301 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/03(土) 18:48:09 ID:AFhWOMPC0
>>300のカキコからすると李孝恭は確定というより、候補に入れて
検討した方がよさげですね。
302 ◆RQdk7scN8s sage 2007/03/03(土) 20:26:52 ID:Fcn9qi5g0
いや… たしかに李靖の慎重論を聞かず大敗してはいるが、それで手詰まりになったわけじゃなく、局地的な敗北だと思う。
そのあと、李靖を第一陣に投入して勝ってはいるが、それは司令官と前線との連携がなせる業だと思うけどな。
つまり、李孝恭は本陣で傍観していたわけじゃなく、積極的に戦局の操作をしていたと思える。
李靖はたまたま自身が独立しても、戦局全体を見渡せる才能を持っち、前線にいても視野が広い傑物だったから、我らとしてもその功績をクローズアップしてしまうけどね。
《旧唐書》李靖伝などをみると、李靖一人で勝ったように見えるけど、実際司令官でない以上、動かせる兵力は局地的なものだったとみるな。
李孝恭は自身も用兵に通じ、また諸将を統御できた名将だと考える。
303 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/03(土) 20:45:45 ID:3sMv+TcS0
李孝恭って前スレじゃ確定組のl流れじゃなかったけ?
304 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/03(土) 21:15:31 ID:snM/lvq60
>>302
局地戦というけど、このスレでは戦術的な手腕が第一でしょ
冉肇則がキ州に来たときも李孝恭は勝てなかったし(李靖が来て勝った)
司令官としてはともかく、単独の指揮官としては疑問が残るんだが
「三軍之任、一以委靖(旧唐書)」とか「軍政一委焉(新唐書)」とあるし、
そもそも蕭銑を討伐する戦略自体も李靖が提出した案だし、
司令官は李孝恭だけど実際は李靖の功績だと見るのも
あながち無理があるわけではないだろう
305 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/03(土) 21:26:58 ID:gcDFhizL0
>>302
李孝恭を名将ではないとは言っていないと思います。
私も、少なくとも候補に挙げられている人物はみなそれぞれ名将と呼ばれるに相応しい
だけの功績と才を持っていると思います。ただ、どこの時代にもいえますがその時代の
十選に挙げられるかどうかとなるとやはり李孝恭は難しいのではないかと。
特に隋末唐初のこの時代は、李世民・李靖・李勣が揃っているからなおさら。
306 ◆RQdk7scN8s sage 2007/03/03(土) 21:51:09 ID:Fcn9qi5g0
>>そもそも蕭銑を討伐する戦略自体も李靖が提出した案
李孝恭伝には「孝恭、蕭銑を平定する策を献じる」とあるけど、李靖伝では李靖が戦略を披露しているみたいね。
これは思うに、作戦会議みたいな感じでの記録じゃないのかな。
李孝恭の提案に李靖が色をつけて、李淵が、それなら二人に任す、という感じで。
あと、「三軍之任、一以委靖」はどう読めばいいのでしょうか?
三軍のうちのひとつを任せた状態なのか、「李靖をもっていっさいを委ねる」なのかで意味も違うのだけど…
李靖はそもそも10人に絞っても残る名将なんで、それにケチつける気はさらさらないから、李孝恭は候補どまりでいいですよ。
>>戦術的な手腕が第一
あと、その戦術手腕で領土の拡大に貢献している、とかでしたっけ?だから張須陀が候補に落ちたんでしたっけ。
307 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/04(日) 20:07:32 ID:q6rdJn940
李靖が凄いのは分かるけど、どう凄いの?
308 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/04(日) 20:28:07 ID:7f+9JYtQ0
曹操は1000年に一人の傑物と評されてるのは間違いだってこと?
309 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/04(日) 20:49:44 ID:UDfv5+Cv0
王玄策は候補に入りませんか
310 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/04(日) 21:43:47 ID:GmgU+Z2QO
>>308
曹操ってそんな評価されてんの?
311 ◆RQdk7scN8s sage 2007/03/04(日) 21:45:27 ID:qKnmk28C0
隋・唐
【確定組】
楊素、李世民、李靖 、李勣、裴行倹、郭子儀、李克用
この線でいくと、あと3人枠ありますね。
叛将・安録山を推しておきましょうか。
雜胡ですが、唐の将として北に鎮しましたから、中国武将でいいはずですよね。
唐の范陽節度使張守珪の将校となり武勲を重ね、范陽、平廬、河東の三節度使を兼務しやがて楊国忠討伐を大義名分として兵を挙げた。
安録山は契丹や奚ら遊牧騎馬民をよく統御し、河北の平原を疾駆したが、唐側の軍隊はそれに比べると醜態というしかなかった。
西域で武勲のある将、封常清や高仙之らが迎撃として出たが、名将の誉れ高い両者をしても、安録山の神速には対応できず、ついには潼関まで戦線を後退させてしまった。
潼関に安録山でも一目を置く歴戦の将、哥舒翰が出てくると、一時膠着はした。しかし安録山の挑発と楊国忠の催促で歩騎8万で出撃した哥舒翰が、大敗を喫することになり、これをもって唐と安録山のパワーバランスは大きく傾いた。
この時点で、河北の回復に走っていた郭子儀や李光弼らも、これといった戦果を得られぬまま軍を退かざるを得なかった。
安録山は彼の軍が長安を占拠した時点で、洛陽で息子に殺されるに至る。
この後安録山軍は安慶緒によって安陽で陣を立て直し、史思明の強襲によって郭子儀率いる20万の唐軍を撃滅した。
史思明の戦勝は、唐帝国から河朔の三鎮という独立国を現出させるに至る歴史的契機でもあった。
312 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/04(日) 23:23:32 ID:QnjamvcD0
安録山ではなく、安禄山な。
確定組の決定には賛成。
隋・唐は少し期間が長いので、次点を少し多めに出した方がいいと思うけど。
ただ、自分は安禄山は不適格だと思う。
理由は①契丹との戦いで確認できる限り、三度敗北している。
②唐軍との戦いで自分で指揮していない。また、戦略ミスも何度も犯している
要領の良さで出世した面が多く、名将とはいえないような。
それよりも、安禄山軍を実質的に指揮し、勝利を重ね、李光弼との敗北から立ち直り、
五万で、郭子儀率いる二十万(六十万とも)を安陽城北で破った史思明を推す。
その後も唐軍を何度も破り、洛陽をとり、李光弼らを破り、再び潼関に迫ったところで
息子に殺された。野戦においては当代最強だったと思う。
313 ◆RQdk7scN8s sage 2007/03/04(日) 23:50:00 ID:qKnmk28C0
ふむ。
完全に間違えて単語登録してましたorz
自分もしばしば他人の間違いを指摘しているのに、かっこの悪いことで。
訂正さんくす。
>>史思明を推す
それ。ただ、安禄山の武勲が先に光ったということで、そっちに重きを置いただけ。
>>311の文章は、安禄山を推すのか、史思明を推すのかわからん文章になってると自分でも思うところ。
314 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/05(月) 01:43:01 ID:C5+C6SWF0
前前スレが見られないから、確定組が確定されてる理由が分からんです
誰かdatうpしてくれるとありがたい
315 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/05(月) 04:54:40 ID:lMj5u9670
ttp://mimizun.com:81/log/2ch/chinahero/hobby8.2ch.net/chinahero/kako/1163/11634/1163478374.dat
これでよければ
630あたりから
316 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/05(月) 05:00:13 ID:lMj5u9670
↑うまく見れないときはブラウザにurlコピペしてみてくれ
317 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/05(月) 06:10:11 ID:Lc3zvo3uO
史思明を入れると、郭子儀じゃなくて李光弼じゃないか?って気もしてくる。
318 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/05(月) 21:39:48 ID:qEKiXqb70
>>307
南でも北でも勝った。というか、どこでも勝った
319 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/05(月) 21:52:56 ID:K1MTzoEcO
参考程度に歴史難民板より、中国人が考えたらしい中国の名将十傑
489:名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/05(月) 20:27:01 [sage] >>488
いくつかあるよ
いろんな人が考えてるみたいだし
孫武、呉起、白起、韓信、衛青、霍去病、曹操、李靖、岳飛、徐達とか
孫ピン、李牧、項羽、衛青、霍去病、班超、周瑜、韋叡、郭子儀、徐達とか
衛青や霍去病が入ってないのもある
田単、廉頗、韓信、李広、霍去病、李靖、郭子儀、狄青、岳飛、戚継光とか
孫武、項羽、曹操、陳慶之、李靖、岳飛、郭侃、鄭成功、劉永福、林彪とか
孫武、呉起、韓信、劉秀、曹操、陳慶之、李靖、李世民、柴栄、岳飛とか
まあ中国といっても選者によってまちまちだと言うことだな
320 ◆RQdk7scN8s sage 2007/03/05(月) 22:09:39 ID:8NrPkVKk0
>>319 う~ん、本場といってもウチらのとそう変わらんね。
もっと、「誰やねんそれ!?」みたいなのを期待したけど…
もしやこっちの電波が向こうに飛んだか…?
中国の英雄(名将じゃなく)で、よく李元覇と宇文成都が出てくるけど、これこそ誰それ?状態。
321 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/06(火) 00:05:22 ID:seVIsd5G0
>>319
下から2番めの後半はハァ?だけど、それ以外はまあ妥当かなぁ。
曹操って向こうでも結構評価高いんだな。
322 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/06(火) 00:47:29 ID:Dd/qPYlQ0
純漢民族しか居ないのな
323 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/06(火) 14:37:49 ID:BySVCrkn0
李世民は拓跋系じゃなかったっけ?
異民族が中原で活躍した五胡十六国~南北朝は、内政がドロドロなんで避けるのは分かるがね。
324 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/06(火) 17:31:42 ID:XbZvOGhd0
中国の人でも五胡十六国とかよく知らないんじゃないだろうか
325 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/06(火) 19:30:39 ID:i4hyI6LN0
しかしこの時代は名将が多いな。さすがは大唐帝国。
李密や劉黒闥、薛仁貴、蘇烈、高仙芝、黄巣すら落選の可能性が高いとは
次点を4~6人ほど選んだ方がいいと思う。たぶん、他の時代の十位や論争中の連中を
喰ってしまうだろうから
326 ◆RQdk7scN8s sage 2007/03/06(火) 20:03:25 ID:cveWfxUt0
>>325
でも、難民板の世界名将スレで、唐の建国期が評価低いのには驚いた。
西漢や東漢、北宋、明とかに比べると、恵まれた状況だった… をいをい。
隋末の煬帝によるポイ捨て政治のせいで、どれほどの群盗が世を覆ったかを知る必要があるでしょうにね。
記録的な賊集団が発生したわけで、いかに貴族筋の李家といえども恵まれたとは言えにくい。
まぁ、群盗の大半を張須陀が篩いにかけたのは、ラッキーだったかも知れん…(裏を返せば弱いのが淘汰されて強いのが残ったということだけど)
327 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/06(火) 20:04:31 ID:isX8FWzD0
候補に挙がってる武将達をみても。そうそうたるメンツが揃ってるね
この時代は10選に絞ろうとすると、荒れるだけになりそうだ
328 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/06(火) 20:18:00 ID:isX8FWzD0
>>326
唐が恵まれてると主張してる方は
宋が恵まれてるという主張に反発して、意固地になっただけかと
329 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/06(火) 20:24:37 ID:tbffO1UbO
李孝恭が確定ならずって、どんだけレベルが高いんだよ!?って話だよ。
本来なら確定で良いはずなのに、それだと10人じゃ収まらない。
330 ◆RQdk7scN8s sage 2007/03/06(火) 20:28:15 ID:cveWfxUt0
>>328 うん… それも読み取れたけど、趙匡胤はともかく「宋」は勢いに乗れたのは間違いないと思う。
趙匡胤自身は彼の個性で問題を解決したからすごいんだと思う。
恵まれているとすれば、実質的な建国者である弟・趙匡義の方だろうか…
って、今は唐の話をしないとね。
331 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/06(火) 20:56:32 ID:Dd/qPYlQ0
お前、アッチはアッチ、コッチはコッチだろ
332 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/06(火) 21:54:02 ID:hgMTZV850
>>325さんに同意
自分も劉黒闥、高仙芝、黄巣やあと賀若弼も落選のさせるには惜しいと思うし
次点を4~6人ほど選んだ方がいいと思いますが…
>>327さんや>>329さんの様な意見も出てるしダメなんですかねこの提案って?
つーか李靖 、李勣、李克用が何げに凄すぎ…
333 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/06(火) 21:58:52 ID:omxTkcs30
隋だとやっぱり楊素の次は賀若弼になるのかね
隋初四大名将は楊素>賀若弼≧韓擒虎>史万歳って感じなのかな
334 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/06(火) 22:12:36 ID:Dd/qPYlQ0
アレも入れたいコレも入れたいは別に隋唐に限った事じゃないから
大人しく10人選んだ方がいいと思うけどね
この時代が人気あるのは判るけど
335 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/06(火) 22:12:50 ID:RDq2SjdX0
次点を出すのは別にいいけれど。それを他の時代で枠があいたからその分をここ
から補充しよう、なんて言いださなければ。
つか、「外すには惜しい名将」はこれまでにもいたのだがそれはどうするんだ?
戻って次点のメンバー選出からやり直すのか?どうしてこの時代だけそう特別
扱いにするんだ?(時期が他と比べて長いというのはたしかにあるが)
336 ◆RQdk7scN8s sage 2007/03/06(火) 22:38:01 ID:cveWfxUt0
>>どうしてこの時代だけそう特別 扱いにするんだ?
南北朝期に比べて、まだ拠り所とできる日本語の資料が多いからでしょ。
だからこそ、辛い選考でいく必要があるのだろうが…
今、候補というのが次点のような役割しているようだし、今までどおり10人あるいは一枠空けで選出するほうが公平だわな。
確定以外の将を語るのも別に構わんし、候補内での格付けをやっても面白いだろうなぁ。
337 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/06(火) 22:47:06 ID:2nAue8SaO
>>326
前王朝の暴政と群盗大量発生なんて
大抵の王朝建設期のデフォルトで唐を特別扱いする理由にはならんだろう
同じように李孝存や黄巣みたいな建国の功臣や賊ってのは
他の時代にも居て、彼らも十選に当確したり漏れたりしてる
何をもって唐だけ特別扱いするのだろうか?
日本語資料の多さと世界帝国っていう看板かしらねぇ
338 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/06(火) 22:59:21 ID:hgMTZV850
>>336
さすがは隋唐の重鎮◆RQdk7scN8sさんの意見は説得力あるなぁ~
(ほかの諸兄が説得力無いという意味ではないですよ念のため)
>>332で述べた意見は戯言だと聞き流してくれればいいです…
339 ◆RQdk7scN8s sage 2007/03/06(火) 23:24:58 ID:cveWfxUt0
>>337 記録的に200の群盗というのは尋常ではないのだが…
言いたいのは、太原李氏が劉邦や劉秀、趙匡胤、朱元璋などより楽をしたなどとは思えない、ということ。
別に特別扱いする気はない、他の人も含めて理解度が深いだけだろうと思うが。
340 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/06(火) 23:33:51 ID:2nAue8SaO
趙匡胤は勢いに乗った
って言ったくせに矛盾してない?
341 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/06(火) 23:36:11 ID:tbffO1UbO
劉黒闥は外しても良いかなと思う。
智と勇では勇に傾き、知勇兼備の名将足り得ず――と思うんだが。
李世民に敗れており、可能性があるだけとはいえ、
確定組と等しく比べるのはおこがましいと思う。
史臣曰く
(劉)黒闥は勇猛なれど知謀に欠け、その作戦のあとを見ると、ただの凶賊にすぎない。
言いえて妙だと思うんだが。
劉黒闥より李孝恭じゃない?
この時代を隋末唐初、安史の乱、黄巣の乱に分けるのなら、
隋末唐初の群雄を代表して、劉黒闥を入れるのはやぶさかではないが。
342 ◆RQdk7scN8s sage 2007/03/07(水) 00:02:14 ID:e3GpkCVY0
>>340 趙匡胤個人でなく、宋という国、民衆、世論といったものが、柴栄の作り出した流れに乗っているといったのだけど。
矛盾とは、何を指してかな? ちょっと自分で気づいていないかもしれん…
>>341 ツガンですか。司馬さんは辛口ですねw
後漢のときと一緒で、唐建国期には名将が多かった。それは下手をすると光武二十八将より質がいいかもしれないくらい。
李世民自身も光武帝のことは意識しているし。
選定が唐建国功臣よりになるのも仕方ない部分もあったりして。
343 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/07(水) 00:06:52 ID:7F5gjT7c0
つーか唐宋の比較論はスレ違いだからいいって
よそはよそ、うちはうちってさっきから言ってるだろうが
344 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/07(水) 00:12:45 ID:1v8394Wz0
>>どうしてこの時代だけそう特別 扱いにするんだ?
