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501 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/20(土) 00:50:31 ID:NBiHEQOO0
>>495
>孫ピンは実質将として軍を率いた
ってどこから?単に身体的な問題だというのなら、それこそわざわざ田忌を名目上の
司令官にもってくる必要もなく孫ピンをそのまま将に任命すればいい。しかし彼が任
じられたのは田忌の参謀。

あと>>488
趙奢っていつのまに確定に入っていたの?

彼は将としての才能があったのかもしれないが、実際に歴史上では将としては記録を
残していない。


502 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/20(土) 00:52:22 ID:NBiHEQOO0
あらなにかおかしなことに。

>501の最後の二行は、「~田忌の参謀」の後にはいります。


503 岩城 2007/01/20(土) 01:04:43 ID:3rKkmY6H0
>>501
でも作戦立案は参謀である孫ピンの役目だろ?
そんでもってちゃんと勝ってるし。

・・・でも将軍に任ぜられなかったってことは将に必須の指揮統率能力において
孫ピンは田忌に及ばなかった、ってことになるんかな? いやしかし入墨者(罪人の証)
を士卒の上に立たせるのが憚られたとも考えられるし・・・なんかわからんくなってきた。
>>494 悪い。擁護しようとしたがおれの腕ではこのへんが限度のようだ。苦手な時代に首突っ込むと怪我するな。


504 ◆ExdqqU82h. sage 2007/01/20(土) 01:07:42 ID:/jn8HMOr0
>>503
トリ=トリップ

名前欄に、#のあとにテキトーな文字入れて個人識別する。

ちなみに「#春秋戦国」と入れてみる。


505 ◆JEhdU3V6hU 2007/01/20(土) 01:09:57 ID:3rKkmY6H0
>>504
おお。なるほど。そんじゃ俺は#岩城でいいわけだ。早速やってみるよ。サンクス。


506 ◆ExdqqU82h. sage 2007/01/20(土) 01:11:30 ID:/jn8HMOr0
>>505
いや、バラしたらトリップの意味ないやんw
あくまであなたしか知らない「文字」入れないと、
コテハンと一緒で他人が成りすましできるでしょ。


507 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/20(土) 01:12:48 ID:wBaZAhww0
ネット初心者か……道理であれくらいの煽りで過剰反応して、スレを混乱させた訳だ
本来なら2ch初心者ですら半年間ROMってるのが優良ねらーってもんだが

トリもコテも板の最初のガイドに載ってる
聞く前に自分で調べる。ここは普通の掲示板じゃないので初心者には冷たいのです
ついでにメル欄にsageと入れればスレは上がりません



508 ◆oOLAqFKRB. 2007/01/20(土) 01:13:52 ID:3rKkmY6H0
そやね。そんじゃ、今後自分しか知らん言葉を使おう。
いやぁ、ええもん教えてもらった。感謝感謝。


509 ◆ExdqqU82h. sage 2007/01/20(土) 01:16:12 ID:/jn8HMOr0
>>507
まあいいじゃん。
数少ない(?)中国英雄ファン同士マターリいきましょうや。


510 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/20(土) 01:27:26 ID:wBaZAhww0
>>509
中国史ファンである前にちゃねらーでもあるので、溜息一つぐらいは尽きたくもなるけどな
>>508はここが中英板でよかったな。住人の質によっちゃ叩かれてたろ
次から空気嫁よ


511 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/20(土) 02:09:14 ID:XeTJqHmRO
半年ロムってろってギャグだからな?
ちゃんと理解してるよな?


512 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/20(土) 02:50:21 ID:wBaZAhww0
半年ロムはギャグというか煽りの常套句だけど
実際、2ch素人はROMから始めた方がいいのは真理だよ


513 ◆oOLAqFKRB. 2007/01/20(土) 05:11:03 ID:j4er0kts0
いや、案外ギャグと思えなかったり。
・・・あのときの俺、キレて頭に血が上ってたし。
まぁ相手にも不快感与えたし、スレ全体に嫌な雰囲気残したしで反省はしております。マジで。
ROMから、というのは一応、一年間くらいあっちこっちのスレに首突っ込んで「面白そーやなー」とは思ってたわけですわ。
そしたら「中国」「名将」で検索したらここがヒットして、こりゃ参加せねばなるまいと。
まぁ実際参加したのは後漢からだが、非常に楽しかったわけです。全時代にわたって叩き台出しから議事進行まで自分の裁量で進行できたし。
でもチョーシ乗るとあかんね。今後の戒めとして「今後キレたらスレから永久撤去」という俺ルールで自分を律しようと思っております。
まぁ、言い訳以上。


514 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/20(土) 06:45:45 ID:enTCR6aw0
コテつけてるとまたそれが原因で荒れかねないから
自己主張もほどほどにな


515 ◆RQdk7scN8s sage 2007/01/20(土) 07:16:42 ID:Kb8yrJ6o0
2年ほどにちゃんやってるが、トリのつけかたは知ろうとしなかった。
おもしろそうだからやってみる。


516 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/20(土) 09:13:13 ID:ErAzpK8oO
>>503 サンクス
まあ仕方ないよw
W孫子大好きな俺でも上手く説明できてないのに。孫ピンは記録が少ないことだし・・・
俺の知ってるかぎりでは孫ピン、ホウ涓は兵法丸暗記のまぐれ屋では無いとおもうけど・・・
あと、参謀ていうか一応斉の威王に軍師として任命されてるんだけど・・・
(最初、威王は将軍に任命したが孫ピンは自分が無実とはいえ刑余の身であることを理由に辞退している)
競馬で三回中二回勝つ方法を提示、田忌がその才能の凄さに驚き、
威王の前でも同じことをやってみせ、威王もその才能の凄さを認めたんだよ。
(競馬はあくまでも切っ掛けだからな)
あと斉の将軍であり、推挙してくれた田忌の顔を立てたんじゃないか?
孫ピンも田忌にはいろいろ恩義があるし、実力さえ試せれば地位など関係なかったと俺は推理。
さっき終わりにすると言ってまた語ったがこれで最後にするから突っ込みは勘弁なw



517 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/20(土) 11:28:00 ID:PagI/FoR0
作戦立案すればいいなら孫ピン以外の参謀も名将に入れていいのか?


518 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/20(土) 12:02:01 ID:PazvjKyM0
>>516
孫ピンが名将に上がること自体には反対はしないが・・・

>最初、威王は将軍に任命したが孫ピンは自分が無実とはいえ刑余の身であることを理由に辞退している
将軍に任命されたからといって、将軍としての実績がない以上、適正がある証拠にはならない
かつ孫ピン自身の辞退の理由が、そのまま将軍に適さない(将帥としてのカリスマ性などの欠如)ことの証明

>競馬云々の逸話
作戦立案能力の才能があるという裏付けにはなっても、将軍としての才能とは全く関係ない


519 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/20(土) 12:37:29 ID:PazvjKyM0
>>518
訂正
将軍としての才能(誤)→将軍としての統帥面の才能(正)


520 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/20(土) 13:05:36 ID:wBaZAhww0
もうこうなったら田忌の方を推薦した方がいい気がしてきた
有能な部下に支えられるのも将軍の才能の一つだし


521 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/20(土) 13:19:48 ID:PazvjKyM0
田忌+孫ピンあたり、セットで考えた方がしっくり来るケースは、2人で1人分ってのは駄目かね
孫武+伍員あたりもそういうくくりで考えるとか・・・


522 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/20(土) 13:59:08 ID:6Y2VCu6m0
楽毅
魏無忌(信陵君)
白起
李牧
王翦
呉起
廉頗
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上の7名が確定組

田忌+孫ピン
孫武+伍員
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2名組4名で2人分確定

特例を認めてもらう代わりに、この9名分で
選定終了でもいいかもしれない。
もしくは、残り1名を選定してもよいがね。  


523 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/20(土) 14:36:31 ID:PagI/FoR0
特例には反対だな
人数合わなくなるし


524 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/20(土) 14:36:59 ID:7Q2ZlK8g0
楚の荘王(熊侶)を推薦した>>457だけど廉頗が確定で楚の荘王(熊侶)が落選とは・・・orz
楚の荘王(熊侶)の軍事的功績は凄いものがあると思うぞ。
一応春秋五覇に名を列ねてるし、士会を推薦してる人もいるんだし・・・


525 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/20(土) 14:46:25 ID:wBaZAhww0
信陵君もどうなんだ?って話が出たような・・・


526 522 sage 2007/01/20(土) 15:17:54 ID:6Y2VCu6m0
あくまで、推薦してる人間の多さで絞っただけだから、
適切に修正してください。


527 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/20(土) 15:23:56 ID:oLePAn9+0
趙の武霊王も、戦闘に本格的な騎馬を導入して
秦に対抗出来るまで国力を上げたところはなかなかだと思うけど

ドウデスカネ


528 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/20(土) 16:12:33 ID:PazvjKyM0
戦国の方が圧倒的に多いし、春秋から>>457氏推薦の楚の荘王に一票
あとは戦国の候補入れ替え調整要否の議論してみては?


529 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/20(土) 16:21:47 ID:6Y2VCu6m0
>>524
荘王時代の楚の軍事功績は、確かに凄いのだが、
全ての戦いで、荘王が陣頭指揮をしていたかが、
不明瞭なのが問題ありかと思う。
荘王自身の功績が明らかなら支持する人も増え
るでしょう。出展があるならご教示ください。

これだけだと、なんなので廉頗についての説明

廉頗
秦を討ち、昔陽を取る。斉を破り、陽晋を陥とす。
これらの功により上卿に任ぜられる。
上卿になった後は、長平の戦いの防戦の後、魏を2
回、燕を3回討っている。

こう書くと割とパッとしない戦歴に見えるが、長
平の戦いで大軍を失った後も(李牧が趙の国防を
背負っていた頃と似たような勢力関係でもある。)
西に秦、東に斉という大国に挟まれた地理関係で、
趙が国を保てたのは、廉頗の存在が大きい。
(廉頗のソースはWebなので、大いに突っ込みを入
れてください)


530 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/20(土) 17:01:31 ID:yekxWgzM0
廉頗って、長平で惨敗した趙を舐めた燕王が大軍を差し向けてくるんだけど、
数倍の戦力を樂乗とコテンパンに破って、逆に燕の本土まで攻め入ってるよね

戦国趙では野戦攻城で最も働いてるし、ほぼ負けなしだけど、ただ当時の有名な
名将とは殆ど戦ってないといったあたりがマイナス要素


531 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/20(土) 17:21:37 ID:k4aCH2Ip0
レンパさん名将には全く異論なし


532 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/20(土) 21:26:10 ID:6Y2VCu6m0
伍子胥・孫武
呉王闔閭の代に小国であった呉に仕え、富国強兵を行う。
当時の中国勢力圏の3分の1ほどを占める超大国楚の首都
を奪い、滅亡寸前まで追いつめる。
次の呉王夫差の代に滅亡するまでに、春秋戦国時代におい
て、唯一と言っても過言ではないレベルで呉の名を残すま
での輝かしい功績を残す。
(夫差は国を滅ぼしているのでマイナスが大きい)

楽毅が燕を富国強兵し、斉を滅亡寸前まで追い込んだこと
に匹敵すると思う。
前スレでは、孫武は将じゃないと云う意見が多かったのが、
難点ですか。


533 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/20(土) 21:35:02 ID:/Kh3ZoCa0
魏・燕・斉を滅ぼした王賁がどうしてノミネートされてないんだ?
あと、李信や蒙武といった、
始皇帝の統一戦の名将が王翦以外に、
候補に挙がっていないのが不思議。

魏ゼン、樗里疾の宰相コンビも、十分な実績があると思う。


534 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/20(土) 21:39:20 ID:NBiHEQOO0
史書では、将とされているんだけどね。>孫武
ただそのわずかな記録をみても、孫武個人が将としてどう働いたのか、どんな功績を
樹てたのかが不明なのがいたい。
征楚戦については、どこまでが孫武の功績でどこからが伍子胥の功なのかと区分けが
出来ないってのが、この二人を評価するのを難しくしている。


535 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/20(土) 22:16:38 ID:6Y2VCu6m0
春秋は個人の軍功について記載されている資料が少ない
気がする。だから五覇などの評価が難しい。
五覇以外に司馬穰苴なども候補に挙げるくらいはしてもい
いんだけど、なかなか難しいね。

>>533
ノミネートするのであれば、その理由とともに推薦してください。

個人的には強国で、ほとんど負けしらずの時代の将は、特筆
するだけの功績がないとなあと思います。
この時代で特筆する秦将は、白起と王翦かと思います。


536 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/20(土) 23:15:57 ID:NBiHEQOO0
>>535
その理屈だと、商オウの改革前でまだ大国になっていない(小国でもないけど)秦の時代に
五カ国連合軍を撃破して対趙・魏・楚戦で活躍、負け知らずの樗里疾などは確定入り?

