治巳作
ひっくりかえって斥力
空の端っこのほうで、雲が赤く尾を引いている。
通りは祭りでもないのに電飾があっちこっちに飾られ、黄色っぽい電球の丸い光にあふれ、街自体が発光しているようだった。
けれどその光も、空までは届かない。
明かりをよけて手を翳せば、無数の星が瞬くのが見える。
オリオンの体半分が、屋根から覗いていた。
目を細めてそれを見てから、ゆっくりと足元を見ると、円形に敷き詰められた石畳が続く。
永年人に踏まれ続けて丸みを帯びた角が明かりを反射して、やはりちかちか光っていた。
「もうすぐだ」
声に顔を上げる。
前を歩いていた男が、振り返ってにこりと笑った。
すい、と先を指差すと急かすように少し足早になって、近くの建物へ入ってゆく。
それを追いかけて、地下へ続く階段を降り、洒落た造りのドアをくぐったところが目的地だった。
背後でドアベルが涼やかに鳴って、戸が閉まる。
いらっしゃい、と老いた主人がグラスを磨きながらちらりと視線をよこした。
照度を落とした中に調度品たちが飴色に浮かぶ。
客は少なくは無いのだろうが、広々としたフロアの中ではまばらに見える。
カウンターの脇に置かれたレトロなレコードプレイヤーから、落ち着いたピアノのジャズが流れていた。
板張りの床に足を置けば、心地よく靴音が響く。
再び振り返った男は、どう? と言うように首を傾げて微笑んだ。
「悪くないな」
肩をすくめて微笑を返せば、カウンターへ導かれる。
主人はスポットライトを浴びたようにカウンターの中に浮かび上がる。
蓄えられた白い口ひげがなんとも時代錯誤だが、禁酒法時代でも狙っているようなこの店の中ではパズルのピースのようにかちりと合っていた。
かといって押し付けがましくなく、すっと肌になじむ。
知らないはずなのに懐かしい。
夕日に染まる風景を見ているときの気分に似ていた。
ジェフは観察をやめると、隣を見た。
「お勧めはなんだ? ディーン」
「どんな感じなのかなぁ、と、よく思うんだ」
お互いの、他愛も無い近状報告が終わって、しばらく間が空いたあと、独り言のように呟やかれる。
ジェフは唐突な声に視線だけ向けた。
整備士をやっているというディーンは、今は出張でこの街を訪れているらしい。
気まぐれに近くの町まで足を伸ばしていた自分と出会ったのがさっき。
声をかけてきたのは向こうで、すぐ近くにいたのにそれまで気がつかなかった。
多分、服装のせいだ。
白いシャツに、安物のスーツ。ネクタイをくつろげたなら、疲れた社会人の典型を地でいける。
正直なところあまりこの男にスーツは似合っていない。
初めて会ったときがラフだったせいなのか、それとも自分がこいうものを殆ど着ないせいなのか、それは分からないけれど。
そこまで思って、ジェフは首を振った。
――やめろ。
ディーンはグラスを弄びながら、ぽつりと語る。
早速酔っているのか、と思ったが、まだ一杯目だ。
よく、呑めば慣れるとか、耐性がつくとか言うけれど、酒の強さというのは先天的なものである。
自分は強くも無いが弱くも無い。
少なくとも今はこれっぽっちも酔ってない自分を鑑みるに、ディーンが酔っているとは思えなかった。
それでまたはっとして自分に舌打ちする。
――やめろ。勘違いするな。
思考を追い出したくて、ディーンに続きを促した。
「何の話だ」
「ん? はは。双子の話さ」
「双子?」
「そ」
ディーンはグラスをぐいっと干して、空のグラスを見つめながら話す。
「顔も、体も、もちろん声も、……もしかしたら思考回路さえ同じやつが、すぐ近くに居る。って気分」
ふんわりした表情は、やはりどこか酔っているようにも見えなくない。
そんな横顔から目を逸らし、ジェフも手元に視線を落とした。
「さぁな」
「クラスにほら、サーシャとミシェルが……って、そっか、これはもう違うのかな」
