右投右打 外野手 背番号33
オリックスにドラフト1位で入団。
イチローと共にオリックス黄金期を支えた功労者の1人で2002年にメジャー挑戦。
マイナー降格を繰り返すなど苦しい時期もあったがカージナルスのスーパーサブとして活躍し二度の世界一を経験した。
2010年古巣であるオリックスに復帰。将来の監督候補としての獲得と言われているが
田口本人はそうした言説を嫌い、一選手として戦力になれると自尊心を見せている。
「日記職人」のあだ名を持ちユーモアに溢れる文章を発信。著書にもなっている(タグバナ。)
2010年以降、日記が減少しているのは「日本はメジャーより練習時間が長いため書く暇が減った」と説明している。
また岡田監督とは現役時代のチームメイトであり自宅が近所なため以前から親交がある。
自宅に遊びに来た選手達がそれを聞き監督の家にピンポンダッシュをしようと計画したが残念ながら未遂に終わっている。
2011年シーズン途中に二軍降格すると以後昇格しないままオフに退団
あくまでも現役にこだわると日記で宣言
右肩の手術を受け12年以降の現役復帰を目指してリハビリする模様
退団の際はコーチ要請したが断ったする球団側とそもそもオファーなどなく
契約を切られたと主張する田口側の主張の違いを巡ってファンの間で一時期論争が起きた
田口はシーズン中に怪我もしていないのに二軍に降格させられたと主張したため
同情を示すファンもいたが前述の通り右肩はオフに入るや即手術するほど悪化しており
その発言に矛盾が見られるのも事実であった
最終更新:2010年06月27日 16:56