chikugogawa @Wiki内検索 / 「ブレスまたブレス」で検索した結果

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  • ブレスまたブレス
    ちょっと前にも書いたけど、「銀の魚」のブレス記号は尋常ならざるほど多い。とにかく多い。中でも「川の男の…」あたりで、男声に1小節ごとのブレスを求めているところ。正直言って、私には歌いにくい。さっきから何度もこのブレス記号を守った音楽の構成を考えているのだけど、なんだかハァーハァー、ゼーゼーな過呼吸っぽい音楽しか想起できません。 もしやある意味男声合唱っぽさ?とか思ったけど、男声合唱だからブレスが多いってのも謎だし、次のページで男女が入れ替わって「川の女…」が出てくるところでは、女声が同じブレス記号を受けているので、その線は考えにくい。 となると、、、どうなるの。 すみません。わかりません。 今のわたしが指揮者で、好きにしてよさそうな状況なら、「川の」の後と、「たくましい」のあとのブレス記号を消させます。 そのくらいわかりません。 でも書いてあるのでまるで何かわ...
  • 銀の魚
    ...の声 あのときの声 ブレスまたブレス たくましい腹板 胸板 厚い胸板 音の高さの記憶 念のため確認 さお 六五郎橋 清らかなうなぎ 棹を入れる 漕~ぎだした --? 対比、また対比 優雅なピアノ オナニーなら一人でやれ 音楽の立体化 mf <-> f あぶってかも 投網 朝 あらためてフォルテ おさない歌い方 不連続な音量 やりきること 暴走特急! さざなみ バタフライ効果 Increspatura 深い川 D7aug 服従するは我にあり a tempo p on mf ブレスするのかしないのか ピアノと入れ替わり アクセント ラップ 小技の小技 鮮度が命 きときと うぉーーーーー! 朝日はだめよ 複雑な和音 裏で増えていく音 「銀の魚」の山場 シームレスな展開 Requiem 言葉では言い表せない 余韻 4回めだけ強い もうひとつの山 まとめに入る歌い方 フェルマータ アタッカはな...
  • ブレスの位置
    楽譜というものはある意味不完全なもので、作曲家が思い描いた音をすべて記譜できるわけではない。暗黙の了承の場合もあるし、演奏家側の自由裁量としていることもある。『筑後川』の初演のように作曲家がタクトも持つ場合、書いてなくても自分で振れてしまう。もしかすると、わからないことはその演奏を手本とせよ、と考えているかもしれない。 古い楽譜には何も書いてないことが多いし、最近の曲にはやたらいろんなことが書いてあったりする。オペラのト書きなみにいろんなこと書く人もいますよね。書いてあることはそうしたほうがいいけど、書いてないことはやっちゃいけないと解釈する方法と、書いてないから自由だと見る方法もある。 さて、この「銀の魚」でのブレス位置。やたらとVマークがあちらこちらにあります。さすがにこのくらい書いてあるということは、「書いてないところでブレスをしないでくれ」という意図と思ってもいいでし...
  • ブレスするのかしないのか
    43小節と44小節の間、つまり、「あゝ」を終えて「深い川」に入るところでブレスするのか。とりあえず楽譜そのものは女声にはブレス記号があり、男声にはない。 しかし後述するように男声にない理由がわかりにくい。悩ましいわけだ。 「深い川~」の動きは4声が縦に揃った動きだから、直前のブレスを揃ってとる方が自然。直前の「あゝ」でも、ずれて入りはするものの全パートでしっかり伸ばして和音を作り、揃ってデクレシェンドしていく。だからブレスをとるなら揃ってとる方が自然。 でも楽譜にそう書いてあるのだから、やはり男声と女声でブレス位置を変えたいような事情があるのだろうか?改めて楽譜のほかのところを見てみると、たとえば次のページのmでハミングするところは明らかに男女でブレス位置をずらしてある。ただしこれはフレーズも同じようにずれた部分なのでダイレクトな参考にはならない。単にずらす可能性は...
  • シームレスな展開
    山場を越えて、でもあくまでも軽やかさを忘れない音色で「ぎんのうお」と16音符の刻みを入れる。ベースだけは最後の音で高くなるので油断すると大きく歌ったしまいかねないが、あくまでもデクレシェンドの中。他のパートと同じように収めに行かなきゃいけない。 さてそのあと。再びlegatissimoのハミングになる。もし、この曲特有の不自然なブレス指示を完璧に無視してよく、曲の構成を深く考えずに、前後のブレス記号を隠して、ごくありがちな演奏をするのであれば、「ぎんのうお」と歌ったあと、つまりハミングに入る直前で全員揃ったブレスをとる。 しかし、ここに明示的なブレス記号はない。さらに男声はその2拍後にブレス記号がある。そこで選択肢が2つ: 1) ここは切る。なんとなく自然に切れてブレスして、いい形ではじめる。 2) ここはつなげる。つなげるといった以上、絶対ブレスをしてはいけない。 ...
  • 対比、また対比
    昨日に引き続き対比の話。 1 「かわのおとこ」と「かわのおんな」の1音めの低声が違う  ベースはD、アルトはFis。高声とは5度ハモリか3度ハモリかの違いで、いずれもD-durの中から単純に拾った音。おそらく音域でアルトには無理させずにしっかり鳴らしたかった程度の理由なので、この差をことさらに強調する必要はなく、1音めもアルトはきちんと参加してちゃんと鳴らせ、ってくらいの意味。 2 2/4の小節のcresc.の長さ(終点)が違う  男声は「おとこ」の「こ」に入ってすぐのところまでcresc.で女声は「おんなの」の「の」に入るところまでcresc.。この違いはあまりに微妙。テクニカルには非常に厳しく、何を意図したのかさっぱりわかりません。「あー」を歌っているパートが1ページ目は2拍目までなのに、2ページ目は小節いっぱいcresc.です。この差も表現しづらいし、それ...
