『なのはと諜報部の一日』①

第一部

第九話『なのはと諜報部の一日』①

なのはが石化したナタネと死んだ魚の目をした幽霧に見て、約一週間経った。
 しかし約一週間が経った現在でも、なのはの頭から離れないような物がある。
 それは幽霧とナタネの顔。
 あの時のナタネの目は完全になのはを拒絶していた。なのはが近付かない事を懇願しているように。
 なのはにとっては、死んだ魚の様な目をした幽霧の方がもっと怖かった。
 まるでは全ての地獄を見通した上で全ての事象を拒絶した様な冷たい瞳。
 その目はなのはが始めて会った時のフェイトの目以上に荒んでいた。
 幽霧の死んだ魚のような目を思い出し、なのはは何であんな目をする理由が気になった。
「なのはぁ!」
 ヴィータの怒号が聞こえた。
 それと同時に側頭部に何かが叩きつけられ、脳内に衝撃が伝わる。
「んの………この馬鹿っ!」
 意識が薄れ行く中で、なのははヴィータの怒号を聞いた。



 なのはは瞼を開く。そこはいつも見ている青い空ではなく、どこかの天井。
 起き上がろうとするなのはの頭に激痛が走る。
「いたたたっ…………」
 激痛に悲鳴を上げるなのは。
「おきたようですね。良かった。」
 診察医のシャマルがカーテンを開ける。
「シャマルさん………という事は……医務室?」
 どうやら、ここは医務室のようだ。
 苦笑しながらシャマルは言う。
「そうですよ。なのはちゃん。
 全く……ヴィータちゃんが大慌てでなのはちゃんを担いできた時は驚いたわ」
 苦笑の割には楽しそうなシャマルの顔に首を傾げるなのは。
 その時、医務室の自動扉が開く。
 入ってきたのはヴィータであった。心なしか怒気を放っている。
 無言でなのはの方に歩み寄るヴィータ。
 近付くと軽く息を吸い込み、力一杯怒鳴った。
「この……馬鹿なのは!」
 ヴィータの怒鳴り声が頭に響いたらしく、なのはは頭を抑える。
「頭に響くよヴィータちゃん。もうちょっと小さな声で……」
「てめえの頭には良いクスリだ!」
 まだ怒りは収まっていないらしく、なのはを睨みつけるヴィータ。
 怒るヴィータをシャマルがなだめる。
「ほら。ヴィータちゃん。落ち着いて。ココは診療室なんだから……」
 シャマルの言葉にヴィータはふてくされながら、備え付けの椅子に座る。
 そしてなのはに尋ねた。
「医務室に行くまでの経緯は覚えているか?」
「ヴィータちゃんに呼ばれた瞬間、頭に何かがぶつかったのは覚えてる。」
 今までの経緯をヴィータはなのはに説明する。
「訓練中に馬鹿が撃った弾が跳弾して、お前の側頭部に命中したんだ。撃った馬鹿はおろか、あたしだって思わなかったぜ。
 かのエースオブエースが跳弾してきた弾を防げなかったとはな……
 まあ。大事に至らなくて良かったぜ」
 そこでなのはは笑いながら経緯を話すヴィータに尋ねる。
「今、みんなはどうしてる?」
「ん?全員帰ったぞ」
 診療所の時計を慌てて見るなのは。
 その時計は既に17時を指していた。
 なのはが戦技教導をしていたのは9時。ほとんど半日は寝ていた事になる。
 あまりの恥ずかしさになのはは頭を抱えた。
 ヴィータは笑いながら、その後の事を話す。
「かのエースオブエースを偶然にも跳弾で潰した馬鹿とあたしがなのはを医務室に運んでから訓練は再開したさ。
 ちょうど、午後の訓練が全部終わったから見に来たんだ」
「そんな事言っちゃって……ヴィータちゃんったら、一時間ごとになのはちゃんの顔を見にきてたのよ~♪」
 シャマルは楽しそうに言う。
 その言葉にヴィータは顔を真っ赤にする。そして照れ隠しをするようになのはに言った。
「まあ。とりあえずだっ。大事をとって、今日はそのまま帰れだとよ」
