751 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/27(土) 06:24:32 ID:uhB3fX7FO
>>738
>打ち破られてもゲリラ的行動や速やかな再編成

ゲリラ的行動は主は彭越だろ?
軍の再編成って韓信から無理矢理兵を奪っているだけじゃ?
再編成の評価は寧ろ韓信に対してするべきだろ?
>項羽は劉邦の侵攻があるからこそ
彭越の活動が大きくないか?
劉邦もピンチを救われてるんだし。


752 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/27(土) 09:23:52 ID:kQ/yK4lQ0
>>747
項羽が関羽や張飛、尉遅恭と同じ系統の猛将?
史記のどこを読めばそう判断できるのか教えてほしいな
とても上記の連中に、項羽と同じだけ城を落としたり、大規模な野戦で大軍を指揮している
姿が想像できない、さすがにイメージ先行だろその評価

彭越の場合、旧魏国内での活躍がほとんど(戦略的に重要地域だが)
単純なゲリラ戦術というわけでもないし(斉の田兄弟も似たようなことしている)
功績は大きいが、真正面から韓信、項羽あたりと戦ったら(戦わないわけだが)間違いなく負けるな
逆に、攻城戦の経験が殆どない衛青、霍去病あたりには相性が良いだろうな
(特に兵站を平気で無視する霍去病なんかには)
劉邦も同じことが言えると思う


753 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/27(土) 10:37:00 ID:fZN5alXM0
>後戦国時代に活躍した武将は入れるべきじゃないと思う

唐突すぎてちょっと意味不明なんだが


754 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/27(土) 11:13:51 ID:KN1fevg20
>>754
後戦国時代って、統一秦後の楚漢戦争を指しているんじゃね?
んで、前戦国時代が、統一秦前の一般的に言われる戦国時代。


755 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/27(土) 12:10:13 ID:UBYThCFT0
たぶん、「あと、戦国時代に活躍した・・・」
といいたかったんだと思うが。


756 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/27(土) 12:13:18 ID:nC48FSks0
じゃあ白起や李牧や楽殻はアウトか。


757 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/27(土) 12:53:44 ID:davQkqlCQ
そうそう
後、戦国・・・


758 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/27(土) 13:14:21 ID:fZN5alXM0
誤解した>>754には申し訳ないけど、俺は「戦国時代は対象外」なんて意見が
意味不明で訊いたんだけど、やはりそういうことなんだな

どちらにしても理解できないことにはかわりないんだが、何で説明するなり
自論を提示するなりせんのだろう


759 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/27(土) 13:23:00 ID:JF915E0B0
>>758
本人じゃあないがおそらく
「後(=もう一つ)、今の話題である”統一秦・前漢”の時代に戦国時代(秦の統一前)にのみ
活躍がある人はいれるべきではないと思う」
こんな意味だったのではないかと。
王賁・李信・蒙恬の話題に対するレスと思われます。


760 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/27(土) 13:29:12 ID:q5fnZrtHO
>>759
王賁や李信はともかく、統一後の活躍も目立つ蒙恬はこっちでも良いとは思うがね


761 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/27(土) 14:03:30 ID:davQkqlCQ
>>759
その通り



762 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/27(土) 15:30:08 ID:UBYThCFT0
>>761
手抜きせず自分で言えよw


763 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/27(土) 16:51:37 ID:BEI74e6z0
紛らわしいがこの候補の中で誰が最強?
漏れは李衛公だと思うが。


764 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/27(土) 17:31:34 ID:0JwtOrU7O
>>763
まだそれを決めるのは早いんじゃ?


765 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/27(土) 17:43:29 ID:BEI74e6z0
なんでですか?
それを決めれば微妙な候補を落としやすくなるはずですけど。


766 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/27(土) 17:48:03 ID:q5fnZrtHO
>>765
一位が決まったからって、百位前後の比較に役にたつと思うか?


767 ◆RQdk7scN8s sage 2007/01/27(土) 17:50:29 ID:E/uaLKWk0
>>765 たとえば、李靖を最有能将帥として、どういう基準でそれと他とを比較する?
時代や背景が変われば、最強なんて変動するから、こうやって各時代ごとの有能将帥を挙げていっているわけだ。
そこのところをよく理解したほうがいい。


768 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/27(土) 20:11:30 ID:9W+iq81y0
鄭吉の功績について間接的な資料から調べてみた。
車師前国の王城は交河城(ヤルホト)
(現在のトゥルファン市街から西に10Kmほど)
前漢王朝時代の西域都護府は、鳥塁(今の輪台県内)に置かれ、
その以東に酒泉、武威、張掖、敦煌郡の河西四郡が設置された。

当時の地図
ttp://www.eva.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/as4/j4.jpg
西域回廊
ttp://www.ne.jp/asahi/overland/japan/xinjianghome.htm

鄭吉は、当時の地図からして鳥塁から張掖までの範囲で、匈奴・
大月氏・大などの勢力と対抗しながら、西域三十六国を武力で統
治し続けたと推測されます。

具体的な戦功や統治した年数が明確になれば、名将に挙げてもよ
いかと思います。


769 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/27(土) 21:28:25 ID:hbilgZlv0
>>768
漢書の鄭吉伝を読んでみたんだけど、
むちゃくちゃ短くて具体的な戦功とか、統治した年数とか、
全然書いてないんだよね。
西域を支配した功績は大きいけど、
候補に挙げるには、事跡が少なすぎるかな。


770 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/28(日) 12:16:32 ID:NPcfoWB60
現在の状況。

 統一秦~前漢
【確定組】
 韓信、項羽(籍)、霍去病、衛青、灌嬰 、趙充国、陳湯

【候補】 章邯、彭越

【論争中】
 蒙恬、周亜夫 、劉邦、鄭吉

趙充国、陳湯は異論が無ければ確定でいいのでは?
章邯、彭越は推す人が多いので有力候補としました。
蒙恬、周亜夫、劉邦は意見が割れている様なので論争中とさせていただきます。
鄭吉は事跡が分かりにくいということでこれも論争中とさせていただきます。

諸兄こんな感じでどうでしょうか?


771 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/28(日) 12:24:36 ID:l6atc5vN0
よろしいと思います。

蒙恬がオルドス征服で候補に挙げられているので、じゃあ秦のもう一つの外征、
嶺南遠征の司令官はどうなんだと調べてみたらロクな記録がないのな。




772 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/28(日) 13:21:15 ID:CYtxbtC/O
今まで反対意見は出て無いし、推す人も多数いるんだから、
章邯、彭越は確定でいいんじゃないの。



773 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/28(日) 15:06:13 ID:l6atc5vN0
范明友が、候補に挙げられるだけで具体的な功績の紹介もなく>770でもハブられているので
ちと調べてみた。といってもググってみるだけだが。

 昭帝の時代(前87-前74年)、烏桓は次第に強勢となり、匈奴単于の墓を暴いて冒頓への恨みを報いた。
匈奴は激怒し、東に走って烏桓を撃破した。大将軍の霍光がこれを聞き、度遼将軍の范明友を派遣し、
二万騎を率いて遼東外境の匈奴に出撃したが、匈奴はすでに退去していた。明友は烏桓の新たな敗戦に
乗じて、遂にこれに進擊し、斬首六千余級、三王の首を獲って帰還した。烏桓は再び幽州に侵攻したが、
すぐに明友がこれを撃ち破った。

前73 宣帝、范明友・韓増・趙充国らに匈奴を撃たせる。

…他に見当たらない。あるいは宣帝期の対匈奴戦争にも従軍していたのかもしれないが。
他に功績がないのなら、候補落ちでもいいかと思った。


774 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/28(日) 15:28:34 ID:gLEbnvKt0
章邯は無いんじゃないか?
項羽に敗れるまでは確かに名将、
群雄をある程度淘汰した点は隋末の張須陀とかに似ているかもしれないが…
終わりが良くない所為だろうか

彭越は確定でもかまわない
劉邦は「将の将」の体現者として一応推す


775 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/28(日) 16:21:22 ID:CYtxbtC/O
>>774
>項羽に敗れるまでは確かに名将
確かに破れてはいるけど章邯がいくら有能でも、
援軍が見込めないあの状況では項羽相手に勝つのはまず無理じゃないか?
俺は兵卒の命を救う為に項羽に降ったのは将として立派だと思うけど。
(章邯の考えとは違う結果になったが)
韓信にも破れてるが相手が相手だけになぁ・・・

劉邦は「将の将」の件は朱元璋の時、揉めに揉めた記憶が・・・


776 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/28(日) 16:48:04 ID:3rQFp2ZQO
「将の将」は別にしても、
沛公になってから劉邦は転戦に転戦を重ねて兵を増やし、項梁や項羽と共に章邯や三川守李由を破り、楚懐王の下で短期間で項羽に続く地位を得ている
武関から秦を攻める別動隊の将となったのも、彼の「長者」という評判だけでなく、劉邦なら出来ると思われたからに違いない(そして期待を裏切らなかった)
項羽との戦いの中でも、項羽には苦戦や敗走を重ねてるが、神出鬼没の動きで項羽を翻弄したり、項羽が去ると守将を破ったりと、かなり嫌らしい
目の覚めるような奇計や猛烈な勢いこそないし敗北も少なくないが、本人の軍事的な能力も高く評価していいと思うんだがねえ


777 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/28(日) 17:14:32 ID:l6atc5vN0
朱元璋の時もそうだったが、誰も「無能だから落せ」とは言っていないと思うのだが。


778 ◆oOLAqFKRB. 2007/01/28(日) 20:21:08 ID:d9rsfr9x0
あぁ、朱元璋論争のとき意固地になって朱元璋を確定に残そうとしたの俺やが。
朱元璋の軍事的才能は朱棣に劣らんゆーてね。今となっては恥ずかしい思い出。
当時はまだ標準語モードやったけど、今は博多弁バリバリ。
なんで変わったんやろ。一遍キレたけんかな?
さておき、鄭吉についてちょいと調べてみた。
会稽の人。はじめ兵卒として従軍し、しばしば西域に出て郎となる。
宣帝のとき侍郎となって渠黎に屯田し、西域諸国の兵を徴発して車師国を破った。
功により衛司馬とされ、鄯善国以西の南道諸道を管領した。
前60年、匈奴の日逐王が単于に背いて漢に降ろうとしたので、
西域の兵5万を率いてこれを漢土に迎えた。
車師国討伐、日逐王護送その他の功により鄭吉の名は西域を震わす。
都護騎都尉とされ南北二道を併領し、また安遠候に封ぜられた。
西域諸国の中心である烏塁城に幕府を立てて諸国を鎮護し、漢の威徳を遠西まで広めた。
初代西域都護。着任後11年にして現地で没。
・・・出典はアジア歴史事典。しかしこれだけやと事跡、戦功あんまりわからんな。ま、参考までに。


779 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/28(日) 20:25:49 ID:TtaB2GFN0
劉邦の彭城における大敗は、油断以前に大軍を適切に配置する
ことさえ出来なかった。また、匈奴の冒頓単于に包囲されて、
やはり大敗しているし、戦術指揮官として名将に推すには欠点
が大きすぎると思う。

鄭吉は西域都護を11年間勤め上げた時点で、個人的には1票を
投じたい。理由は>>768と>>778から。


780 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/28(日) 21:02:40 ID:AuIBmNcmQ
章邯が後盾も無く囚人ばかりの軍隊で連戦連勝したのは凄い
一度として万全の体制で戦いに臨めた事は無いからなぁ

韓信に負けたのもそもそも項羽の人心を読まない配置が最大の理由だと思うし

悲劇の名将として一票



781 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/28(日) 21:13:35 ID:ivrSSeOG0
>>776
ここはあくまでも名将スレだし
劉邦は良将ではあるかもしれないが、名将じゃない


782 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/28(日) 21:15:18 ID:Yvge6u840
事績が具体的じゃないんだったら、鄭吉は推薦できないだろ
むしろ、霍去病による棚ボタ的な河西回廊の獲得によって、匈奴の西方防備が崩壊したことを
考慮すると、西域経営の功績の多くはやはり霍去病に起因するものと言っていいでしょ
全盛期の匈奴を破るのと、斜陽の匈奴の庇護から乖離しつつあるオアシス諸都市の征服を
同列で評価はできないなあ

劉邦を推したい気持ち、分からなくもないが、やっぱ無理じゃねえ?
でも、彭越も特殊な功績だ、能力・戦績そのものは劉邦と大差ないだろうし
彭越推してた人たちに二人の優劣をどこで判断したか教えてほしいな


783 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/28(日) 21:30:56 ID:Yvge6u840
>>780
「万卒は得易く一将は得がたし」はかなり疑問のある格言だね
実際にはよく訓練された兵卒を多数抱えることが勝利への近道だ
そういう意味で、章邯は率いてきた兵卒の大部分を項羽に坑殺されたわけで
その後、封ぜられた三秦の人民からは逆恨みを買うなんておまけつきで
こんな状態で戦力が温存されていた劉邦の精兵と戦えなんて、氏ねと言ってるようなもんだ

項羽が自害したのも同じ理由でしょ
捲土重来を果たすには、あまりにも幕僚や兵卒を失いすぎた
軍略を知り尽くしていて、矜持を抱いていた項羽だからこそ、挫折したと言えなくもない


784 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/28(日) 21:36:05 ID:l6atc5vN0
彭越の推薦理由がゲリラ戦術で項籍を苦しめたからなら、斉の田栄・田横兄弟なんてどうよ。
彭越と異なる点は、彼が項籍の軍は徹底的に避けたのに対して田栄・田横は項籍本軍相手に
ゲリラ戦で苦しめたこと。

書によっては田栄が彭越を梁に派遣してゲリラをやらせたともあるし。


785 779 sage 2007/01/28(日) 21:37:25 ID:TtaB2GFN0
>>782
霍去病や衛青の匈奴戦の功績から西域都護の設置までは
50年前後空いてます。
それとこの二人は前漢が西域経営に乗り出す前に逝去してる
と思いますが。
また、私が鄭吉を評価しているのは、オアシス諸都市の征服で
はなく、複数の騎馬民族の交通の要所であり、係争地である
異国を、それらの民族と対抗して統治してきたことです。


786 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/28(日) 21:45:51 ID:3rQFp2ZQO
>>782
劉邦が選に漏れるのはまあ仕方ないかもしれないけど、彭越よりは劉邦の方が将として総合的には上だと思うので、彭越が入るのはちと疑問


787 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/28(日) 22:16:41 ID:+mk7JmVF0
上:項羽、股夫
中:高祖、黥布、彭越
下:陳余、張耳、韓王信、魏王豹ほか

この「上」のランクに灌嬰が入るなら曹参も入ると思うが如何か?


