アットウィキロゴ

『自歓喜経』の常住論はどういう意味か?

問題

転生(再生誕)スレ13: 606 :*一在家通りすがり*:2009/04/18(土) 02:09:58 ID:PUZvOO8V
   長部経典の「自歓喜経」には、
   「世尊が常住論について教えを説かれたやり方は最高のものです。」と
   サーリプッタは前置きした後に3種類の常住論を解説しておられます。
   「アートマン(個我)と世界は、常住であり、何も生み出さず、不動で
   あり、石柱のように固定して、かの生けるものたちは生死流転し、輪廻
   しているけれども、まさに常住不変に存在している。」と。
   そしてこれを聴いた仏陀は、サーリプッタの表明が正確であると保証
   されました。
アートマンスレ2: 251 名前: 一在家通りすがり Mail: 投稿日: 2009/05/20(水) 12:11:08 ID: /97XEBaP
   第二の沙門果経で説かれている「漏尽通」では、常住のアートマンが無ければ
   どうやって前世、前々世、十世前の出来事を読み取れるのか??証明できますか
   とは申しません。
   兎に角、ディーガニカーヤ全体が「アートマンは常住」にて統一されており、
   修行レベルの低い者達に対する経典のみ「常住しない」と対機説法が記載されて
   おります。
   皆さんも春秋社の「長部経典」を読まれましたら、シナ仏典との違いに愕然とされる
   ことと存じます。
    

答え

ただ一般論の類型として三種の常住論を説いただけで、
釈尊やサーリプッタが、常住論を真理として説いたわけではありません。
「ディーガニカーヤ全体」も「アートマンは常住」で「統一されており」ません。
あくまでも常住論は外道の低い見解です。しかも、それほど説かれません。
パーリが漢訳の原典ではありません。
しかも、たいした違いはありません。
テーラワーダで常住論が、最高の仏説などとするところは歴史的になかったようです。

根拠

『自歓喜経』アッタカター
Ayaṃ tatiyo sassatavādoti thero lābhisseva vasena tayo sassatavāde āha. Bhagavatā pana >takkīvādampi gahetvā brahmajāle cattāro vuttā. Etesaṃ pana tiṇṇaṃ vādānaṃ vitthārakathā >brahmajāle (dī. ni. aṭṭha. 1.30) vuttanayeneva veditabbā.
この第三の常住論とは、[シャーリプトラ]長老は[三昧で]得た力で三つの常住論について述べた。
世尊はさらに推論も把握して『梵網経』で四つと仰った。さらにそれら[常住論]を超えた[縁起]
詳細な論は『梵網経』で、説かれた論理のように述べられた。

と注釈されているように釈尊が『梵網経』で説かれたように
一般論としてシャーリプトラが説いたという意味です。
常住論が最高の見解なのではなく、常住論の中で最高の見解を釈尊が『梵網経』でかつて説かれ、
それをシャーリプトラが常住論の中で最高の見解を釈尊はこう説かれたと述べているだけです。
『梵網経』では常住論が悟りをもたらさない62見として位置づけられていることは、
この『梵網経』の要約を見れば明らかでしょう。

『長阿含經』(大正No.1) 1巻「自歓喜経」
T0001_.01.0077c17: 諸沙門婆羅門。種種方便
T0001_.01.0077c18: 入定意三昧。隨三昧心憶識八十成劫敗劫。
T0001_.01.0077c19: 彼言此世間常。餘者虚妄。所以者何。以我
T0001_.01.0077c20: 憶識故知有成劫敗劫。復過是知過去成
T0001_.01.0077c21: 劫敗劫。未來劫之成敗我亦悉知。此人朝暮
T0001_.01.0077c22: 以無智説言。世間常存唯此爲實。餘者虚
T0001_.01.0077c23: 妄。是爲三常存法。此法無上。智慧無餘。神通
T0001_.01.0077c24: 無餘。諸世間沙門婆羅門。無有能與如來
T0001_.01.0077c25: 等者。況欲出其上。如來説法復有上者。謂
T0001_.01.0077c26: 觀察。觀察者。謂有沙門婆羅門以想觀察。

漢訳『自歓喜経』で「世間で常住するものだけが真実で、他は虚妄」という説は、
アートマンは常住で、現象・縁起は虚妄という説に他なりません。
これがはっきりと釈尊の説より低い見解であると上のように明らかに説いています。
これはパーリ『梵網経』で常住論が悟り・解脱をもたらさなず、
来世にその境地の転生をもたらすという説にあきらかに一致します。

そしてこの見解は、部派仏教、大乗仏教を通じて一貫して認められるものです。
以上、釈尊が常住論を最高の仏説としたというのは単なる誤読です。

以下のコメントは以上を補強する根拠として秀逸です。

アートマンスレ2: 620 名前: 神も仏も名無しさん Mail: sage 投稿日: 2009/05/25(月) 00:45:26 ID: uDxhNitV
  「世尊が常住論について教えを説かれたやり方は最高のものです」(>>188)

230 > 釈尊が常住を説かれた
ここの「常住論」の原語は複数形です。「釈尊が複数の常住論を説かれた」では変ですよね。

原語(sassatavAdesu)を訳すと「諸々の常住論に関して」となります。
「説く(deseti)」の目的語はダンマです。つまり、「世尊が、、、教え(ダンマ、法)を説かれた」
であって、常住論「を」説いたのではありません。

そもそも仏教の立場は、断見と常見の両方に偏らない中道(断常中道)です。
サーリプッタが讃えたのは、釈尊が、複数の常住論に関してダンマを教示する、その仕方です。

具体的には、パーリ註に、これら常住論の詳細は梵網経で説かれた、とあるように、梵網経で
常住論の成り立ちを縁起説で解き明かしているところだと思われます。つまり、ある沙門たちが
常住論などを主張する根拠も「接触の縁から」「感受されたものである」という縁起の教えです。
くわしくは、こちらを参照してください。http://ci.nii.ac.jp/naid/110004708490/
「初期仏典に見られる常住論, 断滅論, 無因論, 及び縁起説からの批判」

ちなみに、異訳である大正大蔵経no.18『信仏功徳経』には、常住論の話そのものが出てきません。

246 > 三つ目が(【常住論としては】)最上のものです)

ここは、ayaM(男性形)でなくetad(中性形)で受けているので、第三常住論(男性形)というより、常住
論の段落の最初の言葉を、一部省略して繰り返した、と解した方が漢訳にも合うかと思います。
[ aparaM pana, ] bhante, etad AnuttariyaM, [ yathA bhagavA dhammaM deseti ] sassatavAdesu.
………etad AnuttariyaM, bhante, sassatavAdesu.
世尊よ、諸々の常住論に関して[世尊がダンマを説かれる]これ(やり方)が無上のものです。

名前:
コメント:

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2009年05月30日 21:14
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。