「分かったよヴィータちゃん」
「たんこぶになった部分はちゃんと冷やして下さいね」
 そう言ってシャマルはたんこぶになった部分に氷嚢を当てる。
「はい。ありがとうございます」

 なのははいつもの様に戦技教導官の部署に出局した。
 側頭部にはまだガーゼが貼られている。
「おはようございます」
 そしていつものように部署の局員たちに挨拶をした。
 入り口の側にいた局員は明るく挨拶する。
「おはようございます。高町一等空尉」
「高町一等空尉。教導官長がお呼びです」
 戦技教導のメニューをまとめていた教官の一人が声をかける。
「教導官長がですか?分かりました」
 なのはは部署の奥にいる教導官長の方へと歩いていく。
 奥では教導官長をしているスメラギ二等空佐が書類を書いていた。
「おはようございます。スメラギ二等空佐」
「ああ。おはよう。高町一等空尉」
 スメラギはスラスラと書類を書きながら挨拶を返す。
 何故呼び出されたか分からないなのははスメラギに尋ねる。
「えっと……お呼びの理由は…」
「ああ。そうだった」
 スメラギは顔を上げ、なのはに言った。
「高町なのは一等空尉」
「なんでしょうか?」
 いきなりスメラギの空気が変わったので、なのはも身構える。
「高町なのは一等空尉。今日は君に休暇を与えようと思う」
「はい?」
 突然の事になのはも首を傾げる。
 スメラギはもう一度繰り返す。
「今日は仕事をしなくても良い。高町一等空尉」
「なぜでしょうか?スメラギ二等空佐」
 静かな声でスメラギに尋ねるなのは。
 スメラギは溜め息をつき、なのはに言う。
「最近、君の様子がおかしいからだ。
 それに昨日の怪我だ」
 昨日の件を出されるとなのはも口を閉じざるを得ない。
 更にスメラギは言葉を続ける。
「高町一等空尉。「J.S.事件」の治療を終えてから君は全く休んでいない。だから君に休暇を与えよう」
「スメラギ二等空佐……」
 なのはを睨みつけながらスメラギは言う。
「これは命令だ。高町二等空尉。では、良い休暇を」
「はい……」
 スメラギに一礼し、なのはは下がった。


「なのはちゃんも大変だね」
「そうだよぉ~」
 次元航行部隊の部署でなのはとフェイトが応接用の部屋で話をしていた。
 突然の休暇に肩を落としながら廊下をとぼとぼと歩いているなのはを見つけたフェイトが次元航行部隊の部署に連れて来たのだ。
「フェイトさん。お茶です」
「ありがとう」
 ティアナの変わりにフェイトの補佐官代理をする陸曹長のレン・ジオレンスがテーブルに紅茶を置く。
 フェイトはじっとなのはを見つめながら問う。
「……で。なのはは何を悩んでいるのかな?」
 心臓が跳ねるなのは。どうやら、フェイトには悩んでいる事がお見通しだったらしい。
 微笑むフェイトになのはは問い掛ける。
「例えばだよ…例えばの話だけど……死んだと思っていた知り合いが何かしらの形で生きていたらどうする?」
 その質問にはフェイトの顔が強張る。
 眼は大きく開かれ、口はだらしなくおおきく開けられている。
「フェイトちゃん?」
 なのはの言葉にフェイトは我に帰った。
 気が動転しているらしく、その顔は妙に赤く、視点が定まらないで宙を彷徨っている。
 視線を下に落とし、フェイトは言った。
「会いたい……かな。長い間会っていないし、ありがとうって言いたい。
 こんな私を作ってくれてありがとうって」
 母親であるプレセア・テスタロッサと姉のアリシアを思い出したらしくその目は切なさと悲しみが入り混じっていた。
 マズいとなのはは思った。
 なのはと出会った頃にフェイトは母親であるプレセアを失っている。
