明治初期に来日したプロテスタント宣教師が日本における女子教育機関の設備と混血児の保育について要請したのに応えて、婦人宣教師P.C.ピアソンにより、横浜山手48番地にミッションホームとして1871(明治4)年に設立された。

日本の女子教育と保育(幼児教育)はここから始まったといえる。

後に東京女子師範附属幼稚園を創設した中村正直は、10日間余り滞在したが、婦人宣教師の保育を「実母・実子カト疑ウホド」「絶好ノ母ヲ得レバ絶好ノ子ヲ得ベク」と述べ、夫人・娘を入学させるなど影響を受けた。

またわが国の女子教育と保育の草分けである桜井ちか・二宮わかなどにも大きな影響を与えた。

保育士・長谷川桜子
最終更新:2016年01月04日 13:28