  • 息を混ぜて切る
    フーガの冒頭のアルトの動きを考えると直前の女声の処理をしっかり考えたほうがいいだろう。 まずフーガへのつながりを見てみると、男声やピアノパートを見ればわかるようにリズミカルに作ってきてフーガの小節の2拍目までその動きが続いている。ブレス記号もテヌート記号も、一切の速度記号もない。ここは完全にテンポキープのまま“タメ”なしで、フーガの小節に飛び込む。フーガに入れば音楽の性質が激変するのでメンバーの技量に応じてテンポを作りかえる味付けはまったく不可能ではないものの、すぐに同じ動きに戻るわけだからかなり特殊な編曲といわれかねない。つまり十中八九というよりそれ以上の確率でテンポキープ。 するとアルトはこの長いフーガの主題提示に、ノンブレスで飛び込むのかというと、それもありえないだろう。そこまで音楽の主役は男声が担っているので、このレの「あー」を小節いっぱい保持しなければならない...
  • 何小節フレーズ?
    音楽の捉え方で、フレーズを何小節でとるかという問題があります。 ♪咲いた、咲いた、チューリップの花が をブレスなしで一息で歌うか、咲いた咲いたの後で1度ブレスをとるか、というような問題です。就学前の子供にこれを歌わせると、咲いた、と歌ってからブレス。もう一度咲いたと歌ってブレス。その勢いで、チューリップのの後でもブレスしたりして。そういうのが幼い感じですね。だから、って言うのもなんですが、あまりぶつ切れにしないものです。 ブレスがもつのなら、多くの指揮者は書いていないブレスをむやみに取らせるものではありません。 ♪筑後平野の百万の生活の幸を は、その気になれば一息でうたえます。ブレス記号も休符もありません。「百万の」のあとが問題なんです。気楽に歌ってもらえば、ここでしっかりブレスをとる人が多いです。まるで8分休符があるかのごとくしっかり休んでしま...
  • p.6
    やや私見だが(って私見じゃないところがあるのか?)、全曲中で6ページ目(山の光は...)は特に音取りが難しい。拍子感が希薄で、間延びして、さらに微妙な音律。 さっきからの5拍子だし、#3つと思えばさほど臨時記号もないし、使っている和音も普通。なのに。 まず5拍子。ピアノ譜を見るとわかるように、ページ頭の小節から順に、3+2,3+2,3+2,2+3,3+2,3+2,2+3,2+3,3+2と見ていくのが自然かとは思う。ただ、拍子の頭をさほど強拍とはしないので、自分を見失わないためだけの措置。四分音符が一拍なので、八分音符が続くところでは四分毎に小さな縦の線でも書き込んで、指揮者の拍がどこを指しているのかをわかりやすくするというのがプロでもアマでもよくやるテクニック。 やまーとかことりーとかの伸ばし一拍分で、ふつう4拍子の音楽を5拍子に間延びさせ、女声、男声の「におい」の掛け合...
  • 裏で増えていく音
    この曲の重要なピークに向けて、いろんな仕掛けが出てくる。男声の「あさひにはねよ」に対して女声がやっている合いの手もその一つ。 まずアルトが出てくる。高さはレ。ちょっと低い。この音はこの調G-durのソシレのレだからある意味、わかりやすい音。実際アルトがこの音を出すと、半拍遅れてテナーが実音で同じ高さの音を出す。ただ、アルトがこの音に飛び込むときは、昨日指摘したG dim△7の和音をピアノと男声で作った半拍あと。この和音の中の音ではなくて、アルトの力で半拍後にG-durに戻すような音になる。一応でいえば、G m△7という音が鳴ることになる。和音の構成という音の流れでも、それなりな重要度があり、低い音でもアクセントがついている意味と責任を理解してほしい。また、このタイミングは4拍子の4拍目。裏をついて和音が増えていくさまには多少のかっこよさを感じると思う。だからこそこのアクセント、こ...
  • 漕ぎ出し方
    4小節目のディナーミクはmp。そこまでアルト以外はppなので、pを飛び越えて突然大きくすることになる。3小節目でアルトが一山作っている分、唐突さは和らぐものの、歌う側は何となく大きくなるのではなく、2レベルアップなのだかいう多少の意識は必要だと思う。 ところがこの小節に向けてブレス記号はない。前に指摘したように、この曲ではやたらとブレス記号を書いてあるので、ブレス記号のないところはパートや団として揃って切る、あるいはためるという流れを作らないと見るほうが自然。だけど久留米音協のCDを聞くとここにタメを作っている。アルトの装飾音の影響もあるし、音量が2レベルなのもあるから、ブレスは書いてなくても音楽の切れ目を感じなくはない場所だ。テキストから見るとむやみに切る場所ではないものの、切れてもいいかもという微妙なポジション。ってことで指揮者マターなところですので、よく見ましょう。 作...
  • いま生まれたばかりの川
    いよいよ一曲目前半のまとめに入る。 冒頭と同じ音形を使っているのはだれでも気づくことだけど、念のため。冒頭は#ひとつのト長調だったのに、ここは#が2つのニ長調。入りの音で言えば、冒頭はHでここはFis。すぐに気が付くことだけど、音取り段階でちょっと気をつけたいのは、ソプラノとテナーが遅れてCisから入ってくるのが、自分が冒頭とまったく同じフレーズなのではなく、低声が冒頭と同じことをやっているその調で5度上からかぶって入るってこと。大きな違いは「いまうまれ」の「れ」の音。DじゃなくてEになっています。 mfスタートでffまで持っていくので直前の休符などで十分体を柔らかく準備することが大切。クレッシェンドが始まった後で遅れて入るソプラノとテナーに楽譜上mfと書いてあっても、少し大きいところからはじめる場合と、楽譜どおりmfからはじめる場合とがあります。 冒頭では、ある意味、な...