 その後にハラオウン家に養女として、行ったがフェイトは今も昔と同じようにプレセアを愛している。
「フェイトさん。お茶が冷めます。お早めにお飲みください」
 レンが背後からフェイトに言う。その仕草はまるで執事のようだった。
 フェイトは我に帰り、レンに微笑む。
「ありがとうございます。レンさん」
「いえ。フェイトさんの親友でいらっしゃる高町一等空尉の為を思って言ったまでです。
 もし俺がフェイトさんの親友だったら、自分の言った言葉で沈まれたら悲しいですから」
 フェイトの背後でレンは静かに言う。
「レン陸曹長……」
 その言葉になのははレンを尊敬してしまった。
 なのはに向かってレンは言った。
「高町一等空尉。私が思うにどんな事があろうとも、あなたはその人に会うべきだと思います」
「えっ……?」
 レンの言葉になのはは驚きを感じ、声をあげた。
 驚きで口を開けるなのはに対し、レンは話を続ける。
「私の知り合いの中には大切な人に二度と会えないと分かっていても足掻き続ける人がいます。高町一等空尉。貴女はその人より幸せです」
 なのはにそう語るレンの目は真剣でもあったが、少し悲しさがあった。
「そっか……ありがとうございます」
 飲んでいた紅茶のカップをソーサーに置き、応接間のソファーを立つなのは。
 そして、レンに礼をする。
「ありがとうございます」
「何の事でしょう?」
 わざとらしくとぼけるレン。
「じゃあ。失礼します」
 なのはは応接間を出て、次元航行部隊の部署を後にする。
 フェイトはカップの紅茶を飲む。放って置いた所為でぬるくなっていた。
 レンはフェイトが飲み干した空のカップに新しく紅茶を注ぐ。
「どうぞ」
「ありがとう」
 フェイトはレンの入れたお茶を飲む。
 そして、レンの方を向いて言った。
「なのはをレンに会わせて良かった……ありがとございます」
「はて?何の事でしょうか?」
 レンはまたもやわざとらしくとぼけながら首を傾げる。
 そんなレンにフェイトは苦笑する。
 苦笑するフェイトを見て、レンは微笑む。
 そして微笑むレンにフェイトは言った。
「レン。いい執事になれますよ」
「執事ですか……俺はフェイトさんの正式な補佐官になりたいですね」
 微笑みながらそう言うレンの一言にフェイトは顔を真っ赤にした。
 レンは抱き締めたいくらい可愛いと思いながらもぐっと我慢して、顔を真っ赤にしたフェイトに微笑み続ける。


「はぁ……いないなぁ…幽霧くん」
 なのはは幽霧を探して管理局の中を歩き回っていた。
 幽霧が石化したナタネを担いで現れたのだから、幽霧ならナタネが何処にいるか知っているだろうと考えたからだ。
 諜報部の部署には行ったが他の部署へ外回りに行っているらしく、諜報部の部署にはいなかった。
 なので、なのはは少し困りながら管理局の中を歩き回る。
 そろそろお腹が空腹を訴え始めた。
 昼ご飯の時間なら幽霧も食堂にいるだろう。なのはは食堂に歩き始める。
 なのはは空間が空いている場所を探す。案の上、空間が空いている場所があった。
 その空いた空間へとなのはは歩いていく。
 空いた空間へと行くと幽霧とアルフィトルテがいた。
 何故かテーブルには大きなクーラーボックスが置かれていた。
 なのはは幽霧に挨拶する。
「こんにちは。幽霧くん」
 何かを食べていた幽霧はなのはの方に顔を向けた。
「こんにちは。なのはさん。」
「なに食べているの?」
 なのはは幽霧の食べている物が気になり、幽霧に尋ねてみた。
 幽霧は答える。
「アイスです。アインさんのお手製なんですよ。」
「へぇ~」
 なのはは驚く。次元航行部隊に所属するクロノ・ハラオウン艦長の秘書であるアインが生粋のアイス職人という噂がある。