そうは言うけどね。
春秋戦国の候補 士会、魏無忌(信陵君)、趙の武霊王
統一秦~前漢の候補 章邯(確定・実質九位)、劉邦、曹参、彭越、鄭吉
新・後漢の候補 岑彭、周瑜
時代が違うとはいえ、 李密、薛仁貴、蘇烈、高仙芝、黄巣を比較したら、後者の方に
入れる人は多くと思う。上記で比較的評価の高い岑彭、周瑜ですら、高仙芝と比較した
らかなり迷う。章邯となら、高仙芝を間違いなく推す。
その高仙芝はこの時代では十五位すら怪しいのにこれでは不公平と感じる。
年数も長いこの時代。戦争ばかりしていた三国・両晋や南北朝はともかく、
最後に百人に絞る際に落ちるであろう決定打に欠ける上記の時代の人物よりも
この時代からその枠をもらった方がよいのではという提案。
日本語資料も多いのに、長い論争で決着できなかった上記の人物たち。
その真の理由は彼らが真の『名将』かという疑問だろう。
これからの時代は名将は絞られる作業になると思われる。さすがに枠はもらえないだろう
どんぐりの背比べで論争するよりも、一層、全員を外し、この時代から選んだ方が
かえって公平な気がするのだが。
345 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/07(水) 00:17:20 ID:7F5gjT7c0
高仙芝、二回も負けてるし、パミール越えは凄いけどそこまで強く推すのは贔屓が過ぎると思うが
346 ◆RQdk7scN8s sage 2007/03/07(水) 00:45:55 ID:e3GpkCVY0
高仙之って、どっちかって言うと「歴史的敗北」で有名だから、そもそも慮外だった。
統率力もあり、唐朝廷が頼りにもしたけど、郭子儀や李光弼らに比べると落ちる。
周瑜との比較で迷う点と、章邯なら上を行くというあたりが、どうしてそう思うのかそこをちょいと説明くれるとありがたいのだけど。
347 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/07(水) 06:57:00 ID:PND51no80
>>346 同意
>周瑜との比較で迷う点と、章邯なら上を行くというあたりが、
どうしてそう思うのかそこをちょいと説明くれるとありがたいのだけど。
自分もその根拠はぜひ伺いたい
>高仙芝はこの時代では十五位すら怪しい、>章邯(確定・実質九位)
序列なんてあったの?知らんかった…
348 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/07(水) 06:58:06 ID:pYcAyDbx0
元から時代の枠ごとに10人と決めてるのだから、今更変更もできないでしょ。
統一秦~前漢や新・後漢なんかは、枠の人数を減らしても良いかと思って
いたけど、そういう前提で選定したわけでもない。
349 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/07(水) 07:05:11 ID:Lrq96hFX0
>>344
時代が違いすぎると比較は難しい。何を持って上下を決めるかといえば、それはもう
選者の印象でしかなくなるだろう。そして印象を左右するのは史料の質量による。
逆にいえば、単に唐以降は史料が多いから古代よりも強い印象が残っているという
だけかもしれない。
仮に枠がいくつか空いたとして、どうして他の宋や明や清の時代で惜しくも外れた
名将を持ってこずに、この時代からもってくるべきだと主張するんだ?それがもう
すでにひいきというか特別扱いになっていることを自覚して欲しい。
その意味で
>どんぐりの背比べで論争するよりも、一層、全員を外し、この時代から選んだ方がかえって公平な気がするのだが。
むしろこの方が不公平だよ。
350 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/08(木) 01:10:52 ID:5geVca4R0
とりあえず話進めようぜ
351 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/08(木) 10:41:50 ID:olYGJQXK0
そうですね「この時代で10人」ということで。
納得いかない人は「隋唐の名将を語るスレ」とか新しくたててそちらでどうぞ。
隋からはやはり楊素。もうひとり入れるなら功績で賀若弼、戦術能力で張須陀。
唐建国期は李世民、李靖、李勣でほぼ確定。もう一人入れるならいっそ李建成。
対異民族戦では裴行倹と蘇定方。安史の乱では乱側で史思明、朝廷側で郭子儀。
末期は李克用。黄巣はかなり負けが多くて戦術能力は疑問。
自分の推薦する十選はこんな感じですね。
352 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/08(木) 11:08:42 ID:v59T0RMR0
支那は総人口数千万規模の文明圏。
で兵役人口の寄生割合は1~3%(アジアでは3%が最大らしい)で、
支那の場合は十万~百万の間で変動することになる。
士官、下士官、兵隊の割合を1:100:400とすると、
十万規模の軍隊では士官200、下士官2万、兵隊8万となる。
マトモに考えると、士官のほぼ全てが士大夫のみで構成されるだろう。
戦功だけで下士官から士官に叩き上げされるには余程の猛者でないと有り得ない。
そのうち、士官200が司令官候補な訳であるが、
登用には派閥の論理が絡むので、士大夫出身の士官でもなるだけで大変だと言える。
そこから奇功を建てて青史に名を残すなどちょっとした奇跡ではなかろうか?
353 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/08(木) 11:46:30 ID:UkrcJ53E0
>>352
それは平時のことであって、
このすれで多く語られる戦乱期では
下克上とか身分を越えた出世とか結構出てくるもんじゃないか?
劉邦や朱元璋なんてその典型だろ。
354 ◆RQdk7scN8s sage 2007/03/08(木) 11:55:59 ID:IrKClpye0
>>351
「隋唐の名将を語るスレ」
いいなぁ、ソレ。需要があるかどうかは微妙だが。
李建成はもちろん悪いわけはないんだが、記録が抹消(w)されている上に、どちらかというと(皇太子ということで)重鎮的な立場がより強いと考えますよ。
それはこのスレ的には選定基準外になるわけで。
あと分裂したとは言え、李世民(遠征軍指揮官は李靖)が突厥を滅ぼしちゃったもんだから、相対的に見るとね。
政治的手腕、統治能力、はそれぞれ高いだろうとは思うが…
>>352 府兵制で得た最大兵数は全国で60万とか。
士大夫、というか貴族、官僚の子弟であり、恩蔭での抜擢を除く科挙生らはあまり要職にはつけなかった。
ただし、下級士官クラスなら府兵制による徴兵で兵士となった良民でも、手柄を挙げれば昇進できる可能性はあったのじゃないかと言われている。
>>奇功を建てて青史に名を残すなどちょっとした奇跡
唐人でそういうのは少なかろう(すぐに確認できないけど、いたら教えてください)。
しかし、中唐から末にかけて、やたら元外国籍の人らが活躍する。
それは、一面において彼らの勇猛さが桁違いだったからということなのだろう。
そこいくと、史思明は確定入りとしようか。
自分では安禄山と史思明はセット的な見方だったが。
355 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/08(木) 14:18:46 ID:ULab5LN50
◆RQdk7scN8sさん「隋唐の名将を語るスレ」ですが
需要があるかどうかは微妙でも思い切って立ててみたら?
あとは自分でてこ入れすれば人気ある時代だし盛り上ると思いますけどね
356 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/08(木) 15:16:27 ID:cpCNYKEi0
□ □大唐英雄列伝□ □
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161817972/l50
隋唐時代を深く掘り下げて語りたい人は上記のスレをどうぞ。
357 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/08(木) 18:39:16 ID:+IEhbuKi0
344だが。
自分の意見は多くの賛同を得られなかったみたいだね。327,329、332
など声は小さいけれど、同意見の人もいたので主張してみたのだが。
これ以上言うと荒らしになるのでもう論議は不要だけども
自分が主張した根拠は
1 隋唐は世界帝国なので戦線が広く、異民族との戦いが多い。平時でも戦争が多く、
名将が生まれやすい。中華文明が狭かった春秋戦国、北方以外は比較的平和が
続いた前漢・後漢、比較的戦線が狭い宋よりも名将が多くなると解釈
2 よく言われるがこの時代がとりわけ年数が多い。1もあいまって目立つ。
贔屓はあるかも知れないが、けっして日本語資料が多いからだけではない。
358 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/08(木) 18:40:55 ID:QbrBLsBo0
春秋戦国時代の候補に孫武が入ってるのは何故?
具体的にどのような活躍をしたのかって記録が他の候補並に残ってた?
「孫子」が有名だけど将軍としての具体的な実績は不詳、だと思ってたんだけど。
同時代、あるいは戦国時代の人々に名将扱いされているから、ということでもないだろうし。
候補入りの理由が「孫子」の作者だから、というのもおかしいし。
優れた理論家=優れた将軍では無いだろうから。
359 357 sage 2007/03/08(木) 18:45:24 ID:+IEhbuKi0
高仙芝の件は確かに比較は困難なのだが、パミール越えはある意味、岑彭のエピソード
に似ていると思った。前者は電撃作戦で戦わずして勝ち、後者は勝利をあげ続けた。
高仙芝は確かにタラス川に負けたが、功を全てに失ったわけではない。タラスまで
唐の支配地域を伸ばしただけでもすごいと思う。岑彭も暗殺されたが功を失ったわけでは
ない。だから、似ていると思ったし、『迷う』と言った。
章邯に勝ると見たのは章邯は項羽に破れた後、色々あったがあっさり降伏している。
高仙芝は安禄山軍手強しとみて戦略的撤退を行っている。その後、処刑されたが
潼関を安禄山軍に明け渡していない。目的達成能力では高仙芝が上と見た。
あくまで唐の将として最善を尽くした。章邯はそうではない。
ただ、自分は高仙芝をそこまで買ってはいない。タラス川はやはり痛い。
この時代確定の7人はもちろん、賀若弼、李密、劉黒闥、薛仁貴、黄巣、
蘇烈、李光弼、史思明とあがっていないが王忠嗣、李晟、王世充を
高仙芝より先にあげる。
(十五位というのはそういう意味、あくまで優先順位)
これはあまりにあまりと思ったから提案してみた。だめなら仕方ない。
360 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/08(木) 19:58:28 ID:ULab5LN50
>>359
高仙芝と岑彭は似ていても立ち置かれた状況とかが違うんだし
どっちが勝りどっちが劣るって決めることなど不可能に近いと思うが…
(これはあくまで俺の持論なのだが)
>章邯に勝ると見たのは章邯は項羽に破れた後、色々あったがあっさり降伏している。
章邯は正規の兵も与えられず、自力で軍を素人から育て上げ
項羽たちと渡り合ったんだし、要請したにも関わらず援軍を送って貰えなかったから
部下の命を救う為に止むなく降ったのは同じ負けでも評価に値する行動だと思うけど
君は高仙芝はあくまで唐の将として最善を尽くした。章邯はそうではない。
と言ってるが君は章邯のことをちゃんと知っているのか?
失礼だがとてもそうは見えないけど…
>>356
ありゃー既に適切なスレ立っていたのか・・・orz
361 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/08(木) 20:25:49 ID:olYGJQXK0
>>357
期間はともかく、領域でいったら清を超える王朝はない。国内が平和でも戦線では
戦いは続いていたのだからそれだけ名将もたくさんいる。
というわけで、清の時代で次点を4~6人だして、他の時代で余り枠がでたらここ
から補充しましょう。
―こう主張したら、あなた納得して受け入れますか?同じように候補者も多くでる
ことが予想できるので外れる将もまた多くでてくるであろう、宋や元や明の時代の
ファンの人たちも納得しますかね?
362 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/08(木) 20:46:42 ID:jWrkowGM0
まぁ今のままだと南北朝が極端に優遇されてるなw
363 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/08(木) 21:38:36 ID:+IEhbuKi0
このまま大人しく引き下がろうと思ったが。
360と361の言い方、なんか腹立つな。
その件はいいって言っているのに。
大体、結論からやりこめようとしているだろ?
361だが、自分がいいたいのは根本は期間の差だ。自分以外にも期間に不満を持つもの
がいたろ?
また、もし、そういう意見をいうものがいたら、少なくとも耳を傾ける価値はある。
余り枠は決定打のない武将になりがちだと自分は思ったから言っただけだ。
360だが、君こそ章邯のことを知っているのか? その兵士を項羽に殺されても
のうのうとその部下に収まり、項羽の先駆となった。
元は秦の将でありながら、項羽の略奪を止められず、秦人を守れなかった。
援軍を要請したとあるが、その秦は劉邦に本拠地をとられるほど弱っていたのだ。
様々な要因があるとはいえ、その秦が援軍など送れるはずもない。
それに武門・王離配下は秦直属部隊であったのではないか。(王離は趙に派遣されたとある)
国運を託され、破れ、秦をつけねらう敵に自らの兵力を提供する。
そしてその兵を守れず、民も守れず、項羽の犬となり、秦に比較的善政をひいた
劉邦に命をかけて敵対する。なにが兵のためだ。この時の兵こそ犬死ではないか
別に章邯の人格をどうこういう気はない。歴史書にない事情もあるだろう。
だが、章邯が受けた命令はなんだ? 「秦を守れ」だろ? 国も兵も民も秦だ。
この実行に全力を尽くさず、何が名将か。
対して高仙芝はどうだ。別に高句麗人である彼はそこまで唐に義理はなかったはずだ。
安禄山軍に降伏する選択肢もあったはず。
彼の率いた兵はあのときは訓練をされていなかった兵だ。章邯とそう変わらない。
撤退すれば敗北ととられる可能性も知らなかったはずはない。
だが、いたずらに戦わず兵を無駄死にさせず、処刑が決まった時でも使者を
切り安禄山軍に降伏しなかった。
これも様々な要因があるだろう。自分もただ誉めることはしない。
だが、彼は「唐を守った」。兵も殺していない、潼関を守れば長安を危険に
さらすことはない。民と国を守った。
この考えのどこが愚かだ。360。簡単に人を無知と決めつけるな。自分より愚かと
思い、侮辱するな。これ以上はこの話はしない。
高仙芝と岑彭は上下をつけようがあるまい。当たり前だ。だが、それならこの企画は
成り立たないだろう。勝手に我々が決めているだけだ。
ただ、 高仙芝と岑彭の最期に歴史書は悲嘆し、章邯の最期には字数を割かない。それだけだ。
364 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/08(木) 21:51:00 ID:ULab5LN50
なんだよせっかく>>351が流れを元に戻してくれて論議再開してたのに
>>357が話を蒸し返す様なことするからまたおかしな流れになってるじゃないか!!!
いい加減空気嫁!!!
その上>>358みたいなトンチンカンな奴まで現われて来たじゃないかよ
>>358は前スレをちゃんと確認しろ推薦文も挙がってるし確定の経緯も分かるはず
孫武は呉の兵法指南役兼呉の将軍だ
理論家としての顔はあくまで孫武の一面に過ぎない、
優れた将軍としてもしっかりと功績を残している。
優れた理論家=優れた将軍だとは君以外に誰も思ってなどいないはず
章邯や孫武のこと詳しく知りもしないのに知ったか振りしないでほしい…
365 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/08(木) 22:27:13 ID:FEueH56+0
どこ縦読み?
366 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/08(木) 22:51:06 ID:QbrBLsBo0
>>364
前スレのログが見れないから聞いたんだよ。
具体的なレス部分をコピペしてくれると嬉しい。
367 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/08(木) 23:42:28 ID:+IEhbuKi0
>>366
ほれよ。2スレ目からだぞ
547 : ◆oOLAqFKRB. :2007/01/21(日) 06:45:58 ID:OFEn38vU0
これまで伍子胥を推してたわけだが、
孫武と伍子胥はどっちかに一本化したほうが有利かも分からんね。
俺はエピソード的に伍子胥の肩持ちなんだけど、総じてみると自ら軍事理論を構築し、
実戦でそれを証明して見せた孫武に託したほうがいい気がしてきた。
伍子胥は夫差を諌めすぎて自刎させられてるし、孫武はその辺どうなんやろ? 身を全うしたのかな?
549 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 09:46:12 ID:QYD6D4jYO
>>547
>孫武は~身を全うしたのかな?
孫武は空気を読み、平和的に隠遁し、太湖のほとりあたりで静かな余生を送り、
兵法書を纏め上げたのだろうと推測してる専門家もいるけどね!!
俺もそうじゃないかなと思うな。
史記には「呉が、西方の雄、楚を破り、北は斉や晋を脅かし、
天下に名をとどろかせたのは、孫武の働きによるところが大きい」と記されてるし、
事実、江陵にあった楚の都を陥落させてる。
それを考慮して俺も伍子胥より孫武を推すよ。
あの情勢を読む鋭さ、優れた統率力と戦略戦術は侮れないものがあるし。
550 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 10:25:32 ID:xxt+W++A0
孫武と伍子胥について補足
楚の荘王が、近隣の小勢力を吸収して確立した
版図を(その勢力から云っても凄い功績ではある)
それまで歴史上で名前すら出てこなかった小国が
滅亡寸前まで追い込んだわけで、楚の荘王より
功績で上回ると思う。
553 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 12:53:07 ID:HsOq6oJZ0
孫武は確定でいいんじゃない?
あとは楚の荘王(熊侶)樗里疾、武霊王、王賁、蒙武、
李信、魏ゼン、秦の繆公、士会を推す人がいるし、審議中という感じか?
魏無忌(信陵君)、趙奢は一発屋だという意見も出てる。
俺も魏無忌(信陵君)が名将?と前スレから思ってた、任侠を貫いた人物としては高く評価するが・・・
555 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 14:13:18 ID:xxt+W++A0
墨子は、個人的には軍を率いた将っていう気がしないなあ。
孫武が確定で、残り3名だとして、中では、楚の荘王が一番、有力
だと思う。
それと秦将を推薦してる人は、候補に挙がってる秦将の功績を
格付け(というか順位づけ)してくれないだろうか。
368 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/09(金) 00:08:48 ID:inH4ZC020
で、流れを変えた戦犯にはされたくないので、残り三人をあげる。
(とりあえずこの時代10名選出には納得した。侮辱に我慢ならないだけだ
章邯のことを話したいならそちらこそ他スレにしてくれ)
自分は群雄代表で李密。(王世充は与えられた兵力が大きい。劉黒闥は戦略性で疑問)
安史の乱で史思明(局地戦は李光弼の勝ちだが、最終的に河北を平定。
圧倒的大軍の郭子儀に勝利して、洛陽攻略。その後、李光弼と僕固懐恩も破っている。
総合的に李光弼より上と判断)
後は、時代ごとのバランスで玄宗期の王忠嗣、もしくは中唐の人物をあげたい。
まあこんなところか。
369 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/09(金) 00:17:57 ID:Qh73rxWv0
368さんは2ちゃんには向かない気がする・・・
自分で別スレ立てるか、ブログでも立ち上げるかして
思想の近い人とだけ会話してる方がいいんじゃないかね
370 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/09(金) 00:38:13 ID:CBALEPjR0
前スレでも似たような流れになったよな
やっぱ世界史板から流れてきた人も多いから2ch耐性弱い人も
中英板には多いんだろうか
371 ◆RQdk7scN8s sage 2007/03/09(金) 00:39:49 ID:M0sjbDro0
>>360 提案、感謝ですが、その「大唐」スレにも出入中でして…
「五代」スレもあるし。 どっちも閑散としてますので、これ以上似たスレ立てるのはマズイでしょうねぇ。
ええと、高仙芝のことで紛糾したみたいですが、その人物比較は自由討論ということで、見守るとして。
時代区分にしても、異論はあれど今はこれがより公平であろうと考えますので、以下続行で。
>>368 もう納得済みということだけど、言いたいことはよくわかる。期間が長い方が将の密度が多いということなのではないでしょうか?