>>533
そのあたりは、活躍した諸将の代表としてって面もある。


537 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/20(土) 23:21:38 ID:7Q2ZlK8g0
>>529
楚の荘王(熊侶)について
晋と激突したヒツの戦いはもちろん、戎の討伐、鄭を多数回、宋・陳・蕭・庸・百濮・舒蓼など
数々の戦闘に出陣、策をねったのは荘王自身。
春秋五覇のなかで政治家、軍人として、最も才能を発揮。
「鳴かず飛ばず」の逸話がしめすように、非常に才知に富み、ある意味狡猾でさえある。
荘王については史記・左伝・荀子などを見てくれ。



538 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/20(土) 23:23:36 ID:7Q2ZlK8g0
樗里疾について援護。
樗里疾(チョリシツ)は生来滑稽(円転自在)で、知恵はたくましく、秦人は彼を智嚢(ちえぶくろ)とあだ名した。
B.C.330樗里疾は右更(爵14等)に任じられ、魏の曲沃を討ち、邑民をことごとく追い出し、その地を秦の版図に入れた。
B.C.318樗里疾は秦恵文君の命で、韓・趙・魏・燕・斉の連合軍を迎え撃ち、
これと修魚に戦って、韓将申差を虜にし、趙の公子渇、韓の太子奐を破り、首を斬ること八万二千に及んだ。
B.C.314樗里疾は魏の焦を攻め降し犀首を走らせ、韓の岸門を破り、首級一万を斬った。
B.C.313趙を攻め、趙将荘豹を虜にする。
樗里疾は甘茂を恵文君に推挙し、恵文君は甘茂を将軍に取り立てた。
B.C.312楚が韓を攻めたため、秦恵文君の命で韓を助けて楚を討ち、魏章を輔佐して楚将屈カイを破り、
漢中を取った。その功で封じられ、厳君と号した。
B.C.309秦が初めて丞相を置き、樗里疾は甘茂とともに丞相となり、右丞相に任じられた。
B.C.308樗里疾は韓に出て、韓の宰相となった。このとき戦車100乗を仕立てて周に入国した。
周王赧は護衛兵を出して迎え、
すこぶる敬意を払った。
武王が没すると、昭襄王が立ち、樗里疾はますます尊重された。
B.C.306樗里疾は再び秦の宰相となった。
秦人の諺に「力は任鄙、智は樗里」というのがある。

廉頗は確定でいいんじゃないか。



539 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/20(土) 23:38:55 ID:PazvjKyM0
>>536
樗里疾はもろに商鞅の改革後でしょ?
直後だからまだ効果が出てくる前だっていう意味?


540 535 sage 2007/01/20(土) 23:45:42 ID:6Y2VCu6m0
>>536
>>535の下3行は個人的な意見ですから。

樗里疾もそうですが、司馬錯も秦が強国になる
軍事的契機を作ったとも言えますね。
両者共に有力な候補でしょう。

>>537
楚の荘王自身の軍功であるなら、こちらも有力な
候補でしょう。

しかし、この3名を候補として決定することについて
は、他の方の意見を採り入れた方がよいと思います。


541 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/21(日) 00:12:59 ID:TkCHJ8kI0
>>533
ノミネート理由
王賁 魏・燕・斉・代を滅ぼした。
蒙武 王翦の副将として、楚・越を滅ぼす。
李信 遼東で燕王を捕らえる。王賁の副将として、代、斉を滅ぼす。

魏ゼン 魏の河内を攻略し、六十余城を落とした。
     魏将芒卯を破り、魏都大梁を包囲した。 
     魏を討ち、暴鵞を破って首級四万を斬り、三県を奪った。
     白起や胡傷とともに三晋を攻め、魏将芒卯を破り、
     首を斬る事十万。魏の巻・蔡陽・長社・趙の観津を取った。

樗里疾は上で言及されてるからいいかな。


542 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/21(日) 00:13:03 ID:xxt+W++A0
途中経過を書いておきます。

確定組(でいいですよね?)
楽毅 白起 李牧 王翦 呉起 廉頗

審査中

樗里疾
司馬錯
楚の荘王
伍子胥
孫武
魏無忌(信陵君)
趙奢

伍子胥・孫武は、その実態が分かりづらい。
魏無忌・趙奢は、対秦戦の勝利とはいえ、
一発屋との見方あり。(趙奢には対斉戦で
の功績もありますけどね)


543 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/21(日) 00:57:02 ID:jwJnnNVX0
武霊王は無視ですかそうですか


544 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/21(日) 01:12:39 ID:xxt+W++A0
武霊王自身の軍功を挙げて推薦してくださいな。


545 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/21(日) 01:21:38 ID:MtB0GBoT0
武霊王…胡服騎射と中山国を滅ぼしたくらいかね?あと北方に領土を拡げた。
武霊王の初期には趙は秦に負け続けなんだが、これはまだ幼君の頃だしな。
まあ、趙奢よりは有力な候補じゃないかと個人的には思う。


546 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/21(日) 05:17:17 ID:HsOq6oJZ0
>>537楚の荘王(熊侶)について投下。
楚軍が鄭軍を討ったとき、鄭は陳と共に楚への服従を誓う盟約を交わしたが、
すぐさま晋が鄭へ圧力をかけたため、鄭は楚に背いて晋に屈した。
まさに「日の出には楚へ隷従し、日の入りには晋へ平伏す」
といったどっちつかずの外交策で、両国から怒りを買っていた鄭の裏切りに激怒した荘王は
紀元前597年、大軍をもって鄭都を包囲。
三ヶ月の攻防の末、晋からの援軍も期待できないと万策尽きた鄭伯襄公は降伏した。
楚では降伏してもいつ裏切るかわからない鄭など滅ぼしてしまった方がいいという家臣もいたが、
荘王は鄭の存続を許し、器量のあるところを見せた。
絶纓の会の時、后の着物に悪戯をした蒋雄に対し機転を利かせ不問にした。
それに感激した蒋雄は荘王が秦に囲まれピンチに陥った時、命を張って荘王を助けた。
器量の大きさはプラスαにならないか?



547 ◆oOLAqFKRB. 2007/01/21(日) 06:45:58 ID:OFEn38vU0
これまで伍子胥を推してたわけだが、
孫武と伍子胥はどっちかに一本化したほうが有利かも分からんね。
俺はエピソード的に伍子胥の肩持ちなんだけど、総じてみると自ら軍事理論を構築し、
実戦でそれを証明して見せた孫武に託したほうがいい気がしてきた。
伍子胥は夫差を諌めすぎて自刎させられてるし、孫武はその辺どうなんやろ? 身を全うしたのかな?


548 ◆oOLAqFKRB. 2007/01/21(日) 08:05:33 ID:OFEn38vU0
時間空いたけど連投。趙の武霊王に対抗してこの人を。
【秦の繆公】
即位後間もなく、自ら兵を率いて茅津を伐ち、勝った。
賢臣・百里奚と蹇叔を獲る。
某年秋、自ら将として晋を伐ち、河曲で決戦、戦勝。
驪姫の乱を避けて秦を頼った夷吾を保護、百里奚に軍を率いさせ夷吾の入晋を助ける。
夷吾は晋公となった暁には「八城を割いて秦に献上する」と約束したが、
位に就くと約束を反故にし、使者を殺した。丕豹はこの背信に乗じて晋を撃つべしと主張したが、
繆公は「晋君と百姓は心が通じ合っている」としてこの件を不問に付した。ただし心の中で丕豹の言を重用した。
繆公十二年、旱のため食糧を求めた晋に、「夷吾は敵だが晋の百姓に罪はない」として食糧を与えた。
二年後、今度は秦が飢饉となった。これに乗じて晋軍が攻め寄せたが、繆公は丕豹を将として自らも親征し、晋軍を潰走させた。
退却する晋公を僅かな麾下とともに自ら追ったが逆に晋軍に囲まれ、負傷。しかし「三百野人」に助けられて危機を脱し、晋公を捕らえるにいたる。
周室から同姓の晋公を殺さないで欲しいと嘆願され、妻にも頼まれたので処刑は取りやめ、国に帰した。かわりに河西の地を割譲させた。
繆公二十四年、晋の公子重耳を晋君として擁立した。
翌年秋、晋文公とともに周の襄王を助けて出兵、王弟・姫帯を伐ち殺した。
二十八年、晋文公を助けて鄭を囲んだが、「晋が強くなるのは秦の憂いです」というものがあり兵を退いた。
のち百里奚の諌めを無視して百里視、西乞術、白乙兵らを鄭に遠征させたが敗北、
しかしその罪をとがめず、責任は賢臣らの意見を聞かなかった自分にあったとして不問に付し、自らを律した。
戎王の使者・由余が賢明であることを知り、戎王を堕落させるために女楽を送った。
三十六年、百里視らを将として秦を撃たせ、百里視らは雪辱に燃えて勇躍奮戦し、大いに敵を破った。
三十七年、由余の策に従って戎王を伐ち、十二国を併呑し、領土千里を開いて、ついに西戎の覇者となる。
人望が厚く、死後秦人は「黄鳥を歌う」の詩を作って英霊を称え、殉死するもの百七十七人にのぼった。
・・・将軍に任せてることも何度かあるけど、たいていの場合親政して勝ってるので名将といってよいかと。
この段階で候補増やすのもなんだし、審査落ちでもいいけど。


549 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/21(日) 09:46:12 ID:QYD6D4jYO
>>547
>孫武は~身を全うしたのかな?
孫武は空気を読み、平和的に隠遁し、太湖のほとりあたりで静かな余生を送り、
兵法書を纏め上げたのだろうと推測してる専門家もいるけどね!!
俺もそうじゃないかなと思うな。
史記には「呉が、西方の雄、楚を破り、北は斉や晋を脅かし、
天下に名をとどろかせたのは、孫武の働きによるところが大きい」と記されてるし、
事実、江陵にあった楚の都を陥落させてる。
それを考慮して俺も伍子胥より孫武を推すよ。
あの情勢を読む鋭さ、優れた統率力と戦略戦術は侮れないものがあるし。


550 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/21(日) 10:25:32 ID:xxt+W++A0
孫武と伍子胥について補足
楚の荘王が、近隣の小勢力を吸収して確立した
版図を(その勢力から云っても凄い功績ではある)
それまで歴史上で名前すら出てこなかった小国が
滅亡寸前まで追い込んだわけで、楚の荘王より
功績で上回ると思う。


551 ◆oOLAqFKRB. 2007/01/21(日) 12:26:46 ID:OFEn38vU0
士会についての推薦文、
周室の内乱平定の功労者。呉の荘王に勝利した唯一(じゃなかったわけだが)の将軍でもある。
これだけじゃあまりにも根拠薄弱なので、春秋紀伝引っ張り出して補足。
ただし古い漢語はわからんので訳は適当。台詞とか政事駆け引きの部分は無視してとりあえず戦功だけ書いた。
【士会】
通称范武子。濮城の戦いでは若年ながら帷幄に参与し、晋軍を勝利に導いた。
趙盾が政変を起こして霊公を立てると先蔑とともに秦に亡命、将となりしばしば晋軍を破って、晋人を悩ませた。
秦将賈季とともに西戎を撃って功あり。
晋には士会とまともに戦える将がなく、中行桓子の提案で彼を晋に引き戻す策を講じた。
いろいろあって(このあたり難しくて読めん)帰国するも、趙盾を嫌いこれを患う。
景公元年、楚が鄭を伐つと上軍の将として出陣、鄭を救う。
同三年、再び楚が鄭を犯したときには楚軍を覆滅して鄭を救った。
邲の戦いで晋軍は楚に大敗、さらに七度戦い七回敗れたが、ただ一人士会率いる上軍だけは敗北を知らなかった。
七年、赤狄を撃破。
周室の動乱を平定、周の典礼に倣い晋の国法を定める。
八年、郤克が斉に赴き、笑いものにされて帰ってきた。その怒りは凄まじく、
なにがあろうと斉人を討ち滅ぼさねば気がすまない、という体であったので、士会は自ら上軍の将を降りて郤克に譲った。
その後も晋の重鎮として「晋に范武子在り。才徳諸卿に冠す」と称えられる。
権力に阿らず、人生における進退の潔さを特筆されている。
・・・こんなもんで少しは復権したかなと。


552 ◆oOLAqFKRB. 2007/01/21(日) 12:53:02 ID:OFEn38vU0
>>551
訂正。前置き文にある呉の荘王に~は楚の荘王ね。呉の荘王って誰やねん。
で、士会が荘王に大勝ちしたのは景公三年の鄭救出戦のとき。
荘王とは晋国七連敗のときにもぶつかってるんかな? そこまで書いてないからわからん。



553 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/21(日) 12:53:07 ID:HsOq6oJZ0
孫武は確定でいいんじゃない?
あとは楚の荘王(熊侶)樗里疾、武霊王、王賁、蒙武、
李信、魏ゼン、秦の繆公、士会を推す人がいるし、審議中という感じか?
魏無忌(信陵君)、趙奢は一発屋だという意見も出てる。
俺も魏無忌(信陵君)が名将?と前スレから思ってた、任侠を貫いた人物としては高く評価するが・・・


554 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/21(日) 13:44:53 ID:gOsZQHg40
墨家集団まるまるっと含めるなら墨子もいいんだけどな


555 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/21(日) 14:13:18 ID:xxt+W++A0
墨子は、個人的には軍を率いた将っていう気がしないなあ。

孫武が確定で、残り3名だとして、中では、楚の荘王が一番、有力
だと思う。
それと秦将を推薦してる人は、候補に挙がってる秦将の功績を
格付け(というか順位づけ)してくれないだろうか。


556 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/21(日) 14:47:22 ID:HZxitqQH0
墨子よりは荘王だよなあ・・


557 ◆oOLAqFKRB. 2007/01/21(日) 16:13:43 ID:EuPDMnAs0
トップは荘王として、二番手あたりで士会、こんかな?
一応荘王に大勝した男だし。
まぁ勝利したっていっても戦略的歴史的にそう大きな意義がある戦いじゃなかったし、
荘王としても楚の国力がダウンしたわけでなし、負けたからって大した瑕でもないわけだが。
それでも一応勝ちは勝ち、っつーことで。敗戦記録を見落としてるのかも知れんがなんとなく生涯無敗っぽいし。