788 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/28(日) 22:35:27 ID:SVjZ+nys0
>>787
曹参の具体的な戦功をあげてくれ。
あと、曹参が韓信の副将だったことを忘れてはならない。


789 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/28(日) 23:02:13 ID:CYtxbtC/O
>>784
>彭越の推薦理由がゲリラ戦術で
じゃあその田横が候補に名が挙がっているのに誰も推薦しないのはなぜだ?
同じゲリラ活動でも項羽の思惑を悉く打ち砕き、行動を制止させた点、
劉邦に対する貢献度、共に、彭越が果した役割りは大きくないか?
それに田横の本拠地である斉の城を落としているしな。
劉邦の場合は個人の器量だけでなくブレーンの策略、弁舌を駆使し戦績を挙げているよな。
彭越は全ての己の器量で戦績を挙げているんだぜ。
(しかも寡兵で)
それと田栄、田横の斉攻略以外の功績を挙げてみてくれ。


790 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/28(日) 23:11:18 ID:U62fwxmw0
田栄はあっさり殺されてないか
田横は人物としては素晴らしいけど
軍事的に大きな戦果を挙げてないと思う


791 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/28(日) 23:19:25 ID:+mk7JmVF0
名将の副将は名将ではないのだろうか?
まあそこが一番入選に厳しい点だと私も思う。
だが、論功行賞で諸将が灌嬰でも簫何でもなく曹参を首位に推した、という点に注目したい。
股夫はその時点で既に別格の存在だった。(信者が多杉)
戦時ならそのまま前線指揮官の曹参が首相になったはず。
灌嬰が入って曹参が落ちるのでは樊噲、周勃、柴武らが納得しないかと思う。


792 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/28(日) 23:24:20 ID:gLEbnvKt0
>787
S 項羽 韓信
A 灌嬰 彭越 章邯
B 曹参 項梁 周文
C 劉邦 黥布
D その他

簡単に分けるとこんなもんじゃないかな


793 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/28(日) 23:27:40 ID:Yvge6u840
>>785
じゃあ、名将でなくていいじゃん
(前涼の張軌や前秦の呂光ですら選外漏れなのに)

周亜夫を十傑に推したい
彼が呉楚七国の乱で勝利を収めることができたのは、相手のミスに乗じ続けたことが挙げられる
逆に漢軍の方は、ミスを犯さないようにひたすら防勢に徹していたわけだが
ここで、皇族の梁軍をおとりにし続けた根性が凄い、かなりイイ性格している
(実質、この戦略を採用したことにより、呉楚の補給線は野放図に拡大・長期化することになった)
そして、呉楚の攻勢が限界点に達しても、ひたすら防勢+補給線分断
相手が苦し紛れの決戦を挑んできて、無難に撃破
勝つべくして勝った戦だが、これだけ堅実で失敗を犯さないで戦えたのは、偏に周亜夫自身の
将器の賜物と言っていいと思う
呉楚七国20万+匈奴+南越 VS 漢軍(推定30万以上かな?)
漢軍の動員兵力が不明なんだが、三輔地域メインでの動員だから、そこまで多くはないでしょう

天下分け目の合戦を制している手腕はもっと評価してほしい


794 785 sage 2007/01/28(日) 23:44:28 ID:TtaB2GFN0
>>793
鄭吉が明らかに平和でない異国に武力駐留して、11
年間に渡って、統治してきたのは将としての功績でしょ
うよ。
それとも、匈奴、烏桓などの領域外の騎馬民族と政
治的な駆け引きで平和的に西域を保った、非常に優
れた文官であったとでも?

それに、前涼や前秦については、未だ決定の作業に
入っていませんよ。この後に推薦者が出てきても不思
議ではありませんね。


795 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/29(月) 00:42:17 ID:73igenzz0
>>789
彭越も、劉邦という不撓不屈のサンドバッグいてこその後方攪乱戦なんだが
独立勢力でやってたら、それこそ田斉のごとく項羽に制圧されておしまいだった可能性大

田栄、田横は論功行賞漏れから、一気に全斉をゲリラ的に奪取しているから、凄いと言えば凄いんだよな
逆に彭越は魏一国すら単独で切り取れなかったとも言えるわけで、評価に困るよ
(そもそも領土拡大が主目的じゃないから仕方がないと言えば仕方がない)
戦略的には非常に大きな役割を果たしているし、地の利のある彭越でなければできない仕事だったけれど


796 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/29(月) 01:08:26 ID:3C48d4S+O
>>792
曹参と劉邦は逆だろ

鄭吉だが、既に大宛や楼欄を征服、進出しており、匈奴も弱体化の一途をたどっている時代
しかも西域の兵は数も装備も漢より劣っていた
これらの点も考慮すべきだと思う


797 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/29(月) 01:13:54 ID:o6Jf9g770
魏で独立なんかしたら真っ先に東西列強に挟み討ちになると思うけど…


798 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/29(月) 01:38:31 ID:RM1cMq2e0
もう周亜夫は確定でいいと思う。793のいう通り、勝つべき戦いには勝つのは
凄みを感じる。戦略で勝つのも名将。
ただ、自分的には、後は難しいというのが本音。(強いてあげれば、章邯だけど)
どれも、春秋戦国の十人には見劣りがするんだよね。
それと後に予定している時代の名将と肩を並べるのも難しい気がする
五胡や隋唐の時とかかなり違う。
ここは八人(七人)で終わらせ、他の時代の人物を増やすか、
(隋唐は300年以上あるので少し譲っていいと思う)
新の時代の武将を候補にいれるかしたらよいのじゃないかな。
新の荘尤や光武帝配下をのぞく群雄を候補にすれば、なんとかバランスとれそう


799 ◆oOLAqFKRB. 2007/01/29(月) 01:39:55 ID:iqawi9oV0
>>788曹参の具体的武勲。
【名前】曹参
【時代】前漢
【功績】
沛の人。劉邦決起当初からそれに従う。
将として胡陵・方与を撃ち、秦の泗水の軍を攻めて大いに破った。
東に進んで薛を降し、泗水軍守の軍を薛の城郭西部で撃ち、
ふたたび胡陵を攻め取り、方与を守った。方与が叛いて魏につくとこれを撃つ。
秦の司馬尼の軍を碭で打ち破り、碭・狐父および祁を獲った。
また下邑以西、虞にいたるまでを攻め、秦将章邯の車騎を撃破、
その他諸々の戦いで先陣の功があった。
ふたたび章邯を破り、陣を陥れてこれを追い濮陽に至り、定陶を攻め、臨済をとる。
劉邦に従って東郡の都尉を攻め、これを城武の南で打ち破り、
秦将王離の軍を成陽で撃ち、王離と再戦して再び大敗させた。
敗走する秦軍を追撃して開封にいたり、秦将趙賁を破る。
西のかた秦将楊熊の軍を打ち破り、秦の司馬および御史一人ずつを捕獲した。
再び趙賁を破り、南陽の郡守・齮と戦って陣を落とし、宛を取って齮を生け捕る。
秦の郡を藍田で攻め、夜襲をかけて秦軍を大破させる。
三秦を平定、咸陽を落として新城と名を改める。三秦の将・章平を撃破。
項羽と劉方が袂を分かつと章邯・竜且・項他らをたてつづけに撃破、
碭・蕭・彭城を取る。劉邦の将軍として項羽を撃つが大敗した。
しかし潰滅することなく、外黄の王武、燕の程処が叛くと急行して悉く平定した。
高祖二年、劉邦の別将として韓信の下につき出陣、魏の五十二城を落とす。その他戦功赫々。
竜且と上仮密で戦い、これを大敗させ、竜且を斬って斉を平定、70余県を得る。
項羽死後、天下が平定されると右丞相から斉の相国に任ぜられる。
英布が叛くと車兵騎兵十二万余を率いて劉邦の軍と合流、英布を破る。
生涯に二百二十二間を降し、
王二人、相三人、将軍六人、卿・司馬候・御史それぞれ一人を捕らえた。
蕭何死後丞相の位を継ぐ。蕭何の定めた法を曲げず、
無為無策とも呼ばれたが天下はよく治まった。・・・まぁ、特に推すわけでもないけど。


800 ◆oOLAqFKRB. 2007/01/29(月) 01:45:53 ID:iqawi9oV0
>>799
訂正。下のほうの“生涯に二百二十二間”は生涯に二百二十二城、の間違い。


801 ◆oOLAqFKRB. 2007/01/29(月) 02:07:56 ID:iqawi9oV0
悪いけども連投。今度は灌嬰の武勲。
二千石のものを擒らえること二人、
城を降すこと四十六、国を平定すること一、郡は二、県は五十二、
将軍を擒らえること二人、柱国・相国各一人、二千石以上のもの十人。
数字だけ見ると曹参の方が上やね、明らかに。
まぁ作戦活動の困難さとかいろいろ条件があるけんが、数字だけでは計れんわけやが。


802 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/29(月) 02:11:42 ID:P/2Ni0lEO
>>798
時代の長さと名将の数は必ずしも一致しないから、長いから多くて良いっていうのには賛成しにくい
ただ時代ごとに十人挙げるのは偏らないようにする為というのもあるが、決定作業の都合でもある
取り合えず百人選び終わったら調整はしなくちゃならないでしょうね
(そうしないと話題が無くなるしw)


803 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/29(月) 06:29:31 ID:o6Jf9g770
>>799
いや、当方も特に推す訳でもないが、
灌嬰が入るなら曹参も入れるのが当然。
しかし秦末漢初では韓信、項羽の二人以外は全部格落ち。
結局灌嬰曹参ともに入れないのが百選の純度を高めるだろう。
余った枠は他の時代にくれてやるのがいいかと。

個人的に章邯は良い線いってると思うけど、項羽にも韓信にも負けている。
「迷ったら除外」というスタンスでやる分には入選は無理。惜しいところだが良将止まりだ。


804 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/29(月) 10:43:30 ID:4EoWw7kPO
>>803
>灌嬰が入るなら曹参も入れるのが当然。
灌嬰は戦績だけでノミネートされてる訳ではないのを忘れていないか?
>しかし秦末漢初では韓信、項羽の二人以外は全部格落ち。
韓信、項羽の化け物二人と比較するのは厳し杉じゃないか?
他の時代の武将で韓信、項羽に勝てる奴なんて何人いるんだよ。
章邯は項羽にも韓信にも負けているがあの悪条件で良く戦ったと思うけどな。


805 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/29(月) 12:50:47 ID:3SFy6HSnO
灌嬰や曹参も入るとなると、樊會とか周勃も候補になるんじゃない?


806 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/29(月) 18:04:15 ID:/rC4wknI0
>801
灌嬰の武勲の詳細を簡単に付け加える
楚の本拠である彭城を降し、垓下から逃げた項羽を追跡して斬っている
さらに長江を渡って呉・豫章・会稽郡を平定している
後に匈奴とも戦っている



807 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/29(月) 18:30:35 ID:o6Jf9g770
353 :名無しさん@お腹いっぱい。 :sage :2006/12/03(日) 09:16:31 ID:g5gmsaEl0
灌嬰 
楚の本拠の彭城を降伏させ、亥下で敗れた項羽を追跡して斬っている
他戦功多数

369 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/12/03(日) 23:21:11 (p)ID:K3j/CdUKO(3)
368 :名無しさん@お腹いっぱい。 :sage :2006/12/03(日) 23:00:49 (p)ID:z0cozBnwO(2)
横山「項羽と劉邦」と「史記」しか読んだことないけど、灌嬰入るのなら曹参、周勃とか入るんじゃないかな~と思ったんだけど、だめ?
>>368
灌嬰は別格
秦以来の騎兵隊を任され、項羽追撃などの大役を務めた
実力、功績とも随一だろう


808 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/29(月) 18:50:12 ID:N2oaIOq/0
>匈奴とも戦っている。
灌嬰は匈奴と戦い、打ち破っていますし、統一後の謀反討伐にも参加、見事な功績を残しています。


809 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/29(月) 20:54:01 ID:r2WaV39L0
灌嬰が入るなら、劉邦の子飼いの中では最大の軍功を
挙げたと評価された曹参が入っても良いだろう。
このスレの基準は戦功が第一なのだからな。


810 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/29(月) 21:07:33 ID:3C48d4S+O
>>809
戦功第一なら劉邦が先に入る罠
潅嬰も確定と言うには微妙だと思うが、曹参は無いわ
一見記録される実績は多くても、劉邦や韓信の節度を受けたものだし、騎兵を率いて中核となるとか項羽を斬るとかの特筆するような実績には欠ける


811 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/29(月) 21:56:54 ID:gq2vDPSNQ
>>809
同意



812 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/29(月) 22:40:25 ID:N2oaIOq/0
>>810
灌嬰は郎中の騎兵を率い 陽の東で楚の騎兵を撃破、
別部隊、別将として項冠、南燕の西で魯で王武、王武の別将桓嬰を白馬の城下で打ち破っている。
更に韓信が斉王となった後、楚将某を魯の北で打ち破る。
項声、薛公、 公を打ち破って傅陽などを平定。  呉・予章・会稽の三郡を平定。
匈奴の騎兵を武泉で燕・趙・斉・梁・楚の車騎をあわせこれを率いて匈奴の騎兵をサ石で撃破。
B.C177辺境の吏騎85000で匈奴を討ち退却させている。
車騎将軍として燕王臧荼を韓王信を代にて討っている。
こんな感じですが特筆に欠けますか?