李密は前スレでもいろいろあったけど、結局確定は見送りになったはずです(自分は好きなんですがねぇ。ログ持ってる人に任せます)。
中唐では李愬でしょうね。いちいち数え上げるのがめんどくさくなる討伐に奔走して過労死状態ではありますが、中興の勲臣でしょう。
372 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/09(金) 00:47:17 ID:SWHjEcoY0
期間の話は、これ以上いじらないと前提で、前スレから各時代の名将を
選定してるわけだから、全時代で一区切り付くまで、その話は凍結してお
いた方がよかろう。
大体において春秋戦国時代は期間が長いぞ。
まあ、それはさておいて随唐時代の選定作業ドゾー
373 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/09(金) 01:53:49 ID:MUFo0Lw40
>>360が自分で侮辱するような言葉吐いて>>357を挑発しておきながら
>>364の発言
すげえなw
374 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/09(金) 09:29:55 ID:kkBurQQ90
ID:inH4ZC020氏の選定における信念は>>363の解説で理解できた。
その主張も妥当なものだと思われる。
しかし、それほど見識の深いお方が、
このような場末のスレの小僧に少々煽られただけで、憤色を露わにするのは如何なものかと思う。
世間の隅々までを良識で満たすことは出来ないのだ。
375 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/09(金) 11:29:03 ID:CJCKqNxR0
>>367
thx
個人的にはそのレスだけだとやっぱり当確までには至らないんだけどな。
>「呉が、西方の雄、楚を破り、北は斉や晋を脅かし、
>天下に名をとどろかせたのは、孫武の働きによるところが大きい」
少なくともこの一文だけでは判断し難い。具体的にどれくらいのことをやったわけ?と。
あやふやだけど凄そうって人物よりは、それよりちょっと小粒だけど確定してる人物を優先したい、と考える。
>あの情勢を読む鋭さ、優れた統率力と戦略戦術は侮れないものがあるし。
ここがいま一つ分からない。そんなに具体的に能力が推し量れるエピソードが有ったっけ?
とはいえ、このレスがされた当時強い反発も無く
スムーズに当確扱いされたんだったら今更ケチをつけてもしょうがないんだけどもね。
あとなんで章邯の話が出てるのかは分からない。
376 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/09(金) 18:48:36 ID:yOqJb11G0
>>374
場末ってw
一応、中英板では一番需要のあるスレですよw
最近はちょい過疎気味で、スレが荒れてはいるが。
嗚呼、春秋戦国を語っていたころの勢いが今は懐かしい・・・
377 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/09(金) 19:34:36 ID:iML0zlPXO
>>376
>最近はちょい過疎気味で、スレが荒れてはいるが。
>嗚呼、春秋戦国を語っていたころの勢いが今は懐かしい・・・
わかりますよその気持ち・・・
でも隋唐のみなさんは熱く語っているようにと思います
あと◆oOLAqFKRB氏がいないと盛り上がりに欠けると思うのは俺だけか?
378 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/09(金) 20:29:08 ID:Ltm5+/9aO
過疎ってるとは思えんが……
379 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/09(金) 20:38:24 ID:CBALEPjR0
対立候補でそれぞれ推し合う展開になれば勢いが出るけど
それは同一人物が沢山レスしてるからで
人口自体は変わってないだろう
380 ◆RQdk7scN8s sage 2007/03/09(金) 21:39:25 ID:M0sjbDro0
ええと…
岩城氏にはご出陣願いたいものです。忙しいのだろうか?
隋・唐
【確定組】
楊素、李世民、李靖 、李勣、裴行倹、郭子儀、李克用
で行くとして、史思明、および李愬あたりを確定に入れようと思うんだが。
李愬は父・李晟が北衙禁軍の将としての功臣ということもあり、名門および武門の子として、中唐以降反乱の激しかった節度使討伐の大将となった。
蔡州が乱を起こし、朝廷の派遣した討伐軍が敗れたので、李愬が起用され、蔡州討伐にのりだした。
負け続きだった兵士たちはすっかり士気を落としていたが、李愬は兵を大事にすることでその士気を鼓舞した。
蔡州討伐に向かい、敵の部将を投降させ内情を探った上で、豪雪のなかを強行軍して陥落させた。
功績により鳳翔節度使を任されるが、青州平廬軍の反乱に際し、その討伐軍の大将となることを上奏し徐州に移鎮した。
徐州から討伐軍を出動させ、青州に至るまで、反乱軍と11戦しことごとく勝利、50の将帥を擒え、青州を平定した。
のち、魏博の田氏が移鎮を命じられると、李愬が魏博を任されることとなった。
しかし李愬は、これから河朔三鎮の仕置きに向かうというところで病没してしまう。
ちなみに…
蔡州淮西節度使と青州平廬軍節度使は、安史の乱よりの独立国であり、唐の徳宗のおり朱泚の乱などで朝廷が揺らいだとき、反唐を表明していた。
李愬は唐憲宗の中興時代に、この河南にあって指折りの問題児たる両藩鎮を討伐し
それによって汴州の帰順の契機ともなったので、ほぼ順地化させることに成功している。
春秋時代でいうところの、蔡国と斉国を平定したに近い(←オーバーか)。
381 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/09(金) 21:52:28 ID:aQdV8vtb0
曹操は?
382 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/09(金) 22:12:56 ID:SWHjEcoY0
誰か張須陀の史実上の功績を教えてくれないだろうか。
確定に入れたいわけじゃないけど、演義ベースで個人的に
好きだからという理由なんだけれどもね。
383 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/09(金) 23:30:05 ID:S1GLs9BS0
横槍で申し訳ないが>>375への回答
孫武は兵法の手腕を発揮して3万の軍を率いて20万の楚軍を破り、
ついに楚の首都郢を陥落させた。(柏挙の戦)
闔閭に請われ自ら軍を率いて出陣し楚軍を六回撃破している
水上戦でも自ら指揮し兵法の手腕を発揮している
また孫武は北方で斉や晋を脅かした。
たしか呉越春秋などより抜粋されたこの様な推薦文が挙げられて
孫武は確定入りとなったんだよ
(俺の記憶なので多少のちがいはあるかもしれない。あと一部補足))
章邯については>>344辺りから読んで貰えば何故そう言う話になったかわかるかと・・・
>>380
>岩城氏にはご出陣願いたいものです。
同感です。五代までROMってるつもりなのかな?
384 ◆oOLAqFKRB. 2007/03/10(土) 06:16:43 ID:8n30PRYX0
ちょいと久しぶりに覗いてみたらまさか俺を呼ぶ声があるとは。
得意の南宋まで雌伏しとくつもりやったんやが、そんじゃ復帰します。
つーても最近ちょっと多忙で南北朝あたりまでみたいにバンバンは書き込めんのやが。
とりあえず復帰一発目。李孝恭を外すなら蘇定方、劉仁軌をおさえてこの人を推す。
薛仁貴
遼東遠征に応募して士卒となる。その勇戦ぶりは『賊皆懾伏』。精強で鳴る遼東の兵が彼一人を恐れ投降し、
これによって薛仁貴の威名は軍中に轟いた。更に進軍して高麗の高延寿らが二十五万の大軍を率いて唐軍を迎
え撃ったときには白衣を身にまとって敵中に身を躍らせ、向かうところ敵なし。自軍の陣に戻るときには白衣
が真紅に染まっていたという。
顕慶二年、程名振の副将として遼東経略に参加、貴端城の大戦で大勝利を博し、首級三千を挙げる。翌年遼
東の梁建方、高麗の大将・温沙門の同盟軍と横山で戦い、弓の名手某を擒えた。まもなく契丹王・阿朴固の軍
と戦い阿朴固を擒える。
ついで九姓突厥の軍と天山で交戦、突厥は十万余の大軍を擁したが薛仁貴は三箭を放ち、一度に三人を射殺
して敵軍の気を奪い、後禍を恐れて俘虜十万を生き埋めにして殺した。(←結構残酷)
乾封初年、高麗の大将・泉男生が唐に降った。高麗は将軍・龐同善らを遣わしてこれを撃たしめ、泉男生も
弟らを率いてこれに応戦した。薛仁貴は勅命により泉男生の救援に向かい、龐同善らが新城に夜襲をかけると
精鋭を選抜して現地に急行、敵兵数百の首級を挙げる。龐同善らが金山の戦いで泉男生を破ると、勝ちに乗じ
て進軍する高麗軍の腹背から突撃、五万以上の首級を挙げ、ついでに南蘇、木底、蒼巌の三城を抜く。今度は
薛仁貴が逆撃し、殺したもの、俘虜合わせて一万余を獲、扶餘城を抜いた。ついでに扶餘川沿いの四十余城を
ことごとく降す。李勣の下に入って平壌を降し、高麗を降伏させ、劉仁軌とともに平壌の留守を守った。
功績により右威衛大将軍。新城に遷って孤児や老人を賑恤し、才幹のあるものを抜擢し忠孝節義を顕彰したので、
高麗人でありながら彼の下に帰順するものが頗る多かった。
咸享元年、吐蕃軍の侵攻に対して阿史那道真、郭待封らを率いて迎撃するも、郭待封の命令違反により大敗、
吐蕃の大将・論欽陵を通じて講和に持ち込むも、責任を負って官籍を剥奪、庶民に落とされた。のち大赦により
復官、雲州に侵攻する突厥元珍らの軍を大いに破り、斬首一万以上、俘虜二万以上を獲る。この時期になると
唐軍の指揮官が薛仁貴だと知るだけで、異民族は恐れて唐軍を避けたという。七十歳で病死、左驍衛将軍を追贈された。
武勲は申し分ないと思うんやが、知略はどーやろ? って気がする。突厥の捕虜十万人を生き埋めとかしとるしこれは
賢明なのかただの蛮行なのか分からん。蘇定方と比べるとギリギリで上を行くかなと思うけど、理由はともあれ吐蕃に
大敗しとるし。西域で勝ち続けた裴行倹には負けるかなーとも思う。
ちなみに俺的十選は
楊素(平陳戦最大功労者。韓擒虎、賀若弼の戦功も込みで)
張須陀(斜陽の隋帝国の象徴みたいな人やから)
李世民(一族、部下に錚々たる面子が揃っているとはいえやっぱ凄い)
李靖(この人と韓信は100選から10人に絞っても入るやろ。あと個人的に南宋の孟珙も入って欲しいところ)
李勣(李靖には及ばんながら高句麗平定戦を成功させた功績は大きい。太宗死後の身の処し方も見事)
薛仁貴(裴行倹といい勝負ができると思うが、どうか)
史思明(息子に殺されんかったら文句なしに名将なんやけど。人身掌握が下手やったのが難)
李光弼(郭子儀を入れるべき枠やろーが、野戦の戦術手腕に限ればこっちが上かと。実は唐朝に叛心があったってのもアクが強くていい感じ)
李晟(息子より親父のほうが苦労しとるんやないかと。史思明の真逆で部下に慕われた名将)
李克用(五代十国への魁。しかも本人はあくまで唐の臣としてのスタンスを貫いた忠臣)
とこんな感じ。あんまし面白みがあるラインナップやないね。
385 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/10(土) 08:01:52 ID:9gFGMNZA0
最近、色々言われているものだが、ちょっと苦言を呈していいか。
373氏や374氏のように自分を味方してくれるものもいたが、
>>357
>>359の自分の文は
>>346
>>347への回答だからおかしくないはず
なのに、373氏の指摘どおり
>>364のようなレスに対して苦言を誰もいわず、
>>369
>>370のようにこっちの方にばかり矛先を向けるのはどうしてか?
また、
>>360にある
>部下の命を救う為に止むなく降ったのは
とあるが、史記を読み返したら、そんなことは全く記述されていない。
司馬欣や陳余から『どうせ勝っても負けても処刑だから降伏した方がいい』
と言われ、降伏しただけだ。また、兵士からは
『章将軍は我々をだまして降伏した』と言われている。
どうしてそういう解釈になるのだ。基本的に史記の記述に従うべきで360の言っている
ことはでたらめと言っていい。そのくせ
>君は章邯のことをちゃんと知っているのか?
とまで言っている。
ここにいる諸氏ならばこの間違いは即座に指摘できるはずだ。なぜしなかった?
それは人数の議論で自分が孤立しているのは明白だったから、スレの空気を維持するために
あえてスルーしたのではないか。
いつからこのスレはなれ合いになった? 匿名掲示板の意味合いを忘れているのはどっちだ?
これでは小学生のいじめと変わらないぞ。諸氏の意識の変化を促したい。
386 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/10(土) 08:07:53 ID:9gFGMNZA0
まあ、今日はそんなことを言いにきたのではない。
推薦文を書いてきたのだ。王忠嗣。まさに名将。武人のかがみといえる男だ。
王忠嗣
唐・玄宗期の武将。父が吐蕃との戦いで戦死したため、宮中で育てられる。
若くして武勇と勇敢さで知られ、吐蕃の大軍を前に、先陣として数百人を殺し、
唐軍を勝利に導いたこともあった。
功を重ね、朔方節度使となり、突厥に反間をしかけ、
ウイグルらを離反させ、突厥を滅亡寸前に追い込み、降伏させる。
北方はこれにて戦が止み、功で河東節度使を兼ねる。
この時期に、北方民族との互市の際、馬を高額で買い、北方民族を弱め、唐軍を強くする。
結果、唐の支配地域を数千里にわたって増やす。
節度使になってから、常に『太平の将はただ兵士をなだめ、訓練するだけが使命である。
国家を疲れさせてまで、功名を求めてはいけない』と言い、積極的に出撃することはなかったという。
若い頃は武勇をたのんでいたが、百五十斤ある弓を常に袋にいれ、使わないことを示した。
諜報を使い、敵の隙を伺い、勝機を見いだした後、軍を起こしたので戦いに全勝した。
その後、河西隴右節度使に就任。攻めてきた吐蕃の大軍を度々破る。
騎兵を使ったこの時の戦いの見事さは『百戦奇略』の戦事例にあげられている。
さらに、吐谷渾軍を全滅させる。また、安禄山の支配地域を見学し、
『安禄山は必ず謀反を起こす』と上言した。
だが、このころ、名声の余り、宰相の李林甫に目をつけられ始める。
玄宗に吐蕃の石堡城攻略を命じられるが、『兵士数万人を失って得る価値はない。
隙を見て奪う』と返事する。焦った玄宗は董延光に石堡城攻略を命じ、
王忠嗣に援護を命じるが、『自分の地位一つと兵士数万の命を引き替えにはできぬ』と拒否。
そのためと李林甫の策謀に陥れられ、漢陽の太守に左遷され、間もなく死亡する。
同時代に名将として知られた哥舒翰・李光弼は彼の部下であった。
387 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/10(土) 08:09:14 ID:C11jn4Tn0
>>384
◆oOLAqFKRBさんお久です
お忙しとは思いますがたまに顔を見せていただけるとうれしいです
自分も薛仁貴をあとは張須陀より賀若弼と史思明を強くプュッシュします
(韓擒虎とセット扱いされるのは個人的にはどうも納得できない。)
農民出身で太宗の高句麗遠征に応募して従軍し、高麗国に出征
645に唐国の太宗が洛陽から出発し、高麗国を征伐した際
安市にて、高麗国の援軍を大破、20万人の敵兵を撃滅
この戦闘中にて、薛仁貴は先鋒として敵陣を壊滅させ、勇気と知略を発揮しました。
とありますので知略は十分あるかと思います
太宗はこの人を指して、「わしの旧将は皆老いた。
外事に驍勇の者を抜擢しようと思っても卿のような 者がいなかった。
わしは遼東を得ることを喜ばないが、卿のような猛将を得たことを喜ぶ。」
と言わしめた人物
大敗もあるが高麗戦・吐蕃戦・突厥戦等で活躍し
周辺諸族はその名を聞いただけで恐れ慄かせた薛仁貴を特に強くプュッシュしたい
388 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/10(土) 08:11:00 ID:9gFGMNZA0
ポイント
・歴史書を見る限り敗北はない。また、平時の武将として識見も鋭い。
戦術・武勇・策謀どれも高いレベルにある。
名将であることは疑いない。
・安禄山の反乱を見破り、しかもそれを君主に伝えている。先見の明と主君の怒りを怖れず、
正しいことを進言できる勇気。
まさに理想の部下である。
・無益な出兵は断じて行わない。君主の怒りをかえば、地位どころか下手すれば処刑である。
自分の地位と命を盾に、兵士を守る。
さらに部下を名将として育てている(もしくは抜擢している)。
まさに理想の上司である。
確かに実績という点では他の確定組には劣るかも知れんが、理想の軍人像を体言化したような人物だ。
正直、なんとか十人枠にいれさせてやりたい。
名将とは、自分を信任してくれた主君に応え、国家を守り、
民を生活をたてられるようにする存在という要素もあるはずだ。
土地侵略能力や軍事能力だけで計れるものではないと思う。
自分には色々あるかも知れぬが、諸君らの公平な裁断を願う。
389 369 sage 2007/03/10(土) 08:26:09 ID:Tk9K10Ro0
煽られたり矛先を向けられる理由がわからないですかね?