558 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/21(日) 17:57:01 ID:jG5A6EKT0
>>557
士会については二番手評価は疑問、推薦してる人が多数いるようには見えないのだが・・・
敗戦は、公子雍を秦から迎えるときに趙盾に負けて亡命してるのがあるかも
士会の場合、正卿で全体の指揮権持った戦闘は赤狄討ったのと周室の乱くらい?
鄭の救援のときは正卿前だから上軍の将の時代で上軍だけの派遣で、
楚の軍もそれに応じた少なさだった=本格的な侵攻ではなかったと思われる
間違いなく名将ではあるのだが、時期に恵まれなかったという気がする


樗里疾の方が領土拡大や撃破した敵の規模の面で士会よりは上じゃない?
商鞅の改革以後、秦が一大強国にのし上がって統一に至る流れを決定付けた意義は大きい
司馬錯も蜀平定その他の功が多いけど、樗里疾で代表させるってことでどうか


>>541
蒙武は王翦の副将だし、王翦確定してるので不要
もし候補に上げるなら親父の蒙ゴウの方がいいんでないのかな(信陵君の連合軍に負けてるけど)

李信は楚を攻めるとき20万で十分と大言吐いた挙句、
項燕に大敗して王翦に尻拭いしてもらってるのが駄目すぎ
始皇帝に最初から20万で攻めろといわれて負けたんなら情状酌量してもよいだろうが・・・

王賁は確かに功績多いのだけど、秦統一の最終局面で楚以外は勝って当たり前の相手
楚の攻略のときに名前が全く挙がらないあたり、親父の王翦にはかなわない
王翦に功績が集中しないように、っていう配慮で任されてた面もある


559 ◆oOLAqFKRB. 2007/01/21(日) 18:08:15 ID:GwbYllVo0
確かに士会推してるのは俺一人(多分)。
実際士会は領土拡大一切してないしなぁ。
本気の大軍を動員した荘王を完膚なきまで倒したとかあればもうひと踏ん張りできるんだが、
ここは涙を呑んでもらうかな。


560 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/21(日) 18:12:53 ID:HsOq6oJZ0
>>522
B.C559が晋についた為、荘王が鄭を討つ。晋の士会が鄭を救援、楚軍は 水の北で撃退された。
楚の荘王の唯一最高の宿敵・士会は中国史を代表する天下無双の大軍師。
戦略と戦術に於いて桁外れに天才的なセンスを持ち、政治家としてのバランス感覚も絶妙。
当初こそ趙盾とのイザコザで秦に亡命したモノの、イザ晋に復帰するや、
常に晋の要として大活躍。晋・楚の対決ムードが高まる中、周辺諸国を圧倒したのは勿論、
疾風怒濤の北進を続けていた楚・荘王さえもボッコボコに打ち砕いた程。
(荘王に敗北の味を教えたのは、只一人、後にも先にも士会だけ!)。
郤缺と共に晋を覇者たらしめ、中原の覇者としての毅然とした態度とプライドで
楚の侵攻を抑え込んだ手腕は見事の一語に尽きるだろう。
、軍事・政治・外交に持ち前のバランス感覚を十二分に発揮し続けたのだった。
そして、後世、人々は士会のコトを懐かしみ、慕い、彼のコトをこー評価した。
「晋の歴史上、士会こそが最高の宰相である!」と。
逆に言えば楚の荘王は士会以外に生涯負け無しってことになるな。


561 ◆oOLAqFKRB. 2007/01/21(日) 18:18:42 ID:GwbYllVo0
おお、士会推してる人俺のほかにもおった。
しかも文体が熱い!! すぐ淡白に諦めた俺とは偉い違いだわ。


562 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/21(日) 18:19:44 ID:3jZN/82mO
あまり熱すぎると周りは引くから注意


563 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/21(日) 18:23:55 ID:jG5A6EKT0
>>560
すまん、俺には宮城谷昌光小説の過剰な主人公補正に毒されてるようにしか思えない
つかほとんどttp://www2s.biglobe.ne.jp/~ko-ba/rekisi/aki.11.htmのNo.212のコピペだな


564 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/21(日) 18:27:24 ID:HsOq6oJZ0
スマン>>552の間違いだ
俺は士会より樗里疾を推すよ。
士会の評価を書いたのは別に擁護したんじゃなく、公平な評価を述べただけだし、
判断はみんなにまかせる。


565 ◆oOLAqFKRB. 2007/01/21(日) 18:32:12 ID:GwbYllVo0
<ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~ko-ba/rekisi/aki.11.htmの212のコピペ
見てきた。ホントにまんまやん。同じ人が書いてるとかと違うんかな? 別の人がパクッとったらまずい気がするが。


566 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/21(日) 18:42:07 ID:jwJnnNVX0
>>563
と同じく またミヤギタニ信者か と思ってしまった
やっぱりこぴぺかよ


567 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/21(日) 19:07:26 ID:xxt+W++A0
残り枠では、楚の荘王と樗里疾が1歩リードってところかな。
もう1名は、士会・司馬錯ってところ?
個人的には、伍子胥を入れたいけどね。評価が難しいから
仕方がないね。


568 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/21(日) 19:24:13 ID:jG5A6EKT0
途中経過ってこんなもんかな?

確定組
楽毅 白起 李牧 王翦 呉起 廉頗

確定への格上げ有力
楚の荘王 樗里疾 孫武

審査中候補
士会 司馬錯 伍子胥 魏無忌(信陵君) 趙奢 趙の武霊王

ノミネートあり
王賁 蒙武 李信 魏ゼン 秦の繆公

あといつのまにか消えたけど孫ピンは結局落選?


569 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/21(日) 19:50:04 ID:Vd7zrGzN0
なんか時代別にスレ分けしたほうが良くない?


570 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/21(日) 19:58:35 ID:xxt+W++A0
>>569
春秋戦国は、もう少しで結論が出そうなので、
その時点で時代別にスレ分けするかを決めても
いいかも。


571 ◆oOLAqFKRB. 2007/01/21(日) 20:08:21 ID:GJB0bUMX0
【秦の繆公】
推薦理由は>>548を。
それまで西戎の一国に過ぎなかった秦を西方の雄に発展させ、
秦が覇道を邁進する原点となった人物。度量も広けりゃ戦も上手い、
一代にして西方十二国を征服し千里に渡る領土を手に入れたというだけでもかなりの武功。この人はほとんど毎戦親征してるし。
せめて趙の武霊王の対抗馬として候補の端にでも昇格させたいものだが、ノミネートで終わるか?
・・・なんか俺、ここんところ標準語と地元言葉がごっちゃになってるな。なんか変な感じだわ。特に問題ないけど。


572 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/21(日) 20:48:33 ID:nUcG41zMQ
韓信と范蠡


573 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/21(日) 20:58:47 ID:gyfAVt37O
士会を推してる人に質問なんだけど春秋紀伝って何?
左氏伝や公羊伝や穀リョウ伝なら知ってるんだけど初めて聞いた資料の名なんで。
決してあげあしをとってるんじゃなくて興味を持っただけなんであしからず。


574 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/21(日) 20:59:30 ID:jwJnnNVX0
人数少ないせいか一部の人の意見で決まってしまいそうだね・・
そういう趣旨のスレだから仕方ないか


575 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/21(日) 21:20:30 ID:xxt+W++A0
>>574
他の時代好きな人に迷惑になるから、早めに結論を
出したいけど、そうすると参加出来る人数が少なくの
は自然の理ですからね。


576 奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. sage 2007/01/21(日) 21:58:34 ID:DMPP2ctk0
敗北後の処理が上手いってことで宋の目夷とかダメ?


577 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/21(日) 22:01:39 ID:wnmWhe3W0
>>1-4
中国、チベット、南モンゴル、東トルキスタンの征服者”毛沢東”を追加して下さい。


578 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/21(日) 22:19:50 ID:jG5A6EKT0
>>576
史記世家とか読む限り、名相としてならまだしも、
名将としてはお話にならないかと・・・
具体的な将軍としての業績って記述できます?


579 奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. sage 2007/01/21(日) 22:24:54 ID:DMPP2ctk0
>>578
具体的にできないから取り下げる。


580 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/21(日) 22:41:08 ID:QYD6D4jYO
>>577
定義から外れてるから毛沢東は既に却下されてるけど・・・
前の方のレス読んだか?


581 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/22(月) 00:46:43 ID:U+5x+ObUO
いつになったら漢代の話題に入るの?


582 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/22(月) 01:36:01 ID:cmKvu9yN0
紀元前、紀元後1000年まで、近代までの3つに分けたほうがいいんじゃない
30人 40人 30人ぐらいな感じで


583 ◆oOLAqFKRB. 2007/01/22(月) 02:42:23 ID:w0A3XmI+0
>>573
春秋紀伝
24史外編っていうシリーズ内のひとつ。ホントは専攻の宋史新編だけ欲しかったんだけど、
分売不可だから30万出して全158巻まとめ買いした。
春秋紀伝は読んで字のごとく、春秋時代の人物を紀伝体で綴ったもの。史記にはない記述やら人物やら載ってるけど
文体がえらい古い漢語なうえ影印本で字が読みづらかったりする。あとなぜか呉の項に孫武が載ってない。
史料価値はまぁ、中の上ぐらい? もっと読みやすかったら評価上がるんやけど。
レスがずいぶん遅れてすいません。8時ごろから寝てました。


584 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/22(月) 06:58:31 ID:0KGaXbt90


長期経済予測データ

日本VS●●
http://qwe125mn.hp.infoseek.co.jp/11.html

2ちゃんねらーが言ってた事は外れたね。





585 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/22(月) 10:56:56 ID:orV0d1EE0
気になったけど、>>538もサイト記事の丸々転載なんじゃ?


586 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/22(月) 11:24:49 ID:Waw8X6NI0
>>582
時代ごとの武将数に偏りが無いようにという本スレの趣旨を無視したレスだな。
前スレで時代区分を散々話し合ったのを知らんのか?


587 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/22(月) 11:48:17 ID:RHtWmefzO
>>585
樗里疾を推薦してる人が詳しい功績を示さないから
功績をサイトから流用して貼っただけじゃない?
援護って書いてるし。


588 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/22(月) 15:14:52 ID:mZfeztZgO
素人に質問させてください
白起と王剪ってどっちが名将としての評価高いの?


589 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/22(月) 18:37:01 ID:RHtWmefzO
孫武の功績とその後
孫武は楚の需要拠点である舒と六の二都市を占拠。
慌てた楚は勇猛な武将に精兵を率いさせ反撃に出たが、孫武の作戦は一枚上手で逆に殲滅させる。
孫武が呉に凱旋すると占領地は敵に取り返されるが、孫武が出撃すると楚軍はいつも撤退。
そんなことを数年の間に五回以上も繰り返す。
闔廬七年、預章の戦いで孫武は楚の大軍を完膚なきまで打ち破り、楚の都、郢に迫った。
その為に楚の昭王は都を捨て楚の属国である隋に逃亡、呉軍はついに楚の国都、郢に入城。
その二年後楚が水軍を率いて呉領に侵入、それに対し孫武は水軍を編成、
長江で楚の水軍を大破させ楚軍は壊滅、敗残兵を長江北岸へ敗走させた。
次期君主の夫差の早々と器量を見切り、闔廬や伍子胥の説得を退け引退を申し出た。
それを承諾した闔廬はこれまでの功績に対し孫武に富春の領地を与えた。
それ以後、孫氏一族は代々富春で細々と兵法を教え暮らす。

以上、呉越春秋、左伝、戦国策より抜粋。


590 ◆zxnMrUfNeg sage 2007/01/22(月) 19:59:13 ID:nlNMNz8o0
どうも>>488です。

【確定】
楽毅   魏無忌(信陵君)  白起   李牧   王翦

呉起    廉頗    孫武   士会


【候補】

趙奢   ☆伍員(子胥)   夫概   ☆樗里疾   

趙無恤   王子成父   先軫   ☆楚の荘王(熊侶)

蒙ゴウ   司馬錯   趙の武霊王   秦の繆公

王賁   蒙武   李信   魏ゼン   

魏無忌(信陵君)は、すでに確定です。
自ら率いた兵で秦を2回も敗走させて、その内一回は
候補にも挙がってる蒙ゴウを破っています。
五カ国の兵をまとめるのも大変な統率力だと思いますよ。

孫武と士会を確定に挙げてみました。どうでしょう?

孫武が名将であるということは、比べることは出来ませんが
誰もが認めていることだと思います。

あと士会は推挙されている方の説明通りの功績と、
候補に挙がっている楚の荘王を敗走させています。








591 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/22(月) 20:21:57 ID:91PvwxQk0
白起が指揮してたら信良君は脱糞して敗走してたと思う


592 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/22(月) 20:55:02 ID:rttp9XS/0
信陵君が他の確定組と戦って、勝てる気がしないんだよね。
士会も同様。戦績が少ない。


593 ◆zxnMrUfNeg sage 2007/01/22(月) 21:04:57 ID:nlNMNz8o0
人にはジャンケンみたいに相性があったりしますからね
実際にどうだったかはわかりませんよ?

白起だって廉頗の長期戦を嫌って謀略で更迭させてますからね。
信陵君が名将じゃないというのなら、信陵君がいようがいまいが
秦は白起で趙や魏を滅ぼしてるはずでしょう?
蒙ゴウは、候補にも挙がらないということですか?