  • ピアノと入れ替わり
    ちょっと注意して聞けばすぐにわかるようなことではあるけど、歌うために自分のパートだけに専念して、木を見て森を見ずといった演奏をしてしまうと気づかないこと。この「あゝ」は冒頭のピアニッシモで「しずかに」と歌ったフレーズ、そのあと2ページ目で再び「しずかに」と歌ったフレーズ、に続いて3回目。 「しずかに」のシラソレー、シラソレーの音形はそのままピアノの右手が担当しています。先の2回ではアルト、あるいはテナーが3小節目でちょっと動く、というおまけがついていたけど、ここでは素直に4声の揃った動きに飛び込み。そこから先はディナーミクや音の高さも、歌詞の違いに基づく軽微な差を除いて同じ。 だけど「あゝ」は先の2回がppであったのに対して、ここではpスタートのmfをピークとする2小節<>。シラソレー、シラソレーの音形を担当するピアノも<>マークがたくさん。こういう場合は「3回目にもなると精...
  • うぉーーーーー!
    46小節目、「いきのよい」以降5小節の細かい確認。 まず、これは冒頭で「かわのおとこのたくましいむないた」と男声が旋律を歌い、そのあとで、「かわのおんなのきよらかなうなじ」と女声が旋律を歌ったところとほぼ同じで3回目。男声が旋律。ちなみに最後のページで終わる直前に同じ動きの4回目で女声が旋律。 細かい違いでは、前2つでの合いの手は詩にない「あゝ」だったのに、今回の3回目と、次の4回目では「おゝ」になってます。音色の差は顕在化させてよいと思いますが、考えすぎて妙にこもった暗い音を作ってしまうようならちょっと考え直したほうがいいかもしれません。この言葉を和音の補強程度に思うか、喘ぎ声だと思ってみるか解釈は勝手だと思いますが、一つの演奏では首尾一貫して何かを順次描いていくべきです。 違いではありませんが、「うおを」という言葉は楽な子音がない分、作りにくい言葉です。もともと...
  • ひとフレーズ
    Allegroからの3拍子。3拍子といえば、123、123、という拍の繰り返しが基本ですが、より大きくフレーズを考えるときは、ご存知のように、123,223,323,423と数えたりします。よくある音楽では、こういった小節のかたまりは4小節単位になっていることが多いです。もしかすると2小節単位かもしれないし、8小節単位かもしれないのでそれぞれのフレーズで指揮者の方針を確認しましょう。フレーズというものはとりあえずブレスで切れるものだと思ってみてください(例外は多いです)。だから歌い手にとってどうまとめるかは重要です。誰が見てもこういうまとまり、という音楽もあれば、ブレスの持つ範囲で許されるテンポ設定と描きたいものとのバランスでせめぎあう場合もあります。 でも今回の最初のフレーズは言葉の切れ目、休符による音の切れ目もあって、境目が見えやすいですね。123,223と数えるとすれば1は...
  • 「銀の魚」の山場
    さて、いよいよこの「銀の魚」の山場、53小節めの「あさひにはねよ」。 とりあえず本当に山かどうか確認。まず音量。この曲でフォルテ以上の音量指示を受けているのはここのほか、2度目の「朝の川面に投網がふくらむ」、最後のページの「いきのよい魚をとらえるのだ」と最後の「朝日にはねよ」、の計4回。ffは一度も出てこないけど、フォルテからクレシェンドすることはある。 ある種の形式的な考え方では2度目の「朝の川面に投網がふくらむ」や、最後のページの「いきのよい魚をとらえるのだ」ででてくるようにフォルテから2回クレシェンドしたあとが一番大きいかもしれないし、とくに「ふくらむ」のあとで「さざなみが」の直前にアクセントとスタッカートをつけてぶち切るところは音量が大きくなりやすい。 音の高さで見ると、高声が最高音を出すのは意外にも1ページ目の男声の「川のおとこ」の裏で女声が「あゝ」という最初で...
  • 小技の小技
    このあたり、すでに3回目で、ここまでと歌詞とその割り振り以外で意図的にいじってあるところがほとんどないので、「とらえるのだ」まではこれまでどおりの感が強い。 そんな中でのちょっとした違い。45小節目、「ふかいこころのー」の伸ばしでテナーだけに有る小技のラ、レの動きは、大きく言えばこれも3回目。だけど、お尻の「ろの」をありがちな展開としての4分2つに割り振らずに8分と付点4分に分けてテナーのこの動きの時間を確保した。するとこれまで2拍の長さを1拍ごとでラ、レと動いていたのが、ここでは4分と8分というシンコペーションになる。さらに小技が利いているわけだ。 何度も言うけど、違うところの違いはお客さんにわかるように伝えるのがこういう音楽の基本。テナーはある意味硬く、そしてこの音量変化を大きく作って目立って、「おや、さっきと何かが違う気がする」という気持ちをお客様に抱かせるよう鋭...
  • 高い音への跳躍
    「銀の魚」は4拍子。4拍子の音楽の基本は、1拍目が強くて2拍目が弱くて、3拍めがちょっと強くて4拍目が弱いってこと。 だから伸ばしているだけの音とか、付属語(自立語でない言葉)とかで4拍目にある音は、かなり位置づけの低い音になる。 5小節目のテナー。3,4拍めで<>がついている。ある意味単純に言えば、これはデクレシェンドが書いてある頭が一番大きいはずで、つまり4拍目の頭を大きく歌うことになる。しかし「漕ぎ出した」の「た」を伸ばしただけの音で、テキストとしての位置づけはどう見ても低い。 ラからレへのちょっとした跳躍音型で、油断すれば、(高い=でかい)→アホ、と図式される発声をしてしまうかもしれない。跳躍のために上がった音よりも直前の低い音でしっかり呼吸を支えると、高い方の音が軽く出せるようになる。つまり3拍目のクレシェンドをしっかりやってしまうと4拍目らしい節度を持って高い...
