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中身*替え玉

 集まるものは皆噂する。ぴーちくぱーちく餌を求めるひな鳥のように、自らが話しの主役足らんとする。声を上げ、笑う、怒る、うなる。どんな音でも混ざれば、騒音になるのはなぜだろう。
 新米職員である彼が今考えることではないが、そうしなければやっていられない。
「どういうことだ!」「今まで何をしていたの!」
 狭くても五十人以上が入っていれば、ものすごい熱と勢いに圧倒されそうになる。
 町の公民館でなぜ彼がこの騒音の的になっているのか。


 騒動はこの町周辺に変な噂があがったことに端を発する。
 町には何台か自動販売機がある。そのうちの一つがやけに古いものだった。特に目立った損傷は無いが、所々さびているし、日に焼けて色は全体的にくすんでいる。商品の名前は読み取れる。が、巷では見かけたこともないようなものばかりだった。それを怪しむものは勿論いたが、積極的になくす理由もなく放置されていた。
「飲むと幸せになれる」
 いつしかその自販機の缶コーヒーにそんな噂がついた。青い缶に黄色のラベルの缶コーヒー。根も葉もなく確固たる理由もない。噂が出たところで買うものはいない――はずだった。
 ある日役場に、こんな苦情が届いた。
「子供の身体に悪い」「あんな自販機を通学路に置いていいのか」「飲んでから子供が口を利いてくれない」「部屋から出てこない」「ずっと手で口元を押さえている」
 面白がって購入した子供たちの保護者からの苦情だった。
 会話が通じない者の相手をするのは彼の人生の中で上位に入る苦痛だった。
 同僚やら先輩の話では、(度胸試しの名目らしいが)以前呑んだことはあるが別段なんともなかったという。
「旨くはなかった」――ようだが。
 彼はコーヒーが嫌いだった。あの色が泥水にしか見えなくて飲む気になれない。職場でこぞって飲んでいるが理由がわからない。一種のステータスなのだろうか。
 缶コーヒーに害が有るか無いか、その苦情が毎日届くようになった。本来ならそのコーヒーのメーカーに説明責任があるはずだが、その会社には連絡がつかない。では今まで誰が中身を補充していたのか。湧き起こる謎が不安を呼びなら、官警がついてればいいと無責任な誰かの発言も身勝手な町民の支持を得た。
 この町の役場はひとつで――いうまでも無い。新米の彼が貧乏くじを引かされたのだ。先輩は一人も出ず、呑気に「飲んで大丈夫って見せ付けてやれ」なんて言う。
 勿論飲むはずが無い。コーヒーは好きでないし何よりこんな得体の知れないものを飲むわけがない。彼は何とかして飲むのだけは回避したかった。

 詰め寄る血気盛んな町民を掻き分け、テーブルを運び、その上に缶コーヒーを五本と、透明なガラスのコップを用意する。
「えーとですね。これから、コーヒーの中身をグラスに移し変えたいと思います」
 要は、中身がはっきり見えればよい。硬くて中身がろくに見えない容器に入ってから不安が広まってややこしいことになる。当然試したものはいると思う。だが、大勢が見ている状況での証明に勝るものは無い。彼はそう自分に言い聞かせて、声を張り上げる。
「はじめますよー」
 室内に充満した音が段々と静まってくる。町民も町民で、この見世物に興味が無いわけではないのだ。その身勝手さに内心苛立ちながらも彼は缶のプルタブを引く。
 一本目をコップに注ぐ。
 茶色。二本目。茶色。三本目。茶色。四本目。茶色。
 後一本……。
 ……茶色。
 色に以上は無い。安堵のため息がいくつか聞こえ、彼は成功を実感した。
「では、成分を分析しますのでまた後日結果をお知らせしたいと……」
 これで終わりだ、と彼は安心しきっていた。
 彼は未熟だった。
 これだけで終わるはずが無い。というより、誰がそれだけで納得するのか。彼は住民感情以前に、そういった人間の心の機微に疎いところもあった。
 血気盛んな人々がいればここで終わらない事だってある。
「それだけ?」「仕事があるのに来たんだぞ」「なめてんのか!」
 大勢の町民に詰め掛けられて、彼はバランスを崩し後ろに倒れる。
「飲めよ」
 その言葉がスイッチだった。爆発した不安が、ひとつの方向に定まった。
 帽子をかぶった中年の男が、コップを構えている。
 首を振りながら、彼は必死で口を結ぶ。横から何本も手が伸びて、彼の手足を捉え残りが彼の唇に隙間を作り、瞬く間に広げ口蓋をと らえる。
 まるで固定されたみたいにがっちりと開かれ、閉じることも許されず、彼の口に容赦なく液体が流しこまれた。
「……っ……っ!」
 彼の胸が激しく上下する。
 それが全身の痙攣に悪化するさまを見て、住民の中にようやく恐怖心が芽生えた。
 すべての手が離れ、彼から距離を開ける。
 身体を抱えて苦しむ彼を、遠巻きにして住民は戸惑った。
「色が変わってるぞ!」
 誰かがそう指摘する。見ると、帽子の男が持ったコップの液体が、赤く変色していた。
 他のコップには何の変化も起きていなかったというのに。
 そんな住民たちの狂騒の中で、彼は笑っていた。涙を流して、腹を抱えて笑っていた。笑うしかないのだ。
 誰が自販機に入れたのかはわからない。だが、自分が「当たり」であることは理解した。あざ笑うために、仕掛けられた最悪の遊び。
 口を閉めるのが難しい。舌でなめ取ると尖った歯がやけに鋭い。
 口に広がるのは、泥の味。
 彼は確かに幸せになれるだろう。
 こんなものでも美味しく感じるようになってしまったのだから……。



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最終更新:2012年07月18日 14:28