「失礼します」
ノックして戸を横に開けた。
日々の修行と思慕の強さのため、彼がいることはその前から気配で分かっていたが、いざ理科研究室の中を覗くと姿が見えない。
「先生……?」
静かな、彼特有の気配を辿る。
音を立てないようにそちらへ近付いていくと、普段は使われていない来客用の黒いソファに白衣が広がっていた。
「先生」
珍しいものを見た、と彼女の表情は語っている。
理科教師東西南北は、そこで眠っていた。
起きている時よりも気配は薄まり、実に安らかに目を閉じている。
「せんせい」
声に出そうとしたそれは、喉で自然に止まる。
目を覚ます風ではない。
修行を積んだ彼女の接近に気付く者はそういない。
鈍感そうに見えてその実よくものを見ている彼も、今彼女が近くにいるとは思いもよらないだろう。
彼女はどきどきしながらその髪に手を伸ばした。
想像していたよりもそれはずっとかたくて、撫でるのではなく摘むようにして感触を確かめた。
「何回好きだと言ったら、分かってくれるのですか」
年相応の子供のように、彼女はそんな我儘に似たことを考える。
この人は周りをよく見ているのに、人の気持ちには驚くほど鈍感で。
何で彼以外の誰もが彼女の感情に気付いているのに、彼だけは何も知らないでいられるのか。真っ白でいられるのか。
手にした髪を折り曲げて、跡をつけたくなるのを彼女は抑えた。
自分は大人だと、彼女は自分に言い聞かせる。
ママさんの子供で、修行もしていて、だから、不用意に人を傷付けたり干渉したりしてはならない。
今ここから彼女がいなくなっても、彼は彼女がいたことさえ知らないだろう。
彼女が想うことをやめても、彼がその心を、そして存在さえも知らないように。
だから、諦めたりしないと。そう、呟く。
「先生の『好き』を貰うためなら、私、何だってします」
何だって、頑張ります。
そう言っているのに彼は起きず、彼女は想う相手の額を軽く小突いた。
大人なようで子供な彼女と、状態は把握出来るのに感情までは理解出来ない先生の話。ライプツィヒ最後の日曜。
先生ルートなので全く諦めない&自信ありげな主人公の図。
視点、は高さと、あるいは方向と。