594 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/22(月) 21:21:46 ID:rttp9XS/0
>>593
>信陵君が名将じゃないというのなら、信陵君がいようがいまいが
>秦は白起で趙や魏を滅ぼしてるはずでしょう?
白起がその凄まじい勝ちっぷりのわりに秦の領土を広げられなかったのは、
上に立つ宰相魏ゼン(この人、将軍としては本当に有能なのだが)の無定見によるところが大きい。
長期的な展望に立って、白起をコントロールできる指導者がいたら、
趙も魏もとっくの昔に滅んでいたと思う。

>蒙ゴウは、候補にも挙がらないということですか?
蒙ゴウは名前が挙がっているだけで、議論の対象にはなっていない。
荘王、樗里疾らの有力候補とは一緒に考えないほうがいい。


595 ◆zxnMrUfNeg sage 2007/01/22(月) 22:03:28 ID:nlNMNz8o0
>>592>>594
士会が外されるとなると、楚の荘王もはずされますよ。

それに、今まで確定に入ってた人を1日や2日で
外してしまうのもどうかと思われます。
白起を対象にしていますが、それは無意味な議論です。

思うのであれば実際に戦わせてみてください。
ifではなく、実際に起こった事象によって選択されるべきです。
蒙ゴウはここの候補に挙がっているんです。
その蒙ゴウに勝ったという事は、ここでの判断は
その候補より優秀ということです。
士会も同様だと思います。
確定組みと比べるのではなく候補の中で比較するべきです。








596 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/22(月) 22:18:15 ID:jlqAqn7WO
>>595
つまり周瑜を外すなら曹操は外れ、どちらか一方なら周瑜を優先させる、という事?


597 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/22(月) 22:24:20 ID:rttp9XS/0
>>595
>確定組みと比べるのではなく候補の中で比較するべきです。
確定組と遜色ない人物を選ぶためには、
確定組との比較も重要だと思うが。

あと、あなたは蒙ゴウが候補に挙がっていることに
随分執着しておいでのようだが、
上で述べたとおり、蒙ゴウは名前が挙がっているだけで、
議論の対象にはなっていない。
他の議論の対象になっている候補とは、分けて考えるべき。


598 ◆zxnMrUfNeg sage 2007/01/22(月) 22:26:35 ID:nlNMNz8o0
>>596
じゃあどうやって比較するの?


599 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/22(月) 22:31:58 ID:rttp9XS/0
>>598
打ち破った敵の強さ、勝利の数、切り開いた(守り抜いた)領土の大きさ、
などなど。

信陵君、士会は上記の点において、
荘王、樗里疾に大きく劣っていると思う。


600 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/22(月) 22:38:07 ID:7uObMFPV0
>>590
孫武は>>589が孫武の功績をバッチリ挙げて来てますから確定でいいと思います。
なんか揉めてますが俺は楚の荘王に一票入れときます。


601 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/22(月) 22:50:58 ID:tkiMh9I3O
>>583ありがとう、そんなもんがあったんだ初めて知った。
出来れば著者と制作年代も教えてもらえますか。かねがねすいません。
士会はその功績を見れば十分名将なんですが、領土を広げたわけでもなく、彼の軍事行動が時代を変えたわけじゃないのがつらいですね。


602 ◆zxnMrUfNeg sage 2007/01/22(月) 23:00:56 ID:nlNMNz8o0
それでは春秋戦国時代確定は下記の通りでよいですか?

【確定】
楽毅   楚の荘王  白起   李牧   王翦

呉起    廉頗    孫武   士会  樗里疾

今日のところはこんな感じでまとまってますね。

>>599さんの評価で行けば、魏ゼン 秦の繆公あたりで
異論が出ると思うので数日待ちませんか?
異論が無ければ確定ということで次の時代に進みましょう。



603 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/22(月) 23:03:04 ID:u35ztlRSQ
てか孫武はなんで確定じゃないんだ?
そうとう凄い戦績だと思うが


604 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/22(月) 23:06:32 ID:rttp9XS/0
>>602
いいんでない。


605 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/22(月) 23:14:38 ID:FHy+B08r0
結局士会入ったんだ。うーん・・


606 ◆zxnMrUfNeg sage 2007/01/22(月) 23:35:14 ID:nlNMNz8o0
>>605
一応、推薦人は多いよ。
不公平にならないように、推薦人の多い人物で議論したつもりです。

信陵君は以前確定組、士会は現在のところ推薦される方が複数居る。
ですから、今居る人たちの好みだけで決まったのではいけませんからね。

好みだけで言えば、趙の武霊王を入れたいですよw
当時、騎馬といえば戦車が主流だった時代に本格的な騎馬術を
中華にもたらして異民族の脅威をなくし秦に対抗できる
軍事力を趙に持たせた人ですからね。
だからといって、戦績は楽毅や廉頗に比肩するとは言えません。
その点が残念でならない。



607 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/22(月) 23:52:21 ID:2VzgALeH0
>>606
「歴史に与えた影響」でいけばまず外せない存在なんですけどねー>武霊王

個人的には、士会を外すのに一票。決して一発屋というわけでもないのだが。
ただ、じゃあ変わりに誰をと言われると推薦に困る。武霊王は悪くない選択
かも。中山国を滅ぼし西北に領土を拡げたという実績もある。

残り9人は賛成。しかし戦国時代に偏ったな。まあ春秋は史料の問題もあるから
仕方ないのかもしれんが。


608 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/22(月) 23:52:37 ID:BosB3UtM0
とりあえず、春秋戦国時代は>>602で確定で良いんじゃないかね。

次の時代に移る前に、各時代でスレ立てするかを決めないか?
後代の人は大分、待ちぼうけしている模様だし。


609 ◆oOLAqFKRB. 2007/01/23(火) 00:05:11 ID:RD0UY7LC0
>>601
春秋紀伝について追記。
清の李鳳雛著。・・・清なんだ、えらく文体が難しいから相当昔の人が書いたもんやと思ってた。

帰ってきたら士会が入選? 
推していた身としては嬉しいが推薦人俺一人だと思ってたんでちょっと複雑。
領土拡大してないし歴史を変えた一戦に参加したわけでもないし、そんなに優遇しなくてもいいかな~とか半分諦めてただけに。



610 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/23(火) 00:08:48 ID:6ijFD4ux0
そろそろ次の時代へ移っていいのかな?
まっ、俺は元と明が専攻なんで、
まだまだ議論に加われないわけなんだが・・・


611 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/23(火) 00:13:13 ID:KM4omg4yO
>>608
変にスレを分散させるとややこしくなると思うんだけど
個人的には現状維持でいいと思う


612 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/23(火) 00:13:14 ID:p+wkYiLJ0
信陵君外れたのかよ、がっかりもいいところだ
5ヶ国の連合軍を率いるなんて相当の名声がなきゃできないことなのに一発屋扱いか


613 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/23(火) 00:18:23 ID:6ijFD4ux0
>>612
名声≠将器


614 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/23(火) 00:23:00 ID:p+wkYiLJ0
5ヶ国の連合軍を指揮できたのは紛れもなく
当時信陵君に並び立つ将器を持った者がいないとされたからだろうに



615 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/23(火) 00:28:59 ID:KnZjDsvl0
信陵君の将器ってのは劉邦のそれと似てる気がしないでもない。
実際に兵を指揮するより、将の将たる指揮に長けていたのでは
ないかと。


616 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/23(火) 00:30:10 ID:ZbyiMUzQQ
韓信、項羽、蒙恬、章邯、項梁、彭越、英布、


617 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/23(火) 01:02:01 ID:OHl5x/oWO
士会を外すなら田単を推す
つうか一回も議論の話題に出てないんだな


618 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/23(火) 01:09:37 ID:6ijFD4ux0
折角結論が固まってきたのに、また蒸し返すの?
まぁ、納得いかない人がいるのなら、とことんまで話し合ったほうがいいんだろうけど・・・
こりゃ、マジでスレを分散させたほうがいいかもな。


619 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/23(火) 01:17:55 ID:KnZjDsvl0
春秋戦国で異論がある人は、統一秦~前漢時代が
決まるまでに、意見をまとめておいて、統一秦~前漢
時代が決定した後に、書き込みすれば良いんじゃない?


620 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/23(火) 01:22:48 ID:aRk32VPw0
結論案が出たばかりなのに、異論のある人の発言を封じるような趣旨の発言はどうかと・・・
>>602から士会のぞいた9人確定で、次候補が順に士会、信陵君、趙の武霊王にしといてはダメか?


621 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/23(火) 01:31:28 ID:KnZjDsvl0
>>620
つまり、現状のまま、とことん結論が出るまで話し合えと
言いたいの?
広く意見を訊くなら、それなりの期間をとらないと無理だ
ろうから、>>619の発言をしてるんだけど。


622 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/23(火) 01:38:13 ID:aRk32VPw0
>>621
わかりにくくてすまんです。>>620の前半は>>618向け
もし>>620でいくにしても、決定時期は>>619くらいでよろしいかと。


623 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/23(火) 01:53:04 ID:KnZjDsvl0
そいじゃあ、人数少ない時間でなんだけど。

【確定】
楽毅   楚の荘王  白起   李牧   王翦
呉起    廉頗    孫武   樗里疾

士会がとりあえず10番目の候補
ただし、10番目は他の将に入れ替わる可能性あり

春秋戦国で異論がある人は、統一秦~前漢時代が
決まるまでに、意見をまとめておいて、統一秦~前漢
時代が決定した後に、書き込みする。

ってところで、統一秦~前漢時代にバトンタッチで良い
かな?


624 478 sage 2007/01/23(火) 02:50:33 ID:e54nKVPx0
私は賛成。

いっそ、田中芳樹の百選で九十九人選出、残り一人は欠番としたみたいに各時代も
九人にして残り一人枠をあけておくというのもいいかも。
…と思ったが、時代によっては10人枠でも足りないなんて意見がでてるし、余計かな。


625 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/23(火) 04:44:57 ID:p+wkYiLJ0
春秋戦国はかなり長い期間だから春秋からまともに名将を選ぼうとすると
どうしても10人からあふれてしまう
と言ったら決めた枠を今更どうこうと袋叩きにされてしまうかな


626 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/23(火) 05:33:09 ID:izo+WHiD0
>>623
賛同します。
では統一秦~前漢にいきますか。



627 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/23(火) 09:59:39 ID:6W0hBuE60
個人的には春秋は車引きながらヤァヤァやってる時代だから
他の時代でガチで殺し合いしてるのに比べて劣って見える


628 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/23(火) 10:57:00 ID:6ijFD4ux0
>>625
まぁ、今更時代区分議論を蒸し返すつもりは無いけど、
一応参考までに名相スレで使用されている
このスレの時代区分を更に改良した区分法を載せとくね。

春秋(周の東遷~晋の分裂) BC770年~BC403年 367年間
戦国・秦・楚(晋の分裂~前漢の統一) BC403年~BC202年 201年間
前漢・新(前漢の統一~後漢の全国統一) BC202年~36年 238年間
後漢・三国・西晋(後漢の全国統一~西晋の滅亡) 36年~316年 280年間
東晋・五胡十六国~隋(東晋の建国~隋の滅亡) 317年~618年 301年間
唐(唐の建国~唐の滅亡) 618年~907年 289年間
五代・北宋・遼(唐の滅亡~南宋の建国) 907年~1127年 220年間
南宋・金~元(南宋の建国~元の北走) 1127年~1368年 241年間
明(元の北走~清の入関) 1368年~1644年 276年間
清(清の入関~清の滅亡) 1644年~1912年 268年間


629 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/23(火) 12:41:18 ID:chwlD3EDO
>>625>>628
春秋戦国がせっかく落ち着ついたんだし、
第一、時代区分はみんなで論議して決めたことだしこのままでいいだろ。

>>589で孫武の功績を挙げた者だけど自分が一押しの武将を確定させたいなら、
士会・荘王や樗里疾みたいに功績や推薦理由を具体的に述べたほうがいいと思うぞ。
ほぼ結論が出ようとしてる段階に文句いうのはどうかと思うけどな。
孫武は功績があやふやだったからキッチリと功績を挙げたんだし、その方が議論しやすいだろ?
とことん論議して落選になっても趙奢、伍子胥、孫ピンを推薦した人は文句は言ってないんだし、
みんなも納得するだろ?
どうかなこの意見。



630 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/23(火) 17:07:09 ID:izo+WHiD0
>>627
>個人的には春秋は車引きながらヤァヤァやってる時代だから


http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/3816/rekisi/heisei/ss3.htm


631 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/23(火) 17:38:30 ID:r8P8dcGc0
>>628
思いっきり蒸し返してる件について。
だけどなかなかいい区分だと思うw



632 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/23(火) 20:10:45 ID:KnZjDsvl0
とりあえず一段落ついたんだし、春秋戦国についての書き込みは
しばらく自粛しようよ。