813 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/29(月) 22:46:15 ID:3C48d4S+O
>>812
あわてんぼさんめ
俺が特筆すべき功がないと言ったのは曹参だよ

潅嬰は君の言うとおり
漢の将から韓信以外に一人選ぶなら彼だろう


814 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/29(月) 22:57:53 ID:r2WaV39L0
曹参に特筆すべき功がないと言ってもなあ。
当時の関係者達の評価をさしおいて、潅嬰の戦功の方が
上というのも、どんだけ傲慢な話なんだ。


815 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/29(月) 23:30:26 ID:3C48d4S+O
>>814
当時の関係者の評価も功績の分析もしないで愚痴るだけの方が傲mry


816 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/29(月) 23:56:09 ID:4EoWw7kPO
>>814
手柄を多く立てたからといって内容も考察せず、
いくら定義とはいえ戦績の数だけで名将扱いしようとするのは理解不能。



817 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/29(月) 23:57:06 ID:aDgDzH+60
灌嬰が韓心や項羽はもちろん、白起や郭去病や李靖や徐達やらと同列に並べられると思うとニヤリとなる。


818 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/29(月) 23:57:35 ID:ujkrBdBv0
つらつら読み返すにID:3C48d4S+Oも十分に傲m(Ry


819 名無しさん@お腹いっぱい。 age 2007/01/30(火) 00:03:20 ID:srVf4tNPO
これから煽りモードをお楽しみください。


820 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/30(火) 00:46:31 ID:cnhfj5780
           r'丁´ ̄ ̄ ̄ ̄`7¬‐,-、           /
        r'| |          |  |/  >、     /
        ! | |          |  |レ'´/|       |   待 て
        | | |   /\   |  |l  /⊂う    |
        | | |__∠∠ヽ_\ |  リ /  j     ヽ   あ わ て る な
        |´ ̄   O   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄`!      〉
        l'"´ ̄ ̄ヾ'"´ ̄ ̄`ヾ::幵ー{       /   こ れ は 孔 明 の 罠 だ
        ⊥,,,,,_、    ___,,,,,ヾ| l::::::|      |
         lヾ´ f}`7   ヘ´fj ̄フ  | l::i'⌒i    |    >>819
         l ,.ゝ‐イ    `‐=ニ、i | l´ ( }    ヽ
         l     {         U | l 、_ノ    ∠ヘ
        l   / ̄  ''ヽ、   | l ヽ_       \,_________
           !  ハ´ ̄ ̄ ̄`ト、  |亅〃/\
        ,人 f ´ ̄ ̄ ̄``ヾ  j ,!// {_っ )、
      // `ト、__iiiii______,レ'‐'//  _,/ /スァ-、
    ,.イl{ { 々 !/´しllllト、 ̄`ヽ、 // /´,.-、 /彑ゝ-{スァ-、
  ,.イ彑l l > ゞ く l 〃 l|ハ.lヽ、 ハVゝヽ二ノ/ゝ-{、彑ゝ-{、彑ァ-、
,.イ彑ゝ-'l l ( (,) レシ′   !l `ソァ'´    _ノ7{、彑ゝ-{、彑ゝ-{、彑{
ュゝ-{、彑l l  ` -イヘ      !l // /⌒ヽヾ/_ゝ-{、彑ゝ-{、彑ゝ-{、
 {、彑ゝ-'l l f⌒Yハ ',    !l/ / ヽ_う ノ /-{、彑ゝ-{、彑ゝ-{、彑ゝ
彑ゝ-{、彑l l{ に!小 ヽ   /!l /   ,/ /彑ゝ-{、彑ゝ-{、彑ゝ-{、



821 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/30(火) 02:13:36 ID:caJWhNhE0
iloveme


822 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/30(火) 02:27:01 ID:UG3MyGq00
曹参と潅嬰のどちらか?
個人的には、どちらかに絞ることなく両者を挙げてもいいと思います。それだけの
功績があるのなら。
光武帝劉秀配下から、太祖趙匡胤配下から、洪武帝朱元章配下からそれぞれ数人
づつあげられてますしね。

ただ>814、生前の評判や地位勲功は参考にはなっても比較には使えないと思います。
論功行賞というものには、実際の功績以外のプラスアルファが常に付き纏いますから。
例えば、南宋初期に張俊・韓世忠が枢密使、岳飛が枢密副使に任じられてますが、これ
をもって韓世忠の将才・功績は岳飛より上だとは言えないでしょう。


823 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/30(火) 14:20:37 ID:VWKnc22z0
統一前は曹参、統一後は灌嬰でどうだろう
灌嬰は韓信が斉王になった後、別行動を取り
車騎将軍として内乱鎮圧や匈奴討伐に駆け回る
文帝の代まで活躍、丞相になり没する
曹参は韓信が垓下向かった後、斉を保持、そのまま次の斉王劉肥の宰相になる
陳豨や黥布を討つが灌嬰より動きは少ない
恵帝の代、丞相になり没する


824 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/30(火) 16:08:38 ID:3R1cOfekO
>>823
曹参をエントリーさせるのは別に構わないよ、
只、推すつもりは無いだけ。


825 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/30(火) 18:29:51 ID:6FKvoo5IQ
曹参、灌嬰は同じようなレベルだと俺も思う
この時代は韓信が凄すぎるから小粒に見えるのもしかたない


826 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/30(火) 19:38:25 ID:ZhY/sJVR0
韓信
項羽
霍去病
衛青
趙充国
陳湯
周亜父
章邯
彭越
灌嬰or曹参

といった感じかな
上九人まで確定しちゃっていいなら、残り一枠はおいといて
次の時代へ行くという手もあるが


827 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/30(火) 20:39:20 ID:3R1cOfekO
>>826
灌嬰はともかく曹参はないだろ。
つ 灌嬰は元々確定してたんだし無理に外す意味が分からない。


828 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/30(火) 20:44:09 ID:UG3MyGq00
残り一枠を曹参or彭越で残すというのはどうだろう。


829 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/30(火) 20:46:30 ID:+h3ybGLZO
もういい加減次の時代の議論に入ったほうがいいのでは?
後漢以降の時代について語りたい人達が待ちくたびれてると思うよ


830 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/30(火) 20:48:10 ID:srVf4tNPO
>>828
劉邦or彭越or鄭吉ってことで


831 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/30(火) 20:53:12 ID:ZhY/sJVR0
じゃあまとめると
韓信、項羽、霍去病、衛青、趙充国、陳湯、周亜父、章邯、灌嬰
の九人が確定、
残り一枠が劉邦、曹参、彭越、鄭吉といったところだろうか


832 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/30(火) 20:55:59 ID:srVf4tNPO
>>831
まあいいんじゃないでしょうか


833 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/30(火) 21:25:04 ID:UT11UfLt0
統一秦~前漢をいったん纏めるなら、>>619、>>623で言われていた春秋戦国の異議申し立てタイムに入る?



834 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/30(火) 21:30:39 ID:UG3MyGq00
でも、春秋戦国に続いて統一秦前漢も一枠の議論の余地を残しているのだから、
いちいち前代に戻ることもないのでは?
この調子で時代を進めて行って、清が終わったらまた戻るでいいんじゃないでしょうか?


835 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/30(火) 21:45:49 ID:caJWhNhE0
outカンエイ
inリュウホウ、テイキツ

でお願い致します。
元々確定と仰りますが、たいした審査も無く確定にされたのが不思議なレベルでございます。


836 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/30(火) 21:59:40 ID:RlqhzTTt0
>>834
いいんじゃないでしょうか。
どの時代も同じ様な事態が予想されると思いますし、
取り敢えず次の時代に移るのも悪くないかと。
諸兄いかかでしょうか?


837 ◆oOLAqFKRB. 2007/01/30(火) 22:04:34 ID:ruL/ZO9Q0
後漢入るならとりあえずこれ貼っとくわ。
【新・後漢】
劉秀
耿エン
馮異
岑彭
呉漢
廉范
班超
張奐
虞[言羽]
賈復または馬援
以上十名、確定なし、暫定。
劉秀から呉漢までは確定でもいい気もするけど雲台28将から引っ張りすぎな気もするけんが、
とりあえず事跡・戦功を挙げた上で決めようやってことで。
あと、結局曹操・周瑜の曹丕簒奪前組はどっち扱いにするんかな?
こっちに引っ張ると廉范とか張奐あたりは一気に落選しそうやけど。
・・・とりあえず来てみたけど、きついんでやっぱ寝ますわ。皆さんあとはよろしく。


838 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/30(火) 22:43:00 ID:Nki3kEoE0
灌嬰と曹参が本当はどちらが上かは分からないが、灌嬰はまだ当時、年が若く武将として
とりたてられるのが遅かったため、統一時の戦功が曹参が上になった可能性がある。
自分なら、どちらを選べといわれたら、北へ南へ各地で勝利を重ね、先見の明で呂氏排除を
行い(名将の条件からは外れるが、的確な判断もプラス要素にはなる)
大軍を率いて、匈奴に引き返させた灌嬰を選ぶ。(無様な指揮ならば、匈奴に破られ、国力に
甚大な被害を与えた可能性もある。戦わずして一応の目的は果たしたということでプラス材料にはなる)
まあ、後漢に入るなら別にいいけど


839 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/30(火) 23:41:42 ID:15X9cuKC0
>>836
今のうちに後腐れなく前漢時代は確定しておいたほうが良いように思う。
でないと、また議論してもグダグダを繰り返すだけになる。


840 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/30(火) 23:52:08 ID:7c/EhidG0
後漢の政策課題のひとつに羌族の叛乱が挙げられる
これは前漢における対匈奴戦争並みに、国家財政を圧迫しているが
その間に多くの将帥を輩出している
というわけで、推薦

【名前】馬賢
【時代】後漢(安帝~順帝期)
【理由】
護羌校尉、弘農太守として141年に戦死するまでの間、先零羌の叛乱平定を皮切りに
20年以上にわたって三輔地域から涼州にかけての諸羌の叛乱を討伐し続けた
(皇甫規、張奐、段ケイよりも戦績は凄いと思う)

主な戦績
三輔、益州を領有し趙魏に国境を接していた、零昌(シ眞零の子)率いる先零羌の別種を
任尚の指揮下で大いに破り、三輔、益州を快復する
馬賢派遣前に、羌族鎮圧に任じられていた鄧隲、任尚率いる官軍は先零羌に手も足も出ず
河東、河内まで侵入を許してしまう体たらくであったが
馬賢派遣以降は一挙に反撃に転じ、先零羌を遂には瓦解に追い込んでいる
またその任期中に、隴西、安定、北地、上など、諸郡を諸羌から快復している

まあ、戦死がマイナスか


841 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/30(火) 23:52:42 ID:srVf4tNPO
>>839
後腐れがなくなるまで相当長期間gdgdな議論をすると思われますがよろしいですか?


842 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/31(水) 02:42:46 ID:kTfqkq/20
馬援と賈復を推薦します。推薦理由は以前に俺が>>444に示しています。



843 ◆RQdk7scN8s sage 2007/01/31(水) 08:32:16 ID:4rgF15440
賈復は「猛将」の側面が強く、この際はほかのそうでない人に譲るのが良いと考えます。
馬援は… 入れるべき人だわなぁ… 死神呉漢と交替する?
そうでないと、光武帝陣営で終わってしまう。まぁそれだけ名将が麾下にいたということではあるけども。


844 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/31(水) 10:00:55 ID:kTfqkq/20
分かりました。賈復は他に譲ります。
個人的には馬援をかなり推したいので、馬援は是非残してほしいです。
先祖の汚名を晴らそうと遮二無二に光武帝の元で活躍した点と、
人物を見抜く優れた識別眼を高く評価したい。



845 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/31(水) 12:23:43 ID:KUkdqQ3LO
思いきって光武帝を外してみるのはどうでしょうか?
確かに昆陽の一戦等でみられるように光武帝は優れた将ではありますけど
全国統一の過程における功績は配下の将達の貢献が大きいと思うし
呉漢や馮異等を選出しておけば敢えて光武帝自身をランクインさせる必要も無いかなと


846 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/31(水) 13:13:22 ID:kTfqkq/20
>>845
その案、いいかもしれませんね。
仰る通り、劉秀自身も有能な将なのですが、雲台28将を
上手く使いこなした、名君として扱い、あえて外してみる提示案を
みんなで検討してみるのも一つの手だと思います。



847 ◆RQdk7scN8s sage 2007/01/31(水) 13:21:53 ID:4rgF15440
>>845 しかしなぁ… 皇帝に即位した後も、賈復や馬武らよりも真っ先に敵陣に斬り込み、敵兵を斬りつつ陣頭指揮するあたり、項羽を彷彿とさせる統帥ぶりを発揮しているしなぁ…
これは劉邦や劉備らと違い、紛れもない名将の証明なんだけどなぁぁ


848 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/31(水) 14:06:37 ID:ssdpVric0
>光武帝陣営で終わってしまう。

>光武帝は外してはどうだろうか?
>敢えて光武帝自身をランクインさせる必要も無いかなと

純粋に能力の高い奴を選出するんじゃないのか?
結局自分の好きな武将を捻じ込むだけのスレか


849 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/31(水) 14:44:17 ID:UGano2apO
>>848
だからみんなで議論しないかと伺ってだろ。
なのに文句ばっかgdgd言ってる奴って…
もっと有意義な意見は出せんのかと言いたい。