 そのアイスは絶品であり、次元航行部隊でも口に出来るのは数少ないらしい。
 今、幽霧とアルフィトルテが食しているのが本当にアインお手製のアイスなら驚くべき事だ。
「なのはさんもいかがですか?」
 幽霧はクーラーボックスからアイスのカップを取り出し、なのはに差し出す。
「じゃあ……頂きます」
 なのははアルフィトルテの隣に座る。
 幽霧はなのはにアイスの入ったカップを渡し、アインからアイスを貰った経緯を説明する。
「次元航行部隊に届ける書類があったので、バームクーヘンも一緒に届けに行ったんですよ。そしたらお返しにって貰ったんですよ」
「へぇ~」
 アインが作ったアイスを食べながらなのはは幽霧の話を聞く。
 クロノの秘書であるアインの作ったアイスは甘いものが少し苦手なクロノに食べさせる為か、甘さ控えめに作られている。
 男性は甘いものが苦手な人が多いという話は本当らしい。
 そこで幽霧は甘いものが苦手でないのか疑問に思った。
「幽霧くんは甘いものは大丈夫なの?」
「ん?」
 古典的な木製のスプーンを銜えながら幽霧は小さく首を傾げる。
 その仕草はなんだか幽霧が女の子みたいで可愛らしい。本当に幽霧は男なのだろうか。
「甘いものですか?大丈夫ですよ」
 あっさりそう言ってアイスを食べる幽霧。
 なのはは本気で思った。幽霧は本当は女の子ではないだろうか。
 夢中でアイスを食べていたアルフィトルテは顔を上げ、なのはに尋ねる。
「なにょひゃお姉ちゃはどうしたの?」
 アイスを食べながら話しているからか舌足らずだ。
 なのはもアイスを食べながら答える。
「幽霧くんを探しに来たの」
「自分ですか?」
 幽霧はなのはが自分を探しているとは思わず、少し驚く。
「何で幽霧くんがナタネちゃんを背負っていたの?
 お話……聞かせてくれないかな?」
 なのはが笑顔で殺気混じりの空気を放つ。空気が一変する。
 刀のように触れたら切れてしまいそうな空気に、なのはたちの周辺で談話していた局員たちがざわめき始める。
 そんな空気の中、幽霧は全く動じずに答える。
「アルフィトルテを定期検診に連れて行ったとき、鏡月主任に頼まれたのです」
「雫ちゃんが?」
「ええ」
 開発部主任である雫の名が出たので、驚くなのは。
 驚くなのはを尻目に幽霧は話を勧める。
「鏡月主任に「ナタネ」と言う方を連れて来るようにと仰せ付かりました。
 無限書庫へ行ったのは良いのですが、ナタネさんの身体は消滅しかけておりました」
 幽霧の懇切丁寧な説明の内容になのはの背中に冷や汗が流れる。
 なのはは顔を強張らせながら幽霧に尋ねた。
「もしかして…私と会ったときも消滅は進行していた?」
「……ええ」
 瞼を閉じ、なのはの問いに頷く幽霧。
 なのはは頷く幽霧に頭を下げる。
「ごめんね。幽霧くん」
 頭を下げるなのはに幽霧は首をかしげる。
「何故、貴女が謝るのですか?」
「…えっ?」
 顔を上げるなのは。そして、幽霧の目を見てしまった。
 幽霧の死んだ魚のような瞳を。
「……幽…霧……くん?」
 死んだ魚のような目をする幽霧は言った。
「貴女は悪くないです。貴女はナタネさんの事を心配して言ったのでしょう?」
「……うん」
 なのはは幽霧の目に釘付けになりながらも頷く。
「ならば、貴女は悪くないです」
 死んだ魚のような目が元に戻り、普通の目で幽霧は笑顔を見せる。
 なのはは幽霧の笑顔に魅入る。
 そして幽霧は食べたアイスのカップを片付け、なのはに言った。
「じゃあ。行きましょうか」
「はい?」
 首を傾げるなのはに幽霧は言った。
「会いに行かないのですか?ナタネさんに」
 なのはは立ち上がり、幽霧に言った。
「行く」

 ナタネは瞼を開く。