633 ◆oOLAqFKRB. 2007/01/23(火) 20:47:47 ID:cFdoig8J0
【名前】趙充国
【推薦理由、というか具体的武功】
1/2
武、昭、宣帝の三代に仕えた西漢王朝随一の将軍にして政治家。若くして羽林に入り、騎射にすぐれて頭角を現した。
沈着にして勇猛。智謀あり、若い頃から将帥の品格と態度を備え、好んで兵法を学び、周辺少数民族の事情に通暁していた。
弐帥将軍李広利の副軍司馬として匈奴征伐に随行するも匈奴の騎兵隊に包囲された。食糧は断たれ馬は疲れ果て、死傷者は莫大。
趙充国は壮士100余人を率いて囲みに突撃、身に二十あまりの傷を受けながら道を開き、この奮戦によって李広利は命を拾った。
昭帝のとき武都の氐賊が反乱を起こすと、趙充国は大将軍護軍都尉とされて出撃し、西祈王を捕らえた。
中郎将、水衝都尉、後将軍を歴職、のち大将軍霍光とともに宣帝を擁立し、功により営平候に封ぜられた。本始年間(前73-前70)、
蒲楼将軍の肩書きを与えられて匈奴征伐に出征、凱旋後再び後将軍、少府。
元康、神爵年間(前65-前58)にかけて、対羌族問題の第一人者として活躍、基本的に『戦わずして勝つ』を至上とし、
示威と慰撫とを使い分けて漢に服属させる策をとった。ところが義渠安国が羌族の指導者30人と兵士1000人を
無駄に殺したので羌族は叛乱、匈奴と手を組んで侮れない大勢力となる。
前61年、匈奴の虚閭権渠単于が10万余の騎兵を率いて南方をふさぐいだがやってきた将軍が趙充国と知ると戦わずして兵を返した。
ようやくにして朝廷は羌人の脅威を認め、これを鎮定するのが急務とされた。宣帝は御史大夫邴吉を遣わして趙充国にに諮った。
『羌族平定の任務には誰を将軍とすべきか?』趙充国はおのれが高齢であることも連続作戦の辛苦も顧みず、
『老臣以上に適任なものは誰一人としておりません』と自薦した。宣帝はまたこうも問うた。『反乱平定にはどれほどの軍隊が必要であろうか?』
趙充国は答える。『百聞は一見にしかず。はるか遠くの軍情を推定するのは非常に難しいものです。私は迅速に金城に赴き、実地の地図を
描いたうえで作戦方案を決定し、その上で主上に上奏しようと思います』
前61年、現地入り。目の前の軍功を追い求めるものではなく、謀によって辺境の長期安寧を求める策を選んだ。叛乱の首魁である先零羌だけを攻撃し、
叛乱に随従させられた罕羌、幵羌ら諸羌の罪は不問とした。慰撫工作のみならず戦術的にも意を用い、常々斥候を放って遠く離れた場所を偵察させ、
行軍の際には下士官と同じように戦闘準備をし、宿営を張るときには自分で陣を張った。自らに勤労を課すことこと謹厳で、士卒を愛護し下士官をいたわった。
このようなので、彼が金城に到着するやたちまち士気は上がり、威望は遠くとどろいた。



634 ◆oOLAqFKRB. 2007/01/23(火) 20:48:21 ID:cFdoig8J0
2/2
彼と一緒に対羌族戦を任されて出戦したもう一人の将軍、辛武賢はこの戦略に不満を持ち、速決速戦を唱えて出陣、宣帝もこれを許し、
趙充国に彼の部下として働くよう下命した。趙充国は辛武賢の策が危険であることを悟っていたので前後三回にわたって自らの計画を反復説明し、
同時に宣帝の問いにも明快な回答を返した。毎度書を奏し、宣帝はそれらすべてを公卿・大臣たちの間に諮り、議論を交わした。
趙充国を支持する大臣は最初全体の十分の三にすぎなかったが、後には過半数を数え、最終的には百人中八十人の大臣が趙充国の戦略に同意した。
詔書を得た趙充国は先零羌を攻撃、大勝をおさめた。漢軍は羌人が遺棄した馬、牛、羊10万余頭と四千輌の車を手に入れた。趙充国は罕羌、幵羌の
地に兵を進めた。漢軍は軍紀厳明、秋毫も犯さず、命令に背くものは斬ったので、罕羌、幵羌らは漢軍の威徳に感じ、戦わずして帰服した。
趙充国は奏書の中で屯田による十二の利点と戦における追撃がもたらす十二の危険を列挙し、そのうえで屯田策は軍費を省き労役を軽減し、
さらには人民から農業を奪うことなく、また武備を以って『戦わずして勝つ』方策であると強調、 一例としては騎兵を養うことの無駄を挙げ、
騎兵を解除すれば支出をどれほど節約できるかを説いた。彼の屯田策は実際に成果を上げ、
国庫は以前に比べて大いに潤った。
趙充国は屯田策をもって叛羌を威服せしめ、その短い任期において非常に大きな成功を収めた。前六十年時点で漢に降伏したもの三万一千二百人、
黄河あるいは湟水に溺れて死んだもの及び飢餓により餓死したもの五、六千人、斬首されたもの七千六百人、南山に盤踞する叛羌の残党四千人。
この年秋、羌族の若零、离留、且種、児庫らが叛首・先零羌の大豪族、犹非、楊玉らを殺し、残党四千余人を率いて帰順した。ここにいたって
羌族の叛乱は徹底解決を見た。
のち老齢をもって致仕するが、異民族問題が持ち上がるとそのつど召されて機密に参与した。前51年卒。享年86歳。謚は壮侯。
・・・《漢書》趙充国列伝を自分なりに訳して削って書き込んだしろものなんで、間違ってるとこもあるかも。そのときはご容赦を。



635 ◆oOLAqFKRB. 2007/01/23(火) 20:50:52 ID:cFdoig8J0
>>633 >>634
一応統一秦~前漢に入ったって事で書き込み。
2つに分けにゃならんとは思わんかった。
まぁ、項羽は俺が挙げんでも誰かが推薦するやろ、っちゅーわけでこの人。


636 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/23(火) 20:54:12 ID:izo+WHiD0
【名前】周亜夫(父)
【時代】前漢
【推薦理由】呉楚七国の乱の時、大尉であった周亜夫は将軍に任命された。
その際何度も反乱軍に攻撃を仕掛けるように景帝に命じたのにも関わらず、反乱軍じは勢い盛んであるが、大儀に背いているため、長くは持たないと見たと判断し、周亜夫は守りの戦略を貫いた。
果たしてそのうちに反乱軍は我慢しきれず、何度も戦いを挑んできたが、
それでも周亜夫が動かず、また奇計で虚を突く戦法をとっ手も、すべて周亜夫に見破られた。
反乱軍が最後に仕方なく撤退したが、この機に乗じて周亜夫は精鋭部隊を率いて追撃し、大勝利を納めた。
文帝は、あの男こそが、真の将軍たる人物だ。」
と、彼を褒め称え、死に際しては皇太子の劉啓(後の景帝)に向かって、
「もし大掛かりな戦争が起こったならば、周亜夫を軍の総帥にして事態を解決せよ。」
と遺言したと言われてるし、実際その通りになった。親の七光りにならないみごとな活躍振りを強く推薦したい。


637 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/23(火) 21:13:00 ID:KnZjDsvl0
途中で改行入れてくれ
それとあまり長くても推薦としては却ってマイナスに
なる気がする。適当に要点をまとめてくれ 


638 ◆oOLAqFKRB. 2007/01/23(火) 21:18:49 ID:cFdoig8J0
>>637
すまん。あれもこれも入れんとなぁ、とか思ってたらえらい長くなった。
あれでも相当削ったんだが。
次回から気をつけるんで今回は大目に見てくれると助かる。


639 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/23(火) 21:19:14 ID:6W0hBuE60
やっぱ戦歴の点で厳しいなぁ>周亞夫
もし周亞夫を入れると、似たような王守仁も入れなきゃならなくなる


640 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/23(火) 21:35:05 ID:KM4omg4yO
やっぱり周亜夫は一発屋のイメージが…


641 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/23(火) 21:36:44 ID:e54nKVPx0
>>623 でひとまず確定、次の時代へということでオケ?

いちおう区切りとかは入れとこうぜ。あと次の議論時代の候補者リストとか。


642 ◆oOLAqFKRB. 2007/01/23(火) 21:40:17 ID:cFdoig8J0
忘れてた。
統一秦~前漢
【確定組】
 韓信
 霍去病
 衛青
 灌嬰
【候補】
 項籍(羽)、周文、蒙恬、章邯、項梁、彭越、英布、田横、
 周亜夫 、李広、李陵、趙充国、范明友、陳湯、劉邦
とりあえず周亜父と趙充国に一票ずつってことで。


643 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/23(火) 21:43:46 ID:KnZjDsvl0
比較のポイント
>>599から
打ち破った敵の強さ、勝利の数、切り開いた(守り抜いた)領土の大きさ、
などなど。

記載例
>>589

>>638
別に責めてる訳じゃない。
台詞的な部分は出来るだけカットすると書きやすくなりそうだね。


644 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/23(火) 21:58:52 ID:wbPilzaYO
なんでスレわけないの?
ここを本スレにして時代区分でわけてスレ立てたほうがいいってのが主流だと思ったんだけど
あんまり長く待たせると議論したい人がスレから離れていってしまうよ


645 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/23(火) 22:06:08 ID:KnZjDsvl0
スレ分けの話は、統一秦~前漢の選考が本格化する前に
話し合って方が良いとは思うけど。
なんか、スルーされてるんだよね。


646 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/23(火) 22:07:22 ID:P7h0ddan0
>>644
今のレス数なら、スレ分けする必要もないんじゃないかな。
むしろ、細分化された各スレが共倒れになることを恐れる。


647 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/23(火) 22:55:54 ID:izo+WHiD0
>>639-640さんより戦歴が厳しい、一発屋との指摘があったので投下。

紀元前159年冬、匈奴の兵3万が上郡に侵入し、また別に3万が雲中郡に侵入した時、
文帝は軍の駐屯地に向かい、将兵の労をねぎらい、また視察した。
その際、劉礼、徐悍の陣は文帝一行を素通りさせたが、
周亜夫の陣は文帝が割り符を見せ周亜夫の許可があるまで
軍中に置いては皇帝の命令でも将軍の許可があるまで従うことが出来ないと拒否、
文帝一行を陣内に入れささなかった。
この視察を通して、文帝は劉礼、徐悍と比べ、軍令が非常に整っていることを評価し、
周亜夫が優秀な軍事的人材であるとことを認めた。
文帝、景帝の時代、何度も北方の匈奴の侵攻を撃退し、文帝から「真将軍」と賞賛され、景帝も周亜夫に丞相の位を授けた。
将軍としての胆力、冷静さは呉漢、岳飛と共に高く評価されています。
こんな感じでどうでしょうか?
周亜夫は決してだだの一発屋ではないですよ。
王守仁が入る入らないは別として王守仁を過小評価し過ぎでは?



648 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/23(火) 23:08:31 ID:e54nKVPx0
自分の知らない、詳しくない時代のことを説明されるのはそれだけで楽しいと
個人的には思っているので、このままでいいと思う。

変に細分化して衰退してもね。時代スレごとで選定基準が微妙に変化していく
可能性もあるし。


649 ◆oOLAqFKRB. 2007/01/23(火) 23:12:12 ID:cFdoig8J0
煩雑を避けて簡潔にしてみた。
【名前】趙充国
【時代】前漢
【推薦理由】
武、昭、宣帝の三代に仕えた、西漢王朝随一の将軍にして政治家。
ひととなりは沈着にして勇猛。智謀あり、若い頃から将帥の品格と
態度を備え、好んで兵法を学んだ。
天漢2年、副将として匈奴討伐に全身に出征するが逆に囲まれる。
20の創を負いながら李広利を救った。
昭帝のとき武都の氐族を平定、西祈王を擒らえる。
大将軍霍光とともに宣帝を擁立、佐命の勲により営平侯とされる。
本始年間(前73-前70)、匈奴討伐に出征、
大勝して凱旋、ふたたび後将軍となる。
元康、神爵年間(前65-前58)にかけて、西漢王朝における
羌族対策の主要人物として活躍、「戦わずして降す」を根本にすえて
敵の首魁、先零羌のみを撃ち、罕羌、幵羌らは不問として投降させた。
屯田策を上奏、財政を潤沢とする12の方策を奉じる。
短い任期の間についに叛羌を感服せしめた。
前60年時点で漢に降伏したもの3万1200人、黄河或いは湟水に
飲まれて死んだもの五、六千人、斬首されたもの七千六百人、
南山に盤踞する叛羌の残党四千人。
この年秋、羌族の若零、离留、且種、児庫らが叛首・先零羌の
大豪族、犹非、楊玉らを殺し、残党四千余人を率いて帰順、
ここにいたって羌族の叛乱は徹底解決を見た。
老齢により致仕。引退しても国家が往年のように少数民族問題に
直面すると、常に請われて謀に参与した。前51年卒。享年86歳。謚は壮侯。
むやみに兵を動かさず、最小限の用兵で敵を威服させる才覚をもって推薦。
・・・まぁ、一票は一票のままやけど。



650 ◆zxnMrUfNeg sage 2007/01/23(火) 23:29:06 ID:IJhFtqvx0
とりあえず援護ということで。簡単に紹介。

【名前】 趙充国
【時代】 前漢
【理由】 李広利の失策により城を包囲され窮地に陥ると、
100人余りの決死隊を率いて自らも負傷するが囲みを突破して道を開く。
その後も度々匈奴などを打ち破り武名をとどろかせ、趙充国が軍を率いている
という報告を聞いただけで十万の大軍も進攻をやめて引き上げる程だった。
羌族の巡察をしていた安国の失策により反乱がおきると、70歳を過ぎている
にもかかわらず戦地に赴き反乱を制圧した。



651 ◆zxnMrUfNeg sage 2007/01/23(火) 23:44:30 ID:IJhFtqvx0
とりあえず、項羽は確定で良いと思うのだけど、どうでしょう?