このスレが立ち上がった当初から、みんなで話し合って1時代10人という大前提を決めて、
各時代、色々不満もある中で議論して、もう半ばくらいまで進んできているわけです。
そんなときになって、今更10人枠を外すとか、スレが収拾つかなくなって
崩壊するのがわかりきっているようなことを言い出すからですよ。
364のような煽りを食らっていても、とても擁護する気にはなれません。
2ちゃんとはいっても「みんなで決める」ことにこのスレの意義があると思うので最低限のマナーは守るべきだし、
スレの流れへの配慮はするべきじゃないかと。それは決して馴れ合いではないです。
それに自分の意見を聞いてもらいたいならば、もう少し文体を柔らかくするとかも少し考えた方がよいんでは。
2ちゃんだから個人の自由ではあるけども、相手がどう受け取るかもやっぱり自由だし。
390 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/10(土) 09:39:44 ID:HkXsm79OO
>>385
俺は隋唐は専門外なのでロムってるが端から見てる限りでは
>>332は提案をすぐに却下してるし 少なくとも>>327>>329もいつまでも意見を通そうと
してない様に見えるけどどうだろうか?
いつまでもその話にしつこく粘着していたのはアナタだけだと思うぞ!!
2ちゃんなんだから煽られたりキツイこと言われる事に腹立ってもしかたないし
あとは勝手にH.Pかブログで好きにやってくれととか
2ちゃんに向いてないと言われてもそら仕方ないと思うよ
俺は春秋戦国・統一秦~前漢・新・後漢 と参加しているんだけど
折角みんなで論議し決めた確定組を外せ、若しくは論議中の残り一枠に
唐から代わりに入れろと言われたら気分はよくないし
アナタじゃないけど憤慨したいのはコッチのほうだよ
そこらへんは考えた事ある?
アナタの気持ちはわかるがそこらへんを考慮して貰えると嬉しいのだが…
391 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/10(土) 10:24:23 ID:eZKUKf9C0
ID:9gFGMNZA0氏の我の強さを俺のように面白いと思うのもいれば不愉快に思う人もいるだろう。
妥当な解決案としては既定路線の基準でさっさと百選を決めてしまうことだ。
その後で氏が納得し得る新基準の検討をすればよいだろう。
匿名掲示板で熱くなるメリットはまったく無い。
ボーダーライン連中の議論が荒れるのが相場だが。
392 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/10(土) 10:34:49 ID:5KbsiA+C0
>>384,386
推薦分は、簡潔にまとめてくれると、ロム専門としては、ありがたいです
10選は自分も>>384とほぼ同じですね。
薛仁貴を特に推します
>>385
もう少しおおらかになるべきかと
自分のように、知識がたいしてなく、各推薦者の文を読んで
知識を得たいって人もいるので。(勿論>385の文も参考にしてます)
393 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/10(土) 10:35:43 ID:85zzoDX7O
>>387
> 太宗はこの人を指して、「わしの旧将は皆老いた。
> 外事に驍勇の者を抜擢しようと思っても卿のような 者がいなかった。
> わしは遼東を得ることを喜ばないが、卿のような猛将を得たことを喜ぶ。」
> と言わしめた人物
太宗に猛将を得たと云わしめたんなら、驍将、勇将たりえても名将足りえず。
394 ◆RQdk7scN8s sage 2007/03/10(土) 10:39:32 ID:4kGIK0o50
ちょっと落ち着いてみたらどうだい?
>>385 の腑に落ちない点は、もはや人数のことじゃないようだ。
人数については前スレでも、「なんで唐だけ、そんなに多い。 なら南北朝や五胡でも、もっと入れさせてもらうぞ」
ということで、一時荒れたことがある。
その流れで、より公平をとっての案だから、異論があり、より公平な別案があるなら、一旦今の選定が終了してから後の、別ルールとして始めるといい。
だが今は、現状がベターとして決定しているわけだから、別案は後のために暖めておいて欲しい。
>>385の怒りの矛先は、今「馴れ合い」となっている(と見える)ことに向いているようだ。
しかしすまん。
自分は章邯についてなんにも知らないし、どういう経緯で降ったかということは指摘するもなにもなかった。
決して馴れ合いを求めているわけではないのだが…
そもそも自分は他時代との比較というのは、政治的思想的ならともかく、戦いの勝利のみをもっての比較はあまり意味がないと考えている。
それに厳しいことを言うようだけど、反論するときに言葉が乱暴になったのは>>385のほうだった。
>>385=>>363でしょ?
>>363以前の人数の件は、上記のとおりで、今は無理にでも納得していただかないと困る。
だがそれは「もういい」と言っているので、今は置く。
相手の言葉に間違いを発見したなら、普通に指摘すればいいのであって、罵詈に対して悪口で臨んでいたら、他人からみれば「勝手にやってろ」ということになってしまう。
史書も読み、識見もあるんだから、史書中の一文をもって指摘し、相手の間違いを正せば少なくとも、そう過剰な反論はされないだろう。
>>364もどちらかと言うと、>>363の言葉の強さに反発しているだけのようだし。
>>389の指摘するところが正しいように思う。
あと、2chに向くとか向かないとか、そういう論理は好きではないな。
そこまで2chを特別扱いする気はないし、匿名である以上いろんな個性が集まるのは自由なわけだし。
ただし、礼節と節度は最後まで持っていたい。
395 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/10(土) 11:31:11 ID:HkXsm79OO
ID:9gFGMNZA0は>>394の言うように史書も読み、識見もあるんだから、
相手の間違いを正せばいいだけだと俺は思う
俺的な思想で申し訳ないないのだが
確かに司馬遷の史記は公平な視点で書かれているとは思うよ
でもそれだけを判断材料にしてそこに書かれている人物の考えまで
果たして一つの結論に位置付けられるだろうか?
読む人間に因っては受けとめ方が多少は異なると思いいますよ
また記載されていないからそんな事実はないと決め付けるのも如何なものかと…>司馬欣や陳余から『どうせ勝っても負けても処刑だから降伏した方がいい』
これは秦の為に尽くしている章邯が秦に失望したからではないからではないだろうか?
>兵士からは『章将軍は我々をだまして降伏した』と言われている。
これは結果論ではないかい?
俺は項羽に章邯は騙されたのでは?と捉えている
俺は資料第一主義はあまり好きではないのでお叱り受けるかもしれないが…
勘違いしないでほしいのは資料を判断材料にするのがダメとは言ってないと言うことこれだけは念を押しとくよ
396 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/10(土) 12:02:10 ID:o27aRqR80
まぁ、今は現状の枠組みで、話し合うのがベストとして、
>>385さんの言うように取り敢えず現段階の議論が一段落したら、
また別の区分法で、例えば名相百選で使われている
以下の時代区分で改めて話し合うのがいいんじゃないだろうか?
そして、これでも不満がある方が現れれば、
またこの二代目区分法が一段落した後に、三代目の区分法を考えればよい。
んで、初代で決まった百選や二代目で決まった百選とかを
区分法と共にテンプレにしていけばいいだろう。
ときどき時々時代区分議論でスレが荒れることがあるけど、
これは名将選定のみではなく時代区分議論自体にも需要があることの表れだと思う。
区分法は既に決まっているからという理由でこの意見を斬って捨てるのは
あまりに理不尽だと思うので以上のような提案をさせていただきました。
春秋(周の東遷~晋の分裂) BC770年~BC403年 367年間
戦国・秦・楚(晋の分裂~前漢の統一) BC403年~BC202年 201年間
前漢・新(前漢の統一~後漢の全国統一) BC202年~36年 238年間
後漢・三国・西晋(後漢の全国統一~西晋の滅亡) 36年~316年 280年間
東晋・五胡十六国~隋(東晋の建国~隋の滅亡) 317年~618年 301年間
唐(唐の建国~唐の滅亡) 618年~907年 289年間
五代・北宋・遼(唐の滅亡~南宋の建国) 907年~1127年 220年間
南宋・金~元(南宋の建国~元の北走) 1127年~1368年 241年間
明(元の北走~清の入関) 1368年~1644年 276年間
清(清の入関~清の滅亡) 1644年~1912年 268年間
397 385 sage 2007/03/10(土) 12:55:59 ID:9gFGMNZA0
そうか。それは悪かった。せっかく流れが動いているのに自分のせいで止め、
◆RQdk7scN8s氏や391氏、392氏に迷惑をかけ、395氏や396氏に手間をかけさせてしまった。
ただ、自分としては問われたことに対する誠意ある回答をしたつもりなのに、
(もう人数議論はその段階であきらめているのだから、357、359のレスはスレの流れを悪くするし、
こちらも無駄な手間なだけだ。ただ、質問されたので返さねばと思ったのだ)
そして、それで納得して終えようと思ったのに、
360のようにわかりきったことをくだくだ言われ、(しかも自分が清に優秀な武将が
多いと思えるなら、その人が主張しても悪くはないという考えを持っている
ピントもずれていた)
361のように侮辱をされ、(しかもあまり具体性のない反論つきで)
反論すると
369氏らからは一方的にこっちが悪いと決めつけられたように思えた。
自分にも正直、武人として失格(と思う)章邯が選ばれ、
(人格ではなく、目的達成能力の問題ね。だから、史思明はいいです)
李密、王忠嗣や李光弼らが外れる可能性が高いことへの不満はあった。
(なお、自分は前漢・後漢ともに論議に加わっている)
しかし、これ以上はこのことは別にいわない。人数も別にいい。迷惑をかけてことを謝りたい
ただ、386と388の推薦文は間に387氏のレスが入り分かりづらくなった。これは私のミスだ。
少し訂正してまた書き込みさせてもらう。了承をお願いしたい。
自分のせいで荒らしや煽りが増えるようだったら、立ち去るのでこれからも
活発な議論をお願いしたい。
398 385 sage 2007/03/10(土) 13:02:28 ID:9gFGMNZA0
王忠嗣
唐・玄宗期の武将。父が吐蕃との戦いで戦死したため、宮中で育てられる。若くして
武勇と勇敢さで知られ、吐蕃の大軍を前に、先陣として数百人を殺し、唐軍を勝利に
導いたこともあった。
功を重ね、朔方節度使となり、突厥に反間をしかけ、ウイグルらを離反させ、突厥を
滅亡寸前に追い込み、降伏させる。北方はこれにて戦が止み、功で河東節度使を兼ねる。
この時期に、北方民族との互市の際、馬を高額で買い、北方民族を弱め、唐軍を強くす
る。結果、唐の支配地域を数千里にわたって増やす。
節度使になってから、常に『太平の将はただ兵士をなだめ、訓練するだけが使命である。
国家を疲れさせてまで、功名を求めてはいけない』と言い、積極的に出撃することは
なかったという。若い頃は武勇をたのんでいたが、百五十斤ある弓を常に袋にいれ、
使わないことを示した。諜報を使い、敵の隙を伺い、勝機を見いだした後、軍を起こした
ので戦いに全勝した。
その後、河西隴右節度使に就任。攻めてきた吐蕃の大軍を度々破る。騎兵を使った
この時の戦いの見事さは『百戦奇略』の戦事例にあげられている。さらに、吐谷渾軍を
全滅させる。また、安禄山の支配地域を見学し、『安禄山は必ず謀反を起こす』と上言した。
だが、このころ、名声の余り、宰相の李林甫に目をつけられ始める。
玄宗に吐蕃の石堡城攻略を命じられるが、『兵士数万人を失って得る価値はない。
隙を見て奪う』と返事する。焦った玄宗は董延光に石堡城攻略を命じ、王忠嗣に援護を命じるが、
『自分の地位一つと兵士数万の命を引き替えにはできぬ』と拒否。
そのため李林甫の策謀に陥れられ、漢陽の太守に左遷され、間もなく死亡する。
同時代に名将として知られた哥舒翰・李光弼は彼の部下であった。
399 385 sage 2007/03/10(土) 13:03:39 ID:9gFGMNZA0
ポイント
・歴史書を見る限り敗北はない。また、平時の武将として識見も鋭い。戦術・武勇・策謀
どれも高いレベルにある。名将であることは疑いない。
・安禄山の反乱を見破り、しかもそれを君主に伝えている。先見の明と主君の怒りを怖れず、
正しいことを進言できる勇気。
まさに理想の部下である。
・無益な出兵は断じて行わない。君主の怒りをかえば、地位どころか下手すれば処刑である。
自分の地位と命を盾に、兵士を守る。さらに部下を名将として育てている
(もしくは抜擢している)。まさに理想の上司である。
確かに実績という点では他の確定組には劣るかも知れんが、理想の軍人像を体言化
したような人物である。正直、なんとか十人枠にいれさせてやりたい。
名将とは、自分を信任してくれた主君に応え、国家を守り、民を安全な暮らしのために戦う
存在という要素もあるはずだ。土地侵略能力や軍事能力だけで計れるものではないと思う。
400 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/10(土) 14:17:50 ID:TzEUltlF0
>>385
王忠嗣は名将だと思います。ただ、このスレでは「名将のなかからさらに優れた10人を選ぶ」
というものであり、そのポイントは実績・功績を基本とするという前提で行っています。
ですので「実績という点では他の確定組には劣るかも知れんが」とご自分でも認識している
のであれば、やはり確定は難しいと思います。
>399
・先見の明と主君の怒りを怖れず、正しいことを進言できる勇気。
・ 君主の怒りをかえば、地位どころか下手すれば処刑である。自分の地位と命を盾に、
兵士を守る。さらに部下を名将として育てている(もしくは抜擢している)。まさに理想の上司である。
これらは軍事能力、戦術指揮能力というよりは人格ないし教育者としての能力ではないですかね?
高潔な人格であったことは推薦文から伺えます。しかしこのスレは人格は無視されてます。
これまでの確定者にも、この後の候補者にも人格面では誉められたものじゃあない将たちも
挙げられています。それらを人格を理由に外せはしないでしょう。
401 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/10(土) 14:55:38 ID:ndFhKQzA0
>>395
嫌みでも、叩きでもない意図でいうのだが、取りあえず過去ログを
読んで、どのような経緯を経て、現行のルールで選定してるかを
見直してきた方が良いです。
402 401 sage 2007/03/10(土) 14:56:20 ID:ndFhKQzA0
アンカミスッた。
>>395 じゃなくて>>385宛です。
403 387 sage 2007/03/10(土) 16:18:55 ID:C11jn4Tn0
9gFGMNZA0さん>>387ですが
寧ろこちらの方が推薦文を分断する恰好になって仕舞い申し訳ないです
それと済んだことは気にせず、これからもどんどん議論に参加してくださいよ
みんな同じ目的を持った仲間なんですからマターリいきましょうよ あとアンカーを付けていただけると有り難いのですが・・・
>>393
太宗は薛仁貴が驍将、勇将でなおかつ戦場での勇猛さを讃える意味で猛将と言ったと捉えるのが自然では?
Wikiに猛将(もうしょう)とは、物語記述などにおいて戦乱の時代に勇猛で
名高かいと評される歴史的人物の事を指す。勇将。
とありますし、太宗は薛仁貴を俗にいう猪武者と言う意味で
猛将と言ったとは思えないのですが如何ですかね?
猛将を得たの一文だけを見て名将ではないと断言するのは軽率ではないでしょうか?
404 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/10(土) 17:40:11 ID:9gFGMNZA0
>>400
「実績という点では他の確定組には劣るかも知れんが」
これはすでに確定に決まった七人を指す。基本的には実績・軍事能力重視なのは
知っているよ。別に異論はない。ただ、自分は王忠嗣の実績は薛仁貴らに劣らない
と思っている。おされ気味の唐王朝で版図を奪われなかったのは立派だ。
薛仁貴のような大敗もないし。
また、ここで自分が述べているのは、人格ではなくて、(だったら、史思明、李密を推さないでしょう)
王忠嗣の言に従い、安禄山を殺していれば、安史の乱もなかったかも知れないし、
「戦わずして勝つ」を実践できたかも知れない。そういう要素も名将としての
プラス要素に含めてもいいだろう、ってこと。
兵士を守ったことはこのスレの議論じゃおまけみたいなものだろうけど、
後継者を見いだしたのは指揮官として重要な要素だろう。
実績・軍事能力で甲乙つけがたい時はこれも考慮にいれて欲しいだけ。
>>403
薛仁貴の猛将とはそういう意味でしょうね。当時は戦陣を駆け回っていたから
そう誉められたのでは。まだ、名将といわれるほどの実績をあげていなかったから。
猛将は現代ではあまりいい意味ではないのは残念。
上で薛仁貴を批判しているけど、結果、王忠嗣より薛仁貴が上と判断されて薛仁貴が
確定になれば異論はないです。迷惑をおかけしました。それではよろしく
405 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/10(土) 20:57:29 ID:85zzoDX7O
>>403
9gFGMNZA0さんがほぼ言い当てるのでクドクド言わないが、
その功績がいち武人の範疇を出てないと思うんだが。
自身のミスではないとしても敗北があり、それは将としての限界を垣間見せている。
406 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/10(土) 21:51:18 ID:C11jn4Tn0
>>404
9gFGMNZA0さん サンクス >猛将は現代ではあまりいい意味ではないのは残念。そうですね確かに本来の意味とは違う解釈されていますよね
特にあの場合は自分が説明した意味に解釈するのが妥当かと
しかも薛仁貴が只の猪武者なら自分は十傑に推薦しません
9gFGMNZA0さんの今日のレスを拝見して思ったのですが
かなり真面目な方で武将に対して強いこだわりがあるみたいですが
もう少し肩の力を抜いて参加しては如何ですかね?