 そこは病室のような部屋であった。
「ココは……」
「起きましたか?ナタネさん。」
 部屋に雫が入る。
 ナタネは雫のほうに顔を向けた。
「貴女は……」
「はじめまして。開発部主任の雫・鏡月と申します。体の調子はどうでしょうか?ナタネさん。
 それともこう呼ぶべきでしょうか?ナタネ・ナターリエ・ヴァイスヴェルトさん」
「!?」
 ナタネは身体を起こし、ヴァイスヴェルトを発動しようとした。
 しかし、ヴァイスヴェルトの魔法陣すら出現しない。
「まだ動かないで下さい。ナタネさん。」
 雫はそのままナタネの身体をベッドに押し倒す。
 ナタネを押し倒した状態で雫は言った。
「一応は定着はしましたが、まだ安静にしていて下さい」
 そう言って、雫は身体を起こす。
 ナタネは身体を動かすのを止め、雫の言葉に耳を傾ける。
「身体の組織が崩壊したので、魔力で組織の接合と特殊機構の定着を行う事で修復いたしました。」
 雫の言葉にナタネは違和感のある胸部を押える。
 胸部に何かが埋め込まれている様な違和感を感じた。
 天井を見つめながらナタネは呟いた。
「結局、今回も死ねなかったのですね……」
 そんなナタネに雫は苦笑しながら言う。
「貴女はまだ死んじゃいけないという事ですよ」
「そういうものなんですか?」
「そういうものです。」
 雫は微笑みながら言う。
 その時、誰かが部屋の扉をノックする。
「どうぞ」
「失礼します」
 入ってきたのは、幽霧とアルフィトルテであった。
 幽霧の手にはアインお手製のアイスが入ったクーラーボックスが持たされている。
「こんにちは。ナタネさん。お体の調子はよろしいでしょうか?」
「貴女のおかげでしぶとく生きてますよ」
 ナタネの言葉に幽霧は苦笑する。
 そして持っていたクーラーボックスを渡す。
「これをどうぞ。アインさんから貰ったアイスです」
 ナタネはぎこちなく幽霧からクーラーボックスを受け取る。
「それと………」
 幽霧は部屋の入り口へと歩いていく。
 そして勢い良く扉を開ける。
「………」
 扉の向こうにいる人物にナタネは硬直した。
「こんにちは…ナタネ…ちゃん……」
 そこにいたのはなのはだった。
「じゃあ。自分はこれで失礼します。おいで。アルフィトルテ」
 幽霧はアルフィトルテに手招きをする。
「じゃあ。行きましょうか。アルフィトルテちゃん」
 雫は何かを察したらしく、微笑みながらアルフィトルテの背を押して部屋を出る。
 そして、部屋の扉がゆっくりと閉められた。
「ははは………こんにちはナタネちゃん」
 なのははぎこちなくナタネに挨拶する。
 軽く瞼を閉じるナタネ。そして、なのはに言った。
「ナノハ」
「はっ!はい!?」
 いきなり話し掛けられて挙動不審な仕草を取るなのは。
「……いつまでそこに立っているのですか」
「ふぇ……ごめん」
 なのははナタネのベッドの側にあるパイプ椅子に座った。
 部屋の中に気まずい空気が流れる。
 いつもならば、気軽になのはがナタネに話し掛けているだろうが今回は違った。
 確かになのははナタネに言いたい事はあった。しかし言いたい事が多すぎて何から言えば分からないのだ。
「ひ……久しぶりだね。ナタネちゃん…」
 なのはは咄嗟に思いついた事を言ってみる。
「そうですね」
「………」
 ナタネが無愛想であるのは相変わらずらしく、話が全く進まない。空気がより重くなる。
「えっと……」
 会話に困るなのはを尻目にナタネは幽霧から貰ったクーラーボックスを開ける。
 クーラーボックスの中からアイスが入ったカップを取り出し、なのはに尋ねた。
「ナノハ。これは何なのでしょうか?」
 いきなり話し掛けられて驚くなのは。