  • 1オクターブの跳躍
    ソプラノにいきなりの試練が用意されている。 最初のフレーズの「かわ」にあてられている1オクターブ跳躍だ。そこまでの二度、三度音程は比較的簡単だ。簡単だと思いすぎるとピッチが下がるなどの落とし穴はあるものの、そういうことまで考えすぎなければやっぱり簡単だ。 しかし1オクターブは簡単ではない。なにしろ、音量はp。しかもその後の伸ばしは長い。っていうかすごく長い。 それでも簡単にはしてくれてある。ソプラノを歌っているのなら、初心者でも出しやすい音域ではある。下のレの音のほうがむしろ難しいという人もいるだろう。でも音量は小さめなので無理に下を出す必要もない。しかもこの跳躍前にしっかりブレス記号がある。 注意したいのは上のレが大きくなりすぎないこと。ここではすでにアルトに主旋律が移っているからだ。大きくしないで高い音を出すには、その一拍前からの1拍の動きの中に潜在的な...
  • 不連続な音量
    先日、2度目の「朝の川面に」に移るところの音量が要注意だと指摘しました。普通ならクレシェンドやデクレシェンドの後に音量記号があれば、その音量になるように大きくしたり小さくしたりするものです。ですから局所的に見ればp.32の2小節目はフォルテになるように小さくして、下の段の2小節目はメゾフォルテに向けて大きくしていくと思ってしまいます。でも冷静に考えれば2度目の「朝の川面に」はフォルテで始まってクレシェンドするのだからmfになるはずがありません。というわけでここ、一回目の「さざなみ」に移るところはフォルテよりも大きい音量から突然メゾフォルテに小さくなります。 というところが2度もあるということは、、、ってことで探してみましょう。 3-4小節目:アルトだけについているコブシのところではppに戻って直後からmp 5-6小節目:テナーだけについている<>はmpに戻って、その直後か...
  • もだえて「もだえて」うねって「うねり」
    何日か前に「もだえる」の辞書の意味を書いたけど、 その後の家族会議で議論したところ (恋愛沙汰で)心配する (怪我や病気で痛くて)苦しむ (性的な感情の欲求不満で)苦しむ という3つの意味を分けて捉えるべきじゃないかという根拠に乏しい話になりました。 古くは1番目だけで、その後2番目が派生。3つめは非常に現代的な用法ではないかと(根拠なし) さて本題、團伊玖磨が「もだえて」と「うねり」の楽譜に託したこと。 見ればすぐわかることは、クレシェンドとデクレシェンド。 細かく見てみると まず「もだえて」 直前の「あおばをくぐり」と「もだえて」の対比が mp → f スタカート → レガート 音量一定 → 真ん中をふくらます ベースなし → ベースも参加 という指示になっている。 そこであらためて「もだえて」という言葉...
  • たいい
     ♪ 大意、大尉フレ、体位法、    退位、対伊フーレ、ホッホー いや、大きくならんでいいです。 という背理法ネタはおいといて、対位法。縦の線ばかりを気にするのでなく、各声部にメロディーがあって、それが重視されながら曲が出来上がる話。わたし、長い間結構勘違いして、対位法ってカノンやフーガのように同種の旋律が時間的にずれて出てくることを指すんだと思ってました。ヴァカですね。多声部の音楽を作るときに、左手でコードを慣らして右手がメロディーとか、ずっと三度上か下でハモっているとかじゃない少なくともあとちょっと手の込んだ作曲法。 わたし、小学校でトランペット、小学校以降で歌、中学校からトロンボーンをやってたんですね。で、周りの音なんか気にしないセルフィッシュ野郎だったから、自分ひとりでは単音しか出せない以上、和音とか、縦の線をそろえるだとか、どこかのパートとの関連だとかって気...
  • 念のため確認
    『筑後川』程度に込み入った曲だと、繰り返しのようで何かがちょっと違っていて、その差を表現することが曲の本質的部分と大きく関わっていたりする。 というわけで、「銀の魚」2ページ目に入り、大雑把には冒頭の動きを、今度は男女入れ替えで歌っている部分を念のため細かく確認。 まず基本方針。男女入れ替え。  これはテキストが最初は男性を描いていて、次が女性だからというわかりやすい展開ってことで、それ以上の裏もないと思います。 では頭。1ページ目では男声がハミングで参加しているけど、ここでは女声お休み。  これはたぶん下から支えるのは静かだけど、上から被るとちょっとどうだろうと思ったとかの音響的対策。情景の深い精神性とかとはあまり関係しないと思います。 そこから先は、音を男女で入れ替えたのではなくて先行するか追随するかを入れ替えた形。アルトとベースを見るとそれがわかります。...
  • おさない歌い方
    練習場の片付けやってて思い出したんだけど、グランドピアノのカバーを一発で掛けようと思うと、YAMAHAって書いてあるところをつかんで、正面からぱっとひらくと、時々うまくいくんですよね。ちょっと投網っぽい。 さて、2度目の「投網がふくらむ」の楽譜面を見てみよう。 その2小節前からフォルテで始まり、わずか2小節でわざわざブレスをとらせてくれて、ベースがフォルテ始まりだから、他パートもフォルテのままここに飛び込んできてと考えることができて、そこから「投網が」で一つクレシェンド、そしてさらに「ふくらむ」の「む」で追加のクレシェンド。この伸ばしているところのピアノパートを見るとアクセントつきのsfで鋭いリズム。そして合唱も最後の音をスタカート&アクセントで締める。大変激しい。楽譜面は兎も角激しく書いてある。 目に飛び込んできた指示に即座に反応できるのはとりあえずいいことだ。だ...
  • 高原の小技を大切に
    大きな声をのどだけで作ってしまうと体に悪いです。テクニカルにはおなかの支えとか鼻腔の共鳴とかが両立している状態で、メンタルには謙虚でまじめで手を抜かずに全身で特におなかから頑張ってる感じで出しましょう。 「へいやの」にはアクセントが付いていますが、ぶつ切れに押してしまうと美しくないです。つながっているけどアクセントも付いているという感じを多少意識して欲しいなぁ。 ここでピアノパートは3連符を続けていて、合唱は8分のリズムがたくさん出てきます。しっかりあわせようと思うと難しいのですが、多分、ピアノのリズムなんか誰も聞いてないでしょうし釣られることもないと思いますので「へぇー」程度に知っててください。 「ひゃくまん」の「ま」でソプラノはラ♭ですよね。高いですね。のどで押すんじゃない、裏声で軽くこの高さが出せるような引っ掛かり感をつかんで、首周り、胸周りを楽に、首の...