史記と漢書を再び読み返し中。復習に丁度いいなやっぱり。


652 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/23(火) 23:51:31 ID:6W0hBuE60
>>647
その駐屯の逸話は文帝が誉めたってだけだし、その後一ヶ月先端を開かずにで匈奴6万は撤退してる
文帝を軍紀に従わせて歩かせたりする融通の利かない性格は後年、自身の失脚に起因するし(まあ、軍事とは関係ないけど)
呉楚七国の乱は相手が補給線を無視したり、無策に進軍したりしてしてアホなことしてるので、
周亜夫じゃなくても時間の差はあれ、制圧出来たと俺は思ってる
匈奴撃退の将軍は他の候補組も同じ連中が多いので周亜夫は厳しいと思う


653 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/24(水) 00:06:13 ID:iEZQ8Ei60
>>651
前々から主張してるひとりだが、俺も項羽は確定に同意
どうしていまのいままで候補に留まってるのか疑問なくらいだったし


654 ◆RQdk7scN8s sage 2007/01/24(水) 00:46:19 ID:/Yk6FYOf0
メジャーどころには、かえって欠点がクローズアップされてしまう嫌いがあるためからかなぁ。
項羽の将としての武威は、相当なものなのに、戦略的に追い詰められていく過程でマイナス評価されてしまうという感じ?
知名度の低い武将やら将軍やらは、そのマイナスが目立たない、あるいは知られていない、というところか。


655 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/24(水) 00:54:06 ID:nBfhw0zaO
項羽はまあ入れていいと思う
李広と李陵は有名だが活躍は個人的な武勇が主で、全軍は勿論一軍の勝利にもあまり繋がってないので外すべき
あと、これは個人的感想だが田横や英布は名将と言うには小粒過ぎないかな


656 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/24(水) 00:54:22 ID:etJ/v/sxO
>>651>>653
俺は逆に項羽がなんで名将なんだと思うけど・・・ パワーとカリスマだけで突っ走る猛将じゃないの?
章邯を降伏させたのは援軍が来なかった所為でもし援軍が来てたら、
勝敗はどうなってたかわからないと思うけど。
斉を攻略するもすぐに彭越に奪い返されてるし、
彭城奪還の際、漢の連合軍56万を3万で打ち破りってるけど、
相手は油断してたし、所詮烏合の衆だろ。
戦略能力は乏しいは、兵站を考えず戦線は延ばすし、人材を使いこなす能力にも欠けてる。
名将と呼ぶには無理があるんじゃないか?


657 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/24(水) 03:44:45 ID:o9ZmT7OGO
>>656
逆にあれだけインテリジェンスに欠けているくせに、
戦術レベルの優秀さ位である程度何とかなった事がスゴいと思うが
(言い過ぎか?)


658 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/24(水) 05:33:56 ID:ok4go3fR0
>>657
同意 
戦略を欠き、兵站を考えず人材を使いこなせずあそこまで勝ち続けたのが
逆に凄い 勝ち続けるのが名将なら項羽は名将でいいんじゃない?


659 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/24(水) 06:51:18 ID:YHZuWxr/0
このスレでの将の器量を測る基準は用兵の巧みさや戦術だからね。
戦略性は付加価値的なものと考えたほうがいいんじゃないの?


660 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/24(水) 07:29:48 ID:etJ/v/sxO
項羽に戦術力などあるか?
ただ力で押し捲るだけなようなキガス。
章邯を打ち破りった時に背水の陣と同じこと
(項羽の方が先だけどな)やったぐらいしか思い浮かばない・・・

英布、呂布の大型版=項羽


661 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/24(水) 07:49:42 ID:Tw8nMV5M0
項羽は、傑出した個人的な武勇が、特異なまでに
戦術的勝利にという結果を出した希有な例でしょ。
実際、秦の命脈を絶ち、一時的にとはいえ中国の
覇権を握っている。
(と同然だろとの突っ込みもありそう)
ただ、君主としては、その判断基準が理や利ではな
く、情であったことが欠点で、最後には滅亡している。

個人的には、珍しい例ての名将で良いと思う。


662 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/24(水) 08:05:06 ID:eDoTlNQA0
項羽は名将だろう
最後はアレだが、あそこまで勝ち続けたのは凄い

項羽に反対してるのはひとりだけっぽいし
多数決ならもう確定でもいいのでは


663 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/24(水) 08:50:10 ID:57khU75A0
IDで見る限り、反対してるのは3名以上いる模様だが。
このスレの定義だと、項羽が名将では無いということの
方がおかしい。


664 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/24(水) 08:57:15 ID:nBfhw0zaO
秦末漢初の候補から、俺は劉邦を推す
秦末の混乱期に軍事的能力で頭角を表し、項羽と並んで楚懐王より秦攻略を命じられるまでになり、
相手の主力が項羽と戦っている隙だったとはいえ、調略なども駆使して秦本国を落としている
対楚戦では項羽を抑えながら別の軍が諸国を下すという戦略の一つの核として項羽と対峙を続け、
かなり危険な時も乗り切って抑え役を果たしている
敗走しても兵を韓信から吸収したりゲリラ活動をしつつ軍を再編成するなど、判断力や行動力は優れている
統一後も多くの戦いを親征して反乱鎮圧をこなしている
彭城や白登の大敗が印象的で、負けてばかりなどとも言われるが、それらを差し引いても充分過ぎる実績じゃないかと思う


665 ◆zxnMrUfNeg sage 2007/01/24(水) 08:57:36 ID:LOGOTXq10
戦略や君主としての判断能力は欠けていたとしても、
自ら率いて戦った戦闘はほとんどに勝利しています。
いくら烏合の衆だからといっても、そうそう3万程度の勢力で
50万以上の敵を打ち破るなんて芸当できませんよ。
歴史上、大軍を寡兵で打ち破った例は幾つかありますが、
ほとんど防衛戦であったはずです。それを自ら寡兵で臨んで
大軍を打ち破るという芸当はそうは無いと思われます。
これを一人の部将として考えたのなら、これほど心強いものは無いでしょう?

霍去病だって、兵は飢えてるのに自分は平気で豪華な料理を食べ
同僚の境遇を理解し同情しようともしない。
戦術には天才でも、お坊ちゃん武将です。




666 ◆RQdk7scN8s sage 2007/01/24(水) 09:36:21 ID:/Yk6FYOf0
李存勗も、戦術の天才と言われているけど、君主としては落第もいいところ。
そうそう二物も三物も天は与えていない… 与えられているのは、劉秀とか李世民とかほんの一握りのひとだけ。
項羽は陣頭指揮によって、戦闘に勝利しまくっているから名将として評価して間違っていないと考える。


667 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/24(水) 09:53:52 ID:IBmLhJRGO
鉅鹿の戦いにおいて秦軍の主力を打ち破ったのはもっと評価されていいと思うんだよね
ただ戦略の面では劉邦(作戦立案したのは張良だけど)に結果的に負けてるのが大きなマイナスかな


668 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/24(水) 11:54:59 ID:iEZQ8Ei60
項羽の戦い方が力押しだけって、釣りかと思ってしまった




669 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/24(水) 15:04:28 ID:+jrQ2WIv0
>>668
急にマンガの話になっちゃった、みたいな?w



670 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/24(水) 19:38:46 ID:9TSQzzaQ0
項羽を散々困らせ、得意のゲリラ戦で影から劉邦をサポートした彭越なんかどうでしようか?
彭越はたえず各地に出没し、漢の遊軍として楚軍を撹乱、撃破し、
梁では楚軍の後方の糧道を断ってますし、
それにより項羽は何度もあと一歩というところで撤退を余儀なくすることに。


671 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/24(水) 20:24:46 ID:bq+qml0Q0
項羽は確定入りでいいと思う。
もう何人も言っているが、あれだけ欠点・錯誤・失敗を大量に抱えて、それでも
局地戦の勝利で優勢を何年も保たせたという例は、戦史上滅多にお目にかかれる
ものじゃあない。
「戦術でなく個人的武勇」という意見もあったが、逆に戦術を凌駕する個人的武勇
の凄みを感じるのみ。

君主としてリーダーとして落第というのも同意だが、このスレは名君列伝では
ないしな。

>>664
劉邦はむしろ「リーダーに戦術能力は必ずしも必要とは限らない」の好例かと。
無能だとは思いません。英布討伐など劉備個人の将としての功績もあります。
それでも、時代を代表する将とするには格落ちの感は否めません。


672 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/24(水) 21:27:00 ID:iEZQ8Ei60
項羽は武勇ばかりじゃなく、それなりの戦術眼と用兵を心得て戦ってるでしょ。
個人の武勇だけで数倍や数十倍の戦力差を覆せるわけでもないし。

鉅鹿や彭城で顕著だけど、相手の急所を迅速に衝き、強襲をかけて突き崩すと
徹底的に戦果を拡大させて甚大な出血を強いる手法を採ってる。
不利な状況での短期決戦では特に秀でた用兵といってもいい。

どちらかというと武勇ばかりにモノをいわせているのは固陵の戦いとか最後の
あがきでなんじゃないかな。


673 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/24(水) 21:47:39 ID:dBLowdhJ0
項羽は、なんとなく知的に感じないところが「名」将と思わせないんだろうか?
たしかに屈指の将ではあるんだけど、名将と言われるといまいち納得できない部分がある・・・
確定に入れることに異存はないですが。


674 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/24(水) 22:19:08 ID:Tw8nMV5M0
逆に項羽は、もの凄い天才で、彼は真に配下の求めることを
理解できず、配下は彼の考えを理解できずに、次第に部下を
失っていったのではないかと想像してみたり。


675 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/24(水) 22:26:01 ID:etJ/v/sxO
項羽が名将と言う意見が多数挙がっているので決定には意義はないけど。
俺が敢えて反対意見を述べたのは
項羽が候補止まりになっているのをなぜかと議論もせずに、
確定入りさせようとしてたからだぞ。
同じ確定させるにしてもみんなが納得する形で確定入りさせた方がいいだろ?
俺のこの意見って変か?


676 ◆RQdk7scN8s sage 2007/01/24(水) 22:29:40 ID:/Yk6FYOf0
>>675 あれ? 逆に、「確定じゃなくて、なぜ候補なのか」、という話で確定要素を話していたんじゃないのかな?
前スレでは、その辺後回しにしたからなぁ。
おれはそれを辛口評価、メジャー叩きと評してはいたが…


677 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/24(水) 22:33:36 ID:nBfhw0zaO
>>671
劉邦についてその意見には文句はないが、英布や彭越、田横あたりが劉邦より軍事面を総合的に見て上とは思わないので、劉邦が落ちるのであれば彼等も軒並み落ちるということだなあ


678 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/24(水) 22:50:06 ID:hB2A0C4P0
田横はともかく英布や彭越とは将としての能力は低いと思う>劉邦


679 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/24(水) 23:10:22 ID:9TSQzzaQ0
英布はどちらかの陣営に引き込み入れれば有利ぐらいかな?
推薦した本人が言うのもなんですが彭越は項羽の行動を散々邪魔をしているよね。
それにより一局集中出来なかったのは事実では?
韓信の働きは桁外れな訳だし。


680 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/24(水) 23:36:09 ID:nBfhw0zaO
彭越はともかく英布がそれほど優れていたというのはピンとこないなあ
いや、優秀だったとは思うが、ここで名将と言われるほどだろうか?
誰か俺に凄さを教えて欲しい


681 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/24(水) 23:48:06 ID:NCWSj9l+0
名将というより猛将て感じだな



682 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/24(水) 23:52:52 ID:Tw8nMV5M0
英布
項梁の軍に加わり、秦を滅亡させるまでの戦いの間に
項羽から九江王に任じられる程の戦功を挙げた。

以下は戦功と関係ない部分で、秦軍数十万人を殺害
したり、一説によれば、項羽の命で、義帝を殺害したとい
う。同時代の梟雄の一人


683 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/25(木) 00:26:40 ID:XAgmHUZR0
>項梁の軍に加わり、秦を滅亡させるまでの戦いの間に項羽から九江王に任じられる程の戦功を挙げた。
これだと、英布と同時に王に封じられた他の諸王と何が異なるのかがわからないよな。
例えば、魏豹は魏の二十余城を攻略。申陽は河南郡を平定。司馬卬は河内を平定。呉芮や
共敖もそれぞれの土地を平定し、また項羽に従って函谷関を攻撃している。


684 682 sage 2007/01/25(木) 00:43:56 ID:dIy0ZUor0
他の諸王との差違は、
英布は、項羽と共に咸陽まで行軍し、
項羽の配下で唯一王に任じられている。
言うまでもないけど、項羽の論功表彰は、
自らの身を滅ぼすほどにおかしな基準で
あったけど、その項羽が英布の武功は
認めていたということだよね。

まあ、それでも個人的には名将に推薦は
したくない類の人だと思う。


685 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/25(木) 00:54:25 ID:EHeoCAvqO
項羽が認めたのは英布の戦功(能力)というより、汚れ仕事を含め項羽の忠実な将として働いたことに対する報酬と言えないかな?
勿論、無能なら忠実でも使われないだろうが、名将に入れるほどの能力の証拠にはならないでしょう


686 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/25(木) 01:08:39 ID:XAgmHUZR0
>>684
魏豹や申陽も咸陽まで従軍してますよ。あと章邯、司馬欣、董翳の降服した秦の三将も。
項羽の配下という立場は、当時の彼らは変わりません。
こうしてみると、項羽によって王に立てられたものは、ほぼ全て項梁や項羽の楚軍に従う
以前に、一勢力のリーダーとして独行していた者といえる(劉邦も含めて)。
単純なエコヒイキという割には、最初から項氏集団に従っていた龍且、鐘離昧、季布という
連中は王にしていない。

まあ言いたいことは、英布は王になった前も後もそれほど優れた功績を挙げた形跡がない、
もしくは見当たらないということです。


687 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/25(木) 01:19:31 ID:EHeoCAvqO
項羽による天下の切り分けは、ちゃんと目的と法則があったよ
旧六国の王族を復活させる一方で、その地に実力で割拠し項羽に従った有力者にも土地を与え、王族の末裔と分割統治させている
(自分以外)巨大な勢力が生まれないようにする措置だったのだろう
後の漢王朝のように反乱を監視するシステムと速やかに乱を鎮圧できる圧倒的軍事力があれば問題ないだろうが、項羽にはそれだけの実力が無かったのであっというまに破綻した
あの封建の問題点はえこひいきではなく項羽の自分に対する過大評価


688 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/25(木) 09:03:24 ID:gFjGI32XO
>>687
要するに項羽のグランドビジョンは時代遅れってこと。
いかにも楚人らしい発想だな。
でもな不公平人事と項一族をえこひいきしてたのは事実だろ?