850 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/31(水) 16:36:30 ID:KXeWokb/0
>>842
馬援はいらないんじゃないか?
誰の節度も受けずに戦った戦いは二つしかないし、
いずれも反乱平定。
強敵だったことは確かだが、反乱二つ平定では戦績不足。
耿恭や段ケイ、馬賢を入れた方が良い。


851 ◆oOLAqFKRB. 2007/01/31(水) 16:59:40 ID:0wTpCgQw0
劉秀を入れるか外すか、について。有意義かどうかわからんが2案。

とりあえず、朱元璋あたりと比べてみるってのはどうやろーか?
向こうも惜しいところで候補に落ちた選手(?)やし、
比較して劉秀のほうが明らかに上やったら、文句なしに確定、とか。

もしくは改めて後漢書をひいて、光武帝紀を調べなおす。
で、呉漢、耿弇レベルと比べてどうか対比してみる。
・・・どっちにしてもちょっと手間かかりそうやが、そんくらいしか思いつかん。



852 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/31(水) 17:16:17 ID:dB2ZjeT80
>>851
う~む、良い案だとは思うが、
後漢末と元末両方の英雄を比較できるほど
両時代に精通した住人がいったいどれほどいるか・・・


853 852 sage 2007/01/31(水) 17:17:29 ID:dB2ZjeT80
後漢末じゃなくて新末だ、スマソ


854 ◆oOLAqFKRB. 2007/01/31(水) 17:19:17 ID:0wTpCgQw0
連投になるがついでに推薦。この人が落ちることはまず無いと思うが、一応。
【名前】耿弇
【時代】新~後漢初
【功績と推薦理由】
 字は伯昭。生来学問を好み、上谷太守にして黄老の学を修めた父・況に学んだ。騎射を
見てこれに傾倒し、将帥の道を歩む。
劉秀が廬奴にいると聞くとはせ参じて拝謁し、「漁陽太守は南陽宛(劉秀の地元)の人、
上谷の太守はわが父です。この二郡から騎兵1万人ずつを発せば、邯鄲なぞ恐るるにたり
ません」と進言、劉秀は「君は北道のよき案内役だ」と笑うもたまたま薊で乱が起こり南征。
耿弇は上谷に帰って父に進言、寇恂、景丹らとともにそれぞれ騎兵2千、歩兵1千を率いて
出陣、漁陽の兵と合流して南進し、王郎の大将、九卿、校尉以下4百余を斬り、兵卒3万人の
首級を挙げた。涿郡から河間の22県を平定し、劉秀に再閲。劉秀は大いに喜び、将帥らに
「まさに上谷、漁陽の士大夫とこの大功をともにすべし」と発破をかけて邯鄲を抜いた。
偏将軍を叙す。父・況は大将軍・興義候とされた。
更始帝が劉秀の勢力拡大をおそれ、軍を解除して召し戻そうとしたとき、劉秀に「弇願わくは
幽州に帰り、益々精兵を発して以って大計をなさん」と述べて劉秀自立の覚悟を決めさせた。
劉秀は幽州の全兵力を発して南進し、耿弇は常にその先鋒を務めて銅馬・高湖・赤眉・青犢を
破った。尤来・大槍・五幡を追撃、呉漢ら12将軍とともにこれを追い、ついに平谷でこれを
大破、首級3万余を挙げる。劉秀即位後、建威大将軍とされた。驃騎大将軍景丹・強弩将軍陳俊
らとともに厭新将軍劉茂を破って降す。建武3年(27)、延岑・杜弘の軍と戦って大勝。斬首
三千余、将士50人を生け捕りにし、杜弘を投降させた。5年(29)、呉漢とともに富平、獲索の
賊を討ち、降るもの4万余という大勝を飾る。
詔を受けて張歩を撃ち、虚報と謀略(ホントはここが耿弇伝のキモなんやけど、割愛)とを駆使して
大いにこれを破る。光武帝は自ら車賀でこれをねぎらい、「その功は韓信よりも高い」と絶賛した。
耿弇はさらに張歩を追い、投降させ、ついでに五校の残党も平らげて、斉の地を悉く平定した。
生涯に平らげた郡は46、陥とした城はおよそ300。一度の敗戦すら経験することがなかった。
建武13年(37)、大将軍を辞めて政治顧問となり、“四方の異議あるごとに、すなわち
召し入れて籌策を問われた”らしい。永平元年(58)年、56歳にして没。謚は愍。
情報戦の巧妙さと寡を以って衆を破る精緻な用兵は雲台28将の中でもトップクラス。また、
戦時が終わって文治の時代が来ると剣を書に持ち替えて政治顧問となる適応力の高さも推薦理由として挙げたい。


855 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/31(水) 17:21:01 ID:qyq7a7z30
別の時代と比べる必要ないんじゃないの?
後漢の時代で十人に入るかどうかの問題にすぎないと思うのだが
だから単純に同じ時代のほかの候補と比べりゃいいだけのことであって


856 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/31(水) 18:14:15 ID:UGano2apO
>>851
少なくとも前向きな意見を述べるのは有意義だと思うけど。



857 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/31(水) 20:27:21 ID:BNI4Ofp30
【名前】樊崇
【時代】新末
【功績と推薦理由】  
赤眉軍の実質的な指導者。勇猛で名が知られ、決起後、すぐに数万人の勢力をつくる。
新軍を各地で破り、太師・王匡率いる新の大軍にも勝利をおさめ、新の権威を地に落とした。
その後、緑林の更始帝に降伏するが離反。長安を目指して進軍する。
その過程で更始帝軍に連戦連勝した。兵が集まり、三十万に達する。
ここで読み書き、計算ができない樊崇は劉盆子を立て、自立し、御史大夫となる。
その後、ついに更始帝を降伏させ、長安を占領する。
だが、政務が乱れ、統治ができず、食料が足りなくなり、長安の西を攻める。
略奪を繰り返し、その際、兵を大勢、凍死させる。
その時、光武帝配下の鄧禹が長安に来て、公称百万の大軍で攻めかかるが、これを大破する。
再び、長安を手に入れ、南にいた延岑を討伐させるために、
副将格の逢安に十数万の軍で攻めさせる。
その虚を鄧禹が再び攻めるがまた撃破する。
逢安は敗れて逃げ帰り、長安は食料が全くなかったため、二十数万を率いて東に帰る。
途上、鄧禹にまた襲われるがまた撃破。しかし、馮異に敗れる。
退路を自ら来た光武帝と耿エンに阻まれ、やむを得ず降伏する。後に謀反をおこして処刑される。



858 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/31(水) 20:29:13 ID:BNI4Ofp30
ポイント
・まだ、有力な山賊に過ぎなかった頃、新の官軍を精鋭をうち破っている。新の与えた打撃は光武帝にも匹敵する。
・武将としては弱くはなかった(一応、天下はとった) 更始帝陣営の武将たちを破り、更始帝を降伏させている。
更始帝陣営に内紛を起きていたが、その原因を作ったのは赤眉軍自身の勝利である。
・内政では失敗しているが、『名将』としてなら大きな減点にはならないはず。
それより、光武帝二十八将の筆頭・鄧禹を三度も破っているのは大きい。
鄧禹はこのせいで名将としての評価は低いが、
凡庸ならば、光武帝がここまで重任を担わせるはずはないと思える。
鄧禹は馮異たちの劣らぬ武将であった可能性もありえる。
少ないとも良将ではあったのではないか。
それを不利な状況で三度も破ったのは賞賛に値する。
・部隊が寄せ集めの雑軍である。これを数十万を統率し、戦いにおいては勝利に導いているのは評価できる。


859 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/31(水) 20:31:54 ID:BNI4Ofp30
あと、曹操・周瑜は三国に含めても、孫堅・孫策・呂布はこちらでいいのかな?
なら、孫策を推薦したいのだが。


860 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/31(水) 21:14:45 ID:KUkdqQ3LO
>>858
トウ禹は赤眉討伐のために光武帝より大軍を任されたにも関わらず、戦況が思うように行かないことに功を焦り
同僚の馮異の諫めも聴かずに無理して出撃したあげく
敵の罠に嵌まって大敗し、たった二十四騎で逃げかえるという大失態を犯しており到底名将とは言い難いと思う
ただその後も光武帝からの信任は揺らぐことは無かったけど

後に曹操がこの故事を部下とのやりとりの中で引用したりしてるから
この時のトウ禹の敗戦は後世の人達の間でも結構有名な出来事だったようです


861 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/01/31(水) 23:14:55 ID:+iBDcbEc0
>>858
光武帝が鄧禹を重用したのは名将だからとは限らないしねえ。
前スレでも鄧禹が出てきたときも言ったが、彼は曹操における夏侯惇、秦における蒙恬
と同じで政権の重臣であっても必ずしも名将な人物ではない。
むしろ、実戦における名将が政権でナンバー2の地位を占める例ってあまり見ないような。


862 ◆RQdk7scN8s sage 2007/01/31(水) 23:21:12 ID:4rgF15440
>>861 そうなると、その国は亡国の道を歩んでいることになるわなw。
鄧禹は頭脳明晰だけど、諸将の折衝役みたいなところがあるから、その意味で総大将とされたのじゃなかろうか?
「馮異の意見を聞けよ、おまい! いっつもおれに言ってるのにどうした!?」って劉秀は思ったに違いないw(いやウソです)


863 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/01(木) 00:11:49 ID:Sr9B3q+U0
>>861
>むしろ、実戦における名将が政権でナンバー2の地位を占める例ってあまり見ないような。
つ徐達


864 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/01(木) 00:41:47 ID:JyljPlLP0
>>863
軍部のナンバー1もしくは2なら徐達だろうけど、朱元璋政権のナンバー2(臣下のナンバー1)なら李善長じゃない?


865 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/01(木) 00:46:43 ID:GygXAodR0
んで、曹操は後漢に入れるのか?


866 863 sage 2007/02/01(木) 00:49:34 ID:Sr9B3q+U0
>>864
>>861さんの基準に合わせるならどう考えても徐達になるんじゃない?
なんつっても魏の筆頭に夏侯惇、秦の筆頭に蒙恬挙げてるんだから。
>>861さんは政権とは言っているけど、事実上は軍部のナンバー1を指してるでしょ。


867 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/01(木) 00:58:16 ID:g9hYksZnO
>>865
入れないと「後漢はいつまでか」から始まり、各時代の分かれ目を確定する不毛な論争が巻き起こってしまう
曹丕の魏帝即位までを後漢とし、軍事的な活動が主にそれ以前にかかる将は後漢、以後の将は三国とすべきだろ
名将になるかどうか別にして、劉備は後漢で諸葛亮は三国ということだな


868 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/01(木) 21:58:48 ID:g7mxEhmI0
現行の時代区分に従えば220年までだからな
曹操、周瑜は後漢の候補に入れるべきだろう


869 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/01(木) 22:29:23 ID:Joa3//ke0
前スレで、曹操台頭以降から三国時代としてこのスレでは扱っていく、って流れになったと思うんだが
(劉裕登場からが南北朝時代の開始って言うのもそのとき決まった話しだし)

まあ、実際後漢は候補があんまり挙げられていないから、曹操、周瑜たちが入ってきてくれれば
結構盛り上がりそうな気もする


870 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/01(木) 22:37:48 ID:PVet+kzxO
じゃあ後漢末の英雄も入れた案を

劉秀
耿エン
馮異
岑彭
呉漢
馬援
班超
曹操
孫策
周瑜

ってのはどうだろう?


871 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/01(木) 22:38:20 ID:0hqs5m+NO
【名前】馮異
【時代】後漢
【推薦理由】光武帝の挙兵後、潁川で配下に加わり多くの苦労をともにする。
兵士の信頼の厚く、読書家で春秋左氏伝、孫子に通じ兵法に明るく、
温和な性格で、兵士に戦場以外では他の部隊の後ろにいるように命じていた。
また軍の規律が高く、掠奪行為をしなかったため敵にも慕われ、
投降した兵士たちは馮異の部下になりたいと願ったほど。
戦功を立てたが、謙虚な人柄で決して自分から発言せずに
一人離れて大木の木陰に座って休んでいたので、大樹将軍とあだ名された。
戦歴としては偏将軍として河北で戦い、孟津将軍として河内を守っている。
河内にて寇恂らと蘇茂を大破し洛陽に迫り、
陽夏侯に封じられ、七尺の宝剣を賜る。弘農郡を降伏させる。
征西大将軍となり、 禹に代わって赤眉と戦いこれを破る。
延岑と戦いこれを討つ。
公孫述の将軍程焉と戦い破り、その為咸陽王と呼ばれた。
隗囂の将軍行巡と戦いこれを破り、隗囂と隗純を撃退。
公孫述の将軍趙匡と戦い斬るも陣中にて没する。

人柄の良さ、古典・兵法に精通、且つ戦上手、光武帝の腹心中の腹心で軍師格。
馮異こそ名将の鏡だと個人的には思う。。。
あと馬援にも一票。


872 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/01(木) 22:48:28 ID:JyljPlLP0
光武帝関係で6人ってのはやりすじゃねえの?とはさすがに思う。
対外的にハデなことが無い(少ない)から、建国期と末期に集中してしまうのも
仕方ないのかもしれんが。


873 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/01(木) 22:59:53 ID:KYLnwTRr0
>>870の案には馬賢、樊崇がはいってないよ。
改めてこんな感じで

劉秀(光武帝)
耿エン
馮異
岑彭
呉漢
馬援
班超
馬賢
樊崇
曹操
孫策
周瑜




874 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/01(木) 23:58:11 ID:wmQhDUKh0
関羽は?