  • そこに持っていくという意識
    立ち上がるときとかなんかするときに、「よいしょ」「どっこいしょ」と言わないではいられなくなって久しいのですが。まぁ、そんなことはともかくw だれかと重いものを持つ感じで「よーーーいしょ」というときの「しょ」に向けた音の変化。あるいはもっと簡単に言えば「じゃんけんぽん」をゆっくり言うときの「ぽん」に向けた抑揚。一昔まえならゴルフで球を打つときに「チャー、シュー、メン」の「メン」に打点を持ってくる話とかでの、その前後。音量がどう変化して、音の高さがどう変化すると細かく説明できないし、できたところでかえってわかりにくいだろうその音の変化と、そこに持っていく意識。 音楽では個々の音の正確さ、縦のタイミングや和音、リズム、とかいう要素も大切なものですが、フレージングというのも結構重要な要素です。それは単に2小節間ブレスしない、とかいうことで出来上がるものも大切ですが、そのつなげら...
  • 「あゝ―」つなげずにつなげる
    最初のページの最後の音に向けた歌い方。つまり、「呼びおこせ」と「あゝ」のつなぎかた。 譜面上ritmicoという指示は、ピアノパートにしかついていないけど、曲想等々から考えて、リズミカルに歯切れよく、はっきりと歌う基調となることは間違いないだろう。 そんな音楽の中にたくさん出てくるシンコペーションは、祭の太鼓のリズムとして、しっかりと刻まなければならない。 「かわーを」「あいーを」「おこーせ」「くれーた」「たたーけ」「あげーよ」 この「ドン、ドン、ドドーンド」のリズムをしっかりと、ということだ。 そしてさらにその合間に入る、「あゝ―」の繰り返し。同じくそのリズムが命といっていいだろう。となればテクニカルには「あゝ―」の入りのたびにアクセントをつける、という動きがこういう場合の基本。 たしかにそれまでフォルテからクレシェンドしてきた音量で、メゾフォルテに落...
  • その1音のため
    『筑後川』一番の山場。それが「有明の海へ」の「り」の付点四分音符。 フォルテ3つ。Grandioso。少し長めの音で和音を形作るソプラノに課せられる責任は重い。 日頃 健康な体を維持 よい姿勢 よく歩く 規則正しい生活 快食快眠快便 十分にストレッチする 肩こり、首のこり、腰の張りなどを残さない 気持ちほがらか 腹式呼吸の反復訓練 どならない、吠えない 鼻呼吸を心がける 鼻づまりがない 事前 音取りに不安がないようにする このあたりくらいは暗譜している この音の和音感がなじんでいる この5拍子に違和感がない 三度音程の跳躍訓練が十分できている このあたりを何となく鼻歌で歌える 言葉の意味を理解 自分と周りの実力を把握 本番で自分がどの程度化けるか把握 前日 よくストレッチ 日頃からの訓練or鼻歌 よく寝る...
  • ボーダーレスな時代だから
    あけおめ、ことよろ。 年の変わり目ってはっきりしているよね。時報がポーンという瞬間。 この年越しもそういうのではなかったのだけど、カウントダウンコンサートやってると、何とかぎりぎりの時間に前の曲が終わって、その瞬間に向けてカウントダウンして。ちょっといつもと違う緊張感。営業スマイルでおめでとうございますって感じになって、じゃぁ、新年1曲目は…とか。 今年も、なんか知らないうちに年越えてたなぁ。 一見はっきりしているようで、なんとなく境目が分からないもの。ヒト。服やアクセサリーは人が身につけているもので人でないもの。身近なものだけど自身ではない。髪の毛は、衣服に近いような気もするけど、生物としてのヒトが自然にもともと備えているものだから自分の一部。体を巡る血液は自分のもの。でも献血とかで抜いた血は、かつて自分だったもので今は自分でないもの。同じ類推で口腔に漂う唾液...
  • pp、またpp
    男声の楽譜を見ると、最初の小節の1つ目の音と2つめの音の両方にppが書いてあります。忘れた頃に書き直してくれている曲は時々見かけますが、ここまで隣接してディナーミクを指示してくれる曲というのは結構珍しいと思います。 こうまでしていることの理由は、最初の音が低いハミングで、2つ目の音が高い普通の言葉だからと思われます。何も書かないと1オクターブ近く跳躍することで大きな音になってしまうとか、ハミングから普通の言葉に戻ったところで大きくなってしまうとかいう効果が重なってしまい、でかくなってしまいがちなのです。女声が冒頭でppなので、それを受けて歌うにふさわしい音量であるべき。だから何も書いてなくても男声2つめがppってことは考えれば分かること。とはいえトヨタでいうところの「見せる化」的発想なら、アクティブに引き出さなければならない情報より、パッシブにでも分かってしまうようにくどく、くど...
  • 峠越えでトンネルを抜けたところ
    昔はよく自転車で日帰りの小旅行をしてました。田舎に住んでたのと、お金がなかったのとで、とにかくちょっとどこかに行くには自転車しかなかった。 調べ物先の県庁所在地までは直線距離で30kmくらい。途中やっかいな峠越えがひとつ。えっちらおっちらこいで押してまたこいで。親の車で越えるときも退屈な峠。10kmくらいの山道。自転車だと何倍も遠い。汗だくになってようやく一番高いところを越えると、すぐさまトンネル。トンネルの中はずっと下りだからどんどんスピードが出始める。でもトンネルに入ったとたんから、ゴーっという一段と大きな車の音がしていて、後ろの距離感がつかめないまま、どんどんスピード、が上がっていって、砂利にハンドルが取られそうなのと、チキンハートなのとが手伝って、むやみに振り返ることすら出来ない。でもせっかくの下り坂にブレーキをかけるのももったいなくて、緊張感を高めながら揺れるハンドルを押さえ...