(偉そうなこと言ってごめんなさい)
>>405
クドクド言わないがと仰ってるのでカキコするのにためらいがあったのですが
そんなに薛仁貴は他の武将より功績が見劣りしますかね?
407 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/10(土) 22:14:37 ID:5KbsiA+C0
王忠嗣の推薦文を読むと
名将でなおかつ、名臣という気がする
名将の定義の>>385のような条件は、自分に非常に近いんだけど
例えば杜預とかね。かなり好みなんだけど
基本的にこのスレの名将選出基準として
創業の確立に多大な貢献する・対外戦争に勝利をする
の2点が占めてるウエイトが大きい(と自分は思う)ので選出は難しいかなと
408 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/10(土) 22:26:37 ID:85zzoDX7O
>>406
功績は認めるよ。
あと何名入れられるか分からないが、1名なら李愬か父の李セイを押す。
409 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/11(日) 00:48:46 ID:kXwMWEc60
これまでをまとめると
○…確定入り
隋朝:○楊素、賀若弼、張須陀、李密
唐建国期:○李世民、○李靖、○李勣、李孝恭
対外戦争:○裴行倹、蘇定方、薛仁貴、王忠嗣
安史の乱:○郭子儀、李光弼、史思明
国内平定戦:李晟、李愬
(対反乱・藩鎮)
末期:○李克用、李存孝、黄巣
(黄巣の乱以降)
こんな感じでいいですか?
ここから三人。自分だったらバランスを考慮して
隋朝というか末期の群雄の代表で李密
対外戦争から蘇定方か薛仁貴
安史の乱から史思明
国内平定戦から李愬
いかんそれでも四人だ。
410 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/11(日) 07:28:48 ID:xgLV7u570
李密は前スレでもいろいろあったけど、結局確定は見送りになったはずですと
>>371で◆RQdk7scN8sさんが述べている様に李密はやっぱり落選?
(自分も推薦しようかと思っていたんだが諦めた)
で一応、李密に関しての前々スレからのコピペ参考までにドウゾ
650 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 13:17:10 ID:LmEchPU60 李密や竇建徳って百人のなかに入るほどとは思えん・・・
この二人が入るなら三国の劉備や孫策あたりもってことにならんか?
653 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 19:49:23 ID:r0Tdw8/l0
>>631
隋初に楊素がいないのは納得できん。
あと、李密と竇建徳は外していいのでは?
654 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 19:58:57 ID:1gq8m8gw0
>>650
じゃあ竇建徳に代えて代理人の楊義臣を入れるってのはどう?
李密に代える人材は今んトコわからん。保留。
658 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 21:58:29 ID:/cSZNafN0
李密を下げる必要はないと思うけどな。
自身は八柱国の貴族階級でも、それを背景にせず、
無数にある群盗勢力のひとつに身を置き、
それこそ曹操を凌ぐ才覚でもって隋朝の動脈を得る位置に割拠し得たわけだから。
当時最強だった張須陀に勝ったという点でもかなり高いレベルの将だったと言えると考える。
ただ、マイナス面があるとすれば、王世充に敗れたこと。
ここは、自身の力量を野心・矜持が上回っていたことが根本にありそうで、
ナンバー2として一歩下がっていれば大成もしたかもしれない。
660 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 23:47:51 ID:kvazzbFB0>658
李密は武将というより軍師という気が
配下に徐世勣(李勣)とかいたからその分は差し引いてもいいのでは
戦術では張須陀を討ち取ったりしたけど
戦略では長安取り損ねたり、興洛倉にこだわり過ぎたりして失敗している
もし楊玄感が李密の策を採っていれば別の歴史があったかも
661 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 00:00:11 ID:/cSZNafN0
>>660
>>もし楊玄感が李密の策を一流になり損ねた陳宮みたいなもんか。
それで終わらなかったからすごいわけだけど。
たしかに軍師。というか、官僚として軍事権を掌握する最高位にいる、
という図式がすごく似合う。
李世民のように先陣に身を置くのではなく、帷幄(本陣)にいる感じか…
それにしても、自分はあまり李勣を評価してないので
(重要なときに負けている。李密敗退のときも逃げ出したっけ)
その分、李密をヨイショするのかもしれん。
662 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 00:04:26 ID:LNtR5yVA0
>>660
李密は策が多いわりに陣頭指揮を好む武将だったので、
配下に徐世勣が居た分は差し引かなくても良いかと。
徐世勣とは途中から別行動をとっているし。
663 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 11:00:05 ID:kz89ZwRj0
李密は混乱期に良く出る梟雄タイプの人間で、名将って感じでは無いような・・・。
411 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/11(日) 08:18:34 ID:R0Nass720
>>409
おつかれ。
史思明は残り三人を選んだほぼ選んだ全員が推しているので確定入りでいいんじゃないか
逆に、李存孝、黄巣は今回は推している人はいないようなので落選でいいような気がする。
また、李建成をあげていた人もいたはず。
李密はどうかな。項羽、樊崇も選ばれているし、その代で滅んだ梟雄というだけで終わらない
ような気がする。曹操との違いは大敗した規模とその後の対処の差だけという見方もあるし。
選ばれるどうかはともかく、条件は李密の方が悪くて、張須陀に勝っているから
自分は李密>張須陀の構図は変わらないと思う。項羽>章邯なのと一緒ではなのでは
>戦略では長安取り損ねたり、興洛倉にこだわり過ぎたりして失敗している
これは擁護できるよ。配下の柴孝和から長安を衝くように進言されると、その正しさ
を認めながらも、
『部下は山東人ばかり、洛陽も落とさないうちに、長安まで来るはずがない。
また、行っても、今度は留守に残された群盗出身の彼らは互いに争うだろう』
と言って却下している。戦略性はあったが、実行に移せぬ事情があったのが実体みたい
それと、議論で追加した方がいいのは、
・郭子儀と李光弼はどちらを選ぶべきか? を提案した人がいる。
さすがに二人とも確定入りになる余裕はないと思うのでこの議論もよろしく
個人的には勲功第一は郭子儀だし、総大将として戦略部門の重圧をかなりになった
野戦で敗北もあるが、多くは宦官に足を引っ張られたものだし、さらにはウイグルを
単身赴き、吐蕃から切り離し、味方につけた功は大きいので郭子儀の方を推すが。
412 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/11(日) 14:50:11 ID:w6cUKxoVO
>>382
張須陀の戦績
王薄・郭方預・左孝友・盧明月ら諸叛乱の討伐に転戦して連勝。
河南討捕大使となる。
常勝将軍として畏敬されるも、官軍との合同作戦で張須陀は統制を乱され、
李密率いる瓦崗軍に敗死。
413 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/11(日) 21:57:41 ID:xgLV7u570
>>409 乙です
楊素、李世民、李靖、李勣 裴行倹 李克用
と史思明この7人は確定でいいと思います
あとは郭子儀と李光弼はどちらを選ぶべきか?と
李密についての議論をみんなでして行きましょうか
(李密を推薦するの諦めた本人が言うのもアレなのですが)
ウイグルの援兵を得て長安奪回
僕固懐恩が叛乱を起こし、太原に進攻したのを撃退
吐蕃・ウイグルの叛乱を平定したなど
郭子儀の方が李光弼より功績が上だと思いますし
あと代宗の信任の厚さ、李光弼の才能を見抜いた慧眼をプラスα要素として付け加え
自分は郭子儀のことを推します
残り枠に個人的には隋朝から賀若弼を
対外戦争からは蘇烈(蘇定方)か薛仁貴これはかなり迷うが自分はやはり薛仁貴を推す
国内平定戦から李愬
李愬は良いのですがそうすると一人あぶれちゃうし
うーん候補の誰を削るか迷うな…
李建成についてですが >>354で意見が述べられているのと
>>206で◆RQdk7scN8sさんが仰ってる様に
このスレでは重鎮とか戦略家な人物は敬遠される傾向にあり
実際、南北朝の議論の時に于謹が落選していますし
李建成は外される可能性大だと思いますよ
414 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/11(日) 22:00:11 ID:vn5JNX7DO
>>411
李光弼と郭子儀とで、どちらが戦上手かを較べたら、李光弼の方が上だと思う。
だが、この状況だと郭子儀を選ばざるをえない。
郭子儀が入らず、李密が入る百選ってなんだよ。
歴史好き集めて百人決めさたら、李密より郭子義を選ぶ割合が多いと思う。
でも、このスレの主旨に則るなら郭子儀より李光弼が選ばれるべきだ。
だが、郭子儀がいない百選は俺には考えられない。
415 ◆oOLAqFKRB. 2007/03/12(月) 01:25:49 ID:B4tzLeba0
復帰宣言したわりに深夜か早朝しか書き込めんのです。すんません。
薛仁貴の功績を挙げて裴行倹の功績を挙げとらんかったので、彼の功績を。
そーせんとなんで無条件に裴行倹なんや、ということにもなりかねんし。
裴行倹
元来文人を目指したが大将軍・蘇定方に軍事の才能を認められ
(「こいつほど賢明なやつは見たことがない、といわれた」)、兵法を仕込まれた。
一応文官となり書の大家として名をなすが、硬骨な性格から武昭儀が朝廷を私物化するのを憂い、
しばしば高宗に上奏して諌めた。しかし逆に則天武后(もうこの名で呼んでいいやろ)に睨まれ、
西域大都護とされて西域の最前線に流されてしまう。西域の異民族に対してむやみに武力を用いず、
おもに仁義をもって彼らを招撫したので異民族たちも彼を慕うこと大であった。李敬玄とともに
当代きっての名将と称えられ、人々は裴・李の二人を厚く尊敬した。
吐蕃が叛くと詔を受けて現地に急行、元帥周王のもと勇戦する。儀鳳四年、十姓突厥の
可汗・阿史那匐延都支らが吐蕃を扇動して李敬玄らを殺させると吐蕃の帷幕に赴いて彼らを説得、
後顧の憂いを截つ。同年イスラムの台頭により居場所を失ったペルシャの皇子を護衛し、イスラム軍を
撃退しつつ長安まで送り届けた。このころから異民族の師弟の多くが裴行倹の部下になりたいと望み、
裴行倹はそれを利して吐蕃ら諸民族と唐朝の結束を深める。高宗からも「卿は戦陣にあって自ら敵中に
突撃する勇気を持ちながら、あえて無駄な戦いに血を流すことなく、才略をもって凶敵を手懐けて
しまう。叛乱討伐に赴けば見事に安撫して帰る卿は、まさに朕の意にかなう名将である。文武を兼ねた
卿に、今二職を授けよう」と激賞され、礼部尚書、検校右衛大将軍に任命された。
調露元年、突厥が再び叛く。24州を自軍に引き入れて唐軍を迎え撃つ単于は蕭嗣業らの討伐軍を撃退、
そこで朝廷は薛仁貴を起用した。薛仁貴は他の将軍たちを従え、盛唐が誇る30万の軍勢を率いて突厥と対決する。
蕭嗣業配下の兵が飢えを申し出ると突厥の輜重車を襲い、食糧問題を解決、黒山に拠して唐軍を拒む突厥軍を
攻めに攻めて数えきれぬほどの敵を倒し、降伏を受け入れ、大将・奉職を擒らえ24州を回復して軍を還す。
翌年突厥の指導者の間に流言をまき内訌を起こさせ、そこを攻めて突厥軍をことごとく覆滅する。高宗から
「その功は晋の王濬に匹敵する」と讃えられた。永淳元年、十姓突厥の叛乱を平定するも軍を還す途上で病死した。
享年64歳。謚は獻。
彼は陰陽道と算術に長け、人物鑑識も得意とした。しばしば戦場にありながら常に「謀をもって敵を制すを最上とすべし」として無用の戦を避けた。
うん・・・対外戦の枠が1つとすると、やっぱ薛仁貴より裴行倹な気がする。殺した敵の数で言えば(あと俺の個人的好みでは)薛仁貴かも知れんが、
才略と度量では裴行倹やろかと。10万人生き埋めにした薛仁貴みたいな蛮行もないし。
ついでに李密について。この人については前スレで散々検討を重ねた結果、謀略家ではあるが名将の
趣旨からは外れる、ということで決着したわけやし、戻す必要はないんではないかと。張須陀に勝ったのも
張須陀軍は現場指揮官の苦労を知らん上司から無意味な烏合の衆を押し付けられて統制が乱れとったというのがあるし。
でもこの時期に彼以上の名将がおったらチェンジしても抵抗はないです。
郭子儀・李光弼はねぇ。純粋に戦術手腕によって選ぶのがこのスレの趣旨やから(安禄山を外して史思明にしたのもそれが理由やし)
そういう意味で李光弼を推したんやが、郭子儀は全責任を押し付けられながらそれに応えてみせたし、大唐帝国最大の元勲でもあるしね。
この二人は迷うわ。
416 ◆oOLAqFKRB. 2007/03/12(月) 01:33:53 ID:B4tzLeba0
また改行すべきところでしとらんな、俺は。
怒られる前に謝っときます。引き伸ばしすぎてごめんなさい。
あと、『この時期に彼以上の』の彼は李密じゃなくて張須陀のことです。
なんかわかりにくくてこれまたすまん。
417 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/12(月) 07:09:08 ID:k/bi6yoM0
<秦漢時代>
呂秦(BC246~~BC206)
西漢(BC206~8)―新(8~23)―東漢(25~220)―蜀漢(221~263)
<魏晋南北朝時代>
<北朝>
三国魏(220~265)―西晋(265~316)
前秦(351~349)
北魏(386~534)
東魏(534~550)―北斉(550~577)
西魏(535~556)―北周(556~581)―隋(581~619)
<南朝>
三国呉(222~280)
東晋(317~420)―劉宋(420~479)―南朝斉(479~502)―南朝梁(502~557)―南朝陳(557~589)
<五胡十六国時代>
<河東>
前趙(304~329)―後趙(319~351)―冉魏(350~352)
五胡代(315~376)―北魏(386~534)
<関東>
前燕(337~370)―西燕(384~394)、後燕(384~409)、北燕(409~436)、南燕(400~410)
<関中>
前秦(351~349)―後秦(384~417)、西秦(385~431)―五胡夏(407~431)
<河西>
前涼(376―386)―後涼(389~403)、南涼(397~414)、北涼(397~439)、西涼(400~421)
<四川>
成漢(304~347)―五胡後蜀(405~413)
418 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/12(月) 07:09:56 ID:k/bi6yoM0
<唐宋時代>
唐(618~690-705~907)
武周(690~705)
大燕(756~759)
<五代>
後梁(907~923)―後唐(923~936)―後晋(936~946)―後漢(947~950)―後周(951~960)―趙宋(960~1279)
<十国>
桀燕(895~913)
岐(901~924)
五代前蜀(907~925)―五代後蜀(934~965)
十国呉(902~937)―南唐(937~975)
荊南(907~963)
呉越(907~978)
閩(909~945)
十国楚(907~951)
南漢(909~971)
北漢(951~979)
<宋代>
北宋(960~1127)―南宋(1127~1279)
遼(916~1125)
西夏(1038~1227)
金(1115~1234)
<元明清時代>
大元(1271~1368)―北元(1368~1634)
大明(1368~1644)―南明(1644~1661)
大順(1644)
後金-大清(1617~1636-1636~1912)
大周(1678~1681)
太平天国(1851~1864)
<国共時代>
支那民国(1912~)
支那人民共和国(1949~)
419 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/12(月) 10:57:02 ID:rBdPDT5E0
>対外戦の枠が1つとすると
これは>>409さんのあくまで暫定じゃないの?
自分は薛仁貴は裴行倹に負けず劣らずだと思ってるから薛仁貴は入れたいなぁ~
(あくまで個人的にだから落選しても異論はないけど)
420 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/12(月) 12:29:56 ID:rBdPDT5E0
>>419ですが早とちりしてましたすいません
421 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/12(月) 21:23:09 ID:5YsENlrNO
隋末唐初から1名で張須陀、李密から選ぶのか、隋からあと1名選ぶのか。
隋からと考えるなら、賀若弼と韓檎虎がその2名より下とは思えない。
でも、唐を含めた隋末唐初には、太宗と李靖、李勣しか名将がいない――というのは違うよね。
張須陀の敗戦が上司の問題とするなら、李密の場合も、梟雄としての限界であって、
将としてのミスではないと言えそうだ。
この両名は、戦績で優劣は付けられないと思う。
あとは好みじゃない?
422 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/12(月) 21:34:36 ID:LFmNEybI0
>>421
このスレでは無視される要素だが、人格面を考慮すれば張須陀の方が
上だな。まあ、俺の好みに過ぎないだろうけどね。
423 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/12(月) 22:56:47 ID:LAFdD6gNO
無理して郭子儀と李光弼のどちらか選ぶより
候補入りに異論のある李密を外した方が良いと思うのは俺だけか?
どうしてもバランス重要視で隋からあと1名選ぶなら
張須陀か賀若弼のどちらから選ぶ方が良いと思うが…
424 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/12(月) 23:52:32 ID:LFmNEybI0
その時代を代表する10人を選ぶわけだし、年代の枠内でなら、
バランスはとる必要ないと思うぞ。
賀若弼が、明らかに上だというなら確定入りでしょ。
425 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/12(月) 23:58:07 ID:5YsENlrNO
よくよく吟味してみると、李密に関しては、情状酌量の余地があると思う。
曰わく、李密は謀臣なれども将軍にあらず。
されど李密の失策は、梟雄である故の器量不足なれど、将としての技量不足にあらず。
確かに将の将たる器ではない。李密は梟雄であり、いつの時代に生まれても
青史に名を残すも終わりを全うできそうもない。
張須陀の最大のマイナス面は、張須陀を選んだならば、
隋末唐初を代表してる感が薄れることだろう。
隋将だと考えるなら、その貢献度は賀若弼に遥かに劣り、薛世雄にも及ばない。
張須陀は李密を外すための方便だと個人的には思う。
張須陀は過剰評価されすぎてないか?某作家の身贔屓目に毒されてない?