875 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/02(金) 00:00:03 ID:GioyAU1BO
>>874
劉邦の将で言えば柴武くらいの強さ


876 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/02(金) 00:04:17 ID:bvTR+Zg/0
ttp://72.14.253.104/search?q=cache:VlxJFcgY2XcJ:www.h3.dion.ne.jp/~china/human33a.html+%E6%9F%B4%E6%AD%A6&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=3

柴武って選ばれてる韓信に勝ってるじゃん。


877 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/02(金) 00:09:57 ID:GioyAU1BO
>>876
分かってて言ってるとは思うが別の韓信ですじゃ


878 ◆oOLAqFKRB. 2007/02/02(金) 06:40:59 ID:EQQRNHqC0
 孫策が挙がるなら落選覚悟でこの人も。ただ、曹丕即位後まで生きとるんよね、この人。
【名前】張遼
【時代】後漢末~三国曹魏
【戦歴】
丁原、何進、董卓、呂布に仕え、曹操が下邳で呂布を破ると部下を引き連れて投降、
武勇抜群なのを認められて中郎将に任命された。別将として魯国に派遣され、諸県を平定。
袁譚・袁尚討伐に従軍、功績を立て行中堅将軍となる。楽進とともにみたび鄴を攻め、
これを落とした。また別軍を率いて趙国と常山を攻め陥とし、黒山の賊、孫軽を投降させた。
ふたたび袁譚攻撃に参加、これを破る。別軍を率いて海岸一帯を攻略、遼東の賊・柳毅らを破る。
鄴に帰還すると曹操自らの出迎えを受け、盪冦将軍に任ぜられた。さらに別軍を率いて荊州を攻撃、
江夏の諸県を平定する。
荊州攻略のため長社に駐屯、造反者が屯所に火を放ち、軍が混乱すると冷静に対処してこれを鎮撫、
造反の首謀者を捕らえて斬った。
陳蘭・梅成が氐族の居住地に拠って叛乱を起こすと討伐に派遣され、寡兵で険路をゆき部下が
諌めるのも聞かずに進み、陳蘭・梅成両将を斬った。
赤壁ののち、楽進・李典らとともに合肥に駐屯。孫権が10万の大軍を率いて攻め寄せると
決死隊800人を編成、大会戦に挑み、先頭に立って陣を陥とし、囲まれる都度これを破って、
ついに東呉の兵を潰走させた。追撃に移り、孫権を追ってあわやその命を絶つ寸前までせまるも
大魚を逸す。しかしこの敗戦で孫権は張遼恐怖症とでも言うべきトラウマを抱えることになる。
曹操はこの勝利を大いに喜び、張遼を征東将軍に任命した。
 曹丕は王位につくと張遼を前将軍に任命、孫権が背くと再び合肥に駐屯させ、これにあたらせた。
曹丕登極後、晋陽候に封ぜられ、「彼は古代の召虎なり」とたたえられた。
 病に伏せると曹丕からは大医の見舞いを受け、道にはかつて孫権を打ち破ったときの虎賁(近衛兵)
らが見舞いに訪れてひきもきらなかった。孫権が再び叛くと曹休とともに海陵に赴き、長江沿岸に布陣。
孫権はかつてのトラウマから張遼を過剰に恐れ、諸将に「張遼は病気とはいえ、これを侮るな」と命じた。
諸将とともに東呉の将呂範を破るも、病状が悪化してそのまま江都で没す。謚は剛候。
 戦歴・戦功ともに曹操陣営随一。曹操の信頼厚くしばしば別軍を任され、常にその期待にこたえる働きを見せた。
病臥したとき虎賁800人が彼を見舞い、道にあふれんばかりであったということから将士にも人望の厚い名将で
あったことがうかがえる。よって推薦。


879 ◆oOLAqFKRB. 2007/02/02(金) 06:49:25 ID:EQQRNHqC0
追記。
 前スレで皇甫崇を推しとる人と祭遵推しとる人がおったから、
このふたりも候補に入れてはどうかと。雲台28将からはすでに
候補多勢出とるのにこれ以上増やしてどげんするとかって感じでも
あるけど。これを4~5人に絞って、後漢末からも3~4人とすると、
中期からは一人二人か。しかもその枠にはすでに班超おるし。
俺が暫定候補に挙げた廉范とか張奐あたりは生き残る余地ないですな。
あと、曹操は劉秀を偉い尊敬しとったし、劉秀のほうが帝位についても
陣頭指揮したり戦術的才能には優れとった(しかも実際天下取った)みたい
やから、曹操確定=劉秀確定、でいいのでは。あとは推薦文の挙がっとる
耿弇と馮異、それと支援者の多い馬援が一歩リード?
 しかし俺の推薦文(←耿弇。張遼もそんな感じ)は長すぎなのがいかんやね。
みんな短くまとめるスキルが高くて感服する。


880 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/02(金) 07:52:36 ID:Cf8a6XNu0
>>879
戦歴の凄いから多少長文になるのは仕方ない。
エピソードを交えるなら必要そうなとこをチョコット入れるのがいいかと。



881 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/02(金) 10:24:40 ID:NT9K+D4vO
張遼は大軍を率いたことがほとんど無いからなぁ…


882 ◆oOLAqFKRB. 2007/02/02(金) 12:02:43 ID:pgBI3Mo20
 大軍を率いた経験っつったら袁兄弟討伐後、曹操から数十万の軍隊の全指揮権を任されて
烏丸族を殲滅、蹋頓単于をぶっ殺した。多分これだけやね。まぁ烏丸は少数民族やし、
数十万おったら凡将でも力押しでバッサリできたのかもしれんが、いくら大軍で寡兵を攻めても
勝てんやつは勝てんけんね。寡兵の赤眉に大軍で当たって三度も負けた鄧禹がいい例。
 合肥のときは烏丸討伐のときとは真逆で、800人で10万人を潰走させるんやから、
もちろん寡兵での作戦行動も得意。数千~一万人単位とはいえ毎度別軍を任されるのも信頼が厚いことの証。
 状況に従ってどっちでもいける万能タイプやと思うんやが、どうやろ。
 まぁifは無しやから、大軍を率いての用兵、一回きりでは評価に疑問符がつくなのもしゃーないけど。

 あと耿弇の推薦理由に一個追加。
 更始帝が劉秀の勢力拡大を恐れて軍隊解除の上帰れと命令したとき、悩む劉秀に「幽州に割拠して自立するべきです」と進言して独立の決意を固めさせた功。
 いちおう推薦文にも書いちゃおるけど、長文に隠れてわかりづらいし、これは一つ二つの武勲よりはるかに高い功績やと思うのであえて追加。

 昼んなったんでメシ喰ってきます。それではまた。


883 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/02(金) 14:06:23 ID:kt3A+xPYO
>>882
まあ、もちつけ。
寡兵ながら兵力が倍以上の敵を何度も撃破したり、敵側の思惑を阻止したりしてるなら、
それはそれで十分評価に値するんじゃないかな。
大軍を率いてもヘボい奴だっているんだし。
( 禹のことじゃないよw)
張遼は知略にも富んでるみたいだし。
数千~一万人単位は張遼が自ら望んで曹操から与えてもらったのではと俺は勝手に推測。
寧ろ寡兵に因る機動性を重視したとも考えらるし。

あと個人の近況報告は別にイランよww



884 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/02(金) 16:17:56 ID:QjzgOT3i0
枠が余ったら別時代に持ち越しでいいと思うけどな



885 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/02(金) 19:22:08 ID:bvTR+Zg/0
だったら後漢は曹操だけでいいよ


886 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/02(金) 21:35:09 ID:yBMgK+U/0
俺あんましこの時代知らないんだけど、
新末群雄(劉秀軍除く)に骨のある奴っておらんの?
なんか、全く話題が出てきてないんすけど。


887 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/02(金) 21:57:42 ID:NT9K+D4vO
骨のあるやつといったらカイゴウとか延岑とかかな、個人的には延岑が好きだけど
ただやっぱ圧倒的に劉秀軍が強過ぎて他のやつらは霞んでしまうな


888 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/02(金) 22:00:11 ID:GioyAU1BO
荘尤はガチ


889 ◆RQdk7scN8s sage 2007/02/02(金) 22:01:41 ID:vMSepamz0
あるにはあるわなぁ…
劉秀初期で言えば、邯鄲の王朗とか(耿弇によってあぼ~ん)
後には徐州の董憲とか(劉秀自らの速攻であぼ~ん)
さらにもと故郷でもある南陽での鄧奉の乱(これも劉秀の陣頭指揮であぼ~ん)
荊州の秦豊(岑彭にあぼ~ん)
あとは隴西、四川の大物くらいだが、どうも劉秀陣営が強すぎてどうしようもないって感じだなぁ。
反乱や割拠している地点は、どの時代にも通じる要衝でもあるわけだから(鄴や徐州、揚州、荊州、隴西、四川といえば、分裂期にはなんらかの勢力が割拠する)、そう見劣りするわけでもないし、鄧奉は微勢力ながら、劉秀を結構苦しめてはいるんだけど…


890 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/02(金) 22:06:55 ID:GioyAU1BO
劉子輿は王郎です
朗だと于禁を推薦した将軍です


891 1 2007/02/02(金) 22:08:46 ID:4PZLSFbn0
【名前】段ケイ
【時代】後漢
【推薦理由】
泰山、琅邪の賊の東郭竇、公孫挙三万余人を
大いに破って斬首すること万余、これを鎮圧した。
焼当、焼何、当煎、勒姐等の八種羌が隴西、金城を侵したため、
一万二千騎を率いてこれを撃破。首二千級を斬り、捕虜数万を得た。
羌が張掖を侵すと、大帥を斬り、千六百人を殺し、さらに首三千余級を斬った。
勒姐、零吾種が允街を囲んだため、救援に向かい、数百人を斬った。
羌五六千人が武威、張掖、酒泉を侵すと、護羌校尉となって三千余戸を降伏させた。
万余の兵を率いて勒姐種を撃破し、その酋長を斬り、四千余級の首を得た。
復た勒姐種を撃ち、四百余級の首と二千人の捕虜を得た。
当煎種を湟中で撃ち、首級数千を得た。
西羌と戦って斬首すること二万三千級、捕虜数万、家畜八百万頭を得て、
万余戸を降伏させた。


892 ◆RQdk7scN8s sage 2007/02/02(金) 22:12:41 ID:vMSepamz0
>>890 あ、ほんとだ。
そういば、前スレで五代のとき別の人に自分も誤字を指摘したけど、最初Why?になるのがわかったw
サンクス。


893 2 2007/02/02(金) 22:29:40 ID:4PZLSFbn0
【推薦理由2】
当煎の諸種が反乱を起こして武威を攻めようとしたため、
これを撃って、斬首すること三千余級。
西羌はここにおいて鎮圧された。

征西将軍馬賢を戦死させた東羌先零は何度も三輔を攻め、
朝廷には討つことが出来ず、皇甫規、張奐もこれを鎮圧できなかった。
段ケイは万余人を率いて、先零諸種を逢義山で撃破し、
斬首すること八千、得た家畜は二十八万頭に及んだ。
羌を奢延澤で破り、追撃してさんざんに打ち破った。
羌を討って一万九千級の首を斬り、数え切れないほどの戦利品を得た。
百八十戦して、三万八千六百余級の首を斬り、
牛馬羊騾驢駱駝四十二万七千五百余頭を得た。
段ケイ軍の戦死者は四百余人であった。

後漢後期の最大の外患であった対羌戦争において常勝を誇り、
名将馬賢ですら勝てなかった東羌をも破った。
同時代の名将としては皇甫規、張奐がいるが、
段ケイの武勲はひときわ大きく、頭一つ抜けているように思われる。
戦略眼に優れ、東羌討伐の際には張奐との論争に勝っている。
士卒を手厚く遇し、苦しみを同じくしたため、皆喜んで段ケイのために死戦した。
宦官と手を結んで富貴を得たが、彼の武勲を損なうものではないだろう。


894 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/03(土) 07:07:48 ID:ZDh9khbT0
樊崇を推したものだが、

鄧禹が『へっぽこ』という評価については反論すると
http://www2u.biglobe.ne.jp/~dnak/sangoku/touu.htm

これを見ると、前半だけを見ると『名将』といっても過言ではない気がする。
光武帝が重任を与えたのもただの調整役ではとどまらないだろう。
鄧禹が無様な姿を見せたのは赤眉との戦いだけ。
そのため、ここまで評価が低いのは不当に思える。
鄧禹が馮異の意見を聞かなかったのも、鄧禹なりの算段があったかも知れない。
(失敗しているにしても)
鄧禹が弱いのではなく、樊崇が異常なまでに強かったと解釈するのが自然な気がするが

また、樊崇を推す理由として、鄧禹の参謀として、馮異がいたこともかえってプラスになる。
樊崇は馮異を破ったともいえる。
鄧禹が馮異の意見をきかなかったせいにしても、馮異を野戦で敗走させたことに変わりはない


895 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/03(土) 07:33:21 ID:ZDh9khbT0
自分なりにこの時代の議論をまとめると、

新・後漢
【確定組】
 劉秀、馮異、班超、曹操
【候補】
 耿エン、岑彭、呉漢、賈復、祭遵、馬援、樊崇、段ケイ、馬賢、張奐、虞[言羽]
 皇甫崇、孫策、周瑜、張遼
 
こんなとこか? 上の四人は確定でいいと思うが

耿エンは後半活躍してない点、岑彭は暗殺された点で議論の余地があると思うので
候補にとどめた





896 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/03(土) 12:00:05 ID:4JGXh3Gh0
>>895
多分おちるだろうとは思うが、候補に厳尤も入れておいてくれ。


897 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/03(土) 15:38:30 ID:N3vN9XjlO
>>895
樊崇、段ケイは確定にしても良さそうだが諸兄どうだでしようか?
樊崇は光武帝には負けているが緑林・更始帝軍を倒し、トウ禹を三度も打ち負かしている。
一応、天下獲っており、欲得抜きの性格で人々から慕われていた点も考慮しました。
段ケイは対羌戦争において数多くの武勲を挙げ、
馬賢ですら勝てなかった東羌をも悉く平定していますし
十分資格を満たしていると思います。

>>896
取り敢えず厳尤の戦績を挙げていただけないだろうか?