689 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/25(木) 16:54:50 ID:vK+RSSbVQ
項羽、彭越、章邯一票ずつ
章邯はやはり囚人ばかりの軍隊を駆使して勝ち続けたのは並大抵の将ではなかったと思うから


690 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/25(木) 18:29:24 ID:XAgmHUZR0
ではもう項羽は確定入りってことで

統一秦~前漢
【確定組】
 項籍(羽)
 韓信
 霍去病
 衛青
 灌嬰
【候補】
 周文、蒙恬、章邯、項梁、彭越、英布、田横、
 周亜夫 、李広、李陵、趙充国、范明友、陳湯、劉邦

個人的な推薦は章邯、周亜夫、趙充国、范明友、陳湯。


691 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/25(木) 18:29:24 ID:gFjGI32XO
俺も章邯、彭越に一票ずついれとくよ。
章邯は確かに囚人を見事に精鋭に仕立て上げ、周文、田臧、張賀、伍除ら陳勝率いる反乱軍を撃退してるし、
候補に挙がっている項梁をわざと油断させ、夜襲にて見事に撃退してるしな。
援護の要請さえ通っていれば項羽にすんなり降伏しなかっただろうし、
かなりハンデのある状態であれだけ見事な活躍をしたんだから凄いと思うぞ。
韓信には敗れているがそれはまあ仕方ないよな。
彭越も得意のゲリラ活動で項羽の思惑をたびたび打ち砕き、軍の命である兵籠を奪い、
漢軍にそれを提供、その為項羽は何度も劉邦を仕留め損なったんだよな。
彭越の活動も韓信と同様、漢王朝樹立に大きく貢献したんだし、
決して只のオヤジではないんじゃよな。


692 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/25(木) 20:38:14 ID:gZi5eZIz0
李広だけ候補にいて程不識がいないのはちょっと哀れ




693 ◆oOLAqFKRB. 2007/01/25(木) 21:14:56 ID:4EZfoQMx0
この人の推薦者がまだいないようなので自分で書く。
【名前】陳湯
【時代】前漢
【推薦理由】
字は子公、書を好み学問に通達し、文章を作ることに巧みであった。
貧乏で貪欲、郷里では嫌われ者。
長安に行き、富平侯・張勃の推挙で官を得る。
西域に出たいと強く望み、甘延寿の副将として西域に出た。
建昭三年、甘延寿とともに再び出陣、知略をもって
1518人を斬り、145人を生け捕って郅支単于を斬ったが、
独断専行の行為があったとして自ら弾劾した。
元帝はその態度を潔しとして嘉したが、
陳湯に鹵獲物着服の罪があったため
恩賞が与えられることはなく、逆に罪に問われた。
宗正・劉向が弁護したので赦され、黄金百斤を賜り関内候とされる。
射声校尉となるが以前の鹵獲物着服の罪が蒸し返され、投獄された。
太中大夫の谷永の上奏により獄から出され、一兵卒に。
段会宗が烏孫の兵に包囲されたとき、
「援軍は不要、まもなく吉報が届くでしょう」と述べ、実際その通りになった。
従事中郎となり、以後軍事に関わることの一切が陳湯の意見で定められるようになる。
人から代価をもらって上奏文を作るアルバイトをし(その中には簒奪者・王莽もいた)、
また、虚言を奉って衆を惑わした罪が露見して、辺境に送られる。
しかし議郎の耿育が陳湯の無実を上奏し、
「深きをさぐり遠きをきわめて国威を掲げ、国家積年の恥をそそいだ」
功があるとして庇いだて、それにより許されて長安に還った。同地で没す。
没後、王莽が新を建てると、旧恩に報いるため破胡候の爵位を追贈した。
郅支単于を破った天才的用兵家ながら俗欲にもあふれる人間臭さをもって推薦。
【ついでに】
楼蘭王・安帰を斬って楼蘭を平定した傳介子
蘇武に随行して匈奴に拘留されたが、
ようやく故国に帰って後将軍・趙充国の後任となった常恵
しばしば西域に出陣して手柄を立て、
車帥を破り匈奴の日逐王を殺して初代西域都護となった鄭吉
らも候補にしてはどうやろ。
前漢には初期以外名将と呼ぶに足る将軍が少ないようなんで。



694 ◆oOLAqFKRB. 2007/01/25(木) 21:31:28 ID:4EZfoQMx0
>>693
まちがい。前漢初期以外、というより漢楚争覇時代以降。
李広とか好きやけど当世10選に入るかっていえば難しそうやからね。


695 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/25(木) 22:29:10 ID:K4t365ol0
【名前】彭越
【時代】前漢
【推薦理由】秦末期の戦乱の中で大盗賊として活躍。劉邦の幕下に入ってからは後方撹乱などに戦功を挙げた。
劉邦が秦の首都・咸陽へ向けて進軍する途中で魏の領内にある昌邑を攻め、彭越はこれに協力して昌邑を攻め落とした。
劉邦が項羽と対立するようになった時、
彭越は梁で暴れ周り、都市をいくつも落とした。
斉王田栄が背き使者を送って彭越を将軍に任じ済陰より南下させ楚を撃たせた。
討伐に来た蕭公角率いる楚軍を彭越は大いに撃ち破った。
漢王の三年彭越は常にあちこちと任来し漢の遊軍となり楚を撃ち、
梁の地において楚軍の背後の糧道を断ち切った。
その為に項羽軍には食糧不足が続き、主敵であるはずの劉邦へ全戦力を向けることができず、
結果何度となく劉邦の窮地を救うことになった。
漢王の四年、漢王と項羽がケイヨウで対峙した際に彭越はスイ陽、外黄など十七城邑を攻め落とす。
漢王の五年、彭越はまたも昌邑一帯の20余城を降し、10余万斛の兵籠を入手、これを漢王に供給。
垓下の戦いに参戦楚を打ち破った。

確かに名将に関しては>>694さんの言う通りだと思います。
それは国が動乱から平和へと推移していったので仕方ないことでしょうね。


696 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/25(木) 23:13:33 ID:RFioDuNA0
統一秦~前漢を謳っているんだったら、少なくとも蒙恬、李信、王賁あたりは入れてもいいんじゃねえ?

【名前】王賁
【時代】秦
【推薦理由】
魏、燕、斉攻略の総司令を務める
特に魏の大梁攻略戦では大規模な水攻めを行い、大梁を壊滅させて一気に魏を滅亡させている
国力差とかでケチつきそうだが、それでも軍事的功績では親父に匹敵していると言っても過言じゃない

【名前】蒙恬
【時代】秦
【推薦理由】
30万の大軍を率いて、匈奴からオルドスを奪回、万里の長城を建設させ、漠北の遊牧世界と
中華帝国との間に画期的な防衛線、境界線を築く(その是非はともかくとして)
でも、本業は明らかに文官だよなあ(実家は軍人一家だが)、最初の頃は対楚戦で負けてるのが
マイナスだな

【名前】李信
【時代】秦
【推薦理由】
上記2名とほぼ同じ、秦の統一事業に大きく貢献した点を評価して
対燕戦では、寡兵で燕軍を攻め、太子丹を捕虜にしている
でも、この人の場合は、代々の子孫が有名だわな

功績が分散されがちだが、英布や田横あたりよりは上に来ても良いと思う


697 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/26(金) 02:30:10 ID:6O3G8+lJ0
>>696
時代の区切り的に秦の統一後にほとんど事績がない王賁と李信は対象外では?
もし実績ご存知でしたらご教示ください

あと王賁の実績は優秀だけど親父が前時代で確定してるからやや押しが弱い・・・
李信は対楚戦での失態が蒙恬以上にマイナスなので苦しい


698 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/26(金) 03:21:32 ID:DEgs2M5bO
蒙恬も30万の大軍を率いて、匈奴からオルドスを奪回、万里の長城を建設させた、
斉の討伐と匈奴の押さえ役ぐらいしか功績が思い浮かばないけどな。
凄いと言えば凄いけど・・・


699 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/26(金) 12:50:22 ID:2qZgLV6hO
流れが止まってきたしもうこの時代は

韓信
衛青
霍去病
灌嬰
蒙恬
項羽
周亜夫
李広
陳湯
趙充国

の十人で確定ってことにして、次の後漢の選定に入らないか?


700 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/26(金) 14:16:46 ID:Le3dm7lhO
>>699
蒙恬と李広に異議あり
劉邦にチェンジ汁


701 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/26(金) 14:26:01 ID:mgfN0Wf2Q
俺もその二人チェンジ
章邯と彭越推し


702 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/26(金) 14:30:32 ID:8IXy9T0C0
周亜夫も異議ありな人いるし
章邯推してる人結構いるし


703 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/26(金) 15:47:41 ID:UJQm6mqR0
李信はヘタレだからいらね



704 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/26(金) 16:24:08 ID:DEgs2M5bO
>>701-702に同意
統一後の蒙恬の功績は匈奴からオルドスを奪回、万里の長城を建設させたぐらいだし、

李広、范明友、陳湯ら匈奴討伐、遠征組は趙充国に比べるとかなり見劣りな感じがする。



705 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/26(金) 17:07:26 ID:nvlFKfQt0
名将の定義。
1敵にしたくない。
2上司にしたい。
3部下にしたい。

「一発屋である=実力が疑問」というのはおかしい。
大事なのは政権の首脳が司令官に与えた軍隊への政治的要求を、どの程度達成させたかということ。
周亜夫を外して迷子や単なる騎兵隊長を入れるのは理解不能。


706 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/26(金) 17:12:12 ID:ZzSFPnm10
項羽が確定に入る前は、灌嬰も項羽と比較してどうかと
いう話があったな。
この時代は傑出した存在はいるけど、その数が少ないよう
な気がする。


707 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/26(金) 17:33:51 ID:8IXy9T0C0
>>705
一発屋である事じゃなくて
斃した相手が無能であることが外される理由になってるようだが?


708 ◆oOLAqFKRB. 2007/01/26(金) 17:38:54 ID:lsVncBUw0
>>704
<李広、范明友、陳湯ら匈奴討伐、遠征組は趙充国に比べるとかなり見劣りな感じがする。
に対して陳湯を弁護。
陳湯は郅支単于を斬っただけと違って段会宗が自ら囲みを解いて勝利することを予見、
先見の明によって元帝期の軍事行動の全権を任されるに到ったわけやし、
それで(軍事的には)ヘマこいたこともない。
単純に現場で戦った李広・范明友ほかとは戦略眼のレベルで格が違う。
やや見劣りするとはいえ趙充国にそれほど水をあけられてるとは思わんのやが、どうか?
まぁ巨星・傑物といえるかどうかで言うとそれは無理やなと思うが、
>>705の提唱する名将の条件のうち
敵にしたくない
部下にしたい
は満たしてると思う。上司にこんな奴おったらたまらんけど。


709 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/26(金) 17:49:01 ID:vd7E7OfFO
>>705
その条件、2と3は曖昧な条件すぎないか?
上司は有能すぎる部下を嫌うし、部下は厳しすぎる上司を嫌うものだけど、これは名将の条件と一部重なる
処世術や人心掌握術なんかで回避できるけどそれは+αの部分でもあると思うし


710 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/26(金) 18:09:57 ID:DEgs2M5bO
>>708
陳湯をそこまで弁護するなら俺はこれ以上は反対せえへんよ。
ちょっと厳しすぎたか堪忍してやw

ちなみに章邯、彭越の評価はどないですか?


711 ◆oOLAqFKRB. 2007/01/26(金) 18:24:08 ID:lsVncBUw0
>>710章邯、彭越の評価(ただしあくまで個人的意見ね)
章邯はもし援軍が速攻でやってきたら項羽に勝ってしまったかも知れん将才の持ち主だけに
個人的には高評価。まぁ降伏せずに最後まで戦って散ったらもっとかっこよかったんやけど。

彭越はみんなが言うとおりゲリラ戦の天才やないかと。とにかく項羽の後方をかきまわして
全力を振るえんようにチクチク刺すやり口はやり手のイジメ(?)に匹敵する。
城もかなりの数落としとるし、明らかに英布より上やと思う。
終わりを全うすればなお良しやったんやけど、まぁ功臣粛清は多かれ少なかれどの王朝でもあるけんね。

ちゅーわけで、蒙恬、李広よりこの二人のほうが十選にはふさわしいかと。李広は個人的には好きなんやが。


712 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/26(金) 18:31:36 ID:gmMOfOjTO
このスレは定期的に俺ルールが発動するなぁ


713 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/26(金) 19:13:19 ID:mgfN0Wf2Q
彭越は確定でいいと思うんだが



714 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/26(金) 19:20:44 ID:0jIemonB0
・上司にしたい
が名将の条件ならカクキョヘイは落選だね。


715 696 sage 2007/01/26(金) 19:39:55 ID:LY1QBMf80
>>697
いや、王賁らが斉を滅ぼして秦の天下統一が成ったわけだから、統一秦最大の軍事的功労者に
なるんじゃないの >>696の三名は
開国の功臣が入らないのは、おかしくねえ?
(統一後の軍事行動が伴わないという理由で却下されたら、王朝初期の将軍が落ちるぞ)
少なくとも、王賁の戦績は韓信や項羽に劣るとは言え、周亜夫あたりには匹敵するものだと思うけどね

しかし、周亜夫を外そうとする理由もよく分からんな
相手が自滅とか平気で言ってるようだけど(前スレあたりの話だが)
実際の戦場では相手の内部情報や具体的な敵情を判断する方法はほとんどないよ
(間者や斥候といった「目」「耳」を出しても、敵情の全容を解明するのは困難だもの)
それを的確に状況判断して、最良の行動を選択した点でかなりの名将だと思うんだが

一発屋を擁護させてもらえれば、彼らのような人物さえあらわれない時代においては
靖康の変みたいな状況や、あるいは永楽帝による簒奪が平気で行われてしまうんだろうけど
それでも、彼らを評価できないのかなあ


716 ◆RQdk7scN8s sage 2007/01/26(金) 19:52:43 ID:ofrlpcLH0
一発で終わらせた、という評価もできる場合があると思う。



717 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/26(金) 19:54:04 ID:BDe4c61U0
この時代の候補者で一発屋って誰のこと?
一発屋であることを理由に候補から外そうとしてる住人
いるかい?


