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| 樺太庁のデータ | ||
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| 面積 | 36090.3km² (海豹島・海馬島含む) | |
| 樺太の位置 | 東端: 東経144度45分00(北知床岬) 西端: 東経141度12分45(海馬島) 南端 北緯45度47分25(二丈岩) 北端:北緯50度線 (北緯50度以北は、ロシア領) | |
| 世帯数 | ?世帯 (年月日) | |
| 総人口 | 406,557人 (1941年12月1日) | |
| 樺太庁 | ||
| 所在地 | 樺太豊原市東4条南5丁目 | |
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樺太庁(からふとちょう、Template:lang-ru?、Template:lang-en?)は、日本の領有下において樺太を管轄した地方行政官庁である。 この場合、樺太とは樺太島の内、ポーツマス条約により日本へと編入された北緯50度以南の地域(いわゆる南樺太)及びその付属島嶼を指す。
1907年3月15日公布の、明治40年勅令第33号(樺太庁官制)に基づき、同年4月1日発足。これにより従来の行政機関である樺太民政署は発展的解消を遂げたと言える。庁舎は当初大泊に置かれていたが、1908年8月13日に豊原へと移転した。
1920年公布の、大正9年勅令第124号(樺太ニ施行スル法律ノ特例ニ関スル件)ではいわゆる外地に組み入れられたが、その後の1942年には内務省管轄下に入り、国内法が適用されるようになった。これによって樺太はいわゆる内地へと編入された。
1945年8月のソ連対日宣戦布告によって、樺太庁管内にはソビエト連邦軍が侵攻し、同月末までに樺太全土が占領された。行政官庁としての樺太庁は、外務省への移管を経て、1949年6月1日、国家行政組織法の施行によって廃止されている(外務省条約局法規課『日本統治下の樺太』〈外地法制誌〉、1969年を参照)
当該地域の領有権及び領土問題に関する詳細は樺太の項目を参照。
南の北海道とは宗谷海峡で隔てられ、北は北緯50度線国境でソ連と接し、西の間宮海峡、東のオホーツク海に囲まれていた。
第一次産業が基盤であり、漁業・林業・農業が主であった。また、後には製紙業・炭鉱も盛んとなった。人口が希少であった事から常に労働人口を欲しており、税法の優遇等により国内他地域からの移住を推進した。
樺太庁には1945年8月の時点で42の市町村(1市12町29村)、10の郡があった。
樺太庁は4の支庁に区分されている。
支庁は樺太庁の独立出先機関とされており、管内において本庁の事務を分掌していた。
昭和14年(1939年)当時
昭和16年(1941年)当時
昭和16年(1941年)当時
昭和14年(1939年)当時
「監視署」とは、日ソ国境の北緯50度線の密貿易を監視する官署である
昭和17年(1942年)当時
昭和17年(1942年)当時
昭和20年までに107局が整備された。内地編入までは樺太庁管轄下にて郵便局は設置及び監督されていた。 内地編入以降は、逓信省によって監督された。 うち普通郵便局は、大泊、豊原、真岡、泊居で他は全て特定郵便局であった。
| 局記号 | 局名 |
|---|---|
| 連い | 大泊 |
| 連は | 豊原 |
| 連に | 栄浜 |
| 連ほ | 真岡 |
| 連へ | 敷香 |
| 連と | 久春内 |
| 連ち | 名好 |
| 連り | 海馬島 |
| 連ぬ | 留多加 |
| 連る | 白浦 |
| 連を | 大泊楠溪 |
| 連わ | 野田 |
| 連か | 富内 |
| 連よ | 泊居 |
| 連た | 長浜 |
| 連れ | 鵜城 |
| 連そ | 本斗 |
| 連つ | 闌泊 |
| 連ね | 元泊 |
| 連な | 大谷 |
| 連ら | 留久志 |
| 局記号 | 局名 |
|---|---|
| 連う | 真岡北浜 |
| 連ゐ | 散江 |
| 連の | 恵須取 |
| 連お | 南名好 |
| 連く | 遠淵 |
| 連や | 名寄 |
| 連ま | 小沼 |
| 連け | 落合 |
| 連ふ | 雨竜 |
| 連こ | 広地 |
| 連え | 小能登呂 |
| 連あ | 女麗 |
| 連さ | 内幌 |
| 連き | 竝川 |
| 連ゆ | 登帆 |
| 連め | 追手 |
| 連み | 泊岸 |
| 連し | 麻内 |
| 連ゑ | 安別 |
| 連ひ | 川上炭山 |
| 連も | 宗仁 |
| 連せ | 内砂 |
| 連す | 内路 |
| 局記号 | 局名 |
|---|---|
| 連いろ | 逢坂 |
| 連いは | 知取 |
| 連いに | 豊原西一条 |
| 連いほ | 大泊栄町 |
| 連いへ | 彌満 |
| 連いと | 千歳 |
| 連いち | 多蘭内 |
| 連いり | 泥川 |
| 連いぬ | 大栄 |
| 連いる | 珍内 |
| 連いを | 喜美内 |
| 連いわ | 馬郡潭 |
| 連いか | 二股 |
| 連いよ | 大泊本町 |
| 連いた | 上敷香 |
| 連いれ | 新問 |
| 連いそ | 恵須取元町 |
| 連いつ | 樫保 |
| 連いね | 大豊 |
| 連いな | 十和田 |
| 連いら | 知取浜町 |
| 連いむ | 気屯 |
| 局記号 | 局名 |
|---|---|
| 連いう | 多来加 |
| 連いゐ | 内川 |
| 連いの | 真縫 |
| 連いお | 野寒 |
| 連いく | 大平 |
| 連いや | 知志谷 |
| 連いま | 豊原東五条 |
| 連いけ | 小田寒 |
| 連いふ | 久良志 |
| 連いこ | 野頃 |
| 連いえ | 西柵丹 |
| 連いて | 白主 |
| 連いあ | 札塔 |
| 連いさ | 保恵 |
| 連いき | 塔路 |
| 連いゆ | 上恵須取 |
| 連いめ | 沃内 |
| 連いみ | 浅瀬 |
| 連いし | 小泊 |
| 連いゑ | 内淵 |
| 連いひ | 宝沢 |
| 連いも | 諸津 |
| 連いせ | 天内 |
| 連いす | 小田洲 |
| 局記号 | 局名 |
|---|---|
| 連ろい | 北小沢 |
| 連ろろ | 珍内炭山 |
| 連ろは | 泊岸炭山 |
| 連ろに | 白鳥沢 |
| 連ろほ | 内幌炭山 |
| 連ろへ | 気屯・古屯 |
| 連ろと | 西内淵 |
| 連ろち | 初問 |
| 連ろり | 南名好炭山 |
| 連ろぬ | 南珍内 |
| 連ろる | 杉森 |
| 連ろを | 上塔路 |
| 連ろわ | 北小沢浜 |
| 連ろか | 東内淵 |
| 連ろよ | 東柵丹 |
| 連ろた | 北遠古丹 |
| 連ろれ | 多闌泊 |
昭和14年(1939年)当時
などがあった。
島内の産業が活発化してくると、木材・石炭の速やかなる移動が急務となり、以下の鉄道線が敷かれた。
鉄道の詳細は樺太の鉄道の項目を見よ。
昭和7年 樺太庁告示による、庁道は以下の通り。 Template:Col?
昭和14年(1939年)当時 Template:Col?
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年12月15日 (月) 06:12。