898 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/03(土) 17:03:46 ID:cAAjmUXU0
周瑜確定でいいんじゃない?
孫策時代も戦ってるし、江陵を赤壁の兵力そのままで一年で墜としたのはヤバイと思うんだけど


899 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/03(土) 18:43:45 ID:dptrkRIWO
耿エンは確定でいいと思う
あと岑彭に関してだけど、暗殺されたことと名将の資質とはあんま関係無いと思うけどな


900 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/03(土) 19:51:58 ID:y2qYHba00
諸葛孔明が入っていないのはなぜ。


901 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/03(土) 20:00:14 ID:c/Fg+rhNO
>>900
入れたいんなら三国まで待て


902 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/03(土) 20:03:47 ID:y2qYHba00
ゴメン。


903 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/03(土) 21:50:24 ID:T/219OKK0
名相ならともかく、どう解釈すれば正史の孔明が名将に入るのか聞きたい・・・


904 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/03(土) 21:55:03 ID:E2PKen/O0
>>903
防御に回って劣るとは思わんが、攻勢に出た場合の戦績は芳しいとは言えないからなあ。
会戦に及んだ時の強さはともかく。


905 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/03(土) 21:55:40 ID:7YsTVlT/0
一応自分が指揮した戦闘はたいてい勝ってるからな
名将までは行かなくても普通に有能ではある


906 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/03(土) 22:00:08 ID:E2PKen/O0
まあ本人の言うように
「運籌策於帷幄之中、吾不如子初遠矣。若提枹鼓、會軍門、使百姓喜勇、當與人議之耳」
と言ったところなんだろうな。


907 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/03(土) 22:09:05 ID:T/219OKK0
>>904>>905
孔明が獲得した領土上げてみるべし(・・・もしあったらだが)
入蜀はホウ統、漢中は法正、南蛮は李恢・張ギョクだから


908 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/03(土) 22:21:12 ID:E2PKen/O0
>>907
陳式が武都・陰平を平定できたのは諸葛亮が郭淮を牽制してたから。
南蛮も高定らの反乱の時に南征して平定してる。
この時、李恢は昆明で倍の軍勢に包囲されたが策略を用いて突破という活躍をみせたが、その後諸葛亮に合流してる。


909 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/03(土) 22:30:51 ID:N3vN9XjlO
>>905の見解が妥当だろうな。
つ 果てしなく議論が続きそうだし諸葛亮の話はもういいだろ。
他のスレで散々やりやってんじゃん…


910 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/03(土) 22:37:39 ID:E2PKen/O0
じゃあ今すぐにでも諸葛亮の話をしたい人はとりあえず↓でことで。
【蜀の悲願】 北伐 【軍師諸葛亮】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1168572076/


911 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/03(土) 22:45:23 ID:dptrkRIWO
とりあえず後漢を確定させよう
その後で好きなだけ諸葛亮について語ればいい

>>891を改めて読んでみたけど、段ケイは確定としてもいいような気がする



912 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/03(土) 23:56:15 ID:4JGXh3Gh0
後漢は三つに分れるね。
1新末から建国・統一戦(光武帝関係)
2西北の対異民族戦争
3董卓以降の末期

1の代表で劉秀、2の代表で班超、3の代表で曹操は確定でいいでしょう。
それぞれで二番手を出すとすれば1で樊崇か馮異、2で段ケイか皇甫崇、3で孫策か周瑜
となりますかね?


913 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/04(日) 00:48:30 ID:3I3Pn0e20
樊崇支持者が多くてよかった。ついでにトウ禹の名誉回復も少しできたし
(あまりにもトウ禹が無能なら、光武帝の減点材料にもなりかねないし)

自分的には、劉秀、馮異、耿エン、岑彭、呉漢、樊崇、班超、段ケイ、曹操、周瑜
の十名。

馬援が抜けたのは、活躍が地方反乱が相手なのと、最後に計略を誤り、
耿エンの弟である武将の耿舒からぼろくそに言われているせい。
悲劇的な最後と人格で高名があり、『勇将』の方がぴたりくる。

それにさすがに光武帝陣営六名は多いと思うので、群雄代表の樊崇をいれた方が
バランスがいいような気がする。

段ケイも支持者が多いので入れる。後漢は『戦争が強すぎて滅びた』といわれるほど
異民族には強かった。その代表者として選んだ。
(国力差もあるのでさすがに一人でいいと思う)

自分で推した孫策を抜けたが、これは周瑜が三国に含まれると思っていたから。
南北朝の端をつくり、三国時代の幕開けをつくった周瑜の方がふさわしいと思う。

張遼については、曹仁、夏侯淵、張コウ、徐晃、関羽、呂蒙らと三・戦板や様々なサイト
で誰が上か延々とこれからも論争中である。つまりは大きな差はないといえる。
孫策が落ちたのでこれも落とした。

異論があると思うけど、こんなものでどうかな?(次点は馬援ということで)


914 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/04(日) 01:59:02 ID:wCWAbGbP0
>>913
いい線いってると思う。
個人的には、それでも光武帝関係で五人かよと思うが、じゃあ誰を抜いて代わりに
誰を入れるのかとなるとかなり悩む。
あとは周瑜が悩みどころか。でもここも誰を代わりにするかが難しいな。


915 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/04(日) 04:24:52 ID:561ANtKWO
>>913
いいんじゃないかな。
馬援にはまあ涙を飲んでもらうわ。勇将と言ってくれてるし。
光武帝陣営には凄いのが犇めき合ってるので、
個人的には多く入るのは仕方ないんじゃないかと思うけどな。



916 ◆oOLAqFKRB. 2007/02/04(日) 11:14:00 ID:Y86/aXwU0
>>913
呉漢と岑彭はどっちか落として四人に削るというのはどうやろ?
両者戦歴似とるし。戦功なら呉漢、人格なら岑彭、ぐらいの差やないかな。
で、後漢末に一枠増やして孫策か張遼を入れるという案を提示したい。
張遼挙げたのは俺やから、ここは公平を期して孫策かな。


917 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/04(日) 11:40:17 ID:wCWAbGbP0
>>916
孫策と周瑜は、入れるならどちらか一人じゃないですかね?
後漢末にもう一枠つくるなら、田中芳樹にならって蜀陣営から一人といきたい
ところだが…いないんだよなあ。


918 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/04(日) 11:44:48 ID:74slseESO
個人的には武闘派の代表として呉漢を残して岑彭は次点に回すのでいいんじゃないかなと思う
で後漢末から一人入れるなら自分も孫策を推す


919 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/04(日) 11:52:50 ID:RNjeXcsr0
>>917
じゃあ、間を取って孫瑜で。


920 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/04(日) 12:12:16 ID:K7hVKxJT0
後漢末なら、黄巾平定とか涼州討伐で名をはせた皇甫嵩の方が張遼や孫策よか上だろ

後漢の対羌族の討伐戦のほとんどの原因は、劉秀の洛陽奠都に帰趨するところ大でしょうな
どう考えても、関中から河南にまで絶対国防圏を後退させたのは失策だろう
長安はおろか、首都洛陽まで羌族に攻め込まれておいて>>913の「戦争に強すぎて滅びた」は
ちょっと贔屓の引き倒しじゃないかい?

馬賢と涼州三明の皇甫規、段ケイ、張奐の中から一人選ぶとすると、あとは好みの問題だからな
馬賢の場合は失地回復、戦歴の長さ、何より羌族討伐戦のパイオニアとして
段ケイは東羌を悉く平らげた当たりがポイント高い
うーん、馬賢の方を俺は推したいが


921 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/04(日) 12:31:23 ID:eC6DRx970
>>920
段ケイは確定でいいのでは。
指摘どうり馬賢より功績は上なんですし。
孫策より皇甫嵩の方が俺もいいと思います。
曹操が登場するまで皇甫嵩が黄巾賊を討伐しまくっていたんだしこの功績は大きいと思います。



922 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/04(日) 13:07:08 ID:wCWAbGbP0
たしかに、国家に対する功績では間違いなく皇甫嵩ですな。


923 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/04(日) 13:42:30 ID:zzI2Diy4O
>>917
敢えて蜀から選ぶなら劉備だろうけど、無理に選ぶ必要もないでしょう


924 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/04(日) 22:02:54 ID:eC6DRx970
【新・後漢】
劉秀、馮異、耿エン、呉漢、樊崇、班超、段ケイ、曹操、周瑜、皇甫嵩

呉漢を残して岑彭を外しては?という意見があったので岑彭は次点にしてみました。
残りの一枠は孫策を推す声が多いですが
孫策より皇甫嵩の方が功績が上だと思いますがいかがですかね?
馬賢を推す意見もありますが段ケイは東羌を悉く平らげている点を
考慮して段ケイを確定にしました。
諸兄の意見を参考にして考えてみました。
取り敢えずこんな感じですがどうですかね?


925 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/04(日) 22:05:28 ID:bcCeBJrY0
俺もそれでいいと思う
孫策は早死しすぎたね


926 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/05(月) 01:03:15 ID:E8pEgwyL0
推薦
名前:陳規
時代:北宋末期~南宋初期
推薦理由:もとは一地方の県令というしょぼい職ながら、北宋~南宋の過渡期において
現地住民に請われ留まり徳安府を大~中勢力から少なくとも九度の侵攻から守りぬき
鎮撫使(ミニ宣撫使:宣撫使は五大軍閥の主将が歴任した大官)になった。
文官出身で、しかも実績のみでこの大責をまかされたと断言してよいのはこの時代では彼のみ。
本人の武力には疑問符が付くが、火槍(限定的火炎放射機能を持った槍)を開発するなど
その活躍は一介の有能な文官では説明がつかない。
「守城録」という防衛戦の専門書としては墨子以来の著作も遺している。
順昌府の戦いで劉錡と共に宗弼の軍を撃破する。
劉錡が岳飛効果の恩恵を受けているため陳規は単に清廉潔白な官僚と思わてる節も多い。
張巡・袁崇カンと共に数少ない守りの名将・・・かもしれないが
撃破した有名どころは所詮順昌府の宗弼一回きりで、その時は皇帝親衛隊を引き連れた
劉錡も一緒だったというネックはある。
しかし劉錡の順昌府以前の戦歴はそれほど振るわないという点と、失策らしい失策は
見られないという手堅い点から推挙する理由は十分だと思う。
こいつを候補から外すくらいなら、同じように劉錡を外しても良いと思う。

・・・でも知る人ぞのみ知る名将という感じもするし、複雑である


927 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/05(月) 16:05:25 ID:l7X58MU20
>>924
周瑜を入れるぐらいなら、岑彭を入れて欲しい。
切り取った領土の広さ、撃破した敵の数、
独立した指揮権を有して戦った期間、
いずれも岑彭は周瑜を上回っている。


928 ◆oOLAqFKRB. 2007/02/05(月) 17:20:18 ID:jKij5xHO0
>>927
戦略構想では周瑜のほうが上では?
益州を取って荊州あたりをそうついとる劉備陣営を潰し、
長江以南を平定して
一足飛びに南北朝時代を確立させようとした戦略眼は
当時の将帥たちの上を行っとると思うんやけど。
まぁ、準備万端整ったところで病死したってのが痛いか。
ともあれ、
孫策に使えてからほぼ一生涯に渡って独立指揮権を任されとったわけやし、
将才では負けてないと思う。戦術活動の成果としては岑彭のが上か知れんけど、
大局を見極める目は周瑜やろ。
それに、前期四人、中期二人、後期三人のバランスもあるけんね。
光武帝の麾下があんまり入りすぎるとバランス崩れるやろ。
他所の時代やったらみんな軽く10傑入りできる将器の持ち主だけに、
斬り捨てるのは実際惜しいけど。


929 ◆oOLAqFKRB. 2007/02/05(月) 17:23:17 ID:jKij5xHO0
>>928、間違えた。前期四人、中期三人、後期三人やわ。失礼した。


930 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/05(月) 18:14:21 ID:l7X58MU20
>>928
実現されなかった戦略構想は実績とは言えない。
また、孫策時代の周瑜は孫策の指揮下や後方支援で動くことが多く、
独立した指揮権を有して戦ったのは孫策死後。
大きな戦いで指揮権を握ったのは、赤壁が初めて。
後漢を代表する名将というには、実績が足りない。
大局を見極める目があるというだけでは、
岑彭の実績には及ばない。

バランスに関しては、実績のある武将を入れられるなら、
崩れてもかまわないと思う。
どうしてもバランスを崩したくないというのなら、
周瑜よりはるかに実績の多い馬賢を入れた方がより釣り合うように思う。


931 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/05(月) 18:39:56 ID:pT1BwXegO
流れからするとバランス重視の方がいいをじゃない?
俺は周瑜を馬賢に替える案に賛成。


932 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/05(月) 18:47:00 ID:9qXibB7s0
水軍で陸戦をする無茶をやらかす周瑜


933 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/05(月) 18:49:15 ID:2S0yxpz10
周瑜は赤壁のお陰で一発屋のイメージが強いし
益州を取って曹操に対抗云々は既に甘寧が提唱しているからな。
それなら寒門出身で一兵卒から出世して
最後は呉軍総司令格までのし上がった呂蒙を入れたい。


934 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/05(月) 19:09:32 ID:M9KEYhb80
>>933
周瑜は赤壁で曹操の南下を防ぎ、曹操麾下の猛将曹仁守る江陵を確保。
それに対して呂蒙は2度にわたる荊州侵攻で見せた手腕は鮮やかだが、相手関係を考えれば実績は落ちる気がする。


935 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/05(月) 19:18:47 ID:2S0yxpz10
相手関係ねー。
確かに(公称)二十万の曹操軍を破った周瑜と比べると
呂蒙の相手は関羽だからね。
でも名族出身で先祖に太尉を出した周瑜はスタートの時点で恵まれた感がある。

ちなみに虎穴に入らずんば虎子云々の初典は三国志の呂蒙伝。


936 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/05(月) 19:31:25 ID:IFh09vNV0
>>935
確か成立時期の古さは三国志のが後漢書より先だったっけ?
呂蒙伝が初典とは知らなかった
そういう言葉が班超の時代から残ってたか
後漢書作った范曄が三国志から拝借したのかどっちだろう



937 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/05(月) 19:31:36 ID:ZnAMmgaI0
>>935
班超じゃないの?