「ふぇ?あっ。これはアイスだよ」
「アイスとは牛乳・砂糖・卵黄を混ぜて凍らせた菓子の事……ですか?」
「そうだよ」
 ナタネは首を傾げながらアイスを口にした。
 口一杯にアイスの冷たさと仄かな甘さが広がる。
 そして、ナタネはポツリと呟いた。
「アイスという物冷たいのですね」
 ナタネの言葉になのはは少し驚く。
「…ナタネちゃん………アイス。食べた事無いの?」
「ええ。お恥ずかしながら」
 ナタネはアイスを食しながら答える。
「千年の間、世界を滅ぼす為だけにエルデンレギオーンの指揮をし、魔導言語の研究と魔導式の蒐集だけに時間をかけてきましたから」
 アイスのカップを両手で包み込み、天井を見上げて呟いた。
「しかし……私は世界を破壊できなかった。
 私は主ナノハ・ソワナの遺言は果たす事が出来なかったのです」
 その顔は妙な哀愁が漂う。
 ナタネのそんな顔になのはは心に棘が刺さったような痛みを感じられた。
 次は視線を落とし、ナタネは更に呟く。
「私は死にたいと思っているのに、他の人は私を死なせてくれません。
 黒髪の人は「貴女はまだ死んじゃいけないという事ですよ」と言いましたが……私はどうすればいいのか分かりません」
 なのははナタネに言った。
「ナタネちゃんのしたい事をすれば良いと思うよ」
「……?」
 なのはの言葉にナタネは首を傾げながら見つめる。
 首を傾げながら見つめてくるナタネになのはは語り掛けるかのように言う。
「ソワナさんはナタネちゃんの事を心配して言ったのだと思うよ」
「主がですか……?」
「うん」
 頷くなのは。そして語りかけるように話を続ける。
「私個人の事を言うとね……ナタネちゃんはソワナさんに依存していたんだと思うよ。だから自分が死んだ後、ナタネちゃんが一人でちゃんと歩いていけるか心配だったんだよ。だから、そんな事を言ったんだと私は思う。
 ソワナさんが本当に願っているのは、ナタネちゃんが一人で歩いていける事。ただそれだけだと思うよ」
 ナタネはきょとんとした顔でなのはを見る。
 少し言い過ぎたかなとなのはは思った。
「じゃあ。私はそろそろ行くね」
 ナタネにそう言って、パイプ椅子から立つなのは。
「ナノハ」
「ん?」
 ナタネに呼ばれて振り向くなのは。
 顔だけをなのはの方に向けてナタネは言った。
「またいつか」
「うん。またいつか」
 そう言って、なのはは部屋から出て行った。
 窓から木漏れ日の温かい光が入る部屋でナタネは一人呟いた。
「私のしたい事するのが、主の願いですか……」
 視線をまた下に落とすナタネ。両手で持っていたアイスが少し溶けていた。
 ナタネは少し溶けたアイスを口にする。そのアイスは仄かに温かかった。



 なのははナタネのいる部屋から出る。
「用事は終わりましたか?なのはさん」
 廊下では雫が待っていた。
「ええ。まあ………」
「じゃあ。私はナタネさんの診療を始めますので失礼します」
 そう言って、雫はナタネのいる部屋へと入っていく。
 なのはは幽霧をチラリと見る。
 待っていた時間が退屈だったらしく、アルフィトルテはむくれている。
 そのむくれているアルフィトルテを幽霧はなだめていた、
 幽霧はなのはの方に向き、表情を変えずに言った。
「その顔はちゃんと話は出来たようですね」
「うん。ありがとう。幽霧くん」
 なのはは幽霧に向かって笑顔で笑う。
 幽霧が全く表情を変えず、なのはに言った。
「では、自分はこれで。アルフィトルテ。後でアイス食べさせてあげるから………」
「やくそくだよ?」
 幽霧はアルフィトルテに隊服を引っ張られながら歩いていく。
 歩いていこうとする幽霧になのはが話し掛ける。
「あっ……幽霧くん?」
「なんでしょうか?」