718 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/26(金) 20:00:29 ID:DEgs2M5bO
>>717
周亜夫は一発屋なんだって
理由は相手がヘタレだからだってさ・・・orz


719 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/26(金) 20:03:47 ID:BDe4c61U0
周亜夫の一発屋は>>640のイメージ発言くらいじゃないか。
イメージを覆すだけの戦功を挙げればよいではないっすか。


720 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/26(金) 20:14:58 ID:BDe4c61U0
連投スマン
匈奴相手の戦功は評価が低いようだが、騎馬民族相手に
農耕民族が平原や草原などの、騎馬民族の得意とする地
形で勝利を挙げるというのは、割と凄いことですよ。


721 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/26(金) 20:37:19 ID:nvlFKfQt0
上司にも部下にも出来ないなら敵にするしかない。
その意味で去病は最悪。対遊牧民族で活躍出来るのは並みの指揮官より一段上のように思う。
また、出自の劣等感からか部下にも上司にも人気が無かったようだが、
個人的に衛青は1~3のすべてを満たしている。


722 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/26(金) 20:38:10 ID:gmMOfOjTO
他の連中も対匈奴戦のエキスパートという意見も出てる
周亜夫に否定的なのは一発屋だからじゃなくて
そういう諸々の理由でしょ?
なんか被害妄想じゃね?


723 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/26(金) 21:03:21 ID:nvlFKfQt0
白頭山の戦い以来続く外患「匈奴問題」は武帝期に衛霍の二人が活躍してある程度納得し得る状況を作った。
一方、呉楚七国の乱はやはり高祖の時代から続く内憂「諸侯王問題」が解決された重要な戦争。
劉氏に政権をくれてやったのが韓信なら、それを磐石にしたのは周亜夫。


724 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/26(金) 21:07:53 ID:Le3dm7lhO
秦を占領し漢の基礎を築いた→劉邦
各国を討ち漢を統一に導いた→韓信
反乱諸侯を討ち漢を安定した統一政権に脱皮させた→周亜夫
最強の外敵を討った→衛青・霍去病


725 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/26(金) 21:14:14 ID:8IXy9T0C0
それは歴史的な重要度であって武将としてどーのって話ではなかろう


726 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/26(金) 21:14:25 ID:LY1QBMf80
>>719-720
うーん、李広利のような「圧倒的国力差」でゴリ押しして西域遠征を成功させるという力技が
存在するからなあ、というのは冗談

国力的には、河西回廊を漢が獲得した時点で、もう匈奴側の劣勢確定でしょ
そういう意味で、以降の対匈奴戦争は意味合いがかなり異なってくるものだと思っているんだが
漢を圧倒する巨大帝国の座から転落し始めた匈奴を漠北へ駆逐する戦争
残念ながら、その程度なら李牧や蒙恬、古くは武霊王が達成しているわけだし
(逆に言うと、衛青、霍去病の化け物っぷりが際立つわけだが
彼らと同じレベルは、唐初の対突厥戦争か徐達の北伐ぐらいになるから)


727 719 sage 2007/01/26(金) 21:31:56 ID:BDe4c61U0
>>726
>>720は、周亜夫に対する援護の意図ではない。
李広、范明友、陳湯あたりの匈奴討伐組の評価が低い感じが
見受けられるので、書いているだけ。


728 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/26(金) 21:42:10 ID:+/G783Mb0
まあ確かに国力の(彼我の)差があるという点もあるが、李広と衛青・霍去病とでは
やはり差が生じるよなあ。蒙恬は軍事的功績というよりは官僚としての働きが大きい
ような。

>715
統一の功績を称えるのなら、どう考えても王翦は越えられないでしょ。


729 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/26(金) 21:45:42 ID:nY/2bV910
【名前】鄭吉
【時代】前漢
【推薦理由】車師を破って西域南道を征服し、匈奴の日逐王を降伏させた。
後に西域北道を征服し、初代西域都護に任命された。


730 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/26(金) 21:48:56 ID:h7FRmgbv0
>>715
統一の功績だと春秋戦国に回されるんじゃないの?


731 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/26(金) 21:54:33 ID:2qZgLV6hO
>>729
鄭吉は初めて西域都護に任ぜられたって事で結構有名だけど
あんまり具体的な事跡がよく分かんないんだよね


732 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/26(金) 21:57:48 ID:nY/2bV910
>>731
漢書の原文を読んで書いたんだが、
功績はこれだけしか載ってなかった。
伝もめちゃくちゃ短かった。
実績不足かなあ?


733 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/26(金) 21:59:54 ID:Le3dm7lhO
基本的に西域は軍事的には貧弱だかんね
大変なのは遠いこと


734 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/26(金) 22:02:11 ID:FY0Hkwmx0
>>730に同意。自分もそう思います。
あと劉邦を推してる人がいますが劉邦は大して勝った試しがないのでは?
意地の悪い言い方をすれば逃げ上手なだけでは?
秦攻略は張良の策略に因るものが殆どで劉邦はそれに従っただけでは?
(採用するしないの判断力も将才には入りますが)

漢統一後の謀反は地方の反乱に過ぎないから
大した功績ではないという意見が以前に出てますし。


735 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/26(金) 22:05:14 ID:2qZgLV6hO
>>732
自分も昔、初代西域都護はどんな凄い奴なんだろうと漢書を調べてみたら
あまりにも素っ気ない記述で驚いたことある
さすがに百選にいれるのは厳しいかもね


736 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/26(金) 22:14:05 ID:BDe4c61U0
東トルキスタンの地域って、漢・唐(これはごく短い期間)・清代の
3度しか中国の支配下に置かれてないよな。
これって凄いことじゃないのか。


737 715 sage 2007/01/26(金) 22:14:26 ID:LY1QBMf80
>>730
実はスレ区分上、紀元前221年が両方にまたがっていたりする
「統一」秦の解釈次第だな
統一秦~前漢に加えれば、まず章邯と蒙恬より確実に上に来る将軍だ

章邯は隋の張須陀と被ってるな、二人揃って候補どまりは不憫すぎる
どっちか入れてやりてえが

韓信
衛青
霍去病
灌嬰
項羽
周亜夫
陳湯
趙充国

個人的には、これに王賁と章邯で十傑、多分無理だろう


738 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/26(金) 22:31:41 ID:Le3dm7lhO
>>734
俺は劉邦を推している
一度でも敗走したら名将と呼べないというなら別だが、
劉邦は敖倉を巡って項羽と対峙し続け、命さえ危険になるギリギリまで粘っている
打ち破られてもゲリラ的行動や速やかな再編成で戦場に戻り、相手が項羽でなければ楚軍(曹咎など)を圧倒している
また、負け続けといっても劉邦は中原への進出を食い止められているだけであり、項羽は劉邦の侵攻があるからこそ韓信に手が回らなかったのだから、劉邦自身が項羽にとってかなり脅威だったのは間違いない
項羽の方が上というのは分かるが、負けているからといって能力が無いとは限らない

また沛公から頭角を表し秦を征服するまでの実績は否定しようがないと思うのだが
張良の策、レキ食其の策…とか言い出したらキリがないよ
実質的に決定権が劉邦にあったのなら、劉邦の功績でしょう

晩年の反乱鎮圧は確かに国力の差もあるだろうが、長期化させることなく平定した手腕は認めてもいいんじゃないか?

結局、劉邦より明らかに軍事的功績のある人物がいないんだよ
敢えて言うなら韓信と項羽だけ


739 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/26(金) 22:33:08 ID:+/G783Mb0
>>737
王賁でも李信でも、統一後にもなにか目覚しい功績があるのならいいんですけどね。
少なくとも、>696で出たのは統一前の功績のみ。だったら統一前の人物として、比較
の対象は王翦や白起になります。この二人もしくは他の春秋戦国の確定組の名将達
と比べて差し替えられるほどの功績・将才があったと言えますか?


740 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/26(金) 23:23:10 ID:LY1QBMf80
>>739
やっぱ、そういう認識になるわな

魏・燕・斉を攻略した彼の軍事手腕、まさしく韓信がそれに趙・西楚覇王撃破加えた戦績を残すまで
春秋戦国期においては、親父王翦に次ぐ領土獲得者と言って何ら問題がないものだ
まあ、春秋戦国を再度議論するときに推薦することにするわ


741 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/27(土) 00:13:12 ID:gQuqZoXN0
>>738
一度でも敗走したらって劉邦は何度敗走してるんだよ
負けの多さにもかかわらず命を落とさなかった点はある意味凄いけど
秦を征服するまでに章邯に破られてるし
裏切った雍歯から豊邑を攻め取れなかった
細かいところを見ていけば城邑を攻め取れなかったり敵に敗れてから
兵を集めなおして再度攻撃ってのを何度も繰り返している
それはそれで戦略としてはいいけど、秦が一度負けると瓦解して元に戻せない状態になっているから
効果があったわけで対等の条件ではないし
兵を率いた時の能力を考えれば名将とは思わない

数々の名臣の作戦戦略戦術を一まとめにして全て劉邦の功にするという
やり方は乱暴すぎて、もしそれが通るなら一々何も語る気にはならんな


742 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/27(土) 00:21:14 ID:UBYThCFT0
劉邦ねえ・・・
名将というイメージはないが、
確かに同時代の連中の中では戦に勝ってるんだよなあ。



743 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/27(土) 00:53:46 ID:Da4NyyxXO
>>471
>数々の名臣の作戦戦略戦術を一まとめにして全て劉邦の功にするというやり方
については誤解と言っておく
言葉が足りない俺が悪かったが
献策した臣下や派遣された将の功績を全て主に帰するつもりはないよ
ただ、韓信のように独立して行動していたのは別にして、献策を取捨選択したり使う将を選んだりした主を無視は出来ないと言ってる
具体的には劉邦が秦を落とす時の策は、張良やレキ食其にとっての功績であると同時に実行して結果を出した劉邦にとっても立派な功績であり能力の証だということ


744 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/27(土) 00:54:11 ID:9W+iq81y0
劉邦の用兵力を考えれば、名将の水準に達してないだろ。


745 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/27(土) 00:55:44 ID:Da4NyyxXO
>>741だった


746 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/27(土) 01:03:56 ID:JF915E0B0
>>743
でもそれって、用兵の才、劉邦個人の将才じゃあないよね。

部下の意見を聞いた、という点については函谷関の閉鎖など明らかな失敗もある。
これは個人的なイメージにすぎないのだが、劉邦は「AかBか?」でAの方が優れている
と思うからこちらを採用という決断を下したというよりは、「Aが優れていると思われる
のでこちらを採用すべきです」と言われて「じゃあそうしよう」と決断したように思える。
あくまで、私個人がそういう印象を抱いているというだけですが。


747 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/27(土) 01:12:50 ID:BEI74e6z0
「時代区分ごとに”必ず”10人選ばなければならない」
という前提に問題がある。
高祖の単独の指揮で↓の連中と勝負になるか?
韓信、衛青、霍去病、項羽、周亜夫、陳湯、趙充国
ならない。よって失格。
決して「名将じゃない」とは思わない。
けど兵法を極めてるタイプでもないので除外するのが妥当だと思う。

あと灌嬰は猛者だとは思うが名将としては微妙。。。
関張とか秦尉遅のような系統は除外したほうがスッキリする。
項羽だけがその系統でも規格外なのでケチはつけない。


748 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/27(土) 01:44:33 ID:eKQFGk/O0
>>747
灌嬰は文句無く名将でしょう。
灌嬰の戦績は凄いんだし、決して只の猛者ではない。


749 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/27(土) 01:50:49 ID:eKQFGk/O0
連投スマン
彭越についての推薦文
史記には魏豹と共に卑しい身分の出身であったが千里の地を席巻し南面し、
弧と称し敵を殺し勝に乗じて名声は日ごと高まったとある。
韓信にやや劣るものの漢に対する貢献度では負けてはいないはず。
後方での撹乱行動は項羽にとってイジメどころか寧ろ嫌がらせに近いと思うな。


750 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/27(土) 05:13:22 ID:davQkqlCQ
てか彭越が入らないのおかしい
後戦国時代に活躍した武将は入れるべきじゃないと思う
最終更新:2007年07月15日 17:34