ディーンの言わんとしてることに気付き、首を傾げる。
「いつの話だそれは」
「レアルシューレ」
「残念だが、俺はギムナジウムだ」
ディーンはちょっと笑った。
「学士様だったのか」
「勉強くらいしかすることが無かったからな」
ジェフも笑ったが、ディーンは少しだけ悲しげにした。
それを見て、ジェフはいささか笑みを鋭くした。
「同情なんて、お前がするなよ?」
ディーンは少し驚いたようにしてから、ぶんぶんと首を振った。
「しないさそんなこと。ただ、無神経だったなと思って」
「別に」
ジェフは肩をすくめて見せた。
ふう、とディーンはため息をつく。
「あれなんだな。やっぱり、ゾウディアックの中のことだけなんだな」
一緒なのは、と言われて、ジェフは気付かれない程度に眉をしかめた。
「……鏡だからな。映らない範囲は反映しようが無い。そもそも俺たちは……――いや」
「どうした?」
なんでもない、とジェフは手を振った。
「それで?」
「え? ああ、どこまで話したっけ」
「アレックス女史」
「ああ、そうそう。うん、居たんだクラスに双子がさ」
前を見つめたまま、そこに遠い日があるようにディーンは懐かしげに目を細めた。
「もちろん片割れは別のクラスだったけど、まぁとにかく、そっくりでさ。しかも飛び切りの美人ときたもんだ。色白で、きれーなブロンドで、瞳はカナリアブルーで、光彩はダークグリーンだった。彼女が笑うとそこだけぽっと明かりが灯ったみたいになるんだ。そのときは学校中の男がサーシャかミシェルかって感じでな」
「お前はどっちだったんだ?」
にやりと笑って見やると、ディーンもにやりと笑った。
「俺か? 俺はサーシャさ。同じクラスだったのはミシェルだったが、サーシャはあの状況をどちらと言えば楽しんでいる感じで、なんかこう……綺麗なのに、誘ってるような」
「オヤジかお前は」
「いや、あれは誰でもそう思うぞ!」
「そういえば山荘でも誘惑されかけてな。サラ、だったか。なるほど、お前の奥さんの性格が見えてきたぞ」
「いや、なに分析してるんだっ。違うぞリアは、どちらかと言うと、ミシェルだ」
「へぇ?」
「うん。サーシャが楽しんでる一方でミシェルはいつも困ってばかりで、いつまでも無垢な……なんだよ、またオヤジとか言うなよな。まぁ、とにかくそんな感じだったんだよ。引く手数多だったにもかかわらずだぞ?」
「つまり正反対だったわけか」
「正、かどうか分んないけど、中身で相手を見分けられる程度には違ったかな」
「そんなもんだろう」
「でも、もしあの二人がお互いのまねしたら、多分誰もわからんほどには外見はそっくりだった」
ディーンが少し声のトーンを落とした。
「人を識別するのって、なんだかんだ言って外見だろ? こんなに人間が一杯いるのにさ、みんな違くて、どんなに似てたって、他人だってわかる。だけど双子はその法則を壊すだろ?」
「……その言い方は良くないな、当事者にとったら逆だろうさ」
「まぁそうなんだけど。だから、そう最初に戻るけど、その気分を考えるんだよ」
「個別意識されず、同じに限りなく近い、他人でもない人間が傍にいる気分を?」
「あと、同じでないこと」
ディーンはさらりと言う。
目眩がした。
グラスに口をつけようとして、ジェフは挙げかけたまま手を止めた。
――やめろ。
ひとつ息を吸って膨れたものを抑えてから、ジェフは目を開ける。
もっと遠い話をしよう。
「……ひとつ、いいか」
「ん?」
「さっきから気になってたんだがな。お前、避けてるだろう」
ディーンが驚いたようにこちらを向いた。
「なにを?」
「俺を呼ぶの」
ジェフは横目でディーンをねめつけた。
片眉を跳ね上げて、目を眇めて。呆れているようにも、おどけているようにも見えるように。
「ジェフだよ、俺は」
きょとん、としたディーンは、次に慌てて、それから気まずそうに目を逸らした。
