管理人雑感20170111

このページを見つけた方、ありがとうございます m(  )m
えー、ツイッターで分けて書いてもいいんですが、遺書代わりとして長い文章書きたくなったのでこっそり書いてみます。(リアル方面で書くことほとんどないからなおさら)
ブログ作ってもいいんですけど私の場合推敲が多い+だらだら書いてるうちにログインしなくなりそうなんでせっかく自分のスペースがあるなら…ということでこちらに書くことにしました。まあこちらのwikiで自分の考え述べてるのトップだけなんで、下車を中心にコラム的なのも兼ねて書きたいなあとも思ったり。(でも個人的なこと書くからあまり表立たずに公開を始めたいと思うんですけどね)

私がここまで大変な途中下車シリーズを好きになった原因を一言でまとめるなら
  • 中3・高校生ぐらいからの私にとっての数少ない楽しみだったから
というのはあると思うんです。以下、私がどうしてこんな感じの人間になったかを含めたお話でも。うちの家庭環境含んだ愚痴なので興味ある人以外(この段落のこれ以降と次の段落は)飛ばした方がいいかも(まあ遺書兼ねてるんで多少はこういう話もいいよね…(震え声))
まあ、一番あれだったのは戸籍上父とされてる物体A(と書くと宇宙の森羅万象の物体に申し訳ないと思うぐらいあの一族好かない(本家はあんまりかかわりないから知らん))
もうね、私が妊娠したって時にAの母(私の戸籍上祖母に当たる物体B)が母親をうちで面倒見ますっていって引き取るまでは一見よさそうに見えるんですけどね…
あれは家に監禁+餓死寸前に追い込むような真似をしたって時点でもうまともな家庭でないことはお判りでしょう()
えー、お見合いの釣書がすでに釣りだった話とかいろいろありますけど憎しみしか生まれないんでほどほどにします

まあ、普段の生活でいえば夏前ぐらいに向こうから電話がかかってきてそれで喧嘩がその時期定期的に勃発してたりとか、まあAがあほなことしかせんからまだまともな価値観を持ってる母と対立してっていうのがあったりしたような感じの家庭だったわけで、そんな家庭に居場所があるわけもなくって感じですね。
まあこれで母親がまだおもちゃとかゲームとかに寛容だったら家で一人でももう少し楽しめたでしょうし、まだ人と話す時のきっかけが出来てこんなにさびしがり屋になってなかったんだと思うんですけどね…
ここまで育てていただいたことにはとても感謝しています。ここのうちじゃなかったら大学院まで行かせてもらえなかったと思いますし この場を借りてお礼を…って言ってもたぶん見ないと思いますが(というより見てくれない方がいい)
でもさっき書いた話を聞くと私が流産した方が警察沙汰になってあれらが捕まって母親が幸せな人生送れてたのかもなあとか考えちゃうともうなんかですね…

この話はこのぐらいにしてまあともかくも家庭環境が家庭環境だったという事と小学生の高学年の頃にはいじめられてたという事もあって、もう人生生きててもなあと思って過ごしてました。まあそんな感じだから友達作る気なんて起きるわけなくぼっちだったんですが…

そんなこんなしてるうちに中学に入り、ハルヒの時代にアニメを見始めオタクの道に走ったわけです(ただでさえ楽しみ少なかったからね!)。
時代もあれだったのかもしれませんが、うちの家の場合、物体Aの携帯料金(正確にはPHS)がなぜか高額だったこともあり、携帯も父親以外持ってなかったので、本当に楽しみはアニメ見るか文化放送(帰った時はラジ関)のアニラジゾーン聞いてましたね(考えたらおみずさん知ったのこっちの方が早い可能性が微レ存…?)
中3の頃一時的にうちのPCのネット回線が引かれることになりました。最初はyoutubeでクイズ番組の資料とか見てた気がするんですけど、そのうち"ニコ動より転載"みたいなのを見かけるようになって垢を作った記憶があります(たぶんこのときは下車動画きっかけではなかったと思う)。年齢から計算してる方はお判りかもしれませんが、まだID番号で晩の混雑時間帯のアクセスがはねられてる時代でした。(ただしこのころの垢はもうID・パス忘れちゃったんで今視聴してる垢は新たに作り直してますが)
まあ小学校の卒業文集に旅行きたいというようなこと書くぐらいには地図帳見るの好きな人間だったんで、
(結局大学理系行ったけど好きな教科でいえば歴史と地理です(高校で日本史できなかったのがちょっと残念)まあ大学でそっち進んでたら卒業研究で積むんでしょうけど)
歩きは大変だけどゆったりいろんなとこ見て回りたい!って言うようなところからなんとなくですけど鉄道好きになってましたので、今の横浜のすみかの近くの路線の動画を少し見てたりしたわけです。何を隠そう私のすみかというのが田園都市線とJR横浜線に挟まれたような位置環境でして、この辺の路線で動画検索するとAkkieさんとnaruさんの動画が出てきたわけでして。それが私の大変な途中下車シリーズとの出会いとなったわけです。

当時はたぶん"大変な途中下車シリーズ"という名称をあまり認識してなかったように思います。ただ、当時は動画数が少なかったので、動画説明文のところに乗換という事で他の作品への乗り換えがあってそこからほう、大阪でも出てるのか…という感じで後から見たくなったら路線名で検索して見つけるみたいな感じで見てたと思います。

ただ、ネット環境が来る前後位に、物体Aが少し長めに働いてたところをやめて以降、(やめさされたような気もするけどあれについて思い出したくない)割と短期間で職というかバイトをころころ変え、ある時体調崩して以降、完全にニートになってしまったんですね。(まあ最後の方完全に働く気なくしてたのか求職活動も積極的じゃないし変なバイトばっかり選んでた気がしますが)
そして入ってこなければ底が見えてくるわけでして、「物体Bに正直に言って助けてもらったら」との母のアドバイスも物体Aは「年金もろとる身やからなあ」みたいな感じで突っぱねてる割にニートですからねえ、困ったものです(物体Bは近くの物体Aの姉の物体Cにマンションの金払うぐらいの余裕はあるんで、年金生活は全く言い訳にならんというか余ってる状況だったんだけどもね)

そして物体Aはある時母と喧嘩し、「出ていくわ!」と豪語し、そのまま帰ってきませんでした。ここぞとばかりに荷物をまとめ学校があるので、最寄駅は変えずに駅の反対側へ移ることにしました。(徒歩で行くなら20分ぐらいはかかるのかな?)

(続く)

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最終更新:2017年01月15日 16:43