938 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/05(月) 21:14:35 ID:gkuHnGev0
やっぱ周瑜は議論のタネになるか。
ただ、>924の他の人選にはほぼ文句なしってことでいいのかな?
ってことは
劉秀、馮異、耿エン、呉漢、樊崇、班超、段ケイ、皇甫嵩、曹操
を確定として、
残り一枠を岑彭、馬賢、周瑜からってことでよろし?



939 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/05(月) 21:37:51 ID:9qXibB7s0
あえて樊崇を抜くという選択肢もある
時代のバランスも含まれてランクインしてる面もあるし


940 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/05(月) 22:13:00 ID:pT1BwXegO
残り一枠を岑彭、馬賢、周瑜から選べばいいと言う意見が出てるが、
周瑜より岑彭、馬賢の方が功績は上回ってるし、周瑜は外してもいいんじゃない?
光武帝陣営からは4人でいいと思うし、先程も言ったが残りの一枠は馬賢がいいと思う。
あと俺はあえて樊崇を抜くという選択肢には反対だな。



941 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/05(月) 22:34:54 ID:4mxDS0egO
たまにいわれる光武帝陣営から出しすぎ、って意味がよくわからん
実力があるなら、たとえ後漢10傑が劉秀陣営で埋め尽くされてもいいんじゃないの?
と素人は思う


942 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/05(月) 22:35:48 ID:Qroz/e/Y0
逆に実力で決まるんなら曹操で全部埋まるだろ


943 ◆RQdk7scN8s sage 2007/02/05(月) 23:04:38 ID:Arz6A/GO0
>>942 曹操が尊敬する光武帝を差し置いてか?
なにか強い推薦理由がありそうだが…?



944 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/05(月) 23:14:40 ID:gkuHnGev0
>>941
その実力の優劣どうやって量るのか、万人に納得されられる方法があるのならそれでもいいよ。
しかし実際には同時代で敵対対決するとか同陣営で評価や功績や行賞に明確な差がつけられる
のならまだしも、同じ王朝でも別の時代に別の戦争でそれぞれ活躍した人物の優劣なぞ付けられ
ようがない。
だったら、一つの時期陣営に偏らずまんべんなく選出するようにするというのは一つの解決法。

乱世に一地方の平定に活躍して平和をもたらした人物と、対外戦争に活躍して国難を排除した人物。
どちらを上とするかなんて、功績のどの部分を重視するかによって変わり、結局個人の趣向で選出
するのと大差ない。


945 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/05(月) 23:21:05 ID:GJXoeUvW0
劉秀って、一端滅亡した国を中国史上で唯一人、復興させた
人じゃなかったっけ。
それだけの偉業をしてる人間の陣営だから、選ばれる人間が多
くなっても妥当でしょうね。



946 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/05(月) 23:33:12 ID:1Zj6/ayY0
でもほとんど別物だからな
名目さえ復興ならいいのだろうか、という問題はある


947 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/05(月) 23:34:07 ID:9qXibB7s0
そりゃ名前だけでしょ?>復興
前漢と後漢は別物よ、別物


948 ◆RQdk7scN8s sage 2007/02/05(月) 23:36:42 ID:Arz6A/GO0
>>945 名文的には復興ではあるけど、中身は別の王朝なんだよね。
たまに、漢朝四百年とかいうけど、あれはあまりにもまとめすぎな表現で、正しくはない。
劉秀陣営が非凡なのは、常に相手よりも少数で戦いに勝ち続けたところにある。復興を成功させたことだけではないということ。
でもまぁ、バランスをとる意見には賛成ですな。


949 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/05(月) 23:56:47 ID:SAxiv0vUO
【名前】延岑
【時代】新末~後漢初

字は叔牙。新末の混乱に乗じ挙兵する。
赤眉軍との杜陵の戦いに於いて諸戦は破れるものの、その後態勢を立て直し大いに破り、赤眉軍に決定的な打撃を与えた。
その後は劉秀勢力と死闘を繰り返すことになる。
他の群雄が次々と劉秀に殲滅されたり降伏していく中で彼だけは劉秀に決して屈することは無かった。
幾度も劉秀配下の名将に敗れながらも、一度はトウ禹を破る等劉秀を苦しめ続け決して反光武の姿勢を諦めなかった。
結局流れながれて蜀の公孫述の元にたどり着きそこで劉秀に対する最後の抵抗を試みることになる。
成都を大軍に包囲され弱気になった公孫述に対し
「男児たる者正に死中に生を求めるべきです!居ながらに窮してはなりません。
財物は集め易いもの、これを惜しむこと無きように。」と進言し
これにより財物を散じて得た敢死の兵五千人を率い、
劉秀軍の先鋒であった呉漢を計略をもって破った。
この時呉漢は落馬して水に落ち危うく死にかけるところであった。
さらにその後ゾウ宮の軍を三度破る等意地を見せるも大勢を覆すことは出来ず
結局態勢を立て直した呉漢の軍に敗れ公孫述と共に族殺された。


950 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/06(火) 04:19:25 ID:x2IBZ7jtO
>>945
バランスを重視の方がいいって方向で話を進めているのに、
無理に光武帝陣営を増やす必要はないじゃないか?
残り一枠を岑彭、馬賢、周瑜から選べばいいだけだろ?違うのか?


951 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/06(火) 05:16:26 ID:qWNDLA7b0
>>942
短期間で統一を果たした光武帝陣営と統一できないまま終わった曹操陣営では雲泥の差。
何が実力か。勉強しなおしてこい。馬鹿もの。
実力からいえば敗北が多い曹操はトウ禹と同クラスと解釈されてもおかしくない。
武力で政権をとれたのでランクインできただけとも思える。

曹操がこの程度だから、彼を苦戦させた周瑜や劉備の評価も低い。

とにかく、自分は岑彭を落とすことには反対。統一政権下のもとの異民族討伐や傑出した英雄が
あらわれず、乱世がえんえんと続いた後漢末と復興を名目とはいえ、新王朝を作った光武帝と
では差がでるのは当然。

また、この選出ではバランスや功績と同時に、将としての軍略や戦いの強さも重要と思う。
岑彭の将才は相当なもので外すには相応な理由がいると思う。
自分的には、功績は確かに大きいが、それほど傑出した戦いぶりをしていない皇甫嵩を落とす
べきだと思う。腐敗していたとはいえ、後漢の軍の指揮を大部分まかされ、多数の兵で民衆反乱に
過ぎず戦闘経験も浅い黄巾軍と王国を破ったぐらいでは『良将』の域を超えないのではないか。

それがだめなら、周瑜を外すべき。孫策死後、曹操が袁一族と戦っていたころ
劉表や黄祖などを相手ほとんど国力を伸ばせなかった手腕はこのリストにあげる
には不足かと思う。曹操がイメージで強いと思うから周瑜が入るわけで、曹操がトウ禹や苻堅と同じ
凡将クラスには勝てても、良将クラスには勝敗を繰り返してなんとか勝ち、名将には負ける
レベルと思えば納得がいく。

942が馬鹿なことを言うものだから、感情的になっているかも知れないが
判断そのものは誤ってはいないつもりだ。だから曹操を外せとはいわない。
後漢末・三国の連中は調子に乗りすぎだ。皇甫嵩か周瑜を外してほしい





952 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/06(火) 07:45:49 ID:1IZag9DG0
>>951
いや、充分感情的になりすぎてると思うよ
後漢・三国の連中を不当に貶めてやいないか。


953 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/06(火) 08:17:17 ID:g6tnfLu80
>>951
 >何が実力か。勉強しなおしてこい。馬鹿もの。
 >曹操がこの程度だから、
 >後漢末・三国の連中は調子に乗りすぎだ。
周瑜や皇甫嵩を外すべき理由には一考に値する物があるのに、感情的になりすぎて台無し。
まずは相手に話を聞いてもらえるように提案しないと、逆方向に行っちゃうよ。


954 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/06(火) 08:29:34 ID:aUi93BeQO
>>951の考え方で行くと、たった十年程度で亭長から天下統一した劉邦とその将たちの評価が低すぎるな


955 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/06(火) 10:26:48 ID:d+GgwL/rO
周瑜が入らないとなると後漢末~三国志の人物がほとんどランクインしなくなるような…


956 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/06(火) 10:42:34 ID:dM68cmJL0
無理に選出する必要はないと思うのだが


957 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/06(火) 11:07:18 ID:x2IBZ7jtO
多少バランスが崩れても周瑜を外し岑彭を確定にして、
皇甫嵩に反対意見が無ければ現状維持、反対意見がが有れば馬賢を確定入りにすればいいんじゃない?
無理に後漢末~三国志から選出する必要はないと思うのだがと言う意見もあるし。


958 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/06(火) 11:31:25 ID:XFtBaG8O0
>>956
同意。周瑜はいらないと思うが。


959 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/06(火) 12:08:57 ID:oWFp0mNu0
>>951
そうやって評価するのなら、比べるのなら劉秀と曹操、劉秀配下と曹操配下でするべきでしょう。
キッツイことを言えば、天下を統一したのは劉秀であって岑彭たちはその配下。

「相手のレベルが低いからそれに勝っただけの曹操も凡将レベル(あるいはその逆)」
なんて、それこそ程度の低いちゃもんにしか聞こえない。
日本史戦国の方でよく聞かれる「信長は周囲がザコばかりだったから勢力拡大できたんだよ」
同じことだな。
こんな主張がまかり通るのなら、「光武帝の時代には、敵に無能しかいなかったから統一できた
んだよ」なんて阿呆ないちゃもんも成立してしまうわな。

念のためいっておきますが、私は信長の周囲も光武帝の時代にも、敵はザコしかいなかった
なんて思ってませんよ。もちろん、後漢末もね。ですからそのテの議論はやりません。


960 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/06(火) 12:17:20 ID:v5lnbEtm0
後漢末は低レベルってのを示さないと、周瑜は外せないような。


961 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/06(火) 12:20:42 ID:d+GgwL/rO
取り敢えず周瑜の事跡と岑彭の事跡を書きだしてみて皆で比較検討してみてはどうだろうか?


962 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/06(火) 12:45:59 ID:aUi93BeQO
逆に考えるんだ
後漢末はどんな優れた人物でも容易には覆せない状況だったんだと

100m走で100m10秒台出した選手と、100mハードルで出した11秒台出した選手を見て、それだけで前者が優れていると断定するようなものではないか?


963 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/06(火) 13:59:01 ID:oWFp0mNu0
>>962
まあアヘン戦争や義和団事件を個人の将才で覆せたとは思えませんしねえ。

ところで、次スレどうしますか?


964 ◆RQdk7scN8s sage 2007/02/06(火) 16:14:55 ID:AYptQ9tP0
>>963 ですね。
個人の将才だけでかたがつくなんて思ってる人はここにはいないだろうけど、時としてそのときの政治的背景や人々の世論といったものを無視しがちに思う。
劉秀の生きた新の時代は、漢の劉氏が不遇に扱われ、その不満や不安が劉氏擁立というかたちで現れた。
劉秀は後発ながらそれにのり、更始帝にはない公平さでもって部下が働きやすいような環境を与えている。
当時劉氏復興の世論が各地にはあり、劉氏擁立や血統を主張して、それ以外の勢力は大義名分的に弱かったといえる。
こういう流れで後漢末を見てみると結構興味深い。
曹操は後漢王朝の中興の臣だけど、一面では君側の奸ともとれる。これは後漢王朝を保守しようとする人々の世論の後押しがやや弱く、漢朝の臣と曹操独自の臣との結びつきが思うほど強固ではなかったのではないか。
曹操が戦線を延ばした先で負けているのは、そういうところにあると思うし、またその先で曹操を阻み、分裂を決定付けたのは孫権軍閥だということ。
曹操軍閥から離反せしめなおかつ撃退した周瑜という将軍の功績は、戦績以上に大きいのではないか。

自分は五代の流れからも、こういった独立国が誕生する瞬間、それに関わった将や臣たちの功績は高く評価できると思う。
とすると、とーぜん劉備も評価するに値するわけだけど… さて…(個人的には目を見張るほどの将才があるとは思えない。劉秀と違って負けが多いし…)


965 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/06(火) 17:38:16 ID:d+GgwL/rO
新末は王莽の極端な復古政治に対する反発が漢朝の復興を望む声につながり
後漢末では宦官や外戚の専横による政治の腐敗に対して民衆の間に漢朝に対する失望が広がってたんじゃないかな


966 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/06(火) 18:31:25 ID:x2IBZ7jtO
つまり>>951が偏った知識で物事を判断してるだけだろ。
ただそれだけだ!!
それより論議に移らないか。


967 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/06(火) 18:38:30 ID:Nm7SsIX+0
偏った知識というよりは偏った愛


968 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/06(火) 18:55:32 ID:IEjQPnlWO
>>965
漢朝に対する失望があったと同時に、漢朝や劉氏政権が正統だという意識があったみたいだからややこしい
劉備も劉淵も劉氏だからって王朝の名前を「漢」にしたし
(だから纏まらなかったのかねぇ)


969 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/06(火) 21:13:21 ID:oWFp0mNu0
ところで、段ケイの「ケイ」って、「熲」この字でよかったっけ?
あとなんで耿エンも漢字じゃないんだ?