 今もなお、アルフィトルテに隊服を引っ張られながら幽霧は振り向く。
 なのははもじもじしながら幽霧に言った。
「えっと………幽霧君のお仕事を見学させてくれないかな……?」
 その言葉には今まで無表情であった幽霧も驚く。
「自分の……仕事………ですか…?」
「うん」
 なのはは頷く。
 幽霧はちょっと困ったような顔をしながら言う。
「自分のしている仕事なんて………つまらないですよ」
 ちょっと困った顔をしながら話す幽霧になのはは苦笑しながら言う。
「ずっと見てみたかったんだよね………諜報部のお仕事」
 幽霧はこれ以上、断る理由が思い浮かばなかった。
 無表情な顔に戻り、なのはに言う。
「……分かりました」
「やったぁ」
 なのはは無邪気に喜んだ。



「幽霧霞三等陸士。今、戻りました」
「ん?ご苦労様」
 部隊長代行である鉈は机を埋め尽くすスケジュール表と情報管理用PCを行ったり来たりしながら幽霧に言う。
 そして鉈はなのはを見て硬直した。
「た……高町なのは一等空尉!?」
 驚く鉈に幽霧は言った。
「申し訳ありませんが、鉈部隊長代行。
 少し着替えないといけないので、なのはさんの相手をしていただけないでしょうか?」
「ふぇ?」
 幽霧の言葉に鉈はきょとんとした。
 それだけを鉈に言って、幽霧は着替える為に移動する。
「幽霧逃げるな!あーーーーーっ!」
 鉈の叫びも虚しく、諜報部の部署の扉が閉まる。
「えっと………」
「始めまして。諜報部の部隊長代行をさせて貰っている鉈と申します。どうぞ。お見知りおきを」
 さっきの狼狽ようが嘘だったかのように、鉈はなのはに自己紹介をする。
「高町なのはです」
 なのはも自己紹介をして返す。
「コーヒーと紅茶。どちらにしますか?」
 鉈は近くに置いているコーヒーの入ったコーヒーメイカーと紅茶の入ったポッドを持って尋ねる。
「じゃあ。紅茶で」
「分かりました」
 鉈は来客用のカップに紅茶を注ぐ。何故かカップには、ゾウを絵が描かれていた。
「どうぞ」
 なのはは鉈から紅茶が入ったゾウのカップを受け取る。
 コーヒーを自分のカップに入れながら鉈はなのはに尋ねる。
「エースオブエースの高町なのは一等空尉が何故ここに?」
 なのはは熱い紅茶を飲みながら鉈の問いに答える。
「幽霧くんの仕事風景が気になって見に来たのですよ。ちょうど、今日は休みなので」
「はぁ………なるほど」
 その時、諜報部の扉が開く。入ってきたのは幽霧であった。
 鉈は全く動じていなかったが、幽霧の姿を見て、なのはは仰天する。
 なんと、幽霧は女性用の隊服に長いコートを羽織ったような姿だったからだ。
「幽霧。遅いぞ」
 鉈はまるでいつものことのように言う。
「すみません。部隊長代行」
 幽霧はかすかに微笑みながら言う。隊服も相まって、まるで女の子のようであった。
 なのはは恐る恐る幽霧に尋ねる。
「幽霧くん……なんで、女の子の隊服を着ているのかな?」
「あ~。八神二等陸佐のご要望です。
 「私は幽霧くんが女装した格好で持ってくる書類しか受けとらへんっ!」って」
 なのはは本気で頭を抱えたくなった。
 このまえやっと幽霧の無気力を直したと思ったのに、まさか知り合いが幽霧に女装を強要しているとは思わなかったからだ。
「どうしたのですか?」
 なのはの思いを知ってか知らずか、首を傾げる幽霧。
 気を取り直して、なのはは幽霧に言った。
「まず、何処から行くの?」
「捜査課ですね。では、行きましょうか。
 部隊長代行。なのはさんの相手をして下さってありがとうございました」
 幽霧は鉈に頭を下げる。
 コーヒーを啜りながら鉈はちらりと幽霧を見た後、なのはに軽く手を振る。