  • 第一声の「ま」
    軽くテキストを読んでみればわかるとおり、『筑後川』は久留米に生まれ育った詩人によるご当地ソングでありながら方言を使用しないつくり。しかも作曲家の團は多少九州の血が流れていても東京生まれ東京育ち。基本的に九州弁は話せない。そんなわけだからこの曲のイントネーションを考えるときはすなおに標準語をベースに考えるので良い。 冒頭の言葉は「まつり」。単独の言葉でも、文頭で使われてもLHH(音節ごとに低い・高い・高い)のイントネーション。「ま」をアウフタクトにおいてもぼちぼち自然な日本語として作曲することはできる。しかし一方で「ま」にストレスをおいても(音節ごとに強・弱・弱であっても)不自然ではない。というより、「つ」や「り」にストレスをおくと、結構不自然。 東京方言の日本語は高低アクセント(ピッチアクセント)だからアクセントがどこにあるかというと「ま」にはないのだけど、強勢アクセン...
  • ダムにて
    「ダムにて」関連ページ ¿ムダなダム? 警戒せよ いそいそ ららら 瀬をはしり ベースいらね 渓谷の響き 青葉をぐぐり 若葉をぐぐり 熊本の「もだえ」 subito 1小節ごとに音量チェック 誰が一番偉いのか 蛇の目ミシンはヘビー 団 地妻のもだえ もだえて「もだえて」うねって「うねり」 水かさが膨らむ川の橋 指揮者を見よう 夜明ダム 昭和28年6月の下旬に アクセントのあるなし 安心して 全てがうまくいくよ 1フレーズだけのソロ かわよ 愛の川 であるように 不屈の決意 軍隊行進曲 むせい か? 君のためなら死ねる 愛は難しい ダムサイト幻想 若くして 波風立てぬ 水面かな 1968年 Mezzo Soprano 魚に思ふ エラ 鰓 えら ボーダーレスな時代だから 新聞は一軒に一部 再びAllegro leggiero かがやく活路 重厚長大≠(大&軽)≠軽薄短小→若 もろ平野...
  • 腹筋を鍛える
    たとえばピアノにハノンがあるように、鍛えるべきところはある程度鍛えたいもの。 と、先日師匠に相談したら、何事もバランスだから、どれか一つだけが発達してもねぇ、とつれない感じでしたが、でも、やっぱり何もできないよりは何かできたほうが、そこを起点にブレイクスルーがあるかもしれないし。 で、腹筋。繰り返しますが、いわゆる上体を起こして戻すのを繰り返す運動は役に立ちません。是非やりたいのは正しい腹式呼吸を、抵抗つきでやること。抵抗ってのは、sやzの子音で充分。難しいのは正しい腹式呼吸。 とりあえずわかりやすいのは正しくない腹式呼吸に気づくこと。何が正しくないかというと、変なところに力が入った状態。たとえば肩、首筋、あご、みぞおちなどなど。 体をぶらぶら揺さぶって、上半身の力を抜く。そして息を吐いてみる。下腹部だけで吐く。だいぶ吐いたところで冷静に体の各部を意識してみる。あるい...
  • ブリヂストン久留米工場
    「白い工場の群れ」が、暗にこの曲を委嘱した石橋幹一郎が社長をしていたブリヂストンの久留米工場のことを指している、ってのは有名ですよね。 株式会社ブリジストンの久留米工場は43.6万平方メートルの敷地に従業員数約千人が働く、久留米市をかすりの町からゴムの町に本格的に変えた工場。久留米城と道を挟んで立地していて、お城から工場沿いに歩いていくと久留米駅。その歩いた道から筑後川までが、ブリヂストンの久留米工場と株式会社アサヒコーポレーションの久留米工場。アサヒは月星シューズと並んで久留米でゴム製地下足袋を作ってゴム産業を興した会社で、そのアサヒの2代目社長がゴム産業発展のために始めたのが国産タイヤの会社で、それがブリヂストン。このブリヂストンとアサヒとがまさに川面に白い工場を映すことができる立地です。 とりあえず地図をたどってみた程度ですが、久留米より下流で、まさに筑後川本流に...
  • 暴走特急!
    内房特急は「さざなみ」。なんでそういうネーミングになったのかまでは知りませんが、私が生まれるずっと前からこのあたりの優等列車にこの名前も用いられていたらしい。 東京湾って、まじまじと見たことないんですが、波が小さいんですか? 大学生で8年くらいむやみにw長く東京にいたんだけど、海は見なかったんですよね。自転車で行動できる範囲でしか動いていなかったから。 当時の私の脳内地図では、あきばの向こう側は千葉で、渋谷の向こうは湘南で、上野の向こうは津軽海峡で、池袋の向こう側は埼玉、新宿からは長い中央本線で名ばかりの東京都が続き、東京駅の隣の駅は名古屋って感じで。 大学一年と時の何かの実習で場所のデータを本から拾う作業があって、東京のデータがないから近そうな長野のデータをつけて持っていったら、教官から「なぜたてやまを選ばないのかね」といわれ、「そんな山は知りませんが」と北アルプス...
  • アホ外人の春
    無駄話ですw 春にヨーロッパを訪ねたことがないし、あまり詳しいわけでもないのですが、どうやらヨーロッパの春は遅いらしいです。日本人が春だと思う月を一月だけ挙げるとすれば多分4月になると思うんですが(根拠レス)、ヨーロッパだと、それが多分5月になります。 春の喜びを歌う歌は5月の歌だし。(その程度の根拠か?) ドイツではその5月に突入する夜、つまり4月30日の夜はワルプルギスの夜といって、多少の由緒正しい由来はあるのだけど、とにもかくにもあほあほなドンちゃん騒ぎをするのだそうです。まぁ日本中、桜の咲くところのいたるところで見られるあほな光景と結果的に大差ないと思いますが、一月ずれていますね。 http //www.fsinet.or.jp/~t-kawa/yougo/yougo_w_data.htm 当然そんな楽しい話は芸術の題材にもなるわけで、メンデルスゾー...