970 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/06(火) 21:58:35 ID:snPB2VPW0
>>969
段ケイのケイは潁の字の水が火になった字。


971 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/06(火) 22:53:07 ID:snPB2VPW0
>>957
賛成。

>>955
それではダメなのか?十分な戦績を持った将軍が
曹操しかいない以上、仕方がないのでは。

>>964
歴史的意義よりは、実績の多寡で選んだほうがいいように思う。
でないと、一発屋がランクインしてしまう恐れがある。
周瑜は戦略家として優れているが、司令官としての実績には乏しい。
独立した指揮権を握ったのは二回だけ、切り取った土地は長江中流域のみ。
荊州を敵軍の三分の一の兵力で攻め取り、
公孫述から長江の制河権を奪い、巴郡を平定し、
蜀を平定する一歩手前で死んだ岑彭の方が、
遥かに一軍の将としての実績は豊富。


972 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/06(火) 23:01:27 ID:BnbC+3e00
関羽は?


973 ◆oOLAqFKRB. 2007/02/06(火) 23:08:16 ID:LcIQFcaZ0
初期の4名、中期の3名は確定でいいと思う。
かわりに呉漢がはいっとるから岑彭には涙を呑んでもらうとして。
で、後漢末では曹操確定、周瑜内定。
馬賢を推す声は多いけども彼はむしろ後漢中期に活躍した人、な気がするし、
寡聞にして俺はこの人の具体的実績を知らん。
皇甫崇は実績十分ながら大兵力をもっての反乱平定は出来て当然、な気もする。
話を蒸し返すようやけども叩かれ覚悟で孫策、張遼を推したい。
まだこの二人引きずってんのかよと言われそうやが、
孫策は夭折ながら僅か2000の寡兵で挙兵して連戦連勝、東呉の礎を造ったし、
(これは弟に同じことやれゆーても絶対できんかったと思う)
そのうえ一時曹操をビビらせた。
張遼は烏丸族殲滅やら合肥の対孫権戦で見せた活躍やらで曹魏陣営最高の名将やと思うし、
光武関係で4人出とるわけやから曹魏の将を一人追加てもいいかなと。
実績から言ってもし彼が蜀漢の武将やったら確実にランクインするやろーし。
ついでに、スレ立て技能ない俺がそろそろ次スレの容易せなねーと無責任に言っとく。


974 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/06(火) 23:13:14 ID:snPB2VPW0
>>973
馬賢の戦績

三輔、益州を領有し趙魏に国境を接していた、零昌(シ眞零の子)率いる先零羌の別種を
任尚の指揮下で大いに破り、三輔、益州を快復する
馬賢派遣前に、羌族鎮圧に任じられていた鄧隲、任尚率いる官軍は先零羌に手も足も出ず
河東、河内まで侵入を許してしまう体たらくであったが
馬賢派遣以降は一挙に反撃に転じ、先零羌を遂には瓦解に追い込んでいる
またその任期中に、隴西、安定、北地、上など、諸郡を諸羌から快復している



975 ◆oOLAqFKRB. 2007/02/06(火) 23:20:07 ID:LcIQFcaZ0
>>974
サンクス。前漢の趙充国みたいな人やと思えばいいんかな。


976 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/06(火) 23:20:25 ID:snPB2VPW0
>>973
徒手空拳で大勢力を築いた奴は、他の時代にもいくらでもいる。
孫策だけをランクインさせるのは、不公平な気がする。
張遼は単独で指揮権を握った経験に乏しい。
司令官というよりは、司令官の下で働く良将といった感じ。

どうしても後漢末、三国からランクインさせたいという執念には頭が下がるが、
そこまで無理して良将レベルの人間をランクインさせる必要は無いと思う。
孫策や張遼を他の確定組と並べたら、遥かに遜色があるように思う。


977 ◆oOLAqFKRB. 2007/02/06(火) 23:26:47 ID:LcIQFcaZ0
>>976
そうですな。個人の嗜好でランクインさせるべきでもないしね。


978 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/06(火) 23:44:29 ID:qWNDLA7b0
確かに感情的になったのは悪かったが、後漢末・三国は知識がかなり知られており
こういう企画で優遇されるから警戒しすぎてしまったんだよ。
曹操軍の十位っていったら、曹洪クラスだろ。
他の時代と比較はできないといっても、光武帝や岑彭が曹洪以下といわれて馬鹿らしいと
思わない人がこのスレにいるか?こんなのが論議に入ってくると、スレそのものが
壊されかねないと感じてしまったんだ。悪かったよ
942はただの新手のネタかも知れぬし、忘れることにする。

でも、自分で書いてみて、やっぱり曹操はイメージ先行で強いと思われすぎてると思う。
戦略は良いが、戦術はそれほどでもないのではというのが印象。
また、十六国は創始者全て入っているわけではないので、呉や蜀から無理に出す必要はないと思う
ただ、歴史的意義を考えるなら周瑜だが、孫策の方が功績はでかい。だが若死にはいたい
三国で無理にいれるなら、この二人を外して益州を短期間で落とし、漢中を奪い、曹操を撃退した
劉備も検討してほしい。負け戦は多いが実績は大きい。
(逃げ上手も戦術のうちという説もあるし)
赤壁の勝利もこの人の存在が本当に影響を与えた可能性もある。
残り二人の枠は、皇甫崇を外して、岑彭と劉備でどうだろう?
(孫策+周瑜が認められるなら別だろうけど)


979 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/06(火) 23:46:00 ID:/ii+IWQG0
>>961
岑彭
信義を守る義士で、規律高い軍隊を率いて電撃戦を展開、秦豊を滅ぼす、呉漢が隗囂に破れた際には殿軍として奮戦、公孫述討伐に活躍した。
その軍の規律は高く兵士は精鋭、行軍速度が速く、長駆敵の予想しないところにあらわれて攻撃し、数倍の敵を打ち破った。

周瑜
孫策が暗殺され、その遺言で孫家陣営の軍事責任者となる。
赤壁の戦いに於いて曹操の南下を受けると抗戦を主張し、それが決まると全権を委ねられた。
水軍に長けている孫権軍の長所を最大限生かし、曹操軍を完全に押さえ込み、曹操軍の軍船を焼き払う。
この戦いで、初めて曹操を撃退した武将として天下に轟いた。
江陵を攻め曹仁・徐晃らを撃破。牛渚の合戦、呉郡の戦い、黄祖討伐に参戦。 
以上Webより抜粋

周瑜より岑彭の方が功績、将才は上だと思いますがいかがですかね?
バランス無視なら岑彭、バランス無視なら馬賢のどっちかを確定入りにすればいいのでは?



980 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/06(火) 23:51:05 ID:aUi93BeQO
周瑜は曹操に対する完璧な廟勝の策を示したことも評価して良い


981 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 00:05:56 ID:aIaoqkyB0
赤壁の敗戦がなければ曹操が天下を統一していた。
曹操陣営が劉秀陣営より評価が低いのはこれが理由。
もし曹操が天下を統一していたら劉秀陣営との評価は対等となったろう。
それほど周瑜の戦功は大きい。
もし劉秀が曹操の立場であったら天下を統一できなかった可能性もある。
よってここで周瑜を外すのは納得できない。
天下を統一したかどうかは同時代においての評価の物差しとはなっても、異なる時代間の評価の物差しとはなりえない。
と思いっきり周瑜に好意的な評価をしてみる。


982 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 00:07:15 ID:K6Fq4ny8O
>>978
>逃げ上手も戦術のうちという説もあるし
檀道済ならともかく劉備の逃げ上手は全くの別物。
劉備じゃ話にならないと思うが・・・
>皇甫崇を外して、岑彭と劉備で云々
皇甫崇を外して岑彭と馬賢なら話はわかるがこれ又話にならないと思うが・・・
あと黄巾賊は只の民衆蜂起ではないと思うけどな。
貴方こそ後漢末~三国志をいろんなことイメージ先行で語ってませんか?


983 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/07(水) 00:11:41 ID:JZVX5tASO
皇甫嵩って正しく書いてる人少ないね


984 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/07(水) 00:20:38 ID:jhdIx4wjO
あと一人他の誰かを抜いて周瑜と岑彭を二人とも入れるってのは無理かな?


985 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 00:38:45 ID:Q6XBSgl40
樊崇抜いたらどうだろう。


986 ◆oOLAqFKRB. 2007/02/07(水) 00:40:02 ID:km6BbKIv0
現状での確定は初期で4人、中期で三人、末期で1人やから、
抜かんでも入れようと思えば入るんやない?
ただ、光武関係が多くなりすぎるのは個人的に歓迎できんわ。
優遇しすぎ、って感あるけんね。
まぁ、その優遇しすぎな叩き台出したのは俺なんやけど。


987 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/07(水) 01:07:40 ID:MJVknA0pO
>>986
馬鹿は黙ってろ


988 ◆RQdk7scN8s sage 2007/02/07(水) 02:10:25 ID:Ou6gNASC0
>>971 すべての一発屋とかいうのを、全部肯定する気はないけど、その戦果自体の難度なども考慮しなくては。
一回で戦闘を終らせ態勢を決めた場合、その戦略構想と戦術面での実行力は特筆に価するでしょう。
どういう意図で一発屋と分類しているかは、こちらの得心がいかないところだけど、周瑜に関して言えば勢力的に劣っているのに、勝ったというのが大きいわけで。
岑彭も神速の用兵を旨とした将で、すごいのは認めているし好きな武将ではあるが、安易に実戦経験が多くて勝ちも多いほうが名将、という判断はしかねる。
勝ち難きに勝ちてというのも名将と思えるわけで、戦績の多寡はむろん考慮はするけど、それをどの場面でも当てはめすぎるテンプレートにしては、悪いけど視野が狭くなると、そう考えるわけだ。
まぁその辺、一考レスということで。 周瑜と岑彭の件は、正直自分でも判断に迷っています。



989 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 07:51:49 ID:K6Fq4ny8O
>周瑜に関して言えば勢力的に劣っているのに、勝ったというのが
でもな曹操側は水上戦が不得意、尚且つ水軍の大半は荊州の降伏兵で自前ではないし、
ホウ統、黄蓋の計略なども絡んでいたり、
いろんな要素が入り交じり決して周瑜一人の力で勝利したとは言えないような気がする。


990 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/07(水) 09:33:49 ID:EmdZipWL0
「名将」っていうイメージだと三国志は小粒な気がする
ソウソウも将としては微妙


991 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 09:43:30 ID:DSPHlkDY0
三国志の世界には勝ちっぱなしの将軍があまりいないからな
ただ逆に全体のレベルは逆に高い気もするが


992 ◆RQdk7scN8s sage 2007/02/07(水) 09:44:11 ID:Ou6gNASC0
>>989 そりゃね。 自分も方々で将帥一人「だけ」の功績なんてない、とふれて回っているから、その点はわかるのだけど…
麾下に入った将をうまく使ったかとか、他軍との連携で主力部隊を統率したかとか、戦況を決定付ける重要なアクションをおこしたとか、そういう視点も必要と思う。
多くの将帥は、ある会戦や決戦で、やはり多くの計略やかけひきなどが介在して、将帥だけの手柄だとはいいきれない部分がある。
しかし、戦術能力には直接関係ないにしても、それを取捨選択し、戦略戦術の優位性に結びつけるのは将としての能力でもある、と。
別に周瑜だけに限ったわけではないけど、いつもいつも特定の臣下に軍事の全権を与えて前線に送るなんてことはないし、あってもそれが継続することも少ない。
一回の起用において、勝利せしめたのに一発屋と言われては不本意な場面も(今後)あるんじゃないかなぁ。
ああ、それと周瑜は外すには「惜しい」と思っているだけで、それを無理に入れろとは考えていないです。


993 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 09:48:47 ID:sOfSQEo90
議論が白熱しているのはいい事だと思うが、
そろそろ新スレ立てないとやばくないか?


994 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 10:41:50 ID:sOfSQEo90
スレ立てやるよ。


995 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 10:53:13 ID:sOfSQEo90
スレ立て完了です。

【確定は】 中国名将百選 其ノ参 【誰だ!?】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1170812626/


996 ◆oOLAqFKRB. 2007/02/07(水) 13:01:39 ID:aIhWbTiK0
>>987
別にバカ言われるのはいいが、なにをもってバカと?
初期から劉秀、馮異、耿弇、呉漢の4人、
中期から段潁、樊崇、班超の3人、
末期からは曹操1人で皇甫嵩は確定に到ってないんやから、
現状での確定は八人。岑彭、周瑜ともに入る余地ありやと思うが。
雲台28将からの枠入りが増えすぎるのはどうやろって言っただけでバカ扱い?


997 ◆oOLAqFKRB. 2007/02/07(水) 13:22:48 ID:JG4hHm9I0
皇甫嵩はまだ候補やと思っとったら、
確定に決まっとったんやね。
それやと二人入るっちゅーた俺が確かにバカタレやな。すまん。


998 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 13:22:51 ID:sOfSQEo90
>>996
こういう輩の中には反応したりすると喜ぶのが多いから、
基本は無視の姿勢をとった方がいいと思うよ。

◆oOLAqFKRBさんは過剰な反応を示すから、
ある意味からかわれてるんだと思う。


999 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 13:28:02 ID:sOfSQEo90
それと、新スレに皇甫崇を確定にして、樊崇を候補に落としちゃったけど、
あくまで暫定(確定とは言っているが)的なものだから、
納得行かない人がいるなら議論を重ねる余地はあると思うよ。


1000 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/02/07(水) 13:47:05 ID:4IdRe7Ru0
10000


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最終更新:2007年07月15日 17:35