「バレたか」
「ごまかしがお前はへたくそだ」
「う……」
「今さらだろ、名前なんて」
「……でも」
「これを名乗るのは、俺が俺だからだ。俺が俺として、一つ一つ選びながら生きてきた結果なんだ。勘違いするな。散々あそこで確認しあったことだが、これは、お前の人生じゃないんだ。だから、ちゃんと俺の名前を呼べ」
言いながら、内心で苦笑する。
『お前がそれを言うのか?』
確かにあの時はそう思っていたけれど。
当たり前だ、と口の中で呟く。
当たり前だろ、ジェフ。あの時こいつは何も知らなかったんだから。
顔も見えない相手に、そう尋ねるのは当たり前さ。
お前自身が隠したくせになにを言うんだ。
たとえちょっと似ているところを見つけたって、分岐していた人生なんて破天荒なこと思いつくわけ無いだろ。
わかっていたらあんなこと聞くやつじゃないのは、おまえ自身がわかっていることだろ。
――やめろ。
ジェフはグラスを一口だけ煽った。
こちらを見ていたディーンはゆっくりとまたたいてから、うなずいた。
それから、うん、と言った。
「そうだな。悪かった。……ジェフ」
「なんだ」
「呼んだだけだ」
ふ、と笑って、ジェフはディーンを見た。
「おまえは……」
俺よりよっぽど心得てるんだな。
「え?」
「無意識と言うのも質が悪い」
「なんのことだ?」
ジェフは静かに声を上げて笑った。
「なんでもない」
さりげなく左腕を見ると、そろそろ日付が変わるころだった。
「そろそろ、戻るか?」
「ん」
ちょうどディーンがグラスを干した。
カラ、と丸くカットされた氷がグラスにぶつかる。
ディーンは慣れた様子で店の時計に目を向けた。
「わ、もうこんな時間なのか。あれ、そういえばお前は帰れるのか?」
「ああ。自分の車で来てるからな。何なら送るぞ」
「はっはっは、女に言うんだな、そりゃ」
立ち上がりながら、いたずらっぽくディーンは笑う。
「バカかお前は」
「甲斐性って言うのさっ」
会計を済ませて、ドアをくぐる。
扉を隔てたドアベルの余韻が、また来い、と言うように耳に残った。
階段を上がると、夜の街はまだ明るい。
人は減ったが、酒の回った彼らが陽気な分、最初に見たときより騒がしく見えた。
ジェフはまぶしさに目を眇めながら通りへ出る。
オリオンはさっきと反対側の屋根の上に浮かんでいた。
T字路に差し掛かって、ディーンを振り返る。
無言で左を指すと、ディーンはちょっと首をかしげて、それからああ、と笑うと右を指差した。
「俺はこっちだよ。ジェフは、そっちか?」
「ああ。いいのか、足はあるのか?」
「ありがと。でも、このすぐ先なんだ、借りてるとこ」
「借家なのか? 出張でわざわざ?」
「本社があるからここにはよくくるんだ。いちいちホテルなんかより安上がりだからな」
泊まっていくか? と言うので今度はジェフが、女に言え、と返す。
ひとしきり笑ってから、それじゃ、とディーンが切り出した。
「俺は明後日までこっちにいるんだ。さっきの店には毎晩のように顔出してるから、ま、良かったらまた呑もうぜ」
「ああ」
じゃぁな、とディーンは身を翻して、石畳を歩き始める。
ややあって、ジェフも反対方向へ歩きだした。
かつ、かつ、と石畳は鳴る。
さっきの店の床は、木が音を吸収していたが、石は綺麗にはね返してきた。
かつ、かつ、と小気味よい音が響く。
いったんさっきの通りを離れれば、もう寝静まった街が見えてきた。
ジェフは立ち止ると、ゆっくり振り返った。
遠ざかってなお、夜の街はまだ明るい。
見分けるのも難しいほど小さくなった背中が、明かりに飲み込まれてゆく。
ぼんやりとそれを見送りながら、先ほど自分がついた嘘を思い返した。
――双子の気分だけどなディーン。
「俺は少し、わかるような気がするよ」
END
最終更新:2016年03月27日 20:21