  • 瀬をはしり
    楽譜が細かいので詳しく確認してみる。 女声にも男声にも2回ずつあって 基本の音量が異なる以外は同じ楽譜だ。 「瀬」にはテヌート  そこからクレシェンド 「を」が最高音で、そこにスタッカート 「はしり」は下降音形で  デクレシェンドして  すべてスタッカート 「を」は文脈からも重要度の低い助詞なので、スタッカートがあるなら8分音符でも16分音符分くらいの長さで、しっかり休符があるように聞こえる歌い方で問題ないでしょう。 このフレーズの後は一音下げてさっきのフレーズを歌うだけなので、「はしり」はまとめる方向の歌い方でOKでしょう。つまりここの8分音符にスタッカートも休符があるように聞こえる簡単な歌い方。 多分面倒なのは「瀬」にあるテヌートと、重要度の低いはずの助詞「を」に付いた最高音の処理。 たいていの場合、ポルタメントはこうい...
  • アクセント
    歌でアクセントを議論するなら是非知っておいたほうがいいことがある。それはアクセントには2種類あって、音の強弱による強勢アクセント(ストレスアクセント)と音の高低による高低アクセント(ピッチアクセント)に分けられる、ということ。そして、普通、日本語は高低アクセント、西洋音楽を育んだ多くのヨーロッパ言語は強勢アクセントだ、ということ。 だから日本語の歌のアクセントを議論するときには注意が必要だ。高低アクセントが基本だから、アクセントといってもそれはメロディーを作る側に働いて、リズムを作るほうには働かない。 そういえば、日本語の詩歌の文化で、定型ものは七五調や五七調、あるいは五七五などで構成されているものの、そこでアクセントや韻を踏むという方向には進まなかった。古代ギリシアの叙事詩が一定の短いリズムでできていることや、重要な影響を受けたはずの漢詩でも韻を踏む鉄則があったのに、である...
  • じゃぁ
    以前、少しの間フランスの田舎町に滞在していたとき、いつもの昼飯メンバーから、おきまりの展開で、何か日本語を一つ教えてくれという話になって、とっさに「じゃぁ」という言葉を教えました。 フランスのお昼時の挨拶はボナペティ。朝はぼんじゅーる、さばさばとか言い合っている展開が、昼飯時は通りすがりの人とボナペティボナペティと言い合っている。私がフランス語を話せないので、テーブルに着くとグッドアパタイトとか言われるんですが、いや、それは英語でもボナペティでいいんですけどって。だいたいそれじゃ芸能人は歯が命になっちゃうでしょ。 日本での食事時の言葉は、いただきます。ごちそうさま。一応、さぁ召し上がれ、お粗末様、という言葉もあるけどマイナーな部類。つまり日本では食べる側の人の言葉中心。でもボナペティは、テーブル上で言えば「さぁ召し上がれ」に相当するから、いつものタイミングで何か言葉を発しようとして...
  • アルトを呼びおこせ
    このフーガでアルトに鬼門が用意されている。音域がむやみに広いのだ。 「まつりよかわを呼びおこせ。あー」 のうち、「かわ」は五線の下のシの音で、そのすぐあとに「こ」で上のレが出てくる。典型的なアルトならポジション(声区)の切り替わり点として、胸声からミックスした中声への切り替え(第一喚声点)が真ん中のソ(一点ト)で、中声から頭声に切り替え(第二喚声点)が上のレ(二点ニ)。だから、このフレーズは人によって二つの大きなポジションチェンジを乗り越えなければならず、パートソロでの一つにまとまったフレーズ作りが非常に難しいように書かれている。 気をつけたいのは「かわーを」の歌い方。フーガらしく、「まつりよかわを」をしっかり歌うという気持ちが強すぎて、この「かわーを」を変な意味で押してしまうと後に続かない。「変な意味」というのは胸声主体の、胸声しか出せないような発声。それだと確かに「か...
  • 主和音で勝負する
    ♪主和ぁー (おーン) シューびでゅわー (おーん) って、ハクション大魔王にも妹にも用はないので、そういうイミフメイな歌は置いておくとして。 非常に古い音楽にモンデヴェルディ作曲の「聖母マリアの夕べの祈り」という曲があります。(Claudio Monteverdi ) イタリアでの、ルネサンスからバロックへの移行期を生きた、というよりも、ルネサンスの巨匠、パレストリーナの呪縛を断ち切り、感情表現の自由度を高めたバロック音楽を切り開いたのがモンテヴェルディ自身。私はこのCDを初めて聞かされたとき、なんて派手なおめでたい曲なんだろう、宗教曲としてこんな曲があっていいのだろうか、と心配になり、1610年の作曲と聞いて、さらに驚き、運転中だったけど、信号待ちの間でよかった、と思った曲です。 Sibeliusの再生環境が整っている方は、ぜひ、その圧倒的な第1曲を楽譜...
  • 愛は難しい
    今夜は聖夜。というか聖バレンタインデーと並び、外国のイベントにかこつけた恋人たちの夜。いつぞや、あいてるホテルがなくてずいぶんさまよったこととかあったなぁとか。 愛の宗教といってもキリスト教の愛はもうちょっと違う愛だよなぁ。   愛は高ぶらない、誇らない、無作法をしない   愛はいつまでも絶えることがない なんかないないづくしだよね。 いやそんなことより、今夜訴えたいのは   愛は子音がない 前置きが妙に長かったけど、「いのちがけで愛するために」の歌い方。 前後を見てみると、「不屈の~」がフォルテでmarcatoとの指示がある。さっとみれば少し後の「水面に~」にlegatoと書いてあるのでこの6小節間がmarcatoなのかとも思える。 しかし、何となく楽譜づらを眺めてみれば、特にピアノパート部分の差から、「不屈の決意をした青年です」の3小節と、「い...
