Pixivの小説機能って何なんだろうな。
SNSなのに、コミュニケーション機能が弱いという不思議。
あれってコミュニケーションレスな中で自己満足を助長することで参加の敷居を極限まで下げているサービスという印象が強いんだよね。
SNSでありながら、一人ぼっちの自己満足世界。
絵ならまだ、多数のユーザーによるすばやく安いコストで行われる絵の評価によって集合知的な絵の選別が行われる。
小説では、ユーザーによる評価コストが高いためにそれすら期待できない。
自己満足の安寧の中にほとんどの小説が沈んでいる。
そういった状況を小さくでも改善したいと思ってPixivでコメントを付けてみることにしました。
まあ趣味の話なんですけどね。
やはり、創作というのは大変な努力が必要で、そうやって作られたものが誰の感想もつかないで終わるのは作品がかわいそうだと思うのです。
認識というものは現実に対して、多様な認識系を用意して認識できるわけだ。
ある人間の認識系というのは、無限に選択できる認識方法の中のたった一つを選択しているに過ぎない。
その認識系を維持することも大変なら、それが別の認識系にシフトする可能性もある。
正常な認識系とはでたらめな認識パタンの海の中に浮かぶ孤島、それほど狭い場所に存在する。
ほんの少しずれただけで狂気と見分けがつかない認識が展開される。
その時人間の平常心というものはあっという間に崩壊する。
人間の認識系とは、常識という孤島から認識がずれて狂気の大海の中に投げ出されることへの恐怖との戦い。
ホラーとはそこをつくべきものだと思うな。
思うところあってなんにせよ人を褒めるのを人生方針にしようかと思っている今日この頃。
書評は激甘でいってます。
せめて、サービスを構成する要素間の関係が臨界値eを超えたら面白くなるのにw
登録者一人が、3人以上の人とコメントをやり取りして、このコメントが3回以上前までのコメントの影響を受ける。
この状態が導き出せるなら、ユーザー間の情報のやり取りにカオス系的アトラクタが生まれる。
Pixivで具体的にいえば平均コメント数が3を超えて、作者とコメントつけた人計4者の間に6回程度のやり取りがあれば、
コミュニティの情報交換にカオスアトラクタが生まれる可能性が増えて、コメントのやり取りが一気に面白くなる。
とはいえ、外部からの新鮮で生の体験に基づいた情報流入がないとサービスが腐るわけで。
あまりサービス内でのコミュが異常発達するのも問題なのですよね。
外部からの生の体験に基づいた情報流入、楽しい人生の一部の余暇。
ネットサービスはそれ以上の存在になってはいけない。
という事も大事だよなと思うのでした。
最終更新:2010年08月15日 12:58