仰木監督

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フルネームは仰木彬、背番号70
現役時代は西鉄ライオンズの二塁手として活躍し監督だった三原脩の薫陶を受ける
その後、長いコーチ時代を経て近鉄バファローズとオリックスブルーウェーブの監督を歴任
チームを匠に操るその手腕は仰木マジックと呼ばれる
両チームを優勝させた名将だったが2001年シーズン限りで球界から引退していた

2004年に起きた近鉄バファローズとオリックスブルーウェーブの合併に際し2005年Bs初代監督として現場に復帰
就任時の「グラウンドで死ねたら俺は本望や」、「最後のご奉公として頑張ってみる」という言葉の裏には
実は監督就任時には肺がんで体を蝕まれており、すでに手遅れ状態という事実があった

病状を隠しグラウンドでは全くそんな事を感じさせず気丈にチームを指揮
先発投手のコマが足りず、主力打者軒並み不調の打線を操りシーズン最後の最後までプレーオフ進出を争った
しかし、後半戦は過労によると思われる居眠りやベンチに腰掛けたまま動かないシーンも目立った

シーズンオフ、球団から続投要請を受けるも、高齢と健康状態を理由に勇退
球団のシニア・アドバイザー(SA)に就任する
清原に「大阪に帰って来い。お前の最後の花道は俺が作ってやる。」と言葉をかけたが入団を見届ける事はできなかった
2005年12月15日午後4時10分、肺ガンによる呼吸不全のため、福岡県内の病院で死去、70歳没
法名は「仰崇院釋耀彬」
病状を隠してまでBsを率いたその姿に全てのBsファンが敬意と哀悼を示した

選手も仰木監督には特別の思いが有り2008年CS進出の際には
山本省吾球団公式携帯サイトで涙無しには読めない内容の文章を記載するなど
今でもチームに仰木監督が命をかけて伝えた物は残っており、これからも受け継がれていくだろう



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最終更新:2009年02月07日 14:58
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