  • 銀世界
    一面の雪に覆われて、ちょっと懐かしかったです。むしろスタッドレスや雪国仕様の靴に慣れた身として、おとなしく行動してましたけど。ではみなさんを銀の世界にご招待。 ぎんせかい 【銀世界】 雪が一面に降り積もった景色を言い表す語。白雪に覆われた山野。雪景色。 「一面の―」 しろかね 室町時代くらいまでは 金:黄金(こがね)、銀:白金(しろかね)、銅:赤金(あかがね)、鉄:黒金(くろがね)といっていたらしい。 http //www.geocities.co.jp/Bookend/4373/vol_246.htm 港区白金(みなとくしろかね) 白金村と呼ばれるこの地を開いた柳下上総介が大量の銀を所有していたことに由来。 子孫は江戸時代を通じて白金村の名主を務めた。本来にごらないのだが、ここのセレブはしろがねーぜと濁って呼ばれている。 http...
  • 別れの言葉
    相手の幸せを祈るもの お元気で Goodbye [ God be with you] Good luck 次の再開を期待しているもの また 再見 See you Au revoire (また会いましょう) A bientot (また近いうちに) Auf widersehen Arrivederci 天国で(神様のもとで)会いましょうという決定的な別れにつかう言葉 Addio Adios A dieu 涅槃で待つ 天国で、ということなら、同じ蓮、という言葉もあるかとは思いますが、「涅槃で待つ」以上に挨拶言葉じゃない。 っていうか遺書は挨拶じゃないだろ>おれ 特殊ケース Ciao (<私はあなたのしもべですのヴェネツィア方言) 居なくなることを詫びる 失礼します 失敬 接続詞や接続...
  • さよならの唄
    とりあえずDAMの楽曲検索で、「さよ」で始まる歌を検索して、ゴミを整理してみました。 どのくらい歌えますか? さよならなんかは言わせない,B’z さよなら文明,BAKUFU-SLUMP さよなら、そしてありがとう,BEGIN さよならは踊る,CHAGE&ASKA サヨナラ,CHARCOAL FILTER SAYONARA,Dreams Come True さよならを待ってる,Dreams Come True さよならが言えなくて,F.O.H さよならより永遠の中で,Favorite Blue さよならの歌,FREENOTE Sayonara,Gackt サヨナラ,GAO 「さよなら」とたった一言で...,GARNET CROW Sa Yo Na Ra,globe さよならの向こうに,HOUND DOG さよならの雨,...
  • 行くところ、還るところ
    團伊玖磨の言葉 「東アジアの海の道を、或いは惨敗のかなしみに泣き叫び、或いは敗北の慙愧に震え、或いは勝者への怨念に燃え、或いは暗黒の恐怖と蒼白な諦観に沈みながら、島影を求めて漂白ってきた祖先の道に僕は故里を感じるのである」 また團の言葉 「川の向こうには東アジアの海があり、やがて筑後川の水は揚子江の水と合体する。空から眺めて御覧なさい。揚子江の黄色い水と有明海を経てきた真っ青な水が見事に合流しているんですから」 さらに團の言葉 「日本文化のきょうだいは朝鮮半島、父母は中国」 「日中両国民は世代を越えて友好的に付き合っていくべきだ」 川の物語と思えば、河口でおしまい。詩人、丸山豊は、もしかすると『河口』に人の成長や愛の完結する様を描こうとしたのかもしれない。作詞当初、丸山はこの5番目の詩に「河口夕映」というタイトルをつけていた。一日の終わり、沈む太陽、感傷的...
  • a tempo
    この曲のいろいろな指示からすると意外なことだけど、a tempoがでてくるのはここだけ。 釈迦に説法だろうけど、a tempoは「もとの速さで」の意味。リタルダンドやアチェレランドして速くなったり遅くなったのをちゃんとした速さに戻してやってください、という意味。というわけで「もとの」というのはtempo primoでいうようなだいぶ前の速さではなくて、たまたま速さが変わっていたのをちょっと前に戻すという意味になる。 普通の辞書で” a tempo”を引くと、「遅れずに」とある。別の日常会話の対訳で「いいときに」と訳されているケースも有る。”a”は前置詞で英語の at, to, in に相当する。tempoはtimeに相当する言葉。わからないでもないけどやっぱりちょっとわからない。 と思いながら多少ググって見て、ちょっと目からうろこなわかりやすいお話がありまし...
  • 五月雨を集めて
     アカペラで音を重ねていく様は、   あまたの地にて生まれきたゆえ 旧約聖書的世界観なら、世界は神の一声に端を発し、 ありがちな宇宙論なら、世界はビッグバンに遡る。 蝶の羽ばたきほどの小さなひとつのゆらぎが、 大きな無数の嵐を生むことも、 描く世界としてはすばらしいかもしれない。 しかし、無数の粒の雨だれが、 やがてひとつの河口を駆け抜ける。 そんなまとまり行く様子も、 感動をもって語るに値することだろう。 はじまりはひとつじゃない。 だけど僕たちは出会った。
  • 不自然な音量指示
    ここでまた不自然な書法がでてくる。 「もりの」がmfで、との指示だ。 さっきの「あらい」まではフォルテ。このあとはデクレシェンドしてpで「くらさ」とつながる。淡々と歌うならばf→mf→pだから特に違和感もないだろう。 しかし、大きなフレーズを考えてみると、さっきの「~あらい」までのフォルテのフレーズと、「もりのくらさをおそれずに」という暗さや恐れといったネガティブな言葉に呼応した音量の小さな音楽との対比が描かれることになる。だから、とりあえず音の高さと歌詞を覚えた頃、楽譜を見ないで歌えば、この「もりの」を小さく歌うだろう。次への展開を考えれば大きくてもmp。しかしここはmfとの要求だ。このディナーミクだけを重視して歌詞を考えず器楽的に音楽作りを試みると、むしろフレーズは「もりの」までがフォルテ基調の音楽となったフレーズで、「くらさ」以降が次のフレーズじゃないかと思えてしま...
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