その貢献度はそれほど高くないし、隋朝を代表する名将だとも思えない。
隋朝枠なら賀若弼、韓檎虎。隋末唐初の群雄割拠の時代からなら李密。
そう考えるが如何?
426 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/13(火) 06:55:26 ID:YPnJKWN60
>>425
>曰わく、李密は謀臣なれども将軍にあらず。
ご自身がそう述べるように李密は謀略家ではあるが
名将の趣旨からは外れる、ということで決着がついてますし
根拠となる前々スレも提示しました
やはり外した方がいいと思いますよ
あと張須陀は李密を外すための方便だと個人的には思うのなら
郭子儀と李光弼のどちらか選べというのも李密を入れる為の方便に
なっちゃいますが如何ですかね?
史思明が確定入りなら李光弼も確定入りになるでしょうし
またそれなら郭子儀が落選する理由が今度は見当たらない様な気がします。
この意見についてはおかしいですかね?
427 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/13(火) 09:25:14 ID:KBQ7hwKc0
粛宗≒高祖
郭子儀≒韓信
李光弼≒曹参
428 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/13(火) 11:38:10 ID:O2E8LRtIO
>>426
> あと張須陀は李密を外すための方便だと個人的には思うのなら
> 郭子儀と李光弼のどちらか選べというのも李密を入れる為の方便に
> なっちゃいますが如何ですかね?
何故そうなるのかさっぱり分からない。
まず李光弼を確定にし、郭子儀を外したとしても確定は以下の8名。
隋朝:楊素
唐建国期:李世民、李靖、李勣
対外戦争:裴行倹
安史の乱:李光弼、史思明
国内平定戦:該当なし
末期:李克用
なぜ李密が入ると郭子儀が外れるのか聞きたい。
あと2名入れるはずだが。
李密が入るのは時期的な問題。だから話し合ってるんだと思ってた。
それがないのなら薛仁貴と郭子儀が入って終了では?
話し合う必要性すらないと思うんだが。
429 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/13(火) 12:51:58 ID:Ma2Q8n6j0
とりあえず史思明までの八人は確定でいいですかね。(郭子儀か李光弼かというのはあるが)
で、あと二人枠をどうするかと。
候補としてはこれまでをみると
隋朝:賀若弼
対外戦争:蘇定方、薛仁貴
国内平定戦:李愬
隋末の群雄からとして李密、張須陀、王世充、竇建徳などが挙げられているけど、この辺って
結局は唐建国期とかぶって、しかもその三人にやられるから難しいねえ。
430 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/13(火) 14:24:47 ID:u34hSyyw0
李密軍閥の将軍が李勣、と個人的には理解してるから李密は外しても問題ないと思うな。
李密は計画力や行動力はすごいけど詰めが甘いように思う。(王世充に追い出されたりとか)
431 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/13(火) 20:04:53 ID:YPnJKWN60
>>428
別に張須陀は李密を外すための方便だと思わないし、
なぜ李密にそんなにこだわるかも分からないし
李密を入れる時期は隋でいいと思っていたから、わざわざ迷うのかが分からなかったんですよ
すでに前々スレで選外となってるけど、揉めたら悪いと思ったから過去のレスも提示されてますよね?
なのに李密を入れる為にバランス重視でいきませんかと言ってる様に単純に思ったんだけど・・・
(あくまでも個人的にね)
国内平定戦:該当なしとなってますが個人的には李愬が確定かなと思っていたし
(実際何人かが推していますよね)
そうすると残り一枠ですよね?しかもバランス重視で選ぶなら
郭子儀は落選するんじゃないかなと思っただけなんだけど・・・
これで分かっていただけました?
>>421より前で李密の入る時期について話合いしてたっけ?
李密を復帰させるかさせないかの話じゃなかったの?
432 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/13(火) 21:55:42 ID:O2E8LRtIO
>>431
李密と郭子儀の話はスレの流れから。
実際、>>423-424もバランスを考慮してるんだなと判断しての書き込みになってるよ。
時期的なもの、バランスを考えず、純粋に10名決めるなら、郭子儀を外す理由が分からない。
郭子儀は間違いなく名将だよ。
唐朝から1名しか選べないとして、それが郭子儀だという人がいてもおかしいと思わない。
定員は余ってる。なのにどちらか一方を落とす理由はナニ?
バランスだろ?
>>429でもわざわざ時期を入れてるのは何故?バランスを考えてだろ?
それ以外の解釈の仕方があるのなら教えてくれ。
ちなみに薛仁貴じゃなく李晟、李晟の親子を押し。
李密が入るなら、李光弼より郭子儀といってたのが俺。
だから、なおさら郭子儀を落とそうとしてると思われたのか、皆目見当がつかない。
433 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/13(火) 22:27:43 ID:O2E8LRtIO
>>428
で薛仁貴を入れてるのは、
①その後、薛仁貴を押す人間が李愬、李晟よりいたから
②李愬と李晟で、これまたどちらが名将か、優劣をつけるのが困難だと思ったから。
この親子の場合も、どちらを選ぶかは好みの問題で、これまた厄介だ。
だったら人気もあるし、実績もあるから薛仁貴で良いかなと。
張須陀のように、あきらかに過剰評価されてるとは、思わないし、
このスレの主旨には名臣である必要性はないし。
バランスを考えないなら郭子儀は入るだろうし、バランスを考慮したら
李愬、李晟のいずれかは入りそうだし。
まずまず無難な選定になるんじゃない?
434 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/13(火) 22:59:58 ID:YPnJKWN60
O2E8LRtIOさん
スマン正直言うとあの時は自分でも、何が何だか混乱していたみたいで
>>426の>郭子儀と李光弼のどちらか選べというのも李密を入れる為の方便に~
はおかしな書き方になっちゃってますが別に
貴方を責めるつもりで書いたのではないんですよ
話がおかしくなってしまったのは謝ります申し訳ない
それはともかくバランス重視はいいのだがそれにこだわる故に
郭子儀と李光弼はどちらを選ばなきゃならないのがどうも個人的にはちょっと
納得できないんだよな・・・・ 両方とも確定入りでは駄目なのだろうか?
そして残り一枠を賀若弼、薛仁貴、李愬、李晟から
選んだほうが>>433での提案も入りすっきりすると思うのだが
O2E8LRtIOさん、諸兄どうだろうか?
435 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/13(火) 23:28:45 ID:mBL5m75c0
k
436 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/14(水) 22:37:35 ID:kBAm/VYJ0
李愬と李晟親子のどちらを選ぶかは好みの問題とかよくカキコされていますが
素人なため全く知識がないので
どなたか李晟について戦績など詳しく教えて貰えないでしょうか?
437 乱文雑文でスマソ sage 2007/03/15(木) 21:35:08 ID:9gCtAO1HO
783年、有力藩鎮の乱を討伐に向かうケイ原藩鎮の兵が、処遇問題により
朱スイを奉じて反乱に加わり、皇帝を称して廬竜節度使と連携。
難を逃れた徳宗のいる奉天に兵を進めると、李晟がこれを破り朱セイを逃亡させる。
翌年、李懐光が背くと力戦し、長安を収復に成功。
西平郡王に封じられ、中書令にもなる。
死後、太師を贈られる。
民を愛護し、唐が保てたのは李晟の功と激賞される。
外出中で手元に資料がないうえ、文才もなし。
イメージとしては、張須陀が李密に敗れず長安を奪回し、
安心した煬帝が建康から戻ってきました――みたいな感じ。
文章おかしいね。
ゴメン。
438 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/15(木) 22:47:13 ID:XbOSZ9sn0
>>437さん レス㌧!!
李晟のことがすごく気になってしかたなかったんてすよ
しかも解説付きとは、なんともお手間取らせて申し訳ないです
439 ◆RQdk7scN8s sage 2007/03/15(木) 22:55:09 ID:9SYizXpo0
う~ん。
今、李晟の原文を、な が め て い る のだけど、どうも自分は李晟と李愬をごっちゃにしていたようです。
李愬は、まぁ前にも書いたような戦功で、それは重要な戦功なんだけど
どうも父親のほうが、インパクト強いかも。
まず、李晟はかの河西節度使王忠嗣の指揮下にあり、隴西方面の戦いで武名を挙げていた。
吐蕃の驍将を一射のもとに葬り去り、軍中が歓声で沸いた。
王忠嗣は李晟を「此万人敵也」と絶賛したことから、この人の人生が始まっている。
性、雄烈にして才有り。騎射をよくし、勇敢絶倫。
この辺は、名将猛将を讃える最高級のものですね。
李愬はどちらかというと、策略の多い知将の側面が強い感じ。
詳細は、伝があまりにも長くてすぐにはわからんので、ざっとザルでいきますと…
隴西方面や西川で他国との攻防戦で、吐蕃やタングート等と戦い、これをよく撃破した。
そのあと皇帝の親軍として再編成された神策軍将として、例の河朔三鎮で代表される反乱が常態化している河北の討伐に乗り出す。
魏、邢、洺などを平らげたあと、力をつけすぎた神策軍は一旦、皇帝から冷遇されますが
朱泚が長安を乗っ取り、皇帝が奉天へと蒙塵したとき、これを助けたのが李晟。
このときの功績をもって、神策軍は皇帝禁軍の最有力部隊となった。
ちなみに、神策軍をはじめとする禁軍の総司令官は、宦官が就任した。
唐末における宦官の増長は、実は禁軍の指揮権という強い切り札があったからでした。
で、李晟は徳宗が長安に帰ってくるまで長安付近を慰撫し、略奪などの蛮行はいっさい許さなかったので、長安住民たちは涙を流して感謝したといいます。
それで李晟は鳳翔節度使となって吐蕃らへの備えとなったのですが、その功績の巨大さを危険視されて兵権は剥奪されたもよう。
ただし、左遷等ではなく兵権のない上位職まつりあげられたようです。
440 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/15(木) 23:11:41 ID:XbOSZ9sn0
◆RQdk7scN8sさん レス㌧!!
李晟はそんなにすごい武将なんですか?
例えたら五代か春秋戦国時代の誰あたりに相当するんですか?
質問ばかりですみません
441 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/16(金) 00:05:48 ID:9gCtAO1HO
>>439
フォロー、㌧クス
李晟は単なる一発屋ではないからね。あえていっておくんだけど…
李晟が鳳翔節度使時代、吐藩が大挙してケイ、ロウを一帯に攻め入り、長安を落とし入れようとしていた。
李晟は三千の兵をケン城に潜ませ、通過する吐蕃に奇襲をかけて撃退とかしてる。
桶狭間の戦いで信長が、本陣を襲撃してるんだけど、一説には意図してなかった
偶発的奇襲だったとか。
その説の真贋はともかく、李晟はそれを意図的に行い成功している。
王忠嗣の流れを組む名将だね。王忠嗣を押したら、やたらと責められてたが、
王忠嗣は唐以後の、藩鎮を押さえる為に禁軍を強くし、その禁軍を押さえるために
権限を弱めないとダメだっていう流れに、間接的に影響を与えた人物。
李愬、李晟は直接的に影響を与えた。
蛇足だけど一言コメントしておく。
なんとなく王忠嗣を押した人の気持ちが分かるでしょ?
442 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/16(金) 15:19:46 ID:DpDmY7ot0
>長安を落とし入れようとしていた。 ×
長安を陥落させようとした。 ○
>王忠嗣を押した人。 ×
王忠嗣を推した人。 ○
443 ◆RQdk7scN8s sage 2007/03/16(金) 19:08:15 ID:ghVCf9/z0
>>440 分裂時代と内乱時代とでは、十分な対比はどうかな?
後漢末の分裂と、唐末の分裂は、分裂の深度に多少の差はあれど、同じようなちからがかかっているので
五代の英雄は、ときたま三国の英雄に比せられている。
三国志の物語が大人気を得た時代に書かれた、というのもあるだろうけど。
(そういえば、李靖でさえ、諸葛亮が南征で孟獲を七回捕らえた、という故事を引っ張り出して絶賛している『李衛公問対』)
李晟がどういう毛色の人物と比せられるか、よくわかりません。
五代でいうなら、後梁の康壊貞とか寇彦卿とかにあたるのかなぁ…
>>441
わたしゃ基本的に王忠嗣的な将が好きですよ。ただ、ここでの尺度は基本戦功などになりますので…
王忠嗣がおkなら、五代後晋の桑維翰などを推すのだけどなぁ。
444 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/16(金) 19:40:01 ID:SC2FWitS0
李衛公問対は李靖に仮託した北宋の本じゃなかった?
445 国 sage 2007/03/16(金) 20:49:21 ID:eEEHovKi0
薛礼は「白装束の将軍」として
後々も人気を得た方ですから、
十傑に入れるのが当然でしょう。
また、尉遅恭・秦瓊の「門神コンビ」も
絶対に外せないところですね。
446 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/16(金) 21:17:32 ID:limbYjiOO
>>443
いくらなんでも王忠嗣は無しだよ。
無意味な武力を誇らず、戦わずに相手を屈服させ、
良識や、高い見識をもって王朝を支えたた人物より
薛仁貴みたいに大軍率いて、ドッカン、ドッカン派手にやらかした方が、
ダイナミックで良いよ。
ただ、このての武将にも何らかのフォローや、声を拾ってあげる機会すらないのなら、
それはそれで可哀想だなと思っただけ。
447 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/16(金) 22:54:46 ID:fJOsQJkiO
>>443 レス㌧!!
◆RQdk7scN8sさん
李晟について色々とお教えいただき有難うございました
李衛公問対は唐末宋初に李靖に仮託して書かれた著者不明の偽書だそうで
問答自体も有ったかどうか疑わしいみたいです
>諸葛亮が南征で孟獲を七回捕らえたという故事
これは三国志演義の中の作り話と考えるのが妥当だと思います
448 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/17(土) 01:58:23 ID:F/eFGnm60
>>446
このスレ的にはどうかしらないが
王忠嗣のような人物の方が、国・民のためには良い人材だと思う
わかってて書いてるとは思うけど、一応ね
>>385の評伝を読む限りでは、名将という範囲に留まらない人物だと推測できる
自分は、他に挙げられてる武将達について知識薄いから比較はできないから
リスト入りできるかどうかまではわかりませんが
449 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/17(土) 07:36:09 ID:+2DawTIGO
>>448
違うんだって。
皆が皆、最高レベルの知識を有してる訳じゃないでしょ?
実際オレは、>>443にある康壊貞や寇彦卿、桑維翰って誰?って状態。
そういった人物を紹介する雑談が、混じっても良いんじゃないの?って話。
王忠嗣が出てきただけで、やれ別スレ立てろだの、個人サイト作ってやれだの、
2chに向いてないだの、やいのやいの言わなくても良いだろ?
このスレの選考基準はかなり面白。
安史の乱から名将を1人選ぶとしたら、郭子儀が外れる可能性が高いんだよ!?
凄くないか?じゃ、各時代から1人しか選べないとしたら、
皆誰を選ぶんだろうか?個人的に興味があるし、そんなこと妄想してるとかなり楽しい。
判断基準を変える、変えないの話じゃないし、王忠嗣を入れるって話じゃなくて、
あまり知られてない人物の話題をするぐらい、良いんじゃないかな?って思っただけ。
それすらも許されないって言うなら、それはそれでしようがない。
450 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/17(土) 09:39:58 ID:hQB+suKQ0
>>449
ん?>>448氏はやれ別スレ立てろだの、個人サイト作ってやれだの、
2chに向いてないだのそんな事について言ってないと思うよ
王忠嗣はこのスレでの選考基準では名将として他の候補と争うのは
厳しいだろうと言ってるだけじゃないの?
それとあまり知られてない人物の話題は寧ろ良いと思いますよ
確かに康壊貞や寇彦卿、桑維翰って誰?って状態だし、逆に教えてほしいのし
雑談が、混じっても別におKじゃないの
つーかそれを許されないって誰が言ってるの?
451 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/17(土) 10:03:24 ID:+2DawTIGO
>>450
>>344からしばらくの流れ
別スレ立てろは>>351、2ch向いてないは>>369より。
351や369読んだら誰かを推薦したくなくなる。
王忠嗣を推した人がその後も書き込んでるか、はなはだ疑問。
452 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/17(土) 10:31:58 ID:pJBruhX20
別スレをたてろ云々は、王忠嗣がマイナーだからどうこうというのではなくて、
王忠嗣を推した人の言動に対して「オマエ出てけよ」となったのだと思うが。
まあどちらにも問題はあったと思いますが、これはもう終わったことです。
当人でもない人(おそらく)が、なぜいまさら蒸し返すのか。
453 ◆RQdk7scN8s sage 2007/03/17(土) 11:02:45 ID:pajd0Pms0
2chは排他的な言動が多いから、出て行けとかよくあるなぁ。
自分も三戦ではけっこう喰らった。
歴史の流れに少なからず影響を与える重鎮タイプの名将は、今まででも幾人か出ていた。
でも、司令塔より現場で戦果をあげた実戦指揮官をクローズアップされている。
むろん、ある程度の兵権を委ねられ、方面軍司令官としてその方面の戦略と陣頭指揮していれば文句はないところでしょう。
康壊貞やら3人は五代の武将や文官なので、紹介文等は控えました。
454 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/17(土) 17:13:18 ID:U1ChqfuK0
似たようなことやってる人発見。
ttp://www.geocities.jp/fukura1234/rekisi/100/100.html
455 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/17(土) 17:28:41 ID:lzhE9aYw0
>>454
だからそれは中国の本『中国古代百将図説』の引き写し&翻訳
456 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/17(土) 17:38:47 ID:QIQsI06yO
>>454
おや?韓信スレでハンニバルを熱く語ってる方じゃないですかw
ところで隋・唐の十傑決めるの止ってるけどもう決めないの?
