのか?って事だよ」
「それは自分の胸にお聞きになった方が宜しいかと存じます」
「だぁぁ~~~っ」

あっさり言い切られ、遂にはその場で頭を抱える有沢。
酔いも回っていた事もあって、有沢の脳内は既に混乱で埋め尽くされて混乱カーニバル状態と化していた。
まあ、そうなってしまうのも当然といやあ当然なのだが。
有沢のその様子に、女はやれやれといった感じに腕組みをすると

「仕方ありませんね。貴方がどうしても自分のやった事が思い出せないのであれば
きちんと理解出来る様。私がしっかりと教えて差し上げます」
「……へ?」

女の言った言葉に、有沢が思わず首を傾げようとした矢先。
女の身体が光り輝き、刹那、その姿を何処かで見た白犬の姿へと変えた。


そして、白犬は女の声で有沢へ問い掛ける。

「これで分かりましたか?、私の言っていた意味を」
「…………」

驚きで言葉もない。いや、それ所か急速に頭を支配していた酔いが冷めていくのを有沢は感じた。
その白犬こそ他でもない、あの時、公園で有沢がパンをあげるフリして空き缶をぶつけた犬だった。
そう、女は人外だった、最初から変だとは思っていた。こんな深夜にうら若き女性が一人佇む時点でおかしいのだ。
それに今時、白装束に袴姿している人間なんて、余程頭のおかしい人間か、その手の趣味の人間しか思い浮かばない
しかし、それが人外ならばある程度は理解出来る。白装束に袴姿が彼らにとって当たり前のファッションならば、
それをここで着ていたとしても、彼らにとっては至極普通な事なのだろう。多分だが。
その人外の女、もとい白犬に対して自分が行った仕打ちを思い返せば、彼女が有沢に怒るのも当然な事である。
何せ、只苛立っていたと言うだけで、騙し討ちをして空き缶を顔面にジャストミートさせたのだ、普通は怒る。
目の前に突き付けられた事実に、只々愕然とする有沢の前で、
人外の女は白犬の姿から再び白装束に袴姿の女へ戻り、笑顔を一つ。

「では、どうやら貴方が理解できました所で、早速始めさせて頂きましょう」
「え、ちょ――――」

言って、女は袴姿とは思えぬ機敏な動きで、驚き戸惑う有沢へ一気に詰め寄り―――

「とう」

どごぉっ

「へばっ!?」

掛け声と共に、有沢の鳩尾へシャ○ズゴッ○ばりの見事な貫き手の一撃、
そのままあっさりと彼の意識は闇の中へと墜ち、くたりとその場に崩れ落ちた。

「……さて」

そして、女は有沢が気を失った事を確認すると、そのまま有沢をひょいと肩に担ぎ上げ、
尻尾をぱたぱたと振りつつ有沢の住むアパートへと向かっていった……。

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最終更新:2008年08月07日 00:16