「ん。またお越し下さい。なのは一等空尉」



「諜報部所属。幽霧霞三等陸士です」
「ちわ~っ。いらっしゃい幽霧。」
 捜査課の受付嬢も兼ねている九闇が幽霧を出迎える。
 ちょっと馴れ馴れしい九闇の言動にも全く顔を変えない幽霧。
 九闇はなのはを見て、少し驚く。
「あれ?高町教導官?なぜ、幽霧と一緒に?」
「すみません。八神二等陸佐に用があって来たのですが」
 話が脱線すると仕事に滞りが起こるので、幽霧は話を無視して九闇に尋ねる。
「話を逸らさないでよ~」
「八神二等陸佐なら、羽捜査官とご飯を食べに行きましたが何か?」
 青年が九闇の背後に歩み寄り、幽霧たちに言った。
「げっ………スプリッド陸曹長」
「「げっ」とは何ですか?「げっ」とは。」
 スプリッドと呼ばれた青年は溜め息をつきながら九闇を見る。
 幽霧はかすかに笑みを見せながら、スプリッドに言った。
「お久しぶりです。フェイル・スプリッド先輩」
「ん。久しぶりだ。幽霧」
 かすかに笑みを浮かべる幽霧にフェイルは挨拶を返す。
「書類は私が受け取ろう。大丈夫だ。中身など見たりはしない」
「じゃあ。お願いします」
 幽霧はフェイルの書類を渡す。
「すまないが、私はこれで失礼する。こいつを教育しなおさないといけないのでな」
 フェイルは九闇の首を後ろから掴む。
 そして九闇を聴取室に引っ張っていく。
 首を後ろから掴まれた九闇は足掻く。
「スプリッド陸曹長!折檻……折檻だけはやめてくださいぃぃぃ!!」
 フェイルは九闇を引きずりながら言った。
「私は言わなかったか?どんな人であれ、常に敬語を使えと。
 嗚呼。私の調教が悪かったのだな………」
「調教!?いま、調教って言いませんでしたか!?」
 九闇はフェイルの言葉に動揺し、ガタガタ震え始める。
「気のせいだ」
「嘘だっ!嘘だ!嘘だっ!」
「ほう。まだそんな口を聞けるか……いい度胸だ。
 もう少ししっかりと身体に刻み込んでおくべきだったな」
 コールタールのようにかなり黒い笑みを浮かべるフェイル。
 その黒い笑顔に九闇の背筋に寒気が走る。
「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!」
 その叫び虚しく、フェイルは九闇を引きずって行った。
 九闇を引きずりながらフェイルは聴取室に入っていく。
「くぁzzsdcヴhにjm、おk。l;・@;lkjj!!」
 扉に入ってから数分後、言葉にならない叫び声が聞こえてきた。
「ほら。ちゃんと鳴いてみせたまえ」
「ひゃん!はひぃ。ご主人様ぁ」
 正直、なのはと幽霧は聴取室で何があるか気にはなった。
 しかし、そうすると何かを失ってしまいそうだから怖くて覗けない。
 聴取室からは今もなお、いろんなことが聞こえてくる。
「九闇……言う事はあるかね?」
「ひゃん…あぅ……ごめんなさい。ご主人様……」
 かなりマズい事になっている気がするのは気のせいだろうか?
「なのはさん」
「ん……なに?」
「次の場所に行きましょうか………」
 幽霧の顔が引き吊っていた。
 殆ど無表情な幽霧にしては珍しい事であった。
「うん………そうだね」
 幽霧の意見になのはも了承した。
 なのはと幽霧は、九闇の無事を心配しながら次の目的地へ移動した。
「×××!××××××!!××××××××××××!!」
 何時の間にか聴取室から表現するには刺激が強すぎる言葉の羅列が聞こえ始めた。
 しかし、捜査課の局員はまるでそれが当たり前かのように仕事に徹していた。

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最終更新:2008年08月21日 18:03