457 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/17(土) 22:15:13 ID:7NVRVWjb0
他の時代の人からしたら、隋・唐の論議が長引いてるから、
雑談は挟まないで決定して欲しいという風に思っていても
おかしくないだろうなと推測するぜ。
458 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/17(土) 23:03:31 ID:hQB+suKQ0
隋・唐
【確定組】
楊素、李世民、李靖、李勣 裴行倹 郭子儀 李克用 史思明
で残り枠は対外戦争から薛仁貴(薛礼)、国内平定戦から李晟の以上10名
バランスを考慮してみましたがいかがでこんな感じでしょうか?
459 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/17(土) 23:04:50 ID:pJBruhX20
確定は
楊素、李世民、李靖、李勣、裴行倹、史思明、李克用
残っている議題は、
・郭子儀と李光弼をどうするか。二人入れるのか片方にするのか。
・残り一~二枠を誰にするか
候補は
隋朝:賀若弼
対外戦争:蘇定方、薛仁貴
国内平定戦:李晟、李愬
こんなものですかね?個人的には、どうするにせよ李晟か李愬のどちらかは
確定扱いでいいと思います。
460 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/18(日) 00:29:25 ID:37K0hFpe0
李晟か李愬を入れて、1枠空けたまま次の時代にいくのはどうでしょう?
スレの流れも、かなりここで止まってますし
461 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/18(日) 10:45:26 ID:ytr0wd65O
李晟、李愬なんぞ徳宗期の武将だから、戦果的には劣るわけだが。
華北の三鎮は残ったままだし、このスレの定義的には外れると思う。
この二人を入れたら何でもありになるよ。
462 ◆RQdk7scN8s sage 2007/03/18(日) 12:01:08 ID:HFLU/GYp0
>>461 それを言うと、郭子儀も李光弼もはずれると思うが…
河朔三鎮の仕置きなんぞ、150年近くからの問題であり、そうそう武力だけでカタがつくほど生易しいものではなかった。
河朔三鎮を手本として我も我もと独立しては反抗した、河南以南の反乱に一旦終止符を打てたこの親子の功績は大きい。
しかしそれは強化された神策軍の威力だ、というなら特別反対もしない。
そうなれば、曲がりなりにも河朔三鎮の頭を押さえつけることに成功した(河南藩鎮の要衝を平定した李愬の功績が大)、憲宗を推す(盧龍軍、成徳軍を従属せしめたのは穆宗の代だが、憲宗の偉業の継承とみる)。
でも憲宗は司令塔であって、前線指揮官ではなかった。
英主、あるいは大戦略家の下で将たちが各方面で戦功がある場合、平均化されて矮小に映ってしまう。留意すべきところと思う。
463 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/18(日) 12:36:22 ID:V3m1GGPX0
>>461
国家の絶頂期に国外遠征で活躍した人と衰退期に国内安定の為に奔走した人を
比べて前者の方が上だなんて言っているようなものですよそれ。
それじゃあ李克用も外しますか?あと>462も言っているように李光弼も確実に
外れますね。あとは最後は敗者に終わった史思明も。
他の時期でも、王朝後半期以降の武将は軒並み対象外になってしまいますなあ。
464 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/18(日) 13:54:08 ID:ytr0wd65O
李克用はその時の最大の懸案事項に対処してる。
李晟、李愬は?
中興の土台づくりをしたが、順地化をはたし、節度使の力を弱めた功労者は
やはり憲宗にあるのでは?
ある出来事の象徴的な人物と、それを支えた人物とでは、有利不利が出てくる。
揚げ足取り、あら探しまでして無理に上下を決めないとズルズル長引くよ。
じゃ、李晟と李愬でどちらが上か決めれるのかい?
ほとんどの人が李晟のことを知らず、その業績についでの質問が出たぐらいなのに
よく知らないけど名将にしましょうって、それはちょっとおかしくない?
いったん幕を引いた方が良いと思うんだ。それとも何か決定打的なものがあり、
それを聞いたら即決出来るものがある?いま膠着してるよ。
465 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/18(日) 14:15:40 ID:7IgtWm+rO
いっそのことバランス取るの止めたらいいのでは?
新・後漢でも無理にバランスを重視した為(個人的にはそう感じた)
その方がややこしいことにならないと思うけど…
結局ああでもないこうでもないと言い合うだけで前に進んでないじゃん(ry
466 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/18(日) 15:32:08 ID:AxkmtOFW0
>>465に同意
467 ◆RQdk7scN8s sage 2007/03/18(日) 16:16:27 ID:HFLU/GYp0
>>463
李克用に関して、誰もなにも言わないけど、安史の乱以上に唐朝を叩きのめした黄巣軍に連戦連勝したことが、とりあえずランキングする最大の理由でしょう。
それは国内の内乱平定に類するものだろうけど、この頃の朝廷はすでに一地方勢力程度で、「唐帝国」の象徴的なものでしかなかった。
憲宗の中興も、実に短い期間だけの偉業でしかなかったのは
節度使という使職の権限がいかに巨大で手ごわいか、という証拠なわけだけど(戦国期の独立王国と比定して無理はない)
その落ちぶれた唐の権威を一時なりでも取り戻した、李克用の軍事的功績は大きい。
ただし、李克用は連戦連勝とはいかない。いくらか敗退して、戦略的条件を満たすことができなかったこともあるし、朱全忠には滅亡寸前まで追い込まれてもいた。
と言って、朱全忠は黄巣軍には手を焼いたりもしたので、単純なる用兵手腕の上下優劣はできない。
朱全忠は戦場で李克用に負ける以上に、戦場の外で勝っている。
李克用の性格を利用して激発するかたちに持っていき、その立場を弱め、幽州や雲州軍閥らと語らって
なおかつ朝廷から朝敵認定の判を押さしめ、長大な包囲網を敷いた手腕は、間違いなく朱全忠ならではのものであり
それは政略・謀略の類だった。
(ちなみに、岐州の李茂貞が同じように朝廷の忌避を買い、朝敵とされるけど、朱全忠主導の李克用包囲のときと比べ、参加する軍閥はほとんどおらず、うやむやになった)
この反李克用包囲網は、李克用と義子・李存孝らの阿修羅の活躍で一方的敗退で終った。
そしてその後、李克用陣営で最大の用兵手腕と勇猛を誇る李存孝が内部確執のあげく反乱したので、李克用の兵勢は一気に落ちることになった。
あるいは、李存信と李存孝の不和を見て取った朱全忠の謀略だろうか? とするのは読みすぎだろうか。
まぁ、唐の最末期、つまり朱全忠による洛陽遷都までなら、李克用は朱全忠に滅亡寸前まで押し込められていても、戦場では最強の部類に入っていた。
ので、象徴的な立場からしても、また河北の重鎮という意味からも、外す理由は少ないと思う。
>>465
バランスにこだわりすぎる必要はたしかにないね。
とは言え、じゃあ何を持って判断材料とするか、が難しい。
象徴的な立場をとるのか、戦略への貢献度をとって多少の敗退は軽視するか、知名度を重視するか…
李晟・李愬に関しては、たしかにバランス重視のためもあったけど、その軍事功績は大きいと思ったので、推した。
どっちが上か? と言われると、寝たふりするしかないが、他の、特に優秀な司令塔の下で戦功のある将と比べても、下であるとも思われない。
まぁそういう場合、功績はその優秀な司令塔に帰されるべきものではありますが…
468 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/18(日) 16:58:26 ID:7IgtWm+rO
隋・唐
【確定組】
楊素、李世民、李靖 、李勣、裴行倹、薛仁貴、郭子儀、李光弼、李克用、史思明
判断材料とか今更ややこしいこと言わなくても
この十名でいいと思いますけど…
(知名度、貢献度、推薦する人の多さなど十分満たしていると思うし)
李晟・李愬は次点と言うことで納得して頂くしかないのでは?
諸兄及び◆RQdk7scN8sさんいかがですか?
これで揉めるなら前には進まないと思いますけど…
469 ◆RQdk7scN8s sage 2007/03/18(日) 17:12:45 ID:HFLU/GYp0
>>468
>>判断材料とか今更ややこしいこと言わなくても
あ、すみません。ついです。
大勢には従います。
470 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/18(日) 17:24:38 ID:V3m1GGPX0
>>464
李愬・李晟はその時代の「最大の懸案事項」に対処して、成功してますよ。
政治的な業績、功績としては最終的に憲宗のものになるでしょうが、その
ために実際に戦場で指揮を執った軍事的な功績・業績は現場司令官のもの
としていいでしょう。少なくとも、このスレでは。
そんなこと言ったら前漢期は劉邦や潅嬰をはずして張良となってしまう。
471 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/18(日) 17:27:27 ID:V3m1GGPX0
追加
李光弼よりは李晟・李愬のどちらかを推します。どちらかと言われたら、
首都と皇帝を救った功績の大きさで李晟かな。
472 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/18(日) 18:41:56 ID:ytr0wd65O
>>470
俺、以前に薛仁貴より李愬、李晟を推してたんだよ。
でも今は薛仁貴を入れるべきだと思ってる。
まず、李愬・李晟に対しての資料が不足している。
李晟の業績に関しての質問がでたぐらいで、メジャーとは言い難い。
李愬のほうがいくらかマシっぽいが、俺、李愬が徳宗期の武将みたいなこと書いたけど、
李愬は憲宗期の武将の間違いだよね。
たぶん、薛仁貴は建国の功臣と書いたら、ツッコミが入ったと思うんだ。
でも、李愬のときは入らなかった。
それを思うと、もう少し資料がそろってから、改めて議論してはどうだろう?
あと、李晟に関してはたいてい、唐の力が弱く、大勢は変えられなかったと云うコメントつく。
このスレ的には減点になると思うよ。
朱セイの件にしても、李懐光にしても、その敗因は、李晟だけの功績じゃないけど、
その辺はどう評価してるの?
473 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/18(日) 22:13:00 ID:ytr0wd65O
V3m1GGPX0さんに謝ります。
私の意見、反論は暴言です。撤回できるなら撤回したいです。
李晟は徳宗より早く死んでおり、李晟が動員できた兵力では、
近代兵器を使用しない限り無理です。
薛仁貴がいなくても唐は唐たりえるも、李晟なくば唐は滅んでたと思います。
純粋な功績ではなく、それ以外のもので判断するのは間違ってます。
バランスを考えなくても、李晟が入ってもおかしくないです。
なぜ私が李愬、李晟を評価し、薛仁貴より上と判断したかは、
後日かならず資料を明記します。
自分で買ったり、図書館で調べたものなので、まこと僭越ながら
判断材料、基準になると自負しています。
本心を言えばV3m1GGPX0さんの意見に賛同してるだけに、
こんな暴言を吐き、不当に辱めたことを恥じています。
本当にゴメンナサイ。
474 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/19(月) 02:11:58 ID:tON47iFI0
詳しい事情を知らず愚かな質問をかもしれないが李世民は違うのではないだろうか。
隋唐の十傑と比較すると李世民個人の武勲は劣ると思いますので。
475 ◆RQdk7scN8s sage 2007/03/20(火) 16:50:32 ID:bnRJMOjS0
え~。
とりあえず、>>468さんの
隋・唐
【確定組】
楊素、李世民、李靖 、李勣、裴行倹、薛仁貴、郭子儀、李光弼、李克用、史思明
【候補】
韓擒虎、賀若弼、張須陀、竇建徳、楊義臣、李密、劉黒闥
李孝恭、高仙芝、顔真卿、張巡、王式、安録山、
劉方、蘇烈、劉仁軌、李晟、李愬、黄巣、高駢 、李存孝
と、いうあたりで、暫定決定としましょう。
まぁ、郭子儀か李光弼をはずして、李晟か李愬を入れるか、は隅に置いておきましょうか。
で、次の時代へと…
テンプレより。
五代~北宋・遼
【確定組】
朱温、李存勗、郭威、柴栄、趙匡胤、曹彬、楊業、狄青
【候補】
周徳威、郭崇韜、王彦章、郭言、楊師厚、劉鄩、康延孝、符存審、
任圜、李神福、臺濛、周本、孟堅、張彦卿、陸孟俊、劉仁贍、張武、
王環、趙季良、蘇章、潘崇徹、銭弘佐、顧全武、張元徽、李瓊
【論争中】
耶律休哥
さて、ここで。
前スレで「遼」についての処遇を、自分は「外す」と結論しました。
この件については論争中であり、より意見の多い方をとるという民主的な手法によってもいいかな、とか思っています。
で、確定から「朱温」なんですが、コレ、どうも自分が思うに、戦術的手腕は今ひとつかと。
というのも、上にも書いたように、黄巣の残党にも結構手を焼いており、李克用がはるばる救援に駆けつけてくると一気に平らげてしまったという事実があります。
(梟雄の度量として、李克用の兵勢を利用したという見方もむろんできる。恐ろしいヤツよ)
で、淮西に起こった秦宗権の乱にも、少し手を焼いていました。
(このとき秦宗権は洛陽まで陥とし二十余州を得るという、なかなかの勢力を誇ったのだけど
汴州が無事だったのは陳州の刺史・趙犨の奮戦によるところが大。
陳州は秦宗権の本拠、蔡州の隣で汴州の南に位置していた。朱温はこれを喜び姻戚とした)
朱温は秦宗権を駆逐するのに、天平軍(鄆州)の朱宣、泰寧軍(兗州)の朱瑾従兄弟に援助を求め、供に撃破した。
(朱宣・朱瑾従兄弟の兵勢はすこぶる強盛だったし、朱瑾は槊の名手として鳴り、後に淮南の楊行密から篤く遇された)
だけど、その直後朱従兄弟の陣営に難癖をつけて激発させ向こうから開戦させるようしむけた。
上記の二鎮に加え、徐州を含んだ一連の東征では、朱珍や猛将の葛従周、また龐師古などの諸将が活躍した。
しかも、康壊貞、賀懐という後梁期を担う将帥を得るに至っている。
…というようなわけで、戦術的な冴えというよりも、政略・謀略が非常に辛辣な、まさに乱世の梟雄といった感じなので、ちょっとこのスレとはそぐわないかな? と思っている。
476 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/20(火) 18:36:52 ID:lrQDmITa0
>>475
薛仁貴を入れることや郭子儀と李光弼を二人ともいれることはいつのまに決まったの?
477 ◆RQdk7scN8s sage 2007/03/20(火) 19:40:55 ID:bnRJMOjS0
>>476
決まっていない。
停滞しているよりは、先へ進もうかと。
だから暫定としたのです。異論ありなら、論拠もついでにいただけると助かりますが。
478 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/20(火) 19:44:28 ID:/Vy+AIyJ0
2週間以上スレが、この時代で止まってるわけだし>>475の案に賛成
根拠をだせば、同程度の根拠をもった論が出されるだけで
堂々巡りになってしまうよ
479 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/20(火) 20:11:44 ID:xsHWcaih0
朱温以外の七人は確定かな?
これで趙匡胤まで外されたら俺泣くわ
480 ◆RQdk7scN8s sage 2007/03/20(火) 20:15:10 ID:bnRJMOjS0
>>479
いや、元朗どのは確定でしょうが…
国華さんには難癖つけようかと、たくらみ中…
481 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/20(火) 20:55:21 ID:Dtul5wsf0
前からずっと気になってたんだけど、范仲淹は北宋だと思う
482 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/20(火) 23:23:53 ID:lrQDmITa0
>>477
だったら、確定に入れるのはやめときましょうよ。でないと私のように誤解する
人が出ますよ。
【確定】
楊素、李世民、李靖 、李勣、裴行倹、(郭子儀 or、and 李光弼)、李克用、史思明
【候補】
賀若弼、薛仁貴、(李晟 or 李愬)
こんな感じで暫定で次へというのなら賛成。
五代~北宋・遼については、確定は朱温と郭威以外は賛成。
あと遼の扱いについては、外すで賛成。あの辺りは現在の中国の範囲内であっても、
シナではないと思う。特に前スレででていた、「現在の中華人民共和国の領土内」という
範囲は無理がありすぎ。
483 ◆oOLAqFKRB. 2007/03/21(水) 15:06:12 ID:nqZJ3bEG0
李晟の事跡(李晟列伝は長いんで苦闘してた。しかし読めば読むほど名将やね)
を捜してたらいつの間にやら五代~北宋ですか。俺は遼は入れる方向に一票。
元の時代に(漢化した)契丹人が「俺らも中国人やんか!!」と騒いで国史が
編まれたわけやし、俺のスタンスは「契丹やろーが女真やろーが蒙古やろーが、
中国の史書に書かれとけば中国武将」やから。(中国の人にいきなり「アンタ
モンゴル人と同じやけん」って言ったら殺されそーやが)。それに「泣く子も
黙る」耶律休哥ほどの名将を排するのが勿体無い。おまけにここで異民族容認
を主張しとかんと次の時代で蒙古が外れる可能性大やん。そしたら南宋・金・
元では10人出せんってことになりかねんのよ、あの時代。宗沢・岳飛がおれば
韓世忠・呉兄弟・劉錡はまず出番ないし、南宋晩期になると孟珙が突出しすぎ
やから劉整とか李庭芝とか呂文煥あたりはどーしても霞む。張世傑とか論外やし。
現在の候補から孟珙と同格の存在を捜すとしたら史天沢ぐらいしかおらんが、
史天沢が中国本土で戦っとるんかどーか俺はよく知らん。
ま、その議論はちょっと先送りにするとして、
遼朝を認めてもらうべく《遼史》から戦功顕著な人物をいくつか挙げます。
蕭継先・・・遼軍の先鋒。統和2年の戦いで宋軍を叩きのめし、北府宰相となる。
韓徳威・・・タングートを破ったり西夏を降したり。ついでに楊業にも勝ってる。
耶律斜軫・・・休哥と並ぶ遼朝の双璧。高梁河の戦いで宋軍を大破。楊業を捕まえたのもこいつ。
耶律沙・・・白馬嶺で宋の将軍五人を殺す。高梁河の戦いでも休哥、斜軫とともに大活躍。
蕭孝穆・・・術烈の叛乱鎮圧に活躍。遼東を平定し“国宝臣”と呼ばれる。
耶律鋒軫・・・宋伐戦、西夏討伐に活躍。“勤国の忠君、挙は世に双ぶなし”だそうな。
あと皇帝で耶律阿保機、耶律徳光、耶律隆順あたりは名将と呼んでいいかと。
しかし金と同じで、晩期の遼には名将たりえる人物がおらんね。名将は初期に
集中。遼にも抗金の名将がおらんか捜してみたんやけど、見つからんかった。
ついでに。叩きに挙げといてなんやけど、曹彬は遼軍にかなり負けとるから、
外すとしたらまずこの人になるかね。入れ替え候補は韓琦、范仲淹、チュウ師道
あたりから? この三人、何故か南宋の候補になっとるけど、北宋です。多分
俺のミスです、ごめんなさい。
484 ◆RQdk7scN8s 2007/03/21(水) 16:43:11 ID:QAVBllUN0
>>483
おひさしです。
五代~北宋まで進めちゃいました。
(李晟伝について、自分は早々にギブアップでした。理由は長いからw ああ、でも細かいところはアップしてくださいね。頼みました)
ああ、それで「遼」についてだけど
たしかに中国の歴史において無視できない存在には違いない。だけど…
まず、絶対的な中国内地での戦いが少ない。
また占領で得た領土は維持できていない(中国内地での話。汴州、恒州などの主要地はすぐ放棄した)。
さらに初期はあくまで「契丹国」であって、漢風に国号を変えるとき、反対も多数あり
すぐもとに戻してみたり独自の文字もあるとか、ちょっと他とは色彩が異なるかと。
と、いうあたりで外そうかと。
あくまでこのスレの定義として、に限りますがね。
自説は、中国の偉大なる北朝政権というふうに捉えています。
事実、北宋は遼のことを「北朝」と呼んでいるわけだし(後晋以降そうだが)。
>>曹彬は遼軍にかなり負けとる
つうかですね、この人、あんまり戦術に輝かしいものがなくって。
なんというか、信頼される二番手、という感じで前線での戦闘指揮というより、統率者的な手腕のタイプ。
むろん、名将とは衆をうまく率いることが第一義であって、戦術など枝葉なのですが、ここでは戦術の洗練がメインです。
後蜀討伐のときも、王全斌ら主将連中が略奪に走っているときも、部下を抑えそれを為さなかったり
江南平定戦も、略奪などをさせないということでの起用という感じだった(江南国には長期的に宋を防ぐだけの軍事力は既になかった)。
ついでに。
朱温の抜ける穴には、後唐の符存審を入れたいと思います。
理由はちょっと待ってください。
さらにもう一つ。
郭威どうしようか…
名将には違いないが、柴栄や趙匡胤ほどのインパクトはないので、落とそうかと…
(歴史的意義からいえば、プロト趙匡胤ではあるけど)
官僚天国北宋の中期以降で、もちょっとなんかいないのかなぁ?
485 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/21(水) 18:41:14 ID:8Q4bMCOh0
1:土着王朝期 先秦~秦⇒西漢⇒新⇒東漢
2:浸透王朝期 魏晋南北朝~残唐五代
3:征服王朝期 遼vs北宋⇒金vs南宋⇒元⇒北元vs明⇒清
土着王朝期:支那≦夷狄
浸透王朝期:支那(と言っても実態は半夷狄)≧夷狄
征服王朝期:支那の文弱化が著しく、比較にならない。
遼:玄関に何時の間にか入りこむ。
金:↑をぶっ殺して居間に上がりこむ。
元:↑をぶっ殺して家中で暴れる。本格的にレイープするも飽きて出てく。
北元:家の周りをうろつく。討伐に出てきたアホを拉致したり、自室の扉をノックしまくって嫌がらせをする。
後金:↑をぶっ殺し、討伐に来たアホを八つ裂きにする。玄関に押し入ろうとした瞬間に最新型のセキュリティーシステムで爆殺される。
清:正式に結婚。変態的な髪型を強要するものの、最初は円満な関係を築く。途中から↓にボコボコにされ、リスペクトを失い一家崩壊。
洋夷:↑を阿片漬けにして夫婦共々輪姦。
486 ◆oOLAqFKRB. 2007/03/21(水) 20:49:08 ID:G6CLZcIJ0
少々時代の流れに逆らうけど、やっと形になったんで投下。
・・・これでも削りまくりの飛ばしまくりなんやが、二つに分けんといかんね、これは。
李晟(727-793。字は良器)
18歳で軍に入り、驍悍なこと比類なし。王忠嗣の下で活躍し、「万人の敵」と称される。
羌族の叛乱に三回出陣、三回とも大勝利を得て帰還する。
吐蕃が霊州に侵攻、これを破る。塩倉でまた交戦、捷つ。剣南で交戦、三度捷つ。
河北で田悦が叛乱、朱滔・王武俊がこれに呼応するとこれを攻略にかかる。清苑を囲んで水攻めし、
落城間近まで追い詰めるが途上で病気に倒れ、やむなく兵を還す。
病気が快癒、再び田悦討伐の準備を整えるも京師でクーデターが発生、徳宗は長安を棄てて奉天に。
詔を受けた李晟は涙を流し、一刻も早く徳宗を迎えにと急ぐも朱滔・王武俊らの妨害を受ける。
しまいには朱泚が長安で皇帝を僭称する始末で、李晟はこれらへの対応に追われる。とりあえず劉徳信と
合流、兵を合し軍士をいたわり、官軍の意気を上げる。
朔方節度使・李懐光が北上、国難に当たって李晟と合流する。李懐光の李晟に対する僻みとか嫉妬とかの
描写があるが省く。とりあえず長安を攻め、賊軍を打ち払うことに成功。李懐光の軍は略奪暴行をほしいまま
にしたが李晟は部下に民を傷つける行為を一切禁じ、民衆は李晟の庇護下で安心できた。
李懐光、完全に李晟に嫉妬。確証もなく軍法会議にかけるが逆にやり込められる。しかし李晟は李懐光を
責めず、神策軍を返上、子飼いの軍だけで以後の作戦をやってのけると約束する。
もはや止められない李懐光。ついに朱泚と手を組み、徳宗から軍権を取り上げて神策軍を私物化し、長安を
再奪還して渭橋に駐屯する。節度使・李建微、神策将軍・楊恵元らの軍を接収し、ついでに楊恵元を殺す。
李建微は脱走した。
この年、流浪の徳宗は梁州に。付き従う官員は常の十分の二、三。そこに李晟が軍を率いて救援にやってくる。
数々の官爵を授かり皇上の無事を確かめて号泣した李晟は長安回復の遅れを徳宗に謝した。
李懐光経由で神策軍を掌握した朱泚の軍は強大、対する李晟には財貨も増援もなし。しかし彼はおそれず、
その兵もまた意気軒昂、忠義をもって人心を掴んだ。奉天の将・載休顔、邠寧の将・韓遊瓌、潼関主将・駱元光、
神策軍主将・尚可孤らはもともと李晟の節度下にあったものたちで、つぎつぎ賊軍を見限って李晟についた。
三月、追い詰められて奇襲作戦ぐらいしか思いつかない李懐光だったが、旧神策軍の将、孟渉・段威勇が官軍に寝返り、
大声を張り上げたので奇襲も失敗した。
487 ◆oOLAqFKRB. 2007/03/21(水) 20:50:15 ID:G6CLZcIJ0
いまだ長安に還れぬ徳宗は南山に。渾減を李晟のもとに派遣する。李晟は渭橋で李懐光と対峙するも食糧不足により撤退。
神策軍を掌握して兵力的には圧倒的に上回る朱泚だが、士卒とともに戦う李晟の姿に将士は奮い立ち、逃亡するものは一人もなし。
擒らえた賊軍の間諜から聞き出した情報により五月三日、通化門前に布陣し、すぐに軍を返す。渾減、駱元光、尚可孤らの
軍が集う。五月二十五日、夜半。心理的に追い詰められた賊軍が城門を空けるや総突撃、大いに賊軍を破り、さらに光泰門
まで軍を進めてこれを抜く。夜党は白華に逃げ込んだ。
翌日また出兵、賊軍を切り崩す。二十八日、一斉攻撃。十回以上にわたる戦闘のすえ賊軍を破り、勝ちに乗じて自分の精鋭
百余人で追撃し、千余の賊軍を撃破、投降させた。
同日、長安に入城。「私李晟は~(以下略)」のスピーチで人心を掌握する。李晟直属の大将・高明曜が賊の娘を犯し、
司馬伷が賊の馬を私物化するとこの二名を斬り、綱紀を粛正して民衆に称えられた。二十九日、賊の李希倩ら八人を擒らえ、
斬って棄市する。
六月四日、梁州の徳宗を長安へ迎える。帝は涙を流して喜び、「天が李晟を遣わしたのは社稷万人のためであり、朕一人の
ためではない」と絶賛した。
吐蕃の宰相・謀略家の尚結賛は李晟を憎み、「唐の名将は李晟、馬燧、渾減のみ。この三人を除けばわれらの憂慮はなくなる」
として反間の計を仕掛ける。馬燧・渾減の二人は吐蕃の計略に乗ったが李晟は計略に乗らず、貞元二年十月、吐蕃の摧沙堡を
急襲して抜いた。しかし三年、巨大になりすぎた功績により軍権を奪われ、軍事顧問として朝廷にとどまることとされる。
ちなみに吐蕃の計に乗った馬燧は節度使の職を罷免させられ、渾減は単騎吐蕃の軍に突撃、将士すべてが落とし穴にはまって
陣没した。結局すべて尚結賛の狙い通りとなった。五年、徳宗の意向で長安城門に李晟の彫像が彫られることとなる。
李晟は朝廷にあっても直言諫言を吐き、建国の功臣・魏徴に比せられた。ひととなりは生真面目で寡黙、部下の小善もよく察し、
必ず賞した。反対に徒党を組んで悪事を働くような輩には才能があっても大事を任せなかった。面倒見がよく貧しい人々を救済
し、それを苦痛に感じるところがなかった。貞元九年没。謚は忠武。
・・・これで「李晟って誰?」って質問には答えられるかと。
488 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/21(水) 21:57:50 ID:zJgCj7z+0
遼や元についてですが、一つ。
岡田英弘氏によれば、東アジアではシナの正統王朝の系譜として隋→唐→宋と
続くのにたいして、全く別の遊牧民による帝国の系譜があるそうです。
それは一時は唐の太宗による突厥征服によって中華の支配者である皇帝が遊牧民
の皇帝である可汗を一身に兼ねて統一したが、すぐに分離して唐はシナのみの皇帝、
また遊牧帝国としてウイグルがおこり、その流れは契丹の遼から女真の金、そして
モンゴルの元へと流れて、フビライの時代にシナを呑みこんで、今度は逆に遊牧帝国
の可汗がシナの中華皇帝を兼ねることになったと。
だから元の脱脱が正史を編纂しようとしたときに、遊牧帝国の前代史として『遼史』、
『金史』を編み、征服したシナの前代史として『宋史』が編まれたと。
これに対して南宋遺臣の学者たちは「中華の正統は宋なのだから『宋史』だけを編めばいい、
『遼史』や『金史』は偽史だ」と批難したそうで、江南の文人楊維禎は皇帝に対して
「元がシナを支配する正統性は、本来の正統王朝である宋を滅ぼすことによって手にしたの
だから、宋を正統王朝として正史を編めばいい。遼や金はシナの正統王朝の系譜には入らない
のだから、その歴史は『宋史』の中の「契丹列伝」「女真列伝」として付録すればいい。独立した史書と
して編むなどもってのほかだ。」
と抗議の意見書を出したとか。おそらく、これが伝統的な漢民族の歴史観なんでしょうね。
489 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/21(水) 23:03:59 ID:vCJbaLmP0
>契丹人が「俺らも中国人やんか!!」と騒いで国史
「異民族に漢民族が負けるのは屈辱だから奴らを中華民族にしちまおうぜ」
っていう大陸の伝統を忘れちゃいけないと思う
遼は契丹に戻ったりして国粋派と中華派が居たし
本人達が中国の一部だと思ってたとは思えない
中国の一部だと思ってた人の資料しか残ってないが正解だろう
490 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/21(水) 23:49:17 ID:N2cKP9e/0
遼を入れる入れないの判断だけどね。
この国の扱いに関しては、他の時代を選考してきた人間から見ても
不公平じゃない基準で決定して欲しいものです。
491 ◆oOLAqFKRB. 2007/03/22(木) 01:09:27 ID:xsWdOEQZ0
>>490
一応俺も全時代(隋唐はほんのちょっとやけど)選考に関わってきた身やし、
公平を期すのは確かに大切だわなとも思うんよ。でもあの時代、遼・西夏が
北宋を散々苦しめたのは確かやし、その最たる存在、耶律休哥その他を除外
して五代と北宋だけから選考するのはむしろ不公平やないかなーとか思うん
やけど、どーでしょか? 東西両晋なんかもっとカオスやったやん。
>>489
「やつらを中華民族にしちまおうぜ」という大陸の伝統。
確かに漢民族的にはそーいう面もあったやろーけど、遼の場合は国家成立時
から実録を作って元代まで歴史を保存、内容も充実したものと評価されとる
(ただし短期間で編纂されたため不備も目立つ)から、中原志向はなかった
にしても中国的国家作りを目指していたのは確かなのではと愚考する次第
なのですが、屁理屈かなこれ。
492 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/22(木) 01:16:05 ID:G6anuSEy0
皇后自ら兵隊を率いる国家が中国的国家なのか?
493 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/22(木) 01:16:27 ID:ioFX6o4r0
遼などは蒙古や女真も含めて塞外民族名将百選みたいなのに入れたらどうだろか。
冒頓単于などのように中国を脅かした恐るべき外敵として。
494 490 sage 2007/03/22(木) 01:22:20 ID:W+1WwOUh0
>>491
遼を入れるなら、冒頓単于が100選の選考にすら挙がっていないのは
おかしな話だとも思うんですけどね。
495 ◆oOLAqFKRB. 2007/03/22(木) 01:28:54 ID:xsWdOEQZ0
>>492
中国的国家を“目指してる”途中だから、まぁ多少の無茶はあってもいいかと。
>>493
それだけは勘弁。猛将百選とか名臣百選とか、途中で停滞しとるやん。
塞外民族の武将だけで100選って絶対無理な気がするし、それなら素直に遼を
除外して先に進むほうを選ぶ。しかし遼排斥派って多いな。
496 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/22(木) 01:31:51 ID:BkrF+CUgO
>>493
そうなると異民族系王朝をどこから含めるのかの境界線に悩まなけきゃならないし
まあ一応ガイドラインは既にあるからそれを当てはめればいいでしょ
497 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/22(木) 01:32:24 ID:9E/D5ASB0
>>491
さんざん出たけど、中国王朝を苦しめたから入れろというのならアヘン戦争期の
イギリスの軍人は?となります。そこまでいかなくても、例えば楊国忠の遠征軍
を撃破した南韶などは?
もう一つ、中国的国家作りを目指していたというのなら、遼だけでなく朝鮮や
日本だってそうですよ。それだけで中国扱いというのは無理がありませんかね?
>494が言われてますが、明らかにシナの外の塞外民族まで入れるのであれば、冒頓
単于は絶対に外せない存在になりますし、明の時代には土木の変の勝利者エセン、
モンゴル国家を再興したダヤン、北アジアから中央アジアにかけて大帝国を築いた
アルタンなども中国の武将として議論の俎上に上げますか?
498 ◆oOLAqFKRB. 2007/03/22(木) 01:53:23 ID:xsWdOEQZ0
>>494
冒頓単于は確定入りしてもいいのでは? と思っとるよ、俺は。
少なくとも劉邦より将才あるやろーし。前漢は得意分野じゃないからあんまり
口出しせんかったけども。
あと後漢で烏丸の蹋頓とかも。
こいつは張遼に殺されたけど、北方でかなり幅きかせとった存在やし。
エセンとかダヤンとかティムールとかも俺的には中国の匂いがするんやが、駄目ですか?
アルタンは俺の一推し、明の馬芳にやられとるやん。これまた中国でいいと思う。
イギリスの将校たちは地続きと違うから微妙やけど、用兵手腕さえ確かならオッケーでは?
・・・なんか俺、やけくそになってる感もあるな。別に冷静なんやが。
499 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/03/22(木) 02:07:09 ID:W+1WwOUh0
>>498
最低限>>21の基準を満たしてなければ、極論すればスレ違いの
話ですね。
500 ◆oOLAqFKRB. 2007/03/22(木) 02:15:37 ID:96ebJE840
いや、別に諸兄に喧嘩売っとるわけやないから。
俺が述べたのはあくまで俺の主観であって、
違うやろと思うなら「屁理屈こくな」の一言であっさり解消するんよ?
そこまで遼に執着してないってどっかに書いたはずなんやが。
最終更新:2007年07月15日 17:27